( 219158 ) 2024/10/06 01:49:34 2 00 家事・育児は重要な経済活動 なのに評価は置き去り 紙幣経済のみを“経済”と呼ぶようになった弊害AERA dot. 10/5(土) 16:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9f664b5ddcc2b1aaa4d3dd2c50ee685a6ec75e1f |
( 219161 ) 2024/10/06 01:49:34 0 00 AERA 2024年10月7日号より
物価高や為替、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。この連載では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。 AERA 2024年10月7日号より。
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男女ともに結婚相手に求める条件の1位は「年収」なのだそうだ。共働きを前提に家庭を作ることが当たり前になっているのだろう。
実際に、総務省の調査によると昨年2023年には夫婦ともに雇用者である共働き世帯は1200万世帯を超えて、専業主婦世帯のおよそ2.5倍になったそうだ。「働く女性」が増えて、「女性が活躍する」社会になったと言われている。
この言葉に僕は違和感を覚えるのだ。
決して、女性の労働参加や社会進出を否定しているわけではない。むしろ逆である。少子高齢化が進んで、日本の生産年齢人口(15~64歳)は1995年をピークに減少したが、その後も社会が維持できたのは、女性の労働参加率が上昇したからなのは間違いない。いまもさまざまな分野で人手不足が起きているが、さらに「働く女性」が増えて、「女性が活躍する」社会になれば問題ないという主張もある。
しかしながら、家事をする専業主婦は「働いていない」のだろうか。育児をする女性は「活躍していない」のだろうか。
誤解なきように言うと、ここではジェンダーの話をしたいわけではない。働くとは何か、生産活動とは何かについて話したい。
“経済学は「愛の節約」を研究する学問になった。”
カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳の『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』の一文だ。
経済学の父と言われるアダム・スミス。家の中で、彼の面倒を見ていたのはその母親だったそうだ。
愛があるからこそ、息子のアダム・スミスのために夕食を作ることができる。親子でも恋人でも仲間でも、愛があれば、相手のために献身的に働ける。しかしながら、「愛」という燃料は希少だ。その愛を節約するために、「金(かね)」という燃料を使って助け合っているのが、貨幣経済だ。
いつしか、貨幣経済のみを「経済」と呼ぶようになってしまった。
だが、この「経済」の中で、家事や育児は「労働」として評価されていない。専業主婦(あるいは専業主夫)や育児に専念する女性(あるいは男性)は「働いていない」と見なされ、経済活動に参加していないように思われがちだ。しかし、家庭内での労働、特に育児は、未来の社会を支える「人間」という最も重要な資産を育てる、極めて価値の高い活動である。
育児や家事は単なる家庭内の作業に留まらず、社会全体の持続可能性に寄与している。にもかかわらず、これらの活動はGDPなど「経済」の指標に反映されない。この現状は、女性が労働市場で活躍することを奨励しつつ、家庭内での育児や家事に対する評価が置き去りにされている矛盾を表している。家庭内の労働を搾取しているともいえる。
少子化対策を本気で考えるのであれば、育児を単なる「個人の責務」として扱うのではなく、社会全体の重要な経済活動として位置づける必要がある。なぜなら、次世代を育てることは未来の労働力を生み出すことであり、それ自体が経済的価値を持つからだ。育児が社会全体にとって重要な経済活動であると認識され、その価値が評価されなければ、少子化問題の解決は遠のくばかりだ。
※AERA 2024年10月7日号
田内学
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( 219162 ) 2024/10/06 01:49:34 0 00 =+=+=+=+= これはその通り。子育てを社会の持続性維持のための経済活動と認めて経済的に優遇しなければ子どもは増えない。 子育てには一千万円単位の費用と多大な労力が必要だ。しかし老後を自分の子どもに頼る時代ではなくなったので、多大な負担の見返りはない。 他方で自分で子育ての負担をしなくても、他人が育てた子どもから年金をもらえてしまう。 子育てしない選択が子育てする選択よりも経済的にメリットになるのでは、生活を守るために子育てしない選択をしてしまうことを防ぐことができない。 解決のためには子育てに給付し、子育てしない選択には課税が必要だ。 子育てする方が子育てしない選択よりも経済的メリットになるくらいでなければ子どもは増えない。
=+=+=+=+= 子どもを産み育てると貧困に陥いるという構造をなんとかしないと、女性は産まなくなるし、国が消滅するだろう。女性に産んでもらえるように制度設計を変えていかないと。もちろん産まない選択をした人、産めない人も納得する制度は必要。
家事労働は人間誰でもできて当たり前の生きるためのスキル。キャンプで火おこししたりキャンプクッキングした時だけ男らしさを強調してる人達、それ家事と同じ事やってるのですよ。キャンプだけでなく家でも家事をやってくださいね。
子を産んだり育児するのは次世代を産み育てる崇高な行ないであって、もっと評価されてもいいと思う。まだ、他の国や昭和の方が子を産み育てた女性に敬意を払っているような気がする。最近は必死になって女性をおとしめる発言が多いのは、男性の既得権益を侵されたくないからでしゃうか?
