( 207478 ) 2024/09/01 16:36:50 0 00 内閣総理大臣としての通算在職日数は1806日だった(Photo: Getty Images)
気鋭のノンフィクションライター・甚野博則氏の新刊『ルポ 超高級老人ホーム』が話題だ。富裕層の聖域に踏み込んだ同書では、選ばれし者のみが入居する「終の棲家」を徹底取材している。同書の発売を記念した本稿では、当代随一のノンフィクション作家・森功氏が、日本を代表する超大物たちの最晩年の姿に迫る。第1回は、101歳で大往生を遂げた中曽根康弘元首相の、大物すぎる晩年の姿について寄稿いただいた。(取材・文:森功、構成:ダイヤモンド社書籍編集局)
● 借家暮らしの「風見鶏」
1918(大正7)年5月27日、群馬県に生まれた中曽根康弘は、元号が令和に改まったばかりの2019(令和元)年11月29日に物故した。享年102(満101歳)、老衰だった。大正、昭和、平成、令和の4つの元号を生きた唯一の内閣総理大臣である。
幼少期、住み込みの女中が20人もいたという大きな材木商の長男として育った中曽根は、戦中の内務官僚から戦後に国会議員となり、没するまで東京・世田谷区上北沢の豪邸に住んだ。
実はその豪邸は、長嶋茂雄が中曽根に月額40万円の家賃で貸していた借家だったという逸話も、政界で知られたところである。政治家たるもの、持ち家に住むべきではないという信念を貫いてきたという。
1980年代の行政改革を率いた中曽根は、国鉄民営化をはじめとする欧米の新自由主義を政策に取り入れた先駆者である。
英首相のマーガレット・サッチャーや米大統領のロナルド・レーガンと気脈を通じ、米首相補佐官のヘンリー・キッシンジャーの盟友とされた中曽根は、日本の姿を変えたといっていい。
反面、現在の「政治とカネ」の原点とされるリクルート事件で東京地検特捜部の本丸と目されただけでなく、ロッキード事件でもその名が取り沙汰されてもいた。
● ナベツネ肝煎りの 「超高級シニア向け病院」
その中曽根康弘は大勲位として優雅な終末を迎えている。夫人の蔦子は地質学者・小林儀一郎の3女である。
中曽根の晩年について、信頼してきたブレーンの1人に聞いた。
「奥様も91歳まで長生きしました。中曽根先生は盟友である読売グループのナベツネさんに頼んで蔦子さんを『慶友病院』に入れ、夫婦ともに最期をそこで迎えました」
正式名称「よみうりランド慶友病院」は、読売新聞社主渡辺恒雄の肝煎りで2005(平成17)年4月1日、東京・稲城市に開設された。
施設は延べ床面積4534坪の6階建てで、198室(240ベッド)ある。入居者はゆったりとした部屋で過ごし、3269坪の広大な敷地を散歩する。文字どおりの高級老人医療施設である。多くの政財界の重鎮やその家族がこの「終の棲家」で終末を迎えてきた。
● 元首相を取り巻く「女」たち
先のブレーンはこうも明かした。
「晩年の蔦子さんは、秘書の太田英子さんをはじめ、中曽根先生の女性関係に焼きもちを焼いて大変でした。上品な方ですから決して露骨な物言いはしません。けれど、ことあるごとに『主人はすっかり太田さんにお世話になっているのよ』と皮肉っぽい愚痴をよく聞かされました。
中曽根先生はほかにも赤坂の料亭『金龍』の仲居さんなんかを可愛がっていて、蔦子さんは亡くなるまで彼女たちに嫉妬していました」
中曽根より3歳若い蔦子は2012(平成24)年11月7日に死去し、青山葬儀所で告別式がおこなわれた。
一方、夫君の中曽根は90代半ばにしてまだまだ壮健だったようだ。ブレーン氏が続ける。
「中曽根先生は95歳までゴルフをしていました。場所はもっぱら茅ヶ崎にある東急電鉄グループの『スリーハンドレッドクラブ』。たいていハーフだけで終わりでした。ゴルフバッグにはアイアンが入ってなく、ぜんぶウッドでした。ボールがグリーンに乗るとOK。健康のためのゴルフですが、中曽根さん専用のカートはフェアウェイまで乗り入れられるのでそれほど歩きませんでしたね」
親しい財界人を囲む5月27日の誕生日会は99歳まで続いた。
「96歳の誕生日会まで、場所は築地の吉兆でした。そのあとは吉兆の料理人が東麻布に寿司屋を開いたので、そこに場所を変えました。99歳が最後の誕生日会でした。そこから具合が悪くなって入退院を繰り返すようになりました」(参加者の一人)
● ボロ財布にクチャクチャのお札
孫の衆議院議員、中曽根康隆に尋ねた。
「私が2017年の総選挙で初当選したとき、『歴史を学ばなければ国の舵取りはできない』と諭された言葉が印象に残っています」
祖父の最期についてこう振り返った。
「祖父は慶友病院で亡くなりました。すでに101歳でしたから、どこが悪いというわけではなく、老衰です。ふた月ほど入院したでしょうか。亡くなる1週間前に見舞いに行くと、新聞を読みながら黒マジックで気になる記事に線を引いていました。日本の行く末を憂いながら亡くなったのでしょう」
数々の汚職事件でその名が浮上した中曽根は、「政治とカネ」にどうかかわっていたのか。
「私はまだ幼かったので政治資金にかかわることについてはわかりませんが、孫個人として祖父を見た場合、金銭はおろかまったく物欲のない人でした。身に着けているものも安物ばかりで、いつもボロボロの財布にクチャクチャのお札が入っていた。病室は個室でしたけれど、ベッドと机、ユニットバスがある程度で、それほど広くもありません。映画に出てくるような豪華な特別室などでもなく、祖父はそれを望んでもいなかったと思います」
中曽根は同じ歳で当選同期の田中角栄とライバル視され続けてきた。こと金銭への執着という点では、角栄と好対照だったようだ。
「真実は墓場まで持っていく」と言い残して目を閉じた。(敬称略)
森 功(もり・いさお) 1961年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、「週刊新潮」編集部などを経て、2003年に独立。2008年、2009年に2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。2018年には『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞受賞。『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』(講談社)、『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』(文藝春秋)、『国商 最後のフィクサー葛西敬之』(講談社)など著書多数。
森 功
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