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「ボロボロの財布」に自宅は「借家」、高級料亭の「仲居さん」と…。101歳で大往生した中曽根康弘元首相、格が違いすぎる最晩年

ダイヤモンド・オンライン 9/1(日) 6:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b8d48f18a19f292777cc4d07519dc72114ce5fb

 

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内閣総理大臣としての中曽根康弘の晩年についての記事が紹介された。

中曽根は101歳で亡くなり、最終的には読売グループの「慶友病院」に入院していた。

晩年はゴルフを楽しんでおり、贅沢な暮らしというよりは質素で物欲のない生活を送っていたと言われている。

妻の蔦子さんの心配や苦悩も明かされ、中曽根自身は金銭に執着せず、個室の病室で控えめな暮らしをしていたと伝えられている。

(要約)

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内閣総理大臣としての通算在職日数は1806日だった(Photo: Getty Images) 

 

 気鋭のノンフィクションライター・甚野博則氏の新刊『ルポ 超高級老人ホーム』が話題だ。富裕層の聖域に踏み込んだ同書では、選ばれし者のみが入居する「終の棲家」を徹底取材している。同書の発売を記念した本稿では、当代随一のノンフィクション作家・森功氏が、日本を代表する超大物たちの最晩年の姿に迫る。第1回は、101歳で大往生を遂げた中曽根康弘元首相の、大物すぎる晩年の姿について寄稿いただいた。(取材・文:森功、構成:ダイヤモンド社書籍編集局) 

 

● 借家暮らしの「風見鶏」 

 

 1918(大正7)年5月27日、群馬県に生まれた中曽根康弘は、元号が令和に改まったばかりの2019(令和元)年11月29日に物故した。享年102(満101歳)、老衰だった。大正、昭和、平成、令和の4つの元号を生きた唯一の内閣総理大臣である。 

 

 幼少期、住み込みの女中が20人もいたという大きな材木商の長男として育った中曽根は、戦中の内務官僚から戦後に国会議員となり、没するまで東京・世田谷区上北沢の豪邸に住んだ。 

 

 実はその豪邸は、長嶋茂雄が中曽根に月額40万円の家賃で貸していた借家だったという逸話も、政界で知られたところである。政治家たるもの、持ち家に住むべきではないという信念を貫いてきたという。 

 

 1980年代の行政改革を率いた中曽根は、国鉄民営化をはじめとする欧米の新自由主義を政策に取り入れた先駆者である。 

 

 英首相のマーガレット・サッチャーや米大統領のロナルド・レーガンと気脈を通じ、米首相補佐官のヘンリー・キッシンジャーの盟友とされた中曽根は、日本の姿を変えたといっていい。 

 

 反面、現在の「政治とカネ」の原点とされるリクルート事件で東京地検特捜部の本丸と目されただけでなく、ロッキード事件でもその名が取り沙汰されてもいた。 

 

● ナベツネ肝煎りの 「超高級シニア向け病院」 

 

 その中曽根康弘は大勲位として優雅な終末を迎えている。夫人の蔦子は地質学者・小林儀一郎の3女である。 

 

 中曽根の晩年について、信頼してきたブレーンの1人に聞いた。 

 

 「奥様も91歳まで長生きしました。中曽根先生は盟友である読売グループのナベツネさんに頼んで蔦子さんを『慶友病院』に入れ、夫婦ともに最期をそこで迎えました」 

 

 正式名称「よみうりランド慶友病院」は、読売新聞社主渡辺恒雄の肝煎りで2005(平成17)年4月1日、東京・稲城市に開設された。 

 

 施設は延べ床面積4534坪の6階建てで、198室(240ベッド)ある。入居者はゆったりとした部屋で過ごし、3269坪の広大な敷地を散歩する。文字どおりの高級老人医療施設である。多くの政財界の重鎮やその家族がこの「終の棲家」で終末を迎えてきた。 

 

 

● 元首相を取り巻く「女」たち 

 

 先のブレーンはこうも明かした。 

 

 「晩年の蔦子さんは、秘書の太田英子さんをはじめ、中曽根先生の女性関係に焼きもちを焼いて大変でした。上品な方ですから決して露骨な物言いはしません。けれど、ことあるごとに『主人はすっかり太田さんにお世話になっているのよ』と皮肉っぽい愚痴をよく聞かされました。 

 

 中曽根先生はほかにも赤坂の料亭『金龍』の仲居さんなんかを可愛がっていて、蔦子さんは亡くなるまで彼女たちに嫉妬していました」 

 

 中曽根より3歳若い蔦子は2012(平成24)年11月7日に死去し、青山葬儀所で告別式がおこなわれた。 

 

 一方、夫君の中曽根は90代半ばにしてまだまだ壮健だったようだ。ブレーン氏が続ける。 

 

 「中曽根先生は95歳までゴルフをしていました。場所はもっぱら茅ヶ崎にある東急電鉄グループの『スリーハンドレッドクラブ』。たいていハーフだけで終わりでした。ゴルフバッグにはアイアンが入ってなく、ぜんぶウッドでした。ボールがグリーンに乗るとOK。健康のためのゴルフですが、中曽根さん専用のカートはフェアウェイまで乗り入れられるのでそれほど歩きませんでしたね」 

 

 親しい財界人を囲む5月27日の誕生日会は99歳まで続いた。 

 

 「96歳の誕生日会まで、場所は築地の吉兆でした。そのあとは吉兆の料理人が東麻布に寿司屋を開いたので、そこに場所を変えました。99歳が最後の誕生日会でした。そこから具合が悪くなって入退院を繰り返すようになりました」(参加者の一人) 

