( 214445 )  2024/09/22 23:54:35  
00

「無機質さに違和感」死刑に立ち会った元法相 ブラックボックス化する死刑制度に投じた一石

共同通信 9/22(日) 18:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f4d3549410b50995196b0e89b0d9cac18aaa57f5

 

( 214446 )  2024/09/22 23:54:36  
00

元法相の千葉景子さんが、2010年に死刑執行に立ち会った経験についてインタビューに答えた。

死刑囚が処刑される過程や執行後の状況に触れ、法相としての責任感から立ち会ったことを説明した。

千葉さんは死刑制度の廃止を訴えており、死刑執行について詳しい情報公開と議論の必要性を訴えている。

(要約)

( 214448 )  2024/09/22 23:54:36  
00

インタビューに答える元法相の千葉景子さん=2024年7月 

 

 2010年7月28日、法務大臣を務めていた千葉景子さん(76)は、死刑を執行する東京拘置所(東京都葛飾区)の「刑場」にいた。絞首のロープが垂れ下がる「執行室」手前の「前室」で、連行されてきた死刑囚に対し、拘置所長が「今から死刑を執行する」と告げた。死刑囚は言葉を発せず、放心状態に見えた。  

 目隠しと手錠をされた死刑囚が刑場に連れてこられると、刑務官がすぐにひざを縛り、首にロープをかけた。刑務官が鉄の輪を動かしてロープと首の間の隙間をなくすと、直ちに踏み板が外れて死刑囚は落下し、つるされた。その時、ガシャーンという音が響いた。 

 1945年から2023年までに718人が刑場の露と消えた。 しかし、死刑の実態について法務省は明らかにするのを拒み続けており、死刑に関する議論が深まらない要因にもなっている。死刑はなぜ「ブラックボックス」となっているのだろうか。(共同通信 佐藤大介) 

 

報道機関に公開された東京拘置所の刑場。三つのボタン(中央左)が押されると、そのどれかが作動して絞首台の踏み板(奥の囲み部分)が外れる=2010年8月、東京・小菅 

 

 死刑執行の4日前、千葉さんは2人の死刑囚への執行命令書にサインをしていた。目の前に座る死刑囚は、その命令によって間もなく命を絶たれることになる。その時の気持ちについて、千葉さんは「言葉にするのは難しいですね」と複雑な表情を浮かべた。 

 法相が死刑執行に立ち会うのは異例のことだった。立ち会いを決めた理由を、千葉さんはこう説明する。「死刑は究極の国家権力行使。適切に執行されているか、責任者として確認する必要があると考えました」。法務省の官僚に考えを伝えると、やや戸惑いを示したが、反対はしなかった。 

 2人が執行される様子は、執行室がガラス張りになっている立会人のスペースから見た。「流れるように手続きが進み、執行されました。死刑囚にも刑務官にも、考える時間を与えないようにしているのではと思いました」。死刑囚の体は死亡確認までの約20分間つるされたが、1人は落下した後、体がゆらゆらと揺れていたことを覚えている。 

 1人目が執行された後、立会人の検事や拘置所幹部らは別室に移動し、清掃や準備が終わるのを待ったが、誰も言葉を発しなかったという。 

 その経験から、死刑に対してどういった考えを持つようになったのだろうか。千葉さんは「感情のない無機質さに違和感を抱いた」と言う。 

 「人間の死が淡々と、予定調和で行われるのが死刑という刑罰なのだと思います。人間の感情や人としての営みを徹底的に排除し、整然と人間を死に追いやるのは、私には受け入れ難いことでした」 

 

 

公開された東京拘置所の刑場 

 

 そう話す千葉さんは、野党時代から死刑制度の廃止を訴えてきた。しかし、死刑執行命令にサインするつもりがないなら法相を引き受けるべきではないとの考えで、打診を受けた後は「覚悟を持って法相に就任した」と言う。 

 死刑を執行した際は、廃止運動の関係者などから批判された。死刑執行を命じたことは「私の中の矛盾の最たるものかもしれません」と言う。 

 現在も「死刑制度は反対という考えは変わっていない」と明言する。では、なぜ矛盾する判断をしたのか。千葉さんは「(死刑の)廃止でも存置でも、何か皆さんの議論を進めていくことが私の役割だと考えた」と話した。 

 

記者会見で死刑執行について報告する千葉法相(当時)=2010年7月、法務省 

 

 千葉さんは執行後の記者会見で自らが立ち会ったことを説明し、刑場の報道機関への公開と、死刑制度の在り方を検討する法務省内の勉強会設置を決めた。「死刑についての議論をするにも、あまりに情報がなさすぎる」という疑問が、踏み込んだ対応につながった。 

 法相在任中、千葉さんは死刑執行の順番をどう決めているか、法務官僚に質問したことがあった。基本的には刑の確定順だが、心身の状態や再審請求などを勘案しているとの説明を受けたものの、具体的な基準や選定者は「はっきりせず、よくわからなかった」と明かす。 

 刑場公開後も、法務省は死刑に関する情報公開に後ろ向きで、国会での議論も進んでいない。勉強会は、存廃両論併記の報告書をまとめたのみで終結した。死刑は「ブラックボックス」のままであり続けている。 

 「私が投じた一石は、小石か砂利だったかもしれません。しかし、情報を公開した上で、国会や市民が刑罰の在り方を考えることの必要性は、今も変わっていないと思います」。千葉さんは、言葉に力を込めた。 

 

死刑執行停止を訴えて記者会見する元裁判員の田口真義さん(左)ら=2024年5月、東京・霞が関 

 

 そうした思いは、東京地裁の裁判員だった田口真義さん(48)も同じだ。2009年に始まった裁判員制度では、市民が死刑の選択を判断することもある。「国は死刑の判断に関われと言いながら、その実態を何も伝えていない」とし、2024年5月に死刑の執行停止と情報公開の徹底を求める法相宛ての要望書を提出した。 

 同様の要望書は2014年にも提出したが、法務省からは何の反応もなかった。 

 「人々が死刑の実態を知ることで、漠然とした賛成意見が揺らぐのを恐れているのではないでしょうか」。田口さんはいぶかりながら、こう話す。「情報を公開して議論をしてこそ、刑事政策が正当性を持ちます。国は逃げるべきではありません」 

 

 

 死刑執行について、法務省は情報を公開しない姿勢を長らく続け、1998年11月になって、ようやく執行の事実を人数のみで発表するようになった。それまでは、どの死刑囚に死刑が執行されたかは、報道各社の「特ダネ合戦」の対象になっていた。 

 2007年12月に、執行された死刑囚の氏名、生年月日と犯罪事案および執行場所も公開されるようになり、執行後には法相が臨時記者会見を開いて、これらを説明している。しかし、執行に至る検討内容や「なぜこの死刑囚を選んだのか」という理由、執行の様子などは、死刑囚の遺族に不利益が生じ、死刑囚の心情の安定を害するとして、一切明らかにしていない。 

 内閣府の2019年の世論調査では、80%余りが「死刑もやむを得ない」と回答し、死刑制度を維持する理由として、法相などがしばしばこの調査結果を引用している。しかし、死刑についての情報がほとんどない中での調査に基づく数値が「民意」とされている、との指摘も根強い。ある法相経験者は「執行の実態を知れば、死刑に対する世論は変化するだろう。それが嫌で、法務省は情報を公開しないのではないか」と話した。 

 

佐藤大介 

 

 「お答えを差し控える」。2018年7月、オウム真理教の元幹部13人に死刑が執行された際、上川陽子法相(当時)は臨時記者会見で事実関係を読み上げると、執行の詳細に関する記者に質問に同じ回答を繰り返した。その数は7人を執行した6日は15回、6人を執行した26日は10回にのぼる。 

