( 209540 ) 2024/09/07 16:32:39 2 00 出撃後ほぼ「全滅」日本海軍潜水艦の最大欠点、攻撃をかわす長時間潜行が可能な空調があったら東洋経済オンライン 9/7(土) 9:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/663c53d866d133faa2e47e0f0e74991c4b0bf3dd |
( 209543 ) 2024/09/07 16:32:39 0 00 日本海軍の潜水艦「伊58」。終戦まで生き残った数少ない潜水艦だ(写真・時事)
太平洋戦争で日本海軍は壊滅するまで戦った。軍艦大和、武蔵以下の艦隊戦力や航空部隊は、すり切れるまで戦い終戦を迎えた。
中でも、潜水艦はことごとくが沈む結果となった。合計174隻のうち131隻が沈没している。生き残った43隻も多くは終戦直前の完成であり未出撃である。つまり作戦に参加した潜水艦は、ほぼ沈んだのである。
なぜ、日本潜水艦はこれほどまでの数が沈んだのか。
その最大の原因は、空調不備である。日本潜水艦も潜航していれば、アメリカ駆逐艦の攻撃をかわせた。ただ、二酸化炭素除去ほかの能力を欠いており長時間の潜航はできず、2日目には浮上しなければならなかった。そこを沈められてしまったのである。
■潜水艦作戦の失敗
日本の潜水艦作戦はなぜうまくいかなかったのか。その原因はすでに尽くされている。
なによりも、潜水艦を戦略用途に使わなかったことである。本来ならアメリカ沿岸などへの後方撹乱に投入すべきだった。そうすればアメリカ海軍は、後方防衛をせざるをえなくなる。戦力分散を強要できたのだ。
しかし、日本海軍はそれをせずアメリカ艦隊攻撃といった目先の作戦に投入してしまった。
また、整備方針も誤っていた。航空機搭載型や水上高速型といった手間がかかる潜水艦ばかりを作った。しかも、開戦以降だけでも合計15形式も建造する多品種少数生産の非効率であった。
そして、作戦指揮も不適切であった。潜水艦は自由に行動させるのが一番よい。それにもかかわらず、日本海軍はよく命令や指図をしていた。しかも、そのために潜水艦との通信はひんぱんにせざるをえず、よく逆探知で概略位置をあばかれてしまった。
そのうえで、英米の技術に圧倒された。日本潜水艦は、逆探知器材や暗号解析で概略位置をつかまれ、浮上移動中の状態を駆逐艦や飛行機のレーダーで発見され、潜航しても駆逐艦の音響探知機ソーナーや航空機の磁気探知装置で捕捉され、爆雷や対潜爆弾の攻撃を受けて沈んだのである。
これは50年前に、鳥巣建之助さんという方がまとめている。元潜水艦部隊の参謀として、海上自衛隊OBなどが加入している「水交会」の会誌『水交』などで、日本潜水艦作戦の失敗について書き尽くされている。
現在において、これは海上自衛隊における反面教師でもある。潜水艦は敵国の後方撹乱と戦力分散の強要に用いる。整備方針もそれに最適化させている。活動も艦長一任とする。これはすべて日本海軍の失敗を踏まえた方針である。
■潜航こそ最大の防御
ただし、どちらかといえば日本潜水艦が活躍できなかった原因を述べたにすぎない。日本潜水艦は戦果を挙げられなかった。対してアメリカ側は日本潜水艦をよく攻撃できた。それを説明する材料でしかない。
潜水艦のことごとくが沈んだ理由からは、実はやや離れた説明だ。いずれも日本潜水艦がアメリカ海軍の攻撃をかわせなかった、逃げ切れなかった理由でもないからである。
では、その理由はなにか。
それは、潜航状態を長く続けられなかったためだ。水中活動時間が短すぎたため、アメリカの駆逐艦や航空部隊の攻撃をかわし続け、逃れ切るまでには至らなかった。
潜航すれば、日本潜水艦でもアメリカ海軍の攻撃は回避できた。浮上状態で見つかっても、攻撃を受ける前に潜ってしまえば簡単には沈められなかった。
今でもそうだが、ソーナーには確実性はない。当時、水中にいる潜水艦の発見は今でいうアクティブ方式のソーナーに頼っていた。駆逐艦から音を出し潜水艦から反射して戻るのを探知するやり方である。ただ、原理的に探知不能の状態も発生する。また当時の技術水準から探知距離もあまり長くはなかった。
しかも、午後には利きが悪くなった。理論の説明は省くが、昼間の日差しにより海水温が上昇するためである。
海表面から始まる温度上昇がソーナーの深さまで達すると、潜水艦は探知できなくなる。当時の駆逐艦は、午後になるとそのような状態に達した。
潜水艦の騒音探知も容易ではない。駆逐艦は聴音機、今でいうパッシブ式ソーナーも装備していた。ただ、当時の駆逐艦は小さいため聴音機と騒音源の距離は取れない。駆逐艦自身のエンジンやスクリュー音で聞こえなくなる事態が生じていたのだ。
そのうえ、どちらの方法も潜水艦が冷水層に入り込むとお手上げである。ほどんどの条件で、音響は温度変化層を通過できない。駆逐艦からの捜索音波は潜水艦には届かないし、潜水艦側の騒音も駆逐艦には届かなくなるのである。
攻撃の成功率も低かった。
基本となる爆雷攻撃は面倒であり、不確実でもあった。3分後に潜水艦がいる場所を推測し、そのわずかに先に駆逐艦を移動させ、そのうえで爆雷を投下する必要がある。
さらに、その将来位置の推測もいまひとつであり、投下する爆雷の弾道や沈下速度にもブレがあった。いきおい、攻撃は不確かとなるため1度や2度の攻撃では潜水艦は沈められなかった。
潜水艦も攻撃回避に努めた。針路の急変更や加減速で将来位置を変化させれば、照準を外せた。爆雷も水圧設定爆発なら深度変更でかわせる可能性もあった。
連続攻撃もできなかった。爆雷攻撃のあとには潜水艦は探知不能となるからである。爆発で生じる水泡と残響の影響からソーナー探知や雑音探知は不可能となり、しばらくの間は再探知や再攻撃はできない。
つまり、潜航さえしていれば潜水艦はそれなりに生き残れたのである。
■2日間の潜航が限界だった
ただ、日本潜水艦の場合は2日間の潜航が限界であった。船体規模によるが20時間から40時間で限界を迎えてしまう。頑張っても50時間を超える潜航はできなかった。
そのため探知や攻撃をかわし続けても、最後には浮上せざるをえなくなる。浮上中に爆雷攻撃を受けて沈む。あるいは浮上後に砲撃や爆撃を受けて沈んだのである。
では、なぜ潜航を続けられなかったのか。
それは、空調機能が貧弱だったためだ。なによりも戦争最末期まで、現実的な二酸化炭素除去ができなかった。艦内の冷房除湿は最後までできていない。そのため短時間で艦内環境は生存限界に達してしまうのである。
これは、名古屋経済大学の中西昌武教授が「厄介な乗り物としての潜水艦(2)」としてまとめている。日本の潜水艦では1時間あたり0.2~0.3%の割合で二酸化炭素濃度が上昇する。そのため、長くとも35時間後には失神濃度の7%に到達する。
その頃には湿度100%のままで室内温度も40度を超えている。そのままでは窒息死、ないし熱中死してしまう。だからアメリカ駆逐艦との砲戦を覚悟のうえで、浮上を選択する旨が説明されている。
■空調さえ完備されていたなら
この空調不備が潜水艦損失にいたる最大の原因である。これは、空調が充実した状態と比較すれば分かりやすい。