 

● ボロ財布にクチャクチャのお札 

 

 孫の衆議院議員、中曽根康隆に尋ねた。 

 

 「私が2017年の総選挙で初当選したとき、『歴史を学ばなければ国の舵取りはできない』と諭された言葉が印象に残っています」 

 

 祖父の最期についてこう振り返った。 

 

 「祖父は慶友病院で亡くなりました。すでに101歳でしたから、どこが悪いというわけではなく、老衰です。ふた月ほど入院したでしょうか。亡くなる1週間前に見舞いに行くと、新聞を読みながら黒マジックで気になる記事に線を引いていました。日本の行く末を憂いながら亡くなったのでしょう」 

 

 数々の汚職事件でその名が浮上した中曽根は、「政治とカネ」にどうかかわっていたのか。 

 

 「私はまだ幼かったので政治資金にかかわることについてはわかりませんが、孫個人として祖父を見た場合、金銭はおろかまったく物欲のない人でした。身に着けているものも安物ばかりで、いつもボロボロの財布にクチャクチャのお札が入っていた。病室は個室でしたけれど、ベッドと机、ユニットバスがある程度で、それほど広くもありません。映画に出てくるような豪華な特別室などでもなく、祖父はそれを望んでもいなかったと思います」 

 

 中曽根は同じ歳で当選同期の田中角栄とライバル視され続けてきた。こと金銭への執着という点では、角栄と好対照だったようだ。 

 

 「真実は墓場まで持っていく」と言い残して目を閉じた。(敬称略) 

 

森 功(もり・いさお)  

1961年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、「週刊新潮」編集部などを経て、2003年に独立。2008年、2009年に2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。2018年には『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞受賞。『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』(講談社)、『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』(文藝春秋)、『国商 最後のフィクサー葛西敬之』(講談社)など著書多数。 

 

森 功 

 

 

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中曽根康弘氏の政治家としての功績や人物像について、多くの意見が寄せられています。

 

 

中曽根氏は清貧なイメージを持たれることもありますが、実際には借家である40万円の家賃や豪邸も所有していたといった逸話も伝えられています。

また、田中角栄氏との対照的な立場であり、権力への執着心や政治手腕についてさまざまな見方があります。

 

 

一方で、総理大臣としての功績や国益に貢献した点に対する肯定的な意見もあり、特に日本の経済成長や外交面での手腕が評価されています。

また、自民党の中でも重要な役割を担ったことや、政治家としての人生を通じて真摯さや信念を持ち続けたことに対する賞賛も見られます。

 

 

最後には、中曽根氏の訃報を受けて、遺言や最期の言葉についての考察も見られ、彼の人生や政治家としての姿勢を振り返る声もあります。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

政治家が高齢になったら借家に住んで財産の大部分を政治団体の所有にするのは相続税を少なくする為の常套手段。中曽根さんはそれを忠実に行った。清貧な人物だったわけではない。 

 田中角栄さんはそういうことをするのを潔しとしなかったためか、あるいは、相続は遠い先と思っていたため、豪邸などを所有した状態で亡くなった。それによって、田中真紀子さんは相続税で苦労した。 

 

=+=+=+=+= 

不沈空母発言、日航機事件、プラザ合意。SNSが発達した現在、隠しきれない真相も暴露しだしています。中曽根氏の墓場まで発言の全容について『国民は知る権利』があると強く主張したい。 

 

=+=+=+=+= 

真実は墓場まで持っていく、この言葉が何を語ったのか。御巣鷹山に墜落した日航機の事と受け取り、あらゆる憶測を呼んだ事もある。 

 

大勲位という称号は、確か小泉純一郎元総理が政治から身を引いてもらう為に称号を付けて引退させたと記憶しているが、それだけ影響力があったのだろう。 

 

田中角栄さんはロッキード事件で失脚したが、田中角栄さんは中国に重きを置いていて、その日中国交正常化の流れが福田赳夫さんや大平正芳さんまで続いたが、中曽根さんに変わった途端にアメリカと蜜月関係になった。 

それが中曽根さんの長期政権に繋がった要因のひとつだと思っている。後の長期政権だった小泉純一郎さんや安倍晋三さんもアメリカと非常に親しくしていた事を考えれば、いくら日本が独立した国家と言っても、アメリカの機嫌を取らなければ政権運営が出来ないのかと思ってしまう。 

 

=+=+=+=+= 

昭和の時代には自民党にも私利私欲ではなく、国家国民の為と言う志を持った政治家がいたようですね。 

清貧と言う言葉で思い出すのは「めざしの土光さん」ですね。国家の為にひと肌脱いで政治の世界に身を投じました。 

今の政治家は会食と称して、高級ホテルや料亭でただ酒飲んでる連中ばかり。 

権力を持ち贅沢三昧の地位に就けば、国民の事よりも自分が如何に長くそこに居続けるかに一生懸命です。岸田氏に至っては小学生の「何故総理に成ったか?」質問に「一番権力が有るから」と答える有様です。 

もう自民党に期待しろと言う方が無理です。政権交代を望みます。 

 

=+=+=+=+= 

サミットで、マスコミの前に首脳が並ぶ時に、真ん中に割り込んでたのが印象に残ってます。 

それまで日本の首相は端っこが定位置で、しかも低身長で見栄えイマイチだったので、「おお~」と思ったのを思い出しました。 

 

