( 201336 ) 2024/08/13 17:20:02 2 00 堀江貴文「子どもを不幸にする”教師ガチャ”を一瞬で解決」…誰でもどこでも「いい授業」を受けられる方法現代ビジネス 8/13(火) 8:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/8fd61a65989cad174d5021bbf9a2c20d95b38f76 |
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日本が活力を取り戻すためには、学校教育を解体・変革しなくてはいけない……。そう語るのは、新刊『ホリエモンのニッポン改造論』を発表した堀江貴文氏だ。なかでも「オンライン授業」の導入は、あらゆる面においてメリットしかないという。ホリエモンが思い描く、新たな学校のカタチとは? 存分に語ってもらった。
【写真】わが子の「考える力」を奪う親たち、その意外過ぎる共通点
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私が考える新時代の教育改革は、「教師不足」「教師の質の低下」という難題にも、鮮やかな解決策を提供できるだろう。
教師不足は年々ひどくなっている。2023年4月の文部科学省アンケートでは、43%の自治体が「教師不足は1年前より悪化」したと答えている。一時期、東京都内の公立小学校では教師不足を補うため、やむなくハローワークに求人を出したことさえあった。
だからといって、一部に動きがあるように、教員試験のハードルを下げるのは論外である。いくら教師不足といっても、力不足の教師を増やしては“教師ガチャ”でハズレを引く不幸な子どもが増えるだけ。何の解決にもならないばかりか害悪である。
こんな時代に、あえて教師になるとしたら、そうとう高いモチベーションが必要だ。時間外労働や休日労働は当たり前、安月給のうえに公立校では残業代もろくろく支払われない。いくら残業をしても、給与のわずか4%の教職調整額が支払われるだけである。
そのうえ、昔は「聖職」とまで呼ばれた教師の職業柄、同じ人間なのに、とりわけ清廉潔白であることが求められる。そんな窮屈で不自由な生活を強いられながら教師を続けるには、よほどの意欲と志がなくてはならない。
しかし、教師にまつわる難題を強い意欲と志で乗り越えろと言われても、多くの人にとっては無理な相談だろう。要するに、教師不足は起こるべくして起きているのだ。
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さて、ここまで私は教師不足、教師不足と連呼してきたが、前の記事〈堀江貴文「できる子・できない子を1クラスに閉じ込めるのが間違い」…学校という“檻”から子どもたちを解放する方法〉ですでに解決策を示してある。すなわちオンライン授業を導入すれば、教師不足問題など瞬殺なのだ。おまけに教師の質の低下まで解決できる。
オンライン授業は、パソコンやタブレットディバイスを使って自宅で受ける。クラスルームに何十人もの生徒が集まらないわけだから、この時点で、教師は大勢の生徒を一度に見なくてはいけない労力から解放される。
それに、オンライン授業は基本的に「録画」である。つまり、教師は、ひとたび自分の都合のいい時間に授業の動画を撮影してしまえば、同じ内容の授業を何度も繰り返すような無駄が省けるのだ。
その結果、授業の準備にかける時間、授業そのものにかける時間が大幅にカットできて、びっくりするほど労働時間を短縮できるのである。
学校に生徒が集まらない結果として、学校に必要な教師の絶対数も格段に減る。教師不足は、つまり教師を増やすことではなく、必要数を減らすことで解決されるのだ。
それにより教師の任を外れた元・学校教師にも果たせる役割がある。オンライン授業を受けるだけでは学力を伸ばせない子どもたちの個別サポートだ。
前の記事〈堀江貴文「できる子・できない子を1クラスに閉じ込めるのが間違い」…学校という“檻”から子どもたちを解放する方法〉でも述べたが、本当にできる子は放っておいても自ら学び、勝手に伸びる。教師の目などむしろ邪魔といってもいいくらいだ。一斉授業をやめる代わりに、サポートが必要な生徒にだけ、きめ細やかなサポートを入れるようにすればいいのだ。
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もちろん、オンライン授業の導入は生徒にとってのメリットも大きい。
まず、オンライン授業ならば、決められた時間に学校に行き、決められた時間を学校で過ごす必要はない。好きな時間に、好きな場所で授業を受けられる。
そして、何より大きなメリットは、つまらない教師の授業を我慢して聞かなくてよくなることだ。つまり教師ガチャが解決されるわけだ。
