( 201011 ) 2024/08/12 17:18:05 2 00 堀江貴文「できる子・できない子を1クラスに閉じ込めるのが間違い」…学校という”檻”から子どもたちを解放する方法現代ビジネス 8/12(月) 8:04 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ee30375511ff8bdaf8587339487e70168ccd77fe |
( 201014 ) 2024/08/12 17:18:05 0 00 Photo by Gettyimages
日本が活力を取り戻すためには、学校教育を解体・変革しなくてはいけない……。そう語るのは、新刊『ホリエモンのニッポン改造論』を発表した堀江貴文氏だ。なかでも「オンライン授業」の導入は、あらゆる面においてメリットしかないという。ホリエモンが思い描く、新たな学校のカタチとは? 存分に語ってもらった。
【写真】堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」
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これからの時代、旧来の学校教育の解体・変革は待ったなしの重要テーマだ。
たとえば、クラスルームで一斉に行う授業では、勉強ができる子とできない子のレベル差に対応できなかった。しかし、ちょっとテクノロジーを駆使すれば簡単に実現できる。
授業についていけない偏差値50未満の子どもは、40人学級だと15~20人はいるだろう。授業で彼らを置いてきぼりにするわけにはいかない。かといって、一番できない子に合わせて授業を進めていたら、できる子たちが伸びない。
そもそも、なぜ全員を1つのクラスルームに集めて、授業をしなくてはいけないのだろうか。
従来の集団教育は、いわば旧式の軍隊式教育の名残だ。校庭や体育館に生徒を集め、「気を付け!」「休め!」「右へならえ!」などと怒鳴って、生徒に一斉行動を強いる。まさに軍隊だ。兵隊に号令をかけ、戦争に駆り立てた頃の教育を思い起こさせる。
たしかにこの「右へならえ」式の教育は、欧米に追い付け・追い越せの高度経済成長期の日本では役に立った。全員が同じ方向を目指し、余計なことを考えずに、ひたすらがんばることのできる人間が優秀とされた。
しかし、「右向け右」で、大号令に従うだけの人間は、これからの時代、AIに取って代わられる。指示されたことをそのまま、高精度に遂行する能力なら、AIのほうがずっと優れているからだ。
これからの人材に求められるのは、むしろ指示されていないこと――誰も考えたことのないような新しいことを発想し、思考力と創造性、行動力を駆使して実現していける、そんな能力である。
そして、そんな人材を育てる今様の教育――知るべきことを「教え」、子どもの可能性を「育む」という本当の意味での教育を実現していくためには、まず、生徒を一箇所に集めるという旧来の発想から脱却すべきなのだ。
そうすれば、先に述べた「できる子・できない子」問題もすぐに解決できる。
まず、授業はすべてオンラインにする。できる子は放っておいても自習し、どんどん学力をつけていくだろう。他方、できない子にはチューターをつけ、オフラインも併用して細やかに勉強をサポートする。
こうすれば、日本の子どもたち全体の学力アップにつながる。できる子はどんどん伸び、できない子の学力は底上げされる。「授業の進みが遅くてつまらない」という不満も、「授業についていけなくてつらい」という劣等感も生まれない。双方がハッピーだ。
オンライン授業を増やすだけで、子どもたちの頭脳も肉体も、学校という「檻」から解放される。それがまず重要だ。
17世紀のヨーロッパでペストが流行した際、ケンブリッジ大学の学生だったニュートンは、大学の閉鎖によって故郷に帰省したときに「万有引力の法則」を発見したという説がある。重要な発見が学校外の自由時間になされたというのは興味深い。
これが事実かどうかは別として、子どもを学校という狭い空間に閉じ込めてしまうのは、あまりにもったいない。変化の激しい、新しい時代に対応できるクリエイティブな頭脳の養成には、むしろ現状の学校の解体、ないしは縮小が積極的に求められる。
