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創業57年、父は満身創痍で鍋を振り、倒れ込む…。あの城咲仁が「実家の町中華」で働く“切実な事情”とは?

東洋経済オンライン 10/9(水) 6:56 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/2cf991eb9edcfe7a3fdbf17760f7d05be9d20b82

 

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元カリスマホストでタレントの城咲仁さんの実家が東京・板橋区大山にある町中華「丸鶴」で、チャーハンが人気。

城咲さんが家業を手伝う理由は、父の労苦や店の歴史を感じ、60周年を目指すため。

城咲さんは結婚後、父の偉業を再認識し、父の調理技術を学ぶため40日間修業。

父は命がけで店を守り続けており、城咲さんは父の肩を押して60周年を目指す考え。

城咲さんは将来の後継者について考えており、技術を教えられる職人を募っている。

(要約)

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東京・板橋区大山にある「丸鶴」は元カリスマホストで、タレントの城咲仁さんの実家。城咲さんが今、家業を手伝う理由とは?(写真:城咲仁さん提供) 

 

 元カリスマホストで、タレントの城咲仁さんの実家が町中華を営んでいることをご存じだろうか。 

 

【画像12枚】「丸鶴」名物のチャーハンや、鍋を振る城咲さんの様子 

 

 東京・板橋区大山にある「丸鶴」である。1966年創業で、この秋に58年を迎える老舗だ。店主は岡山実さん。 

 

 チャーハンがとにかく人気で、営業中に行列が途切れることはない。都内でチャーハンの旨い店と言われたら間違いなく名前の挙がってくるお店だ。 

 

 なぜ城咲さんが今、実家の町中華で働いているのか。城咲さんと、ご両親のライフヒストリーを伺った。 

 

■調理はほぼ父のワンオペの人気店 

 

 城咲さんはそんな「丸鶴」のひとり息子として生まれた。 

 

 幼い頃から繁盛店で、平日はほとんど地元のお客さんが多かったが、週末の金曜日、土曜日は宴会が多く、各地からお客さんが集まっていた。近所に出前も行っていて、従業員3人がバイクと自転車を使って近所に出前をしていた。 

 

【画像12枚】しっとりチャーハンの聖地として知られる板橋区大山にある「丸鶴」。名物のチャーハンと、鍋を振る城咲さんの様子 

 

 「メディアに出るようなお店ではなかったですが、口コミで広がっていたように思います。私の友達もよく家族で食べに来ていましたし、平日は部活帰りにみんなで『丸鶴』に集まっていました。陸上部や柔道部などみんな『丸鶴』に集合して、うちのオヤジがタダで食べさせていました」(城咲さん) 

 

 かつてはメニューがとてつもない数だったが、調理はほとんど父のワンオペで、適宜母がフォローするという形だった。 

 

 「当時からこれだけ人に愛されているというのは凄いなと思って見ていました。しかし一方で、飲食店の厳しさを子供ながらに感じていました。オヤジは営業中にはなるべく包丁を使うなと言っている人で、やれることはすべて事前の仕込みで行います。営業が終わってからすぐに次の日の仕込みを始め、翌日も朝早くから仕込みをしていました」(城咲さん) 

 

 その中で、飲食店には当然売り上げの浮き沈みがある。一生懸命仕込みをしていてもすべてが売り切れるわけではない。営業が終わった後に余った食材を捨てているのを見るのが本当に辛かった。 

 

 バブル時代には、宴会がダブルヘッダーで行われることもしばしば。フル回転でお店を回していたが、バブル崩壊とともに、味が落ちたわけでもないのに客足は遠のいていった。 

 

 「小学生ぐらいまではこの店は自分が継ぐんだとなんとなく思っていましたが、そのうち自我が芽生え始めて、少しずつ心が離れていきました。うちの両親は働くのが好きで、1週間のうち半日ぐらいしか休んでいませんでした。ゴールデンウィークやお盆も営業していて、自分がいざ大人になって家族を持った時にこの生活がしたいかと思うと、それは違うなと思ったんです。尊敬はしていたけどその人生は選べなかった」(城咲さん) 

 

 

■父の言葉でホストの世界へ 

 

 高校3年生の頃、進路をどうするかという話になり、初めて父から「お前店を継がないのか?」という言葉が出た。早く社会に出たかった城咲さんは拒否反応を示し、ここから親子の仲が一気に悪くなった。 

 

 こうして城咲さんは高校時代から夢だったバーテンダーになるべく、家を出た。21歳まで2年半、バーテンダーの修業をした。 

 

 ここで転機が訪れる。城咲さんが当時組んでいたバンドのメンバーが、一緒に住んでいる家で自殺をしたのである。 

 

 「彼も地方の名家の生まれで、後継ぎを迫られていました。彼は亡くなる直前、私の働いていたショットバーの端の席に座り、最後ビールを飲んでそのまま死んでいきました。そんな彼の姿を目の当たりにし、私は半年間働けなくなり、そしてお金もなくなりました」(城咲さん) 

