( 200507 )  2024/08/11 01:22:59  
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日経平均の大暴落の原因として、円キャリー取引を背景とする円安バブルが崩壊したという説が浮上しているが、著者はその理由が十分だとは考えておらず、現在の日本の経済状況が過去と異なることを指摘している。

過去に円安局面で発生した円キャリー取引の崩壊後には強力な円高が訪れたが、現在は輸出が好調で貿易黒字国ではなく、円安に呼応して海外で稼ぐ力が不足している可能性がある。

現在の円キャリー取引による円安バブルは2005年から07年と似ているが、違いがあるとしている。

(要約)

( 200509 )  2024/08/11 01:22:59  
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日経平均が暴落した際には円高も急伸した(写真:ロイター/アフロ) 

 

 8月上旬の株価大暴落の原因として、「円キャリー取引を背景とする円安バブルが崩壊した」という解説が支配的になっているが、年初の円安局面で巨額の円キャリーが原因だという理由が出ていたわけではなく、後講釈に過ぎない。 

 今回と同様に円キャリー取引による円安バブルが叫ばれた2005年から07年の時は、その後の巻き戻しで強烈な超円高になったが、当時の日本は輸出が好調で貿易黒字国だった。 

 貿易赤字になり、海外の投資収益で稼ぐ今の日本に、円安に呼応して海外で稼ぐだけのパワーは残っているのだろうか。残っていないとすれば、前回のような超円高にはなりようがない。 

 (唐鎌 大輔:みずほ銀行チーフマーケット・エコノミスト) 

 

【著者作成グラフ】経常収支構造の変化。前回円安局面の2005-07年と2021-23年の経常収支を比較すると、日本の産業構造と「円」が完全に別物になっていることが分かる。本当によく分かる! 

 

■ 突然現れた「円キャリー取引・円安バブル」説 

 

 7月31日に行われた日銀のわずか+15bpの利上げを契機として、日本の金融市場は歴史的に残る大荒れの様相を呈した。議論すべきことはたくさんあるが、まずは今回と次回の2回に分けて、筆者なりの為替市場に対する所感を示しておきたい。 

 

 金融市場では、今回の大混乱について「円キャリー取引を背景とする円安バブルが崩壊した」という解説が支配的になっているようだ。しかし、これについて筆者は小さくない違和感を覚えている。 

 

 「円キャリー取引を背景とする円安バブル」というのは、具体的には「低金利の円を起点として世界の資産価格が支えられていた」という趣旨だが、今回の大混乱があってから急に目にするようになった印象が強い。 

 

 確かに、日本株については「円安ゆえに押し上げられている」という争点はかなり指摘されてきた部分である。特に4月以降の円安・株高は日米金利差から大きく乖離した局面であったため、かなり危うさを感じるものではあった。 

 

 その乖離を埋めるように円高が進み、日本株も調整を強いられているという説は相応に納得感がある(図表(1))。 

 

 だが、米国を筆頭として欧米株価の行方も円金利、具体的には日銀の政策運営に委ねられていたという解説は寡聞にして知らない(少なくとも筆者は)。 

 

 これはただの後講釈で、7月末から8月初頭に関して言えば、7月の米雇用統計の強烈な悪化を受けて「米国株もたまたま同じ時期に調整を強いられた」という方が腑に落ちる。 

 

 もちろん、円キャリー取引を起点とするフローは一因であったのかもしれないが、それを主因のように語るのはやや違和感がある。 

 

 

■ 「600兆円の円キャリー取引」の真偽 

 

 特に賛同できないのが今回、8月2日や5日に株式市場が崩壊してから「600兆円の円キャリー取引が円安と世界の株高を引き起こしていた」という解説が突発的に増えたことだ。それ以降は、それ(600兆円)が半分調整されたとか、まだ7割調整しただとか色々な解説がここにきて飛び出している。 

 

 しかし、それほど巨大な数字(600兆円)を年初来の円安局面にまつわる解説で見たことがあるだろうか。少なくとも筆者はない。 

 

 なぜ、それほど単純な理由で円安が起きていたのならば、誰も指摘しなかったのか。なぜ、国際収支構造の変容や新NISAにまつわる「家計の円売り」がこれほど為替市場の注目を集めてきたのか。 

 

 ひとえに、それ以外に持ち出せる説がさほど多くなかったからではないのか。 

 

 もちろん、円キャリー取引(≒日米金利差)は円安の一因であったに違いない。しかし、今回の日銀利上げを極度に嫌気する機運の中、必要以上にその威力が強調されている恐れはある。 

 

 過去のコラムでも常々指摘しているように、金利差にまつわる取引は方向感に影響を与えるため、円キャリー取引の拡大と縮小は相場変動に当然影響があって然るべきである。しかし、現時点でその説に過度に傾斜することにも慎重でありたい。 

 

■ そもそも定義が曖昧な円キャリー取引 

 

 そもそも円キャリー取引という取引戦略は定義が曖昧だ。よって筆者はその言葉の使用を極力避けるようにしている。 

 

 煎じ詰めれば、「低金利通貨を借りて、高金利通貨に投資し、安定的に金利差を得る取引」ということになるのだろうが、その定義に従えば、外貨普通預金も円キャリー取引になる。 

 

 歴史的な話をすれば、「円キャリー取引を背景とする円安バブル」は2005~07年に注目された相場現象であり、2007年8月のパリバショック、2008年9月のリーマンショックを経て巻き戻しが始まり、その後の超円高局面につながっていった。 

 

 この時も「円キャリー取引の規模感」は各所で様々な試算が講じられたが、実際、精緻な数字を出すことは難しかった。 

 

 

■ 円キャリー調整後に円を買う理由は残っているのか?  

