( 216014 )  2024/09/27 16:59:14  
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実は不登校の子どもにも親にも問題はありません 多様な学びを提供できない行政と大人の責任

東洋経済オンライン 9/27(金) 12:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/7dcf8bfb46d646629bf386c4ca8764aa5da01627

 

( 216015 )  2024/09/27 16:59:14  
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不登校に関するフェイクについて考える。

日本の政治や社会には大中小のフェイクやデマが溢れており、この現象を踏まえて「半径5メートルのフェイク論「これ、全部フェイクです」」という著作を執筆した政治学者の岡田憲治氏が、子どもの不登校に対しても考えを示している。

不登校の子どもが急速に増加しており、登校拒否や「無理して行く子ども」も存在する。

学校は「学び」の場ではなく、無理な訓練場として位置づけられており、子どもたちの違いや希望を無視して同一の教育システムが提供されている。

21世紀の日本には大きな共通目標が欠如しており、個々の子どもに合った教育システムを提供する必要があると述べられている。

不登校に対する責任や対応方法について、保護者や教育機関も真剣に考える必要がある。

(要約)

( 216017 )  2024/09/27 16:59:14  
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不登校にまつわるフェイクについて考えてみます(写真:beauty-box/PIXTA) 

 

「青少年の刑法犯罪は増加の一途」 

「生活保護費の不正受給が蔓延し財政が逼迫」 

もっともらしく聞こえますが、これらはフェイクです。気がつけば、日本の政治や社会を考えるための基本認識に、大中小のフェイクとデマがあふれかえっています。 

「『世界は狂っている』という大雑把で切り分けの足りないペシミズムに陥らないことが大切」と述べるのは、政治学者の岡田憲治氏。大中小のフェイクについて考えることをスイッチにして、この世界を1ミリでも改善するための言葉を共有する道を探そうと企んで執筆したのが『半径5メートルのフェイク論「これ、全部フェイクです」』。今回は、不登校にまつわるフェイクについて考えてみます。 

 

■少なくない親御さんたちが悩んでいる 

 

 不登校の子どもの数が大変なスピードで増えています。 

 

 文科省の発表によれば、全国の小中学生の不登校の子どもは約30万人(2023年)だそうです(高校生も含めると約36万人)。 

 

 言い換えれば、「学校に行かない」と意思表明し、それを貫いた子どもが30万人いて、なおも「言えてない」から「無理して行っている子ども」が推定でその何倍もいるだろうということです。 

 

 子どもの不登校の現場は、なかなか切ないものです。私の家は、窓から小学校がすぐ近くに見えるところにあるのですが、小学校の敷地の角では、鬼の形相で子どもの腕を引っ張るママと、全身でそれに抵抗する子どもの「人間綱引き」のようなものが散見されます。胸が苦しくなる風景です。少なくない親御さんが我が子の不登校に悩んでいると言います。 

 

 昔は話が簡単でした。今とはまた次元の違う格差社会だったため、学校に「行きたくても行けない」子どもたちも大量にいました。「勉強なんてしたって家計の足しになりゃしねぇ。家の手伝いをしろ」と言われた子どもの悲しみは、時代を経て「学校に行ける幸せ噛み締めて、行けるんだから行け」となって回収され、その後は「どんなに勉強できなくてもいいから、学校に行くだけは行け」となりました。 

 

■「学び」の場ではなく無理ゲーの訓練場 

 

 

 それでも学校に行くのが嫌な子どもは「登校拒否児童」とされ、その原因は「親のしつけ」と「子どものワガママ」だと教員や親に断定され、文部省の調査も「先生になされるアンケート」によるもので、子どもの声の聞き取りなど、この調査には含まれていませんでした。子どもは「教育(成形)の対象」であり、「行くのが前提」の時代です。 

 

 しかし、6歳から18歳までの未成熟な人間を、彼らの希望も聞かずに勝手に40人ぐらいの教室に放り込み、同じことを同じ工程で同じ時間で身につけさせるという、養豚場のようなことを150年やって来て、もう「それは学びじゃなくて無理ゲーの訓練だよ」とされつつあります。 

 

 そして、殖産興業と富国強兵、国威発揚と大陸進出と敗戦国家と高度成長とその終焉を経て、「サンセット・ジャパン」となりつつある今、次のようなことが、多くの人たちの認識となってしまいました。 

 

 「こんなやり方をいつまで続けるのですか?」 

 

 私は、これこそが数十万もの「学校に行かない」とした子どもたち、そしてそれでも耐えながら無理をして行っている「苦」登校の子どもたちのメッセージだと確信しています。 

 

■学力とは「苦行への耐性」への評価?  