 

 お金がなくなり、住む場所もなくなった城咲さんは実家に戻るしかなかった。 

 

 そこで引きこもりの生活をしていると、ある日父から「腐ったなお前」と言われた。この言葉にスイッチが入った城咲さんは、知人のホストクラブの経営者に連絡をし、気づいたらスーツを着て歌舞伎町に足を向けていた。 

 

 その日は金曜日でとても店が忙しい日で、その日から手伝うことになった。バーテンダーでお酒を作りながら人と喋ることが得意だった城咲さんは、ここだったら一気にお金が取り戻せるかもしれないと考えた。色のない世界に一気に色が入ったような気がしたという。 

 

 ここからの城咲さんの活躍は既知の通りである。 

 

■妻・ちかえさんの素朴な疑問が城咲さんを動かした 

 

 城咲さんが父の「丸鶴」のことを考え始めたのは自身の結婚がきっかけである。2021年の春にタレントの加島ちかえさんと入籍した。ちかえさんは素朴な疑問を城咲さんに投げかける。 

 

 「『丸鶴』ってあんなに凄いお店なのにこのままでいいの?  お店を継げるのは仁さんしかいないんじゃないの?」 

 

 城咲さんは社会に出て、外で食事をするようになって、改めて父の料理の味の良さに気づいたという。 

 

 テレビやYouTubeに出て「丸鶴」のチャーハンがとんでもなくバズっているのも知っていた。しかし、父は体調を崩していた。 

 

 「ここから『丸鶴』を残さなければいけないかもと思い始めたんです。これは恩返しとか過去の報いとかではなく、こんなにお客さんに大事にされているものを放っておいていいのかという思いでした。 

 

 

 私が調理場に毎日立つことはできないので、お店にたまにしか来ることができない人のために冷凍チャーハンを作ろうと思い立ちました」(城咲さん) 

 

 ここから城咲さんは父のもとで40日間チャーハンの修業を行った。 

 

 「丸鶴」のチャーハンは味が濃くてコショウが強い。父には、誰が食べても美味しいというのは家庭料理で、好き嫌いが出るぐらいのインパクトがある料理こそが外食なんだという哲学があった。苦手な人がいるのも当たり前だが、それ以上にハマってしまう人がたくさんいるのが「丸鶴」の味だった。 

 

 味は常に進化していて、57年の歴史の中で15年前にやっと理想の醤油ダレが完成した。いつ来ても「また美味しくなってない?」と言われるべきという考え方なのである。 

 

 「丸鶴」の醤油ダレは継ぎ足しで完成したチャーシューを煮込んだタレ。毎日肩ロースを24本も煮ていて、この量がなければ「丸鶴」の醤油ダレは完成しない。チャーハンは一日200杯以上出ているという。 

 

 こうして修業の後、「丸鶴」の冷凍チャーハンは完成した。このチャーハンは工場で作っているのではなく4人の職人が鍋をふるって手作りしているものである。 

 

■60周年まであと2年、励ましながら父の肩を押す 

 

 今月の10月19日、20日には「板橋区民まつり」に出店することが決まった。城咲さんが学生時代に遊んでいた公園や学校で行われるお祭りで、そこで実家のチャーハンを出せる喜びをかみしめている。 

 

 父からは「年内で店を辞めたい」という声もあった。現状は体調が悪すぎてお店には2時間しか立つことができない。しかしあと2年で60周年、そこまでは頑張ろうと城咲さんは父の肩を押す。 

 

 「長男のワガママとしての2年です。今のオヤジは目標がないと頑張れないと思うので、60周年を目標にしました」(城咲さん) 

 

 店の後継ぎについては常に考えているが、父ほど鍋をしっかり振れる人がいないのが現状だ。従業員は頑張ってくれているが、「丸鶴」は今でも混みすぎでキャパオーバー。このまま受け継いでもらうのは難しいと考えている。 

 

 「お客さんがひっきりなしに来てくださるのは、この景気が悪い中本当に嬉しいことです。ですが、オヤジが57年命を懸けてやっていることを簡単には継げないと思っています。今はオヤジをサポートしながら、オヤジがやれるところまで付き合おうという考え方です。今は少し見守ってほしいです」(城咲さん) 

 

 

■満身創痍のなか、父は鍋を振り、倒れ込む 

 

 城咲さんはホールと洗い場を手伝い、父と従業員が休憩の時に鍋を振っている。 

 

 父は調理に入ると使命感が生まれ、体の痛みを忘れるという。そして鍋を振り終わると目がうつろになって倒れ込んでいる状態だ。 

 

 「これだけ命を懸けて町中華をやっている人はいないと思います。医者からも止められていますが、これだけ『丸鶴』命の人から仕事を奪ってしまうのが怖いんです。 

 

 オヤジからしたら『丸鶴』こそが『生きる』ということであり『夢』でもあるんです」(城咲さん) 

 

