( 201012 )  2024/08/12 17:18:05  
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堀江貴文氏は、日本が活力を取り戻すためには学校教育を解体・変革する必要があると主張している。

彼はオンライン授業の導入があり方を変えることでさまざまなメリットがあると説明しており、個々の子供のレベルに合わせた学習支援をすることで、教育の質が向上すると述べている。

従来の学校教育は軍隊式の集団教育であり、今後は個々の創造性や思考力を育む能力を重視すべきだと強調している。

学校の大規模なスペースは、オンライン授業の導入によって効率的に使える可能性があり、地域の財政にも貢献できるとしている。

(要約)

( 201014 )  2024/08/12 17:18:05  
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Photo by Gettyimages 

 

日本が活力を取り戻すためには、学校教育を解体・変革しなくてはいけない……。そう語るのは、新刊『ホリエモンのニッポン改造論』を発表した堀江貴文氏だ。なかでも「オンライン授業」の導入は、あらゆる面においてメリットしかないという。ホリエモンが思い描く、新たな学校のカタチとは? 存分に語ってもらった。 

 

【写真】堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」 

 

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これからの時代、旧来の学校教育の解体・変革は待ったなしの重要テーマだ。 

 

たとえば、クラスルームで一斉に行う授業では、勉強ができる子とできない子のレベル差に対応できなかった。しかし、ちょっとテクノロジーを駆使すれば簡単に実現できる。 

 

授業についていけない偏差値50未満の子どもは、40人学級だと15~20人はいるだろう。授業で彼らを置いてきぼりにするわけにはいかない。かといって、一番できない子に合わせて授業を進めていたら、できる子たちが伸びない。 

 

そもそも、なぜ全員を1つのクラスルームに集めて、授業をしなくてはいけないのだろうか。 

 

従来の集団教育は、いわば旧式の軍隊式教育の名残だ。校庭や体育館に生徒を集め、「気を付け!」「休め!」「右へならえ!」などと怒鳴って、生徒に一斉行動を強いる。まさに軍隊だ。兵隊に号令をかけ、戦争に駆り立てた頃の教育を思い起こさせる。 

 

たしかにこの「右へならえ」式の教育は、欧米に追い付け・追い越せの高度経済成長期の日本では役に立った。全員が同じ方向を目指し、余計なことを考えずに、ひたすらがんばることのできる人間が優秀とされた。 

 

しかし、「右向け右」で、大号令に従うだけの人間は、これからの時代、AIに取って代わられる。指示されたことをそのまま、高精度に遂行する能力なら、AIのほうがずっと優れているからだ。 

 

これからの人材に求められるのは、むしろ指示されていないこと――誰も考えたことのないような新しいことを発想し、思考力と創造性、行動力を駆使して実現していける、そんな能力である。 

 

そして、そんな人材を育てる今様の教育――知るべきことを「教え」、子どもの可能性を「育む」という本当の意味での教育を実現していくためには、まず、生徒を一箇所に集めるという旧来の発想から脱却すべきなのだ。 

 

そうすれば、先に述べた「できる子・できない子」問題もすぐに解決できる。 

 

 

まず、授業はすべてオンラインにする。できる子は放っておいても自習し、どんどん学力をつけていくだろう。他方、できない子にはチューターをつけ、オフラインも併用して細やかに勉強をサポートする。 

 

こうすれば、日本の子どもたち全体の学力アップにつながる。できる子はどんどん伸び、できない子の学力は底上げされる。「授業の進みが遅くてつまらない」という不満も、「授業についていけなくてつらい」という劣等感も生まれない。双方がハッピーだ。 

 

オンライン授業を増やすだけで、子どもたちの頭脳も肉体も、学校という「檻」から解放される。それがまず重要だ。 

 

17世紀のヨーロッパでペストが流行した際、ケンブリッジ大学の学生だったニュートンは、大学の閉鎖によって故郷に帰省したときに「万有引力の法則」を発見したという説がある。重要な発見が学校外の自由時間になされたというのは興味深い。 

 

これが事実かどうかは別として、子どもを学校という狭い空間に閉じ込めてしまうのは、あまりにもったいない。変化の激しい、新しい時代に対応できるクリエイティブな頭脳の養成には、むしろ現状の学校の解体、ないしは縮小が積極的に求められる。 

 

学校の役割は勉強を教えることではない。生徒たちを一箇所に集めることは、子どもたちの社会性の育成につながっているのだ――そんな声が聞こえてきそうだが、バカをいわないでほしい。 

 

学校以外の場所にも、いくらだって人付き合いの機会はある。オンラインで外国に住む人と仲良くなるかもしれないし、年の離れた友人ができるかもしれない。 

 

むしろ同じ地域に住み、同じ年齢というだけで1つの箱に押し込められ、「仲良くしなさい」という公立校の仕組みこそ不自然なのだ。 

 

学校の外で自由な友人関係を築いたり、誰かのYouTubeチャンネルにはまったり、ゲームに夢中になったりするほうが、新時代を生き抜く頭脳を育むことにつながる。 

 

では、学校は子どもを安心して預けられる場所であり、共働き夫婦には絶対に必要――という批判はどうか。これには少し行政の力が必要だ。ベビーシッター・サービスを使える補助金やクーポンを出せばいい。 

 

オンライン授業の導入によって一斉授業を減らし、チューターやティーチング・アシスタント(TA)が、サポートを必要とする子たちの面倒を見る。この体制を組めば、学校の巨大なスペースは必要なくなり、せいぜい地域の児童館や公民館レベルに縮小できるはずだ。 

 

つまり学校という広大なスペースが、ほぼ丸ごと空くのだ。公立校の場合、その土地・建物は自治体所有である。建物を民間企業に貸し出してオフィスとして活用してもらう、あるいは更地にして売却すれば、かなり大きな利益となって自治体の財政が潤うだろう。 

 

子どもたちを学校という檻から解放することには、こんなうれしい副産物までついてくるのだ。 

 

*     *     * 

 

つづく記事〈堀江貴文「子どもを不幸にする“教師ガチャ”を一瞬で解決」…誰でもどこでも「いい授業」を受けられる方法〉では、堀江貴文氏が考える「教師ガチャ」の解決策を明らかにする。 

 

堀江 貴文(実業家) 

 

 

 
 

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