学校の役割は勉強を教えることではない。生徒たちを一箇所に集めることは、子どもたちの社会性の育成につながっているのだ――そんな声が聞こえてきそうだが、バカをいわないでほしい。
学校以外の場所にも、いくらだって人付き合いの機会はある。オンラインで外国に住む人と仲良くなるかもしれないし、年の離れた友人ができるかもしれない。
むしろ同じ地域に住み、同じ年齢というだけで1つの箱に押し込められ、「仲良くしなさい」という公立校の仕組みこそ不自然なのだ。
学校の外で自由な友人関係を築いたり、誰かのYouTubeチャンネルにはまったり、ゲームに夢中になったりするほうが、新時代を生き抜く頭脳を育むことにつながる。
では、学校は子どもを安心して預けられる場所であり、共働き夫婦には絶対に必要――という批判はどうか。これには少し行政の力が必要だ。ベビーシッター・サービスを使える補助金やクーポンを出せばいい。
オンライン授業の導入によって一斉授業を減らし、チューターやティーチング・アシスタント(TA)が、サポートを必要とする子たちの面倒を見る。この体制を組めば、学校の巨大なスペースは必要なくなり、せいぜい地域の児童館や公民館レベルに縮小できるはずだ。
つまり学校という広大なスペースが、ほぼ丸ごと空くのだ。公立校の場合、その土地・建物は自治体所有である。建物を民間企業に貸し出してオフィスとして活用してもらう、あるいは更地にして売却すれば、かなり大きな利益となって自治体の財政が潤うだろう。
子どもたちを学校という檻から解放することには、こんなうれしい副産物までついてくるのだ。
* * *
つづく記事〈堀江貴文「子どもを不幸にする“教師ガチャ”を一瞬で解決」…誰でもどこでも「いい授業」を受けられる方法〉では、堀江貴文氏が考える「教師ガチャ」の解決策を明らかにする。
堀江 貴文(実業家)
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( 201015 ) 2024/08/12 17:18:05 0 00 ・オンライン自体は悪いものでは無いが、それに頼り切ってしまうのは心配です。勉強も遊びも屋内に引きこもってしまう環境を当たり前にしてしまうのは、将来的に引きこもりが増えないかな。家に閉じこもってオンラインで仕事する社会になるなら良いかもしれない。 できる子できない子を分ける事は賛成。クラスはあっても基本教科はレベルに合わせて授業が出来たら良いのに。できる子をできない子にあわせるのは勿体無いです。
・義務教育ですから、オンライン、オフライン関係なく、その学年でクリアできていない学力なら、もう一度、その学年をやり直して、一定の学力が身につけば進級するようにするのもいいのかも。掛け算ができないのに、進級して割り算の授業するのは難しいですから。進級するラインを決めるのは難しいこととは思いますが、義務教育ですから、ある程度の学力を身につけるのも必要なのかなと思います。
・オンライン授業は学校に馴染めない子や事情があって学校へ通えない子の救いにはなりますが今の所はデメリットも多くあるように感じます。 学校を無くしてすべての生徒がオンライン授業に変わったとしたら集団生活での社会性が身に付かず個人主義に偏ってしまい、社会秩序の崩壊を招くのではないかと感じる面もあります。 勉強だけのことを考えればオンラインでもいいかもしれない、ただ確実に運動能力は衰えます。 子供の運動能力が年々低下している現在、趣味でスポーツに取り組んでいる人は別にして、現代社会で生活を営む上での体力と運動能力を身に着けるには日々の登下校や体育の授業などで補う必要があるのではないかと思います。 また運動する事で脳の活性化も促進されるのである程度の運動は必須なのではないかと思います。