=+=+=+=+= 

「大正、昭和、平成、令和の4つの元号を生きた唯一の内閣総理大臣である。」 

なんて大嘘が書いてあるから読む気が失せた、 

 

村山富市も大正生まれでまだ存命なのに。 

 

=+=+=+=+= 

中曽根は良い意味で権力に拘った政治家だった。 

総理大臣になりたい、なりたいで勉強して総理大臣になった。 

中曽根のブレーンだった大前研一が言っていたがブレーンが提供した政策をそのまま受け入れるのではなく、 

全て理解した上で自分の言葉に切り替えて発表していたとの事。 

欲を正しい方向に持っていくと成功する。 

 

=+=+=+=+= 

「真実は墓場まで持っていく」と言い残して静かに目を閉じた。 

大勲位・中曽根元首相の最期の遺訓。 

全く同じ言葉をかって住友銀行の天皇とまで尊称された磯田一郎元頭取も 

言い残して逝去されました。政治の世界と経済の世界は切り離せないものですが、御両人とも瞠目すべき実績を築きながら、様々な疑惑もささやかれていました。二人とも死期に際して回顧録で詳細を叙述し、30年後に公開せよと 

遺言していれば良かったのですが、やはりその影響力を鑑みて、とても口外 

出来ない内容だったのでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

>個室でしたけれど、ベッドと机、ユニットバスがある程度で、それほど広くもありません。映画に出てくるような豪華な特別室などでもなく 

バスまである個室は十分特別室だと思います。親を個室に入れましたがトイレまででした。バスありは一日3万でしたのでさすがに無理でした。元総理ということで警備の都合とか体裁もあるのでそれがよいとは思いますが。 

 

借家だったのは政治家は落選すればただの人ということを肝に銘じていたんでしょうね。福田赳夫・小渕恵三・山口鶴男といった大物政治家と同じ選挙区でしたから。 

 

=+=+=+=+= 

文化放送出版の「終わりなき海軍」に掲載された手記によれば、中曽根さんは学校を卒業すると同時に三千人の荒くれ男たちの総指揮官としてフィリピンやインドネシアに行き、飛行場を設営する任務を仰せつかったという。ブレーンがいるわけではなく、人員や物資の調達も部下の編成や指導も、23才の若者が自分で考えて実行する。それが良かったのか部下たちは命がけで働いてくれたという。 

すごいなあと思ったが、女中さんが20人もいるような材木商の長男なら人の使い方を心得ていたのだろうと納得した。 

 

 

=+=+=+=+= 

政治家それぞれに、いろんな見方、評価はされますが、昭和の政治家は本当に腹に筋の通った大物がいたなと思う。中曽根康弘さん、田中角栄さん 

一冊の本ができるような強い信念と腹を持って政治に当たっていたと思う。 

今の政治家は比較できない。国の為よりも身の保身ばかり。金権政治の始まりは田中政権からというのもあり、難しいところはありますが、政治家の信念等、将来本に残って語り継がれるような人はいないような気がする。 

 

=+=+=+=+= 

中曽根さんは、三角大福に次ぐ自民党5番手のイメージが強いです。 

地元群馬では、福田さんに次ぐ2番手の政治家でした。 

あと田中角栄に比べても、存在感が薄かったです。 

中曽根さんが現職の総理大臣だった時に、カナダのエリートビジネスマン10人に日本の現職の総理大臣は誰でしょうと質問した時に、何と10人中8人が田中角栄と答えていました。 

 

=+=+=+=+= 

この人が総理大臣として日本のために何をやってくれたかは全く記憶にありませんが、総理大臣引退後も後も自民党重鎮として君臨したこと、レーガン当時大統領とキャンプデービットでロン、ヤスと仲のよさを強調したこと、それと群馬県内に内閣総理大臣は公選でとと言う看板をたくさん立てていたのに、自分が総理大臣になれそうとなった途端にその看板が一斉に撤去されてしまったという話題は記憶にあります。 

 

=+=+=+=+= 

まぁ非常に頭よく生きられた方でしょう。 

東大から内務省に入省して短期現役士官制度にのり、戦地に行くことなく海軍の主計士官になり、反吉田で政界に入るも河野一郎派で頭角を現し、あれほど吉田門下の佐藤栄作に付くなという河野の遺志を無視して、佐藤に近づき、その後は角栄に近づき、三角大福が亡くなった後、長期政権を築かれた。 

 

=+=+=+=+= 

記事の内容は事実なのでしょうが、私たちの常識とはかけ離れていて、「上級国民」って言葉は実存しているのだと思いました。 

こういう世界で育った方々が、その世界観を活用して我が国の未来に貢献していただければ良いのですが、逆だの場合には排除できないですよね。何とかなりませんかね? 