 過去の法相も、在任時に行った死刑執行の記者会見で、執行対象者を選んだ理由については説明を避けている。「お答えを差し控える」はもはや常套句だ。しかし、死刑執行という究極の国家権力を行使した責任者の姿勢として、疑問はぬぐえない。 

 いつ、誰を死刑に処するかの権限は事実上、法務官僚に握られており、執行の状況も含めて、外部からの検証を加えることはできない。 

 自らの考えとの矛盾に悩みながら執行命令書にサインをし、執行に立ち会った元法相の千葉景子さんは、インタビューの最中、何度も思い詰めるように考える仕草をした。死刑執行を見届けた経験は、一生頭の中から消えることはないという。 

 後任の法相たちが口にする決まりきった回答からは、千葉さんの思いが引き継がれているとは考えられない。死刑がブラックボックスであり続けている根底にあるのは、法相としての責任感の欠如だ。 

※この記事は、共同通信とYahoo!ニュースによる共同連携企画です 

 

 

( 214447 )  2024/09/22 23:54:36  
00

論調や意見として、死刑制度には賛否がありますが、強い賛成派から反対派まで様々な意見が寄せられています。

一部の人々は、被害者やその家族の気持ちを尊重し、速やかな刑の執行を望んでいます。

一方で、執行に立ち会うことや情報公開を求める声もあります。

また、死刑制度そのものに疑問を投げかける意見も一部に存在し、再審請求や終身刑などの制度改革を提案する声も挙がっています。

 

 

法務大臣や刑務官の立場や精神面に寄せられた考えや心情も見透かすことができます。

一部のコメントでは、死刑執行の無機質さや過酷さ、さらには死刑執行に立ち会う重さや責任についても言及されています。

日本の死刑制度に対する議論が進められる中で、情報の透明性や法の遵守などについての提言や懸念も見られます。

 

 

最終的には、被害者や家族の気持ちを尊重しつつ、法の枠組みや社会の安全を考慮しつつ、死刑制度に関する議論や改革が求められていると言えるでしょう。

 

 

(まとめ)

( 214449 )  2024/09/22 23:54:36  
00

=+=+=+=+= 

刑務官の手記で「その日、執行を告げられたのは80歳近い小柄な男性だったが、覚悟が決まっていたのか、狼狽する事なく、執行室まで歩き、入るや、目を真っ赤にして、我々刑務官一人ひとりの手を取り‘先生、ありがとうございました。ありがとうございました‘を繰り返し、その後、執行台の方に向かった。その老いて小さく丸まった背中を見ると、どうしても憐憫の情が沸いてしまうが、この老人は少年の頃から、暴行、脅迫、強盗などの凶悪犯罪を繰り返し、その都度、収監され、50代頃、出所した際に、親身になって面倒を見てくれた保護司の、妻と娘を犯した挙句に、しめころした、凶悪犯だと思い返して、かろうじて憐憫の情を抑えた」というのがあった。世の中にはこういう人間もいるので、どうしても死刑制度は必要だと思うのだが・・ 

 

=+=+=+=+= 

自分の子供が何の落ち度も無いのに身勝手な犯罪者に殺されたら、その犯罪者は自らの命をもって償えと思うのは至極当たり前の気持ちですよ。その犯罪者の死刑に立ち会ったて、その後の自分は正常な感覚で生きていけるかと聞かれたら自信は無いです。死刑執行に携わった関係者も二度とは関わりたくはないと思うのではないですか。国費は掛かりますが、被害者家族や死刑執行関係者の心を救う為に使って欲しいです。 

 

=+=+=+=+= 

私は死刑制度に賛成です。死刑が確定する場合、死刑囚は最低1人(基本は2人)以上を絞首刑よりももっと残酷な方法で殺害しています。果たして国家が人の命を絶つ権利を有するのかという議論も有るでしょうが、私刑を避ける為には被害者の遺族の立場になって刑を執行すべきだと思います。 

 

死刑の執行については、法務大臣の命令によって行われると刑事訴訟法475条1項に規定され、刑事訴訟法476条により法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければなりません。  

 

更に刑事訴訟法475条2項では、法務大臣の判決確定の日から6か月以内に死刑執行の命令をしなければならないと規定されていますので、法務大臣に任命された者は命令する覚悟をもって就任すべきであり、法務大臣になりながら死刑執行命令を出す覚悟のない者は直ちに職を辞した方が良いと思います。 

 

=+=+=+=+= 

犯罪抑止効果という意味では、死刑のなかでも重軽、というか、「結果が重大(被害者の数が多い)」かつ「冤罪の可能性がない(現行犯、物理的に疑念のない証拠がある)」かつ「意図性・残虐性が高い(偶然巻き込んでしまったわけではない、合理的な怨恨などではない)」場合は早期の執行を望むことを裁判所がコメントとして付帯でき、その場合は法務大臣は6ヶ月以内の執行という法の規定を守るよう、一層の努力をしなければならない、というような枠組みがあると良いと思う。 

 

現状だと、2・3人を殺した時点で捕まれば死刑が確定的なので、もっと殺しても損はしないという考えから、犯行を重ねやすい状況が生じる場合がある。レアケースではあるけど。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度に賛成も反対もないが、記事の中でもあるように国最大の権力行使なんだから国民には知る権利がある。公開執行とまではいかないが遺族には加害者の最期の姿を見る権利はあるのではないか。 

いまだに途上国などでは公開死刑などされているところも多いがある意味、死刑の残酷さと罪を犯せばこういう最期を迎えるのだという抑止力にもなっているのではないか。 

法治国家と言うならば、その過程や状況を知ることにより死刑制度のあり方、議論が深まると思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑の廃止には反対だ、もし死刑を廃止するなら、いっそのこと江戸時代のようにあだ討ちの制度を復活させて欲しいと思う 

犯罪者ばかりを優遇して、被害者の遺族の気持ちに配慮する気持ちは無いのか?と思うし 

無惨に殺された被害者は泣き寝入りなのかと思う 

それもダメなら刑務所内で一生強制労働させて、働いた分の給料を被害者に一生払い続けさせるかだと思う 

 

=+=+=+=+= 

日本が厳格な国であり続ける為に秩序を維持し続けて暮らしている多くの民衆を守り続ける為に、正義に対する罪と罰を明確にする為に、究極な答えとして必要な制度に思います、するべき事してはいけない事、人として有るべき姿の自覚を以てすれば死刑制度が在ろうが無かろうが過ちを犯さなければ関係の無い制度です、其れでも善良な民衆に害をなす者が現れる限り民衆を守る為に罪を犯した者に罰を与える、罰を与える側も人を殺める罪を背負う、刑を受ける側よりも執行する側に配慮の必要の有る制度だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

死刑執行についての賛否の議論で、情報源が少ないという声もありますが、死刑をテーマにした書籍は探せば結構出てきます。その中で私のお勧めとしては、漫画ですが『モリのアサガオ』という作品です。ドラマ化もされています。とっかかりとしては良い作品だと思うので、興味のある方はAmazonなどで探して一読することをお勧めします。 

 

私は死刑制度については賛成です。理由としては凶悪犯罪に対する抑止力というのと、被害者遺族の心情を考えると、国家が代わりに仇討ちしてくれるという点でやはり必要かと。勿論死刑囚の遺族の心情も考慮する必要があるのですが、再審請求などの救済制度もあるので、現存の死刑制度は、改善する必要があるとしても、やはり必要なのだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

過去の法務大臣で誰かは忘れたが、「自分の在任時は死刑執行の印鑑を押さない」と言った者がいた。 

人名尊重を名目にした職務怠慢で呆れた記憶がある。 

 

そのような者がいた中で、法務大臣が自ら執行の場に立ち会われるとは頭が下がる。 

この思想は後進にも受け継いでいただきたい。 

 

