( 215683 ) 2024/09/26 17:05:32 0 00 〔PHOTO〕GettyImages
元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、11年にわたって行われた「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。
【写真】日本銀行は、将来債務超過になるのか?
財政ファイナンスに酷似する日銀の国債買い入れによって財政規律は弛緩し、予算の膨張に歯止めがかからなくなった。異次元緩和の終了による金利上昇によって、今後、国債の利払い費の急増が予想される。はたして、世界最悪レベルにある日本の財政は持ちこたえることができるのか。
※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。
写真:現代ビジネス
日銀の財務をめぐっては、将来、債務(負債)超過に陥るかどうかもしばしば議論の対象となる。
債務超過とは、資産の価値の目減りなどにより負債が資産を上回り、自己資本を負債の削減に充てても、なお補填しきれない状態をいう。注意を要するのは、①バランスシート上の資産超過・債務超過の概念と、②保有有価証券の時価変動を加味して、実勢の価値(時価)を反映した資産超過・債務超過の概念の2種類があることだ。後者はしばしば「実質資産超過」、「実質債務超過」と呼ばれる。
日銀の場合、保有する国債は償却原価法と呼ばれる評価方法を用い、バランスシート上は時価評価を行っていない。保有するETF(信託財産)も、時価が大きく下落する場合を除き、買い入れ時の価額をそのまま維持している。ただし、時価情報は決算の都度明らかにされており、開示情報から含み益・含み損(簿価と時価の差)の把握は可能だ。
はじめに、②の実態としての価値から検討してみよう。
長期金利が上昇すると、債券の価格が下がり、実態としての資産価値が棄損される。前述のとおり、償却原価法のもとでは時価評価を行わないので、この段階ではバランスシート上の自己資本は棄損されない。②の実態把握は、あくまで、時価の下落によって生じる含み損を自己資本に加味すれば、どの程度資産・負債のバランスが変化するかを計算するものである。
2023年度末の実績では、日銀はバランスシート上の自己資本として、法定準備金・資本金約3.55兆円を有していた。このほかに、債券取引損失引当金約6.98兆円があり、これも債券価格の下落時に利用できる。したがって、ここでは、法定準備金・資本金に債券取引損失引当金を加えた約10.5兆円を、いちおう「自己資本」として捉えておこう(図表4-5)。この金額は、バランスシートの規模約756兆円に比べれば、さして大きなものではない。
一方、保有有価証券は国債と信託財産(ETFやJ-REITなど)がほとんどを占める。国債は、バランスシート上の価額(簿価)約589.7兆円に対し、時価は約580.2兆円だった。すなわち、債券金利の上昇で、すでに約9.4兆円の含み損が生じていた(端数が合致しないのは四捨五入をしているため)。ちなみに、23年度末の10年物国債の市場利回りはおよそ0.75%であり、おおむねこの金利水準に対して約9.4兆円の含み損が発生していたこととなる。
これに対し信託財産(ETFやJ-REITほか)は、価額(簿価)約38.0兆円に対し、時価が約76.0兆円だった。株価の上昇が時価を押し上げた結果、約38.0兆円の含み益が発生していたことになる。
以上を踏まえると、2024年3月末時点では、39兆円程度の実質資産超過(資本金・法定準備金+債券取引損失引当金―国債の含み損+信託財産の含み益など)だったと計算される。
これをもとに、長期金利上昇のインパクトを試算してみよう。2022年12月、日銀の雨宮正佳副総裁(当時)は参議院予算委員会で、金利上昇時の日銀財務への影響を問われ、長期金利が1%上昇した場合には28.6兆円、2%上昇した場合には52.7兆円の含み損が発生すると答弁していた。
その後2024年3月末までに日銀の保有長期国債は50兆円程度増えたので、これを織り込めば、長期金利が1%上昇すればおおむね31兆円程度の、また2%上昇すればおおむね58兆円程度の含み損が追加で発生すると推定される。
信託財産の含み益が変わらないと前提すれば、前述の「資本金・法定準備金+債券取引損失引当金―国債の含み損+信託財産の含み益」は、1%の長期金利の上昇では8兆円程度の実質資産超過を維持できるが、2%の上昇では19兆円程度の実質債務超過に陥る計算となる(図表4-6)。実質資産超過と実質債務超過の境目は、長期金利の上昇幅1.3%程度にあるようだ。