空調により長時間の潜水ができたらどうなっただろうか。原始的な水酸化ナトリウム系資材の利用でも、二酸化炭素を除去できた。その際に生じる発熱を含めて冷房除湿で対応できていたとすればどうなっただろうか。
相当数の潜水艦が生き残ることになる。その理由を整理すれば次の3つである。第1に、アメリカの駆逐艦から逃げ切る可能性が高まること。次に、潜水艦乗員のミスも減ること、そして生存数増加によりアメリカの駆逐艦への対応ノウハウの蓄積も進むことである。
第1に、アメリカの駆逐艦から逃げ切る機会が増える。空調により日数2倍となる4日間ほどの潜航ができれば、その可能性は一気に高まる。
繰り返すが、当時の潜水艦は潜航さえしていれば簡単には沈められない。アメリカの駆逐艦を出し抜く機会もありえた。冷水層に入り込めなくとも、ソーナーから逃がれられる可能性もある。
基本的に日本の潜水艦はアメリカの米駆逐艦から遠ざかるが、これは艦尾をソーナーに向ける姿勢であり音響反射面積は最低限となった。つまり見つかりにくくなるのである。仮に見つかって攻撃を受けても攻撃回避はできた。そのようにして午後まで凌げばソーナー探知も難しくなる。
一度、出し抜けば脱出も難しくはない。アメリカの駆逐艦は、最後に探知した地点を中心にして再捜索する。その間に逃亡を図る。吸気筒や潜望鏡はレーダ探知の可能性があるので上げない。逆探知されるので、アンテナを上げての無線通信もしない。
それから2日も経てば逃げ切れる。アメリカの駆逐艦はそれほど長くは居座らない。最後に水中探知してから2日間、50時間も経つと潜水艦であっても100キロメートル近くは移動している。その頃には、見当違いの場所を探している可能性が高い。そう判断して立ち去る。
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( 209542 ) 2024/09/07 16:32:39 1 00 日本海軍の潜水艦は、艦隊決戦の補助兵器として位置付けられており、通商破壊よりも戦闘艦を狙う方針で運用されていました。
一方、現在の日本製潜水艦は世界トップレベルの性能を持ち、原潜よりも静かで無音潜航が可能です。
また、潜水艦に関する議論では、潜水艦攻撃の手段としての爆雷投下に対して、潜水艦から浮上する機雷を発射するアイディアや、乗員数の削減による潜航時間の延長、日本海軍の潜水艦運用の過ちや技術的課題、ソナースペック等が取り上げられています。
さらに、日本の潜水艦の機械精度の低さや音の問題、潜水艦損害率の高さ、潜水艦運用における戦略的誤り、潜水艦の居住性や静粛性、乗員の訓練、潜水艦技術の進化や比較、また潜水艦の潜航時間や機能に関する様々な意見が寄せられています。
総じて、日本の潜水艦運用には改善の余地があったとの指摘や、技術的進歩や運用方法による潜水艦の効果的な活用についての検討が行われています。 | ( 209544 ) 2024/09/07 16:32:39 0 00 =+=+=+=+= 日本海軍の場合、潜水艦を艦隊決戦の補助兵器として位置付けており、基本最後まで改められることがなかった。ドイツを含め、連合国は通商破壊の為に潜水艦を多用し大きな戦果を挙げていたが、日本の場合は飽くまで戦闘艦狙いであり、後半になり輸送船などを攻撃するようになったものの、艦長たちは非武装の艦を沈めるのを嫌がったとか。技術的な問題もさることながら、運用を巡る基本的な違いが招いた結果だと言えるだろう。
=+=+=+=+= 昔はさておき、現在の日本製潜水艦は世界トップレベルです。特長は原潜よりも静かで無音潜航が可能、発見は困難でしょう。また、2週間は潜っていられるというので、日本領海と周辺海域での作戦展開は難しくない。今般、憲法が見直されて、反撃能力を有すれば、敵国沿岸に近づき、ピンポイントでミサイル攻撃することも可能。防衛強化の要として活躍が期待されます。
=+=+=+=+= 今まで疑問に思っていた事だが、駆逐艦などが潜水艦攻撃の手段として爆雷を使用していた。 駆逐艦が投射器や自由落下で爆雷を投下し、潜水艦の行動水深まで爆雷を落とす。 この逆で、潜水艦から浮く方向の機雷を発射する事はできなかったのだろうか? 魚雷発射管の中に浮力を持つ機雷を装填し、空気圧で射出すると、機雷は勝手に浮いて行く。 相手駆逐艦は潜水艦を沈めるために(爆雷を投下するために)、潜水艦の上方を必ず通過するから、浮上する機雷に触れる機会は高いと考えられる。 こんな武器、無かったのかな?
=+=+=+=+= アメリカの潜水艦は日本の潜水艦に比べて潜航時間は長かったのだろうか。日米の技術的な比較がされてないので、日本の潜水艦に現実的な改善余地があったにも関わらずそれを怠ったのかどうかがわからない。 先進国ドイツのUボートと比較するとどうだったかも知りたかった。ドイツ技師は日本の潜水艦をドラムを叩いているようだ、と評しましたが、静粛性以外は評価してた気がします。
=+=+=+=+= 潜水艦乗員数が多すぎる。乗員数が半分になれば、潜航可能時間は倍になると思います。飛行機と大砲を降ろすだけでも、乗員数と積載貨物重量は減る。乗員数が半分になれば、酸素消費量も半分になる。潜航可能時間は延びるし、搭載魚雷数も増える。運用可能な潜水艦数は倍になり、戦没時の犠牲も減る。
=+=+=+=+= 確かに日本の潜水艦は長時間潜水ができなかった事も有るが、海軍の潜水艦の用法も間違っていた。 艦隊決戦の補助兵力的な運用を図り、潜水艦の特徴を活かしきれなかった。 開戦当初、日本の潜水艦は米国沿岸に配備され、民間船舶の撃沈や浮上して敵施設への砲撃で戦果を挙げている。 そのために米国民は非常に恐怖感を覚えた。 もし、日本の潜水艦がドイツのUボートの様に後方撹乱に徹していたら、それなりの戦果はあげられたでしょう。
=+=+=+=+= 日本軍の兵器や性能に関しては、ある程度の年齢に達すると異常とも言えるバランスの悪さや酷さが解って来る。それは今の時代の感覚に限らず、時代を通して異常としか言いようがない。無知な国民を洗脳したこそ成立できた部分が大半で、実は日本人が最大の兵器だったと言える。調べれば調べる程、とんでもない話ばかりで人命軽視どころでは無い。言葉悪いが「他力本願でタチの悪い遊び(悪ノリ)」をしていたとしか言いようがなく、政治の失敗で多くの犠牲者を出したがホント敗戦して良かったと心底思う。
=+=+=+=+= 同年代に進水した米独の潜水艦には空調はあったのだろうか?冷水域の多い大西洋の沿岸なら冷房はいらないかもしれないが太平洋戦役ではあった方がいいかもしれない当時の触媒であったアンモニアを密閉空間で使うということはリスクも多い、当時の他海軍の冷房状況を説明してくれないと(最低でも米海軍)論点が見えてこない
=+=+=+=+= とにかく当時の日本海軍の潜水艦は五月蠅かったようですね。 手元の資料には「太鼓を叩きながら潜水している」と表現されています。
記事にもあるように船内の居住環境は劣悪で、その中で何十日も連続勤務を強いられる乗組員たちは生還できても、基地や潜水母艦のラッタルが登れないほど疲弊してしまうとあります。
今でも潜水艦が出航が決まると、乗員は大量のファブリーズを買い込んで乗船します。基地近くの雑貨屋はそれを見て、潜水艦隊の出撃が近いと察するとのことです。
昔も今も潜水艦勤務は本当に大変なようです。
