( 210005 )  2024/09/09 01:43:42  
00

野球の「リリーフカー」は本当に必要? プロ野球セパ12球団を徹底検証、知られざる歴史と意外な現状をご存じか

Merkmal 9/8(日) 17:31 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/d7eec13fa4bd20c6a753737272fee577d37d2724

 

( 210006 )  2024/09/09 01:43:42  
00

プロ野球のスタジアムで使われる「リリーフカー」は、救援投手をブルペンからマウンドまで運ぶための車両で、試合の進行をスムーズにするためと救援投手の登板を盛り上げるための役割がある。

日本では1964年に初めて導入され、各球団が独自のリリーフカーを生み出してきた。

1980年代以降はリリーフカーの使用は減少していたが、近年再び注目を集めており、環境問題への意識も高まりつつある。

(要約)

( 210008 )  2024/09/09 01:43:42  
00

リリーフカー。日産自動車の公式X 2024年8月5日分より(画像:日産自動車) 

 

 プロ野球の試合が行われるスタジアムの一部では、「リリーフカー」と呼ばれる車両が使われることがある。これは、ピッチャーが交代する際に、救援投手をブルペンからマウンドまで運ぶための車両だ。 

 

【画像】「え…!」これが60年前の「甲子園球場」です(計13枚) 

 

“スタジアムのモビリティ”であるリリーフカーには、主に 

 

●試合の進行をスムーズにするため 

 スタジアムによっては、ブルペンがマウンドから遠く離れていることがある。野球は「間」を楽しむスポーツだが、投手の移動時間が長くなると試合のテンポが悪くなることがある。特に、ショートリリーフが続く場合は、移動時間が冗長になりがちだ。それを避けるためにリリーフカーが有効に使われる。 

 

●救援投手の登板を盛り上げるため 

 派手に装飾されたリリーフカーで救援投手が登場すると、観客の視線が自然とその車両に集中し、試合の緊張感や期待感が高まる。特に、チームの守護神であるクローザーが登場する際には、その効果が一層際立つ。また、リリーフカーは球場を盛り上げるためにも使用され、エンターテインメント性を高める重要な役割を果たしている。 

 

といった、ふたつの目的がある。 

 

ES CON FIELD HOKKAIDOに導入されたリリーフカー。2023年3月プレスリリースより(画像:ファイターズ スポーツ&エンターテイメント) 

 

 リリーフカーは和製英語であり、米国のMLBでは 

 

・Bullpen Car 

・Bullpen Cart 

 

と呼ばれる。リリーフカーが最初にMLBに初登場したのは1950年、クリーブランド・インディアンス(現・クリーブランド・ガーディアンズ)の本拠地だったクリーブランド・ミュニシパル・スタジアムでのことだとされる。その後、多くのスタジアムでリリーフカーが採用されたが、 

 

「1980年代」 

 

になると姿を消していく。1995年にミルウォーキー・ブルワーズが廃止したのを最後に、MLBでリリーフカーは見られなくなる。しかし、2018年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスがチェイス・フィールドでリリーフカーを復活させ、さらにデトロイト・タイガースやワシントン・ナショナルズが追随したことから、再び注目を集めるようになった。この復活は、リリーフカーの 

 

・ノスタルジックな魅力 

・試合の演出効果 

 

が再評価される機会となった。 

 

 

阪神甲子園球場リリーフカー。2022年3月プレスリリースより(画像:阪神電気鉄道) 

 

 リリーフカーが初めて日本で導入されたのは1964(昭和36)年だ。読売ジャイアンツのV9が始まる前年で、セントラル・リーグの覇者は阪神タイガースだった。 

 

 この年の阪神は、大エース小山正明とのトレードで大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の主砲・山内一弘を獲得。投手陣は村山実とジーン・バッキーが主力で、ショートは吉田義男が守っていた。そんな時代の阪神の本拠地である阪神甲子園球場でリリーフカーが使用されたのである。 

