( 203255 )  2024/08/19 16:22:44  
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高齢者の定義を見直す必要性を訴える堀江貴文氏が、高齢者に対する社会的認識や制度を改革することで、日本の年金や医療費の問題を改善できる可能性を提案している。

日本の高齢者の定義は現在65歳以上だが、近年の栄養状態の改善や医学の進歩により、65歳でも若々しく健康な状態が増えている。

このような背景から、高齢者の定義年齢を引き上げることが必要であり、例えば「75歳以上」とした場合、年金問題や医療費問題に改善がもたらされる可能性があると述べている。

また、健康寿命を延ばすことで要介護率を低下させる必要があり、70歳代まで現役として働く環境や社会の整備が重要であるとしている。

(要約)

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Photo by Gettyimages 

 

「高齢者の定義をアップデートせよ」。そう提唱するのは、新刊『ホリエモンのニッポン改造論』を発表した堀江貴文氏だ。「人生100年時代」を迎え、ふくれ上がる社会保障費をどう抑えればよいか。高齢者が心身の健康を維持し、幸せに生きるにはどうすればよいか……。日本が活力を取り戻すためのアイデアを存分に語ってもらった。 

 

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「老人」「年寄り」「高齢者」の定義は、時代とともに変わってきた。 

 

童謡「船頭さん」で“今年六十のお爺さん”と歌われたのは80年以上前、1941年のことだが、今の60歳は「お爺さん」なんて呼べないほど若々しい。 

 

公的には日本の「高齢者」の定義は「65歳以上」だ。さらに細かく、「65歳以上74歳以下」は「前期高齢者」、「75歳以上」は「後期高齢者」と定められているが、この線引きも、明らかにナンセンスだと思う。 

 

現在の65歳だって、とても「高齢者」とは言えないくらい若々しい。たとえば明石家さんまさんは、2024年現在、69歳だが、彼のことを感覚的に「高齢者」と捉えている人はいないだろう。 

 

「芸能人は、男性でも、いろいろ手をかけているだろうから……」と思うのなら、身近な人間に目を向けてみてほしい。 

 

もし親が65歳以上になっているのなら、祖父母が65歳だったころと、両親が65歳だったころを写真などで見比べると、どうだろうか。同じくらいの年齢なのに、祖父母よりも両親のほうが格段に若く見えるはずだろう。 

 

つまり、現代の日本人はどんどん若返っていて、今の65歳は、ひと昔まえの55歳くらいのイメージなのだ。 

 

平均寿命を見ても、1980年では男性73.35歳、女性78.76歳だったものが、42年後の2022年では男性81.05歳、女性87.09歳と10歳近く延びている。 

 

また、運動機能・認知機能・病気の発症率・死亡率などの変化を調べた日本老年医学会などのデータによれば、現在の75歳は、「高齢者」の定義を定めた1982年ころの65歳以上に匹敵することがわかった。 

 

同学会などは、この「若返り現象」の理由として、国民の栄養状態の改善、公衆衛生の普及、医学の進歩などを挙げている。 

 

ここまで「若返り」が歴然としているなら、「高齢者」の定義年齢を引き上げることも検討したほうがいいだろう。ソフトウェア、情報から人間の価値観まで、あらゆるものがアップデートを求められるなか、「高齢者」の定義がアップデートされないのはおかしい。 

 

なぜこんなことを言っているのかというと、「高齢者」の定義をアップデートすれば、今、日本が直面している社会問題に解決の光明が見えてくると考えているからである。 

 

その最たるものが、年金問題と医療費問題だ。 

 

日本の年金制度は、現役世代が納めた保険料を高齢者に受け渡す「賦課方式」だ。 

 

しかし周知のように、急速に進む少子高齢化によって、「支える側」である現役世代と「支えられる側」である高齢者の人口バランスが、あるべき姿から逆転してしまっている。 

 

2008年にピークを迎えた日本の人口は、2011年以降、減り続けてきた。人口減少とは、高齢者に対して現役世代の比率が下がることを意味している。すでに、現役世代2人で高齢者1人を支えなければならない時代が到来している。 

 

 

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では、「高齢者」の定義をアップデートしたら、どうなるか。仮に「75歳以上」とした場合を考えてみよう。 

 

内閣府の2023年版「高齢社会白書」によれば、65歳から74歳までの前期高齢者の数は1687万人で、総人口に占める割合は13.5%だった。 

 

つまり「高齢者」の定義を「75歳以上」とするだけで、今までは現役にカウントされていなかった1687万人、実に総人口の1割強を占める人々が、現役に組み込まれることになるわけだ。年金問題はかなり改善されるだろう。 

 

次に医療費問題。これも少子高齢化が進行するほどに日本の財政を圧迫し続け、ついには破綻に追い込みかねない問題だが、やはり「高齢者」の定義をアップデートすることで、かなり改善される可能性がある。 

 

というのも、現役として過ごす期間が長くなればなるほど、「健康寿命」が長くなると考えられるからだ。 

 

実際、ある産業医によると、65歳以上の人の寿命は、社会的責任の有無によって7~8歳も違ってくるという。現役として何かしらの役割を担うことによる適度の忙しさ、張り合い、ストレス、責任感などが心身の活性化につながり、健康に寄与するようだ。 

 

健康寿命とは、医療的な支援や介護を受けずに生きられる年数を意味する。現役として生きることで元気な「65~74歳」が増えたら、それだけ医療費の財政負担は軽減されるというわけである。 

 

ここで介護に目を転じてみよう。「高齢社会白書」によると、65~74歳では要支援1.4%、要介護3.0%であるのに対して、75歳以上では要支援8.9%、要介護23.4%となっている。 

 

後期高齢者は、要支援・要介護を合わせると3割を超える数になる。しかも、いわゆる「団塊の世代」(1947~1949年生まれ)が後期高齢者になることを考え合わせると、将来的に、国として支え切るのはとうてい難しくなってくる。 

 

この難局を乗り切るには、後期高齢者になってからも、できるだけ要支援・要介護にならないよう、前期高齢者のうちから健康寿命を延ばしてもらうしかない。 

 

すなわち「65歳になったら現役引退」ではなく、できるだけ74歳くらいまでは現役として生きてもらうことで、その人たちが後期高齢者となったときの要支援・要介護の割合を減らしていくということである。 

 

年を取ると人と会話したり外出したりする機会が少なくなる。とくに配偶者に先立たれたら一人で家に閉じこもりがちになり、急に心身が衰えて、頭もボケてくる。それを「仕方がない」と受け入れるしかない社会では、少子高齢化問題は解決しない。 

 

何も高齢者に鞭打って働かせたいわけではない。元気な60代後半や70代前半が多いのは事実なのだから、その人たちに、年齢だけを理由に現役を退いてもらうのではなく、引き続き現役としていきいきと暮らしてもらってはどうか、という話だ。 

 

そのための環境づくりを行政、地域、家庭ぐるみで行っていくほうが、むやみやたらと介護施設を充実させるよりも、はるかに個人の利益にも、社会の利益にも適うだろう。 

 

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つづく記事〈堀江貴文「これからの老後は“膨大な暇”との戦いになる」…人生100年時代を最後まで楽しみ尽くす方法〉では、堀江貴文氏が考える「人生100年時代」の生き方の極意を紹介する。 

 

堀江 貴文(実業家) 

 

 

 
 

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