( 205359 ) 2024/08/26 14:33:57 2 00 「給食残してごめんなさい」保育園で謝らされて流した涙 「完食指導」で会食恐怖症に 交際相手と食事もできず…苦しみ続けた大学生の願い信濃毎日新聞デジタル 8/26(月) 7:50 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/113227ca395db46e4ae28887edd44202acf9a0e3 |
( 205360 ) 2024/08/26 14:33:57 1 00 大学生の桜子さん(仮名)は、子どものころから会食恐怖症で苦しんできた。 | ( 205362 ) 2024/08/26 14:33:57 0 00 会食恐怖症で苦しんできた経験を語る桜子さん
長野県内の子どもや若者を取り巻く状況を見つめた「2024長野の子ども白書」が刊行された。第1章は「子どもの声に応答する社会に」と題し、多様な生きづらさを抱えた子どもたちの声を紹介している。子どものSOSにどう気付き、応えることができるか―。執筆者の1人で、人との食事で極度の不安に襲われる「会食恐怖症」に苦しんできた大学生の桜子さん(21)=仮名=に体験を聞いた。
【写真】桜子さんが寄稿した「2024長野の子ども白書」
会食恐怖症のきっかけは保育園時代。通っていた県内の園は給食の「絶対完食」を掲げていた。時間内に完食できないことが多かった桜子さん。ある日、担任の保育士は給食を残した桜子さんをみんなの前に立たせて謝罪を求めた。
「いつもご飯を残してしまってごめんなさい。明日からはちゃんと食べます」。友人の視線を浴びながら、涙ながらに発した言葉を今も鮮明に覚えている。この日以来、家族以外の誰かと食事をするのが怖くなった。
小学校でも「残したら叱られる」不安から給食が喉を通らない。吐き気で何度もトイレに駆け込んだ。中学校でも症状は続き、級友からは「給食費がもったいないと思わない?」と言われた。
誰かと食事を楽しむ「当たり前」ができず、自分を責めた。同じ境遇の人の体験談を動画投稿サイトで視聴し、自分の症状は家族以外の人と外でする食事に不安を感じ、その不安を避けようとするあまり、人間関係や仕事に支障が出る「社交不安症」の一つ「会食恐怖症」だと知った。
高校時代、放課後に食事に誘ってくれた友人に「認知症の祖父の見守りがある」とうそをついて断った。交際相手とも食事付きのデートを避け、結局自ら別れを告げた。
転機は2021年、進学した大学で訪れた。精神福祉の講義で「好きなことや悩み事を何でもいいので書いて」との課題に、会食恐怖症の悩みについて記した。
すると、男性教員から思いもしない答えが返ってきた。「社会に適応する必要なんて全くないと思う。会食で食事を残している人は結構いて、それは普通のことではないですか」
かつての自分の境遇を振り返り、保育園では自分のペースに合わせて食事をする喜びを教えてほしかったこと、小中学校の先生にはトイレに駆け込む姿から、SOSをキャッチしてほしかった―と気付いた。
大阪公立大学の伊藤嘉余子(かよこ)教授=社会福祉学=は子どもが自らの苦しみを言葉にする心理的ハードルは高く、周囲の大人が日頃の振る舞いに注意深くアンテナを張ることの大切さを指摘。「この社会に『当たり前』などないという意識を根付かせる働きかけをしてほしい」と呼びかける。
桜子さんは今、初対面の人とも食事を楽しみ、学業の合間に友人とするカフェ巡りが大好きになった。自身の体験を生かし、社会福祉の仕事に就く将来を見据えて大学院進学を目指している。「自分が『当たり前』から外れていると思っても、世界の見方を変えてくれる大人たちはきっといる」。今も苦しむ子どもたちにそうエールを送った。
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( 205363 ) 2024/08/26 14:33:57 0 00 =+=+=+=+= 私が小学4年から6年まで同じ担任の先生でした その人は絶対残してはいけないと5時間目、6時間目も教卓の隣の机で食べさせられました
もちろん 私の他に1人2人いました 大きな脂身がはいっていて、どうしても食べられなくて最後は飲み込みました
牛乳が苦手で飲めなくて、でも許してはくれませんでした
最後、掃除の時間になると ビンタするなら残していい 嫌なら食べなさい と言われ、 全員がビンタを選んで叩かれていました
私もビンタ選びました
今思うと、本当に事件だったと思います 給食が嫌で嫌で、、、
今からでも訴えたいですよ。
=+=+=+=+= 私は40年ほど前の子ども時代好き嫌いが激しく、いつも学校で最後まで残されておりそれがきっかけで少食になり若い頃は痩せていました。今は好き嫌いがかなり減ってのでお腹まわりも年相応の体格になりました。 思うに給食のメニューは創作料理ばかりで大人になって見かけないものが多数あるのが苦手な人を産みだす原因ではないかと思いました。ちなみに今でも味や具の想像ができない創作料理は嫌いで敬遠します。 子ども時代に好き嫌いがないのは理想ですが、無理やり食べさせると食べることに全く関心持たなくなるリスクも考えてほしいと思いました。
=+=+=+=+= 私も小さい頃から少食で食べるペースが遅い方でした。会食恐怖症だと自分で認識したのは大学生になってから。はっきりとした理由は自分でも分かりません。おそらく、食事の場で自分だけ遅く、残してしまった経験が積み重なり、お金を払ってくれた人、料理を作ってくれた人、食材を育ててくれた人に申し訳ないと、、毎回自分を責めていくうちに精神的に苦痛になっていったと思います。 食事を残さない大切さを十分に理解しているからこそ辛い人もいると思います。このような悩みがある人がいるという事実が世の中に広まって、お互いに理解し合える社会がさらに進むように願ってます。
=+=+=+=+= この問題は、食に対する消費者側の目線と食材を提供する生産者側の目線、両面から考える必要があると思いますね。 と、いうのも、食べ放題等の飲食店では、残飯処理に非常に気になることも起きています。食材を提供する側としては「お金を貰えればいい」という考え方でそれ以上追及しないようになってきていますが、もともとは大事に育てた米だったり野菜だったり、牛だったり豚だったりしています。 生産者側へ正当な対価を支払っているからいいという事だけじゃなく、食べ物を「粗末にしない」っていうところをちゃんと伝える方法を、やはりみんなで考えるべきじゃないでしょうか。 「食べられないから残していい」=「食べ物は捨てていい」ではないと思うので、そこをどうやって小さい子たちに伝えるのかは、とても大事だと思います。もちろん、そのために食べられなくても我慢して食べさせるは違うと思いますけど。
=+=+=+=+= 小学生の時、給食はランチルームという全校が集まる場所で食べていた。時代的にやはり完食が強制されており、好き嫌いの多い子が給食が終わって掃除の時間になっても居残りで食べさせられていた。掃除が始まり全校分の椅子が机の上に裏返しに乗せられる中、低学年の掃除係の子などにも失笑されながら涙を流して必死に食べていた友人の姿が今でも忘れられない。そして今、うちの子の保育園では、園児が自分で食べられる量を申告し、事前に保育士が量を減らしてくれ、「自分にあった量を完食する」という食育をしてくれている。本当に良い時代になったと思う反面、あの時毎日ランチルームで泣いていた友人の事を思い出すと苦しくなる。