ちなみに、2024年3月末の10年物国債金利は前述のとおり0.75%程度だったので、1%の長期金利の上昇とは0.75%程度から1.75%程度へ、2%の上昇とは0.75%程度から2.75%程度への利回りの上昇を想定していることとなる。実質債務超過への転換は、23年度末対比1.3%の上昇、すなわち0.75%程度から2.05%程度への上昇で起きる。
また、ETFの含み益に多くを依存した試算結果であるだけに、株価の影響を強く受け、株価が急落すれば実質資産超過の額が大きく下振れること(または実質債務超過の額が大きく上振れること)に注意が必要である。
ちなみに、2020年3月末時点の日経平均株価は1万8917円だったが、そのときの日銀保有の信託財産(ETF)は、簿価約30.9兆円に対し時価約31.2兆円とほぼ同額だった。その後、日銀はETFを6兆円ほど買い増したため、現時点ではおおむね日経平均1万9000円台が含み損益ゼロの水準と推定される。
仮に日経平均がこの水準まで下落し、信託財産(ETF)の含み益(24年3月末約37兆円)が全額失われれば、その分、日銀の実質ベースの資産超過額(または債務超過額)は下押しされる。前述の長期金利の上昇と信託財産(ETF)の含み益消滅とが同時に起きれば、長期金利1%の上昇で29兆円程度の実質債務超過に、また同2%の上昇で56兆円程度の実質債務超過となる計算である。
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次に、バランスシート上の資産・負債への影響を考えてみる。有価証券の主体である国債、信託財産(ETF)は時価評価されないため、含み益、含み損はバランスシートに直接反映されない。バランスシート上の資産超過、債務超過は、もっぱら期間収益の動向で決まることになる。
2024年3月末の時点では、「資本金・法定準備金+債券取引損失引当金」の約10.5兆円が、資産超過の概念に対応する。
2023年度の期間損益をみると、国債利息が約1.7兆円、信託財産の分配金等が約1.7兆円だった。このほかに外国為替収益として約1.7兆円があり、その他の収入・費用とあわせて経常利益はプラス約4.6兆円だった。これに、債券取引損失引当金や外国為替等取引損失引当金の引き当てを特別損失として計上し、税引前当期剰余金は約3.1兆円だった。
このうち、外国為替関連(外国為替収益と外国為替等取引損失引当金)は、円相場次第で大きく振れるため、収益の実力を知るにはこれを控除してみるのが適当である。債券取引損失引当金の引き当ては、債券価格の下落時に損失の補填に利用できるため、組み戻して考えるのが適切だ。
以上を再計算すると、約3兆円が年間の「実力値」だったと推定される。
次に、異次元緩和が終わり、今後、金融の正常化が進められる場面を想定してみよう。詳しくは第6章で述べるが、金融政策は当座預金への付利金利の上げ下げで行い、保有国債は満期を待って落としていくこととなる。
金利付利の対象となる日銀当座預金を530兆円程度とすると、当座預金への1%の付利で年間5.3兆円の金利支払いが発生する。2%の付利では年間10.6兆円の金利支払いとなる。前述の国債利息や信託財産の分配金と合算すると、1%の付利で期間収益は2.3兆円程度の損失、2%の付利で7.6兆円程度の損失となる。
2年目以降も損失は引き続き累積していくが、損失の大きさ自体は年々縮小していく。国債残高の圧縮に見合って当座預金の残高も減り、金利支払い額は徐々に減少していくからだ。
資産超過・債務超過の概念はフローでなくストックなので、重要なのは期間損失の累積額である。試算すると、ピーク時の期間損失累積額は1%の付利で8兆円程度、2%の付利で36兆円程度となる。これらを自己資本の額約10.5兆円から差し引くと、1%の付利であれば、2.5兆円程度の資産超過となる一方、2%の付利であれば26兆円程度の債務超過となる。資産超過、債務超過の境目は、付利金利1.1%程度の水準となるようだ(前掲図表4-6)。
なお、期間収益の上記試算も、ETFの分配金や株式の配当金等に多くを依存していることに留意する必要がある。仮に、分配金や配当金等が2023年度対比半減すれば、年間収益の実力値は約3兆円から約2.2兆円に圧縮される。これを前提に、当座預金に対する付利金利の上昇時の影響を再試算すると、付利金利1%の上昇であれば、ピーク時4兆円程度の債務超過に転化し、2%の付利であれば同33兆円程度まで債務超過が拡大する結果となる。