=+=+=+=+= 

死刑の執行命令書に署名するのは法務大臣の職務。その職務を個人の思想・信条で遂行しない様な輩は法務大臣を拝命してはならない。当然の事。死刑執行が無機質(・・?当たり前。これは刑の執行であり全てはマニュアルの中で遂行される。そこに個人の感情が入り込む余地は無い。現状、日本国は死刑を存続している国。国民もそれを支持している。である限り法務大臣は死刑を執行しなければならない。日本国で死刑判決を受ける者は事実上悪質な殺人犯に限られる。何処に執行を躊躇う必要が有るのか。 

 

 

=+=+=+=+= 

死刑の是非を議論するが、その目的から見解が異なるのだろう。多くの人は法律かと違い、刑罰は更生のためではなく犯罪行為に対する社会的制裁であり、ある種のは報復(犯罪被害者から見たら国家による代理報復、社会から見たら秩序違反に対する報復かつ見せしめ犯罪抑制)であろう。人命は地球よりも重いとか言って国家が私的犯罪行為を理由に人命を奪うことを否定する見解もあるが、それでは何故被害者による報復が許されないのか。それは国家が社会秩序を維持する責任を負っている以上、私的報復の連鎖を許すことができないので国家が肩代わりをしなくてはならなくなる。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度がない国においては、警察官による現場射殺等の措置が屡々生じる。 それに比べて本邦においては容疑者はほとんどの場合生かして身柄確保され、3審制のもとで死刑が確定するが、更に再審請求もできる。 

死刑制度がない国が人権尊重、民主的で 同制度があるのは時代遅れであるかのような議論は有効ではない。 

但し、死刑の方法については絞首刑だけを規定している現行法が最適なのか議論を深める必要性はあるかもしれない。 

 

=+=+=+=+= 

冤罪がない前提なら被害者遺族の心情を鑑みても死刑は免れない。終身刑が無いのだから。 

ただ冤罪が100%無いと言い切れないから、自分に身にも降りかかる可能性があるので恐ろしくはある。 

警察や検察の取り調べや捜査の不備があってはならない。冤罪があった場合の警察や検察の罰則も考えるべき。 

 

=+=+=+=+= 

法律に定められた刑罰なので無機質になるのはある意味仕方がない。感情が挟まってしまうのは法律を平等に施行するという原則に支障してしまうかもしれないし。その点に関して執行が事実上「心身に健康上問題がない未決囚」の順番になっているのは未決囚の事情を勘案してしまっていて、どうなのかと思うところはある。(病気で高齢だと相当長期間の収監でも執行されていない……1974年のピアノ騒音殺人事件の犯人は本人が控訴する意思がなく、神経過敏でもう死にたいと望んでいるにも関わらず、事件から半世紀経っても収監されたままだし) 

 

=+=+=+=+= 

自分が被害者になったときのことを考えた方がいい。 

父親、母親、祖父母、兄、姉、妹、弟、恋人、旦那、奥さん、息子、娘、ペット、親戚や尊敬する人、そんな人が涙ながらに命ごいするなかで、もしくは死を認識する間もなく、無残に、見るも耐えない凄惨な最後を迎えたら? 

 

加害者に死を与えたくなるのは当然だし、法として許されない判決が出された加害者は死を持って償うしかないし、それが唯一与えられた慰めであり被害者が故人との決別なんだと思う。 

 

別に被害者が望むなら被害者に最後のスイッチを押させるでも良いと思うし、被害者に情を与える事があってはならない。死刑の現場に立ち会い、そこで情が湧き出て、尚異論を唱えるようなことがあるならすぐに職を辞したほうがいい。 

救われるべきは加害者ではなく被害者。与える情の矛先を間違えてはいけない。 

ただでさえ加害者に甘い日本、これ以上加害者に甘い蜜を吸わせることは許されない 

 

=+=+=+=+= 

死刑執行の権限と死刑と判断した法とは別論議かと感じます。時の法務大臣は法に沿って粛々とすべきであって、最後の執行権限者が私情や私的な論理は必要ないでしょう。まだまだ世論調査で80%以上が「やむを得ない」て思っているのは死刑判断された加害者より被害者の視点からだと思ってます。「違和感」感じるのなら、「なぜ執行しないのか」のほうが違和感覚えますけどね。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度には賛成です。生きて罪を償うという考えにどうしても賛成できない。凶悪犯が殺害した被害者は生きたい望みを奪われてしまった人が多いいからです。それに無期懲役などもその分、税金からかもしれませんがお金がかかります。独房にいれるのもタダではない。同情の余地のない犯人は即死刑を執行するべきです。 

人間は義理深い人が多いい。だから死刑間近になったらどんなに凶悪犯でも同情してしまう。 

時間が経てば風化されてきてしまう現実もある。 

だから今のように10年経ってから執行とかは甘い。 

 

=+=+=+=+= 

し刑制度を無くすのであれば、懲役刑を無期という曖昧な期間にするのではなく、懲役300年というように、刑務所内でその人生を終わることが確実になるように刑法を改正する必要があると思います 

そうなれば、生きる楽しみもなくその後の一生を終えさせることができるので、被害者遺族もある程度納得するのではないでしょうか? 

 

=+=+=+=+= 

一緒にしていいかはわからないけれど、正直なところ、このような議論より先に「凶悪犯罪を現実的にいかに減らすのか」を具体的に論じることが重要で、先では?と思います。何の罪もなく殺された被害者の無念、その家族の納得する答えをそれなりに出してから、死刑囚の側の立場にたった議論をすべき。抑止力になるとかならないとか答えは出ないのだから、十分な抑止方法と遺族が納得する刑罰について十分議論するのが先と思います 

 

=+=+=+=+= 

千葉大臣のポリシーとルールの間はもやもやもあったと思いますが、司法の担当者として決められたことを執行するのは当然のことでしょう。 

そのなかで、まだまだ明らかになってなかった執行の様子についてどんな現場か確認し、有権者にも刑場やイメージを公開して知ってもらう、考えてもらうことは大きな功績だと思います。 

賛否どちらも絶対に正しいor誤りとは言えませんが、刑罰の在り方についてはよく考える事が大切だと思います。 

できれば法務大臣は現場で刑の執行を見届けることも責務としていただきたい。これくらいその罪や刑が重いことなんだとしっかり銘じて職務を執り行ってほしい。 

 

 

=+=+=+=+= 

やはり、家族や友人への別れの挨拶も無く、将来を絶たれた被害者のことを考えると、刑はまだ優しいとさえ思う。囚人は牢獄で刑を迎えるまで不安な日々を過ごすと言うが、そんなもの突然大切な家族を奪われた遺族の苦しみや悲しみに値するわけがない。ただ、冤罪にならないようには気をつけて頂きたいと願うばかり。 

 

=+=+=+=+= 

これは凄いですね! 

