( 219161 ) 2024/10/06 01:49:34 0 00 AERA 2024年10月7日号より
物価高や為替、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。この連載では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。 AERA 2024年10月7日号より。
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男女ともに結婚相手に求める条件の1位は「年収」なのだそうだ。共働きを前提に家庭を作ることが当たり前になっているのだろう。
実際に、総務省の調査によると昨年2023年には夫婦ともに雇用者である共働き世帯は1200万世帯を超えて、専業主婦世帯のおよそ2.5倍になったそうだ。「働く女性」が増えて、「女性が活躍する」社会になったと言われている。
この言葉に僕は違和感を覚えるのだ。
決して、女性の労働参加や社会進出を否定しているわけではない。むしろ逆である。少子高齢化が進んで、日本の生産年齢人口(15~64歳)は1995年をピークに減少したが、その後も社会が維持できたのは、女性の労働参加率が上昇したからなのは間違いない。いまもさまざまな分野で人手不足が起きているが、さらに「働く女性」が増えて、「女性が活躍する」社会になれば問題ないという主張もある。
しかしながら、家事をする専業主婦は「働いていない」のだろうか。育児をする女性は「活躍していない」のだろうか。
誤解なきように言うと、ここではジェンダーの話をしたいわけではない。働くとは何か、生産活動とは何かについて話したい。
“経済学は「愛の節約」を研究する学問になった。”
カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳の『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』の一文だ。
経済学の父と言われるアダム・スミス。家の中で、彼の面倒を見ていたのはその母親だったそうだ。
愛があるからこそ、息子のアダム・スミスのために夕食を作ることができる。親子でも恋人でも仲間でも、愛があれば、相手のために献身的に働ける。しかしながら、「愛」という燃料は希少だ。その愛を節約するために、「金(かね)」という燃料を使って助け合っているのが、貨幣経済だ。
いつしか、貨幣経済のみを「経済」と呼ぶようになってしまった。
だが、この「経済」の中で、家事や育児は「労働」として評価されていない。専業主婦(あるいは専業主夫)や育児に専念する女性(あるいは男性)は「働いていない」と見なされ、経済活動に参加していないように思われがちだ。しかし、家庭内での労働、特に育児は、未来の社会を支える「人間」という最も重要な資産を育てる、極めて価値の高い活動である。
育児や家事は単なる家庭内の作業に留まらず、社会全体の持続可能性に寄与している。にもかかわらず、これらの活動はGDPなど「経済」の指標に反映されない。この現状は、女性が労働市場で活躍することを奨励しつつ、家庭内での育児や家事に対する評価が置き去りにされている矛盾を表している。家庭内の労働を搾取しているともいえる。
少子化対策を本気で考えるのであれば、育児を単なる「個人の責務」として扱うのではなく、社会全体の重要な経済活動として位置づける必要がある。なぜなら、次世代を育てることは未来の労働力を生み出すことであり、それ自体が経済的価値を持つからだ。育児が社会全体にとって重要な経済活動であると認識され、その価値が評価されなければ、少子化問題の解決は遠のくばかりだ。
※AERA 2024年10月7日号
田内学
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