 

 1960年代末に学校に入って、もう半世紀以上を学校で生きてきた私には、そうとしか思えないのです。 

 

 もうこのシステムでは、子どもたちはどんどん「学び」が嫌いになっていきます。もはや学力というものに含まれるのは、相当量の「苦行への耐性」です。名門大学に入学した者は「その程度の耐性があるのだな」と評価されているのかもしれません。 

 

 そして、「効率的情報処理」と「社会権力をもつ者への忖度」の技術を習得することに関心がない「学びたい」者たちは、「ドキドキしながら、時間を気にせず、好きなことを、好きなようにトライして確かめて、何かを発見する」ステージと時間を用意されない限り、楽しく生活するエリアも時間帯も見出せません。 

 

 

 学校に行って校庭で同じ体操服を着せられて、真冬にジャケットを羽織ることも禁じられて、「前にナラえ!」と言われる理由がもはやわからないのです。 

 

 そもそもが、老若男女が共通してもつ大きな社会目標、時代的苦難や、国民的希望などがない時代に、人は「国家社会の発展のために技術と知識を効率的に短期間に身につけさせる訓練」をさせられ続けることなどできないのです。 

 

 頑張らないと西欧列強に植民地にされる、資源のない島国が生き延びるためにはアジア隣国を活用する、焦土と化した国土を復興させるなど、大きな共通目標がないのが21世紀のニッポンです。 

 

■educateとは「外に引き出す」が原義 

 

 グローバル経済が、20世紀型の生産業と洪水のような輸出貿易と為替の差額で稼ぐモデルを無効にさせた後、明治以来「自分たちはどのような役割を果たして世界に貢献できるのだろう?」と、ただの一度もちゃんと議論をしたことがない私たちの国の人間は、同時に「40人が教室に放り込まれて同じことを覚えさせられる」理由もわからないのです。 

 

 もちろん私は、「座学などすべて廃止して、興味のおもむくままに好きなことを子どもたちにやらせるべきだ」などという極端なことを言いたいのではありません。 

 

 教育とは、〝educate〞、すなわち「〝e(x)〞外に〝ducatus〞引き出す(ラテン語)」という意味ですから、すべてにおいて個体が異なる未成熟な人間の何かを引き出すには各々固有のやり方と場が必要であり、それらを豊かに提供することこそが最も必要なことです。 

 

 現実には、100人の子どもに100通りのやり方で対応するような教育システムは、数十年の時間をかけねば提供できないとしても、少なくとも大人でも気の合わない他人数人と同じオフィスで過ごすストレスに耐えられないのに、40人と何百時間も一緒にさせられて、毎日定時に同じ教室に行かされるようなことを避ける「学びの場」を複数種類は用意できるはずです。 

 

 

■かつて「学級が嫌い」になった大学教員の私 

 

 最初の一歩レベルのことですらできることはたくさんあります。 

 

 学びや心にストンと落ちる速度も契機も異なる多様な子どもたちに対して、どうして「同じ量、同じ課題、同じやり方」を強要するような宿題を出すのでしょうか?  

 

 自分の学びにおける「気づき」を知らせたい先生がどうしてこんなに少ないのでしょうか?  

 

 少子化になれば「夢の20人学級実現」と思っていたのに、どうして今「教員不足」によって、ハードワークに追い込まれた多くの教員のうつ病が発生しているのでしょうか?  