 

驚きました。素晴らしいです。 

 

刑罰の議論は素晴らしいですよ。死刑制度はもちろんですが、日本の性犯罪の重罰化をもっと検討すべきですね。 

 

最近は日本の加害者もやめたくてもやめられないとか、これは病気なんだと言ってるくらいだし。シンガポールの鞭打ちの様にトラウマになるレベルの体罰を立法すぎだと思いまくね。近年だとイギリス政府も日本での痴漢被害に注意喚起出すくらい日本の性犯罪を警戒してます。 

 

日本の性犯罪の再犯率を考えると当然の議論だと思う。政府はもっと全力で取り組んで欲しい。応援してます。頑張ってください 

 

=+=+=+=+= 

死刑執行をする際に、死刑囚の罪状や裁判での判決内容の要点、そして、何故この死刑囚を今回、執行することにしたのか、そうした理由は端的に公表された上で執行されるのが望ましいのでは無いかと思います。死刑囚や、その遺族の事を考えるのだったら、同時に被害者の方の事もそれ以上に考えるべきだと思います。死刑囚がした行為によって、人生がボロボロになって生きる意味を失った被害者だっているはずです。そうした事を双方に天秤をかけた上でこの議論を進めて欲しいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

現行法では、死刑確定から半年以内に法務大臣は執行命令をすることになっています。ただ、現在の死刑の実施状況を見るに、その法律の規定は守られていないと思います。 

 

いま、死刑が未執行の死刑囚の数は100名を超えています。死刑が法律の規定通りに執行されていれば、これほど未執行の死刑囚は増えなかったのではとも感じます。 

 

千葉景子氏は、絶対に死刑執行命令を行わないと当時の世間は考えていました。そこから執行命令を下し、さらには執行への立ち会いを行ったので、世間は大いに驚きました。その後の刑場の公開など、死刑制度の議論に大きな一石を投じ、死刑の現状を一部ではありますが明らかにした人物です。 

 

まだまだ、死刑制度についての情報公開や議論、そして見直しは必要だと思います。 

制度の是非を含めて様々な議論がある死刑制度ですが、執行命令は半年以内という規定が守られていないことにも、議論が必要だと考えています。 

 

=+=+=+=+= 

私自身の制度自体の是非についてはさておき、この問題は大いに議論するべきであり、千葉氏のように執行に携わった経験を含め、真っ向から意見を述べることのできる人物の記事には大いに感銘を受けます。 

>死刑執行命令にサインするつもりがないなら法相を引き受けるべきではないとの考えで、打診を受けた後は「覚悟を持って法相に就任した」 

死刑反対の立場でこの覚悟は相当なものだと想像できます。現職、今後の法相になる人々においてはこの考えは継承していただきたい。そして議論する上で、制度の透明性を推進していく運動は是非とも進めていただきたいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

死刑は刑が執行されてはじめて刑を終えたと言える。法相は法に則って、法のもと平等に6カ月以内に粛々と刑を執行するべきだと思う。刑が執行されず確定死刑囚がどんどん増えていくのは、法務大臣の怠慢だと思う。千葉さんは立派だが、死刑執行も法務大臣の仕事だし、やる気がないのなら大臣など引き受けるべきではないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

冤罪の可能性が全くないのであれば、どんどん執行すべきだと思う。 

千葉元大臣も言うとおり、下手に考える時間を与えても何もいいことはなく、最大の被害者である遺族は執行されて初めて区切りが付くのであれば、機械的に決まった期間でやればいいと思います。 

全く知らない・自分と関係のない人を殺めるのは、普通の精神を持った人間ならイヤなものです。 

執行する人にもしっかり配慮してあげてほしい。 

 

=+=+=+=+= 

その死刑囚を目の前にすると個人的な感情が沸くのは、人間として自然な事だと思いますが、死刑の判決が下る1人によって何人もの人が人生を狂わさているという事実があるからであって、被害者やその家族にとって死刑囚がいつまでも生きていることは耐え難いことだと思います。 

刑務官にとっては辛い仕事だと思いますが、社会の治安を守る上でも死刑は必要と思います。 

 

=+=+=+=+= 

最近、絞首刑は残虐過ぎる等の報道をよく見ます。 

日本では主には複数人の命を殺めない限りは死刑は適用されてませんが、その様な愚行を行いながらも残虐と訴えられる精神が到底理解出来ません。 

日本では100名以上の確定死刑囚が居り、本来であれば死刑確定から6ヶ月以内に刑の執行を…と記されてはおりますが残念ながら叶ってはおりません。 

確かに刑務官の負担は想像を絶するでしょうが、機械化等の手段を講じながら1人でも刑に携わる刑務官を減らしながら、法務省として粛々と刑の執行を進める事を一国民としてはお願いしたいですね。 

 

=+=+=+=+= 

死刑は法律で決まっている刑罰です。重大な犯罪を犯した者が厳正な司法により決定されている刑罰です。罪を犯した者の人権や、その方法よりも、その者によってこの世を無念のままに去らざるを得なかった人とその家族の慟哭の無念は考えているのでしょうか?死刑が確定してから何年も留置されている事自体が法に反しています。速やかな刑の執行が望まれます。法務大臣は被害者の気持ちをもっと考えて欲しいものです。 

 

 

=+=+=+=+= 

この元法相はにわか死刑廃止論者なんだろう。信念でそう思ってるなら法相などなるべきじゃなかった。現在死刑囚が何人いるか知らないが、その数以上の無慈悲に命を奪われた人たちが居ることを忘れないでほしい。法に沿った6月内の執行に法相の躊躇などあってはならない。 

 

=+=+=+=+= 

情報公開は進めるべきだと思う。刑場の様子や刑務官や清掃人の方のメンタルなど、知りたい人も多いだろう。 

一方で、それが安易に死刑廃止に繋がるのはいただけない。そりゃ死刑執行のタイミングだけを切り取ると、可哀想だし、冷徹に決まっている。でも、もっと時間軸を広げれば、死刑囚ということは多くの場合は2人以上の人が無念のうちに亡くなっているということであり、きっと死刑場の比ではない凄惨な現場が存在したということ。その罪深い業に対する代償が刑務所での安泰な生活であってはいけないだろう。 

だいたい、死刑廃止を訴えるヨーロッパの人たちに言いたいんだけど、あんだけ酷い戦争を何度もやっておきながら、国家が人の命を奪ってはいけないって、一体どこ口が言うんだって思うね。 

 

=+=+=+=+= 

誤解を恐れず述べるのであれば… 

 

死刑囚に関しては、死刑になるかもしれない、という覚悟をもって犯罪を起こしたのだろうから、憐憫の情など微塵もわかない。 

刑務官さんに関しても、おそらくこの職につくときに、それなりの覚悟があったと推察されます。大変で過酷なお仕事ではありますが、市井の平和を維持する大切なお仕事ですので、胸を張っていただきたいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

死刑に至るには、それ相当の犯罪を犯したからであり、その事件に関与していない人が死刑執行を決定して、全く事件を知らない人が首にロープをかけるのが仕事とはいえ、精神的に壊れる部分があると思います。しかし、死刑がなければ、平気で人を殺める事件は増えるでしょうから、その事件の当事者に決断と執行を立ち会わせるという事にすれば良いのでは。第三者だから躊躇するところも、被害者関係者なら立ち会う、もしくは執行する事で、恨みや心の痛みも和らぐのではないでしょうか。そして、先に進む事ができるのではないでしようか。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度の是非は、それこそ個人の主観次第で賛否の結論は出ないと思う。 

だが例えば、人一人を殺害した罪に相当する刑罰は何かと考えた場合、 

何十年の刑務で更生を謳うよりも、命で償うのは至極妥当だと思う。 

今の司法制度は被害者より加害者の立場を重視し過ぎており、 

悪い意味で犯罪に対する軽視化と、被害者のやられ損な状況に警鐘を鳴らして欲しいと感じる。 

何をやっても死刑にされない世の中になれば、犯罪を助長するだけだろう。 

 

=+=+=+=+= 

死刑執行のボタンを押すのは刑務官となっているけど、遺族の中には『出来ることならこの手で殺してやりたい』と思う方もいるわけで、ボタン押すのを強く希望する方にはその役をやってもらうってのはどうかな、難しいか。 

仇討ちが出来ない現状、それさえも出来ない。 

事前に知らせることになってしまう問題や、精神的な問題を生じてしまうリスクなど、刑務官でないとダメな理由は多々あるのだろう。 

死刑でなければ遺族や社会が許さない事案はあるわけで、死刑はあっていいが、もう少し情報があってもいい。いざ裁判員に選ばれた時、感情だけで死刑を選択して後悔したくはない気持ちもある。 

 