=+=+=+=+= 40年以上前は普通に放課後まで給食を机の上に置いていた光景が普通にありました。しかも1学年では結構な人数。しかし今回のような症状になった大人は皆無です。ある程度の勿体ない教育が身につきました。確かに今回のような症状になる方も一部にはいると思いますが自身で克服して行く力を身につけた方も多く居るのも現実だと思います。何でもかんでも厳しい教育にNOを突きつける事で今の弱腰な日本の人間形成に繋がっています。韓国も未だに徴兵制度がありますが案に戦争要因を育成することだけでは無く、人間教育も併用されています。
=+=+=+=+= 大昔の幼稚園時代の話ですが、小食の私は親が作ったお弁当を半分くらいしか食べられず、横に先生が座って食べ終わるまで残されました。 他の子たちが遊んでいるのを横目に泣きながら食べたことを思い出します。
先生は大きく育つようにという思いがあったのだろうとは思いますが、未だにその情景を思い出しますし、見た瞬間量が多いものは受け付けなくなってしまい、外で食べる時は最初から半分くらいにしてもらわないと、残すかもしれない、無理やり食べないといけないという恐怖との闘いになります・・・
=+=+=+=+= 知人で同じ様に小学生時代に給食を食べるのが遅くて居残りさせられた人がいる。 大人になった今もお盆に乗せた様な定食は食べれないそうだ!フードロスは無いにこした事は無いが、ここまでして無理に食べさせる給食って必要なのかね?給食費を払わない保護者もまだ存在している様だし、子供達の心にキズを残すくらいなら、この際に学校給食を廃止して全員の親が弁当作って持参で良いと思う。
=+=+=+=+= 小さい頃は食べるのが家でも外でも食べるのが遅かったです。 1980年中盤の小学校低学年時はしょっちゅう居残り給食。掃除の時間や終わりの会でも給食を食べさせられてました。 先生や周りから色々言われていましたが、幼馴染の同級生が、常にフォローしてくれたのでトラウマになる事や嫌な記憶として残ることは無かったです。 家は近所、同じ病院で数日早く産まれたというだけで、幼馴染としてだけでなくお姉さん役もしてくれて本当に感謝です。 当然の事ながら、今でも頭が上がりません。
=+=+=+=+= 牛乳が苦手な子から、たくさんもらってごくごく飲んでいた自分としては、アレルギーなどのリスクを含めて、完食などの無理強いは良くないと思う。
偏食させないという方針なんだろうけど、大人だって苦手なものがある。
むかし、セロリをバリッと食べる歯磨き粉(?)のCMがあって、日頃、食卓に上らないセロリを母に頼み買ってもらいましたが、子どもにとって「まったくおいしくないw」ものでしたが、歳を重ねて「少し」おいしいかなと思えるようになりました。
ムダは良くないけど食べる楽しさも大切だと思います。
=+=+=+=+= 昔の教育は今思えば恐ろしい程間違いだらけな気がします。 それによりトラウマを抱えてしまい大人になってる人も多いかと。 部活中は疲れるから一切水分を取るなと言われていました。今よりも夏の気温が低かったとは言え、やはり暑くて喉がカラカラ。よく命を落とさなかったと思ってます。 私も保育園時代は少食、娘も小さい頃は少食でした。幸い幼稚園だったからかその幼稚園がそんな対応しなかったせいか、食に対して恐怖を抱く事はなく助かりました。
=+=+=+=+= この給食残してごめんなさいのの気持ち分かるよ!過去に自分も学校で先生から早く食べろとか、他にも言われた事が小学生の低学年に有りました。だから一時期給食が怖い時期あった だけど小学5年になり女性教諭がとてもいい先生でした。前までの先生と違い、こういう時は 給食無理に食べなくても良いんだよと言ってくれ、とても気持ちが楽に成りました そうか、残してもいいんだと、あれから随分 経ちましたが、本当にあの一言が自分にとっての救いの言葉でした そして未だに給食の押し付けあるとか良く聞きますが本当に酷いと思います
=+=+=+=+= こうゆうことが僕も幼少期にありました。 ご飯を残してしまうことは良くないことなのかもしれませんが、どうしても好き嫌いがあり、口に入れただけで気分が悪くなってしまう食材がありました。 それでも幼稚園の先生に「残したらダメ」と言われ続けました。休み時間や帰る時間の手前まで、食べ終わるまで教室の隅に追いやられ、それでも食べられない場合には、次の日幼稚園に行くと、自分の椅子が取り上げられ、椅子が無いという場合もありました。 この時のことがきっかけで口に入れるだけで気分が悪くなっていた食材は、現在に至ってもチャレンジできません。 それ以外の苦手な食材は大人になると食べられるようになりました。 完食指導は誰の何の為にするものなのでしょうか?
=+=+=+=+= 前職で幼稚園の給食を作っていました。下膳時間過ぎると園児が「遅くなってごめんなさい」と泣きながら食器を持ってきてくれます。作る側からすると、泣きながら食べさせられてるのかと思うと心苦しく感じました。それから、一度見たのですが、廊下で椅子を机代わりにして座り食べているのを見た時は驚きました。カトラリーケースの蓋にゼリーが乗せられていました。食器を時間内に返すために移したのかなと思います。年少組さんで、そこまでするのかと、驚きました。
=+=+=+=+= 私が小学生の頃、ひどい先生がたくさんいました。 私は盗みの犯人にされ、女性担任に「うそ発見機にかける!」と脅されました。身に覚えの無い事があれよあれよと言う間にクラスは裁判の場となりました。親友だと思っていた彼女は、私が犯人だと思うの方に手を挙げていました。 それからの私は先生や友人に心開か無くなり、この年になってやっと本音を出せるようになりました。
=+=+=+=+= 私は未熟児で同級生より小さく食も細かった。あとは良く噛まないと飲み込めず(これは体型とは関係ないのですが…)食べるのも遅かった。小学校ではやはり完食指導が当たり前の時代だったのですが、掃除の時間になっても食べ終わらず、掃除が始まるとほぼ毎日廊下に出されていました。椅子の上に給食のトレーを置いてその前に正座をして食べます。その時は嫌だったと記憶していますがトラウマにならなかったのが不思議なくらいです。他にも数人同じような子がいたので心強かったのかもしれません。やっとの思いで食べ終わると給食室に自分で食器を持って行くのですが、毎日「遅くなってごめんなさい」と謝って片付けていました。 担任は厳しいというか怖い先生でしたが、ある時、父親が「小さいのに体格が大きな子と同じ様に食べられるわけがない」と担任に話をしてくれて、量を減らしてもらうようにしてからはみんなと同じに食べ終わるようになりました。
=+=+=+=+= 自分が小学生の頃、今から30年前ですが給食を完食するのが前提だったというか、残したものを捨てる場所が一切無かったですね。
ただ先生がビニール袋を持ってくるように言っていて、食べきれないものはビニールに入れて持って帰っていましたので居残りして食べさせられている子は見たこと有りませんでした。
先生が考えてくれたのか、食べ残しは各家庭で処分するように学校で決まっていたのかわかりませんが、無理をさせない方針は良かったと思います。
=+=+=+=+= 私も中学時代の給食指導で、お昼ご飯が食べれなくなった経験があります。