 思うように鍋が振れないのが不甲斐ない。みんなが働いているのに自分は座っているのが耐えられない。父はそう語る。「俺の店なんだから俺が鍋を振らないとダメだろ」といつも言っているのである。 

 

 城咲さんはなんとか60周年まで頑張ってもらい、区民まつりの盛り上がりを見てもらって活力にしてもらいたいと考えている。 

 

 「もし私の活動に賛同してくれる職人の方がいればぜひ働きに来てほしいです。技術も惜しみなく教えます。『丸鶴』のこれからをよろしくお願いします」(城咲さん) 

 

 60周年の後、もしお店がなくなってしまったとしても、区民まつりで1年に1日は食べられるチャーハンにして行きたい。城咲さんはそう考えている。 

 

■その他の写真 

 

中華料理 丸鶴 

東京都板橋区大山西町2-2 

◼️第53回板橋区民まつり 

【日時】2024年10月19日(土)11:00~17:00/10月20日(日)9:00~16:00(無くなり次第終了) 

【場所】SDGs広場(南)•大山公園 

【アクセス】東武東上線大山駅より徒歩8分 

 

井手隊長 :ラーメンライター/ミュージシャン 

 

 

( 220450 )  2024/10/09 17:32:15  
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城咲さんが父親の経営する中華料理店を継ぐことや、軽々しい決断だけでなく、父親の体調や思いに向き合う姿勢が称賛されています。

また、自分の経験や家族との関わりから、後継者問題や親孝行について考えさせられる内容となっています。

城咲さんの多様な経歴や人間性に注目が集まっている様子がうかがえます。

(まとめ)

( 220452 )  2024/10/09 17:32:15  
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=+=+=+=+= 

東海地方在住で東京への転勤の時にずっと行きたかった丸鶴へ行きました。 

ちょうど親方が退院して丸鶴を再開したタイミングでした。 

今では杖をついて歩行されている状態で懸命に鍋を振っています。 

立っているのも辛いはずなのに凄いとしか言えないですね。 

冗談抜きで命懸けの毎日だと思いますよ。 

本心としては丸鶴ファンとして末永く続けてほしいですけどやっぱりムリしてほしくないですね。 

冷凍チャーハンも食べましたけど、やっぱり本家の味は桁違いに旨いです。 

 

=+=+=+=+= 

自分も脱サラで父の仕事を継いでいる者です。社会人になって2年目に父が倒れ稼業を継ぎました。 

小さい頃から手伝いをしていた事もあり、要領は得ていましたが、実際に自分が頭となって経営するとなると話は全く別で最初の5年間は本当に大変でした。でも、30年経った今、その時の経験が約に立ち始めた気がします。城咲さん、お父様、職人さん、みな大変だとお察し致しますが、まずはお身体をお大事に頑張って頂きたいと思います。今は結論を出すことにとらわれずお父様との時間を大切にされて下さい。 

 

=+=+=+=+= 

近年人知れず閉店して行く高齢者が経営する店が多い中、大勢の客が来てメディアにも取り上げられる程の店をお金の事を考えたらどうにか存続させる様に画策すると思いますが彼は親父さんにはなれない事を悟って「店を継ぐ」とは明言していない 

それ位覚悟が必要でしょう、他人には分からない事が沢山有るでしょう 

仮に閉店するにしても皆の記憶に残る店になる筈 

 

=+=+=+=+= 

ほんとに美味しいチャーハンなので極力続けて欲しいです。 

親父さんが一服しに外に出てきて私が並んでいた行列のお客さんたちに『誰か継いでくれないか?これだけ喰いにくるんだから1人ぐらい鍋振ってもいいと思う奴はいないのかね?』と言って並んでいるお客さんたちから笑いを取っていましたが、簡単には継げないことが城咲さんの言葉で理解できました。近々また食べに行きたいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

丸鶴のチャーハンは美味しいです。 

数年前に行った時に自分のインスタにアップしました。 

しっかり城咲仁さんから「いいね」が来ました。 

芸能人が素人のショボいアカウントにちゃんといいねをしてくれるなんてなかなかない事なのですごく嬉しかったです。 

優しい人なんですね 

 

=+=+=+=+= 

自営じゃない人は、「継げる商売あってなんかいいじゃん」思うかもしれないけど、自営で特に飲食は儲けも少なくて本当に大変だから。 「美味しかった」の言葉の、何にも変えがい喜びだけでやって行けるところはあるのだが、いまの食材の高騰でとても子供に跡を継いでなんて言えないでしょう。 

現にこれから個人店で老舗なとこはどんどん消えていくのだろうな。 

城崎さんも自分の名前を使ってさらに実家の町中華を盛り上げて欲しいですよ。 

 