=+=+=+=+= 

私は死刑執行の現場では極めて無機質な空気の中淡々と機械的に行われることが携わる執行人たちの人としての心を守ることになるのではないかと、無機質であることに疑問は無い。心を閉ざして機械的に行われなければ耐えられない、剥き出しの人の心で対峙すればその光景はトラウマという闇を生む。 

ドラマなどでは死刑執行直前に牧師や僧の祈りと言葉をもらって死刑囚が心を鎮めるようなシーンを描かれることがあるけれど実際ああいうのは無いのか。そんな僅かな救いでも死刑囚に施される方が、見届ける側の寄りすがりにもなる気がする。どんな罪を犯した鬼畜であっても人の姿をした者が刑に処される光景に立ち合うことは、頭で理解しても人の心があれば割り切れるわけがない。準備と処理をする役割りの人達の為を一番重く考えた形式でいいと思う。 

ただ、自らその責任があると死刑執行に立ち合った法相のその信念は素晴らしいと思う。真似できるものではない。 

 

=+=+=+=+= 

死刑が確定したのなら、その日の内に執行されるべきだと思います。冤罪云々は別問題だと思います。法務大臣の立ち合いや、一般人公募の執行の確認なども有っても良いと思います。そうして死刑制度の是非なども考えていけば良いのでは?私はどちらの思想でも無いのですが、現状決まっている以上、速やかに執行すべきと考えます。 

 

=+=+=+=+= 

加害者を加害者たらしめたのは何なのか、そこに国や法律が見過ごしてきたことや無視してきたこと、見落としてきたことがないのか、そういうことに目を向けずに公権力で人を殺すだけでは、被害者もうかばれないし、なにも進歩がないと思います。 

一つ一つの事件をより良い未来のために考えていく必要があると思います。 

 

=+=+=+=+= 

死刑は必要ですが、日本も終身刑が必要だと思います。DNA鑑定も当初より精度が上がり、足利事件が再鑑定で無罪になった反面、飯塚事件は足利事件の無罪確定で、慌てるように死刑執行した。鑑定方法は時代とともに進化し精度も向上する為、将来の再鑑定により無罪もありえることから疑わしきケースでは終身刑適応もありかと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

個人的に死刑制度は賛成だが、もっと国民を巻き込んでその是非は議論はされてほしい。 

少なくとも未執行の死刑囚が100人を超えている現状は本来の趣旨から逸れた法治国家として由々しき事態である。 

その背景には冤罪の可能性や執行に関わるものの負担があり、今後現状を改善していくには国民が死刑制度の問題点を承知の上で今後も存続させたいと言う積極的な承認が必要なのではないかと思う。 

そのためにも一度現制度の問題点を全て洗い出した上で、国民が決めるべきと考える。 

私のアイデアとしては裁判員制度と同様に自分ごととして捉えてもらうために、死刑執行のボタンをランダムに選ばれた国民たちに押させるというものだが、どうだろう。 

 

=+=+=+=+= 

よく言われる『6ヶ月以内の執行』を守れれば犯罪抑止への一助になる可能性はあると思いますが、逆に『捕まったら終わり』という心理が働き『どうせ捕まるなら…』とさらなる犯罪を重ねる可能性もあり得ます。  

しかしながら現状の執行までの期間は長すぎますし、その間も税金で生活していることについては納得はできない。 

現在の執行までの平均は7年9ヶ月らしいですから6ヶ月以内とは程遠い。 

被害者サイドからしても、逮捕されて整理がつくわけではないと思いますし、執行されてようやく整理がつくんじゃないでしょうか? 

それでも理不尽な犯罪に巻き込まれたわけで納得はできないでしょうが。 

そういう意味でも執行までの平均期間をもっと短くすべきです。 

 

あと、執行ボタンが3つはさすがに負担は大きいと思います。 

自分がボタンを押す立場なら50人ぐらいが一斉に押すのなら負担には思わないですね。 

 

=+=+=+=+= 

死刑囚となった者に対してはなるべく早急な執行が必要。私はそう考えており現行の死刑制度には賛成の立場です。現在の様な多数の死刑囚を執行待ちにしたまま生き存えさせている現状に違和感を感じています。生き存えさせておくのは死刑囚本人にとっても事件の遺族にとっても何らプラスにならない。それに被害者よりも死刑囚の人権を尊重する気か?被害者の気持ちは?事件の被害者の処罰感情を考えたら死刑判決を受けた以上速やかに執行されるべきである。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度について議論することは必要だと思うが死刑が確定して死刑囚については法務大臣の命令無しに粛々と執行されるべき。遺族感情、刑務官感情など問題を色々議論は議論するにしろ今の制度に死刑がある以上執行されず待機される死刑囚の毎日の緊張感も相当なものがある。 

死刑は犯罪の抑止力にはならない。遺族や国民感情も考えなければならない。死刑廃止するなら代わりの制度は必要だ。終身刑にすればそれだけ税金がかかる。議論することはやるべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

この手の記事で違和感を覚えるのは、死刑の執行についてばかり取り上げて被害者やその遺族の気持ちを慮っていないことだ。 

執行によって報われる人もいれば、仮にその後死刑囚だった者が釈放され犯罪を犯すようなことがあった時失われていたであろう命も救われるはず。 

死刑制度廃止を論じるのであれば、アメリカのようにその場で射殺されるか一生出られないような重い刑罰とセットにしなければならないだろう。 

死刑囚になったのにはそれなりに理由があってのことであって、冤罪などとは切り離して考えるべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

裁判はしっかり行われ、刑が確定します。 

確定から執行までも期間が決まっています。 

法務大臣は法に則り執行の指示をすべきです。 

犯罪には加害者だけでなく、被害者と突然家族を奪われた被害者家族もいます。 

何を優先すべきかは議論の余地すら無いと思います。 

粛々と法に則るべきです。 

 

=+=+=+=+= 

法律は国会で作られ、司法はその法律によって裁判を行い、判決を下す。 

その認識の上で、この方はその後のご自身のその事務的作業に対して一石を投じているのだと思いますが、それは国会で議論させるだけの国民の声の数がない限りは難しいと思います。 

法改正がなされないことは、国民にとっては死刑の宣告を受けた罪人に対する関心や司法の判断に対する疑念や興味が薄い表れだとも思います。 

 

冤罪だけは絶対にあってはならないですが、それ相応の犯罪を犯した人間に下した司法の判断は尊重されるべきだと思いますし、それが今の日本の法律です。 

これを議論することは難題中の難題だと思いますし、刑に対する一つの正解で結論づけることは難しく、いつの時代でも議論され続けることだと思います。 

 

この方も私の想像を超える葛藤やストレスを抱えならがら職務を全うしていると方だと思います。だからこそ心身とも健康でいてもらいたいとも思いました。 

 

=+=+=+=+= 

江戸時代とか身内が理不尽に殺された場合仇討ちが認められていたように思いますが(本当かどうかは定かでは無いが)、被害者の悔しい思いは江戸時代も令和も同じだと思います。 

被害者家族が望むなら死刑執行ボタンを押す権利を認めてあげた方が良いと思います。 

刑務官にそれをさせるのは仕事とは言え余りにも 

精神的負担が大きいです。 

 

=+=+=+=+= 

数日後に、袴田厳さんの再審の判決が予定されています。 

高齢、かつ心神喪失とされる袴田さんが死刑囚でなくなる日が来るものと予想されています。 

冤罪でほぼ半世紀に渡り身柄を拘束された袴田さんの無念ははかり知れません。 

 

法務大臣時代に、執行に立ち会い、時を経てその経験と思いを語る千葉さんの経験談は貴重です。いい記事を読ませていただいたと思います。 

賛否よりも、千葉さんの意見同様に、その在り方を様々に検討する必要は市民の一人として感じています。 

 

=+=+=+=+= 

死刑囚は無期懲役刑とは違い、更生の余地がないと判断された結果の判決なため、最短の手続きで執行されないと法相の職務怠慢と言う他ない。 

 

