( 221076 ) 2024/10/11 03:09:39 0 00 あの時代、運かコネがなければ職にありつけない、令和の今からは信じられないような厳しさが世間に満ち満ちていました(画像:Ystudio/PIXTA)
ラジオニュース番組『飯田浩司のOK! Cozy up!』キャスター・飯田浩司氏は、自らもニュースを伝える仕事をしてきた中で、自責の念を込めて「絶えず苦境に立たされてきた就職氷河期世代に対する経済政策には、大手マスコミのダブルスタンダードが如実にあらわれている」と語ります。最新刊『「わかりやすさ」を疑え』より一部抜粋のうえ、その意味するところを解説します。
■絶えず苦境に立たされてきた氷河期世代
就職氷河期世代は政策的な手当や好景気の恩恵をほとんど受けることなく間もなく50代に差しかかろうとしています。
私もこの世代の1人として就職活動し、2004年にニッポン放送に入社しました。すでに、我々の苦労は世の中の多くから忘れ去られています。
それを如実に表す出来事が、今年3月28日夜の参議院本会議、2024年度予算案に対する反対討論で壇上に立った国民民主党の伊藤孝恵参議院議員が就職活動の頃のエピソードを語った時に起こりました。伊藤議員のX(旧Twitter)から引用します。
〈令和6年度予算案に関する反対討論で本会議登壇。
冒頭「私が就職活動で100社もの会社に落ちた1997年…」と話し始めたら、議長席(? )で吹き出す声や、議場から「100社はむごい」とか「オレ全部受かった」とか、笑い声や話し声がいろいろ耳に入って来て動揺し、めちゃくちゃ噛んでしまう〉
笑い声や話し声……。さすがは“選良”と言われる国会議員の方々、自分事として捉えている人は、まったくいらっしゃらないことがよくわかる反応です。参議院議員の平均年齢はだいたい60歳前後。なるほど、このぐらいの年齢層の方々はバブル景気の中、売り手市場で就職活動をしていらっしゃり、そのまま議員になられたわけですから氷河期世代の苦労などご存知なはずがありませんね。
あまり世代間対立を煽るのは本意ではないのですが、本当に世代の違いがそのまま経済観の違いに直結してしまって断絶が非常に深いうえに、今に至るもその苦労に耳を傾けようとしないことには怒りを通り越して呆然としてしまいます。
さらに、伊藤議員のX投稿やこれを題材にしたネットニュースに対するコメントなどを見ていると、世代間の断絶もあらわになっていて、これまた呆然とするのです。
■氷河期世代の団結を阻み続けてきたもの
伊藤議員の国民民主党のホームページに上げられている経歴を見ると、「名古屋市出身、金城学院大学文学部卒、テレビ大阪、資生堂、リクルート、金城学院大学文学部日本語日本文化学科非常勤講師」となっています。
新卒でテレビ大阪に入り、記者職や営業職などを経て転職したということですが、このことを捉えて「そうはいっても就職できた奴が偉そうに言うな」「結局恵まれていた人間だろう」といった声もチラホラ見かけました。
私も、就職氷河期世代の話をラジオで取り上げると決まって「君は新卒でニッポン放送に正社員として入社しているのだから勝ち組だ」「勝ち組の上から目線だ」といった批判を受けます。
また、大学時代の同級生や上下2~3年ぐらいの同世代と話していると、中にはバブル世代と同じように「自己責任論」を振りかざす向きにも出会います。この世代、正社員の座をつかんだ人たちは、こちらはこちらで苦労に苦労を重ねてきました。
圧倒的な買い手市場の中でなんとかつかんだ正社員の座。デフレで転職も容易ではない中、上にはバブル世代の大量入社組がいて先輩たちのように出世もできず、下も入ってこないためにいつまで経っても下働き。堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで歩んできた会社員人生。誰も褒めてはくれないし、誰も私の気持ちをわかってはくれない。だが、私は私なりに頑張ってきたのだ。努力してきたのだ。その分報われてしかるべきだ。上手くいかなかったのは「自己責任」なのだ……。