ある科目を嫌いになった理由として、よく挙げられるのは「教え方が悪い先生に当たってしまったから」ではないだろうか。
本来、「新たなことを学ぶ」「知識を身につける」というのは、誰にとっても楽しく刺激にあふれるものであるはずだ。
にもかかわらず、子どもが特定の科目、ひいては勉強そのものが嫌いになるのは、ほとんどの場合、子ども自身のせいではない。子どもの知的好奇心を刺激できない教師、もっといえば減退させる教師のせいである。
子どもの知的好奇心は、考える力やクリエイティビティの基盤であり、長じてからの独創性や生産性に直結している。だからこそ、教師の質を保つことが重要なのだ。
オンライン授業を導入すれば、教え方が抜群にうまい教師の授業を1クラスの範囲を超えて広く届けられる。各教科において、誰の授業を受けるのかを選べるようにすれば、教え方が絶望的に悪いダメ教師は淘汰される。まさに教師ガチャからの解放である。
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近年、YouTubeなどを活用した大人の学び直しブームや教養ブームが社会人の間で高まっているが、これはオンライン授業の先駆け的な現象といっていいだろう。この現象を牽引しているのが、優秀なクリエイターのつくる良質なコンテンツだ。
チャンネル登録者数530万人(2024年6月時点)の「中田敦彦のYouTube大学」をはじめ、教養系のYouTuberや、教え方に定評のある塾講師が続々と優良コンテンツを送り出している。
こうなってくると、もはや学校教師が授業を行う必要すらないように思えてくる。
国語、算数、数学、社会科、日本史、世界史、物理、化学……と、それぞれの教科で、優秀な「先生」が教えている動画コンテンツを視聴すれば事足りてしまう。
たとえば、国語なら、東進ハイスクールの林修先生以上にうまく教えられる国語教師は、そうそういないだろう。どの教科にも、必ず、そんな「林修先生」が存在するはずだ。
そしてオンライン授業なら、すべての教科で、教え方が抜群にうまい先生の授業を全国津々浦々にまで平等に届けることができる。文部科学省が、学習指導要領の策定などを通じて行き届かせようとしている「一定水準の教育」も簡単に叶ってしまう。
オンライン授業が当たり前になれば、いつでも、どこでも「いい授業」を受けられる。教師ガチャどころか学校ガチャ、さらには地域ガチャすらも解消されるわけだ。
まずは過疎地や離島から導入して、効果のほどを確かめるのもいいだろう。
* * *
つづく記事〈堀江貴文「いずれ東大ブランドは価値を失う。日本の小中学校は潰れていい」…ホリエモンが思い描く「新しい学校」〉では、堀江貴文氏が大学の「ブランド価値」や小中学校の存在意義について考察する。
堀江 貴文(実業家)
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( 201340 ) 2024/08/13 17:20:02 0 00 ・今は、学ぶこと以外に学校にあれやこれや役割を担わされている。それを本来やるべき人に戻すこともしていかないといけない。 災害の時学校が防災拠点になることや、給食や生理用品の提供が子どもの貧困問題のフォローだったり、虐待の発見だったり、いじめの解決を担ったり。学校の役割を整理しながら、教員や学校の必要性を考えないとと思う。
・今のまま教員不足が続けば、否応なく、こういう授業形態になるでしょうね。最初はへき地や離島から始まるでしょうね。そこで、うまくいけば都市部にも波及するかもしれません。うまくいかない場合でも、へき地や離島で教員不足が解消されなければ、他の選択肢がなければ、そのまま、うまくいったということにして続けるんでしょう。
勉強以外の教育のことを考えている保護者ならオンライン授業だけで十分とは思わないでしょうね。都市部なら教員ガチャの可能性の少ない私学もあることですし。
どんどん二極化が進むだけでしょう。そして、分厚い中間層がいなくなり、国力低下し、少子化が加速し、日本が衰退していくだけのような気がしますね。
・授業だけであれば、オンラインで十分なのではないでしょうか。だから塾はもしかしたら今後オンラインが増えるのかな、と思ったりします。 けど、学校ってそれだけじゃない役割もあると思うんですよね。 社会性を学んだり、友人を見つけたり、流行りに乗ったり乗らなかったり。給食を一緒に食べるのだってマナーを学ぶ(他人のマナーを実際に見て感じる)良い機会なのでは無いでしょうか。 そういった部分は、学校で経験しなかったらどこで経験するのでしょうか。 しないまま大人になって社会人になっても困らないのでしょうか。 確かに教師ガチャはあるかなと感じますが、学校生活自体を無くしてしまっても良いものかちょっと疑問です。