=+=+=+=+= 帝国陸海軍の最大の過ちは、第一次世界大戦に本格的に参戦しなかったため、時代の流れを読み取れなかった事かと。少ない参戦経験の中で、陸軍は青島要塞攻略戦を最小限の損失で成功させ、捕虜の処遇も世界に誇れるレベルでしたし、海軍は小艦隊を地中海に派遣し、英仏船団をUボートから護衛して感謝される等、五代大国に相応しい実績を上げています。しかし派遣は小規模故に、その後の陸海軍の編成、教育では、あまり参考にされず、日露戦争を引き摺ったまま、第二次世界大戦を迎えました。学ぶ機会に学ばない日本軍の伝統は、未だに日本社会では幅を効かせているようですね。
=+=+=+=+= マリアナ沖海戦は承知日本海軍の惨敗で終わった。 空母と艦載機の消失のイメージの方が強いが日本海軍は同時に潜水艦を大小併せて20隻も損失している。 その主な原因は暗号化解読などにより日本の潜水艦の展開海域を知っていて重点的に哨戒機や艦艇を配置し日本の潜水艦を狩ったかである。 幾ら日本の潜水艦が劣るとはいえ米軍も待ち伏せ受ければ攻撃を受けるまでは敵に気づかず攻撃を未然に防ぐのは厳しい 実際米正規空母ヨークタウン、ワープスは日本海軍の潜水艦の攻撃まで存在を気づかれず撃沈させられた。 流石に大戦後半日本海軍の潜水艦艦長達は自分達の行く先々で敵が待ち構えて居るので暗号解読されていると思い始めた。 上層部にその事を伝えたが真剣に取り合わず終戦時には日本潜水艦隊は壊滅していた。
=+=+=+=+= 人も物も消耗が著しい物量決戦になる空母や戦艦よりも実用的な用途が多い潜水艦や駆逐艦などに力を入れておいた方が良かった。 戦艦も空母も単独では戦えない。後者2つの支えがあって初めて動ける。 日本はシーレーンの維持と通商破壊の過小評価が敗因として大きい。 大軍を扱う大国であるほど兵站の破壊は致命傷に成りかねない。 武器や食料が枯渇することは敵軍以上の強敵です。 日本はそれを味方につけることを怠った。 小国が大国相手にも勝機を見出せる数少ない戦術です。
=+=+=+=+= 米独の潜水艦との比較がされていないから日本の潜水艦の潜航時間が短かったのかはわからないが、そうだったとしてもなぜそうなったのかと考えれば、日本は潜水艦を艦隊決戦の前に漸減作戦で敵主力に打撃を与えるための補助兵器と考えていたからではなかろうか。 そのためには必要なのは長時間の潜航能力ではなく水上を高速で移動して反復攻撃を加える能力と航空機によって広範囲の敵を捕捉する能力となり、長時間潜航する能力は二の次三の次でしょう。
=+=+=+=+= 海自の潜水艦は、そうりゅう型以前はエアコンなどの居住性に配慮して建造された。 しかし、そうりゅう型は、新型の非大気型推進システム(実験艦では全長が10メートル延伸)を導入したが、全長の延伸を2メートルに抑えるため他の設備スペースを削る圧縮艤装が行われた。このことにより、そうりゅう型の居住性は大幅に低下した。新型システムの導入により最大2週間の連続潜水能力も二酸化炭素の問題などが生じた。 これは、次級のたいげい型(リチウム電池装備)でも改善されず、計画中のVLS装備新型潜水艦では二酸化炭素の吸着システムは装備されるが、その他の居住性の改善の構想は聞かない。 米軍原潜は、十分な居住性とクルー制(定員の2倍の乗員を交代で乗船させる)により、長期間の潜水作戦でも、マンパワーを充分に発揮できるように組織されています。 武装や潜水能力も重要だが、乗員のマンパワーを発揮できる居住性が潜水艦の命です。
=+=+=+=+= 往時と今とでは、潜水艦の存在意義は全然違います。海自の潜水艦の任務が「後方撹乱」だというのは本当でしょうか。 機密の多い部分ですが、私は敵性艦船、特にミサイル原潜の追尾と監視が主任務と思っていました。開戦劈頭もっとも危険な敵兵器を「無効化」しなくてはなりませんから。 第二次大戦で、資源や継戦能力で劣勢な海軍が艦隊決戦の方針をとったのは間違いとは言えないと思います。短期戦以外に道は無かったのですから。 それにしても、潜水艦が少数であることには驚きました。ドイツ海軍は1100隻作ってます。(4分の3は喪失)
=+=+=+=+= 当時の潜水艦は、潜航中の空調使用はできません。 潜航中は蓄電池を使用した電動航行となるので、必要最低限の電力消費は抑えるからです。 そうしないと蓄電池が上がって、行動不可能になるからです。 簡単に言うと、「熱い寒いは根性でなんとかなるけど、フネが動かなくなったらお手上げ」だからです。
大戦後期、日本とドイツの潜水艦が相次いで撃沈されました。それは、連合軍の対潜兵器の向上や暗号解読も要因として挙げられますが、一番の理由は「連合軍に執拗に潜水艦を追跡できる体制を得られてしまった」からです。 海・空挙げて日独の潜水艦を何日も追跡できる状況。 それは日独に妨害されることなく、安全に敵潜水艦を何日でも追跡できる戦況。 という事です。 戦局が悪化し、制空権も制海権も連合軍に取られた状況では、いかに日独の潜水艦が奮闘しようとも、返り討ちに会うのは必定という事です。
=+=+=+=+= バッテリー容量の問題もある。潜行中はモーターを使用するわけだが、爆雷攻撃を回避するため水中強速で逃げ回っていると、当時は10時間程度でバッテリーが無くなってしまう性能だった。 そのため、海底に鎮座でもしていれば別だが結局バッテリー充電のために夜間浮上してエンジンを始動する必要があった。
=+=+=+=+= 日本の潜水艦の最大の欠点は機械精度の低さからくる駆動系の騒音だった。1942年から5回実施された遣独潜水艦作戦は日本がアジアのの制海権を持っていた最初の2回は成功した(帰国できたのは1回)が後は全て撃沈されている。最初に伊号潜水艦を迎えたドイツはその騒音から「海中の軍楽隊」と称し到達できた事を奇跡とした。 レーダーの性能が向上した大戦後期には、米駆逐艦はソナーやレーダーで存在を容易に把握し切迫した状況でない時は追尾し、撃沈確認が容易な為浮上航行を始めた途端にレーダー射撃で撃沈する攻撃法を多用した。
=+=+=+=+= 日本の戦争指導のあり方を見ていると、戦略、戦術ともに経験不足であり、その改善は終戦まで行われることがなかった。 指揮命令系統の徹底と言う上位下達の方式をとっており現場の裁量があまりにも光ったこと、上官の命令は絶対で、おかしいなと思っても金ができなかった意見が言えなかったと聞いている。 日本の潜水艦の損耗が激しい事は知っていたが、どのような状況で沈んでいったかっていうのがわからなかったので、とても参考になった記事である。また、コメント欄も、知識を持っておられる方の意見があり、とても参考になりました。
=+=+=+=+= 日本の潜水艦は戦時中、米国からウラジオストックへ向かう輸送船は日ソ中立条約の観点から攻撃できませんでした。多くの物資が日本領海の宗谷海峡(北海道と樺太のあいだ)を通過してロシアに輸送されました。 冬季に宗谷海峡が凍結した際は、北九州の対馬海峡をロシアの旗を付けたアメリカ輸送艦隊が通過してウラジオストクに入港しました。そして、シベリア鉄道で輸送され最前線に届けられました。このとき、日本海軍は一切攻撃してません。これらの軍事物資はソ連軍がドイツと戦争を行う上で重要な役割を果たしました。レンドリース法の太平洋航路は834万トンの軍事物質の輸送に使われ、これは全体の50%を余裕で超えました。 日本は中立船を撃沈する可能性のある輸送船への攻撃を、開戦間もなく止めてます。東京のドイツ大使から強く抗議されたのでインド洋で通商破壊作戦したくらいです。日本のソ連を刺激しないという戦略方針は大きいものでした。