学校全体で残飯を減らすことに力を入れており、毎日給食の後片付けの際にクラスごとの残飯の量を重さで測り、結果を放送されていました。担任は担任で、職員室に戻るとお叱りを受けていたようです。
だからか、担任も躍起になり、ある日気持ち悪さを訴えて残したいと申し出ましたが、認められず、吐き気で涙目になりながら飲み込んだ思い出があります。それ以来、給食時間になるとまた気持ち悪くなったらとの不安から匂いを嗅いだだけで吐き気に見舞われるようになりました。それからは毎日吐き気と戦いながら涙目で飲み込むように…
なぜ、全校あげてあそこまでしなければいけなかったのか、今だに疑問です。
食べ物を大切にと教えたいなら、楽しく食べさせてたらいいのに。強制からはマイナスの物しか生まれません。
=+=+=+=+= 自分は小学生まで少食で偏食で、ほとんど給食時間に食べ終わる事ができず、ほぼ毎日昼休みの時間に給食室で食べてました
中学生になったら環境が変わり、配膳が終わってみんなが食べ始める時間には終わってました(˶ᐢᗜᐢ˶)
完食する事は大事かもしれませんが、小さければ小さい程月齢による体格差も大きいですし、食育は食べ物や作ってくれた方への感謝を教える事が大切かと思います
=+=+=+=+= どうしても食べられないことを理解することも、逆に自分のために作ってくれたり用意してもらったものを食べられなくて申し訳ないと思う気持も、どちらも必要だと思っています。 完全給食指導をする方の中にも、その指導をしない方の中にも、偏った考えの方はいるものです。 相手を気遣う気持ちも、自分の気持ちもどちらも大切にするから、バランスが取れるんだと思います。 ただ最終的には、毎日食べられる環境があるって、それだけでも恵まれてるんだなと思っています。
=+=+=+=+= みんなの前で見せしめの様に扱われる幼少の体験は、大人になっても大きな傷やトラウマが残るのです。 大人はその時の気分なのかそれが教育だと信じているのか知りませんが、幼児教育を学びながら、幼児の心を全く無視したデリカシーに欠ける行為です。 わたしは体育で出来ないことがあれば、クラス全員や学年全員の前でひとりだけ立たされて永遠にさせられたことや、問題で答えられるまで立たされて、間違える度に叩かれたりしたことがあり、50歳になった今でもあの時の辛い気持ちをありありと思い出します。 子供の心に永遠に残る暗い影やトラウマを落とさない教員に対する教育をして欲しいです。
=+=+=+=+= アラフィフ世代です。私も未だに家族以外の方との会食が苦手です。
同じように保育園~小学校時代、好き嫌いが多かった私は、みんなが給食を終わっても1人残されて食べるまで席を離れさせてもらえませんでした。
いつも無理やり口にねじ込み、飲み込んだふりをしてトイレで吐いていたことがこの記事を呼んで思い出されました。
食の大切さを教える事は大事ですが、やり方、タイミングなどを考慮しないとこの歳になるまでトラウマに悩まされる現実がありますので、皆さんお気を付けください。
=+=+=+=+= 私も同じような経験があります。 最初はやはり小学校一年生の給食でした。食後にある掃除の時間も1人残されて給食を食べさせられました。 お友達の誕生日会で出される食事やおやつが食べられない、家族以外や自宅以外の食事が食べられない日々が続きましたが、高校生になりいつのまにか普通に食べられるようになってました。きっと素敵な友人に囲まれていたからかな?と自分では思ってます。
今では会社の人や友人との食事会も楽しく参加できてます。 きっと、楽しい食事は安心とセットなのですね。
=+=+=+=+= 私は親から、お腹がいっぱいでも食欲がなくても無理矢理食べさせられる指導を受けていました。食べ物を無駄にしない、粗末にしない事は当然ですが、食べる量を勝手に決めておいてその指導は止めてほしかった。 娘は食が細く、幼稚園の先生から何度か食べ残しについて相談されましたが、 「給食でもお弁当でも無理に食べさせないで大丈夫です」と伝えていました。 そんな娘も大人になり、お米1粒残すことなくキレイに食べますし健康に成長しています。
=+=+=+=+= 私は教員時代に、各自食べる量や好き嫌いは当然の事として、おかずやパン、米飯の減量を認め、更に苦手な物の減量も可としていた。頂きますをする前に減らしに行くか、給食係に配膳前に減量を伝えさせるようにした。但し、全部残すのはダメと少しずつでも食べる量を増やすと言うルールを退職するまで続けてきた。その間、調理士さんや栄養士、管理職に給食指導と言う事だから、完食が原則だと言って、何度と無くやり方の注意を受けた。しかし、私のやった方法で、年度末迄に食べられる量や完食する児童が増し、空の食缶やパン・米飯箱を返却出来たのには、十分に満足している。更に、食べられない児童に、励ましの声をかける周囲の児童の姿にも数多く出会えた。 もっと嬉しかったのは、卒業後のクラス会であの給食の話が出た事である。いくら給食指導でも、無理強いは逆効果だし、指導からも逸脱していると言い続けたのは良かったと自負している。
=+=+=+=+= 罰則的なことは良くない。食べられない子にはそれなりの理由がある。 それを考えれば対処方も変わってくる。 ただ、給食を提供するまでには、多くの人の手がかかっている事も理解させなくてはいけないと思う。苦痛を感じて食べて欲しいわけでなく、美味しく食べて欲しいのだから、無理強いはできないが。 今は、無理に食べさせることは少なくなったと思うが、農家さんから作り手の気持ちまでは、理解させてあげて欲しいと願う。
=+=+=+=+= 私も子供の頃は少食でした。保育園ではお弁当箱に入ったご飯が完食できずいつも先生に食べさせてもらっていました。食べやすいように母がおにぎりにしてくれていた事もあります。小学校ではご飯ではなく薄切りの食パンが3枚も。もちろん食べきれず掃除が始まっても食べていました。それでもダメな時は持って帰りました。ようやく五年生になった頃パンからご飯になりやっと完食出来るようになりました。
=+=+=+=+= 自分自身を振り返って小学校低学年まで給食が思うように食べれずすごくストレスを感じてました。もちろん基本は完食必須です。給食の時間になると気分が悪いと言ってしょっちゅう保健室に駆け込んでましたが静かに見守ってくれた担任の先生に感謝してます。また高学年になると自由に残しても良いと言われ、担任の先生も食べたくないものは残すのをみて、逆にいろいろ食べてみようと試みる気持ちになった記憶があります。学校が子供を信じて多様性を認めてくれればいいですね。
=+=+=+=+= 確かに残すのはもったいないので、食べれる量を選択する方法もあってもいいのかもしれませんね。 私も子供の頃は給食ゆっくり食べるタイプでした。残さずに、とはいわれたけど、ゆっくりでいいから自分のペースで食べなさいとも言われました。私が3月生まれなので、4月生まれのことは1歳差がある、子供なので子供のペースで、と当時としては融通のきく先生で良かったです
=+=+=+=+= 私も大学入学後、家族以外の人との食事や混んでいる電車や小さい教室での授業料では動悸や吐き気等原因不明の神経症に悩まされて自殺も考えたくらい追い込まれていました。 そんな自分を救ってくださったのは、記事と同様に先生の言葉とその講義を選択していたクラスメイトでした。 私は、自分を気遣ってくれた先生や友達に出会えて幸運でしたが、そんな出会いがなく今も苦しんでいる方には、今回の記事のように当たり前でなくて良いと肩の力を少しでも抜いてもらいたい。 苦しい思い乗り越えれば、周りの人を気遣える優しい思いが芽生えるはずなので。