 

 当時、甲子園球場のブルペンは外野にあるラッキーゾーンに設置されており、マウンドまでの距離は約70mと遠かった。そのため、移動時間を短縮し、試合の進行をスムーズにするためにリリーフカーの登場となった。しかし、当初は4輪ではなく2輪で、阪神の関連会社が所有するスクーターが使用された。初めてリリーフカーに乗った投手はバッキーだったと 

される。 

 

 1970年代になるとリリーフカーは多くの球場で導入され、2輪から4輪に変化した。各球場が独自のリリーフカーを生み出していき、1980年代にかけては、チームロゴやマスコットキャラクターが描かれることで視覚的な楽しさが増していった。 

 

・甲子園球場:ビオフェルミン 

・広島市民球場:そごう 

 

のようにスポンサーロゴが入る場合もあった。また、ドライバーに若い女性が起用される流れもあった。リリーフカー自体が球場での演出の一部として扱われるようになり、球団のマスコットキャラクターを乗せるショータイムが設けられるケースもあった。 

 

 1980年代から1990年代にかけて、リリーフカーの主流は簡素なカート型の車両だったが、次第に後部座席のドアが省略された 

 

「オープンカー型」 

 

の自動車へと移行していった。また、企業の環境問題への意識が高まり、電気自動車(EV)の採用が増えていった。その一方で、1980年代以降に続々と誕生した新球場ではブルペンがベンチの近くに設置されることが多くなったため、リリーフカーを使用するスタジアムの数は減少していった。 

 

 

 では、セパ12球団それぞれのリリーフカーとの接点について、検証してみよう。 

 

●阪神タイガース「初のリリーフカー使用球団 

 阪神の本拠地とする阪神甲子園球場は、前述のようにリリーフカーが初めて使用されたスタジアムである。しかし、1992(平成4)年にラッキーゾーンが撤去され、ブルペンがベンチ横に移動したため、リリーフカーの使用はなくなった。ところが、1999年にブルペンがアルプススタンド(外野席と内野席の中間にあるゾーン)の真下に移設されたことによりリリーフカーが復活。ダイハツのミゼットIIのEV仕様が使用された。2011年からは、メルセデス・ベンツがスポンサーとなり、ダイハツ車にメルセデス・ベンツのロゴを施していた時期を経て、系列のスマート・フォーツーのEV仕様が使用されるようになった。復活後は甲子園球場の試合進行を支えるだけではなく、試合後のヒーローインタビューで選手を運ぶなどファンサービスとしての役割も果たすようになった。2022年からは、トヨタのC+podの特別仕様車が新たなリリーフカーとして導入された。 

 

●広島東洋カープ「かつては無線操縦カーを使用 

 現在の本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(新・広島市民球場)は、ブルペンがベンチ裏に設置されているため、救援投手は徒歩でマウンドに移動する。しかし、旧・広島市民球場が本拠地だった時代にはリリーフカーが使用されていた。球団のメインスポンサーは自動車メーカーのマツダであるため、リリーフカーはその技術をアピールする場でもあったのだ。1980年代の広島球場の名物だったのは、投手のみを乗せて走行していた無線操縦タイプのリリーフカーである。その後は、運転手付きのEVにチェンジしている。なお、現在のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にはリリーフカーはないが、マスコットキャラクターのスラィリーが乗る「スラィリーカート」という電動カートが稼働している。 

 