 

=+=+=+=+= 

祖父が中曽根さんと同い年だった。 

故郷は違うが、高等文官試験の受験時に席が隣同士、共に合格し一時期は親友であった。「君も政治を目指さんかね」と誘われたとも。 

故、秘密の話はドイツ語かラテン語で話し合っていたそうだ。 

 

残念ながら祖父は肋膜炎を罹患、お陰で兵役は免れたものの浪人を余儀なくされ、一高つまり東大入学を確約されていたが浪人し京大を出たため、そこから中曽根氏とは疎遠となり道も違ってしまったと聞く。 

 

身なりは清潔ながら財布と中身はぐちゃぐちゃ、肋膜炎が治ったらうまいもんを食って世を動かそうとの約束は果たしていたと聞いている。祖父は後に拓務省に入省し中曽根氏に再会しているが、恰幅が良くなり驚いたそうだ。その時改めて、負けたと思ったらしい。 

 

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ロン・ヤスの首脳同士の関係でアメリカとの安全保障で一歩踏み込んで「日本を不沈空母に」発言が飛び出したり、国鉄民営化は「害悪でしかない労組を潰すため」と公言したり、目指すところに対しては遠慮なしな政治家だった。ウィリアムズバーグの先進国首脳会議 (サミット) で会議場入りする首相の車列通過時にご本人が旧日本海軍士官だった由縁で歓迎する楽隊が軍艦マーチを奏でたことに至極ご満悦だったそうだ。 

 

=+=+=+=+= 

短現士官出身、特に帝大からの士官候補者は主計担当なので、兵学校や機関学校で教わる軍隊教育を受けていない。そのため戦地出陣することも少なかったと聞く。退職後は華々しい経歴と実務、指導力を買われ大手企業重役、政財界トップに就く人も多かったね。中曽根、ナベツネはその代表的存在だよ 

 

=+=+=+=+= 

ラストに何で田中角栄さんを引き合いに出したのか。田中角栄氏をわざわざ下げるようなことを書いて中曽根さんを持ち上げなくても、と 

田中角栄首相だって日本全体を引き上げた名宰相です。私利私腹を肥やしただけの人ではない。 

それに中曽根さんだって清貧に生きたわけでもない。貸家といっても世田谷で家賃40万は当時としてはかなりの高額だと思います。 

高級料亭で毎年誕生日会、ゴルフを楽しみ 

ユニットバス付き個室のある病室、なら 

恵まれた暮らしを最後まで、と言えるでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

要は良い家柄に生まれ乍ら、人生途上でも余り貧困とは縁遠い中曽根氏であったので、田中角栄氏とは対照的に「政治と金」への執着は余り無かったのではないかと思います。ボロボロの財布とクチャクチャのお札が体を表していたのではないでしょうか。それでも懸念事項は「墓場まで持って行くとは……」如何にも中曽根氏らしい終篤であったのではないかと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

戦争中は海軍の青年将校。 戦後の復興期に、何の為に政治家を志すのか、何をする為に総理大臣を目指すのか、総理大臣になって何をするのか、を考え続け、その為に勉強をし続けた人です。 

総理就任の朝、記者に心境を聞かれて「さぁ、いよいよやるぞ」と短く答えましたが、喜びよりも緊張で引き締まった表情が印象的でした。 

退任する時は、「これからは外野の玉拾い」と言いつつ「暮れてなお 命の限り 蝉しぐれ」との俳句に心境を吐露していました。 

 最近の「自称保守」や「劇画調の民族主義」とは格が違いました。 

 

=+=+=+=+= 

早朝に起床し読書をし散歩の習慣を大切に常に勉強と健康に気を配る 中曽根氏の言葉が今も頭に残っています 戦争を体験してきた大正生まれの政治家は国力国民の生活を考え政治に向き合っていた感がある お金と人脈の政治路線も形成したのだろうが? 

 

=+=+=+=+= 

敗戦したにも関わらずマッカーサーに対して占領をやめるよう求める建白書を出したのはこの人物だ!日本を守り戦ってきた政治家だと思います。 

今現在これ程知恵のついた政治家が存在するのか? 

また、歴代総理大事の中には昭和平成を食い物にし、キーマンみたいな顔し抜け抜けと自分の派閥だけに着手し高級老人ホームに入居してり人物とは気概が違いすぎる。 

戦後、偉大な政治家に翻弄されその力に影響され、いつしか無関心な国民になってしまった私達の責任は重いとおもいました。 

 

=+=+=+=+= 

昭和の時代は昭和の政治家はとんでもないな 

と思っていたけど 

今の政治家に比べると 

まだ国民や国を思い行動してる人が多かった 

 

最近は私利私欲で平気で国内に外国人を増やし 

自ら国崩しをしてる政治家や 

対抗できず力がない野党政治家が多い 

もっと国や国民を大事にしないと 

日本がなくなってしまうと思う 

国や国民を大事にする政治家を選んでいかないと私達の責任は重い 

 

=+=+=+=+= 

歴代の総理大臣の中でも、諸外国の首脳と並んでも絵になる人は中曽根くらいではないだろうか。 

闇は数々あれど、以後の総理大臣と比較したら大きな問題を背負っても上手く舵取りが出来ていたような気がしますね。 

 

=+=+=+=+= 

今、井戸塀と聞いてもわからない政治家も多いだろう。その様に言われた時代もあった!裏金で私服を増やすのとは真逆。 

借家で40万、別荘も持っていたと思うがこの記事は取り違えているように思う。若き日は青年将校、晩年は大勲位と言われていた事を思い出す。 

 

=+=+=+=+= 

石原元官房副長官も同じことを言ってた。 

有権者に出る情報は一部。 

国民がパニックになりかねない情報は出さないのは間違いない。 

有権者に出る情報は差し迫ったもののみ。 

もっと危険な情報が権力者には入っていると推測する。 

中国の台湾侵攻が報道されたのはかなり差し迫ったものだったと思われる。 

有権者は報道の情報から世界情勢をある程度推測する必要があると思われる。 

 

=+=+=+=+= 

凄い格好つける人で準備する人は色々大変だった。田中角栄とは比較にならない小者だが元海軍将校様だから今に至るまで嘸かし裕福だろう。角栄記念館、あれだけ国に尽くした人なのに…寂しい限り 