・今まで当たり前に思っていましたが、あの狭い空間で30人近い人間が整列して一方向を見ているって、客観的に見たら気持ち悪いなと、最近ふっと思いました。慣れはするのでしょうが、それと四六時中向き合っている学校の先生ってすごい精神しているなと思います。 ああいう時間も大切なのだろうなとは思います。やろうと思えば秩序だった行動ができるというのは、普段の社会生活でも緊急時でも非常に重要になります。ただ、あのすし詰め時間があまりに長すぎて、子供たちにとっては不自然でストレス過多なのではないでしょうか。 かといって、十分なスペースと、見守る人員を確保するのは難しい(少子高齢化なのになぜ?という気もしますが)。ですが、オンラインに頼りすぎるのも弊害が大きそうな気がします。
・元公立学校教員です。「能力別教育」は現場の教員にとっても理想です。クラスに何人かは必ずついてこれない子供がいます。そうかと思えば、一を聞いて十を知るような子供もいます。これを同じ教室で授業をすることには無理があるのです。仮に、公立学校で「能力別授業」を実施したら、大騒ぎになり、大変なことになります。どんな子供でも平等な教育が日本の公教育の理想なのです。同時に最大の欠点です。こんな平等の不平等がイヤなら私立学校に行くしかありません。
・子どもには勉強だけでなく、仲間と同じ空間を楽しむ時間も必要なのではと思っているので全てをオンラインで終わらせるのはコミュニケーションを育むうえでは足りないと思う。 勉強に限定するならば、地域に限定せずに指導者も確保でき、個々の進度に対応できるオンラインは有効だと思っている。
・ネットが普及してDX推進とかいわれてるのに、学校という物理的な場所に固執しすぎてると感じる人も多いでしょうね。 社会人もウェブ研修がほとんどだし、多くのデスクワークはテレワークで進められるわけで、教育もネットを活用すべきと思う。 先生が大変なのって授業やテスト以外にいろいろやること増えてるせいだと思うけど、たとえば国がネットやアプリを活用した授業に代わる教材を用意すれば先生の負担も軽減されるのでは。 集まってやったほうがよいものは集まってやればいいし、逆に自宅からネット経由でできるものも登校してやってもいいし、もっと自由度を高めていけばよいのではと。 もちろんデメリットもあるだろうけどそれは対策すればいい話で、メリットまで潰す理由にはならない。
・タブレットを使用し始めて、近いことは出来てる面、またそのように移行していく雰囲気も想像できそうです。 休んだり、特に長期になってる子は、オンラインをリクエストしてます。実際先生もカメラを設定して行ってました。 少しずつ変わっていくことはあるでしょうね。
・私も同感で、全学校の授業で希望者にオンライン受講を認めるのがいいと思う。主な理由は、学力向上の他にも重要な点があります。まずHSP(Highly Sensitive Person)やミソフォニア(音嫌悪症)のように、特定の環境や音に対して非常に敏感なお子さんは2割もいます。この子達には教室の雑音や他人の行動により、学習環境が非常にストレスフルになります。
さらに不機嫌ハラスメント(フキハラ)という現象もあります。不機嫌な人が周囲に与えるネガティブな影響は、クラス全体の雰囲気を悪化させ、学習効率を低下させる事実があります。オンライン授業は、こうした問題を回避し、より個別に適した学習環境を提供する手段となります。
全ての学校で、子供の気分で選択するオンライン授業の柔軟な選択肢を整えれば、様々な生徒のニーズに応じた学習環境になり、教育の質を向上させられます。新たな時代に即した子達に育ちます。
・自分たちの時代は学校が楽しみでした。先生は厳しかったですが、休み時間や放課後は友達と遊びまくっていました。喧嘩をしても大人を一切頼らず、自分たちで全て解決しました。自分たちで全て考えて、忍耐も解決能力も自然に身についたと思っています。学校が無いと子ども同士の繋がりが益々無くなります。問題山積の学校ですが、かと言ってなくしてしまうのは違うと思います。
・社会で生きていく中では、色々な人と付き合う機会があります。 賢くてリーダーになる人は、特に色々な人とコミュニケーションを取り、考え方を理解し、仕事を回していかなければいけません。 一部のエリートだけが閉鎖的なグループを作って仕事出来るのは、ほんの一握りの職種ですよ。(堀江氏が属するのもこのグループ) 子供が小さいうちから選分して同質のグループだけで生活させたら、やはり物の見方が偏ってしまう気がします。