・学校教育の第一目標は、人間性の育成なんだけど、このやり方はその目標を変えないといけないね。 授業や休み時間、掃除時間など全ての時間を通して、友達と関わる中で、人との付き合い方を学んだり、乗り越える精神力を身につけたらすることが学校教育の第一目標。 ホリエモンさんのは、学校ではないところでできるね。生徒が、教師や友達との関わりの中で自分で考えて学ぶことが学校での授業の目標だけど、ホリエモンさんのは、答えが決まってる問題の解き方を解説する、一方通行授業だから、家庭でやれる。メリットもあるけれど、学校という友達と先生と関わりのある場でしかできないことを全ての子どもが経験するには、オンラインだけではちょっと足りないだろうから、それをどう確保するか、具体的に提案してくれたら、さらに実現に近づくと思う。
・娘が中3の時の担任が異業種から転職した方で、進路を決める際どのレベルの高校を受けたらいいか答えられず困りました。 学習塾に通っていなかったので偏差値がわからず、模試の結果で高校見学しました。 部活引退後の夏に学習塾に入ったら、担任は塾に聞いて下さいとの答え。 塾の先生は高めの目標を設定してくれたので、娘は可能性がわかり受験勉強に力が入り、見学した高校よりもレベルの高い高校に合格しました。 公立中のこの担任は、チャレンジさせて落ちた時の責任を取りたくないから答えなかったのですね。いったい何のための担任なのかと。 塾の学費を払えない家庭もあるので、塾に入らなければ娘の人生は変わっていたと思います。
・不登校や別室で過ごす子どもの増加から、学校の機能を考える。 1 生活のリズムを整えること 2 リアルタイムに学び合う仲間が存在すること 3 家族以外の大人と直接関われること この3つの価値が大きいように感じている。 授業は、オンラインで足りる部分があっても、教員が子どもをコーチングしていく必要はあるのではないだろうか。今、この3つの価値よりも個人で何とかしようとする考え方に支配されているのが気になる。オンラインの授業を整備しました。受講しないのは、子どもや家庭の責任です。何てことになっては、公教育の理念からも外れるように感じる。
・確かに、教え方が上手い下手はあると思いますが、教わる側の姿勢も関係してくると思う。全員がしっかりと聞こうとする予備校と、座っていることが難しい子どもがいる小学校のクラス、いくら良い授業をやろうとしても思い通りにできない。申し訳ないが、集団で学べない子供こそ、家で親の責任においてオンラインで受ければ良いと思う。
・一理あると思います。 うちの子はスタディサプリやってますが、先生の教え方が やっぱり上手い。集中して見れてます。 スタサプ内で嫌いな先生はいませんが、面白いから気に入っている 先生などはいます。
オンラインで好みの先生に教えてもらえたらいいですよね。
一方、小中学生の時期は特に社会性を身に着けるときですので 登校して友人と接する等、レクリエーションは必要かと思います。 あと理科の実験や同級生と意見のやり取りですかね。
ですので、午前にオンライン授業、午後登校などで 先生たちの負担も軽減されるのでは。
ただ、親が働きに出ている場合、家でオンライン授業を きちんと受けることができる優秀な子どもはごく一部という問題もありますよね・・・
・やむを得ない理由があれば、リモートも有効な方法だし、現にそうするときもある。しかし、癖のある子、タイプの違う教員など、様々な人がいること、そしてそういう人と接することが、コミュニケーション力、忍耐力、調整力など、多様な力を育むことにつながるし、教員はそういう力も意識して身に付けさせなければならない。科目の学力しか指導できない教員ばかりなら、学校に行く価値はないと思います。
・単純に「知識」を得るという点だけで見ればオンラインは効率良いだろう。 そして言葉面は悪いが頭の良い子と悪い子に同じ授業を受けさせる日本式の教育は良い点よりも悪い点の方が多いかも知れない。 だけどオンラインでの授業を受ける側である人には子供でも大人でも向き不向きがあると思う。自分から知識を広げたい深めたいという勉強欲の有る人には向くが、そうでない人が継続的にかつ自主的に学べるとは思えない。 教育、学習の選択肢としてオンライン授業を充実させ、放送大学のように生徒側に新たな選択肢を作るのは賛成だし、法整備をして小学校から大学卒業までの資格を全てオンラインで取れるようにするのは有りだと思う。 しかし先に述べたように万人向きとは思えないので今の学校教育も時代に沿って形を変えつつ継続して欲しい。学校は必ずしも知識だけを得る為の場所では無いですしね。
・学校は、基礎学力はもちろんですが、社会性を身につける場でもあります。他国と比較して日本の治安が良いのは、良くも悪くもある日本の同調文化と小中学校の教育がベースであるとも言えます。 一般企業が社会性や常識のある人材を求めない、あるいは、ある程度のレベルが割り切れるというのであれば記事のようにオンライン授業を実施しても良いかと思います。 とはいえ、そのうち選択肢すらなくなるかもしれませんが… この2年で高校すら教員不足が常態化していますし…