=+=+=+=+= 昔は良くありましたよね、みんな昼休みに校庭で遊んでいても残って給食食べている少食の子。 うちの子たちのころにはもう完食指導はなかったけれど。うちの息子は身体も大きくて、良く食べる子だったから同じ金額で申し訳ないな…と思っていましたが、炊き込みご飯が出た時キノコ嫌いが多くて残っていたので、先生と息子ですごい食べた。と先生が息子がいて感謝ですよぉ、と保護者会の後に伝えてくれました笑 食べられる子には食べさせて、食べられない子はお腹いっぱいになればいい。自分が食べられる分だけよそってもらえばいい。と私は思う。
=+=+=+=+= 「会食恐怖症」一般には馴染みがないと思いますが、私がこの症状を知ったのはある漫画が原作のドラマを見たことがきっかけでした。
ご存じの方も多いと思いますが、原作が「作りたい女と食べたい女」というタイトルで、同名でNHKでもドラマ化されています。
この中で「会食恐怖症」に悩む女性が出てくるのですが、その子も給食を残さず食べるよう厳しく指導された事がトラウマで発症したという設定でした。ただ、飲み物だけは飲めるので、主人公たちがご飯を食べるときに一緒に飲み物を飲んで慣らしていき、少しずつみんなともご飯を食べられるようになっていきました。
このドラマや記事を読んで、まずは症状や悩みを仲の良い人に話してみる所から始まるのかなと感じます。
無理をせず、周りにも理解者を増やして、同時に出来ることも少しずつ増やしていけたら良いのかなと思います。
=+=+=+=+= 給食に限らず学校は同じ空間、同じ時間にいろんな子供達が集められて一斉に同じことをすることを求められます。
子供が何十人もいてそれを1人~3人程度の大人が見守るとなると、一人一人の要望に丁寧に応える余裕は無いので、必然的にそうなるんだろうなと思います。
完食することを前提条件にされると多くの子はクリアできるけど、どうしてもそこに入れない子も出てきます。
大人になった今は、好き嫌いこそないものの、積極的に食べたいもの、出されれば食べるけど自分から進んで食べることは無いもの、色々あります。もちろんその日、その時々によって食欲には波があります。
大人になってもあるのだから子供に「残さず食べろ」と無理強いするのは理不尽だよなと思います。
=+=+=+=+= 親の立場として、子供にはなんでも好き嫌いせず食べてもらいたいし、残していたら食べるよう促したりする。それは豊かな食生活と健康を想ってのことだし、躾の一環でもある。なので時には厳しい言い方もするけど、食べないからといって怒鳴ったり、ましてや手を上げたりすることなどない。好き嫌いがあることは普通のことだし、親の願望もあるけど、諦めが肝心だとも思う。それが出来ず記事にある方のようにしてしまうと、本末転倒で豊かな食生活など送れなくなってしまう。何事もバランスが大切ですね。
=+=+=+=+= 昔は残さず食べるが重要だったと思うが、 では、健康上など色々なリスクもあり、そうではないと思う。 (今と違う昔の常識は多いが、そのうちの一つ) 残さないことは、食べ物を大事にするうえで良いことではあるが、 自分で選んで食べるものではない給食だと、苦手な物があったりする。 無理に食べることは苦痛に通じ、食事本来の意味がなくなる。 会食恐怖症とは気の毒で、改善されることを祈っています。
=+=+=+=+= 昔はアレルギーや乳糖不耐症に対する理解や知識が今ほどなかったので、給食で牛乳が飲めずに苦しい思いをした1人です。 私の場合大人になってからそれが乳糖不耐症だとわかったので、幼稚園の頃から牛乳が苦手で、飲むと気持ち悪くなる、吐く、を「嫌いだからわざとやってるでしょ」と無理矢理飲まされたことを思い出すと今でも心がギュッと痛くなります。
食べ物のキライや苦手、には、実はちゃんとした理由があることも多かったりします。大人はそういった子供のサインを見逃さないようにしてほしいと思います。
=+=+=+=+= 意外と最近まで完食指導をされていた地域はあります。 もう数年前に引退した高校教員ですが、担任した生徒で数名いました。 おそらくその生徒たちほどでないにしても、まだ多少の影響がある方やほぼ克服したものの苦手意識がある方もいるでしょう。
この会食が苦手なために、合宿のある部活を諦めようとした子がいました。 修学旅行を避ける子もいました。 幸い私なり他の先生方が気付いたり、自分から話してくれた生徒は、そのような事態を避けることはできました。 でも本当にほかにいなかったのかと考えると、正直分かりません。
それが指導なのか威圧なのか、子どもや学生に携わるものはよくよく考えないといけません。
=+=+=+=+= 私も小学生時代、給食の完食指導に苦しみました。 給食の時間後は昼休みだったのですが、食べ終わるまでは教師から出られず泣きながら食べていました。中学生になってからは時間内に食べ終わることができたのですが、大人になった今、当時のトラウマが蘇りパニック障害を患い、誰かとの食事の場面で恐怖を感じるようになってしまいました。 食事の量やペースは個々で差があるのは当然のことだと思い出ます。もちろん無駄は良くないですが、今一度「食育」を見直していただきたいです。
=+=+=+=+= 昔はこういう指導だったよね。 自分も低学年のうちは給食が苦手で、掃除の時間が始まっても給食を食べていた思い出。 帰りの会が始まって、とうとうも時間がなくなったところで、クラスのみんなに「残してもいいですか?」と聞き、みんなから「いいです」と返事をもらい、「残してごめんなさい」と言って終了。 今思えばすごい時代!
でも、中学生になる頃には食べられない物は何一つなくなり、今では 何でも食べられている。何なら嫌いな物がない幸せをかみしめている。
特別なことをせず、克服できたのは、結局苦手だったのは食材自体ではなく、自宅では出てこないようなメニューの給食の味付けが苦手だったという。成長と共に味覚が発達して、いろいろ受け入れられるようになって無事解決。
飽食の時代で、家庭では食べたい物だけ食べていることもあるでしょう。 いろんな子、いろんな家庭があるので、給食で一律食事指導も難しい時代ですね。
=+=+=+=+= 30代半ばですが、幼稚園時代、牛乳が飲めず、牛乳が出る日は先生がマンツーマンでついて、飲み終わるまで帰れませんでした。今でも覚えているくらいです。そして、未だに牛乳は飲めません。 小学校に上がってからは牛乳は飲まずに、おかわりの人用に出していました。給食の時間が苦痛ではなくなりました。 人それぞれ苦手なものはあります。苦手なものは減らすなり、誰かにあげるなり無駄にしない工夫はできます。子供たちには、食べ物を残さないことよりも、無駄にしないことを教え、楽しい食事の時間を持てるようにしています。
=+=+=+=+= 私も食が細いためほぼ完食は出来ませんでした。小学2年時の担任は完食指導を絶対としていたため、食べきれない人は掃除時間や放課後まで食べさせられました。わざわざ自前でラップを用意して、泣いても食べさせられました。私のようにいつも完食できない子は、黒板の前に机を移動し、まるで見せしめの様に他の子たちとは違う場所で食べさせられました。 近年はこの様な指導は全く無いと知り、本当に安心です。当時のトラウマから、今は人前で食べる時は絶対に完食できる量のものしか頼みません。 どうか子どもたちには好きなものを人目を気にせず食べれる環境がいつまでも続いて欲しいです。