・教科書の内容で基本的なポイントを単元毎に10分程度のわかりやすい動画にして予習動画、復習動画を作って誰でもネットで見られるようにする
ネット環境の無い子供もいるだろうから学校、児童館、図書館などに子供用の閲覧PCやタブレットを配備
もちろん動画の作成費用は税金で負担
その動画を教師が宿題に活用すれば、教師の負担も減る
動画に簡単なテストをつけて理解力を確認、スポンサーつけてテスト終了後に15秒程度のCM流して視聴したらポイントつけて、ポイント集めさせて、ポイントを子供用のグッズ、図書券やおもちゃ券などに交換できるようにすれば、強制しなくても子供たちは見てテスト受けるようになる
・放っておいても勝手に勉強を進められるのはそんなにいないでしょうから、オンライン授業には賛成できない。 学校という檻から解放するという考え方には賛成しますが… 学校教育は何のため?という原点に立ち返って考える必要があるのでしょう。 賛否あると思いますが、義務教育の時点から出来る子と出来ない子とのレベル分けが必要かもしれませんね。 出来ない子の劣等感を克服する方策を講じながらとはなるのでしょうが。
・私はAIが教員に取って代わることには賛成です。優れた教科指導AIができたとして、今の教員の9割よりはよい授業をしてくれると思うから。それくらい今の教員は勉強しない。教材研究しない。忙しいせいもあるけど、やろうとしないせいでもある。
一方で、1割(あるいはそれより少ないかも)の教員は、ただ一斉授業で教えるだけでなく、適切な発問、生徒同士のディスカッション、発表などのアウトプットを駆使して、1人ではできない学習をさせている。
堀江氏の問題は、授業法に関する知識が、自分1人の経験のみを前提としていることでしょう。今や熱心な教員は、旧態然とした板書による一斉授業をしていません。
・既成の知識を身に付けるという認知能力を育むことだけならオンライン型の受信型教育でもいいが、求められている非認知能力を高めていくには、子供自らが行動する発信型教育が必要だろう。それができる学校ならば、やっぱり学校は必要だと思う。
・元教員です。日本の義務教育は、平等・集団・道徳を基礎教育にしています。それが教育基本法の原点で、日本の良さでもあります。しかし所得=学力は事実でしょう。もし能力別クラスや学力重視を求めるならば私立校に進学すればよい。小中学校から実力相応な競走に身をおき鍛えるのも悪くはありません。親の選択です。堀江さんの論は一見先進的、進歩的のように写りますが、よく考えると論理がずれていて社会的ではない、リスクも大きすぎるのも残念です。
・昨日ふと、「学校ってものすごい存在だったんだなあ。子供の頃の自分にとっては、学校が人生の全てだったんだなあ」と驚いた。 発端は、中高年の自分が、「中学の頃に自分はPCゲームが好きだったけど、ネットが無かった昔は、情報ってどうやって手に入れてたんだっけ」と不思議に思ったこと。 そして「ああ当時は、月に1、2回発売されるゲーム雑誌を書店で買ってたのか」と思い出し、「でも月に1、2回しか新しい情報に触れられないのなら、その他の時間は何をしてたんだろう」と不思議になった。
答えが全くわからず、ようやく思いついたのが、「当時はほぼ全ての生活時間を学校の中で過ごしてたから、そもそもそれ以外のことを考える時間が少なかったんだろう」。 驚いた。自分の世代は土曜も通学したけど、毎日、朝から晩まで、学校にいたわけか。高校以降は授業は全くわからなくなり友達もゼロだったけど、自分は教室の中で何をしてたんだろう。
・学校をどういう場とするのか、そのリストラ方針をまず明確にしないと、ずっと賛否両論が続くだけだろう。 効率よく学習する場なら堀江氏の意見も一理あるが、それ以外の場としての機能を重視するならどうかと思う。 学校の根本的なあり方が問われているが、目先の問題解決に終始している。
・学校以外の場所にも、いくらだって人付き合いの機会はある。オンラインで外国に住む人と仲良くなるかもしれないし、年の離れた友人ができるかもしれない
>それは習い事?SNS?出会い系?