・学校ってある種のコミュニティだけど、自分が居住している半径数キロ圏内の同年代としか、このコミュニティのメンバーになれない(特に公立の小中は)。
学校がオンライン化したら、居住地域や年齢(学年)といった制約を超えて、学びのための新たなコミュニティを形成することが可能になる。
人間が学習するのには他者の存在が必要だけど、今の条件では選べる他者の選択肢が少ない状況だ。学校のオンライン化は、こういった制約を取り払い、新たな学びのコミュニティ形成に寄与するだろう。
・まさにおっしゃる通りでぜひ導入すべきだと思う。 教科書を選ぶように、どの教師の動画を使うかを各校で選んで、教室で流し、 教師は質疑と苦手な子のサポートに回るようにすれば、授業の準備が大幅に 減り、質の高い授業を提供できるはず。教員免許のない人でも教室を維持できるかもしれない。 もちろん、望むなら教室以外で受講できるのは人によっては大きな価値になる。
情報を保存・伝達する手段が、紙の文字と教師の声しかなかった江戸時代の寺子屋みたいな授業は変わっていい。本当に面白い授業は万人に届けることができる時代ですよね。
ついでに大学の一般教養とかもそうしてくれたら、地方から選択肢が広がるのでは。
・こういう取り組みも構わないだろう。従来のシステム、オンラインで学習のみ、午前は音楽や体育など午後は昼食後家庭でオンライン学習をする。選択は家庭に任せる。色々あっても良いのではないか?学校は登下校、家庭のことには携わらないことを原則にすることでスリム化できると思う。
・人間が頭脳だけの存在であれば堀江氏の提唱する学校でもいいだろう。特に知識獲得、思考力鍛錬に全振りであれば。 しかし、人間には感情がある。 心のある人間が、誰ともリアルに触れ合うこともせず部屋にこもって一人だけで授業を受けていれば、おのずと自分の都合だけでしか考えられないようになるだろう。 堀江氏にはぜひ、ご自身の理想とする教育を実現する学校を作っていただきたい。
・学校の役割が授業だけ、というのは些か乱暴だなと感じる。 教師は授業力があってこそ、ということは同意できるが、その授業の中には他者と関わりながら問題解決をしていくという過程も存在しなければならないと思う。そうして、正解のない問題に納得解を見つけていくことが、これからを生きる子どもたちに重要なのではないだろうか。 ホリエモンの提唱するオンライン授業では、「自分さえ良ければ」という考えを増強し、他者と上手に(適切に)関われない子どもを増やしてしまいそうだ。
・一部の裕福で出来の良いお子さんはオンライン授業でも大丈夫でしょうが、大多数は無理ですよ。 コロナ禍でオンライン授業になった時のことを考えて欲しい。クラスに数人はネットが繋がらずに授業が受けられず、数人は寝ていて授業を受けずでした。家にサポートする人がいない家庭では無理です。
学校が大変なのは授業以外の事。そこに先生も時間と労力を取られているのです。 そして、子どもの学びも授業以外に大切な事があります。質の良い授業を求めるなら塾にいけばいいのです。
・通り一辺倒の一方通行で学力を保証できるほど現実は甘くない。 臨機応変に言葉を変えてみたり、立ち止まって繰り返してみたり、目の前の子どもの表情を見ながら対応して前に進むからプロフェッショナルなのです。オンラインではその対応はできないので、さらに格差が広がるというのが問題のひとつ。そして臨機応変の対応ができないものが教壇に立っている現実が、ふたつ目の問題だと思います。
・youtubeで、ほとんどのことは、すでにわかりやすく動画で解説してくれる時代になっています。学校の教師たちは、snsを使って勉強することを全くすすめないし、逆に否定することの方が多いようです。近い将来、教科書出版会社が、動画を配信するようになれば、全く一斉授業は必要なくなるし教師の仕事が軽減されるのですが、国の政治は、間抜けだからなかなかそうならないでしょうね。
・まずオンラインになったら授業なんか受けないし、動画なんか見ない。対話的な活動もなくなるから全ての授業がつまらない。 自由な時間の増えた子どもたちは野に解き放たれ、今まで学校という敷地の中で教師たちが一身に請け負ってきた動物的所業を地域社会が一手に背負うことになるけど大丈夫そうですか? で決められた時間に朝起きて活動して決められた時間に帰るっていう力とか、集団の中でやりとりをしながら何か事を運んでいく力とかそういうものが全く育たず、社会で使い物にならない大人が大量生産される。 つまらない教師、ハズレ教師がどうこう言う前に、どんな先生も色々な形で日々子どもたちに向き合って卒業まで導いている努力があるからこそ、今の日本社会が築けているということに対するリスペクトが足りないのでは。