=+=+=+=+= 確かに対日陸海基地の中枢であるハワイ基地と米国本土を絶ちきる輸送船目当てで当初から攻撃していれば、さすがの米国も疲弊しただろうなと思う。でもレーダーが使用されてから発見されやすくなり簡単に浮上出来なくなった。でもそれはドイツのUボートにもいえる事で大戦中末期からの急激な消耗はレーダーによるものだった。Uボートにならって日本の新設潜水艦もシュノーケルを採用したが時すでに遅かった。
=+=+=+=+= 日本海軍の潜水艦運用が時宜に即していなかったのは否定できず、よく言われる散開線問題にしても、作戦中に繰り返される配置変更のための移動中に発見・攻撃される潜水艦が続出したことで潜水艦側から杓子定規な運用はやめてほしいというクレームが出ています。 ただ、対潜水艦戦は大西洋で急激に進歩しており、例えば遣独潜水艦の伊52は「ソノブイで居場所を突き止められ音響ホーミング魚雷で仕留められる」という現代戦並のASWで沈められています。そんな大西洋を突破した日本潜水艦もあるのですから乗員の練度は十分だったでしょうが、その想像を超える技術の進歩があったのです。 レーダーにしても英独が早い時期からドーバー海峡を挟んだ電子戦を繰り広げていたことで急激に進歩しました。 ASWや電子戦、そこでつばぜり合いする状況がなかった日本は「それが無くてはならないもの」だと気付くのが遅れてしまった点は考慮が必要でしょう。
=+=+=+=+= 前に読んだ本に、日本の潜水艦は「潜航できる水雷艇」であった、と書かれてあった。 艦隊決戦に注力するあまり、潜水艦にも敵主力艦を屠る能力を求めた日本は短期決戦で雌雄を決する戦略だったから、通商破壊戦など殆ど念頭になかったと思う。身の丈にあった戦略だったと思う。その意味で、太平洋戦争は日本海軍の能力を超える戦いだったと思う。
=+=+=+=+= 当時の米軍パイロットの記録を拝見したことがある。 日本海軍の潜水艦は複数で散会線を形成しても、各々の距離が同距離で、同緯度経度にいる場合が多く、発見されやすかった。 日本からの無電の受信時刻も定期的であり、その時間に哨戒飛行すれば簡単に発見出来た。
=+=+=+=+= 帝国海軍に限らない。ドイツ海軍のUボートも建造された1,131隻中849隻が撃沈されている。大きな理由はイギリスの存在だ。第一次世界大戦で通商破壊寸前まで追い込まれたイギリスは戦間期にも対潜護衛の研究を怠らず対潜装備の開発や戦時急造の護衛艦の研究を怠らなかった。第二次世界大戦勃発と同時にそれらの護衛艦はUボートと死闘を演じている。加えてアメリカより供与された護衛空母が猛威を奮う。護衛空母ボーグに至っては帝国海軍の遣独潜水艦作戦に従事していた伊号第五十二潜水艦を当時最新鋭の装備、ソノブイを使って撃沈している。帝国海軍の潜水艦が潜水艦という依は可潜艦の域を出る物では無かったのは事実だろう。しかし多少潜航時間が伸びた所で越えられない壁が有ったと思う。
=+=+=+=+= 戦艦大和と同様に、潜水艦も巨艦に拘っていたように思う。 というのが、反攻開始の印として米軍B25爆撃隊による本土空襲(空母から発艦する神業を敢行したドーリットル隊)を受け、大勝続きのはずの当時に面目を丸つぶれにされた帝国海軍は復讐のために大型の伊400号潜水艦を建造し、それに数機の攻撃機を搭載してアメリカ本土をサプライズ急襲する計画に執着していた。 これに加えて陸軍のインパール作戦や陸海軍それぞれが行った航空機による特攻隊など、多数において合理的判断よりも感情(精神主義)優先で貴重な人・物資源を浪費した戦略誤りが度々指摘されている。
=+=+=+=+= 太平洋戦争では、日本の船舶の90%は破壊されています。潜水艦だけ特に沈没率が高い訳ではないです。むしろ一般船舶より潜水艦の方が残存率が高いと思います。
例えばドイツのUボートも同様に沈没しています。残存率は日本とほぼ同じです。 日本の7倍の隻数を生産しているのはすごいです。
ドイツのUボートは第二次大戦で1,131隻が建造され、終戦までに849隻もの損失を出し、全ドイツ軍の他のあらゆる部隊よりも高い死亡率であった。
=+=+=+=+= 当時の米駆逐艦vs日潜水艦のシーンで、米駆逐艦水測員(潜水艦を音響探知する職務)側のレコーディングを聞いたことあるけど。
潜水艦の水中推進音は確かにかなり大きかった。ドラムを叩いているようなものと評した人がいたと思うけど納得。
日本潜水艦の静粛性の低さ、米軍の探知力の高さや対潜爆雷の効果(ヘッジホッグとか)の高さなど、日本潜水艦の被撃沈率の高さには色々要因あるんだろうね。
=+=+=+=+= しかし、短期間で潜水艦を建造して潜水艦隊を実戦投入する、そんな日本の当時の技術力には、多少列強とは劣るところもあったかも知れないですが、凄い事だと思います。 大和建造等を含めて、なぜそんな凄い事が可能になったのか、その頃の日本人の向上心や勤勉さには、世界の中でも類を見ない、想像出来ないくらいの圧倒的決意や良い意味での恐ろしさを感じる。
=+=+=+=+= 空調入れても居住性はよくなるが音や電力の処置や手当てが根本的に苦手だから、日本海軍が空調に力を入れても変わりないような。
アメリカは余裕があったから居住性に力を入れられたのだろうが、日本海軍にとっては居住性向上は潜水艦の本来の目的ではないという考えだろう。 そこは乗員の訓練や忍耐や根性に頼るとして、潜水艦の能力に力を入れるのが本来の姿だから1に攻撃力、2に速度、3に航続力、4に被探知回避、5にレーダー、6に静粛性、7にやっと居住性かな? 攻撃は最大の防御とかのたまわってる内はそれを発揮する為の乗員の事は考えないさ。 攻撃や防御をする為の要素まで考えない、幼稚で感情的な考えだよね。
=+=+=+=+= 潜水艦を通商破壊に使用すべきだった。潜航時間は短かった。まったくその通りであろう。
ただし潜航時間については、特に日本の潜水艦が劣っていた訳ではなく世界中が同じ状況であった。
空気浄化装置についても当時の技術的な限界はあったが、伊号はきちんと備えている。
例えば接敵中は無音航行が必要であり、浄化換気装置を回せない。浄化装置の発熱もある。後にアルカリセルローズを使う方法で解決出来たらしいが、情勢的に時すでに遅かったのかも知れない。
そういった点でこの方の記事は少々一方的で違和感がある
余談だが私の知る限り、帝国海軍の潜航時間記録は伊58が実戦で出した38時間が最長であり、当時の実戦でこれ以上の記録は世界中どこにもない。あったかも知れないが、生きて帰れなかったのだろう。なお伊58では二酸化炭素の問題だけでなく、艦内の気温と気圧上昇も報告されてる。
=+=+=+=+= 潜水艦の潜水時間はいわば作戦時間といえる。 戦闘機とは違って攻撃を身軽に避けられる物ではない。 自衛隊に関して言えば専守防衛を基盤にするため有事の際は敵艦が通ると予測される水路に潜み迎撃するのがセオリーといえる。 なので長時間潜水できる潜水艦は有利。 河野デジタル相が原潜の検討をチラつかせているのはこの様な理由ではないかな。 防衛費が日々重むなかでより効果的な防衛力と判断してるのだろう。