=+=+=+=+= 私も小学生の頃の給食は完食指導でした。 「好き嫌いなく、出されたものは絶対残してはダメ!」と言われ続けました。 もともと少食か?食べるのが遅かったのか?は分かりませんが、クラスで1〜2名は必ずと言っていいほど、5時間目が始まっても給食が机の上に残っていました。泣きながら食べていた様子を今でも思い出します。
恐らく当時は「もったいない!」というのと「農家さんや調理してくれている人に対して感謝する!」というのを教えたかったのだと思います。 それは大切なことなので、これからも指導していくべきだとは思うのですが、みんな同じ量で分けるのが問題だったのでは?と今になって思います。
残したくても残せない子もいれば、量が少ないといっていた子もいました。 今はどうか知りませんが、各々に適した量で分けていたら、泣きながら食べていた子達は居なかったのでは?と思います。
ちなみに私は牛乳が苦手でした。
=+=+=+=+= 我が子は今年成人を迎えました。 低学年まで給食を食べるまで席から外れる事も許されず、デザートとを自分の好きな物を選択し食べられる企画が年1回あるのですが、給食が食べられるず当然デザートのアイスまで辿りつけず他の子に渡っており、その事実を聞かされたのが3年生の時でした。 泣きながら自分に話した時の事は今も忘れません。元々身体も小さく食が母乳の頃から細く、食べる事には苦労をしましたが、幼い子供が学校でここまで苦しんでいた事を知った時はショックでした。叱られながら食べていたという事もあり、給食が怖いと… 記事の女性の話しは我が子と重なり胸がつまります。
=+=+=+=+= 私も嫌いなメニューでも完食するまではずっと目の前に置かれて授業を受けた。どうしても食べることができなくて、残したおかずを持って、給食のおばちゃんの所へ先生と行き謝れと言われ謝らされた。おばあちゃんは洗い物の手を止めてこちらへ来てくれて怒る事なく許してくれたが、、。 40代になった今でも嫌な記憶として覚えている。現在我が子が偏食で困っているが嫌いなものは嫌いでいいと思っている。食べれるものを楽しく食べてほしい。
=+=+=+=+= 会食恐怖症というものをこの記事で知りました。同時に数十年前のことを思い出しました。当時 私は塾の先生をし、 2泊3日のセミナーなどを開いていました。対象は高校生です。朝昼晩の食事は有志のお母さん方が作ってくれます。生徒たちは毎回の食事が楽しみでした。1つの班ごと 4、5人でみんなで樂しく食事をします。しかし ある年度のセミナーでは1人の女子生徒が食事を食べれず、毎回 泣いていました。個別に呼んで面談をするとその理由は、自宅で食事をするたびに自分の母と、父の母 つまり 姑がいつも言い争っていたことが原因でした。 父は帰宅が遅かったのか 、食事はいつも母と姑と生徒さんで、食事の度に必ず口論を聞かさていて、人と食事を食べることが出来なくなったのです。幼い頃の家庭環境が根本原因でした。これから親になる人 、既に親になっている人は子供との楽しいコミュニケーションを心がけてあげて欲しいと思います。
=+=+=+=+= 私は、給食が美味しく、足りないくらいでした。横で苦しみながら食べている同級生2人が掃除の時間まで、涙目で食べていた事、思い出します。 その子達の家に行くと、料理上手で、給食の何倍も美味しかったです。 家庭環境や体質、先生も心配してでの事だと思いますが、嫌いな物、食べられないものを、無理に食べさすのは、イジメだと思います。 それに対するカウンセリングや対応をお医者さんなどのアドバイスを受け、ストレスの無い、楽しい食事が出来たら、救われると思う。
=+=+=+=+= 小学校一年生の時、給食を時間内に食べきることができなくて、お昼休みも一人で食べていた。好き嫌いもあって… グリンピースは牛乳で流し込むとか、どうしても無理なら口の中に入れてトイレに流すとか…悪い事とわかっていてもそうしていた。 学年が上がるにつれ、周りの友達が苦手な物を食べてくれるようになった。心底ホッとした。
身内に教員がいて、その人もどうしても食べられない物がある。教員になって30年になるけど、当初から食べられない物は最初からお皿に乗せないように言ってるみたい。 だから、生徒たちも「先生これ食べられないよね?よそわやいからね」と暗黙の了解になっるって言ってた。
食って本当に恐怖になることあると思う。 公開処刑になることもあるし、子どもは耐えられないと思う。
=+=+=+=+= 本当に可哀想にと思う。私も、時代が違うとはいえ給食の時間が本当に嫌だった。残しちゃいけないけどどうしても食べられなくて、先生に内緒で残したら食缶の蓋でぶん殴られた。罰に、別の男の子が残した食べかけの串に刺さった野菜をみんなの前で食べさせられた。とても嫌だったけど、先生の暴力が怖くて食べました。もっと別の教育の仕方があったはずなのにと自分が大人になった今は思うけど… 我が子も食べる量が少なく食べ方も遅いけど、はじめから食べられそうな量だけ盛り付けてもらったり先生も工夫してくれていて、助かっています。
=+=+=+=+= 娘も小学校に入学してすぐの頃に、学校給食の味に慣れずに少し吐き出してしまったところ担任の先生に「汚い」と言われ、自分で掃除をしなさいと言われたと帰宅してから泣きながら教えてくれました。 それをきっかけに給食恐怖症になり、その年は給食のときに何度も吐いてしまうことがありました。 担任が変わってからは嘔吐はなくなり今6年生ですが、やはり「全部食べなさい」という指導方針の先生のときは動悸がして食べられなくなるそうです。 「残してもいいよ」と言われても、敏感な子なので根底では先生から理解されてないことに気づいてるんでしょうね。 親としては「先生の方針は否定しませんが、うちの娘みたいな子もいることをどうか理解してください」と先生にお伝えすることしかできないです。
=+=+=+=+= 完食指導も重要だと思いますが、その意図するところは食べ物を無駄にしないということだと思います。 既に調理された食材というのはほとんどの場合他の場所に移したり長期間保存したりはできないので、誤解を恐れずにいえば個人の分を少量捨てようが食べようが大した違いはないです。一方で仕組みや習慣として食べ残しを無くす努力は重要であり、従って指導するべきは食べられる分だけ確保することや、栄養、食の流通などではないでしょうか? 無理やり食べさせる人が、そのことによって得られるメリットとデメリットについてどのように考えているのか聞いてみたいですね。
=+=+=+=+= 私は完食指導にはある程度賛成です。肉や魚などの動物の命を給食室(最近はセンターでやるところも多いみたいですが)で調理していただいて給食として生徒に提供されているものを残すのはやっぱり失礼なので残さないということはある程度は重要だと思います。 ただし、食べれる量には個人差は生じてくるので少食の人には最初から少なめに盛る、等の配慮は当然必要になってくると思います。好き嫌いも良くないですが、無理に食べさせる必要はないので。そうしないと完食の強要になってしまい、この記事の人のようにトラウマになってしまう人も出てきてしまいます。
=+=+=+=+= 今は弁当型の給食ではないところは初めに自己申告や先生の配分で減らせるようになっているところがおおいのではないでしょうか?