=+=+=+=+= 

寡黙で働き者で素敵なお父さんですね。 

体調が悪くても、自ら鍋をふりたい、その思いがいまのお店の繁盛の土台をつくったと思う。 

体調がよくなるといいですね。 

お店のメニューのひとつにお父さんの名前を入れたスペシャル、作られたらどうでしょうか。 

お父さんがお店に出られる時間が少なくなっても、お店に名前が響くと、頼む側にも期待感があるし、お店としては初心を忘れることがないように思う。 

大山、再開発で今後ますます景色が変わりそうですよね。お店が存続していくといいなと思う。 

 

=+=+=+=+= 

非常に面白い記事でした。 

理想と現実で城咲さんは悩んだのでしょう。 

若いときは反抗心も芽生えるしね。 

 

しかし、 

「父には、誰が食べても美味しいというのは家庭料理で、好き嫌いが出るぐらいのインパクトがある料理こそが外食なんだという哲学があった。」 

この感覚があるのは凄い。さすが成功者。食べてみたい。 

自分にとっては天一のラーメンがそれですね。 

初めて食べた時は吐きそうになったが、しばらくしたらまた食べたくなった。 

いつかチャーハン食べに行きたい。 

 

=+=+=+=+= 

仁さんの生き方は素晴らしいと思う。 

仕事に対しての誠意、努力は惜しまない。あまりよう思われないホストにしても、女性に対してのエチケット、喜ば方を研究してる。だからNO.1にもなれた。実家の丸鶴にしてもそう。TVショッピングでもとことん追求。全て培ってきた原動力にお父さんの味をそのままに実現。お父さんの商売に対してする一貫性が息子の仁さんに受け継がれたのだと思う。なんて親孝行なんだろう。まさに努力は勝るだね。 

 

=+=+=+=+= 

一本筋の通ったいい漢です。ホスト時代は彼の一面性であり悪行も数多くあったでしょう。まぁ人は誰しも複数の顔を持ってて自分を磨けば磨くほどそれに気付くのです。丸鶴を正しく継いで欲しいけど本気でやると飲食業は過酷な重労働ですから彼を否定できません。 

 

 

=+=+=+=+= 

丸鶴のチャーハンはとても美味しい。 

テレビか雑誌であのチャーシューゴロゴロのチャーハンを見た時は、一目で食べたくなりました。 

少し遠いいのでなかなか行けませんが、何度か伺いました。 

開店前から並んで席に着くと、すぐに席が埋まってしまいます。 

店主もご高齢なので、閉店する前にもう一度食べたいです。 

 

=+=+=+=+= 

城咲さんの御実家が町中華をしている事知らなかったけどホストでも今の仕事でも成功しているのにはお父様の背中を見て育ったんだなと思うと凄い事だなと思いました。城咲さん優しいね。なんかとてもいい家族なんだなと感動しました頑張って欲しい 

 

=+=+=+=+= 

一本数百万円のシャンパンを売ってたホストが一皿千円のチャーハンを売るなんて城咲さんの父親への尊敬の念がよく伝わります。とびっこチャーシューチャーハンは最高にうまい。頑張れ 

 

=+=+=+=+= 

最近ラーメン屋がたくさん出店されてるが、そうなって改めて街中華の素晴らしさを感じる。あれだけの品数をそこそこの値段で手早く出してくれる。ラーメン屋がダメという意味じゃないですが、瓶ビールをコップに注ぎつつ食べるほっこりした時間。街中華の良さを再認識。 

 

=+=+=+=+= 

彼がなぜホストでトップに立てたのかがこの記事からでも容易に想像がつく。 

はたから見たらホストと言うと穿った見方をされるだろうが彼の場合 本物の金ピカだった。 

それは業種は違えど飲食の世界で成功を収めたお父様の背中をしっかり見てきたからこそなんだろう。 

そして友の死というものも少なからず影響をしているのだろう。 

私も長い事飲食の世界に身を置き、バーテンダーとして接客というものを追求してきた(現在はコロナを機に転職)ので彼の立ち居振る舞いは年下ながら手本•勉強させてもらっていました。 

皆さんが納得の出来る結果になる事をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

さりげなく記事を書いていますが自営業は大変です。資金繰りや家族の事、自身も年々年を取って体力も衰えていく。城咲仁さんって根が真面目で家族思いなのが素晴らしいなと思いました。奥さんも素晴らしい。ホストって悪いイメージしか無かったので考え方が変わりました。エールを送ります。 

 

=+=+=+=+= 

城咲仁のチャンネルで見たけど、仕込みのルーティーンの合理性が尋常ではない。 

あの技術を見ると、美味しいものが作れる自信だけでは、飲食店経営なんて成立しないと多くの人が感じることだろう。 

特に興味深かったのは、19歳で大山にご自身の店を構えるまでの経緯を語る親子対談。 

小5から中華の世界に入り、一通りの技術を修得。 

中学卒業と同時に群馬の大泉で中華屋の店長になるも、同僚からな度重なる嫌がらせで退店。 

その後、池袋に巣鴨プリズンがあった時代、山岸一雄氏の要請で大勝軒に入店。 

群馬で学んだ合理的な出前技術を導入することにより販路を拡大し、当時芳しくなかった経営を立て直すも、山岸氏と対立。 

僅か16歳で、何でも出来てしまううえに、経営まで軌道に乗せてしまったことが、旦那の不興を買いクビにされたのではないかと語っている。 

当時の町中華、ラーメン業界の空気感を感じられる貴重な証言となっている。 

 