ただし、袴田事件のような死刑と判決された後に再審で無罪となるようなケースもあるわけなため、何度も再審請求を行っているケースもあるので、難しいところではある。 

 

 

=+=+=+=+= 

何も罪の無い人を整然と死に追いやるのはダメだと思いますが、死を持って償わなければならないような罪を犯したのだから仕方がないと思います。  

そのような罪人に人権は無いということで良いと思います。  

その罪人のせいで、被害を受けた人々や、無念にも亡くならざるを得なかった人々のことを考えると、死刑となることで、少しでも救われればと。 

それほど重い罪ということをお忘れなく。 

あとは、犯罪行為の抑止力ともなるので、殺人しても、死刑にならずに生き続けることができるとなれば、重罪が増えるとも思います。 

 

=+=+=+=+= 

無機質でいいと思う。 

 

自分は死刑に肯定的だが、肯定的と言うのは簡単でも実行する執行官の方々はいくら仕事とはいえ辛いと思う。 

 

なので執行する人達がいかに無機質に事務的に感情なしで執行するかを考えるのは当然の事だ。 

 

死刑囚への感情論は裁判の過程だけで行うべきで、執行は執行官への配慮を最大限にすべきで良いと思うが。 

 

=+=+=+=+= 

極刑をもってしか償いようのない者を目の前にして、書類にサインする法務大臣をはじめ、特に現場の刑務官達にとって、一人の人間の命をこの手にかける覚悟は、私の想像を絶するものがある。 

それだけに、死刑執行に関与した職員の方々の、精神的なケアをしっかりやってもらいたいというのが、私の願い。 

 

=+=+=+=+= 

千葉景子さんは確かに死刑反対の立場ながら法務大臣を任命されて死刑執行を行った。法務大臣を務めて一度も死刑執行しなかった法務大臣もいたし。死刑制度がある以上は死刑制度反対の立場でも法務大臣の仕事として死刑執行は行われるべきであると思う。確かに死刑執行の命令書にサインすれば死刑囚を殺すことになるからためらう法務大臣もいるだろう。あと反社会的勢力に所属していた死刑囚への死刑執行を行えば、反社会的勢力からの報復行為を恐れる法務大臣もいるだろう。死刑制度は存続しつつ、新しい死刑制度の導入を考える時代が来たかもしれない。反社会的勢力からの報復行為から法務大臣や刑務官、拘置所職員などの関係者、また被害者の家族や関係者を如何に守るか、死刑執行後のことを視野に入れた死刑制度が必要かもしれない。反社会的勢力の死刑囚の死刑執行率は低いような気がする。サリン事件の死刑囚は死刑執行されたが。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度自体には賛成だ。 

ブラックボックス化されてはならないと思うし、もっと知ってもらう必要があるとさえ思う昨今の凶悪犯罪が多発するこの国で、これから必要な事は凶悪犯罪が起こる前にいかにこういった法整備で抑止力の効果を出すかという事を論じ、罪の内容に応じた刑罰の見直しも必要だろう。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度は賛成です。とかく死刑について人道派の弁護士とかNPO団体が反対と騒ぎますが被害者遺族は納得するでしょうか、残虐行為を犯した者は当然罰を受けなければなりません。被害者遺族にとっては自分で犯人に同じ罰を与えたいと思う遺族が大半でしょう、しかし、法治国家に於いてそれはできません。もし死刑制度が無くなり無期懲役なら生きてる限りいつかは世にでられますが何の罪も無いのに命を奪われた被害者は永遠に世に戻れません。百歩譲って死刑制度を無くすなら仮釈放無しの終身刑を設けるべきです、それでも納得出来ない遺族は当然いるでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

「死刑執行命令にサインするつもりがないなら法相を引き受けるべきではないとの考え」で法相を受けた千葉景子さんは立派な方だと、読みながら思ったのですけれど、考えたら当たり前のことだと思いました。 

冤罪や証拠捏造などがあるとしたら執行出来ないことも分かりますが、ただ単に無責任な法務大臣のせいで未執行者がどんどん増えている現状は直ちに改善すべきと思います。 

 

=+=+=+=+= 

衆参法務委員会の所属議員って、地味だけど、各党の結構な重鎮が多いんだよね、正副議長とその経験者、元警察官僚、法曹界出身者が多いです。 

法務委員会で死刑廃止議論をやっても、なかなか進まないので、死刑の立ち合いを法務委員まで広げてやるべきだと思う。法務委員会の視察としてやるべきだと思う。 

出来るならくじ引きで法務委員の中から代表者を選んで死刑執行のボタンを押させれば、刑務官の精神的苦痛が分かると思う。 

 

=+=+=+=+= 

法相の任を受けながら執行を拒否するなんてことはありえない。その点この方は死刑制度に反対でもしっかり職務を全うしていて信用できる。 

執行に感情を乗せる必要はない、淡々と進めればいい。他人の、それも複数名の人権を奪った人間の人権など優先されるべきではない。執行までの間、衣食住が与えられているだけ人権的だ。 

冤罪の問題はつきまとうが、それは疑わしきは罰せずを守れない司法に問題があるのであって、刑の執行にあるわけではない。 

 

=+=+=+=+= 

難しい問題ですね。法律,人権の問題もある事ですし,ただ被害に遭われたご家族の心情が1番大事かと思います。 

話しがズレますが,性被害を犯した犯人は何年か後に服役して世間に出てくる。被害家族としては一生服役してほしいと願うはず。 

 

刑罰の法律が被害者並びにその家族が納得されるが1番よいと思いますが,法律上や今までの裁判の判例に伴って判決がでるので法律を変えていく必要があるかとあ 

 

 

=+=+=+=+= 

親や相方で無ければ、人の死に立ち会うことは避けたい。。。 

増してや自らの命令ならなおさらだ。 

しかし、現場の警察官は凄い。 

一人住まいの高齢者宅へ靴はビニールで包み上がっていく、 

若い女性警官が1人で入っていく。感謝に堪えない。 

これが、犯罪現場ならもっと悲惨なのであろう。 

少しでも多く早く、凶悪犯罪を制御する方法であるなら、 

躊躇いなく迅速に行うべきだ。 

政治家や公務員には申し訳ないが必要なことだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑執行について世界的に廃止の動き(代わりに終身刑導入)はあるが、国際的な動きに留意しながら日本としての措置をきちんと考えていく必要があると思います。 

個人的には死刑は厳罰として残した方が良いと思うし、多くの人を傷つけるとこうなるのだと社会的に知らしめるためにもっと情報を開示した方が良いと思います。 

具体的には学校の中で社会のルールを学ぶ機会(校外学習でこうした処刑場の映像を視聴する)はもっとあっても良いと思います。 

あとはオランダで安楽死マシーン『サルコ』が導入されていますが、絞首刑以外の執行もボタンの仕組みを同じように誰が押したか分からないようにして検討しても良いかも。 

 

少し前に笑福亭鶴瓶が死刑囚役の、死にきれず麻痺が残り障害者として生きる役を演じた映画『閉鎖病棟』を見ました。なかなか一般には評価されづらい映画ですが、死刑を考える上で多くの方に観てほしい作品だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

被害者に寄り添う処罰であるべきです。 

死刑廃止する場合はそれ以上の罰でなければなりません。 

 

刑務所内に長く留めておくとこの80歳の死刑員のようになってしまいます。刑務官は感謝されるような関係を築いてはいけないと思います。被害者の心情を忘れないようにしていただきたい。 

 

罪をどのように償わせるのか? 

被害者がどのように救済されるのか? 