 

=+=+=+=+= 

大人になってみれば後の世になってみれば、田中角栄氏と中曽根康弘氏どちらが日本の国益に貢献したかがはっきりとわかるようになった。 

 

メディアの報ずる薄っぺらい上面だけの情報で判断するのは誤りの素。 

 

そもそも、清和会系政治家は日本を富ませた事が無いように思う。 

スキャンダルで失脚する派閥が日本を富ませて、スキャンダルで失脚させる派閥が使い放題に使う。 

そんな事を繰り返す国が戦後の日本です。 

 

=+=+=+=+= 

田中角栄とは対極の党人派の代議士だがエリート出身の中曽根康弘。よく勉強もし読書家。同じ東京帝大出身の読売グループのドンの渡辺恒雄とは仲が良く読書会やっていた。ナベツネは帝大ではドイツ哲学やから。ナベツネは戦争反対天皇制反対やってたの共産党だけ。と。しばき倒される理不尽な軍隊経験して復員したら一時期共産党員になった。しばらくしたら軍隊と変わらぬ組織だと喝破して抜けている。とまあ戦前戦後またぎの人物は今日日のヤワな日本人とは違う背骨が一本筋が通ってる人物が結構にいる、いた。昔どこかの通りで普通の大臣の中曽根康弘見たけど。背広は安物に見えたなあ。麻生太郎の背広とは格段に落ちる。 

 

 

=+=+=+=+= 

中曽根政権の1983年。大島三原山が大噴火、溶岩が海に目前で水蒸気爆発寸前の危機的状況だったが、各官庁の要人らが集まった会議では「この災害に西暦・元号のどちらを使うか」で紛糾という有り様だった。そこで総理と、後藤田官房長官が、平沢勝栄や佐々淳行、安倍晋三など私的ブレインを集めて「僕の名前を自由につかっていいから」と指示を出した。ブレインらは都庁や関係各所に電話して「総理が都知事から自衛隊の出動要請はまだか?とおっしゃっています」や「総理が、付近の自衛隊艦だけじゃなく民間船にも要請できないかと」「総理が、避難民は都民だから東京都で体育館に食事と毛布の準備を」と次々にと要請を出して、官庁会議が終わった頃には、住民避難が着々と進行している有り様だったという。総理大臣とは、自分が何もかもできる必要はないが、要所要用で、適材を十分に働かせられる能力と、器が必要なのだなあと。 

 

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日本のかじ取りをするような大物政治家の元には自然と金も集まるものだと思うし、別に清貧だって贅沢だって良いと思うのですが、裏金の様な国民に知られて恥ずかしいような金の使い方や視察先で物をねだる様な浅ましい事は止めて貰いたい。 

そう言う金の使い方をする人間は器も小さく、政治家としての仕事もせこくなると思います。 

 

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ダンディでいらしたから、奥様も嫉妬なさるお気持ちはわかりますが、奥様もそんな高齢まで嫉妬されてだなんて、かわいらしいですね、愛妻家だったと、どこかで読みました。海軍出身の人材はその後の日本を支えましたね。 

 

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大勲位は借家引き払って豊島区の自宅を晩年に所有していたはずだけど、ここには住んでなかったのかな??? 

 

本人は清貧を貫いたかもしれないけど、「田中曽根内閣」とか言われたほど田中派の力で政権を維持できたわけで、、結局カネをめぐる構造って今と変わらないんだね 

 

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良くも悪くも、当時の政治家には気概が有り、今では悪く言われている派閥がお互いに強く牽制し合って、或る意味で自浄作用的な事をして来た。現在はどうか?ありとあらゆる政治家は小粒で団栗の背比べ。金には一様に汚く平気で噓を吐く。このままでは国家は衰退し国民との分断が一層加速してしまう。 

 

=+=+=+=+= 

ストと赤字でどう仕様もない国鉄を民営化して、今に繋げた。 

高度経済成長も終わり、それでもまだ4%前後の経済成長はあった。バブル経済に入る前だった。三公社をいい時期に民営化した。 

今の政治家でこんな事できる人はいない。 

これで進次郎が首相になってしまったら、収入増えず、負担が増え、海外から軽んじられ、ダメが更に加速するのだろう。やはり自民党の終焉の過渡期なのか。終わらせた方がいいかもしれない。 

もっと悪くならないと国民は目覚めないか。 

 

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日航機墜落の件も墓場まで持っていくと宣言して持っていってしまった アメリカの責任も問わず、救助も断り 一体何があったのだろう 他にもいろいろあったなぁ アメリカ製品を買えと首相がテレビでセールスしてたのを思い出す 

 

=+=+=+=+= 

金は墓まで持っていけないからね。頭でわかっていても、その通りの生活ができる人はそうはいない。 

そして、政治家は歴史を学ぶべきだというのも、次の世代に、後の世に何を残せるかを一番の目標にしていたことがわかる。 

自民党総裁候補の中に、中曽根大勲位のような人物はいないな。 

 

=+=+=+=+= 

100歳の時に何かのインタビューを見たが、全然ぼけてなくて普通に話していたのがとても印象的だった。自分の往生も冷静かつはっきり受け止めていたんだろうなと思う。どういう境地だったのだろうか。 

 

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物欲がないのと裏金と無縁なのは、訳が違うと思うが。 

広瀬めぐみと違い、重鎮であれば自分たちの配下も食わさないと(力をつけさせないと)いけない。クリーンと言われた三木武夫だって森コンツェルンの義実家があったからこそ総裁選を戦えたわけであり… 