=+=+=+=+= 

しろさきは出戻りで2回ギブアップしてるんだよね 

父が辞めれば冷凍チャーハン売りと従業員のヘルパー的立場なんだろな 

自分がメインに鍋振るには思うような利益がでないから 

それも商売なんだろけど、しろさきがフルタイムで鍋振りしてる姿も見てみたいものだ 

 

=+=+=+=+= 

やはり子どもって親の背中を見ているんですよね 

働きものでこんな立派なお父さんだから仁さんは自然にこのような考えにたどり着いた 

後を継ぐってとても大変な事だけど頑張ってほしいです 

 

=+=+=+=+= 

ラーメンも大好きです。チャリで2分かけて並んでなきゃ食べてます。歳を重ねて消えていった職人と味を懐かしむ事も良い思い出だなぁって思えます。時代で自分が頑張る活力になった沢山の名店。お父さん作るガツンとしょっぱいラーメンとチャーハンは最高でした。 

 

 

=+=+=+=+= 

個人商店相手の業種で働いていますが、動けなくなる前に店畳むわ〜と廃業される店主が多いです。 

お子さんは?継がないの?と聞くと、 

息子や娘にはこんな大変なわりに儲けの少ない仕事やらせたくない。 

と答える方ばかり。 

後継者がいるのは40軒に1軒くらいかと思います。 

 

飲食店は技術が必要ですから、それ以上に後継者のいない店ばかりでしょう。 

ちなみに地元の蕎麦屋は、繁盛していたけど店主急逝でそのまま閉店してしまいました。 

年寄りじゃないからまだしばらくは閉店しないだろうな〜と油断していたので悲しかったです。(蕎麦屋だけどラーメンが有名でした) 

 

=+=+=+=+= 

ものすごく美形のイケメンというわけでもないがホストとして一時代を築いたし、その後もテレビショッピングや料理人など器用にこなしている。 

地頭も良いしなにより努力家ですよね。 

 

=+=+=+=+= 

城咲さんもその父も素晴らしいの一言!! 

城咲さんの顔が過去1でかっこいいと思うし、お父さんは命を削ってって言うのがなんとも、尊敬するの一言。ここのチャーハンがうまいのは当然でしょ。料理は気持ち、魂だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

こんな生き方が庶民の幸せなのだろうと歳を取ってから思う様になった 

何億ものお金が稼げなくても充分な来客数に1日のメリハリがあって多分だけど美味しいビールが飲める心情と肉体的な疲れ… 

お父さんと無事に60年を迎えられます様に… 

 

=+=+=+=+= 

今から弟子をとって仕込んでも間に合わないだろうし、伝統の味は冷凍食品としてしか残らないのかな。。。 

中華そばの巨匠だった山岸雄一は弟子をたくさん育て、どんどん暖簾分けさせて大勝軒があちこちにある状況だけど。 

岡山実氏はもしかして、田原総一朗と同じように、仕事中に倒れて死ぬことを理想にしているのかな。 

 

=+=+=+=+= 

父と子のライフストーリーになんかジーンとしてしまう。城咲仁さんが一昔よく番組で活躍してた時代(今もか?)に料理に腕を振るってたのは、この父の姿から学んだ技だったのか、と感心します。 

何やかんや有っても、親子の縁って繋がってるんだなー、って感じた。 

 

きっと親父さんが願ってるのは、店を残す事じゃ無くて店の味を引継いでくれる事が喜び何じゃ無いかなと…それを息子に託せたらもうきっと十分何じゃないかなぁ〜なんて失礼ながら感じます。 

 

形は時代毎に進化したり変化して行く中で、変わらないものが在る。そうした事にも目を向けて新しい発想が加えられたら、また素晴らしい発展を遂げて行く様な気がする。 

 

=+=+=+=+= 

いつか行きたい板橋区の町中華のリストに入っている丸鶴さんですが、まだ行けていません。 

とても興味深い記事でした。 

ただ、読んでしまったら常連さんが大切にしている場所をイチゲンが入り込んでよいのか恐縮してしまいます。 

もっと早く行っておけばよかった。 

 

=+=+=+=+= 

マツコの知らない世界で紹介されて食べに行きました 

ブラックペッパーが効いた炒飯はとても美味しかった 

冷凍食品の再現性はそれなり 

やはり、店じゃないとレタスチャーハンやとびこチャーハンは食べれません 

 

=+=+=+=+= 

>誰が食べても美味しいというのは家庭料理で、好き嫌いが出るぐらいのインパクトがある料理こそが外食なんだという哲学 

 

