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ヨウヘイさんは非常に厳しい「ブラック研修」を受け、各種理不尽な罵倒を受けながらもその経験について「あの研修を受けてよかったと思うこともあります」と振り返っている。

彼はその後、過酷な労働条件やパワーハラスメントに耐えかねて会社を辞めたが、今もその研修が教えてくれた価値観を持ち続けているようだ。

ヨウヘイさんは、厳しい環境の中で学んだことが後に役立つ可能性もあると語っており、その決して合理的でない研修が、彼の人生に影響を与え続けていると語られている。

(要約)

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いわゆる“ブラック研修”で理不尽に罵倒され、「周囲の期待にこたえよ」という価値観を刷り込まれたヨウヘイさん。厳しいノルマや異様な長時間労働の末に早々に退職したが、今も「あの研修を受けてよかったと思うこともあります」と振り返る(筆者撮影) 

 

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。 

 

■入社前の研修で行われた「大声バトル」 

 

 「ぐおぉぉ!!  おはようございますっっ!」「おーはーよーご・ざ・い・ま・すぅぅぅ」 

 

 関東近郊の人里離れた山奥。ぽつんと建つ合宿所に隣接する空き地で、40人ほどの若者が輪になっている。その中の2人が中心に進み出て大声を張り上げ合う。すかさず講師と思われる男が「がんばっていたと思うほうに手をあげろ!」と怒声を放つ。 

 

 若者たちの挙手によって勝敗がつくと、男が“敗者”に向かって立て続けに罵声を浴びせる。「会社の金を無駄にしてんじゃねぇ!」「もう学生じゃねーんだぞ!」「だからお前はダメなんだ!」。 

 

 最初はためらい、恥ずかしがっていた若者たちの「おはようございます」は次第にエスカレートしていく。息が続く限りわめき続ける人、泣き崩れるように叫ぶ人、地面をのたうち回りながら絶叫する人――。 

 

 名付けて「大声バトル」。異様な光景は都内のある会社による入社前の研修の一場面だ。3泊4日の期間中、バトルは何度も繰り返された。5年ほど前にこの研修に参加したヨウヘイさん(仮名、29歳)が振り返る。 

 

 「ほとんどの人は怒られる恐怖からやっていました。そういう僕もこのバトルで1位を取ったんですけど……」 

 

 ヨウヘイさんによると、研修は、数社の中小企業が合同で社員研修を担う会社に依頼して実施。合宿所に着くと4、5人のチームに分けられた。和気あいあいとした空気が一変したのは、5分以内にチームの名前やスローガンを決められなかったことに対し、研修を主催する会社の社員から突然「ふざけんじゃねー!」と怒鳴りつけられてからだという。 

 

 

 研修では、レゴブロックの組み立てやパズルなどの課題も出された。そして1位以外のチームは「社会に出たら1位じゃないと意味ないんだよ!」「この恥さらしが!」と罵倒される。 

 

■研修は朝6時から深夜1時までで、休憩はなし 

 

 また、かつて流行した「マルモリダンス」の振り付けの抜き打ちチェックもあった。研修は朝6時から深夜1時までで、休憩はなし。睡眠時間を削って練習するしかない。明け方近くまで、かわいらしいダンスを能面のような表情で踊る若者たちの姿が合宿所のあちこちで見られた。 

 

 この間、数人が過呼吸や脱水症状で救急車で運ばれた。ヨウヘイさんも体中にじんましんが出たという。一方で参加者たちは「負けちゃってごめん」「絶対に勝ち抜くぞ」と言い合うなど、次第にある種の連帯感や闘争心も芽生えていった。 

 

 研修のクライマックスは最終日の50キロ歩行。慣れない山道でマメがつぶれたのか靴下が血で真っ赤になっている人や、泣きながら歩く人もいた。ヨウヘイさんは途中から歩けなくなった女性を背負ったという。しかし、目標タイム内に踏破できた人はゼロ。 

 

 ゴールでは、それぞれの会社の先輩たちが出迎えるという“演出”があった。講師の男から「お前たちは応援してくれた人の期待に応えられなかった!」と言われたヨウヘイさんは気が付くと「こんな体たらくをお見せして申し訳ありませんでした!」と頭を下げながら号泣していたという。 

 

 「めちゃくちゃ感極まってたんですよね、あのときは」。ヨウヘイさんが夢から覚めたような表情で打ち明けた。 

 

 こんな“昭和の遺物”のような研修がいまだにあるのか――。話を聞きながら、私は絶句した。 

 

■残業代の未払いにパワハラ、退職強要 

 

 研修を終えたヨウヘイさんはどうなったのか。 

 

 会社の主な事業は企業を対象にしたPR業務の代行。ヨウヘイさんは受注金額ベースで月300万円のノルマを課され、日中は営業電話をかけまくった。 

 

 定時になると上司の指示のもと、社員らはパソコンに退勤時刻を打ち込んだ後も仕事を続けた。違法なサービス残業である。ネットなどで調べた企業の電話番号リストを作成し、企業の問い合わせフォームから営業メールを送るなどして、実際の退社は午後11時近かった。週末も働いたが、休業手当はなし。それどころか、週明けには何件メールを送付したかといった報告を求められた。給料は手取りで19万円ほどだったという。 

