( 200017 )  2024/08/09 16:46:28  
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日銀が利上げを表明して以降、株価は不安定な動きを見せている。

金融市場では、「円キャリー取引を背景とする円安バブルが崩壊した」という説が広がっているが、筆者はこの説に疑問を抱いている。

過度に円キャリー取引の影響が強調されすぎている可能性も指摘されており、他の要因も考慮すべきだと述べられている。

現在の日本経済の需給環境は以前の円安時期とは異なっており、過去の経験だけで現在の展望を判断するのは難しいとして、慎重な姿勢を示している。

(要約)

( 200019 )  2024/08/09 16:46:28  
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日銀の利上げ表明後、株価は乱高下している(新華社/アフロ) 

 

 日銀のわずか+15ベーシスポイント(bp)の利上げを契機として本邦金融市場は歴史に残る大荒れの様相を呈した。議論すべきことは沢山あるが、今回の本欄では為替市場に対する所感を示しておきたい。 

 

【図表】ドル/円相場と日米金利差 

 

 金融市場では、今回の大混乱について「円キャリー取引を背景とする円安バブルが崩壊した」という解説が支配的になっているようだ。しかし、これについて筆者は小さくない違和感を覚えている。 

 

 「円キャリー取引を背景とする円安バブル」というのは具体的には「低金利の円を起点として世界の資産価格が支えられていた」という趣旨だが、今回の大混乱があってから急に目にするようになった説でもある。確かに、日本株については「円安ゆえに押し上げられている」という争点はかなり指摘されてきた部分であり、特に4月以降の円安・株高は日米金利差から大きく乖離した局面であったため、かなり危うさを感じるものではあった。その乖離を埋めるように円高が進み、日本株も調整を強いられているという説は相応に納得感がある(図表(1))。 

 

 だが、米国を筆頭として欧米株価の行方も円金利、具体的には日銀の政策運営に委ねられていたという解説は少なくとも筆者は寡聞にして知らない。これはただの後講釈で、米7月雇用統計の強烈な悪化を受けて米国株が調整を強いられているという方が腑に落ちる話である。 

 

 円キャリー取引を起点とするフローは一因であったとしても、主因なのかどうかは確証がない。今回、8月2日や5日に株式市場が崩壊してから「600兆円の円キャリー取引が円安と世界の株高を引き起こしていた」という解説が突発的に増えた。これが半分調整されたとか、まだ3割しか調整していないとか色々な解説がここにきて飛び出している。 

 

 しかし、それほど巨大な数字(600兆円)を年初来の円安局面にまつわる解説で見たことがあるだろうか。少なくとも筆者はない。 

 

 それほど単純な理由で円安が起きていたのならば、なぜ誰も指摘しなかったのか。なぜ、国際収支構造の変容や新NISAにまつわる「家計の円売り」がこれほど為替市場の注目されてきたのか。ひとえに、それ以外に持ち出せる説がさほど多くなかったからではないのか。 

 

 もちろん、円キャリー取引(≒日米金利差)は円安の一因であったに違いない。しかし、今回の日銀利上げを極度に嫌気する機運の中、必要以上にその威力が強調されている恐れはある。 

 

 常々指摘しているように、金利差にまつわる取引は方向感に影響を与えるため、円キャリー取引の拡大と縮小は相場変動に当然影響がある。しかし、現時点でその説に過度に傾斜することも慎重でありたい。 

 

 

 そもそも円キャリー取引という取引戦略は定義が曖昧だ。よって筆者はその言葉の使用を極力避けるようにしている。煎じ詰めれば「低金利通貨を借りて、高金利通貨に投資し、安定的に金利差を得る取引」ということになるのだろうが、その定義に従えば外貨普通預金も円キャリー取引になる。 

 

 歴史的な話をすれば「円キャリー取引を背景とする円安バブル」は2005~07年に注目された相場現象であり、07年8月のパリバショック、08年9月のリーマンショックを経て巻き戻しが始まり、その後の超円高局面に繋がっていった。この時も「円キャリー取引の規模感」は各所でさまざまな試算が講じられたが、実際、精緻な数字を出すことは難しかった。 

 

 当時、筆者も外為証拠金取引(くりっく365)などからイメージされる円売り、IMM通貨先物取引における円ショート、国際決済銀行(BIS)で確認できる円建て国債与信統計などを積み上げることで疑似的に円キャリー取引の規模を推計していたが、結局、さほど高い精度は得られないという結論に達した。現在、市場でよく目にする600兆円の真偽は定かではないものの、やはりそれほど巨額の数字で、しかも確固たる裏付けがあるならば、事前にもっと話題になっていたのではないか。 

 

 こうした投機的取引にまつわる論点は日頃引用しているように、IMM通貨先物取引における円にまつわるネットポジションを代理変数として着目すれば十分というのが筆者の認識であり、現時点(7月30日)では直近ピークであった7月上旬から6割が巻き戻され、4割が残っているというイメージが得られる。当然、8月2日以降にはさらに巻き戻しが進んでいるだろう(図表(2))。 

 

 だが、東日本大震災後の超円高を引き起こしたと言われた「損保のレパトリ」も後日、財務省統計を通じて存在しなかったことが明らかになったように、真偽は別にして、相場の熱狂時は「皆がそう思えばそうなる」というのが金融市場でもある。百歩譲って「円キャリー取引を背景とする円安バブル」はあったということにしておこう。しかし、この点についても特に想定外ということはない。 

 