 

 当時、筆者も外為証拠金取引(くりっく365)などからイメージされる円売り、IMM通貨先物取引における円ショート、国際決済銀行(BIS)で確認できる円建て国債与信統計などを積み上げることで疑似的に円キャリー取引の規模を推計していたが、結局、さほど高い精度は得られないという結論に達した。 

 

 現在、市場でよく目にする600兆円の真偽は定かではないものの、やはりそれほど巨額の数字で、しかも確固たる裏付けがあるならば、事前にもっと話題になっていたのではないか。 

 

 こうした投機的取引にまつわる論点は日頃引用しているように、IMM通貨先物取引における円にまつわるネットポジションを代理変数として着目すれば十分というのが筆者の認識であり、現時点(7月30日)では直近ピークであった7月上旬から6割が巻き戻され、4割が残っているというイメージが得られる。 

 

 当然、8月2日以降にはさらに巻き戻しが進んでいるだろう(図表(2))。 

 

 だが、東日本大震災後の超円高を引き起こしたと言われた「損保のレパトリ」も後日、財務省統計を通じて存在しなかったことが明らかになったように、真偽は別にして、相場の熱狂時は「皆がそう思えばそうなる」というのが金融市場でもある。 

 

 だから、百歩譲って「円キャリー取引を背景とする円安バブル」はあったということにしておこう。しかし、そうだとしても特に想定外ということはない。 

 

 筆者は常に「現状で円が買われる理由は『売られ過ぎたから』くらいしかない」と述べてきた。その震度はさておき、円キャリー取引の巻き戻しというのは「売られ過ぎたから」の結果そのものである。 

 

 問題はキャリー取引に象徴される投機的なポジションの巻き戻しが完了し、ポジションが完全に中立化した時の水準をどう考えるかだ。その時、円を買う理由は果たして残されているのか。筆者が本当に関心を持っているのはそうした水準の着地点にまつわる議論だ。 

 

 水準を考察するには需給分析が必要になる。 

 

 

■ 同じ円安局面だった2005-07年と今の最大の違い 

 

 2005年から2007年にかけてキャリー取引の生成と崩壊が指摘されていた頃、借りられる側の低金利通貨(以下、調達通貨)の代表格が円とスイスフランであり、ドルですら豪ドルやニュージーランドドルをターゲット通貨とする調達通貨と認識されている時代だった。 

 

 その中でも円は低金利の安定が見込まれたゆえ、調達通貨としては大人気だったわけだが、同時に世界有数の貿易黒字大国の通貨でもあった。よって、仮にドルを筆頭とする海外金利が引き下げられるようなことがあれば、一気に円高に行くのではないかという懸念は常にあり、実際にそうなった。 

 

 具体的には2008年から2012年に至るまでの5年弱、日本経済は超円高に苦しめられ、その為替に対する怨嗟がアベノミクス下での異次元緩和として結実したという見方もある。 

 

 この2005年から2007年にかけての円が「世界有数の貿易黒字大国の通貨」だったという事実は、当時と現在の日本を比較検討する上での最大の相違である。当時は「拠って立つ自国通貨買いの需給が存在した」のだ。 

 

 2005年から2007年にかけての日本では薄型テレビに象徴されるような民生家電の世界向け輸出が好調であり、経常黒字における貿易黒字の存在感もかなり大きかった。当時はまた、円安が輸出増を通じて生産・所得・消費の好循環につながるというチャネルが活きていたのである。 

 

 具体的に数字を見てみよう。 

 

 2005年から2007年にかけての3年間累積で見ると、経常収支が約+64.0兆円で、そのうち貿易収支が約+37.0兆円、サービス収支が約▲12.2兆円、第一次所得収支が約+42.6兆円、第二次所得収支が約▲3.4兆円であった。貿易でも投資でも外貨を稼ぐ「未成熟な債権国」である。 

 

 これに対し、2021年から2023年にかけての3年累積の数字を見ると、経常収支が約+49.1兆円で、そのうち貿易収支が約▲11.2兆円、サービス収支が約▲13.3兆円、第一次所得収支が約+81.0兆円、第二次所得収支が約▲7.4兆円であった。貿易では稼げず、投資で外貨を稼ぐ「成熟した債権国」である(図表(3))。 

 

 

 
 

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