=+=+=+=+= このニュースはタラレバの話しだが、 後の海上自衛隊の潜水艦技術に反面教師として生かされているのはせめてもの慰みです。 同じタラレバの話ですが、 真珠湾攻撃で連合艦隊が第三波攻撃隊の出撃を見送り、 アメリカ海軍の潜水艦基地と多数の潜水艦が無傷で残ったことが、 後々の日本の輸送船団が多数撃沈され補給物資が戦地に届かなかった状態を生み出した。 そして船舶の補修ドッグも無傷で残り、 アメリカ海軍の痛手を負った艦船の早期の戦線復帰に繋がった。 もしあの時に追撃の手を緩めていなければ、 タラレバではありますが戦闘状況は可成り変わっていたと思われます。
=+=+=+=+= 補給のための潜水艦支援を安全に行うための制空・制海をしつつ潜水母艦を差し向けたり、相手の暗号通信を解読したりという困難が伴うので、アメリカ本土やハワイ真珠湾、あるいはオーストラリアと北西太平洋を結ぶアメリカ海軍の補給線を潜水艦で攻撃出来ていたら……あちらの対潜警戒を担う護衛能力の高さでは無理な話か? あと日本潜水艦へのシュノーケルやまともに使える電探装備がもしも可能であれば、というのもあるが。
=+=+=+=+= 日本の軍艦や輸送船団が、米潜水艦の待ち伏せに遭って沈められる確率が高すぎることを疑問に思った人が調べて書いていた記事によると、なんと、几帳面な帝国海軍は予定航路の通過日時&座標を、解読されて何度も痛い目に遭っている暗号電報で各所に報告させていたというのである。
きっと潜水艦についても、こういう報告をさせていた結果、夜間に浮上航行していて待ち伏せに遭い、急襲を受けて沈められたケースが多かったんじゃないですかね。
=+=+=+=+= 眼下の敵という映画で駆逐艦艦長が、一対一なら向こうが有利だと言っていたように潜っている潜水艦を沈めるのは難しい事を思い出しました。
ラストは浮上させての砲撃と体当たりで沈めてます。
浮上中の潜水艦は無防備なのでそこを攻撃するのが確実だったのでしょうね。
=+=+=+=+= この記事に関しては皆さんが指摘しているように偏重した内容になっているのでフェアなジャッジは難しいところがありますね。 日本では自軍の潜水艦に対する評価は低く、従って用兵的にも重要な任務ではなく補助的な任務を想定していたようです。 潜水艦は第一次世界大戦で出現した新兵器ですが、基本的な構造は第二次大戦時点でも変わりはありません。昼間でも潜航する必要がない場合は浮上していたし、夜間は充電の為に浮上していて、戦闘モードの際にいざ潜水となる訳ですね。行動海域による海水温の温度差による違いという説明ですが具体的な水温について述べられていませんが、海水の表面温度は確かに差があると思いますが潜水艦の潜航時の水深での温度は海域差は大きく変わらないと思います。
=+=+=+=+= 対戦中、日本軍の潜水艦はドイツに派遣されている。訪れた日本の潜水艦を見たドイツ軍将校は「信じられない位うるさいな、軍楽隊でも載せているのか?」と皮肉った。 隠密行動が何より大事と考えるドイツ、秘密裏に動き商船等を攻撃する事が役目と。日本考え方は、艦隊決戦の為に長駆行動出来ることが大事との考え。
=+=+=+=+= 潜水艦は相手の脇腹やアキレス腱となる通商破壊に使って、相手の国力を分散させるのが有用なのだけど、日本海軍は艦隊決戦の漸減用兵器として考えたので被害の割に戦果が出なかった。 そもそも艦隊決戦起きなかったから。
一方で今の日本の潜水艦はトップクラスの性能を持つけど、どんな運用を想定しているのだろうね。 有事にはあれで敵の空母等を狙えば良いと考えている人も多いようだけど。
=+=+=+=+= 日本の潜水艦だけが長時間潜航できなかった訳ではない。 むしろ日本の潜水艦は外洋での長期間行動を目的としたため大型であり、航続距離も他国の潜水艦より長く、潜航時の航続距離も米国やドイツのものに比べて劣ってはいない。 艦が大型であるということは艦内の空気容積も大きい訳であって、当然乗組員数にもよるが艦内環境は良くなるのが一般的でもる。 空調設備が貧弱であったのは当時の潜水艦全てにあてはまり、日本海軍潜水艦最大欠点であるとの意見は誤っている。
=+=+=+=+= 零戦も当初は性能の良さで他を圧倒していた様だが少しづつその優位性が失われていった。設計思想は戦闘機の性能第一で搭乗員の命は二の次でシートバックはベニアで出来ていたから撃たれたら命を落とす確率は高かったと聞く。一事が万事で日本軍は人の命を大事にするとか科学的な考え方が薄く精神論で何とかなると思っていたのが大きな間違いだったと思う。
=+=+=+=+= 旧海軍潜水艦の最大の弱点は「騒音」。 現存する構造図を見ればわかるが防振(防音)ゴム架台の類は一切使われていない。 ディーゼルエンジンはともかく電動機も補機も船体構造に直付け。 訪独した潜水艦はその騒音の大きさにドイツ海軍を呆れさせたという。 化学が遅れで耐油性が高く耐圧性も高い「合成ゴム」が作れなかった故。 そもそも幸運でなければ2日も逃げられない。 この「合成ゴム」の問題は潜水艦や対潜艦に限らず広範囲に及ぶ。 Oリングが存在しないから満足な油圧シリンダーも油圧機器も作れない。 当然油圧モータ(トルコン)が作れずまともなブルドーザーも作れなかった。 ところで「爆雷」は調定深度起爆で命中させるものではない。 「ヘッジホッグ」は着発信管(一発が着発すると他の各弾も同時に爆発する)で当たらなければ全弾が起爆せず沈む。 前方投射は画期的だったが短寿命に終わり調定深度起爆式に置き換えられた。
=+=+=+=+= 当時の潜水艦はどの国も可潜型で潜航時間は非常時でなければ2日程度。通常は、昼に潜って、夜に浮上し充電する。ドイツのUボートとて、3/4は沈んでいる。出来の悪い聴音機しかなく、パッシブソナーが無かった日本側は連合国潜水艦を沈められなかった事の方が問題で終戦まで苦しめられる。溶接技術も遅れていて潜水艦でも余り使用していなかったようで、爆雷で船が歪めば海水が入ってくる。日本の潜水艦がドイツに行った際、レーダーを付けて貰ったとかの話があって、色々劣る所はあったと思う、記事のような事ではないと思う。
=+=+=+=+= 長時間潜航できるにこしたことはないが、他国の艦の潜航時間と大差ない事を考えれば、それだけで被害を激減できるとは思えない。やはり、静粛性、耐圧性、探知能力、何よりも運用マネジメントの問題が大きいと思う。
=+=+=+=+= 太平洋と大西洋では広大さの関係でしょうが、排水量半分位の1000 t未満のもので、大尉の潜水艦長により数多く揃えたほうが戦力になったのでは? 思想が固まらぬ時期の特殊潜航艇搭載はまだしも伊400型など、どうして違った方向性に進んでいったのだろう。
=+=+=+=+= 日本野海軍も陸軍も、兵士は世界一優秀だが、指揮官が融通が利かない、応用が効かないと言われている。 技術もそうであり、基礎工業技術レベルは欧米に遅れをとっていたが、決して技術で完全に負けていたわけでは無い。兵器開発を指導する軍人の頭が固すぎるのと、先見の無さ、活用·指導の無さが原因と思われます。 レーダーアンテナ、他国では開発出来なかった酸素魚雷、潜水艦の磁気探知装置(開発着手から1年未満で完成)、逆探知等など、指導者が兵学校等で融通が利かない士官を育ててしまったのも敗因の一つでしょう。そのような中でも優秀な士官も居ましたが····活かしきれていない。