とても素敵な哲学だと思います。 

お父さまの、しっかりしたお考えや外食の提供者としての矜持が表れつつ、家庭料理に対する敬意も感じます。 

 

城咲さんもできる範囲で行動されているのも良いと思います。 

無理がないというか。 

 

一度行ってみたいけど、難しいかな~。 

 

=+=+=+=+= 

次に繋いでいく。 

 

城咲仁さんはその宿命にあると思う。 

 

城咲さんの今後の人生展開において、お父様が築いたお店、そしてその味を次世代の人たちに継承していく義務があると思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

父を何とか60周年まで働かせたい、というのは危険な考えな気がする。ただのキリのいい数字のために命を削る必要はないし、まだ自分が継ぐ覚悟がない甘えのようにも思える。自身も色々遍歴があるのだから、父親も仕事を止めることで何か転機があるかも知れないと考え、すぐに止めさせるべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

若い時には反発もあって、店とか継ぎたくないとか思うかもしれないが、年齢と経験を重ねてから親を見ていると、このまま店を途絶えさせて良いのか?と思うようになるのだろうね。  

 

職種も違うが、狩野英孝も、実家の神社を継ぎたくはないと反発していたけど、老いていく親を見て考えが変わったそうだからね。 実家の家業を継ぐのは大変な事だけどね。自分の代で潰す訳にはいかないし。 

 

=+=+=+=+= 

よくキャパオーバーという話を聞くが 

単純に席数を減らせばいいだけのこと 

その分、お客様に待ってもらうことになるが 

回らなく成るよりはよっぽどいい 

体力的に厳しいならばそういう選択肢もありだと思います 

 

=+=+=+=+= 

メディアって凄いな。何の力を発揮されて、色々報道されたり有名人が来たりするんだろう。食べに行った事あるけど、食べた餃子にチャーハン等、お金払って食べる味やモノじゃ無い自分の感想ですが、周りが書き立て広めるには裏がありそうな店です。何故なら、旨くないのに流行る意味がわからない。 

 

=+=+=+=+= 

城咲さんは、ホストとしては限りなく優秀だったのですが、タレントとしては…。テレビに出ていた当時、トークも全くでした。ホストとしてのトークと、テレビで求められているトークは全くの別物だったんでしょう。また、演技も全くダメ、当時の記事で読んだ覚えがあるのですが、演技が大根な上に、セリフも全く覚えてこなかったらしく、共演の役者からはかなり顰蹙を買っていたらしいです。ホストとしての大成功と、タレントとしての大失敗を経験してたどり着いた現在地、今の彼の目には周りはどんな風に映っているのでしょうか。大失敗もしたことがないけど、大成功もしたことがない私には、未知の領域に感じます。 

 

=+=+=+=+= 

60周年に拘っているのは氏であってお父様ではないのですよね? 

氏に店と味を引き継ぐ覚悟がないのなら、辛い身体に鞭打って働くより従業員さんに暖簾分けしたほうが明るい未来に向かっていけると思いますけどね。 

 

=+=+=+=+= 

料理人は 過酷な仕事の一つだよな 

 

人は 育った環境で 味のうまい まずいが 決まるのに 

 

ここはうまいって 有名人が言ったら 

みんな同意して 点数までつける 

 

それでも 文句も言わず 毎日頑張ってくれてる 感謝してしまう 

 

=+=+=+=+= 

インスタを通じて見ていますが、城咲さんとても楽しそうにやられています。 

なんの世界でもトップに立つのは努力が必要かなわけで、それをやった人間は簡単には折れませんからね。 

 

=+=+=+=+= 

マツコの知らないチャーハンの世界でお父様が番組出演されていました。 

スタジオでチャーハンを作っていました。 

具材のチャーシューが大きなものがゴロゴロと、またオタマ一杯くらいの大量で、これがウチのチャーハンだとご紹介していました。 

レタスチャーハンも作っていて美味しそうでした。 

 

お父様は大病を患っていて、とてもお辛い状況下でお店にでているようです。 

城咲さんは修行中?みたいな感じでお店にいるようです。 

 

新宿ホストNo1、ホスト引き連れ歌舞伎町をねりあるくシーンが記憶にあります。 

ホストを辞め、芸能界でも活躍したが、干されるという状況になったようですね。 

個人的にこの男は好きです、若い頃からとてもいろいろな経験をされてきたかと思います、 

そして現在があり、その選択は素晴らしい事だと思います。 

たまにお店にいくので、頑張っていただきたいです。 

 

=+=+=+=+= 

この店、行きたいんですよね〜。 

城咲さんのご実家だということは最近知りましたが、そうでなかったとしても地域の名店です。 

いつか行けることを楽しみにしています。 

 

 

=+=+=+=+= 

あっ、これテレビで拝見しました 

城咲さんが後を継ぐというのではなくてお父様がやれるだけサポートするそうですよね 

 

でも鍋やお玉を使うのがすごく上手いし来店数も多いみたいだし味も父には負けてないんでしょうね 

できたら続けてほしいけど無責任に言ってしまうのも‥かな 

 