まあ何でも良いけど、ほとんどの生徒にとって学校は、檻では無くて、友だちと会える絶好のコミュニティになっている
さらに、コロナ禍を経て分かるように企業ですらオンラインより、顔を見合わせて仕事する方が効率が良いと気付いた訳だし
・できる子、できない子 そのスケールは勉強だけですか。それでは既存の勉強だけにとらわれ、人間を広く育む視点が欠けています。人間の脳は無限大であり、人それぞれに無限に多種多様な能力を、既存の誠に狭い勉強スケールだけで測るのは愚の骨頂、正に型入れ教育を志向する日本の教育には合っていますが、これからの世界で生き抜くためには、いかに個性を引き出し伸ばしていくかではないでしょうか。
・自分のうちは関係ないが、給食食べさせるために通ってる子とかは、別途対応が必要だろう。でも本当はこれって学校の仕事じゃないよね。貧困救済みたいなのまで学校に取り込んでるから度々歪みが生じる。あと、公立あるあるだけど、インクルーシブ教育的な意見持つ人の対応とかどうする?
息子がいるが、基本的には堀江さんの意見に対し、そのとおりかと思う。ただ、スポーツは一箇所に集めてやる必要があるかな。これも習い事で解消できるけど。能力別には賛成だが、これも反対する人も多いからね。 いつでも、低い方に引き摺り込もうと正論を吐く人はいるわけで。
・これは割と断言していいと思ってるのだけど、YouTubeやゲームで自主性は育たないよ YouTubeは収益性向上のために収斂進化的な発展を遂げて「右ならえ」の動画で溢れているし、ゲームにはチュートリアルがあり、製作者による“意図した遊び方”がある
発想力の発達が済んでいる人が触るならセオリーをあえて外すようなやり方で自由を実現することもできるだろうけど、発想力が未熟な内に触っても感性の画一化を招くだけだと思う
それに「オンラインクラウド上の情報を取り込む」ことならそれこそAIにもできる、というかAIのホームグラウンドと言っていい オンラインで教育を完結させることの方がAIで代替可能な人材を育てることに繋がるんじゃなかろうか
トラウマなどのために対人コミュニケーションがとれない子の受け皿として選択肢にするならまだしも、学校を廃止してまで教育をオンライン化することにはまったく賛同できない
・勉強に特化した考え方ですたら良い考えだと思います。しかし、オンラインだけでなく、オフラインでのコミュニケーションも大事だと思います。学校は勉強だけしにいくところではないので。
・オンラインでやったら、記事にある様に出来る子には良いと思う。 出来ない子は更に出来なくなるよ。
出来ない子って結局は理性が少ないと言うか自分を律する事が出来ないので更にサボる。 家に入れば誘惑が多いからね。 ゲームやTVその他が有り、監視する人もいない。
オンラインじゃ無くて良いから、科目毎にクラス分けすれば良いと思う。 3クラスだとしたら、偏差値60以上、50以上、50以下などで教科毎にクラスが違う。体育や音楽も同じイメージで分ける。
3クラスとも時間割は同じだけど、授業を受けるメンバーがその都度変わる。 ホームルーム用のクラスは今まで通り。
そうした方が教える方も教え易いし、習う方もレベルに合わせた表現をしてくれる方が覚え易い。
・ゼロイチではあるけど、クラス分けやオンライン授業を適度にとりいれるのはすごく大事です。 あとはあまりにも同じ人と会いすぎてるので、課外活動や職業体験などはもっとやったほうがいいと思いますね。 そのためには教員の待遇にかんしても考え直さないと。
