( 214218 ) 2024/09/22 01:49:14 0 00 9月20日の植田日銀総裁の会見。筆者は前よりはよくなったが、つまらないという。自民党総裁選の討論会もつまらないが、それはなぜなのか。アメリカと比べるとわかるかもしれない(写真:ブルームバーグ)
やっぱり日本はダメだ。アメリカのようには行かない。根本的に何かが違っている。なぜなんだ?
■アメリカ大統領候補の討論会が純粋に面白いワケ
27日に投開票される自民党総裁選挙は、当初こそかなり盛り上がったものの、すでに国民一般の関心は失速気味だ。報道はいまだに続いているが、連日、ほぼ同じ議論とキャッチフレーズが繰り返され、自民党員以外は関心を失ったようだ。
一方、アメリカ大統領選挙は、日本には直接関係ないのに、NHKは地上波で、ドナルド・トランプ前大統領とカマラ・ハリス副大統領の討論会90分超を完全生中継した。
同国では視聴者数は5750万人以上と推計されているが、日本でも、NHKをはじめ、多くのニュース番組ではトップ扱い、かつ大々的に報道された。この持ち回り連載で執筆しているかんべえ氏(=吉崎達彦・双日総合研究所チーフエコノミスト)にとっては、選挙分析は仕事だから(趣味でもあるか? )かぶりつくのは当然としても、私ですら、最近の記者会見などではいちばん熱中した(現地PBSのネット配信だが)。うちの妻ですら、私と一緒に90分間飽きもせずに見続けた。
自国の総理候補の政策には関心がないのに、ほかの国の政治ショーには熱中するなんて、日本人は暇なのか? そんなに自国は余裕があり、何の心配もないのか? それともやっぱり単に暇なのか? 私は確かに暇でもあったが、アメリカ大統領候補の討論会は純粋に面白い。だから熱中したのだ。
では、なぜ面白いのか? それは後のほうで議論することにして、さて、金融関係者にとっては、今週(9月16~20日)は中央銀行ウィークだった。
まず、FED(アメリカ中央銀行)が金融政策決定会合(FOMC=公開市場委員会)を17~18日に開催、18日にはジェローム・パウエルFRB(連邦公開市場委員会)議長が記者会見した。19日は英国の中央銀行であるイングランド銀行が政策表明。そして、日本銀行が19~20日に政策決定会合を開き、20日に植田和男総裁の記者会見が行われた。
この原稿の9割は日本銀行の決定も記者会見も終わっていない19日に書いたのだが、はっきり言って20日15時半からの植田総裁の記者会見の感想を書けと言われれば、すぐに書けてしまいそうなほど、事前に予想できる。
■パウエル議長の記者会見はなぜ充実しているのか?
一方、パウエル議長の記者会見は、いつも充実している。彼の質疑応答での言葉や雰囲気、すべてが何かを伝えてくる。私が、パウエル記者会見ウォッチャーなのは、「なぜ日本はアメリカとこんなにも違うのだろうか」(6月15日配信)でも書いたように、本連載ですでにバレバレだ。
だが、私が早朝にもかかわらず、熱心に毎回見ているのは、しかも、真面目の前に2文字がつくほど真面目なパウエル議長の会見でも、寝ないでいられるのはなぜだろうか? 彼の話は、トランプ氏の議論(口論? )と違って、面白くはない。いったいなぜなのか?