こういう方々の意見を取り入れ「食べれる量」を配膳するのが残すことへの罪悪感、そして作ってくれた方への感謝という面でも良いかと思います。
入園まえなどにしっかり食が細い子や、遅い子は親から保育園へ伝え、アレルギー対応のようにしっかり先生方が注意してみてあげる必要があると思います。
=+=+=+=+= 学校の完食指導ではありませんが、家庭での子育ての記憶を振り返って、それに通じるものがありました。 子供が幼いころ(3〜5歳くらい)に、食事を食べさせる際に口に溜め込まれると、ほぼ毎回トラブルになりました。 子供は特に豚薄切り肉を口に溜め込んで飲み込みませんでした。 その回避策(あらかじめキッチンバサミで肉を細断する、薄切りや塊肉の代わりにひき肉を使用)を知る前は、親である私の対応も実にひどいものでした。今でも後悔です。 また、食事時の詰まりを回避するために子供に与える食事量を極端に減らすことにも、当時は納得がいきませんでした。 今は子供と対話して調整することが可能ですが......。 子供の心に爪痕を残したと思うと、やはり親として後悔の嵐です。親失格でした。
=+=+=+=+= 私も同じ経験があります。私は小学5・6年時の担任(女性)が、パワハラ先生でした。叩く、蹴る、怒鳴るは日常茶飯事、給食が食べられない私の他、複数人はいつも叱られていました。 すると、そのうちに家族との外食が恐怖となり、小6の修学旅行では旅行先でも食べないことに担任から叱られました。けど、中高ではうるさくは言われなかったので、食事は適当にごまかして、こっそりカロリーメイトを食べたりしました。 私の転機は、大学入学時でした。親元を離れることができないと思っていましたが、車で2時間離れた県内の大学を選びました。たまたま紹介されたカウンセラー(精神科医)を頼ることで、先生(高齢女性)は、カウンセリングを通して、私の過去を全て聞いてくれて結果抵抗はありましたが、4年間先生を受診し、服薬しながら卒業することができ、やっと自分を許すことができました。
=+=+=+=+= 自分も給食後の休み時間、机が運ばれているなか残って食べていた経験があります。 残すのではなくて最初から食べられる量で少なくよそって完食にすればいいのになぁと思います。アレルギーなら仕方ないですが食べず嫌いやただ食べたくないという理由のお子さんもいると思いますので給食の食材ですのでよっぽどおかしなものは出ないと思うので食育としてはバランスよく残さず食べましょうというのはありだと思います。
=+=+=+=+= 小学校1年生の初めての給食で牛乳が飲みきれなくて、残さず食べましょうと言われたし、残すのは勿体ないからと、ランドセルにいれて持ち帰えろうとした。
牛乳がランドセルの中で倒れ、滴り、皆んなが牛乳が溢れてるよーって驚いていた。 先生が拭いてくれたけど、母親が呼び出され厳重注意。
母親は勿体ないけど飲みきれない時は残して良いんだよ。飲みきれない時は手を洗うところに流してね、と優しく教えてくれたけど、先生はプリプリしてた。
残しちゃいけないから家で飲もうと思っただけなのに、周りの人に迷惑かけてしまって悲しい記憶です。
=+=+=+=+= 娘も小学校時代の給食で完食出来ないと叱られる恐怖から食べれなくなり、食べれない物を口に含んで見つからないようにトイレに行って流していたそうです。 高校生になって初めてその事を打ち明けてくれました。 親として気付いてあげれなかった事がとてもショックでした。 家族との外食はなんとかできるようになってはきましたが、友だちとの食事が出来ず遊びに行く事もなくなってきました。 どうすればまた外で友だちと食事が楽しめるようになるのか知りたいです。
=+=+=+=+= 幼稚園の頃はお弁当だったが、全部食べましたと先生に見せないと外に遊びに行ってはいけなかった。私は少食なのと食べるのが遅く、いつも食べきれずに、ずっと残されて先生に隣で見られていた。強要までは無かったがプレッシャーではあった。 小学校の時、遠足などみんなで食べる時に みんなに見られているというプレッシャーで食欲が無くなり食べられず、「食べないの?」とか「残さず食べなよ」と言われると余計に気持ちが悪くなり、仕舞いには吐いてしまった事もあった。 それが会食恐怖症というものだったと今になって思う。 今でもたまに、急にスイッチが入って会食で気持ち悪くなりそうな時がある。
=+=+=+=+= 食べ物を粗末にしないというのはもちろん大事だけど、無理に食べさせられるのも違うかなと。 本来なら、子どもそれぞれに食べられる量を盛り付けてあげるといいのだけど、給食ではそうもいかなかった。それに、どれくらい食べられるかも、食べてみないと分からない年齢でもあるし。 食べる経験をこなして自分の量を把握するものだと思うので、先生も多少の食品ロスは仕方ないと許容できると良かったんだけどね。 そこは先生の指導力というか。 食べきれなかった子供を一律に頭ごなしに叱ったりするのは簡単。食の教育から逃げている愚行。教師としてプロ失格。子供の心に傷をつけるし、いいことなんかない。 叱る前にどうして食べられないのかを聞いてあげるとか、なにかできないものかと思う。
=+=+=+=+= 今は衛生だなんだって騒ぐので不可能かもしれませんが… 席準で6人1組みの班を作り、1番残した班が給食当番に代わり後片付けをするルールがありました。
ひと工夫することで、子供なりに競争心が芽生え、互いに苦手な食べ物を交換したりして食事を取っていました。 普段運動が苦手だったポッチャリ君もその時はヒーローになり、みんなでワイワイ食事をした記憶があります。
面白い先生でしたが、そうやって互いに協力して、コミュニケーションを取り、残さず食べるように頑張る という結果になりました。
ちなみに、昼休みは男女に分かれて全員で遊べ!と言われて全員でルール無用のサッカーをよくやったりしました。とにかくよく笑っていましたね。
おかげでいじめなんかも無かったです。
話を戻しますが、ひと工夫するだけで楽しい給食になると思います。
=+=+=+=+= 私は親からの叱責で会食恐怖症になりました 少食で食べるのも遅かった為良く食べる従姉妹と比較され家の中ではどうにか頑張れたものの外食が全くダメでした。当然母親からは舌打ちされ気持ちが弱いからだとも言われ続けました。当時は全て自分の責任なんだと苦しみましたが母親は助けてくれませんでした。中学生になる頃には友達と外食する機会も増えてくる為なんとか自分に暗示をかけて少しづつ食べられるようになり1人で克服しました。 当時はパニック症状に関する理解も情報なく仕方ないとは思いますがせめて親には味方になって欲しかった。 今は認知症の始まった母親が精神的に苦しいから娘がすすんで助けるものだとほざきましたw 物理的な支援はしますが精神的支援はしないと決めています
=+=+=+=+= 今は衛生だなんだって騒ぐので不可能かもしれませんが… 席準で6人1組みの班を作り、1番残した班が給食当番に代わり後片付けをするルールがありました。
ひと工夫することで、子供なりに競争心が芽生え、互いに苦手な食べ物を交換したりして食事を取っていました。 普段運動が苦手だったポッチャリ君もその時はヒーローになり、みんなでワイワイ食事をした記憶があります。
面白い先生でしたが、そうやって互いに協力して、コミュニケーションを取り、残さず食べるように頑張る という結果になりました。
ちなみに、昼休みは男女に分かれて全員で遊べ!と言われて全員でルール無用のサッカーをよくやったりしました。とにかくよく笑っていましたね。
おかげでいじめなんかも無かったです。
話を戻しますが、ひと工夫するだけで楽しい給食になると思います。
=+=+=+=+= 会食恐怖症という言葉、はじめて知りました。 食事を残すことは作ってくれた人、食物を生産している人等に失礼だ、と教えられた記憶があります。 そういった側面はあるかもしれないが、一律で出される給食に皆が揃って完食できるのが当たり前って、よく考えれば変な話ですよね。
好き嫌いに関わらず、自分にとって量の多い給食を残さずに食べることにしんどさがあったと妻も言っていました。会食恐怖症という言葉で言語化してもらうと、「こういう悩みだったんだな」と気づける人がいると思います。
=+=+=+=+= 自分は幸いなことに完食指導をしない担任に当たり続けました。食べられる量には個人差があるから無理しなくて良いこと。ごはんは食べ切れる分だけ盛って、足りなかったらおかわりをすればよいこと。食べきれないパンは持ち帰って良いが、食べかけを持ち帰るのは不衛生なので最初から取り分けておくこと、など食に対する基本を小学校の低学年のうちに教わりました。 その一方で、時間内に完食できない子を給食後の休み時間のあいだずっと廊下に正座させて食べ続けさせらていたクラスもありました。あの先生のクラスでなくて良かったと、いまでも思い出すことがあります。まるで担任ガチャです。
=+=+=+=+= 放課後まで残されて食べさせられました。 辛すぎてある時からわざと皿を落としたりして食べないようにしたりしていました。 幸い私は今、食事で悲しい思いはしていません。 嫌な事を無理強いされる辛さはわかるので子供達の好き嫌いとか食べるスピードとか、とにかく色々言わないようにしました。子供達も皆んな食べることが大好きです。 楽しく美味しく食べること。これが一番大事です
=+=+=+=+= 今の日本は多様性を尊重出来る社会になった事は、一定数存在する皆と同じには出来ない人達に優しい環境になった事は豊かとも言える。