・度々イジメをなくす方法として語られるのが固定した人間関係を作るクラス制をやめる。って考えると、できるできないごちゃ混ぜにするよりも習熟度によって様々な編成考えた方がいいよね。オンラインだってそう。 その覚悟と仕組みを今の学校制度が作れるのか?ということになるが。
・>できない子にはチューターをつけ、オフラインも併用して細やかに勉強をサポート
実施できたら理想的だけど、チューターの人材をはじめとして予算の確保をどうする。文教関係の予算は実質的に削られるばかりで、効率重視の面からも30人程度の学級が理想的とされる中で、多様性への対応はなかなか難しいと思う。
・子供をひとつの空間に入れて、できるだけ均一になるよう教育していくのは、国家が国民を総動員して富国強兵を進めるには効果がある。 しかし、共産主義でもなく、民が主権となった人権がある近代では、子供は国や経済界の人的資本ではない。 読み書き算数はともかく、それ以上の勉強を無理矢理強要する必要はないでしょう。 工作が得意な子は溶接工や金属加工、料理が好きなら料理人、動物や植物が好きな子は農業畜産業をすればいい。 必要な知識は働きながら自然と覚えていくものです。
・本来の「義務教育」というものを考えるとすべてオンラインは理に適ってる。 テクノロジーが進むと体験やコミュニケーションまでの範囲もカバーできるので取りこぼしもなく記事で言う「檻」から出たい人も容易に出れる。
まあそれが、政府や官僚が描けるかと言ったら難しい。
・学力主義の偏った考え方だな。出来る子ができない子を教えたり、助け合ったり、コミニュケーションを取ったり人としての心を育てる場でもある。誰も得手不得手があるしら勉強出来る子が必ずしも気遣い出来たり、優しさを持ったりしているとは限らない。 出来るとは勉強だけで良いのか疑問。
・一斉授業に対する批判やこれからの教育に必要な指摘については同意だが、後半はとにかくオンラインに!こうすればできる!であって、本当に効果があるかや反論に対する証明が不十分(結局自己責任論だとアメリカのようになりかねない)です。 現在の教育においては、OECDがeducation2030で示したラーニングコンパスの中で中心的な概念としているエージェンシーというものが注目され始めています。まだまだ学校現場レベルでは及んでいませんが、先生方が自主的(?)にやっている授業研究の全国発表では既に取り上げられています。 日本の教育は、インクルーシブ教育の分野においてもUNESCOに批判されていますが、一斉授業に固執するあまり、変化の激しいこれからの社会への対応力が十分育めていないのではないかという指摘はこの記事のようにあります。ですが、だからといって安易な方向にならないよう注意する必要があります。
・昔からの教育方法を後生大事にやっているんだから、官僚の改革意識は低いでしょうね。 軍隊方式とは思わないが、工場の生産に合わせた教育と思っていますよ。 8時に集まり、みんなで勉強する。これは工場の生産労働者のやり方です。 頭が良くても悪くても、同じ作業を行うように教育されるのです。
教育方法にもシステムにも問題は多くあるでしょう。 そして一番の問題は文部省の役人が前例主義で凝り固まっている事でしょうか?
・この人はゆとり教育と呼ばれたモノを どうお考えなのか? 記事中のやり方は、出来る子はドンドン伸びるでしょう ただ出来ない子、やる気のない子、家庭環境に恵まれていない子は 本当に伸びると思います? 体育や道徳、グループワーク等もネットで教えるの? そもそもネット環境のない家庭はどうするの? 事、勉学に関しては 伸びる子を更に伸ばす、っと言う意味では有効な方法なのでしょうが ならそう言う子「だけ」を英才教育でこの様な教育をしていく、っで良いのでは?