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以上を要約すると、日銀が金融政策の変更を通じて当座預金の付利金利を1.1%程度引き上げると、バランスシートは債務超過に陥る可能性が出てくる。付利金利の引き上げ幅がそれ以上に大きくなると、債務超過の金額が拡大する。また、10年物国債利回りの水準が2.05%程度まで上がると(長期金利が23年度末対比1.3%程度上昇すると)、実質債務超過に陥る可能性が生まれる。金利の上昇幅がそれ以上に大きくなると、実質債務超過の金額が拡大する。
もし、日銀が言うように、本当に物価上昇率が持続的、安定的に2%で定着するのであれば、長期金利の水準は2%台半ばから3%前後まで上がっておかしくない。この場合、短期金利も2%近くになっておかしくないだろう。日銀がどの程度のスピードで利上げを行うかは、最終的には物価上昇が進む速さ次第となるが、債務超過、実質債務超過は決して「夢物語」というわけではない。
同時に、今の日銀の財務はETFの含み益と分配金に多くを依存する構図にあり、株価に脆弱なバランスシートにある。株価や配当金等の変動次第で、試算結果は大きく変わってくることに注意が必要だ。
ただし、日銀は、外部から資金を借り入れることなく、みずから「マネー(当座預金や発行銀行券)」を創造できる。したがって、民間企業や民間金融機関の場合と違って、資金繰りの面から行き詰まることはない。中央銀行とは、そのような特別な存在だ。
しかし、だからといって楽観視はできない。中央銀行に対する信認は、債務超過で資金繰りに支障を来すかどうかではなく、債務超過に陥りかねない姿を市場がどう評価するかによって決まる。もし信認が低下すれば、咎めは円相場の急落や物価の急上昇となって現れてくる。
もともと債務超過の可能性を懸念しなければならない状況に陥るのは、日銀が財政赤字を実質的にほぼ丸吞みしたからである。国の債務残高がどんどん膨らみ続け、その資金繰りを中央銀行が丸ごと面倒をみている国を、市場は信頼し続けるだろうか。財政規律に乏しい国は、経済の生産性も低下しているはずであり、国と中央銀行への信認は低下する可能性が高い。
わかりやすく言えば、次のようなことだ。日銀の債務超過を解消するため、国が日銀に追加出資する予算を立てたとしよう。現在の日本銀行法は1998年に施行されたものだが、それ以前の日銀法には、損失に準備金を充てても足りない時は政府が補填するとの付則があった。現在の日銀法にこの付則は存在しないが、そうした状況を想定してみる。
この場合、政府は国債を発行して日銀への出資金に充てようとするだろう。仮に市中での追加の国債発行が難しく、結局、日銀が国債を市場から買い入れて賄うとすれば、みずから通貨を創造できることを利用した「錬金術」にほかならない。そのような国の通貨が信用され続けることはありえない。信認を失った時点で円相場は大きく下落し、物価は大幅に上がる。これが、真の懸念である。
以上をまとめれば、次のようになる。金利の正常化の過程では、バランスシート上、あるいは実質上、債務超過に陥る可能性が出てくる。もっとも、日銀はみずから資金繰りをつけることのできる特別な存在なので、短期的に放置することは可能だ。しかし、国の資金繰りを日銀がほぼ丸ごと面倒をみた結果なので、国と日本円に対する市場の信認が低下するリスクは着実に高まる。
通貨の信認は過去の長い歴史の中で脈々と積み重ねられてきたものであり、心理的な要素が強い。いったん疑念が生じると、取り返しのつかない事態も想像される。そうした万一の事態を想定して、財務の健全性確保に努めるのが「通貨の番人」たる中央銀行の責務である。
主要な論点は、財政規律の緩みと財政ファイナンス酷似の日銀による国債買い入れにある。債務超過は、結果として起きる象徴的な出来事の一つに過ぎない。債務超過でないからといって、安心してよい話ではない。
先人が脈々と築き上げてきた日本と日本円に対する信認を次の世代に引き継ぐのが、私たちの世代の責務である。財政ファイナンスに酷似した買い入れで積み上げた国債残高を、高水準のままいつまでも放置するわけにはいかない。
*本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか。
山本 謙三
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