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銀座6丁目にある「銀座寿司幸本店」は4代目の杉山衛氏が経営している日本を代表する江戸前寿司の名店であり、創業140年の歴史を誇る。

繁盛店である理由は、サバイバル能力とトレンドに対する感度の高さが挙げられ、酒の品ぞろえやワインとのマリアージュなどで客の要求に応えてきた。

特にワインと寿司の組み合わせを始めたことや、海外の富裕層を取り込んだインバウンド戦略が成功を支えてきた。

コロナ禍でもインバウンド客の存在が店を支え、柔軟な対応が繁盛店であり続ける秘訣とされている。

(要約)

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銀座6丁目に佇む「銀座寿司幸」が繁盛店であり続ける背景には、つねにトレンドを素早く感知し、それに対応してきている柔軟性が背景にある(撮影:梅谷秀司) 

 

 現在4代目の杉山衛氏が切り盛りする「銀座寿司幸本店」は押しも押されもせぬ、日本を代表する江戸前寿司の名店である。創業は1885年と、来年で創業140年。明治、大正、昭和、平成、令和の5つの時代で繁盛店であり続けてきたということは奇跡に近い。 

 

【写真】銀座寿司幸4代目の杉山氏はワイン通としても知られており、寿司にワインを合わせるという試みをいち早く始めた人物でもある。 

 

 2年以内に50%が廃業すると言われる飲食業界においてこれほどまでに長く人々に支持されてきた理由はどこになるのか。その歴史を探っていくと、類いまれなるサバイバル能力と繁盛店ならではのトレンドに対する感度の高さが見えてきた。 

 

前編:おでん屋もやった「銀座寿司幸」創業140年の壮絶 

 

■「酒の品ぞろえのよさ」で他店を圧倒 

 

 戦後復興景気もあって右肩上がりの商売を続けていた、昭和30年頃。借家だった店の奥に住んでいた地権者が、高齢のため田舎に戻るので、土地を購入してほしいという話が持ち上がり、銀座寿司幸の3代目は、現在の本店を構える銀座6丁目の土地を購入することになった。 

 

 売りたいという場合と、買いたいという場合では土地の価格は変わってくることもあり、当時としても廉価に購入できたそうだ。昭和45年には5階建てのビルに建て替え、早々に借金も完済している。 

 

 銀座のこの地で家賃が、坪3万円としたら、100坪で毎月300万円、大層な出費となる。バブル景気など思いもよらないその時代に土地を購入し、ビルを建てたということは、今となっては、大変な先見の明と運のよさとしかいいようがない。 

 

 銀座が華やかになり、「銀座の高級寿司店」という立ち位置が定着してくると、客の要求もそれなりに高くなってくる。銀座寿司幸本店が圧倒的に有利だったことの1つが、早い段階から、酒の品ぞろえを豊富にしたことだと言う。 

 

 ビールなら、キリン、サッポロ、エビス、サントリー、アサヒとそろえるのはあたりまえ。当時はたとえば、「三菱系の会社の人はキリン」など、どこに勤めているかで飲むビールが決まっていたからだ。 

 

 日本酒も各地の地酒を揃えた。客が新潟の出身とわかれば新潟の酒を出し、広島とわかればそれというように。これは接待にも使えた。接待相手の出身地を事前に調べておき、用意しておいてもらうなどということもできるからだ。バブル期に重なるように吟醸酒ブームが到来し、客はこぞって高級日本酒を開けた。 

 

 

 その次に予想を超える焼酎ブームが沸き起こる。それこそ「森伊蔵」など、抽選でなければ購入できない、幻の超人気焼酎がいくつも登場したが、元来、酒に関する知識が豊富で、酒屋との付き合いも密であった先代の杉山氏 は、容易にそうした焼酎を手に入れることもできたという。銀座寿司幸本店に行けば、特別の焼酎が飲めると、客は喜んで訪れた。 

 

 焼酎ブームの前にバブルが崩壊したが、バブル後も客足が絶えることはなかったという。「しょせん、一升マス(料理屋のこと)には一升しか入らない、9割になってももちこたえられた」と杉山氏。料理屋の利益をマスに喩える。 

 

■「ワイン×寿司」もいち早く始めた 

 

 そして、今でこそ珍しくもなくなったが、寿司にワインを合わせるという試みをいち早く始めたのが杉山氏なのである。自身がワイン好きで、自ら勉強し、知識を深め、魚とのマリアージュを趣味として研究――穴子にはムルソー、トロにはピノ・ノワールを合わせるといった具合に――していたのだが、そこにワイン好きの顧客たちがとびついたというわけだ。 

 

 「アルコール類に力を入れていてよかったのは2008年のリーマンショックと2011年の東日本大地震のときですね。両方とも客が1/3になったけれど、ワインを目当てにやってくる客は根強かった」と杉山氏。 

 

 「実は東日本大震災の前は景気がよかったものだから、ワインをしこたま買い込んでいて、不良在庫が山のように地下のセラーに眠っていたんです。原価を払い終わっていると考えると、2万円のワインを1本開けてもらえば、2万円の利益が出るんですよ」 