 

 

=+=+=+=+= 

角栄ほど自分にカネを使わなかったのは 

事実だろうが、 

総理になるために野心を燃やし、 

派閥維持のために大金を 

ボンボン得ていたのは事実。 

 

角栄が総理になるときに、 

総裁選で角栄を支持するかわりに 

角栄から大金を得ていた等、 

数多くの疑惑がある。 

 

=+=+=+=+= 

レーガン大統領を招いた都下日の出町の別荘も借家だったのですかね?死人に口無しとは言え美化し過ぎていませんか?まるで中曽根さんが高潔な政治家だったような記述に違和感どころか嫌悪感を持ちます。経歴も内務官僚とありますが海軍主計大尉か何かだった筈です。風見鶏と表される日和見主義者であり軍国主義者であり好戦的なウヨク思想の持ち主だったと思います。極端な迄に美化する意図が分からない記事ですね。 

 

=+=+=+=+= 

中曽根さん、田中角栄さん。スーパー政治家がいたことを誇りに思う! それに引き換え.... 

平成から令和に掛けて、俺こそが首相だ!って出てくる政治家はいないんかね? グッとくる政治家が日本には必要なんだよ。 

席が空いてるから座るってシステムはやめた方がいい! 

なんだったら、いい政治家がいないって、オープンにして、仮免許付きの総理、とかにしたら良いのに。もしくは(仮)つけるとか。 

そうすりゃ、仮の人だから仕方ないって思えるし。カリスマ現れるまで待ってみてはどうかな 

 

=+=+=+=+= 

物欲はともかく金銭欲が無いと言われても違和感あるけどな。 

自分の家で死んでいく老人のほうが羨ましいと思うね。最晩年に新聞を読んでとかも全く羨ましくない。要するに、次世代に任せろよってこと。趣味のプラモデルを作りながら死んでいったとかのほうがよほどいいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

中曽根康弘という人物を、田中角栄とは対照的に「清貧」であるかのように描かれている事には違和感を覚えました(「清貧」というのは政治家評として必ずしも褒め言葉ではない) 

「塀の上を歩いて内側に落ちたのが田中角栄、外側に落ちたのが中曽根康弘」と現役時代に言われていたほどの人物であるというのに 

 

=+=+=+=+= 

元々の資産も沢山あったのだろうが、 

政治家ってそんなに儲かるものなの? 

 

支払われている給与や退職金でそんな暮らしできないよなぁと多くの国民は思っているはず。 

 

中曽根さんに限らず 

給与以外にどこから何のお金がどれぐらい入るんでしょうね…。 

 

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まさか国産のミサイルが、盆も近い夕焼けの赤外線を反射した「赤い鶴」のマークをホーミングするとは思いもしなかったのかもしれない。 

 

スイスのコーでフランクブックマン氏から学ばれた事の意味を、晩年は理解できたのかも知れませんね。 

 

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自民党を牽引した男達は気概があったし、国を潤う純粋な志しがあったと思いますね。 

しかしながら、今の自民党は、安倍晋三の選挙で勝つためには手段を選ばないカルト教団への執着心が招いたように財を築くための手段が政治だと考えている自民党国会議員を作り出していきましたね。 

何故、為政者達は、先人の良いところだけを踏襲して国民のための政をやらないのか、政治家ではなく政治屋になり下がっている現実に嘆いておられるでしょう。 

 

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比例代表終身1位と引き換えに大勲位菊花大綬章してようやく代議士引退、疑惑に数々名前がでて離党したりもしながらも最期まで名誉を守り101才で幕引き。代わりに犠牲になった方々もいたはずだが、本人の図太さでは田中角栄をも凌ぐタマだわなぁ。 

 

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実はその豪邸は、長嶋茂雄が中曽根に月額40万円の家賃で貸していた借家だったという逸話も、政界で知られたところである。政治家たるもの、持ち家に住むべきではないという信念を貫いてきたという。 

☞月額40万円 どこのお金で支払っていたの?持ち家とか借家とかは関係ないやん。 

 

 

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真実は墓場に持っていく、か。 

無欲で質素といいつつ、怪しさ満点の政治家だったな。 

日本航空墜落事件の対応、プラザ合意等々で日本経済失墜→バブル崩壊、ロンヤス関係の日米同盟といいつつ、全然対等でなくその実ずっとアメリカのために働いてたんじゃないの? 

それを墓場に持っていくんだろうね。 

全然カッコよくないよ。 

大勲位もアメリカの意向が与えられたんだろね。 

 

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政治家たるもの、持ち家に住むべきではないという信念を貫いてきたという。 

↑ 

でも月40万もする豪邸に住んでたからね。 

団地に住んでいたのなら素直に尊敬できるんだけど。 

 

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普通に会社組織に属し、そこそこ真面目にやってきましたし、税金だってたんまりと抜かれてきましたが何とか家も持て、子供も二人育ちました。 

こんな僕は、老後が不安でなりません。 

日本はそんな国なんですよね。自分で蓄えなかったからお前は老いて貧しくして死ねと言われているのだろうね。 

政治家や役人は安泰なのかもしれませんが。 

 

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中曽根さんと言ったら真っ先に思い出すのは「憲法改正の歌」。 

マッカーサーによる押し付け憲法を早く返上しよう、、的な立派な歌だったのに、、。日本人として、政治家として、最初はそんな立派な志がありながら、どんなに頑張ってもそれが叶わぬ現実、日本の姿、を右派として考えさせられました。 

 

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功罪相中ばダネ 

原発を、日本に導入したのは、中曽根だ。 

まぁ、それによって経済発展を遂げた側面は 

否定できない。 

然し、火山国である日本が、本来はそれらの資源を有効活用出来る技術がありながら、片隅に追いやられ、核の廃棄場所も定まらぬまま強引に日本列島に配置され未曾有の事故に繋がった元凶は、中曽根にある。 

 

地震国である日本に設置された原発事故は、起こるべくして起こった、之からも起こらないなどと誰が断言できるだろうか? 