 

 

 余談だが、当時は新型コロナウイルスの感染拡大の真っただ中。にもかかわらず、「社長に顔を見せないのは失礼」という理由でマスクの着用は禁じられた。 

 

 一方で入社直後のヨウヘイさんはノルマを達成することができなかった。すると、上司がヨウヘイさんの背後に立ち、時折、手に持った定規で机をベシベシとたたくようになった。仕事ぶりを監視される中、社長も加わり、「これじゃあどこに行っても通用しないぞ」「親のしつけが悪い」「給料に対して何も還元できてない」と責め立てられたという。 

 

 その結果、ヨウヘイさんは3カ月で胃潰瘍になる。医師からは「今すぐ会社を辞めるように」と言われた。会社に「休職したい」と伝えると、人事担当者から「だったら辞めたほうがいい」とその場で退職届を渡され、上司からは「ストレスを発散できないお前の責任」と突き放された。ヨウヘイさんは同僚たちの前で「仕事に穴をあけてしまい申し訳ありません」と謝罪をし、退職届にサインをしたという。 

 

 公務員の父親とパート勤務の母親という「ごく普通の家庭で育ちました」と話すヨウヘイさん。家族関係は良好だったが、大学を卒業して一人暮らしを始めた以上、親には頼りたくなかったという。 

 

 退職後は体調回復や転職活動のために半年ほど収入が途絶え、その間に消費者金融から150万円ほど借金をした。数回の転職を経て最近になり、年収約450万円の正社員として働き始めたものの、滞納した家賃や、利息を払い続ける中、まだ借金は返し切れていない。今も本業の合間を縫い、ウーバーイーツの配達や飲食店でのアルバイトをしているという。悪質企業による仕打ちは、今もヨウヘイさんの暮らしに影を落とし続けている。 

 

■「受けてよかったとも思っている」 

 

 取材で会ったヨウヘイさんは礼儀正しく、話しぶりも的確で巧みだった。アルバイト先の飲食店とは学生時代からの付き合いのうえ、過去の転職先の上司の中には戻ってくるよう声をかけてくれる人もいたといい、周囲からの信頼の厚さがうかがえた。 

 

 自らの意見もはっきりと口にするヨウヘイさんとの話の中で最も興味深かったのは、自身が受けた新入社員研修を振り返り、「なんだかんだ受けてよかったとも思ってるんですよね」と言ったことだ。 

 

 

 ここでヨウヘイさんとのやり取りの一部を再現したい。 

 

 ――受けてよかった?  いわゆる“ブラック研修”の典型ですよ。 

 

 「でも、あそこで刷り込まれたのは、周囲の期待にこたえること、1位を取るために全力でやること、結果がすべて、といったマインドでした。やり方は極端でしたが、価値観としては間違ってませんよね」 

 

 ――ただこうした研修の本当の目的は洗脳です。違法なこと、倫理観に欠ける命令でも、会社に従う人間をつくることでは?  

 

 「そういう指摘は初めてです……。それでも(刷り込まれた価値観は)社会に出たら持っていて損はない考え方だとも思うんです」 

 

 ――そうかもしれません。でも、実際に会社がヨウヘイさんにやったことは残業代の未払いにパワハラ、退職強要です。ちなみに会社を辞めたときどんな気持ちでした?  

 

 「この会社から逃れられるという安心感と、先輩や同僚に迷惑をかけて申し訳ないという罪悪感がありました」 

 

 ――まだ洗脳が解け切れていないようにもみえます。 

 

 「そう言われてみると、今も会社に対して『俺、期待にこたえられてない。申し訳ない』と思うこと、多いんですよね。ずっと罪悪感を抱きながら働いてきたというか……。雇ってもらって、残業代までもらってるのに、ちゃんとできていない自分に非があるという罪悪感。これって(研修の)呪いなんですかね」 

 

 ――悪質会社にとっては都合がよい社員かも。それに残業代は労働者の権利です。 

 

 「前の会社で『労働者の権利』なんて言ったら、『社長に対して不届き』と言われそうです。でも、日本の経営者は『期待にこたえられなくて申し訳ありません』という考えの社員を好む人、多いですよ。そういう考えの人のほうがかわいがられるし、うまくいく社会。だからやっぱりあの研修を一概に悪いとは言い切れないんですよね」 

 

■第2次世界大戦中の「特攻」と重なった 

 

 この日は8月の「終戦の日」の直前だった。取材を終えた数日後、私はテレビで第2次世界大戦中の日本の特攻をテーマにしたドキュメンタリーを観た。番組の中では、特攻への志願を示す「望」「熱望」という文字が記された搭乗員名簿が新資料として紹介された。 

 

 持論になるが、私には「特攻隊員たちのおかげで今の日本がある」などという考えはみじんもない。“一億特攻”という常軌を逸したスローガンのもと、当時の若者たちに「特攻を熱望する」などと言わせた組織や社会への嫌悪感があるだけだ。 

 

 

 
 

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