 

バランスを欠くことがないようにしてください。 

 

=+=+=+=+= 

賛成か反対では無く、その制度の存在は尊重されなければならないと思う。死刑の判決を受けた者は素直にそれを受け入れること。また、その犯罪により怒りと悲しみに喘ぐ遺族がいるならば死刑執行を機に赦さなければならないと思う。これが出来れば苦しむ人間は少しずつでも減ってゆくだろうし、出来ないとなると苦しみは常に生きる人間に付き纏うのだと思う。死刑制度が無くなるとすれば、その時にはそれを議論する意味も無くなっているのだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑には賛成ですね。 

 

冤罪は絶対に避けるべきだが、そうで無い場合は必要だと思います。極論、死刑になりたく無いなら、罪を犯さなければ良いだけの話。死刑に値する犯罪を犯した訳だし、犯罪者を守る話ばかりに焦点が当たるが、被害者がいる事が忘れられている。 

 

廃止にするなら、アメリカの様に罪状毎に年数を決め、最終的にその総計をもって懲役刑とすれば良い。従って、懲役100年、200年てのもあり得る。 

 

過疎化が進み、日本も空き地、荒れ地となっている土地が多いのだから、刑務所を増設してアメリカの様なシステムにしたら良いと思う。 

 

いい加減、犯罪者だけに寄り添い、最大限擁護しようとする日本の法律は改正すべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

抑止力がない、という意見を見るが、これだけ未執行があると、死刑判決がでたところでって気持ちにもなるだろう。問答無用に死刑確定後には法に則り半年以内にしっかり執行していき、毎日、毎週、死刑囚の刑が執行されましたってニュースが世の中に溢れると、抑止力が出てくると思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度、消極的賛成です。被害者や被害者遺族の立場からは大賛成。しかし、見ず知らずの人間に執行する刑務官のことを考えると消極的賛成です。やはり被害者遺族が自ら手を下したければして貰うべきだし、国に任せるならボタンは100個以上必要。3個じゃ自分だと思ってしまい正常な精神状態ではいられない。究極の手段としては確定死刑囚にボタンを押させる事もあってもいいかもしれません。刑務官じゃ負担が大き過ぎる。 

 

=+=+=+=+= 

死刑廃止論者はよく「死刑が犯罪の抑止に繋がっているかどうかが疑わしい」ということを言うが、そうであれば死刑を廃止するのではなく、こういった死刑の現実の姿を広く世間に知らせることによって犯罪の抑止に繋げるよう努めるべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度は必要だと思う。死刑をやめて終身刑を課すのは遺族が死刑を求めない場合だけにすればいい。自分の身内が残虐に殺された経験のないものが死刑廃止を言うのは簡単だが、それはあまりにも遺族の感情を無視した勝手な理屈だ。また、刑務官などの死刑執行の時の精神的負担などを死刑廃止の理由にする意見があるが、私が遺族なら執行は自分でやってもいいと思っている。家族を殺された経験のないものが遺族の感情を無視して死刑廃止を論ずるのは間違っていると思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑執行の実態を生々しく伝えるなら、犯罪の事実も生々しく伝えないと情報としては不完全だろう。その上で「こういうことをした人を。こういうやり方で死に至らしめるのは残忍だ」という声が大きければ死刑廃止もやむを得ないと思うが、その可能性は小さいと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

人を殺めた者は泣こうが謝ろうが反省しようがどう償っても被害者の方やその方達の家族や生活や精神状態が元に戻るわけではではないので死刑が執行され命が終わったとしても罪人は罪人、当人は亡くなるが被害者は残る、人道を外れた事を犯した者に情けなど無用だと思うし余計な事を考えず無機質にこなすのが妥当だと思います 

 

=+=+=+=+= 

死刑執行に反対するのは、感情的には分かるような気もしますが、少しずれていると思います。 

先ず司法機関での死刑判決を無くすための、刑法改正でしょう。第九条に(刑の種類)として「死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。」とある限り、死刑判決はなくなりません。 

法務大臣は司法判決を実行する行政機関ですので、この大臣職に責任を求めるのは順序が違うと思います。 

 

=+=+=+=+= 

〉そう話す千葉さんは、野党時代から死刑制度の廃止を訴えてきた。しかし、死刑執行命令にサインするつもりがないなら法相を引き受けるべきではないとの考えで、打診を受けた後は「覚悟を持って法相に就任した」と言う。 

 

個人としての賛否はともかく法で死刑が定められている以上、法相を引き受ける上は職務執行に徹する千葉さんの考えは政治家として私は何の矛盾も無いと思うし、立派な姿勢だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑判決を受けた理由は考えないのか 

何故、この犯人は死刑にならない?という残忍な事件はどう思うのか 

たった1人「しか」殺してないからというだけで、どれだけ無残に殺しても死刑にならない犯人や未成年者達 

ブラックボックスだとか、無機質だとか、正直どうでもいいと思う 

それこそ、たんたんと執行するのは死刑囚に対して優し過ぎるとさえ感じる 

執行後、無言で何がおかしいのか 

執行後に和気あいあいと雑談する方が異常ではないかとも思うが、逆に無言なのも精神的に心配でもある 

 

死刑廃止なんて、誰の為だろうね 

寧ろ、もっも枠を拡げるべきだと思う 

 

=+=+=+=+= 

この問題以前にまず何故死刑を行わなければならないのか?だと思う。 

だがそれは「それに値する罪を犯し尚且つ償う方法が無い」からである。大体が他人の生命を無慈悲に奪ったのが理由になるのだろうけど、それでも被害者からしたら今すぐ執行して欲しいだろうしもしかしたら自分達の手でやりたい人も居るかも知れない。確かに人を殺めるにはそれなりの理由が有るのだろうけど、その為に司法が有り裁判が有り今は陪審員制度も有る。 

 

=+=+=+=+= 

3審もして、しかもどの裁判でも長い時間をかけて判決を出して、裁判によっては裁判員までかり出して、それで死刑判決が出たのに、なぜ死刑が執行されずに死刑囚が何年も生かされているのか? 

再審請求の可能性があるようなら、そもそも判決は死刑にはならないのでは?と一般庶民は思うのですが。 

死刑判決は重いもの。であればあるほど、判決が出た以上、即執行してもらいたい。 被害者遺族にしてみれば、そこからまた死刑執行まで長い時間を待たなければならないのでは? 

人権を踏みにじられた遺族がいつまでも待たされるのはどうなのか? 

人権擁護の名の下、人権を踏みにじられた被害者側ではなく、踏みにじった加害者側の人権擁護が叫ばれるのは私には理解できない。 

極論は、他人の人権を死という形で踏みにじった者に守られるべき人権はない、というのが被害者側の立場と思う。 

税金を費やして刑務所で生をつながせているのも疑問を大いに感じる。 

 

=+=+=+=+= 

無機質であろうとなんであろうと、何故その人が死刑を執行されるのか、という事実があるだけではないかと思います。殺人であったなら、被害者は死刑よりむごい瞬間を加害者から一方的に与えられ命を奪われる。被害者の家族は一生その記憶に苦しむ。それを思うと情状の余地はないと私は思います。被害者の人権を無視した犯罪者に人権はもはやないと感じます。 

 

=+=+=+=+= 

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが罪を犯すのも人。 

犯罪にその程度の違いはあれど罪は罪。 

罪人はその償いが課される。 

一連のオウム事件、池田小学校殺傷事件、相模原障害者施設殺傷事件、京都アニメーション放火事件。 

何人もの尊い命を奪った罪はその命をもってしても償えるものではない。 

被害者遺族にすれば加害者の死刑が執行されたとしても奪われた人はかえってはこないし癒やされることもない。 

死刑を廃止したとしてそれに代わる刑があるだろうか。 

無期懲役囚の中には老いて病を得、医療刑務所で手厚い看護を受けている者もいる。 

死刑制度の是非は答えのない問を投げかけられているように感じる。 

 

=+=+=+=+= 

論点はさまざまだが、死刑を廃止した国にも、一定の合理性があることを日本人はもっと知ってもいいのかも、と思うことはある。 

 

日本の死刑の場合、強盗殺人や強姦殺人など凶悪犯罪に限って死刑になるのであって、そうした凶悪犯に見合った報いが死刑なのだ、と発想することは全く自然なことで、それ自体は全然問題ないと思う。 

 

でも、死刑は後戻りが効かない。袴田事件のように冤罪の疑いがあるのに国家が人を排除する危険性を孕む。 

 

そして、先に上げたような凶悪な犯行に対する報いとして死刑というのも、終身刑や他の刑罰では代替できないかと言えばそうとは限らない。残りの人生が塀の中の終身刑はある意味で死んで終わるより辛いかもしれない。 

 

「凶悪犯への報い」を「後戻りも効かず国家が人を排除する怖さ」より優先することは果たして合理的だろうか? 