=+=+=+=+= 仕事内容によっては、日中のキツイ子育ては保育園に任せて働いた方が、給料を得られるのはもちろん、子供と離れる時間も作れて一石二鳥。
それに加え、家事育児は評価されず、働く女性の方が輝いていると言われるようになり、兼業主婦が増えているのではないでしょうか。
専業主婦は裕福というよりも事情があり、専業主婦をしている場合が多いと思います。
=+=+=+=+= 家庭内の育児や介護もそれが無いと社会が成り立たない公共的な労働。 育児介護労働してもらって得しているのは社会、国ですから 欧州の在宅育児手当や在宅介護手当のような形で 国が賃金を支払うべきですね
女性労働者増えて女性の社会進出も進み、 少子化対策にもなり、介護従事者も増えるので一石三鳥くらいの効果があります。
=+=+=+=+= 地域でボランティア活動をされている方々が高齢になり地域活動がなくなって、繋がりが薄くなっています。 皆が身体が動く限り働いたら、地域の活動や繋がりはどうやって維持出来るでしょうか? 町民体育祭、文化祭などなくなってしまいます。PTAも同じ状況です。だからなくなってしまうでしょう。
専業主婦は子育て後、元気なら働いて、人との繋がりが仕事で出来ればそれも働く楽しみだから良い事かなと思います。
=+=+=+=+= 人間は生き物として安全に生きたり、 子孫を残したりしやすくするために群れ=社会を作ったのではないだろうか。
有償労働をするのが目的じゃない。 だから、有償労働を過大評価し、次世代を産み育てることを過小評価するのはおかしいと思う。 あくまで有償労働は社会を回す手段ではないだろうか。 人という資源があってはじめて社会の存在が維持されるわけだから。
社会を回すことも大切なのは間違いないが、 手段と目的を取り違えてはいないだろうか。
=+=+=+=+= この論調はバブル時代のキャリアの女性たちからの印象です。 当時のそれこそアエラや雑誌の過去記事見るに、家事労働を馬鹿にする風潮は男性よりむしろバリバリ働いている女性の方が強かった。 彼女らが勘違いしていたのはむしろ自営業が多かった時代は、基本夫婦共稼ぎ状態だったという点。違いは出社するかしないか。仕事家事育児を3世代同居で手分けでやっとまわる。専業主婦になれば家事育児だけで済、我が子がしっかり見れると皆さん憧れた。一周回っただけ、しかも人手が減って。
実際は Facebook の元女性最高執行責任者のシェリル・サンドバーグ氏もおっしゃってたように 、夫婦2人でキャリアを目指すにしても、家事育児は誰か 雇って任せないといけない、貯金なんてやってる暇はない、です。
育児軽視は、将来の顧客が減り社会や会社の衰退につながる。今を支える仕事も家事も、未来を作り出す育児も必要で重要な仕事です。
=+=+=+=+= 昔より一生結婚しなくても女性は生きて行けるようになった。自分の母親世代は手に職さえあれば女だって結婚なんかしなくたって生きて行けるんだから勉強しろ、とよく言っていた。子供がいるから離婚出来ないともよく言っていた。 女性であれば全員が聖母かその予備軍。女性は全員子供が大好き。家事が大好き。本当は専業主婦になって子供を沢山産みたいと望んでいる筈だと決めつけないで欲しい。働きたいしお金も欲しい女性はいる。昔からいた。 家事・育児が立派な経済活動なのはよく分かった。だが、それを選ばないから人間失格みたいな風潮になるのだけはまっぴらごめんだ。いくら太鼓を叩かれたって、戦時中の産めよ増やせよには戻らない。