・すばらしい。 授業(オンライン)だけすれば良いのだから教師の負担も大幅に減る。 学校行事もPTAも必要ないから保護者の負担も減る。 何よりオンライン授業ならいじめの心配がない。 失敗や挫折も、理不尽な思いも味わう必要がない。 他人と協力する煩わしさも味わう必要がない。 困難に立ち向かう努力も必要ない。 幸せな人生を送れるでしょう。 社会にさえ出なければ。
・学校の役割、位置付けを変えれば可能だろうが、現状では無理でしょう。 人間(力)形成をはじめ、一般常識やマナー、さらには躾まで求められてるのが今の学校。夏休みをなくして学校に行かせたい、置いて欲しいという、託児所の役割まで求められてるので。
・学校とか制度のことで革新的なこと言うのかなと思ったけど教師の質を嘆いてるだけだった。自分はこうだったからという理由で、一つの見方から考えられた一つのアイディア。自分本意で極端な意見。教師が一番嫌がりそうな考えですね。もっと言えば、そのような意見をなぜ教師が嫌うのかという点に着目して欲しかった。集団から抜きん出る才能を毛嫌いするなんて、これほど時代遅れな慣習はないです。教師が悪いというよりも、制度がいつまでも変わらないからと、私は思ってしまいます。
・オンライン授業を推進する案に賛成です。だけど、これが中々進まないのは、意外にも学校や先生の反対が多い事です。忙しくて困ってて業務が削減できるはずなのに、学校の先生の反対が多いのに私は不信感を持ってます。話を聞いてみると、子供達と触れ合うことが出来ないとか、子供達と関わるのが楽しいという先生が結構多いというのです。私は不思議に思っていて、私はよくシングルマザーの話をすると、男の人は他人の子の面倒なんか見たくないという人が大半です。そういう人が多いのに何で学校では他人の子がたくさん集まってるのに、先生たちは子供と関わりたがるのか?私はなんだか、先生たちが子どもから元気を吸い取って元気になる仕掛けがあるような気がしているのです。要するに沢山の子供達を命令に従わせる快感に浸ってる先生がいるのでは?そういうことだから学校が良くならないような気もするのです。だからオンライン授業は必須だと私は思います。
・単なる知識習得はともかく、対人的なやりとりから育つコミュニケーション力などはオンライン授業では養われることはない。タブレットや映像を活用した学習も、適切にサポートする者がいて成り立つのが教育。知識の習得には他者の判断が必要な場合もある。
確かに教員不足や教職不人気職業化に起因する、児童生徒の学習環境悪化は問題であるが、それが堀江氏の言う「いい授業」の提供だけで解決されるものではない。
文科省の学習指導要領の過多(小学校英語、プログラミング、道徳教科化、総合の残存、キャリアパスポート、観点別評価、高校情報科、数多ある〇〇教育の増加)が問題であると同時に、社会が学校に教育以上の生活指導やスポーツ文化的活動の推進(部活動)を求めて、学校現場がギブアップしているのが実情。より良い指導や教育にしようと努力しても「給特法」があり、時間外手当が出ることはなく、現場が疲弊。
もはや策なしの状態です。
・知識を得る事だけが学校の役割ではないですからね。集団におけるルールを学んだり、友達と喧嘩をして仲直りするという過程を経験したり、悪い事をして、先生に指導され、反省するという経験をしたり、一生の友人を作ったり、等。知識吸収の効率だけ求めてうまくいくほど、教育は甘くないでしょう。
・いまだにこんな議論しているのが驚き。 授業がオンラインで足りるというのが幻想だったというのは、コロナ禍でわかったはず。オンライン「も」受講できるという仕組みは大切。ただ、堀江氏のようなもともと知的に恵まれている層はオンライン「だけ」でいけるでしょうが、大部分の子どもたちは無理です。やはり、意欲的にも理解度的にも、その場の授業とオンラインは代替可能なものではない。優秀な先生の動画を見るより、ソコソコの先生がその場で語りかけてくれたほうが、やはり子どもたちはついてくるんですよ。高校ですらそう。小中学校は言うに及ばず。 大学でギリギリ成り立つかどうか。正直コロナ禍で、大学も、録画を垂れ流して、まともな教育・研究になっていなかったところが多いのではなかろうか。 オンラインにしたほうがマシな大外れな教師はいるのも確かですが、一握りです。堀江氏は教師を一切当てにしなくてもすんだ人なのかもひれませんが。
・あくまで補助的であれば成立はするだろう。 現実の教室の生徒は ・動画視聴できる集中力があるか? ・その言い回しで本当に伝わるか? なんて配慮も必要な者も居るのだから全てには難しい。 ・実習などの体験 ・他者との関わり合いによる多角的・多面的な見方&考え方の育成 なんてものは逆にオンライン(コロナ渦)の課題だった。 堀江氏の提言は教員負担の軽減が主なので否定はしないが これがいいというものではない事を念頭に置いた方が良い。 「ガチャ」という考え方が「何者かのせい」で主体的でないことを強調した方がいい。