・>>「できる子・できない子を1クラスに閉じ込めるのが間違い」
オンラインの是非とは別になるが、私立の小中学校は学力別にクラスを編成することが良いと考えるなら、学校の特色として好きにすれば良い。 一方の公立の小中学校は出来る子、出来ない子のバラつきが大きいので、平均レベルと出来ない子の教育に力を入れることなってしまう。 そのため、出来る子がさらに学ぼうとすると塾に通うことになる。 その塾の機能を公立の小中学校に求めるのは求め過ぎかなと思う。 今は私立の小中学校と塾という選択肢で成り立っているので、それで良いんじゃないかな。 最後にオンライン教育の話に戻すと塾で積極的に利用すれば良いし、オンライン教育に力を入れている私立小中学校があっても良い。
・義務教育というと小学一年生から? 6歳の子どもたちがそれぞれ自宅で自分に必要な学力を身に付けるべくパソコンに向かう? 社会性もネット上で身につける? ちゃんとやりますか?? 親は在宅ですか? その生活何年間を想定しているのでしょうか? 結果どんな大人になることを目指しているのでしょうか? 聞きたいことしかありません。
・堀江さんには、教育現場実際を体感するために、学力差のある公立小学校で一年ほど勤務していただきたい。 学力差がつく要因、家庭環境、現在の学習指導方法をしっかり認識してから改めて策を考えていただきたい。
・オンラインだけだとコミュ症が増えるな。できない子はイジメ問題に繋がりやすいが、そこから逃げてても解決はしないと思う。自分の長所を自覚し、処世術みたいなのを学ぶ為には人と接するしかできないかと。
・理科、実技教科のように学校の備品が必要な内容は堀江氏の提案では対応できないが、理科は実験なしで理論だけ学べば良いし実技教科は不要だと思うので、概ね賛同する。
・我が子ができない子として扱われた時に、「丁寧に見てもらえて有難い」思える親かどうか。 子どもはちんぷんかんぷんな授業を受けるより自分のペースで「できた」を積み重ねたい。それなのに、親が他のこと比べて騒いだら良くない。学校より先に、親が変わらないと。
・成績の良不良くらいなら義務教育の間は混ぜるのが良いよ 色んなタイプの人がいるんだという事、そんな中で仲良くすることを学ぶのが社会の練習です これ無くして義務教育とは言わないでしょう そんなに区分けがしたかったら私立にでも行けばいいのです 一見いいように見える教育の区別は、金持ちを利するだけです 彼らはどんな体験でも買える、多少の成績ブーストは金で解決できるからです 元々同じレベルの貧困出身の子が永久に救われないループに入ってしまう
・流石です。 もっと先に進むと、人が働かなくてもいい社会になったときに、人は何を学ぶ必要があるのか?それでも、学ぶべきものがあるときには、それを、直接、脳に教え込む時代が来るのでしょうか?勿論、その頃には、学校はないでしょうね。
・まあ学校の役割の半分は託児所だからね。夏休みまで削減して、その分親に働いてもらいたいのが政府自民党の考え方。そして学校で政治教育を禁止して無関心な市民にしてしまえば、自民党が未来永劫安泰ってわけなので、学校システムは無くならないでしょうね。
・分けることには賛成です。オンラインで進められる子はそれでもいいです。疑問を解決、さらに進んだ課題を提供できる教員を配置すればよい。でもそうでない子は画面を見ようとしないでしょう。やはり教員が視線を合わせ、色々な話題を交えながらの授業が必要です。分けられたことによる劣等感を緩和することも必要です。いずれにしても教員を増やすことが大切です。教員の仕事をスクラップし、給与を上げましょう。文科省、財務省様。
・一部賛成
日本も海外みたいに進級テストをしたらいい 合格は学年が上がる 不合格はもう1年同じ学年 中でもさらに優秀なら飛び級
そうしたら、子供達もしっかり勉強するし、教室内の学力もそんなに変わらない
そもそも、生まれた年が同じってだけで、学力全く無視で同じ教室にいるのがおかしい
・「右向け右」を否定していながら、全員をオンライン型にするのもまた「右向け右」なのでは?