=+=+=+=+= 育児においてはその通り。 人間を生産してるのに生産性がない負債のように扱われているのは不当な評価だと思う。 約20年間2000万ほど投資すればその後50年間で2億ほど稼ぎ出すのだから。 子育てへの感情ではなく経済活動として考えて欲しい。
=+=+=+=+= 少し前まで私もこのような考えであった。 しかし、家事・育児はプライベートを営む上で必要な行為であり、男女・親子どもの区別なく応分の分担をすべき個人的営みであるという考えに変わった。 昔の農家をイメージしてほしい。農作業は男女区別なく家全体で作業分担していた。もちろん出産や家事の分は男が割り増しで分担していたが。伝統的家族観というが、全てその価値観で動いていたわけじゃ無い。
家事・育児を経済活動だと考えると確かに対価という考えに至る。 この考えの元を辿れば、男は仕事女は家庭というある特定の時代の価値観に行き着く。 GHQ占領下においても、どんな形でも良いから残そうとした家族の形だ。 右派・右翼連中は今でもその価値観に復古させようと時折牙を剥く。
家事・育児は可能な限り夫婦で共通に分担して、共稼ぎが一番望ましいと考える。世帯収入面でも、人材不足解消の面でも、それが望ましい。
=+=+=+=+= かつて、今は亡き総理が女性の就職を推進させようとした。 その時、賃金が発生しない専業主婦(夫)は、労働とみなされないのかと、疑問に思った記憶がある。 外で働きたい人は保育園などを利用し、家で子育てしたい人は専業主婦(夫)を選択する、家事育児に長けた人が主婦を(夫)選択したければ、夫婦同意の上それを尊重していいはずで、夫婦の一方の収入で生活が成り立っているなら、それを就職と家事の分担と言わないのか。 専業主婦(夫)が家を守っているから、もう一方が心置きなく外で稼げる。 この事実は、一般的にあまり浸透していない気がする。 賃金が発生しないからといって、働いていない訳ではないし、社会に貢献していない訳でもない。 「誰のおかげでメシが食えていると思っているんだ」には「誰のおかげで仕事だけやっていられるんだ」で返せると思うし、そもそもこんな互いにリスペクトが無い会話はあってはならない。
=+=+=+=+= あるSNSで、主婦の皆さんは学生時代戻れたら何をしたいか、みたいな投稿があった。
回答には、勉強したい、勉強してやりたい仕事をしたい、というものも多かった。 (あと、いまの旦那でない人と出会いたいが結構あった。だから熟年離婚に死後離婚がホットなんだなと)
家事育児の評価自体、「僕」の上から目線な感じ。 そもそも女性は家事育児ばかりしたいもの、と決めつけないでそれぞれ家庭で対等に話し合うのが大切。
そして、専業も共働きも対等な選択肢だから、税金と保険料は大人1人1人分、世帯から納めるのが筋。
=+=+=+=+= 離婚時などに結婚後に増えた資産は妻と夫で半々に分割されるため、専業主婦/夫であっても相手の収入の半分は自分の貢献であると言っていいと考えられる。男女の仕事+家事育児時間合計は大きく変わらないので、夫と妻の間の役割分担なだけであり、男女ともに頑張っているのであり優劣の差はない。
=+=+=+=+= 育児は将来の労働力を育てている点で重要な経済活動という主張には同意。だが、家事は自分自身が生きる上で必須の活動であり、睡眠や食事と同様に誰もがやって当然、評価する必要は全くない。なので、配偶者控除は不要、その財源で児童手当を上乗せするべき。
=+=+=+=+= 産んだら両立は無理ですよ。 特に幼少期は。 それで辞めていく。 一人目産んだ時は正社員がほとんどで、国それで統計取ってるんじゃないかな?