それは、パウエル議長も、質問する記者たちも、本気(マジ)だからである。「マジ? って、オバタ、お前マジ? そりゃあ、中央銀行の記者会見が真面目でないはずはないだろう?」というツッコミが飛んで来そうだ。では、相撲用語で、ガチンコと言ったほうがいいか。パウエル議長も真剣勝負であるのはもちろん、建前論に終始するのではあるが、その建前が「マジ」なのである。だから、記者との対峙もガチンコであり、一問一答における一言一句に価値があり、魂はこもっていないが、情報は詰まっているのである。
パウエル会見に対して、記者たちもガチンコである。記者生命をかけて、というよりは、自身の好奇心をかけて質問してくる。
今回の質問は、まずなぜ利下げが0.25%でなく0.5%なのかということに終始した。重要視しているのはインフレなのか失業なのか景気なのか。今利下げしても手遅れではないのか。そして、その議論のプロセスについて。いつ決めたのか、どんな議論があったのか、さらに、じゃあ今後も0.5%で行くのか、今後の方針はどう決めるんだ? という、将来のことについても質問が及んだ。
どの質問も、私も聞いてみたいことばかり。疑問に思っていたことばかり。そして、同じ質問を別の記者が繰り返すことはない。前の記者の質問を受けてさらに聞く、さっきああ答えたけど、じゃあ次はこうなるってことか? みたいな質問もあった。どれも納得の質問だ。
パウエル議長は、正直に本音を100%答えているわけではないが、それでも明快。煙に巻くことはない。そして、時間が来たら、ラストクエスチョン、終わったら、さっと消える。カッコいい。
■好奇心からの記者の質問が圧倒的に少ない日本
これが、日本だとどうなるか? 記者はあらかじめ用意してきた(あるいは上司に指示されてきた)質問を、前の質問者が何を聞いていたとしても、繰り返し聞く。好奇心からの質問ではない。
そして、アメリカは、金融市場一筋、あるいはFEDを10年以上追ってます、みたいな人ばかりだが、日本は人事異動で、新しく若い(というか金融市場、金融政策の経験が少ない)が交代で入ってくる。その後ろで、個人的に(? )興味のあるベテラン記者が時間の最後のほうでやや鋭い質問を投げる。だから、たまに私は寝てしまい、15時半からの会見で16時15分ごろから、パッと目が覚めることも正直あった。
しかし、今回の問題は、この違いはどこから来ているのか? ということである。
植田和男総裁は真摯この上ない。黒田東彦前総裁は、木で鼻をくくったような官僚答弁だったが、あれぞプロ、プロの官僚として、記者会見の質疑でのミスはほぼなかった。むしろ、植田総裁は正直すぎて、波紋を呼ぶことが多い。だから、私も植田総裁になって寝ることは皆無になったのだが、それでも、やっぱりつまらない。なぜなんだ?
■日本では質問の名を借りた「非難」に
端的に言えば、上述したように、日本の記者の質問がつまらない、ということなのだが、問題はそこではなく、彼らも職業人として、一生懸命やっている質問があれなのだ。それは、なぜなのか?
私は、いまさら、アメリカと日本の中央銀行記者会見での質問の単純なしかし根本的な違いに気がついた。
前述の記事でも指摘したが、それは、アメリカの質問は、好奇心からくるまさに「質問」なのだが、日本の質問は、質問の名を借りた「非難」なのである。
植田総裁、この前はこう言っていたのに、今日はこう言っている。矛盾じゃないのか。さっきこういった、ということは、今後は物価が上がらない限り利上げをしないんですね。庶民は円安で困っている。何とも思わないのか! という具合だ。揚げ足取りか、言質を取るか、あるいは単純な非難。だいたいがこの3つである。
こう書くと、日銀記者会見に集まっている記者は嫌な奴ばかりに聞こえるかもしれないが、そうではない。日本人全員がこういう風なのである。
つまり、問題は、日本社会、日本文化とまで言ってもいいかもしれないが、そこにある根本的な問題なのだ。
例えば、「モノ言う株主」という言葉があるが、つまり、質問を株主総会でする、経営陣に質問をする、何かを言う、という時点で、それは反対、ということなのだ。日本では議論は存在しない。口を開く、ということは文句か反対か非難、攻撃なのである。
官僚答弁、という言葉があるが、国会での論戦は、政治家の先生方が大臣となった瞬間に官僚的な答弁になる。あれは、官僚が答弁を作成しているから官僚答弁になるのではなくて、あの場では、言質を取られないことだけが重要なので、政治家も答える側になった瞬間に官僚的になるのだ。
官僚答弁に終始していた大臣が、野党になり、質問者になると、突然、攻撃、アジテーションになるのは、何も二重人格なのではなくて、優秀な政治家であり、大臣であるということなのだ。
■「わな攻撃と防御」の日本、建前を全力で議論する欧米
だから、議論はどこにもない。国会論戦、というがあれは誰もが知っているように、相手にエラーをさせるためのわな攻撃と、落とし穴にかからないようにできるだけ無駄に動かないようにする防御とのプロの戦いなのだ。だからつまらないに決まっている。
記者会見もそうだ。かつての取締役会もそうだ。日本の多くの会議はいまだにそうかもしれない。グループミーティングと会議はまったく異なるから、まあ会議は儀式、公式の戦いでなければ、ほぼ無駄だと言っていいだろう。それが日本なのだ。
そういう社会的慣習(あるいは文化的背景:ただ文化と呼ぶのには私自身は抵抗がある)であるにもかかわらず、欧米というより英米の習慣、ルール、制度、法律をそのまま持ち込み、そうしないと遅れている、という風潮で押し込まれたから、こんな風にちぐはぐな、やってもやらなくても、実質的には意味のない会議、記者会見だらけなのだ。
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