イケイケドンドンで、導入設置した原発の事故を、中曽根はどう見たのか聞きたかった。 

 

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流石ですね、晩節をまっとうした。とでも申しましょうか? 

ただ、小泉純一郎総理に引退を言い渡されても未練がましく東京ブロック比例一位を終身保障されると党との約束があると、議席にしがみついたことも事実です。 

宮沢熹一さんでしたか、同様に小泉純一郎総理に言われてあっさりと、総理総裁が言われることです。総理総裁に泥を塗る様な真似は出来ませんな、と引退されました。 

麻生さんも菅さんも自から、引退されたらと申し上げたいですが? 

野中広務さんのような頑とした反戦論者でもありませんし、菅さんは安倍さんの下で集団的自衛権の限定的にも行使可能にした中心人物ですから、正直腹の中のわからない人ですね。 

麻生さんは、もういい加減に引退して欲しい。 

 

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老いてなお政治に執着してきた人、という印象がある 

首相から降りた後も何かと口を出してくるので、歴代総理にとっては面倒な人だったらしい 

 

小泉氏が引退をお願いして、やっと口を出すのも止めたようだが、小泉政権は二階氏が権力を掌握するきっかけでもあった 

 

もしかしたら、中曽根氏が口を出さなくなったことで、二階氏がやりたい放題になり、自民内の裏金工作や腐敗も一気に進んだのではないか、という気もしないでもない 

 

まぁ、憶測でしかないのだが 

 

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ひどい記事だな。まるで中曽根康弘が清廉潔白で、田中角栄の方が 

カネにうるさい悪の権化みたいな。実際は真逆でいつ塀の中に入るか 

わからないのが中曽根康弘で、国民のために政治をしていたのが田中角栄 

なんだが。ある事件は中曽根康弘が深く関わっているって知ってますよね。 

具体的に書きませんが。 

 

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幼心に背の高さも含めサミットなどで見劣りのしない総理大臣との印象を受けた人でした。この方の憲法改正私案を見たことがありますが、前文を含め格調高いもので、まさに憂国の士であったかと思います。 

 

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>「真実は墓場まで持っていく」と言い残して目を閉じた。 

 

それも美学なのだろうが、中曽根さんには回顧録を書いてほしかった。 

日本の政治史にとってどれだけの貢献になったろうか。 

歴史を学ばないと国のかじ取りはできないと言っていたからには、自ら歴史を残すことにも力を使ってほしかったな。 

引退後、30年も時間があったのだし。 

 

 

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自民党は金をばらまく議員が偉く成るシステムが昔から有る。日本経済は借金に慣れ揃ってしまい日本人の生活が借金生活に慣れ揃っています。アメリカ経済の負の側面を背負っていますが中国経済も世界経済も同様で世界の政治は賄賂塗れです。世界的インフレで乗り切るしか無いですが日本政治は変わらないといけません。世襲議員や政治献金パーティー議員などなどは消さないとブーメランで国民に跳ね返ります。 

 

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政治家の給与自体は安くはないが、超のつく高級老人ホームに入れるほどでもない気が。清貧で金や持ち物に興味がなかったというが、給料以外に入ってくる金があったのだろうね。 

 

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あの病院さんとは、昔勤めた会社で開業時から業者として新規取引に当たり、お付き合いさせて頂いたことを思い出す。そして、今の会社でも取引させて頂いているのはきっとご縁というもの。 

先日は美しい花に囲まれた、隣の素晴らしい施設も堪能させて頂いた。 

大勲位がいらしたとは今の今まで知らなかった。無知であった。 

 

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「ボロボロの財布」「借家」だけに照準を当てればずいぶん偉い人だったんだなあ、と思う反面共感はできない、むしろ許し難い部分もあり 

それと比較して田んぼの中にスーツ姿の長靴で入って行って、桑で田んぼを耕していたあの田中角栄さんのほうがよっぽど偉かったような 

・・。 

 

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総理大臣って100%正しいとは絶対に評価されない厳しい職業。アンチや政治がわからない層が政局を荒らしたいマスコミに扇動されて袋叩きにするのが大きいが。 

中曽根さんもまた功罪あった大政治家だったのは間違いない。 

 

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風見鶏と揶揄されるレベルの風見鶏でしたね。 

強い人に鞍替えイメージ 

米国の犬的なイメージ。ナベツネと共にスパイっぽいよね。 

統一教会と連帯したりも、米国の指示なんじゃ無いでしょうかね? 