 

 私は、ある意味で学校の終着点である大学の教員ですが、中学校くらいから「学び」がしたくて「学級が嫌い」になった者として、大学は学びの場と時間を選択できる、相対的にストレスの低減された場所でした。「そこに到達するまでは耐えよ」と言われて、ギリギリで生きてきました。 

 

 しかし、それを21世紀の「1人1台ポケットにコンピューター(スマホ)をもって、大量の情報の選択とコミュニケーションを強いられる」ティーンズたちに要求するのは、大人の怠慢だと思うのです。 

 

 かつて「学校に行かないと惨めな人生が待っている」と脅された私は、そういう追い詰められたティーンズの最中、人間としての自然体を維持できるものと空間を自分で発見せざるを得ず、音楽と楽器に没頭しました。 

 

■文科省も認める「不登校の責任」とは 

 

 しかし、それはひたすら僥倖であったのです。それを可能とさせる諸条件がたまたまあったからです。親と生まれる地域と時代は選べません。 

 

 学校に行かない子どもが家の中でゲームばかりをやっている姿を見る保護者のストレスも想像できます。かつて「学校だけは行け。行かないなら家を出ていけ」と生存の危機を通じて追い詰められたことのある私には、「行かない子ども」の気持ちも、「行かない子どもを見守る不安」もわかります。どうするのよ?  これから?  

 

 

( 216016 )  2024/09/27 16:59:14  
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このテキストには、不登校に関するさまざまな視点や論調が含まれています。

一部の人々は、オンライン学校や多様な学びの提供を強調して、不登校の子どもたちをサポートする必要性を訴えています。

一方で、親や子ども自身に責任があるとする意見もあり、一部の人は行政や大人に責任を押し付ける姿勢に批判的です。

 

 

一部のコメントでは、現行の学校教育や社会に対する批判が見られ、日本の教育制度への疑問や改善を求める声が挙がっています。

また、一部のコメントでは学校に対する否定的な意見や、日本の社会全体に対する批判も表現されています。

 

 

総じて、不登校や教育に関する問題に対する様々な見解や主張があり、それぞれのコメントには著者の背景や立場からくる考え方が反映されています。

 

 

(まとめ)

( 216018 )  2024/09/27 16:59:14  
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=+=+=+=+= 

各学校で個別に対応するんじゃなくて、オンラインで義務教育同等のカリキュラムを提供する学校を作って、全国の不登校児童を一括してフォローする方が効率的なんじゃないかな。 

不登校の場合は、オンライン学校に転校という扱いにして。 

 

体育等の実技はできないけれど、家で一日中ゴロゴロしてて、復学しようにも勉強着いていけないという状況よりは、オンラインで勉強だけでも進めておけば復学しやすいと思う。 

 

メンタル面のサポートも専門家を置けるから、教師が手探りでやるより良いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

不登校って今どき珍しくなくて私の友人のお子さんたちにもたくさんいる。 

誰もが不登校になる可能性がある時代だと思う。 

 

ただ私の友人たちは不登校の原因を社会や学校の問題ではなく、個別の問題だと考えていた。イジメだったり、親子関係だったり、中受して学校にあわなかったり、それこそ原因は千差万別なんだけど、原因がわかれば対処できるので みんな学校へ戻っている。 

 

学校が悪い。社会が悪いという前に 親と子供が自分に向き合い、なぜ学校に行けなくなっているのか考えないと どんな素晴らしい学校を作っても問題解決に繋がらないのでは? 

 

少人数制にするとか 複数担任制にするとかは 進めるべきだとは思うけどね。 

 

=+=+=+=+= 

この記事で想定しているのは少し古い日本。今の日本では既に多様な学びの場が用意されている。フリースクールや不登校特例校、校内教育支援センター等、これは本当に急ピッチで進んだ話なので、この記事はそこについていけなかったのだろうと推測はするが。 

今現在は、この記事のような誰が悪くて不登校になるのかという話をしている段階ではなく、不登校の子どもへの支援方法を議論する局面。 

今こそ立ち返るべきは日本国憲法の教育を受けさせる義務。つまり、子どもが不登校になった時に親は教育を受けさせる義務を果たすために周りの手を借りるという発想が必要。 

親が悪くて不登校になったわけではない。しかし、自分は悪くないからと言って自分の子どもの不登校に対して何もしないことは日本国憲法に反する行為。 

 

=+=+=+=+= 

「学校に行かない」と意思表明? 