●横浜DeNAベイスターズ「日産のEVを使用中 

 横浜DeNAが本拠地とする横浜スタジアムは、現在でもリリーフカーが用いられる数少ない球場のひとつだ。かつては、“ハマの大魔神”佐々木主浩がリリーフカーに乗って登板する際、盛り上がりは最高潮に達したものである。もともと、大洋ホエールズ時代のホームグラウンドであった川崎球場にはリリーフカーは存在しなかった。しかし、1978(昭和53)年に本拠地となった横浜スタジアムでは、ブルペンが外野スタンドの下に配置されたためリリーフカーがお目見えとなった。これまで使用された車両は、主に地元横浜に拠点を持つ日産自動車の車種が多かった。具体的にはブルーバード、パイクカーとして人気だったBe-1、エスカルゴなどがある。一時期トヨタのMR-Sも使用されていたが、現在は日産のEV・リーフの特別仕様車が使われている。オープンカーで、投手が乗る後部座席が運転席より高く設定されているのが特徴だ。EVの導入は、スタジアムの環境問題への関心の高さを示す役割も果たしている。 

 

 

 次に読売ジャイアンツ、東京ヤクルトスワローズ、中日ドラゴンズについて説明する。 

 

●読売ジャイアンツ「本塁打世界記録の王貞治も運んだ 

 巨人が長らく本拠地としていた後楽園球場では、1970年代前半にリリーフカーが登場。ホンダ・シビックをベースにしたオープンカーが使用されていたとされる。そして、1976(昭和51)年に日本のスタジアムで初めて人工芝が導入されると、日産丸紅製のゴルフ用カートが使用されるようになった。通常、リリーフカーは投手が乗るものだが、1977年9月3日に王貞治がハンク・アーロンの本塁打世界記録を抜いた際には、堀内恒夫が運転するこのリリーフカーに乗ってグラウンドを一周しファンの声援に応えた。その後、1979年から1987年まで使用されたスバル製のリリーフカーは、フロントが野球ボール、リアが野球帽をかたどったエンターテインメント性の高いデザインだった。しかし、1988年に開場された日本初のドーム球場である東京ドームでは、ブルペンがベンチのすぐ後ろに配置されたため、リリーフカーの出番はなくなった。 

 

●東京ヤクルトスワローズ「新球場ではどうなるか? 

 東京ヤクルトは、国鉄スワローズ時代から一貫して明治神宮野球場を本拠地としている。この球場ではリリーフカーが使用されたことがなく、ヤクルト在籍時に通算286セーブを記録した高津臣吾がリリーフカーに乗って登場する場面はなかった。これは、ブルペンが外野側のファウルゾーンに設置されており、リリーフ投手がすぐにマウンドに出られるように配置されているためである。ただし、現在神宮野球場は改築計画が進んでおり、新球場の細部がどのように変わるかについては2024年8月現在未発表である。つまり、新球場でリリーフカーが導入される可能性はゼロではない。 

 

●中日ドラゴンズ「リリーフカー使用歴ナシ 

 日本プロ野球史上最多の通算407セーブを記録した岩瀬仁紀は、本拠地でリリーフカーに乗ることがなかった。1997(平成9)年から中日の本拠地となったナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)では、リリーフカーが使用されていないからである。もともと中日はリリーフカーと縁がない球団であり、以前の本拠地である中日スタヂアムやナゴヤ球場でも未使用だ。また、中日スタヂアムが建設中だった1948年に限り後楽園球場を本拠地としたことがあったが、当時リリーフカーは導入されていなかった。 

 

 

( 210007 )  2024/09/09 01:43:42  
00

このテキストの中では、主に野球のリリーフカーに関するさまざまなエピソードや意見が述べられています。

野球場ごとのリリーフカーの使用状況や球団ごとの特徴、選手達がリリーフカーに乗って登場する様子、リリーフカーに関するノスタルジックな思い出、さらにはリリーフカーについての必要性や効果についての意見まで幅広い内容が含まれています。

 

 

また、リリーフカーに関する個性や特徴、スポンサーとの関係、選手やファンの感情など様々な視点から議論が展開されています。

一部の人はリリーフカーを魅力的なエンターテイメントとして捉えている一方で、必要性や効果に疑問を持つ声もあります。

 

 

(まとめ)

( 210009 )  2024/09/09 01:43:42  
00

=+=+=+=+= 

近鉄は藤井寺球場でリリーフカーを使用しています。 

昭和末期、人工芝になり外野のラッキーゾーンで投球練習をするようになってからリリーフカーを使用し始めました。 

 