ただ理解しなければいけない事も有り、戦後配給生活を知っている世代の人達からは「贅沢な悩み」と捉えられた事実も有ったのでは無いかとも思う。その流れが21世紀に入る前の時代の風潮は間違いなくあった。
ただ、食事量の指導として適切では無かった事も事実とも思う。少食な子も居れば大食な子も居て、それは体格には比例しない。
食育で命の大切さや有難さを知って、自分の食べられる分量を学ぶ事も大切な勉強なんだなと思いました。
=+=+=+=+= 子供は顎の力も弱いし、口の容量も大きくない。 そもそも、ご飯とおかずを同時に口内にいれて咀嚼して飲み込めない子もいる。
それに、子供の舌の方が毒などを食べにくいように苦みなどに敏感だったはず。さらに疲れや体調の悪さに気づかない事もある。大人だって体調崩していなくても、なんとなく食欲がない日だってある。
厳しすぎる、完食指導はほぼ意味がない。 嫌いなものは無理やり食べなくていい。 大人になって、味蕾の数が減ると自然に食べられるようになる。
子供の頃、肉、野菜のほぼ総てが嫌いだったし、食事が大嫌いだった。 今では肉、魚、野菜食べ過ぎて、そろそろ健康診断ひっかかりそう。 40歳になって、鮒寿司が美味しく食べれるようになった。 クサヤはまだ食べられない。
=+=+=+=+= 近い経験の方がたくさん居て驚きました。私も保育園時代に少食かつ食べるスピードが遅く、食後の遊ぶ時間、その後のお昼寝の時間になっても食べきれていないから、と一人残されることが多くありました。一度どうしても食べきれないコッペパンの残りを先生に口に詰め込まれ、窒息しかけた経験から小学校に上がるまでパンを見ると恐怖で余計に食べられず、給食の時間がより苦痛になったのを覚えています。後半は口に含んだままトイレに駆け込み、吐く、ということを繰り返していました。
小学校に上がると先生が個々に合わせて、というスタンスの方だった為、自分で食られる分を申告して減らしてもらったり、食べられる友達に食べてもらったりと給食嫌いが徐々になくなりましたが、今でもコッペパンを見ると窒息しかけた苦しい時を思い出し、心がグッと苦しくなります。
=+=+=+=+= 会食恐怖症というものがあることを初めて知りました。 私も40代、米粒一つ残すなという時代でした。背が低かったので、小4の時には毎日牛乳を2本飲まされていました。あと低学年の頃、外食の際に残してしまった際、父が「作ってくれた人に失礼だから謝りなさい」と言ってシェフに謝りに行ったこともありました。 戦後貧しい中で生まれ育った世代が食に対し厳しいのは当然ですが、不自由なく食べられるようになった今でも教えだけが残っているのでしょうか。
ただ、強制されトラウマになるほど辛い記憶になるのは大変気の毒ですが、私は食に対してあれほど厳しくされたので、なんでも食べられるようになったし、命を頂くこと・作ってくれた人への感謝の気持ちもきちんと持てています。「全部食べなくていいよ」世代の息子、好き嫌いが多すぎて、大人になって大丈夫かと心配になります。それこそ食べられるものがなくて会食恐怖症になるのでは…
=+=+=+=+= 食べ物を残すことは出来るだけしない…という教育は必要だと思うけどな~。
だけどそれは手べ物を残したことを叱るよりもどのようにすれば自分に提供された分の給食を残さないですむかということを考えることが前提にあってのことなんじゃないのでしょうかね? 食事は人によって食べる量も、好きな食材も、調理方法も様々ですから食べる側の人が自分に合った食事量を調整して食べ残しを少なくする工夫を考えることが大切なのだと思いますよ。 食べれることに感謝。命に感謝。食材を作り育ててくれた人に感謝。調理してくれた人に感謝。その費用を出してくれている人に感謝してありがたい気持ちで食べればそうそう残せるものではないですよ。 先ずはそこに気づく機会を与えることが大事なのではないのかな。
=+=+=+=+= 私も同じような思いでした。いつも食パンが2枚出されていましたが、家ではご飯を子供用お茶碗1杯なのに小学1年生で2枚はきつかったです。食べられなくて目の前でお昼の掃除が始まっちゃったり、先生はもちろん、友人たちからも「パン残しちゃいけない」みたいな圧力がありました。 こっそり隠してパンを持ち帰っていましたが、私学の中学でお弁当になってホッとしました。 私は子供がいませんが、子供たちの給食が今は改善されていると思いたいです。
=+=+=+=+= 人によって食べる量はかなり違いますからね。 小さい子どもならなおのこと。 ただ、残してもいいことが普通、当たり前、って考えは全部食べなきゃならない、の逆でこれもどうかと思いますよ。大人なら。 大人なら自分で食べられる量はある程度わかってるはずですし。 残すな、とは思いませんが、残すことがどういうことなのかってことをちゃんと考えたり、教えたりすることが大事なんでは?
=+=+=+=+= 昭和世代なので、自分が保育園や小学校だった時を思い出す。いつも食べきれず、保育園の時はお昼寝時間に1人廊下に机と椅子を出して食べていて、小学校では昼休みが終わったら1人給食室に食器を返しに行っていた。確かに給食は苦痛だったが、恐怖症にまではならなかったな。今は無理やり食べさせない時代なので良いことだと思う。でも、今は怒る人が少なくなった分、怒られると堪え子供も多いかもしれないね。
=+=+=+=+= 完食指導にはそれなりに目的があるのでしょうね。
例えば、給食はその年齢に応じた必要カロリー量から逆算して作られているのだから、1日健康に過ごすために取らなくてはいけないものなのだと思う。
あるいは、当たり前に食べ物を食べられるという恵みに感謝する、とかね。
目的があるにせよ、心に傷を与えてまでやることではないと思う。
けど、飽食の現代とはいえ、食べたいときに好きなものだけ食べるということが当たり前になることへの怖さもある。
例えば自分で鳥や豚を育てて殺して捌いて調理する、ということを経験させることも必要かもね。
それがトラウマになって食べられないというなら、食べなくて良いと思う。
=+=+=+=+= 私も子供の頃は好き嫌い多く食べることが嫌いだったので、学校給食はもちろん家庭での食事が苦痛でした。体も弱くよく入院もしてました。親は古い人間なので無理やり?最低でも1口は食べないとダメだったり、給食も次の授業が始まるまで残されたりしました。 それでも作ってくれた人の思い、健康のため、食べたくても食べられない境遇の人がいるということ、幼いながらに何で食べなければいけないのか理解はあったから、もちろん嫌だった思いもあるけどトラウマにはならなかった。 そして小学高学年になり体力もついて運動クラブ等に入るようになったら食欲が出てきて量を食べられるようになってきた。担任の先生がすごく褒めてくれて、嬉しくて苦手なものも少しずつ食べるようになった。そうしたら病気も良くなって、健康な生活を送れるようになった。 たがら食べられるようにしてくれたこと今は感謝している。
=+=+=+=+= 1980年代に小学生でした。当時は苦手なものを残すのが許されず、(今思えば)まずいトマトを掃除の時間まで食べさせられた記憶があります。 その後もトマト嫌いはしばらく続きましたが、二十歳ころに好き嫌いが恥ずかしくて克服し、今では好物になったくらいです。 結局味覚に合わず拒否反応にちかいものは無理して食べても逆効果な気がします。偏食にならないようにという気持ちはわかりますが、無理に食べさせるのはあまり意味がないように思います。
=+=+=+=+= 私も子供の頃は、少食で、親によく叱られました。食事の恐怖症で、家族で外食した時も、私だけは、メニューを頼めませんでした。 心配した親が、漢方薬を飲ませて、それから徐々に食べれるようになりました。 胃腸は、あまり丈夫ではありませんが、今では、何でもいただけることに感謝しています。 大人になると、食べれる時期がきますよ。
=+=+=+=+= 小学生の頃は完食必須でした。 食べ終わるまで5時間目でも食べ続ける。
量的にきついと言う人は、配膳時に食べられる量にすれば良いだけ。 好き嫌いに関してはこっそり友達と協力すれば良いだけ。
私は昼休みに遊びたいから嫌いな物も無理やり食べていた。 班の中に牛乳が嫌いな人がいれば、自分の飲み終わった瓶と交換してあげたり、その人が好きなおかずと交換したり。 グリーンピースが嫌いなら、こっそり私のお皿に移してもらったり。
みんなで休み時間に遊びたいから、皆んなの苦手を先生にバレない様に食べていたよ。
そうやって子供同士で解決しちゃうでしょ
=+=+=+=+= 私も、小学校の頃、給食で食べてしまうまで昼休み、掃除の時間と食べたくないものと格闘していました。子供だったので、屈辱とか恐怖とかは全くなく、同じように残されていたクラスメートと一緒に我慢しながら食べていました。私の場合は、おかげで、今、全く好き嫌いがなく、あの時鍛えられたからかなぁと、有難く思っています。食べさせる先生も大変ですよ。好きなものだけ食べていいよというスタンスではなく、出来れるだけ食べようねという方が、将来、その子のためにはなると思う。
=+=+=+=+= もともとの性格が起因しているんでしょうね。 真面目で優しい方なんだと思います。 私も小学校の時に、休み時間になっても座らされて完食するまで、吐いても食べさせられましたけど 大人になって、食べれないんだから仕方無いと思って、残す事への罪悪感も無いし、なんなら小学校の時の担任への復讐心とか持ってましたからね。 早く克服できる日が来ると良いですね!