それは大きな大きな勘違いだと思います。 

30万人中、「学校に行かない」と意思表明の子がどれくらいいるのでしょう。確かにここ数年の不登校ではそのような子も増えているのかもしれません。しかし、学校に行きたくて行けない子、エネルギー切れの子もまだまだたくさんいます。多様な学びの提供も必要なのかもしれませんが、今まで通りスモールステップで学校に復帰できる道も残してほしいです。 

本人自身もわけがわからず気持ちを表出できず大人達から別の場所を提供されるのはとても酷です。ますますこもるしかなくなる。 

これだけ増えている不登校を問題視するべきで、子供達が抱えているしんどさが見えてない現状から対応してほしい。 

 

=+=+=+=+= 

いい加減に気づいて欲しいです。日本の教育はやり方を絞りすぎている。多彩な考え方が出来ないと世界には通用しません。ドイツ式の計算方法などは、見ていて面白い。アメリカは答えを決めて解き方を考えるように問題を出します。世界の認知症率でも日本が1位です。この結果が全てを示しています。頭を使わない教育ではなく色んな考え方ができる教育をお願いしたいです。 

 

=+=+=+=+= 

不登校は誰のせいでもないとは思う 

ただ多様な学びを用意出来ない行政の責任とは思わない 

世の中にはすでに多様な学びは用意されてます 

自分や自分の子供に合う学びを探して選べばいい 

インターや私立、フリースクール等はそれぞれの家庭が子供のために選んで進学していて、そのためにお金がかかることは仕方ない 

万人に平等で無償な学びやサポート以外が必要なら各家庭、個人で対応していく必要があると思う 

 

=+=+=+=+= 

この意見は間違っていますね。親に責任のある不登校は多いです。自分の怠慢や不心得の責任を自分で負っているので、自業自得といったところでしょうか。そういうこともあります。全部ではないですけどね。 

それよりも、学校に行く意味をきちんと伝えることができなくても大学で教鞭をとれることに愕然とします。学校で学ぶことは嫌な我慢でも修行でもありません。きちんと学ぶことができない人にはそうかもしれないですが、きちんと学ぶことのできる人にとっては、いろんなことが学びです。ワクワクすることです。そういう学びのできる教育を受け、好奇心を満たしている人は五万といます。このことを知らないで、何をいっているのかと、衝撃が走りますね。 

この記事に触れた皆さんは、これを鵜呑みにすることなく、きちんとした意見を持ち、乗り越えてください。 

 

=+=+=+=+= 

不登校の増加を「起こっている現象」ととらえることは賛成です。社会全体としてとらえる視点と同時に、ミクロでは「今、目の前の子が楽になること」をやりながら、まずは教職員の仕事量と教育指導要領の見直しを。大人もこどもも求められることややることが多すぎると感じてます。 

 

=+=+=+=+= 

基本的には賛成です。 

ただ率直に言うと「大学の先生の言いそうなことだ」という感じ。 

確かにそういう意見は耳にする。いち早く25人以下の学級にしてほしいし、ケチケチしないで公教育にもっと金使え!とも言いたい。 

しかしこれでは「親からの虐待は親に責任があるのではなく、追い詰めた社会のせい」「凶悪犯罪の犯人は大概生育環境に問題があり、犯人より親、そして社会のせい」となりかねない。 

 

最近妻の抗癌剤治療を伝えた知り合いから「抗癌剤は実はよくないらしい」とアドバイスをもらった。コロナに感染したら「ワクチン5回受けたの。実はワクチンには裏があるんだよ」とも。 

抗癌剤もワクチンも100%信じてはいないが、そうはいっても今できることを選ぶしかないのが私達一般庶民。 

大学の先生で研究者なら、まず親は何から始めればいいのか示してほしい。それが人情というものではないだろうか。 

 