赤字になる営業に命かけたりしないよね? 赤字になり、しかも膨大な時間も削られる育児出産に加えて、正社員としてけどう働けとは、無理がありますよ。
環境整えるために 幼少期に1人700から800万保育園 環境整えるために 社会保証と会社の同僚に負担が何年も続く。
小学生になれば、習い事、学童につめ混み。家庭の躾ができない。
この環境整備のための投資?は、将来回収不可でしょうね。どちらかと言うと、大人都合の環境整備ですし、子どもの成果に結びつきにくい。
専業主婦でいられるよう、そして、落ち着いたら必ず就職できるような環境整備の方が良いと思います。
もちろん、困っているかたは保育園へ。 今はかなりの割合で違う意味で預ける方が多い。
=+=+=+=+= 資本主義ではなく、持続可能型資本主義とかにシフトしないと、子供は産まずに、より高年収、高い地位、高い名誉を得たものが、人間として、1番崇高で価値の高い、社会貢献している人間になってしまう。本来、子供を設ける為に残す余力も全て、自身に注ぐわけだから、それはそれは、出世して最高の地位を築けるかも。 でもこれって諸刃の剣で、子供をもうける事に対等の価値を置かないと、現世代で終了で、未来の日本は無いことと一緒。死んだら終わりで、その後は急速に衰退する。
=+=+=+=+= 結婚子育ては個人の自由です。 ただし、その建前に反して、国民全員がお世話になる社会保障は、子供が産まれてこないと成り立たない賦課方式です。にも関わらず、子育て負担の多くは親の自己責任(子育て罰)です。 ここに矛盾があります。
今では年間130兆円(消費税65%相当)を超える社会保障負担で、家計の余力がなくなり、家計を補填する為に妻が働きに出て、子育てする余力も失われて、少子化が進み、余計に少子高齢化が進む負のスパイラルです。
もはや、やらないよりマシ程度の対策で、少子化が解決するはずがないです。それは、この30年以上で十分証明されているのに、未だに小手先の対策を小出しして、貴重な時間を浪費し続けるのは、いい加減やめて欲しいです。
=+=+=+=+= この記事の主張には共感出来る部分もあるが、女性はみんな外で働かずに出産子育てしろと言いたげな内容なので賛成は出来ない 今は少子化対策と称して子供を産み育てろとの圧が強いが、出産せずに働く女性が非難されない世の中になって欲しい 離婚率が高いのだから出産は慎重に
=+=+=+=+= ⇒育児が社会全体にとって重要な経済活動であると認識され、その価値が評価されなければ、少子化問題の解決は遠のくばかりだ。
私は、子供を持たない人が増えた社会では、35歳以上の独身税・40歳以上の子無し税を取るべきだと主張している。すると独身主義者からは「勝手に子供を作ったのだから独身にたかるな」「子供をつくる・つくらないは個人の自由」といった社会の一員としての自覚が欠落した声が届く。 現在、子供を育てる人間とそうでない人間が一緒くたにされすぎている。だから子育てという社会的に重要な使命が「個人が勝手にやること」などと誤解される。 子供を持たない人の社会保障制度やインフラへのフリーライドをやめさせないと、若い世代・未来の世代が割を食うことになる。今後は人間社会のサスティナビリティを意識した制度に変えていく必要がある。
=+=+=+=+= 朝7時半の早朝保育から 19時の延長保育まで 園にいる子がいるけど この子の睡眠時間は 確保されているのでしょうか。 他の園児と比べ 毎日長時間残業しているのと同じ。 働く子が家にいると働けないと 7時から預かるという学校も あるようだけど親の都合であり 朝早くから夜最終まで残っている 子はどう思っているのでしょうか。 子の気持ちこそ置き去りだと 思いますが。
=+=+=+=+= 記事の通り、ジェンダーの話は別にしても、家事育児が軽視されている。お金で解決しやすい家事は、各種サービスが出てきて経済活動に組み込まれてきているが、家族の団欒や精神面含めた子どものケアなどはお金に換算できず価値のないものとして市場から無視される。 職場に個人の事情を持ち込むな、というのもわかる。しかし、残業や転勤を当然として社会が設計されると、他の人間的な活動の時間がなくなる。 疲れ果て趣味どころではない。ましてや育児は毎日一定の時間を必要とし、繁忙期や長時間勤務と相性が悪い。そうして子持ちが締め出されていく。