=+=+=+=+= 

値段もかなり安いしサービス精神が異常に高いんでしょうね。遠くからくるお客の期待にも答えたいでしょうし。あと仕込みのスピードが尋常じゃない。 

息子さんは持ち前のガッツで仕事を覚えたやつですが中途半端ではここでは働けないでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

この記事でもそうだけど、ワンオペって言葉が使われてるけど意味合い的にやらされてるって捉えてしまうのは自分だけでしょうか。ワンオペ育児とかさ。先輩方はそんなマインドで働いたりしてなかったはず。昨今の日本の生産性の低下はこうしたマインドのせいじゃないかな…先輩方には頭が下がります。 

 

=+=+=+=+= 

チャーハンの修行に40日は多いのか少ないのか。 

自分が継ぐとは明言してないのは、継ぐ事の偉大さを痛感しているためなのか。 

他の後継者には全てを教えると言ってはいるが、結局は自分で継ぐ技量がないのを自覚しているのか。 

全ては推測でしかないけど、並んでる客に聞いてる時点で息子には期待していないのかな? 

 

=+=+=+=+= 

YouTubeのグルメ番組で知って、お父さんの腰痛が酷いのでいつまでも食べれる訳ではないので、早く来店したいと思ってました。 

あのチャーシュー炒飯、1時間待ちでも絶対食べたい! 

 

=+=+=+=+= 

マツコの知らない世界でも紹介されてた(板橋チャーハンの世界の回)。 

 

マツコの知らない世界は、その道の偏愛ヲタクな人がプレゼンする番組なので、忖度なしに美味しいのだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

鍋をふるだけで腕が壊れそうな回数なので、ちょっとやそっとの信念では続かないだろうに、タレントしてた頃も面白かったのに、すがちゃんみたいな漫才師になれてたかもしれない。 

 

=+=+=+=+= 

この方誤解していました。 

色々な経験を経て、立派になられたのでしょう。 

また、お父様の魅せる背中も良かったのでしょう。 

お店が永年続くことを願います。 

 

=+=+=+=+= 

凄くいい記事ですね!後継者問題が容易でないことや先代の思い 

がしっかりと書かれており、参考になります! 

城咲さんは父親の背中をしっかり見ていたんですね! 

 

=+=+=+=+= 

お医者さんや個人経営でお金が有っても、時間給にしたらサラリーマンの方が稼げているのでは無いかと思ってしまう。個人経営やワンオペの方は命を削って仕事をしているイメージです。 

 

 

=+=+=+=+= 

中華の料理人は大変ですよ! 

ただでさえ炒め物が多いジャンルで 

熱い火や重い調理器具を扱いながらですから 

特に梅雨明け時から9月いっぱいの間は 

相当に厄介な時期もあって 

 

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ただがむしゃらに子供だから店を継がなきゃ!という意志ではなく冷静に分析して、どうすれば最も皆が幸せかを考えて行動されているようなところが素晴らしいと思います。超売れっ子ホストになったのもこういう部分があってのことなんでしょうか。 

 

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たまに行くのですが自分も飲食が好きで18歳で社会に出でほぼずっと飲食で働いてきました。 

入口の張り紙を見て自分なら継げないかなって思ってました。 

 

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城咲さんはどこまでもかっこいい 

ホスト辞めてからしばらくは不遇の時代もあったのにまた別の道で成功したり、実家を支えたり。 

素敵すぎます 

 

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仁さんを最初見た時はなんてチャラいヤツだろうと思ったがメディアに出てコメントなどを聞くとやはりトップに居た人間は言葉にも深さがあると感じた。最近TVなどで見かけなくなったがこう言う事かと納得しました。 

 

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いっつも並んでるけど、こないだすんなり入れたから行ったばっかりでホットな記事だ! 

金曜土曜だけから揚げあるんで、追加注文できないですが、チャーハンのお供に是非頼んでみて下さい! 

 

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仁さんは毎日お店に出れない。今の仕事を捨てて継ぐ気は無いんだろうか?昔からたまに記事になって仁さんがお店で働いてるって書かれるが月に2〜3回。今の芸能の仕事メインで冷凍チャーハンのみで将来やるつもりなんだろうか? 

 

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いい話っぽく書いてるけど、医者にも止められてるのにお父さんが店に立つってどうなの?60年の節目までやりたい気持ちはわからんでもないが本当に倒れちゃったら取り返しがつかないので、ご本人が年内でやめたいと言ってらなら引退させてあげればいいのに 

 

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これ?美談? 

父親は引退をしなければならない体調なのに無理やり命かけさせて 

冷凍チャーハン売るためのプロモーションとは恐れ入る 

まぁ 

実の息子さんだからお父さんも命くらいかけるんだろうけど 

街中華の職人オヤジのチャーパンは冷凍とは違う食べ物なんですよ 

 

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ここのチャーハン今まで食べた中で一番美味いが、ラーメン600円もかなり美味い。しかもあの値段で食べられるのが本当に凄い! 