「右向け右」が問題であるならば、「右向け右」にせざるを得ない根本的なところにメスを入れる必要があると思います。
・この人は、口は達者だが、所詮、勉強ができる立場で人生を過ごしてきた人。集団での学びなど関係なく私立進学校でテストの成績で人格を価値づけ、判断する人。学力=テストの成績で考えるから、理屈をつけての批判。三十人の子どもがいれば、三十のクラスをつくる、あるいはそもそもクラスなど必要ないという極論。
・大人でもオンラインでサボる人がいる中、子どもがサボらずにちゃんと勉強できるだろうか。 勉強ができる人でも強制的に勉強する環境があったからできてるって人は多い
・やっぱり堀江は物の考え方がインテリだな。 人より起業するのが早く社会の繋がりを持ったから、一般人より声が大きいだけで、まず学校で勉強ありきという考え方から脱却できていない。 その計算高さが更に過疎化促進に繋がるって解ってないな。 では、その状況に置かれたら堀江はこの発言に対して責任はとれるのか? 甚だ疑問である。
・4月入学では無理。飛び級も留年も無理なんだよ。だってさ、決定してから新学期が始まるまでに2週間しか無い。つまりは定数を調整出来ないのだ。欧米で飛び級や留年が出来るのは、夏休みが入って2ヶ月近く余裕がある、つまりは留年や飛び級が決まってから定数調整する余裕があるからですよ。日本の記者ってこれくらいの事すら理解出来ないままに記事を書いているのか?
・「言うは易く、行うは難し」いろいろな考えがあっていいと思うが、現実化するのは相当なハードルがある。まして、ただ一つの正解はないので。
・かもしれないで書いてる時点で理想論である。そしてできる子が勝手に進めるとあるが本当にできるのか学校に行って見てみれば? 一人でやれるなら、一つの箱に入れる必要なんてないんだよ。 全体的に机上の空論、理想論の詰め合わせって感じの記事ですね。
・能力別に分けるのは効率的だろうと思うが、「なんでうちの子がリレーの選手に選ばれないのか」とか平気で要求してくる時代、地頭の良くない子でも親の欲目で学校にごり押ししてきそう。
・日本の学校って 義務教育では地域学校に生徒を押し込む割に 大学になると必要の無い私立学校が乱立しているのが現場 結局子供の未来よりも目先の金なんだろうね 定員割れしてるから海外から生徒募るってなんじゃそれw
・小中はレベルの低い子に合わせての授業が苦痛だった 高校は偏差値高いところ行ったから、授業苦痛と思うことは少なくなった
・学校って学力だけを学ぶ場所じゃないと思うんだけど。 しかも世界と比べて日本人の学力が低い訳では無いと思うけど。
・麻生副総裁がおっしゃったように、義務教育は小学校までとすればイジメも逃げ道が出来るので小学校までが義務教育がいいです。
・義務教育は小学校まででいいと思います。 中学校から振り分けが絶対必要です。
・勉強だけなら、それでいいんじゃない?ならば、塾で良いじゃん、てことになる。勉強だけならね。
・偏差値70も50も40も一緒に学ばせるとなると、70の生徒の良さを消すんですよね
・できない子を集めるとひどい集団になるぞ! まあ、そういうクラスは非常勤講師に任せればオッケー。 それが、私学のやり方!!!
・できない無茶苦茶なクラスは大変なので文科省に担任やってもらおう
・それやると多様性なくなるんじゃね?
・激しく同意します!
・おぉ! 偶にはイイこと言いますね! そう もっと言ってしまえば、切り捨てる判断も必要 少子高齢化社会では、残念ながら残ってしまう 学が求められない底辺職用の工数も必要
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