1989年巨人との日本シリーズの第7戦、4点ビハインドの6回途中から吉井が登板しましたが 

「なんとか流れを変えたかった」と、外野のラッキーゾーンからリリーフカーに乗らず走ってマウンドへ。 

球場は大盛り上がりでしたが、「走って疲れた」らしく、次打者の中畑に本塁打を浴びました。 

 

ですから「大阪近鉄バファローズは、藤井寺球場、大阪球場、日本生命球場、そして大阪ドーム(京セラドーム大阪)と本拠地を移してきたが、いずれの球場でもリリーフカーを使用していない」 

というのは間違いです。 

 

=+=+=+=+= 

裏から出てくるリリーフカーもいい演出だけど、西武ドームみたいにスタンドからブルペンが丸見えなのも現地観戦では楽しみですよね。 

試合の状況によるブルペンの動きが良く見えて。 先発投手の突如の乱丁で序盤から急ピッチでブルペンが動き出したり、8回くらいに相手チームの絶対的守護神か動き出して絶望感を感じたり。 

肩作りのラスト一球渾身のボールで締めてドリンクを口に一含み、ブルペン陣から拍手やタッチで見送られながらゲートを開けて登場する救援投手のシーンはカッコイイです。 

 

=+=+=+=+= 

甲子園といえば、守護神”山本和之”投手がカブの後ろにに乗って颯爽とマウンドへ上がる姿が目に焼きついている。 

近年はスマートを若い女性が駆ってマウンドに、帰りはバックで車庫入れするのですが、ちょとモタモタしてると敵味方関係なく、レフトポール際のスタンドから「もうちょい右~」など声援が、きっちり入庫できたら歓声と拍手が、熱戦の合間のホッコリする一コマでした・・・。 

 

=+=+=+=+= 

個人的に千葉ロッテのリリーフカーは衝撃的ですね。記事の画像にあるように今はメルセデスがスポンサーになっていますが、前はアウディがリリーフカーを出しましたからね。 

 

普通は横浜みたいに電気自動車といった短距離で使える車が選ばれやすいのに、ロッテのリリーフカーはこれでもかと言うくらいに贅沢な車をリリーフカーに改造しましたよね。 

 

=+=+=+=+= 

記事にもあるようにリリーフカーで選手が入ってくる光景はとてもノスタルジックで好きですね 

 

昔広島市民球場だったと思うのですが、アンテナが一本立った車と言えないような形状の無人の乗り物に選手が腰掛けて入場してくる姿がうっすら記憶にあるのですが、、、未だにちょっと謎の記憶のままです。 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーもそれぞれ個性があって良いけど、クローザーがブルペンから走ってマウンドに向かう姿もカッコよくて好きなんだよなー。レッドソックスが世界一になったときの上原浩治投手なんか何回でも見れる。 

 

=+=+=+=+= 

昔1980年代の阪神タイガースの抑えの投手、リリーフカーがあるにも関わらず乗らずに軽いジョギングでマウンドに走って行った記憶があります 

山本和行投手だったかエモやんだったか記憶がうやむやだけど 

それはそれでカッコ良いと思った小学生時代でした。 

 

=+=+=+=+= 

球場の構造でブルペンが外野席下にある場合はリリーフカーを使った方が早いし、ブルペンカーに広告効果も付けられる。  

 

ブルペンがベンチと繋がっているような球場ならリリーフカーを入れる場所も無いし距離が短く移動手段としても弱い。 

時間も短くなるので広告効果も期待できないから使う理由が無い。 

 

=+=+=+=+= 

後楽園のスバル製リリーフカー 

野球体育博物館(日本野球殿堂)に実物展示されてますよ 

さらに自由に乗れます 

 

あの、名投手達が乗った現物に気軽に乗れるのですから 

オールドファンは一見の価値ありです 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーってスポンサーやステークホルダーの関係性があって導入されるのかな 