 

と言う風に、考え方は色々あるのだと日本人の多くは知らないんじゃないだろうかね。 

 

=+=+=+=+= 

千葉さんは立派な方だと思う。死刑に賛成であれ反対であれ、実態を知るべきという点は全面的に同意。また自身は反対の立場でありながら、法相の責務として死刑を執行したことは法治国家として評価すべき。 

 

むしろ、死刑判決が出ても何年も執行されない状況こそが違法状態。 

 

賛成か反対かの議論は大いに結構だが、現行の法に則った死刑執行は粛々と進めるべき。死の責任を恐れて死刑執行命令を出さないのは法相としての職務怠慢だと思う。 

 

その意味で上川さんはよくやったと思うし、今回の総裁選で首相に選ばれて欲しい人。 

 

 

=+=+=+=+= 

千葉さんは立派な方だと思う。死刑に賛成であれ反対であれ、実態を知るべきという点は全面的に同意。また自身は反対の立場でありながら、法相の責務として死刑を執行したことは法治国家として評価すべき。 

 

むしろ、死刑判決が出ても何年も執行されない状況こそが違法状態。 

 

賛成か反対かの議論は大いに結構だが、現行の法に則った死刑執行は粛々と進めるべき。死の責任を恐れて死刑執行命令を出さないのは法相としての職務怠慢だと思う。 

 

その意味で上川さんはよくやったと思うし、今回の総裁選で首相に選ばれて欲しい人。 

 

=+=+=+=+= 

先進国で死刑制度が残るは非常に少ない、さらに残虐と言われる絞首刑はもっと少ない。家族を殺された悔しさは日本人だけのものではないのにだ。さらに国内で殺人事件が起こる度に死刑の抑止力にも疑問が残る。被害者感情なら死刑を望む気持ちも理解できるが、「希望されるなら執行現場をご覧になりますか?」と問えば多くは「ノー」だと想像する。それほど死刑執行に関わる人の負担と負荷が大き良いことを意味している。 

凶悪犯罪者への私の考えは、殺して楽になどさせない、生涯苦しむが良い。と思ってます 

 

=+=+=+=+= 

ブラックボックス化という、日本を含む多くの国での死刑執行のプロセスが秘密裏に行われることへの批判なのでしょう。これは、透明性の欠如が法制度への信頼を損なうという懸念に繋がるため、無機質で不透明なシステムに違和感を覚えるということで、死刑の実施がどのように行われているのか、またその正当性やプロセスに対する情報が限られているため、批判や不安が増大するのは自然なことなのかもしれません。 

 

一方で、死刑廃止論者の声が強まっていることで、多くの国で死刑が廃止されたり、執行が停止されたりしている中で、死刑制度に対する疑問や反対意見が増えるのは当然の流れです。死刑制度の是非については、人道的な視点、犯罪抑止力、被害者や遺族の感情、誤審のリスクなど、さまざまな要素が絡み合っています。私自身、廃止論者の意見を「被害者に対する心なき雑音」と感じていますが、その意見も制度に対する異なる見方なのでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度については必要だと思います。 

罪を犯した人間は受けた人間以上に罰を受ける必要があると思います。 

しかし、問題は死刑囚の扱いについて。 

死刑執行までの期間に血税をもって食事と屋根ありの寝床を提供しつつ、刑務作業は無しと聞きます。 

刑務作業は社会復帰の意味合いもあるそうですが、死刑囚は復帰とか関係なく少しでも罪滅ぼしとして貢献してほしいと思います。 

このご時世、普通に働き食事がままならない人もいる中で、罪人が何もせず生きているのはおかしな事。 

官僚や裁判の細かい事はわかりませんが、最高裁で決裁されたなら法務大臣は数年以内に死刑執行するのが、必要な制度かと思います。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも殺人事件をはじめとする死刑判決が出るような事件を起こす死刑囚が悪いわけでなぜ周りが悩まされないといけないのだろうか。 

 

刑事訴訟法に死刑の執行の命令は判決確定の日から6か月以内にしなければならない旨の規定があるので、きちんと予断を持って死刑判決確定の日から6か月後に機械的に執行するのが望ましいと思います。 

 

時の大臣の意向で時期が左右されたりすることの方がはるかに問題です。 

 

=+=+=+=+= 

突然恐怖にさらされたり、不意に、、。健康体であっても個人の都合、不注意で亡くなる。残された家族や近しい方々の心まで奪う者に償える物は一つもない。裁判さえも残酷で被害者側の人生の負担ははかりしれない。おそらく、死刑でも納得がいかないと思う。刑務所だろうが国民の税金で生かられ何年も規則正しく生活してる。死刑囚の親、家族が平気で生きられる。なぜ、一緒に償わないのか?守られるのかわからない。税金や保険だけでなく、家族も償うべきでは?親の教育段階で変えるべきことは無数にある。大人になる前に親が教育して社会に出すべき。問題、不安がある場合は施設にあずけ回避すべき。 

 

=+=+=+=+= 

法務大臣が、死刑の執行を見るのは駄目だと思います。法務大臣は、刑の執行を命令する立場の人です。誰でも人が殺されるところを見ればショックを受け、執行の命令を下すことに躊躇が生まれます。 

しかし、死刑囚は他人の命を奪った者です。ひどい酷たらしい殺し方をした者も多いでしょう。速やかに刑を執行できる法務大臣が求められています。誰でも自分の命令で人の命をを奪うのは嫌です。しかし法務大臣は、それをしなければならない立場の人間です。冤罪でないことが確実と判断したら、機械的に執行すべきです。それができない人は法務大臣にならないでほしい。 

 

=+=+=+=+= 

執行に立ち会ったことについては、評価されるべきだと思います。 

命令を下すものとして、その実態を確認することはとても大切な事です。 

 

そのうえで無機質さについてですが、私は無機質かつ粛々と執行されるべきだと思います。 

そもそも死刑囚というのは、罪を犯し裁判を経た上で死刑囚となっています。 

その執行ですから、情が入る必要はありません。 

 

=+=+=+=+= 

何度も何度も書くが、冤罪の疑いが無い判決は即座に執行すべきだ。 

何のために長い時間をかけて裁判を行い、その判決を出すまでの苦悩を受けたのか?そのプロセス全てを尊重するためにも機械的に処理するべきである。 

法務大臣は個人の見解など稚拙なものは心にしまい膨大な時間をかけた司法を尊重すべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

なぜ終身刑がないのか? 

確かに凶悪犯罪組織やテロリストなど受刑者奪還のために拘置所が攻撃される恐れがある場合や、受刑者本人に罪の悔恨がなくその後も贖罪の意志が生まれることが無いと断定できる場合には必要かもしれない。ただ、それでも死刑に処せられることを目的とした凶悪犯罪は防げない。 

死をも上回る苦痛を伴う懲役によって生涯被害者遺族に賠償し続けさせることはできないものだろうか? 

 

 

 
 

IMAGE