=+=+=+=+= 

本当に学校を否定するのなら、学校に行かなかった子たちがすべて成功できるように支えてやればいい。その仕組みを作ればいい。 

それを見て学校に行ってる人がみな、「学校に行かないほが成功できる。充実した人生が送れる」って思い、そしてそれをみなが実現できるような世の中にすればいい。 

ぜひやってほしい。 

 

 

=+=+=+=+= 

いじめでの不登校の場合 

「実は不登校の子どもにも 

親にも問題はありません 

多様な学びを提供できない 

行政と大人の責任」 

ではなく 

 

1番は責任は 

教員だけでなく 

不登校の原因を作った 

子どもとその親が問題であり 

 

多様な学びを提供できない 

行政と大人の責任は 

その次ではないでしょうか。 

 

今は公立だけがすべてではなく 

私立やインターナショナルスクール、 

フリースクールも認められている。 

多様な学びを求めるなら 

家庭が決めることは可能。 

 

=+=+=+=+= 

「不登校は親子の責任ではない」 

不登校の家庭も千差万別。いろいろある。 

すべての親子に問題がない…とは当てはまらない。 

ケース1 

優しくしてくれる人が好きで依存しがち。 

騎馬戦の馬になっても苦しければ手を離してしまう。役割を果たさない。馬が落ちないように人一倍頑張る子に「手を離さないで」と強く言われると被害者意識しかない。 

ケース2 

手を頻繁に洗う。パニック障害が出る。 

人の言葉に傷つきやすい。 

ケース3 

姉弟3人とも不登校。 

母親は自分の立ち位置を気にする。トラブルが多く軋轢が生じやすい。 

子どもはこうありたい自分と現実の差を受け入れられない。 

 

他にもいろいろあるが、ゼロが百かみたいな子が多いように思う。 

30の自分でいいと思えればいいのだけど… 

 

=+=+=+=+= 

元不登校の生活保護受給者です。 

 

無理をして学校に行く必要はありません。 

日本には、「生活保護」や「障害年金」があります。このような制度を活用すれば、貧困が原因で死ぬことはありません。 

 

強いて言うなら、精神科の通院はしておいた方が良いですよ。 

不登校の原因が発達障害や知的障害であるケースは少なくありませんし、早期発見出来れば解決可能性が高まります。 

 

いずれにせよ、不登校の子供達には肩の力を抜いて生きてほしいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

「不登校の子どもにも親にも問題はありません」 

こういう言い方をすると、多数派である人達の共感・賛同を得やすいですからね。それで他に悪者を設定すると、そちらへ矛先を向けることが出来る。 

 

不登校というのは本当に色々なケースがあり、中には確かに当事者の子どもや親に問題・責任が無い場合もあると思います。 

しかし、そうでない場合もある。 

それらを一絡げにして、(本当は何らかの非があっても)安易に「アナタは悪くないんですよ」と擦り寄るのはどうかとも思うのです。 

 

=+=+=+=+= 

どうだろなー 

親に責任のある不登校の子もいるし、 

学校が原因の不登校の子もいるし、 

イジメが原因の不登校の子もいるし、 

その子の発達の特性による不登校の子もいるし、 

いろいろじゃないかな。 

 

ウチの子も、数年前中学の時に、ほぼほぼ3年間不登校だったけど、やっぱり今だに「親の私が原因だったなぁ…」と思ってる。 

そう思ったからこそ、あの時自分をめちゃくちゃ責めて、反省して子育てを見直したけど、 

もし、あの時息子が不登校にならなくて、 

私も、何も気がつかなくて、 

あのままあの子育てを続行してたら、 

今頃息子がどんな大人になってたか、考えるとゾッとする。 

息子には本当悪い事してしまったな~と。 

 

ただ、不登校の経験が大学入試に活きて、 

不登校の経験を売りにして面接受けたら通ったので、無駄ではなかった…かなぁ… 

 

=+=+=+=+= 

義務教育の始まりは、産業革命が起こり、そこの労働者を子供の頃から訓練する場であったと本で読みました。時間厳守、宿題、持ち物検査など軍隊なみの矯正があります。 

晴れてパッケージされるころには、◯◯卒と書かれ、市場に出されます。 

野菜も大きくなりすぎると箱に入らないので、規格外品として出回らないですよね?それと同じ仕組みを人間の教育に取り入れてるのですよ。子供たちを競争させて疲弊させるスパルタ教育。 

かつてのスパルタ国は滅亡しましたが、日本も同じ運命なのか? 