ファイターズなんてFビレッジ内にクボタの施設がなければこういう話はなかったはず 

ちなみに勝利したらマスコットやファイターズガールが便乗して場内を回る時にも使う 

 

 

=+=+=+=+= 

甲子園のスクーター二人乗りでショートとセカンドの辺り降りてマウンドに行く光景は懐かしいわ。 

確かにブルペンがベンチ裏の球場が増えて最近はリリーフカーを見る機会は減ったなぁ 

 

=+=+=+=+= 

甲子園では、ラッキーゾーンから、黄色の黒のジャージのおっちゃんが運転するバイク、カブだったかメイトだったかの後ろに乗って山本和さんが出てくるのが定番でした。今見たら、滑稽に見えるです。懐かしい! 

 

=+=+=+=+= 

横浜ではMR-Sが使われていた時期がありましたね。自分が乗っている車だったから、嬉しかったです。オープンカーだからリリーフカーに改造しやすかったのかな? 

後楽園球場のは阪神ファンから「走る金隠し」と揶揄されてました。広島のは「鬼太郎のリモコン下駄」と言われてました。 

達川さんは引退試合でリリーフ投手と一緒にリリーフカーに乗って登場し、大ウケでした。金森さんは野手だったけど、奥さんはリリーフカー嬢でした。 

 

=+=+=+=+= 

後楽園のスバルのリリーフカー懐かしいですね。 

当時、たしか原選手がレオーネのCMに出ていたような。 

子供心にカラフルでカッコいいクルマだなあと思った記憶があります。 

 

=+=+=+=+= 

ロッテの前に使っていたボルボのリリーフカーが近所のヨークマートの駐車場にありました。 

ナンバーは26で助手席のドアもつけられて、マリーンズのロゴが大きくありました。 

 

=+=+=+=+= 

一時期、横浜スタジアムのマスコットガール、 

そのあとのDianaを募集していたとき 

普通免許を持っていることが 

応募条件にありました。 

 

仕事にリリーフカーの運転業務も 

含まれていたから、のようです。 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーに乗って出て来て間違いでそのまま戻っていく珍プレーよくあるな。 

 

あと引退試合で大野と達川が2人一緒に登場のシーンは今見ても泣ける。 

 

=+=+=+=+= 

後楽園球場の頃は投手交代の度にリリーフ投手はブルペンカーに乗ってやってきたが、東京ドームに移ってからリリーフ投手はブルペンから走ってマウンドにやってくるようになった。 

あれを見て 

「なんだ、ブルペンカーなんて本当は必要無いんだ」 

と思った。 

 

=+=+=+=+= 

交代時間の短縮、投手の疲労低減などの理由があるかもしれないが、最近はリリーフカーにスポンサーが入っており収入が期待出来るというのが最大の効果ではないだろうか? 

野球ファンな好きな球団にスポンサーが入っていれば贔屓にするものである。 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーが初めて日本で導入されたのは1964(昭和36)年だ。読売ジャイアンツのV9が始まる前年で、セントラル・リーグの覇者は阪神タイガースだった、ってあるが1964年は昭和39年。 

 

 

=+=+=+=+= 

マリンで、 

登場曲が流れる中、 

外野から走ってくる澤村もかっこいい。 

リリーフカーに乗りながら集中力を高める選手の仕草もいい。 

 

=+=+=+=+= 

ネット上の古い写真にあるが… 

甲子園のリリーフバイクがなかなかいい!!! 

当時からスポンサー名の『ビオフェルミン』が入ってた…!!! 

現代もリリーフバイクでの演出やってもいいと思う…!!! 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーも嫌いじゃないけど、レッドソックス時代の上原がラッキーゾーンのブルペンから小走りでマウンドに向かう姿にはシビれたね。 

 

=+=+=+=+= 

エンタメ自体が衣食住から考えれば不要な仕事なのでリリーフカー云々は枝葉も良いところだと思う。エンタメが必要かどうか問う記事の方が読み応えがありますね。 

 

=+=+=+=+= 

>野球の「リリーフカー」は本当に必要? 