 

 

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もしお店を閉じることになっても、味は残せる。 

免許皆伝で、どこか丸鶴炒飯を受け継いで 

くれるとよいですね。 

 

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美談らしく仕立てた、未熟なライターが書いた駄文。 

自分の店や仕事にどんなに情熱を持っているにせよ、体調不良から「もう辞めたい」と漏らしてる父に、客のためとか店の60周年にあたる区民まつりまでとかそれっぽく理由をつけて、結局藤咲のエゴで過酷な仕事を続けさせてるわけでしょ。 

冷凍炒飯のプロモーションに繋げてるようにも読めるし、そもそもシンプルにライターの文章が下手。こんな記事を東洋経済が掲載するとはね。 

 

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うちは家業は早々に親が畳んだから家だけ継いだけど、それでも葛藤はあるなぁ。 

一言では言えない色々な思いがある。 

 

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花咲さんお店やっていたの知らなかった。 

ホストよりもご自宅の中華店やっていた方がいいと思う。 

探索兼ねて行ってみたい、チャーハン食べたいです。 

 

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そもそも残ってるのが「老舗」ばかりだからあまり目立たないだけで 飲食店でこれだけ継続できるってとんでもないことだからね。。続けてほしいなあ。。 

 

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お二人ともやはり親子の似たもの同士。 

真摯に向き合いトコトン追求し命懸けで作り上げる。 

 

仁さんなら出来ると親父さんはきっと思ってる筈。 

それに誰よりも丸鶴を潰したく無いのは仁さんだろう。 

 

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5年間ナンバー1で年収最高1億あったのに、お父さんを楽させてあげようとか、そこは考えなかったんですね。結局今さら食いぶちにさせてもらって、頭上がらないですね。 

 

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お店に正社員募集の求人が貼ってありました。将来自分の店を持ちたい人などと書いてたので、丸鶴のフランチャイズを展開するのかもと思ってしまった。 

 

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城咲さん素敵ですね。 

色々なご経験を経て一緒に今お父様と鍋をふる事は親孝行ですね。 

 

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美談っぽくなってますけど、医者からも止められていて、お父様もかなりしんどそうなので、60周年を待たずにお父様をお休みさせてはどうでしょうか? 

 

 

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テレビ等でもホストの方が多く出ているけど、私の中ではやはり城咲さんが1番だといまだに思う。 

 

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この人はテレビショッピングとかで再ブレークしてるんやないかな? 

 

親への感謝でセーブしてるだけやなかった? 

テレビショッピングのも辞めたのかな? 

 

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父親は東池袋大勝軒の山岸さんに中華料理を教えたレジェンドでもあるからな。 

 

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無責任に自分が継ぐと言わないところが、城咲さんの親父さんへのリスペクトと人柄を感じる。 

 

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大山のハッピーロードにある訳じゃないのにお客さんが入るのは美味しい証拠ですね。 

 

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ここの炒飯は本当に美味いのよ。 

別格だと思う。 

どうにか無くならないで欲しい。 

 

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裏メニューでシャンパンタワーなどもあるかもね。 

ホストのように、売り掛けで次来た時に支払が出来るシステムがあっあり。 

 

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真剣に親への恩返しや親孝行を考えたとき親が存命なのは幸せだと思う 

 

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しろさきさん 昔は変な美意識やプライドでこんな笑顔はでできてなかったと思う いい笑顔です 

 

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カリスマホストで芸能人になって 

最終的には町中華の大将になる人生も 

素敵だと思うけどね 

 

 

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いろいろ理由付けするだけダサいよ。普通にどこも働き口無いからここで働いてますの方が清々しくて良いのにまだどこかでプライドが邪魔するのかな? 

 

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仁さん、ナンバー1ホストでテレビに出ていました。 

懐かしいです。 

 

跡継ぎ、がんばれ! 

 

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1度行ったけど味の記憶がない。 

サービスもそこまででも。 

店内もベタベタメディアに取り上げられた時の写真だらけ。 

 

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ものすごく塩辛い焼き飯って聞きますけど そして店主や店員の塩対応も 

 

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ここの大本命は、開店してから早い時間のラーメンですね。海鮮の香りとコクがフワッとくるやつです。 

 

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ホストで1番になった城咲さんからチャーハンでも1番になれるはず。 

頑張って 

 

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お父さんが元気な内に味だけは引き継ぐべきだね。失ってからでは遅い。 

 

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一晩で何百万も稼いでいたヤツが数百円の中華料理売るために鍋をふれるもんなのかな? 

 

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・「お前腐ったな」でホストになる 

・40日間の修行で冷凍チャーハン完成 

お父さんのチャーハンが人気なのはわかる 

 

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彼は爽やかでトークも旨いし、一本筋が通っている。最近のホストは外見ばかりで薄っぺら。 

 

 

 
 

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