 

=+=+=+=+= 

よく教職員の研修会とかで大学教授が講演に来られる。そうした大学教授も千差万別、内容は実態をよく理解した具体論から机上の空論まで、人柄も現場教員を尊敬した方から見下した傲慢な方まで。 

この教授がどんな方かもちろん分からないけど、このようにしっかり現場で取材したのかどうか疑問を感じるような記事を発信するのは何だかなぁ。 

 

=+=+=+=+= 

義務教育自体が軍国主義に基づく制度ですから、戦争放棄した今では意味ないです。江戸時代には義務教育がなくても沢山の偉人がいました。寺子屋と私塾だけでいいのです。昔から憤せずんば啓せずと言って、切なる志がなければ何を教えられても身にならない。勉強したくない者に勉強させるというシステム自体が軍国主義であり、本来は勉強したい者だけが勉強すればいいし、勉強せずに家畜みたいになりたければ家畜みたいになればいい。ただし、家畜みたいになりたいと思うような子供に育てるのは大人の責任です。勘違いされても困るので言っておくが、ここで言う家畜とは、カネやモノ、肉体の欲求を満たしたいと願う人間のことであり、子供に限りません。家畜のまま大人になった人間が現代ではほとんどですから。まずは大人である自分が家畜であるかもしれないと各自自覚することからでありませんか。 

 

=+=+=+=+= 

こういう論調が一定の人種には受けるんだろうね。 

不登校の「大半」の原因は本人と親だよ。 

多様な学びってなんだ? 

オーダーメイドの服や靴、椅子や食事を提供してもらえるのか。オーダーメイドの学校が良いのであれば、金を払って、サービスを受ければ良い。 

今の学校(公立校も)は、過剰と言えるほど、子どもに気を遣っている。 

多様と言う、耳に心地良い言葉の中には、ワガママもかなり含まれる。 

何事も、提供されたのがお口に合わないなら、自分で金掛けて、合うようにするしかないんじゃない? 

 

=+=+=+=+= 

行政は既にパンクしてます。 

 

オプションの要求で、仕事増やさんといてください。 

 

基本的な事と追加の要望は分ける必要があります 

 

そういうのは、優しい支援団体に頼むか、民間がビジネスにすればよいとおもいます。 

 

 

=+=+=+=+= 

仮に親に原因があるとしても最初は普通に育てて普通に育つのを想定していた人がほとんどでしょうからあんまり叩き過ぎるのも建設的か自分としては微妙ですけどね。 

あと本人に原因があっても昔は類似事例をスルーだったとか本当に社会には何もなかったんでしょうか? 

 

=+=+=+=+= 

>1960年代末に学校に入って、もう半世紀以上を学校で生きてきた私 

 

この記事を読んで思ったのは「この筆者が言いたい事が分からない」 

岡田氏は本当に大学教授で政治学者なんでしょうか? 

50年以上もこういう仕事をしてきて、何も変革できなかったくせに、ただただ文句を言うだけで具体的な解決策は何も言わない。 

 

そして締めの言葉は「不登校は親子の責任ではなく〝起こっている現象〞であると、言い換えることから始めるべき」 

大学教授という立場の人間が言葉遊びで終わらせてどうするの?言い換えた所で本質は何も変わりません。 

 

=+=+=+=+= 

大人の責任というものの、親なら責任を問われないのは理不尽。本来、行政ではなく、保護者である親が状況に応じ対応するべき問題。行政が責任を認め金と人手を振り分けても、ほかの子はどうなってもいい、うちの子だけ特別に厚遇しろと怒り狂う親がでることはわかりきっているし。 

 

=+=+=+=+= 

子供の話を聞いていると今の学校は細かいルールが多く息苦しい感じですね。みんなと同じことができないと非常に過ごしにくい場所だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