=+=+=+=+= ドイツ潜水艦は複数で敵を囲み あらゆる方向から攻撃をしかける これをウルフパックと呼ぶ かなりの戦果があり ドイツ潜水艦が恐れられた所以です 対して日本は海図を大きくマス目に切って マス目ごとに潜水艦一隻を配置する だがたった一隻ではアメリカ艦隊に敵わない 人知れず撃沈されて終わり 海軍省は潜水艦からの定時連絡が暫く無いと あ〜やられたんだね、 じゃ次の潜水艦を派遣だな と徐々に消耗していく こんなんじゃ勝てる訳ない
だがそんな命令にも粛々と従った兵達には 感謝しかない
=+=+=+=+= 旧日本軍の軍人が書いた失敗の本質などの本でも納得できる敗戦原因が多々見られたが、結局、満足に戦う前に負けるべくして負けたんですよね。
その負けるべくして負けた体質が、戦後の企業風土やスポーツ、教育現場、官僚組織にそのまま受け継がれている所も日本が経済で第二の敗戦をむかえた原因だと思う。
=+=+=+=+= 現在は世界最強に近い潜水艦が開発されており台湾有事には大活躍しよう。 中国海軍は台湾海峡を渡れないだろう。 無論米との協力、加えてウクライナ戦で急激に発達したドローン技術をさらに高度化する必要もあるが。
=+=+=+=+= 艦隊決戦に拘り、通商破壊を軽視したがゆえだろう。マル3計画で建造された大和の予算は1億円。同じ計画で作られた伊10号潜水艦は8万トン以上の撃沈で一位となったが、予算は2000万円と大和1/5 一方大和は呉に係留されたままで、海兵からは「大和ホテル」と揶揄され、坊ノ岬海戦ではわずか10数機の米軍機撃墜しかできていない。5倍の予算使って、数百分の1の戦果しかない
帝国海軍が守旧的というか、日本海海戦の劇的勝利を引きずり続け、陸軍の根性論をバカに出来ないような、艦隊決戦にこだわりつづけた時代遅れな組織であったことをよく表していると思うよ
=+=+=+=+= そもそも潜水艦が輸送艦などではなく、戦闘艦を目標にしていた。 戦争は敵の脆弱な部分を狙って破壊するのが上策であろう。 しかし日本海軍は米国本土から来襲する艦隊を暫減させて日本近海で艦隊決戦する戦略を立てていたので、潜水艦で補助艦艇を沈めるという発想がなかった。 そのため単独での隠密行動と、長距離航行可能な大型潜水艦が主流になり、取り扱いが難しく大きいが、攻撃力の高い酸素魚雷を搭載していた。 ドイツに酸素魚雷の技術提供したが、ドイツは扱いと管理の難しさを理由に採用していない。 また制空権が奪われた海域では、航空機で発見されると執拗に追跡される。 日本もドイツ同様通商破壊に特化して、輸送船団に護衛艦などを割かせ、戦闘艦同志の戦闘を有利な状況に持ち込ませれば、戦局も多少は有利になったかもしれませんね。
=+=+=+=+= 太平洋戦争で日本海軍は壊滅するまで戦った。。。 日本海軍の潜水艦の損耗率は 71%にたいし米海軍は 16% 。ほぼその率で、日本は約1万1,000名が戦死。
しかし全体をみると徴用船員、商船や漁船の犠牲者は酷く、損耗率は陸軍20%、海軍16%のところ、船員は43%(一部推計)にも及びましたぞ。 しかも少年が含まれ、14才から犠牲。 これを決して忘れるべきじゃありません。
=+=+=+=+= あの時代の潜水艦って日本に限らず「可潜艦」でしかないよ。日本が遅れていた訳でも無いし、別に進んでいた訳でも無い。運用思想の違いで多少の差異はあれども、長時間潜航できないのは宿命みたいなモンだったのよ。
むしろ攻撃をかわす為に日本は伊200型みたいな水中速力に特化した化け物みたいな潜水艦を作った訳で、発想の方向性が攻めか守りかの違いでしかない。
=+=+=+=+= 日本の潜水艦にはちゃんと冷房設備がありました。
連続で2日間の潜航が限度なのは当時の潜水艦なら当たり前です。むしろ日本の伊号潜水艦は艦内容積が大きいので、ドイツやアメリカの潜水艦の方が早く潜航継続不可能になった筈です。映画「Uボート」の描写の通りです。
なお、アメリカ潜水艦の主戦場が北大西洋(アメリカ〜イギリス)や日本近海で低水温だったに対し、日本潜水艦の主戦場は赤道付近の高水温海域でした。
日本潜水艦は、米軍に加えて高水温とも戦っていた訳です。
=+=+=+=+= 記事は偏った記事ではないかな。 第二次世界大戦の潜水艦と言えばドイツのUボートが有名ですが、ドイツから日本まで行き来するくらいの性能はあったようですね。満タンで航続距離が20000km/時速30kmほどだったようですが、潜航航続距離は150km/時速15kmと極端に短かったようです。おそらく日本や米国も同様の性能だったのではと思います。 つまり記事のように四日間も潜航できたとしても200km離れる前に止まってしまうということです。 当時の潜水艦は、潜航は攻撃時のみで、通常は浮上航行しながら充電する方式だったと思われます。 日本の潜水艦がやられまくったのは、性能や設備よりも、記事にも記載されているように戦略を理解していない上層部の失策だったと思います。
=+=+=+=+= 私の曽祖父は伊36潜水艦に乗っていたらしく広島の原爆の炸裂を見たという話をよく聞きました 話の中では潜水艦として対艦攻撃は少なく最後の方は回天の発進母艦的な役割だったそうです どうやら幸運艦のようで終戦まで健在していたそうです 戦後もいさむかい(漢字はわかりません)という伊36の同期会みたいなのがあったとよく聞かされました
=+=+=+=+= そもそも漸減邀撃作戦の先鋒を担う役割を持った帝国海軍の潜水艦・・・ 開戦前、戦争中も戦艦や航空母艦を必殺の酸素魚雷で沈める華々しい戦果を期待されていただけに潜水艦の運用方法を間違えていたのが『最大の欠点』でした。 制海権がアメリカ海軍に奪われた以上、潜水艦が活躍できる場は殆ど無かったでしょうね。 尚、遣独潜水艦作戦も5回のうち成功と言えるのは1回のみ・・・ このような使われ方をした以上、潜水艦の損耗率が高いのも仕方ないと思います。 また『海の忍者』とも言われる潜水艦、その潜水艦が敵駆逐艦や潜水艦から攻撃を受けている時点で長時間の潜航が出来たとしても『全滅』は避けられなかったでしょうね・・・ 絶対国防圏の破綻、南方からの資源輸送に失敗した以上、どうあがいても日本の敗戦は決定的でしたし、短期決戦を主眼としていた日本にとって、長期戦を強いられた戦争になった時点で負けだったのだと思います。
=+=+=+=+= この記事は重要な点を見落としてます。 1.日本の潜水艦は防振防音装置が劣っており、簡単に聴音されてしまった。 2.蓄電中の海上航行時に対空、対艦レーダーが無いため、簡単に発見された。 3.潜水艦隊司令部が潜水艦の動きを細かく規制し、航路や哨戒ポイントを読まれていた。
=+=+=+=+= 一部の老朽艦を除けば現在のダイキンが製造した空調(冷却)装置が装備されてますよ。しかも現在と同様のフレオンガスを用いたものです。 旧海軍の潜水艦運用に問題があったことは否定しませんが前提となる事実はきちんと調査してください。