 

と言いながら、要するに球場の構造的にピッチャーを早くマウンドに送るため、としか言いようがない内容。 

ノスタルジーに触れてはいるが、「要・不要」の議論とは関係無い。 

見出しと記事をもう少し一致させてほしい 

 

=+=+=+=+= 

必要ではないし無い方が色々いいと思うけど 

使えるなら良いアトラクションとして有効活用した方が盛り上がるよね 

 

=+=+=+=+= 

宣伝にどんどん使っていいんですよ。 

なんならイニングの合間にマウンドの周辺を掃除機で掃除したりしたらどうかと。 

 

=+=+=+=+= 

巨人時代の新浦投手はリリーフの時、ブルペンからどんな状況かを自分の目で確認しながら、歩いて行くため、リリーフカーを断ってたそうです。 

 

=+=+=+=+= 

1. 昔(40年以上まえ?)。 

  甲子園か、日生球場か(藤井寺じゃ無いと思う)で、カブの後ろに横座りになって救援投手が出てきたことがあったかと。 

2.映画「メジャーリーグ」(1989)の一シーン。 

  ボール型のブルペンカーが町中を走って、選手が元恋人のところに会いに行くシーンがあったかと。」 

 

=+=+=+=+= 

その昔甲子園カブの二人乗り、広島リモコンカー、現在現地観戦だとブルペンがみえることが、良いと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

韓国KBOリーグでは、青宝ピントゥスがリリーフカーに馬車を使った例があるそうです。 

どこかに動画が残ってないかなぁ…と探してみたけど見つからない。 

 

=+=+=+=+= 

後楽園はシビックではなくホンダZでは? 

当時の画像を見ると一塁側は白、三塁側は赤 

に使い分けていたようだ 

 

=+=+=+=+= 

ゴルフカートが最適だと思うがね!芝走行用に作られているし、電動式もあるし!採用しないてはないと思うがな! 

 

=+=+=+=+= 

昔の甲子園のリリーフカー(バイク)は、 

スクータータイプじゃなくてスーパーカブみたいなビジネスバイクだったはず。 

 

=+=+=+=+= 

昔、後楽園のライトポールの下にあったブルペンに1回入ったことあります。ただし乱闘の時はみんなでノンビリと走っていきましたけど… 

 

=+=+=+=+= 

甲子園 ラッキーゾーンから,赤い️バイク。 後ろに手をまわして芝生ギリギリまで、お届け! スター時に少しウイリー 危ない場面も! 

 

=+=+=+=+= 

藤川球児は登場曲のサビ前でマウンドに着くようドライバーに「(出発を)待って」と言うこともあったとか。 

 

=+=+=+=+= 

ヤクルトは過去にリリーフカーを使用してないのに、リリーフカーガールと言えばヤクルト小川GMなのが面白い。 

 

=+=+=+=+= 

多村仁(多村仁志)選手は何でもないところでケガを連発したので、 

守備につく時はリリーフカーで行けとネタにされたことがある。 

 

=+=+=+=+= 

小走りでマウンドに向かうと、心拍数が丁度良いくらい少し上がり、より闘争心が沸きます。 

 

 

=+=+=+=+= 

藤井寺はリリーフカーが、在ったぞ!高柳出巳(近鉄ーロッテ)が、藤井寺球場のリリーフカーの運転手と結婚したし。 

 

=+=+=+=+= 

元広島・巨人の大竹寛は、横浜スタジアムのリリーフカーガール(のちNHK静岡アナウンサー)と結婚した。 

 

=+=+=+=+= 

エスコンのは試合中の負傷で動けない場合、リリーフカーが救急車かわりになります。 

 

去年実際に見ました。 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーが初めて日本で導入されたのは1964(昭和36)年だ。 

↓ 

1964年は(昭和39)年だ!! 