アメリカだと不登校の場合、学校から連絡が行って家に警察が来て話聞かれて、次は親子で裁判所に出頭。〇曜日は登校しますとか、〇校時までは頑張りますとか、いろいろと約束させられる。守らなければ保護者の逮捕もあり得る。あっちは不登校は虐待って判断されるからね。 

 

=+=+=+=+= 

無理ゲーの訓練場と言いますが、卒業後の社会の方が理不尽ばかりの無理ゲーだと思いますが。不登校擁護は構いませんが、大人になってからも社会のお荷物にしかならんような人間を増やすのは止めてくれ。 

 

=+=+=+=+= 

学者で大学教授のこの方は 

日本社会の事をどこまで判っているのでしょ? 

企業に勤め、社会の黒い部分や闇を 

実体験として理解している方なのでしょうか? 

頭のイイ方の言う理想論は判りますが 

ではどうすれば日本社会は子供が夢を追えるような国になれるのか? 

そこを考えて欲しいし 

今の日本国は断じてそんな素敵な国ではない、っと言いきらせて頂きます 

 

=+=+=+=+= 

この記事こそフェイクです。 

不登校は子どもの責任でもあり親の責任でもある。人間社会かならず軋轢もストレスもある。そのを学び慣れていくためにも学校は大事。それをちゃんと子どもに教えられない親の責任は極めて重い。 

 

=+=+=+=+= 

枠に嵌めたがるマスコミと 

その枠から外れた人間に対し容赦なく 

デマの流布をしたがるマスメディア。 

大富豪が質素な生活をしてるにも関わらず 

成金と合わせ鏡のようにお金は使うものと煽る。 

永田町の報道を見ていれば分かるように 

若者は誰もテレビをみていないのです。 

 

=+=+=+=+= 

とりあえず、日本はOECDの平均ぐらいは公的教育に資金を投じたら? 

OECD最低クラスで、未だに40人学級ですよ少子化してるのに。 

子供への教育を軽視する国に未来あるんですかね。 

 

 

=+=+=+=+= 

最もらしいことを長々と書き連ねていますが、要するに「私の満足する社会を私の努力や責任無しに国や行政は達成しなければならない」とおっしゃっているわけです。そこまで言うならご自身が発案しご自身から始めるべきで、有用なら国も行政もついてきますし、むしろついてくる政治家を当選させるあるいはご自身が立候補当選して立法されれば良いだけの話なのです。それを150年間オカミが悪いとだけ言い続けた国民がいるだけの話なのです 

 

=+=+=+=+= 

その多様な学びを受けた子どもが許容される社会でない以上、行政と大人が提供したとしても結局は社会に出た時に淘汰されるだけ 

 

=+=+=+=+= 

申し訳ないけど、授業参観の内容がうっすすぎてびっくりした。勉強できる子は塾行ってんだろう。授業から学ぶものはなかった。 

 

=+=+=+=+= 

まあ、こういう意見がなくならない限り、不登校は無くなりません。現実と乖離し過ぎている。まあ、賢い人にはわかりませんね。 

 

=+=+=+=+= 

やっと、正しい主張の記事に巡り逢えました。 

決め付けによる、人格否定の被害が減りますように。 

 

=+=+=+=+= 

ホームスクーリングが普通に選択できる国もあります。 

日本は遅れていますね。 

 

=+=+=+=+= 

開き直ったように行政と大人へ責任転嫁しないでいただきたい。 

 

=+=+=+=+= 

不登校でない人達が何を言っても妥当な対応は出来ないでしょう.. 

 

=+=+=+=+= 

楽ですね。なんでも行政のせいにすれば良いわけですから。 

 

=+=+=+=+= 

また始まった。はいはいなんでも他人と政治と社会のせいですね。 

 

 

=+=+=+=+= 

何でもかんでも人のせい 

 

=+=+=+=+= 

結局責任のなすりつけ。 

実際は親に責任がある不登校が多いよ。 

 

=+=+=+=+= 

選択肢があることの弊害。 

 

=+=+=+=+= 

所詮人の責任押し付けてすね! 

だからといって親も何もしないのも? 

なんでも認めるのが親かな? 

 

 

 
 

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