・日本の小中学校は潰れていい
日本の公立学校は政治的意図か、文科省と教育委員会によるミスリードかはともかく、衰退するのは間違いない。 オンライン授業は大事だが、文科省が想定しているものよりもユーチューブ教育動画やAIがこれから大事になるだろう。 学校に行かなくても少額で、小中高の学習ができる時代になるだろう。
・予備校的な発想で、小中学校の授業を考えてはいけない。 オンラインでいい授業ができるわけがないと思ってます。 授業は先生と児童生徒で作り上げるものです。 コロナの頃、テレビでよくリモート出演の討論番組を見たが、全く噛み合わない。 場を共有するライブ感が大事。
・経済産業省のA氏のいう「未来の教室」そのままの主張であることはおいといて‥
「未来の教室」プロジェクトでは、結果的に一部の使う側と大多数の使われる側に選り分けられることが最大の問題点として指摘されています そもそも授業動画を見る(講義を聞く)ことで理解するのは非常に高度な学習方法であるので、そんな方法で勉強ができるようになる人は一部の学力の高い人だけなのです(アクティブラーニング導入の時に散々指摘されていましたね) また、世界的な教育の潮流は「未来の教室」とは正反対のインクルーシブ教育です。一つの物理的な空間に多様な生徒が集まり、授業(教育)を展開していくのが良しとされています。なぜなら、世界は多様だからです。
もう少し教育について勉強してから発信するべきだと思いますね。
現役教師より。
・学校のような評価がいらない「塾」ならこの方法取り入れやすいんじゃないかな。コスパよくなれば、塾に入れたい家庭にもよい。 この記事は、教師の仕事の目に見えない部分をどうするか足らないが、教師の待遇をよくすれば、塾から教師を目指す人もいると思う。同じ仕事ではないが、昔から採用試験に受かるまで塾講師している方もいた。
・一日7時間くらい缶詰め状態で 膨大な量の教育課程で定められた学習内容を 評価をつけられるという環境の中で
学習を行なわされたら嫌になる人はなるであろう。 教員の質が上がろうと下がろうと、まずは環境を変えないと何も変わらない。
・これを主張すると参考書読んで自習しろと言う人がいた。 その人は先生に当たり外れはなく相性の良し悪しだけと主張していた。 幼少期から私立の学校に通い塾は教科別に成績順にクラス分けした少人数での授業を受けていた、都市部に住む金持ちの家に生まれた人だった。 公立校や田舎や貧乏な家と無縁だから、その辺の状況を説明しても自習しろとしか言わなかった。 政治家や官僚は親が高学歴で教育熱心な金持ちの家庭が多いから説明しても理解しようとしない。 教育現場も利害関係で年寄りほど反対する。 しばらくは変えれないと思う。
・なるほど。利点としては、合理的に授業が進むということでしょうか?そうなると、1人のスーパーティーチャーの授業を流すことになり、多くの先生職を失いますね。新しい取組としては面白い面もあるでしょう。とは言っても、簡単に足し算引き算で解決しないのが教育だったりもします。個人的にはもう少し先になりますかね。
・そもそも勉強のやり方(ノートの書き方、発表の仕方、文章表現など)も分からない小1なんてどうするの?友だちとの付き合い方も学べないよ。
オンライン動画授業ができるのは、中学受験ができるような「児童」か進学校にいける地頭のいい「生徒」以上でしょう。一流の塾や予備校でさえ動画授業は部分的で対面授業が売りなんだよね。これが何を物語っているかは言わずもがな。
大体、大人でもオンライン授業やリモートワークが全導入されないにはそれなりの理由(対面でしかできない空気感ややり取り)があるからでしょう。
同様に一流オーケストラの演奏をCDやハイレゾ音源で聴くより、やはり演奏会で聴くことは違うでしょう。映画やスポーツ観戦もDVDや配信で見ればいいが、映画館や現地に行ってこその臨場感がある。
そういうものなんですよ。
・かつての学校で色んな事を学んだ!学ばせてくれた!今の学校が大事だ!オンライン授業なんて必要ない!って叫んでる年齢層を調べて見て欲しいかな。
で、それが「40~50代の男性」や「40代女性」が多いようなら、かつての学校で教えてた事は今の令和と言う時代には一切合ってない上に、他人に迷惑をかける人を生み出す。と言わざるを得ないから学校をガラっと変えるべきだと思うよ。
だってヤフコメやSNSでならんでる罵詈雑言、誹謗中傷の6割がその「40~50代の男性と「40代女性」が生み出してる行為だってヤフコメやら法務省が言っちゃってるからね。
昭和の学校教員は昭和ではよかったかもしれないけど、間違いなく今の時代には迷惑かけてるから変えなきゃ。