今、男性も育児参加が増え、元からギリギリの人数で回しているような会社は何も対応しなければギスギスし荒廃していく。少子化で市場も縮むのは問題なのだから、育児の社会的価値を認め制度設計すべきだと思う。そこから他の余暇活動の価値も尊重されるようになって欲しい。
=+=+=+=+= その通り。 転勤に帯同しながら子供2人産み育て、下の子が3才になったのを機に仕事復帰したけど、もう疲れたなぁ。年金なんて全然増えないし。もう一人産みたかったけど、自分の老後考えたら産めない。最近の物価高で子供は1人にしておけばよかったか?なんて思うことも。幸いなことに夫はどちらかというとフェミニスト思考で、自分は産めないから仕事がんばるってタイプ。不器用だけど愛してくれるから一緒に居れる。夫は家事は全然しないけど、別にしなくても生きていけるから不満はないわ。 こんな家庭多いと思うよ。子供なんて増えるわけないじゃん。お金も時間も体力も若さも愛も必要なんだから。全部揃うなんて人生で一瞬しかないもの。
=+=+=+=+= だから料理や節約や片付けなどの家事や、こどもを有名大学に入れたことなどをアピールしてるのは評価されたいんだなあ、と思う。家庭という閉鎖空間で行われるから、自分から言い出さない限り誰も注目してくれない。 それにテレワークだから暇でしょ?という勘違いがあるくらい、家の中でする仕事は軽く見られてる。
=+=+=+=+= 家事とは何でしょうか? 小さな子どもと障害者とかなりの老人以外は、自分でできることの集まりです。 家庭の一員が、ゴミはゴミ箱、洗濯機の中に靴下などを伸ばして入れる、トイレを汚せば汚した人が直ぐ掃除すれば殆ど家事など必要ない。食事だけは個人個人で用意すれば効率悪いので、分担すればよく、分担できない日は買いに行ったり、出前をポチっとすれば済む。 自分のことを自分ですれば、家事の量なんて殆どない。自分のことは経済活動ではなく、行きていくために必要な生活ですから最低限で良い。 そこにこだわりを求めるなら、もはやそれは家事ではなく、趣味。
=+=+=+=+= 経済学専攻してないから語るのは気が引けるけど、やっぱそうだよね。 今も原始的な生活をしてる民族は集団で子育てし、子育てしている人々にも食料を分け合っている。人間に必要な活動であり、報酬は払われてるわけよ。 しかし現代的な経済環境では、共産主義も含めて子育てや家庭については労働扱いされず報酬が無い=価値がないことになっている。 これこそが少子化の最たる要因ではないかと。 「子育てか労働か」この状況がおかしい。
それと子供向けのイベント等で、児童センターがボランティア募集してるわけよ。 どう見ても需要あるし例えば科学館のイベントは超人気だが、開催されるかはボランティアと寄付次第という。 コロナ禍で一旦壊滅して、再開したものの以前よりイベント少なくなってる。やはりボランティア前提は無理がある。 経済活動に組み込んでいく仕組みを作らないと
=+=+=+=+= その通り。子どもを産み育てた人数分だけ、主に育児に関わった人に対して年金を増額しないと、育児は割に合わない。ひとり3000万️3人育てて、自分の仕事セーブして、子供部屋がある家をローンで買って。せめて子どもを産み育てた人たちは消費税免除してくれないか。
=+=+=+=+= 家事・育児・介助・介護、これらを社会で担うというようになってから徴収されるようになった税金保険料が差し当たり本来評価されるべき経済価値だったのでしょう。3号保険者をタダ乗り批判は大変失礼な話でした。家内福祉を女性が担うと専業主婦、男性だと無職と呼ぶのも変な話。
=+=+=+=+= 昭和の親世代からしたら正社員を絶対に辞めてはいけない。この一言に尽きる。 離婚しても貧困になるだけだし、国は求める割に放置だからね。大学にも出せなくなる。 そんななら働き続けた方がマシ。
そもそも男性が育児で休まないし、離婚しても女性の負担ばかり。どうにかしないとね。 離婚は親のエゴと言うなら外国人労働者で補充して老後は治安の悪い社会で暮らす事になるけど大丈夫そ?