 

 「寿司を握って、2万円の利益を出そうと思ったら、どれくらいの寿司を握らなければならないと思う?」と杉山氏から聞かれ、「5万円」と答えると、「そんな寿司屋は1週間で潰れるよ」と笑われた。 

 

 寿司の利益率は7~6割。つまり、売り上げベースで15万~20万円握らないと、2万円の利益は出ないのだという。客が1/3に減って売り上げは減ったが、利益率の高い酒の購買量が増えたため、利幅はぐっと上がったというのが現状だったのだ。それで、リーマンショックも東日本大震災も窮状をしのぐことができたそうだ。 

 

■リーマンショックでも利益を出せたワケ 

 

 接待で利用していた客はまったく来なくなったが、ワインを飲む客が減らなかったのは、客との個人的なつながりが強かったためだ。中小企業の社長や作家、資産家など、自分のお金で飲み食いできる個人客が残ったのである。 

 

 

 その頃には、銀座寿司幸本店に行けば素晴らしいワインが飲めるというのは、ワイン通の間ではよく知られるところとなっていった。けれどそれはけっして店を流行らせるためやブームを狙ってやったことではなく、たまたま好きだったことが流行った結果だという。そこにもまた、繁盛店であり続けるための客のニーズをいち早く察知できるだけの先見の明と運のよさを感じる。 

 

 そんなこともあって、不景気の間も客足が絶えることはなかったが、横浜そごうに出店していた支店は持ちこたえることができずに潰れた。これにより、いきなり従業員が3倍になったわけだ。 

 

 「給料は同じだけ払うけれど、銀座店は土・日も全部営業するから、それでもかまわないという人は残るようにと言ったところ、ほとんどの人がやめなかったんです。そんなときに、2002年オープンの丸ビルに出店の話がきたんです」と杉山氏。高い投資だったけれど、思い切ってその話にのって正解だったとふりかえる。 

 

 魚は当たり前だが、一尾単位で仕入れる。本店では使えない、最上等の部位でなくとも、使える部位はまだまだある。銀座店だけであればそれらは廃棄するしかないが、丸ビルであれば、ランチの素材として大喜びされる。こうして、丸ビル店では本店とは違う切り口の店で勝負をすることにした。 

 

 丸ビル店は若手が人前で寿司を握る修業の場にもなった。「銀座寿司幸本店」ほどの老舗となると、板前さんたちも、20~30年クラスという人がざら。そうすると、若手はなかなか、客前で握る経験ができないからだ。 

 

 握る技術だけなら1人で鍛錬することも可能だが、的確に手を動かしながら、言葉巧みに客あしらいをする、これは、経験を積まなければできることではない。また、人間というものは、任されればやる気にもなる。杉山氏曰く、そうした“ディスポーザー的”な店は本店を守り、潤滑に回していくためには必ず必要なのだという。 

 

 

■コロナ禍を救ったのは「インバウンド」 

 

 リーマンショックや東日本大震災を乗り越えた飲食店を次に襲ったのはコロナ禍である。ところが、これを救ったのが意外にもインバウンドだという。 

 

 杉山氏のもとには20年ほど前から、香港、シンガポール、台湾など、多くのアジアの大富豪が訪れるようになっていたのである。「口コミですか?」とその理由を尋ねると、まずは香港の大富豪と仲良くなったのだそうだ。 

 

 インフルエンサーであったその彼が、セレブ仲間に次々と同店のことを薦め、気づいたら自家用飛行機で来るようなインバウンド客が何人もいるような状況になっていた。 

 

 そこで、杉山氏は店のスタッフたちに英会話を習わせたのである。週4コマのレッスンがもう10年も続いている。だから、若い板前たちは、海外からのゲストの対応をしっかりと任せられるまでになっている。10年以上も前にそうしたアイデアを思いつくというのはさすがとしかいいようがない。 

 

 さらに当時、ペニンシュラやマンダリン・オリエンタルなど高級ホテルのコンシェルジュに15枚分の招待状を出した。必ず20時すぎに3~4人で来ることを条件にして。そして、実際に、インバウンド客とのやりとりを見てもらう。すると、ホテルゲストから寿司が食べたいというリクエストがあったときに、コンシェルジュたちは自信を持って銀座寿司幸本店を推薦してくれるようになった。 

 

 「どんな飲食店も菓子折りくらいは持っていくだろうが、こうしたことをやった店はないのではないかと思いますよ。たった数十万円、広告宣伝費と考えれば安いものです」と杉山氏。 

 

 「このやり方のいい点として、高級ホテルからの紹介の客であれば、トラブルを起こすことがほとんどないということもあるんです。逆にトップ20以外のホテルからは予約をとらないようにしました」 

 

 コロナ明けにいち早くインバウンド客が戻ったのもこうしたアイデアと努力の賜物である。現状は3割がインバウンド客だそうだ。また、彼らは20時半~という遅い時間帯を好んで来てくれるというメリットもある。 

 

 

 
 

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