・家にいて勉強できる環境と食事が提供されることが前提のアイデア。実際、コロナなどで実施されたオンライン授業でもわずか数日も対応できない家庭がざらにあります。アイデアにしても前提を捉えていないと役立たない。
・オンラインにして習熟度別にするといい。 公立の小学校には、クラス担任をしない1年図書の先生、2年書写の先生、3年理科の先生などわんさかいる。 少子化というのに、1校あたりの教師の数は、減るどころか増えている。 オンライン、AI、授業動画にしてリストラしましょう。
・一理ある。 集団行動等の最低限の社会常識は小学校6年間だけでそこそこ身につく筈だから、それ以降の学習プランは各自で選べる様に柔軟化した方が寧ろ良い、そういう時代になりつつある様に個人的には感じる。
・えーーーーーーーーー!? 学校は(そこにいる先生も)勉強を教えるためだけに存在するわけではありません。 「教育は人格の形成を目指し・・・・」 これが、教育基本法に書いてある教育の目的です。 人間関係、コミニュケーション能力などを集団の中で学ぶ場です。 普通の人間は集団の中で協調しながら生活しなけてばなりません。 それを学ぶ、体験する、経験する場だと思いますが。
また、映像授業は確かに学力向上面では有効だと思います。 ただ、やる気がある人限定ですが。 やる気があまりない生徒を映像授業では拾えません。
エリート(上級国民)を育成するためには有効かも知れません。 ただし、一般国民(貧困階層含む)のことが分からない、理解しようともしないエリートですが。
・自宅で動画見て、勝手にやっておきなさいで子どもが勉強するなら世話ない。 学校というのは勉強の場である以上に同世代の生活の場であるということを忘れてはいけない。
・オンライン授業が持て囃されたコロナ期より前からオンライン授業の効果は研究されていて、目の前に教師がいるプレッシャーがない環境下で集中出来ない子が9割以上という結論が出ています。
・自分が小中学生の頃に、もしオンライン授業しかなかったら、誘惑だらけの自宅・自室で、とても集中して勉強なんてできなかった自信がある。学校という檻の中だったからこそできていた事も、結構あると思う。
・NHKの高校講座や放送大学がすでに一方通行の「オンライン」授業をやっている。それが優れていると言えるのだろうか?対面で行う授業の双方向性や児童生徒の実態に応じて即座にフィードバックできる点については、どう評価するのか?
・この人はいつも他人を見下しながらさも自分の意見こそが真理みたいな物言いが得意ですが、その通りに世の中が動いたことが何一つ無い、ってことが全てだと思います。本記事のリモート学習についても民間のサービスですでに行われていますが、それが主流になっていないということは、万人向けではないということでしょう。
・オンラインて誰が準備するんでしょうか? なぜ、オンラインにする必要があるのか? ITが容易になったからって仕事増やされる身になって欲しいわ。 学校は通学して学ぶように対応しているし。
だったら通信制に行けばよいんじゃない。 または、YouTubeで学ぶとか。
・机上の空論だね。 オンライン授業で問題無いのは意欲のある子供だけだよ。意欲のない、学力の低い子は教師からは見えない事をいいことにさらに勉強しなくなるから更なる悪化を招くだけだ。 「いい授業」なら聞いてくれる、そういう子も学力ざ伸びるなんて事には絶対ならねぇんだわ 堀江はそういうのは切り捨てても良いと考えてるかもしれんけど、公立の小中の内はそうもいかねぇよ。むしろ下の子程拾っていかなきゃ 高校や大学ならもうその子供の自己責任にしても良いだろうけど小中の内は…ね
・何も現状知らない薄い意見だな。 で、結局親が見たらいいにたどり着く。
そもそも学校は勉強だけの組織では無い。社会にでる下準備期間でもある。
そして、教員採用試験も落ちてる人が臨時で担任やら授業は行ってるのでなんの問題もない。それで質が落ちてるならとっくに落ちてる。
一部の優れて人間ならやっていけるかもしれないが一般的には害の多い提案。
オンラインするなら全国みんな同じか、教科書単位で動画を撮って、教室で見て、担任や担当教員が生徒のサポートが現実的。それに、優しい解説などは後で家で見れるとかにしたらいい。
・既得権益崩壊を恐れる古参の教師がオンライン化、もう反論だろう。授業も下手だし、テストの点数のほかに、相対評価だから他の親の要望で他人の子供をよくしたり、好き嫌いな主観で評価される。その結果、入れる学校も限られてしまう。しかし、優秀な教師によるオンライン授業により、このような不明瞭な評価されなくなる。
・日本が活力を取り戻すためには、学校教育を解体・変革しなくてはいけない……。 というのは正論だと思います。 こんんなふうに具体的な対策意見を検討するのが若い政治家の仕事だと思います。 そのためにも旧態依然とふんぞりかえって「バカナことを」なんていうご老体に負けないで。