=+=+=+=+= 家事はともかく、出産&子育ては女性の一大事業だよ?と妻には言い聞かせて来た。つまり 貴女が資本家(真の所有者)であり(子供という‘新規事業’に対する)投資家だと。
資本主義のセオリー的に云うと‘共稼ぎ’夫婦は女性が経営権(オーナーの地位)を主張し始めるという事であり、夫婦双方に家計私物化のリスクが出てくる。別姓云々とかがソレだ。
結婚が別会社の業務提携レベルとなり、その解消にも躊躇がなくなるだろう。問題は新規事業の行方だが、おそらく投資は打ち切り、公的支援を仰ぐ?様な展開だな。
子供達は何を思うか、というのがその回答である。相変わらず‘労働’だの‘時間’だのの切り売りをして得る‘カネ’の話か? 君達の二十代もそろそろ終わりだな…というのが‘送る言葉’になる。
=+=+=+=+= ここ2日くらい学童問題や仕事と育児の悩みの記事に、家庭保育者に賃金を払っては、とコメントしてました。プロフの顔マークから読んでいただければ。 この問題は、家庭保育に切り込むしかないと思っているのですが。
=+=+=+=+= 家事や育児の家庭内の事は経済活動では無いでしょ。と思いますけど…。 こんなに頑張ってるのに評価されないと言いたい気持ちはわかるけど自分で選んだ道でしょうし、評価されても特に何も生まれないと思います。
=+=+=+=+= 生産サイドから見ればそうでしょうが需要サイドから見れば立派に経済を構成していますのであまり浅いことを言わないように。
=+=+=+=+= 夫の稼ぎは妻の家事育児があったから半分は妻の成果って事で十分評価されていると思うけどまだ不満?最近は家事育児ができるのは夫の稼ぎがあってこそなんていう話は全く聞かなくなったけど、家事育児は妻の手柄、夫の稼ぎは二人の手柄ってお前どこのジャイアンだよと。大体家事は1500万とか言ってたじゃん。もうそれでいいよ。
=+=+=+=+= 家事育児を経済活動として認めたら、働きながら家事育児もやってる人のほうが専業主婦よりも絶対に収入が高くなってしまうわけで、結局専業主婦はコスパが悪いという結論になりそう。
=+=+=+=+= 夫ですら家事育児を労働と認めてくれないのに、社会が認める訳が無い。
虚しくなるだけだから、もうやめて欲しい。 いくら声を上げても無駄だと思う。
私の人生は死んだと思って色んな事を諦めました。
=+=+=+=+= それなんだよね 男女の役割を分けることが悪というより、女性の役割とされてきたことへの評価が低い だから、看護師、保育士、栄養士、介護職への評価も低い
=+=+=+=+= 低収入だけど一人暮らししてますって言って 経済活動しててえらい!すごい!って褒めてくれる人はどれだけいるんだろうか
=+=+=+=+= 専業主婦の育児を経済活動と見なすのであれば最低でも二人の子供を育てなきゃ収支が合わんよ
=+=+=+=+= >専業主婦は「働いていない」のだろうか
はい。 働いてないです。 どんなに理屈をこねたって家事も育児も経済上は「消費」です。
経済を総体から見たときの、消費の重要性が過小評価されている、という話ならまだしも、働いているうちに入れろというのは無茶な話。
=+=+=+=+= なら逆に働いて金を稼ぐというのも家事育児の一環だというのも広めなよ。そう思ってない女がわんさかいるんだからね。
=+=+=+=+= 育児と家事はわけて考えたほうがいい。 子無し専業など経済活動ではない
=+=+=+=+= 「専業主夫やるから任せて! 君は安心して働いてね」 と言われて嬉しいとはならないだろう。 それが答え。
=+=+=+=+= なのに家事、育児に専念している人の公的処遇は悪化の一方 いったい何考えてるの?リベラルの浅知恵?
=+=+=+=+= タイトルの「紙幣経済」には違和感を感じます。貨幣経済ではないの
=+=+=+=+= 家事と育児は時給はゼロ円。日本政府の方針はそう言う事。仕事の片手間で、家事も育児も介護もしろ、出来るだろと言う事。 専業主婦もなまけてるってよく女性の方が女性の専業主婦に言うじゃないですか。 それは、女性が自分自身がする家事、育児に価値が無いと言ってるようなもんだけど。
=+=+=+=+= 家事は経済活動ではない。家事はやらなくても社会は困らないからな。育児も経済活動ではないオマエはなぜ生きているんだ?なぜそこにいるんだ?我々は社会のために生まれてきた物ではない!愛から生まれ愛で育ってきたのである!
=+=+=+=+= 政府の子育て支援におけるモデル 「女性は22歳で大学を卒業、就職。」 「26歳で結婚」 「28歳で第1子出産」 「30歳で第2子出産」
はあ? こんなの叶えられる若者がどれだけいるんだ? 結婚するのが26才なら空いても同年代。 男性も2人の子を育てられる経済力があるのか?
今や出産は金持ちの道楽かアホの避妊失敗なんて揶揄されているのに。
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