靖国に参拝する事で、気骨を感じたけど。 

エラくなる為にここまでするのかと 

 

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共感できるかどうかは別として、やりたいこと、志のある政治家だったと思う。 

 

今は何がやりたいのかわからない政治家ばかり。「良い国にしたい」と言うが目標とすべき国家像がない。色んな問題を前に右往左往、応急措置をするだけで、すぐに破れる継ぎはぎだらけの国になってしまった。 

 

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自分は50代で、この人より前の総理大臣は、名前以外ほとんど知らない。 

中曽根さんは、物心ついた頃の最初の総理大臣だったと思う。 

失脚とかしないで、最後まで上手くやってのけた人だと思う。 

 

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明治36年生まれで95歳で大往生した叩き上げの労働者だった祖父が、中曽根は本当の首相だ、と褒めてました。大局を見据え国益を第一に自身の信念に従って全うされた生涯だったと思います。 

 

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老衰の人が「真実は墓場まで持っていく」と言い残すわけがない 

意識は朦朧としていて意味不明のうわ言は有ってもそれは 

死ぬ間際の人に対する礼儀みたいなもの 

 

 

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国民主権の国であり、政は国民のものであるから、 

政治の秘密を墓場まで持っていくことは、全く美談ではないだろう。 

数10年後でもいいから、しっかり公開・共有されるべきものだわな。 

 

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大勲位中曽根康弘さんは渡邉恒雄読売新聞主筆と並んで東京ドームバックネット裏で野球観戦する姿が良くテレビ中継に写ってましたねぇ。 

 

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中曽根元総理いわく、オイルショックに端を発した諸外国からの石油確保に奔走していた時は、米国からのプレッシャーが相当あったそうですね。 

 

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随分美談だ。大抵この手の話が出ると必ず何処かが暴露記事か本の準備をしているものだ。 

瓶卜斎な実態は、奥さんが嫌っている外部の女へ全額貢いでいたからではないのか? だから尚更奥さんは怒髪天だったのかも? 本来は奥さんや孫に渡すべきお金を全て外部の女へ渡していたからなのでは? 

 

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中曽根なんか策士なのだから、借家やボロ財布などただのパフォーマンスだろう。それよりも日航機事故のことを含め、どれだけの悪行を墓場まで持っていったことか。 

 

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アラフィフだから、記憶に残る最初の総理大臣が中曽根康弘さん。長期政権だったし。 

今の政治家に比べて迫力があると感じるが、年齢的な差なのかもしれない。 

 

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大勲位、いつの時代の話だろうか。天皇は象徴。象徴から勲章を授かるという制度自体、主権在民たる憲法との整合性は図れているのだろうか。 

 

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息子の中曽根弘文は、高崎で生まれたが、その後は小学校からずっと東京で育ち就職して、選挙区の群馬で暮らしたことはほぼ無いのに、この父親の地盤があるから、世襲で国会議員になれている。 

 

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お金のスキャンダルをうまく切り抜けましたが、お金に頓着がないとは思いません。決して田中角栄とライバルではない。人間の大きさがまるで違う。中曽根さんから従米が酷くなりました。 

 

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裏金や賄賂、角栄さん、中曽根さんもやつてましたが、角栄さんは日本を高度経済成長させました。中曽根さんは内需拡大でバブル経済期を築き、当時の国民を豊かにさせました。岸田さんはじめ、現役議員は私利、私欲だけて国民をますます貧乏にしている。 

 

 

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中曽根は日本で一般人が貰える大勲位菊花賞を貰ってるしな、あだ名が大勲位で政治家としては成功して大往生した人でしょうね。 

 

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死ぬほど贅沢な生活もしてたんだろうが、何十年経ってもアメリカで日本の首相は?と聞くと必ず中曽根!と名前が出て来てたあたり、やはり影響力のある方だったんだろうなと思う。 

良かったか悪かったかは当時幼子でしたから分かりませんが。 

 

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借家と言っても40万。妾がいっぱい。料亭に出入り。高級病院に入って面倒見てもらい。その金はどこから出ているかってことだよ。 

 

裏金、官房機密費流用とかなんだろうな。 

 

世襲が出て来て、素晴らしいと言われてもな。 

 

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国鉄つぶして、JRを作った男。線路はなくさないなんていいながらJR北海道の路線図はスッカスカになってしまった。東海の葛西といい未来予測がうまくいかなかったな。 

 

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戦地を経験したり、戦後の荒れた時期を生き抜いて政治家になった方たちは、志を持って日本を立て直す気概があり、そのためには手段は選ばないって感じ。今は与野党ともに私利私欲がバッジ付け歩いてる感じ 

 

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なにか怪しいこと掴んでも借家に家宅捜索入るには大家さんの許可いるんでないの? 病院に入っている患者の身柄を拘束して引きずり出すのもアウトだよね? 

まあ世の中にはきちんとそれを弁えて生きている雲上人も多いよね。 

 

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101歳まで私達の税金で政治家してたんだよ 

本当に政治家としての活動してたのなら 

凄いけどさ 

なわけないでしょ! 

二階氏見ても思うけど国民からしたら 

迷惑なだけだよ! 

間違った古い感覚で政治やられると 

国民が被害を被るから 

書籍に数十億円?説明もしないし 

反省もしてない 

 

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◯時代とともに人は変わる。評価も? 

この方の名を聞くと、今年喜寿になる私にとっては『風見鶏』とあだ名がついていた政治家だったせいか、決して重みがあった方には思えないのです。 

でも百寿、センタナニアン達成。己れを間違いなく律することに長けておられたのでしょう。 

 

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久米宏がTVタックルで中曽根さんの風見鶏ぶりをさんざんイジってたけど、処世術に長けた人だったんだな。 

戦争を生き抜いた人は生命力が強いですね。 

 

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日航機墜落事故の真実を墓場まで持って行くということですね。今森永さんが頑張って本にしてますね。 

 

 

 
 

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