 

=+=+=+=+= 

ナゴヤ球場で目にした「井村屋ようかん」の宣伝がついた車は、グラウンド整備用の軽トラみたいなやつだったっけ? 

 

=+=+=+=+= 

ファミコンの燃えろ︎プロ野球でもピッチャー交代の時はリリーフカーで登場してたな 

 

=+=+=+=+= 

インディアンズのリリーフカーと聞くと、 

映画“メジャーリーグ”を思い出すオッサンです。 

※球場外での使用例 

 

=+=+=+=+= 

バフィリードは試合終了後、2輪車で外野をウロウロしていた記憶がある。 

 

=+=+=+=+= 

西武の金森は、確か阪急のリリーフカーを運転する女性と結婚したはず。 

 

=+=+=+=+= 

スポンサー(車両製造会社)の絡みもあるだろうね。 

広島は親方の車を使わないとマズイだろうねw 

 

 

=+=+=+=+= 

何を長々と。論文のつもりですか。ずっと見てきたが、検証するほどのテーマじゃない。 

 

=+=+=+=+= 

別にリリーフカーにケチつけんでもええやん。 

マウンドまで歩くのが嫌だって言う投手もいるでしょ。 

 

=+=+=+=+= 

やっぱり後楽園のボール️のリリーフカーのイメージが濃いです! 

 

=+=+=+=+= 

千葉ロッテのベンツのリリーフカーは 

12球団いちカッコいい! 

 

=+=+=+=+= 

藤井寺はリリーフカー使用してました 

偽情報はやめてほしい 

 

=+=+=+=+= 

横浜のエスカルゴはなんか強い印象が残ってる 

 

=+=+=+=+= 

「球辞苑」でも取り上げてほしい。 

 

=+=+=+=+= 

エスコンのファイターズサイドのリリーフカーにファイターズのでかい帽子付いてるのはダサいなと 

 

=+=+=+=+= 

マリンでは澤村がリリーフカーに乗らずに走って出てくるのが面白い(´▽`) 

 

=+=+=+=+= 

中田早耶さんの華麗なハンドルさばき 

 

 

=+=+=+=+= 

サッカーもコレ採用しろよ 

芝生の上をリリーフカー走らせれば格好いいじゃんw 

 

=+=+=+=+= 

短縮短縮言ってるがリリーフカーねぇ。 

今のままで俺はイイけどな! 

 

=+=+=+=+= 

絶対運転しているお姉ちゃん口説いてるだろうなぁと思いながら観ていた人〜⁇ 

 

=+=+=+=+= 

選手はどう思っているのか、知りたいですね! 

 

=+=+=+=+= 

初めはスクーターだったのかあ! 

それはそれで見てみたいかな 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーなど不要 

澤村みたいに走って来りゃいいんだよ 

 

=+=+=+=+= 

近鉄は藤井寺で使ってない? 

 

=+=+=+=+= 

中日って意外とトヨタと接点無いんだな。 

 

=+=+=+=+= 

ガソリン代もかかるし 

いらないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

演出なんだからええやん。 

 

 

=+=+=+=+= 

記事長い。 

 

=+=+=+=+= 

何気に目的が2つ書いてるが本当? 

源は? 

 

=+=+=+=+= 

西宮球場、「阪急」だけに「半球」形、ってことで。 

 

=+=+=+=+= 

神輿がいいかな。 

 

=+=+=+=+= 

南、リリーフカーで帰宅 

 

=+=+=+=+= 

こんなのスポンサーの宣伝でしょ? 

 

=+=+=+=+= 

リーフじゃ盛り上がらないでしょ。かっこ悪いもん。 

 

=+=+=+=+= 

リリーフカーのドライバーがかわいい女性だったら、試合どころじゃないよなと思う。 

 

=+=+=+=+= 

ダサい 

 

 

 
 

IMAGE