=+=+=+=+= おやおや、相変わらずの文谷氏の論考ですね。 当時のディーゼル推進の潜水艦が長時間潜航ができないのは日本海軍だけでなく米海軍も同じだったでしょう。ドイツではUボートにシュノーケルを装備してこの問題を解決しようとしましたが敵艦艇や航空機から探知・視認される危険性を払拭することはできませんでした。
日本の潜水艦は水上では20ノット前後の高速を発揮することができましたが、水中では蓄電池に頼るほかはなく、最高で8ノット程度、それも長時間では蓄電池が空になってしまうので通常は2~3ノット程度でしたから米対潜艦艇や航空機から逃れるのは難しかったでしょうね。
当時の潜水艦は浮上航行してディーゼル機関を動かすことで蓄電池への充電を行い、艦内の換気を行い、圧縮空気を作って気蓄器に貯める必要がありました。この圧縮空気がないと浮上する際にメインタンクブローができなったからです。
=+=+=+=+= 死ぬと解っていても撤退できなかったのではないだろうか。 靖国神社参拝した後、資料館での記録を読むと日本が撤退を決断できなかったのは硫黄島が落ちれば、本土空爆が容易になることが解っていた。 兵士が投降しないのもおかしい。 つまり、本土攻撃は自分の家族が死ぬ。 自分が撤退したら家族が死ぬかもしれない。 日本は米国と講和の話し合いをずっと続けていた事も事実なら1日でも硫黄島での戦闘を続ければ本土攻撃が遅れる。 目的が時間稼ぎだったのなら無謀な戦闘理由もよく解る。
=+=+=+=+= まず潜水艦の運用の拙さもあった。漸減邀撃作戦の補助戦力で、敵主力艦隊への攻撃ではなく、通商破壊作戦に積極的に投入しなかった。 また、当時のイ号潜水艦等は騒音も大きく、探知性能の上がった米軍には良い的だったみたいですね。
=+=+=+=+= でも、それらの問題をクリアしていたドイツのUボートも1943年あたりからはひどいことになってますよ。 大西洋水域ではエアカバーの整備が大きいけど。 なんにせよ、戦略の誤りは戦術ではカバーできないところへもってきて、戦術まで練れていなかったことはロ100級を襲った悲劇でもわかる。 ちなみに、日本潜水艦の問題としては静粛性が低かったことはよく知られてるけど、2斉射分くらいしか魚雷を積んでなかったのも、使い方を狭めた原因なんよな。
=+=+=+=+= 興味深い記事。 しかし、日本の潜水艦の事情はわかったが、対するアメリカのガトー級潜水艦、もしくはドイツのU・ボートは、どの様な対策を施していたのか、比較がなされていると、なお良かった。 二酸化炭素除去装置なんかも、当時の技術で他国が当たり前に装備していたとしたら、これは日本海軍の一大懈怠という事になる。
=+=+=+=+= 同時期の米国潜水艦やドイツ潜水艦の空調設備がどうだったのか記載がないので、日本の潜水艦の空調能力が当時としては「標準的」だったのか、「脆弱」だったのか、この記事ではワカランですよ。
空調の比較ができなければ、空調が撃沈の要因だったのか、判断できませんね。
=+=+=+=+= ドイツのUボートもかなりの数が撃沈されてますが、それも空調不備のせいでしょうか?
他国の潜水艦との比較が無いので、記事としてはなるほどと思う事は多いけど、理由をひとつに収斂させるほど単純ではないと思う。
艦隊決戦に使ったのは間違いだが。潜水艦が空母を初め大型艦を撃沈したりするのは、どちらかというと例外の戦果。それを真に受けるからおかしな事になる。
今も昔もその海域に居るか居ないか分からない存在。それが潜水艦。
=+=+=+=+= いくら科学技術が優れ進歩していても結局、当時の日本人の古い考え方に問題がある。鬼畜米英、本土決戦、欲しがりません勝つまでは、竹槍持って九十九里浜に集合、気合いでB29を撃破する。精神論は理解できますが、1発の原爆で日本の上層部の目が覚め民主主義になりました。民主主義は素晴らしいのです。今の北朝も米が入り早く民主化去れる事を願う。
=+=+=+=+= 記事の通り長時間潜航出来ないのは不利ですが、日本の潜水艦はバッテリー性能に限界があって、例えば水中で6ノット出せる性能はあっても、実際にはそんな速力を出したらすぐに電池切れするので2ノットが関の山でした。 だからバッテリーの視点からも夜は浮上して充電しないといけなくて、空調なんぞに電力を回す余裕はありません。 そもそも特殊潜航艇とか作る国ですし、遠洋で戦う為の居住性は水上艦も含めて犠牲にして個艦優越を達成するのは、貧乏海軍としては仕方ない気もします。
=+=+=+=+= ことごとく撃沈されたのは何も潜水艦だけではありません!他の艦船も同様です!浮上中にやられたとの見解ですが浮上中に爆雷攻撃は受け難いですよ!
潜航時間が短いのは当時の潜水艦の宿命で性能的に限界がありました。米潜水艦もそれほど長くは潜航出来ません!
=+=+=+=+= 「ああだからこうだった。」と後出しじゃんけんで理由をつけるのは簡単。 懸念事項を事前に予測して事前に対応できる頭脳があるかどうか?のほうがむしろ重要なんじゃないかな。 潜水艦が沈没したのは、空調「だけ」じゃないよ。 「頭脳」で負けていた。
当時のアメリカはMITやハーバードの世界最高の頭脳を使って広範な戦略と開発を行っている。 果ては土木や気象学、流体力学や量子力学、経済活動などさまざまな観点で、日本を分析して対抗できる武器や技術を開発し、大幅にグレードアップさせている。その時の若い科学者の多くがノーベル賞を取っている。
科学技術力と軍事力は相補の関係があって、片方だけでは進歩はしない。今でもアメリカ軍は同じように世界最高の頭脳を使って研究を継続しているが、日本では頭でっかちの大学側から「ノー」をつきつれられているのはご存じのとおり。
=+=+=+=+= 南洋で浮上航行中にあまりにも暑いので規則違反をしてハッチを開けていて、急速潜航訓練で浸水して沈んだとされる艦もあった。電池駆動の潜航中はともかく、エンジン走行中くらいは空調が使える仕様なら、とは思うけど、当時冷房があったのは大和や武蔵くらいだったからね。
=+=+=+=+= 日本軍は人命や乗組員の生活環境は軽視してましたからね 劣悪な環境では能力も発揮できないしミスも起きる 熟練した兵士を育てるには時間も費用もかかる その弊害は大きいが目先の軍備や成果を求めて犠牲にする ロシアなどまさにそうだ 今の日本社会も根本的には変わっていないと思う
=+=+=+=+= 日本潜水艦だけが動力系懸架に防振ゴムが用いられていなかったと聞いたことがあります。 本当なら乗組員が可哀想。たったそれだけのことで外への騒動は相当不利だったろうと容易に想像がつきます。
=+=+=+=+= そもそも日本海軍の潜水艦技術はドイツのUボートを教科書に海軍工廠が作った傑作艦。初期の潜水艦はそこに至らず。当時の技術力と資材調達力では二酸化炭素を排出若しくは浄化する様な高性能な空調(エアコン)を装備するには時間も金も開発する人材も方策も無かっただろう。 今更それを指摘しても致し方無しだね。
=+=+=+=+= そもそも当時の日本の潜水艦で長期潜航できる空調があったとしても全滅してたと思うし何も変わらないと思うけどな
日本も独と同じ様な潜水艦運用すれば良かったとかとか言う方多いけど 日本の潜水艦より遥かに優れていた独Uボート何隻沈んだよ?