=+=+=+=+= アレルギーなら仕方ないとして、 ご飯を残さず食べたり、好き嫌いなく食べるという人として当たり前なのに、指導側に問題があるかのような記事ですね。給食とかなら度を超えた量でもないでしょう。 最近では味のない普通の水が飲めない子どもが増えているとも聞きますが、人間としてなんだかなあと思います。 食事に困らない、きれいな水が飲めるのが幸せなことであることを子世代に伝えていく必要があります。
=+=+=+=+= 会食恐怖症という病名を初めて知りました。 学校給食調理員として働いています。 毎日、毎回あまりにも残菜が多く、食べ残すのわかってて作るのもしんどいです。 美味しくないとかでもなく、冷たいとかでもない。自校ご飯なので出来たて提供していて、美味しいのに…特に和食メニューはとにかく残ります。残念です。食べる時間もないようですが、根本的な理由は昔より体型を気にしたりして食べないとか、食が細いとか、食が豊かになったため学校給食に対しての有り難みや意識の低下もあると思うのですが、給食を残すなと強要されたと言い会食恐怖症になったとか言われるようなら、もう諦めます。食べてくれとは言わないけど、給食を作るために関わった人たちってなんのために頑張ってるんでしょうかね。
=+=+=+=+= ウチの学校では健診でたまたま来ていた校医の先生が、掃除の最中まで給食を食べさせられている子どもを見て、「無理やり食べさせる方が体に悪い、それに完食と衛生とどっちが大事なんだ!」と校長に直で怒鳴り込んだそうです。さすがにお医者さんの言うことなので、完食が正解でない事は確かだと思います。 そんなわけで、わが校での完食指導は翌日から影も形も無くなりました。 校医さんには今でも感謝しています。
=+=+=+=+= 自分も思い返せば、小学校1、2年の頃に一度だけマヨネーズ入りのサラダが食べられなくてお昼休み時間まで教室の後ろで食べていた記憶がある。食か細かったりする他の友達もやっぱりたまに居残りさせられていたな。涙を流して食べる子もいたけど、その姿を友達に見られる方が辛かっただろうね。その先生は今も現役。訴えようとは思わないけど、当時はどういう思いだったのか、大人になった今聞いてみたい気持ちはある。でもそのおかげで苦手なものでも会食などで出されれば食べようとする気持ちが今あるのかもしれない。
=+=+=+=+= そりゃピカピカにできた方がいいしなんでもかんでも残すのは良くない。 でも残してごめんなさいて言うのはクラスメイトでも先生でもなく食材や作ってくれた人だよね。
コメントも読んだけど、食べれなくてビンタされる人もいたの?それも親でなく教師に。 それは狂ってると思う。
キッカケは色々あれど、会食恐怖が少しでも治るといいですね。
みんなでご飯を食べるって、美味しいし楽しいです。
=+=+=+=+= 難しい所ですねこういう話。 アレルギーなどは当然配慮されるべきであると思いますし、小食でたくさん食べられない人もいたり、食べるペースがどうしても遅くなってしまう人もいます。 そもそも個人によって必要なカロリーだったり栄養素が違うのを一律で管理するってのも難しいですが、給食のように統一されているメニューだと尚更それは難しい事だと思います。 単なる好き嫌いや偏食は言語両断ですけど。 どうしようもない理由がある場合と、しょうもないわがままからくる理由を一括りにされてしまうのは不本意だと思いますが、事情が分からないと判断がし辛いので現場としては対応が難しいでしょうね。
=+=+=+=+= 自分も嫌いなものが出て昼休みの時間中、正座で給食の前に座らされ続けた悔しい思い出だけが保育所での記憶で残ってる。むしろそれ以外の思い出がほぼないので、子供にとってはそれくらいの傷を残すのだろうなと思う。 でも、大人になって思うのは、嫌いなものを避けてきたから食べられないものが多すぎて逆に恥ずかしい思いをすることが増えていること。酸っぱいもの苦いもの辛いものは、子供の頃に舌が慣れたりしないと発達しないんだなと悟った。大人になって無理矢理、会食などで食べるうちに美味しいと感じるようになったものも多い。 そういう事を含めて議論しないといけないと思う。
=+=+=+=+= 自分も小3のときに食欲なくて残したら昼休みまで食べさせられて軽くトラウマになったことがあります。たしかに残すのは良くないけど人間誰だってどうしても食べられない時はある。小さい頃の嫌な出来事ってその後の人生にも響くことがあるからあんまり無理に食べさせたり叱ったりしないほうがいいと思いますよ。
=+=+=+=+= 21歳になる娘。小学校3年生の時に完食にこだわる教師のせいで今でも心に傷を負っています。給食の時間が終わり、みんなが遊んでいる中で、掃除をする中で、午後の授業が始まってもまだ食べさせられる。最後の一口が食べられなかった時に、スプーンで無理やり残りを口に突っ込まれ、その場で嘔吐した娘。未だにスプーンを使って食事するのが苦手です。何度学校へ訴えても、配膳の時に自分が食べられる量に自分で減らさせてから食べさせている。だから完食するべきと言われました。娘は減らしてもプレッシャーから食べられなくなっていたようです。今も娘は食にこだわりがなく、少食です。もっとあの時に守ってあげられていたらと今も後悔しています。
=+=+=+=+= 昭和生まれです。 私自身は給食大好きでしたが、幼稚園の時は皆が帰る頃まで、食べることをやめさせてもらえない子がいました。今では考えられないですよね。もったいない、完食することが美徳だったのです。 現代は、アレルギーの問題もありますし、食に関しては強要、強制しないので、それで良いと思います。孫の保育園入園時の、アレルギーに関するチェック用紙の細かさには少し驚きましたが、とても慎重なんだな、と思っています。園側は大変だと思いますが、有り難いですね。 昔はアレルギーに関して、大騒ぎすることもなく、アナフィラキシーと思われるような事態も起きてなかったですが、体質自体が変わってきたのでしょうかね?謎ではあります。
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