 筆者はハウスビュー(投資見解)などにおいて「現状で円が買われる理由は『売られ過ぎたから』くらいしかない」と述べてきた。震度はさておき、円キャリー取引の巻き戻しというのは「売られ過ぎたから」の結果そのものである。 

 

 

 問題はキャリー取引に象徴される投機的なポジションの巻き戻しが完了し、ポジションが完全に中立化した時の水準をどう考えるかである。その時、円を買う理由は果たして残されているだろうか。 

 

 水準を考察するには需給分析が必要になる。05年から07年にかけてキャリー取引の生成と崩壊が指摘されていた頃、借りられる側の低金利通貨(以下調達通貨)の代表格が円とスイスフランであり、ドルですら豪ドルやNZドルをターゲット通貨とする調達通貨と呼ばれている時代だった。 

 

 その中でも円は低金利の安定が見込まれたゆえ、調達通貨としては大人気だったわけだが、同時に世界有数の貿易黒字大国の通貨でもあった。よって、仮にドルを筆頭とする海外金利が引き下げられるようなことがあれば、一気に円高に行くのではないかという懸念は常にあり、実際にそうなった。 

 

 具体的には08年から12年に至るまでの5年弱、日本経済は超円高に苦しめられ、その為替に対する怨嗟がアベノミクス下での異次元緩和として結実したという見方もある。この05年から07年にかけては「世界有数の貿易黒字大国の通貨」であったという事実は当時と現在の日本を比較検討する上での最大の相違である。 

 

 当時は「拠って立つ自国通貨買いの需給が存在した」のである。05年から07年にかけての日本では薄型テレビに象徴されるような民生家電の世界向け輸出が好調であり、経常黒字における貿易黒字の存在感もかなり大きかった。また、円安が輸出増を通じて生産・所得・消費の好循環に繋がるというチャネルが活きていたのである。 

 

 具体的に数字を見ると、05年から07年の3年間の累積では、経常収支が約+64.0兆円で、そのうち貿易収支が約+37.0兆円、サービス収支が約▲12.2兆円、第一次所得収支が約+42.6兆円、第二次所得収支が約▲3.4兆円であった。貿易でも投資でも外貨を稼ぐ「未成熟な債権国」である。 

 

これに対し、21年から23年にかけての3年累積の数字を見ると、経常収支が約+49.1兆円で、そのうち貿易収支が約▲11.2兆円、サービス収支が約▲13.3兆円、第一次所得収支が約+81.0兆円、第二次所得収支が約▲7.4兆円であった。貿易では稼げず、投資で外貨を稼ぐ「成熟した債権国」である(図表(3))。 

 

 

 双方の時代とも経常黒字大国には違いないが、第一次所得収支黒字の過半は円買いとなって還流することはせず、証券投資収益や再投資収益という名目で外貨のまま国外に滞留していると疑いが強い。この点は過去の本コラム「唐鎌大輔の経済情勢を読む視点」でも何度か議論している通りだ。 

 

 そもそも実需環境として円高に振れるだけの貿易黒字を抱えることができていたのが05年から07年である。円安に呼応して輸出を増やすだけのパワーがまだ日本経済にあったので、円安バブルと形容されたことも多少は頷ける部分もあった。 

 

 実際、当時の日本経済は、過去最長であった「いざなぎ景気」(57カ月間:1965年10月~1970年7月)を超え、戦後最長の「いざなみ景気」(73カ月間:2002年1月~2008年2月)の最中にあったと認定されている(これについてもさまざまな議論はあるが、一応、公式にはそういうことになっている)。少なくとも現在と比較すれば、当時は円安が輸出を基点に実体経済へ恩恵をもたらしていることが見えやすかった。 

 

 片や、21年から23年についても円安バブルだったという評価が今、議論されているわけだが、日本経済の好調を指摘する向きは乏しく、むしろスタグフレーションの疑いがかかっている。強いて円安バブルがあったとすれば、それは株式市場や不動産市場を筆頭とする資産価格の話であって、実体経済は円安経由の物価高で逆に苦しんでいる実情がある。円安・資産価格バブルという方がしっくりくるかもしれない。 

 

 要するに現在は前回円安バブルと言われた05年から07年とは円の需給環境が全く異なっている。米国の利下げを迎え撃つこれからの展開を検討するにあたっては、その辺りの相違を考慮する必要がある。 

 

 紙幅の関係上、議論は割愛するが、実は日本は貿易赤字国として米国の利下げを迎えた経験がほとんど無い。19年7月以降の米連邦準備理事会(FRB)利下げが貴重なサンプルとして挙げられる。 

 

 直後の同年8月こそ確かに円高になったが、この年を最後まで見ると「3回利下げして3円程度円高になる」といった程度の動きだった。もちろん、蓄積しているポジションや米国経済の状況が違うため単純比較は困難だが、需給構造だけを見れば05~07年の日本と21~23年の日本はほとんど「別の国」と言っても良い。多額の貿易黒字を抱え、多くの実需の円買いを誇った前者の時代と異なり、現在は統計上の黒字があっても実需の円買いはさほどではないという見方は多い。 

 

 簡単に図式化すると、当時は図表(4)における(1)から(2)への移行だったが、今回は(3)から(4)への移行となる。今次局面は「実需の円売り」が残ってしまう分、円高の震度は異なるのではないか。少なくとも05~07年の経験になぞらえて、超円高局面が再来するかのような言説にはまだ慎重でありたい。 

 

唐鎌大輔 

 

 

 
 

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