・日本の「学校」「教育」という枠組みを壊せばそれが可能だろうし、するためにはまず大臣クラスにならないといけないし、気に食わないことに言葉汚く文句いつ待てるだけの成り上がりに何ができるかって、歪んだフォロワー増やすことだけ。
・学校って集団生活を通じて人間性を身につける所なんだけどね まぁその人間性に問題ある教師も珍しくなくなってる現状もあるわけだ ガチャって言い回しなら納得できるね
・あんた自身は、そもそも マスク問題の餃子店店主との揉め事の不幸や、それに対する尻拭いをしてやったひろゆき氏に砂をかけて、そのまま不仲になったままで 全く一瞬に解決しとらんのやから!説得力皆無
・オンラインは、その場はわかったような気になるんだけど、自分はあんまり頭に残りませんでした。やっぱり、LIVEは何故か頭に残るのです。
・オンラインは予備校や塾の形態としてはありかな。 学校の形態としては見落としている点が多すぎると思う。
・タイトルを見ただけで、いいかげんな記事ではと疑う。 オンライン教育を推奨しているのだろうと思われる。 堀江さんを嫌いだから、内容を丁寧に読まないけれど。
・結局学歴というレッテルや資格を得る事に収斂するんじゃ教育・学習内容もその”学力の認定”を得る事に終始するだけ。 方法が多様化するだけで本質は変わらん。
・メリットはわかりました ホリエモンさんはデメリットも言ってたのかがきになりますね そこまで記事にしてほしい 結局ホリエモンさんのを購入してねの宣伝かな?
・当然のことだと思う。進学塾でも実際の教師よりも有名なオンライン教師の方がギャラが高いのを見ても分かる。
・頭いい事言ったつもりのホリエモン。小学生に全てオンラインでやってみろ。聞いてない子、見ない子続出。給食、体育、図工。オンラインでできるとでも。合理主義者はこれだからなぁ。
・今この記事をみている人達で、このリモート方式で、自分で学習時間を決め誰の監視もうけず真面目に学習し学力を上げられる自信のある人がどれだけいるますか?自信のある人は「共感した」を自信のない人は「うーん」を!
・なんとかガチャと言い始めるなら、この方が上司。だったら、大ハズレです。
近所にいても、ハズレかな。
このひとは、遠くで見てる分にはいいが、近くにいたら、大迷惑だと思う。
・単なる「知識」なら映像で充分だけど、小学生なんて超未熟だからやる子はやるけどやらない子は全然やらないから二極化するだけだな。
・人間関係作れないよね 授業はそれでいいかもだけど 予備校講師とかの分かりやすい授業流して評価はテストだけ 立ち歩くやつは自宅学習で
・環境が人を育てる訳だから、生徒や保護者の意見を集約しデキの悪い教員は早急に現場から排除すべきである。 指導者を選べない児童生徒は本当に不幸である。
・オンライン授業のみでは主体的な学習と学びの評価が無しなので現行の学習指導要領を満たしていませんが…
・中田あっちゃんのチャンネルが学校の授業の代わりになると考えてる時点で、的外れもいいところだよね。 学校来たくない人は、どうぞ来なくて結構。 勝手にやってください。
・まあ確かにこの理論なら教員要らないだろうな。しかし、ホリエモンは学校教育の良さを全く感じずに生きてきたんだな!
・前提として、自律してオンライン画面を45分~50分集中して受けることが出来るかどうか 100人いたとして何人出来ると思います?
・理科の実験もオンラインですか?それとも、子どものいる家には理科室と実験道具付き住宅をプレゼント?説明を守らなくて爆発しても自己責任?
・これが実現したとして、次に保護者から出てくる要望は「給食代わりに自宅に宅配弁当届けろ」だと予想しました。
・まず先生たちが変わる気ないから無理だな。 テストの採点ですらバイトにやらせればいいのにそれすらやらないから。
・オンラインでいけるこは、学校でもいける。問題は、いけない子の対応。1番勤勉で、搾取される子の。
・ガチャって。自分の人生に対して被害者ぶってたら何も成長出来ない。 オンラインがどうとか以前の話。
・教科の学習だけではないんだよな、学校の学びは。
・確かにホリエモンさんはそういうのが合っているかもしれませんね。
・講義は事前録画で、学校には行くスタイルにしたら?
・「堀江貴文らしい意見だな」っていう感想しか出てこない記事。
・それをいうなら解説動画で十分なんだよな
・学校を何だと思ってるの?
・それこそAIで事足りる時代では?
・こういう何にも知らない馬鹿者が、「教師ガチャ」とか「教師の質の低下」とかしたり顔でいうから、さらにそれを間に受ける間抜けが、教師や学校に文句を堂々という。いつと何を比べて質が低下したというのだろうか。
・ついでにイジメも解決できます。
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