そりゃ現代の様な通常動力潜水艦の中でも世界トップクラスの潜水艦が作れたならわからんけどさ
水中速力も遅い、やかましい、長時間潜航不可 で長時間潜航できたところでバッテリー切れるやろ 潜水艦で1番大事なモノ抜け過ぎてる それが当時の日本潜水艦のレベルであるから戦略とか以前の話だと思う
個人的にはあの運用したからこそ 潜水艦による米空母の撃沈に繋がったと思ってるからな
=+=+=+=+= 記事に書いてあることも間違いではないけど… 欠点としては潜行時間の問題よりも騒音の方が圧倒的に致命的な問題。 それで片っ端から発見されてるんだから。 Uボートでさえボコられまくってることを考えれば議論の余地は無いと思うけど。 通商破壊に関しては絶対数が足りなさ過ぎて、 やっても大きな戦果を上げること出来たのかは疑問。
=+=+=+=+= 本件は現在の海上自衛隊の潜水艦にもあてはまる。海上自衛隊の潜水艦は通常動力艦だけであり、原子力潜水艦はない。通常動力艦であれば原子力潜水艦とは異なり、一定時間を越えたら浮上して換気をしなければならない。原子力潜水艦は必要がないと言う者はこのことがわかっていない。
=+=+=+=+= いや、逃げられないよ 対潜作戦は相手の撃沈を確認するまで執拗にやるもの。
大戦中期以降の連合国は、ハンターキラーグループや大型の対潜哨戒機を使って何日でも敵を追い回してる。交代の駆逐艦や哨戒機は潤沢にあるんだから。
空調とかそういう問題じゃないな
=+=+=+=+= まあただ開戦から終戦までの間で戦術が変わりすぎが1番だとおもう。それに日本人の官僚主義では対応出来なかったよ。新兵器にしたってどれだけ技術革新されたか、それらを実現する為にどれだけ理解して基礎技術をあげられるか、なにもかも貧弱な日本では代用代用で低品質やし、発想そのものがなかったりする。
=+=+=+=+= 空調等の艦の性能も有るが やはり運用思想の失敗でしょうね 無理に艦隊行動に随伴させずに インド太平洋に展開して通商破壊に徹すれば もっと戦果は上げられたでしょうね
=+=+=+=+= 自衛隊での進化
大戦中の反省を生かして、現在では日本は原子力を動力としない通常型の潜水艦では世界屈指の性能とその作戦遂行能力があると思います。
世界でも有数のEEZ面積ですので、海上自衛隊、潜水艦が果たす役割は大きいと思います。
=+=+=+=+= 木を見て森を見ずな記事ですね。 爆雷攻撃による損傷でやむなく浮上した例も含めて浮上砲戦で沈んだ艦は損失全体からすればごく僅かでほとんどの艦は水中で沈められてます。 技術的に優れたドイツでも日本と桁違いの艦を建造しながら開戦時から終戦まで前線で戦った艦はほぼ皆無でした。
=+=+=+=+= >海上自衛隊における反面教師でもある。潜水艦は敵国の後方撹乱と戦力分散の強要に用いる
違うでしょ。だって、戦前の海軍は漸減邀撃思想から潜水艦を敵の主力艦の減衰にもちいたのであって(これは数理的には正しい運用)、つまり海上決戦構想がその先にあり、だから海軍なのに膨大な陸上攻撃機を保有していたわけだ
一方、戦後の海自は専守防衛だから日本近海の要所(回廊)で敵艦を待ち構えて迎撃を行う、あるいはシーレーンの偵察に使う。世界有数の哨戒機を保有してるのもそのため。 だいたい、「敵国の後方撹乱」ってなんなん?。日本が敵国籍だろうが国際法違反の民間船舶へ攻撃させようというのかいな。それに現代は便宜置籍船だらけじゃん。 それともイエメンのフーシ派がやってるような、公海上で傭船さえ襲うことが日本にありというのだろうか
=+=+=+=+= 長くロ号に搭乗して居た、親父はインド洋での通商破壊任務が主な戦歴だったらしいが、ドンガラが小さなロ号は日陰者扱いされて居たが、見た目が良いイ号を半分にしてロ号を増やして、もっと輸送船を沈めれば?どれ程味方を助けられたかと潜水艦長以下将校達と話して居たそうだと苦い顔で言って居たが?戦闘艦ばかり狙いたい者ばかりではなかったと思う。
=+=+=+=+= 壊滅するまで戦ったのではなく、陸軍の玉砕が進むにつれ、敗戦になった時に港に軍艦がならんでたら、国民に恥ずかしいのと連合軍に接収されるよりはの考えから、戦闘機の護衛もなく気合いだけの戦法で壊滅させられたのがほんとのところや。大和の沖縄特攻もその時の艦長は無理やできんと断ったんや、それを最後は日本の心としての大和と死んでくれと本音を言われる受託したんやで。 異常な世界や。 人命無視の死ね死ねと命令してた上層部の奴らで、全て私の責任でと裁判でユータやつはおらん。みんな逃げよった。 ただ1人、昭和天皇だけがマッカーサーに全ては私の責任、どーでもしてくれてもよいが国民は守って欲しいといったんや
=+=+=+=+= 何この記事。 蓄電池の関係で連合国でも回避運動しながら潜水したら1日なんて持たん時代やぞ、水中全速回避なら2~3時間がせいぜい。 あと空調が整備されてたのってほぼほぼ米潜水艦だけだったけれども、これとて交戦中は空調切ってた。 人工的な連続音が漏れたら聴音機だけでも潜水艦が近くに居るのはバレバレだし、潜水中の蓄電池の電力は連合軍潜水艦ですらムダに出来んものだった。 着底して全電源切って持たせりゃ別だが、その場合は艦内温度も二酸化炭素濾過設備も日本の潜水艦と一緒やからな。
=+=+=+=+= これは初めて聞いたな。因みに米英独の潜水艦は、どんな空調システムを持っていたのか?文中では紹介されていないので分からないが。或いは、日本と似たようなモノだったけれど、敵の対潜能力(技術/量)自体が低くて探知・攻撃出来なかった、ということか。
=+=+=+=+= 潜航時間が長ければ活躍出来たとか、これでも軍事ライターなのかと言う記事。 騒音の酷さは戦中どころか戦後の艦まで日本の伝統だったから指摘されても仕方がないが、用兵側のパターン化された警戒線への展開が最大の問題ではないか。 仮に一週間潜れ騒音も低下させる事が出来たところで位置を簡単に推測出来たんでは、あの伊52のようにソノブイと音響魚雷で終わり。
=+=+=+=+= 日本海軍潜水艦の騒音が激しかったこと。 科学戦の差 そしてアメリカ海軍が昭和19年初頭、mk32ホーミング魚雷を実戦配備。 ヘッジホッグや爆雷、ホーミング魚雷 日本海軍潜水艦乗組員の恐怖は想像を絶する思いだったでしょうね
=+=+=+=+= アメリカは二次大戦中は潜水艦は1つの型に絞って量産した。また、日本の潜水艦はアメリカやドイツに比べて乗組員の人数がかなり多い。 人数が多いと当然艦内環境の悪化は速くなる。
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