前述の伊藤議員の演説に「オレ全部受かった」といった御仁がもし同世代であっても私はまったく驚きません。そんな方には相当な運が味方したに違いありませんが、そういった人に限って「運も実力のうち」と嘯いたり、心底自力だったと信じ切っていたりします。
ですが、あの時代、運かコネがなければ職にありつけない、令和の今からは信じられないような厳しさが世間に満ち満ちていました。そして、その境遇の絶望的なまでの差が、氷河期世代の団結を阻み続けてきました。
今もそうです。この世代は1学年で100万人を優に超える人口を抱えているのにもかかわらず、親世代である団塊の世代のように塊となって発言力を高めることができません。いつまでも焦点の合わない歪んだレンズのように、常に光が拡散して同世代間で罵り合ってしまいます。
■「勝ち組」のメンタリティが世代間にも軋轢を生む
さらに、世代間にも軋轢を生む存在になりつつあります。これは特に、氷河期世代を正社員として生き抜いてきた、相対的には「勝ち組」に分類されるような人の一部に次のようなメンタリティが生まれていることに起因します。
「私でもできたのだ。君らもスキルを磨いて強く生きるのだ」「なぜこんなこともできない。私の時代ならとっくにクビになっていたぞ」「そんなことで弱音を吐いてどうする?」そんな気持ちで10歳、20歳下の世代に接すれば、それは指導ではなくパワハラですよと糾弾される時代です。
結果として、氷河期世代を生き抜いた人たちはそのスキルを評価されるよりも、昭和の体質を残す「老害」として扱われてしまうのです。もう少しマイルドですが、これは私の実体験でもあります。我々が潜り抜けてきたことを今行ってしまうと、それだけでアウト。なんとも切ない話ですが、これが現実ということなのでしょう。
ならばもはや、何も言わずに「自己責任論」で通り過ぎようという向きもあるかもしれません。本記事は人事管理を論ずるものではありませんので、そのあたりは専門の書籍に譲りますが、世代全体として個々人のミクロな努力がマクロ経済政策によっていかに脆く簡単に押し流されてしまうのかを事程左様に肌で実感した世代なのだろうと思います。
■為替を政策批判の材料にしてきたマスコミ
そして、就職氷河期世代に対する経済政策ですが、これもまた、大手マスコミのダブルスタンダードが如実にあらわれています。この原稿を書いている2024年5月初旬の時点で1ドル=160円に迫る水準になっていて、日本の通貨当局は4月末からの大型連休中に為替介入(為替相場に対して影響を与えるべく、通貨間の売買を実施すること)を行いました。
円安とそれに伴う輸入価格上昇に端を発したインフレ傾向に対し、メディアは基本的に批判的でした。物価上昇が生活を直撃している。為替が過度な円安のせいだ。これは日米の金利差から来ているから、日本も金利のある世界にしなければならない! 一刻も早く金融緩和を止めて、利上げをするべきだ!
たしかに、原材料を海外から輸入する産業にとっては円安は不利になります。ドル建て(債権・債務の関係をドル金額で表示すること)で同じ値段で調達してきても、円に換算すると金額が大きくなってしまいますからね。
同じ理屈で、海外旅行もしづらくなるわけです。日本円での出費がかさんでしまいますから。その上、ウクライナ戦争など地政学的な要因による原油価格の上昇などに伴い、諸外国でもインフレが起こって現地通貨での値段も上がってしまっていますから、円安とのダブルパンチでますます厳しい状況です。
他方、日本からモノやサービスを輸出する産業にとっては円安は恩恵です。ドル建てで同じ値段で売っても、円に直すと為替差益が発生するわけですから。
円で同じだけの利益を取ればそれでよいと考えるならば、その分ドル建てで値引きできるわけで、価格交渉力が相当あることになります。いずれにせよ、日本を支える製造業にとってこれは慈雨ともいえる好機でしょう。
では、円高の時はどうだったのか? 約15年前の2010年前後は1ドル=90円台の超円高の時代でした。輸出企業は円高で利益の出ない国内生産を諦めました。円安とまったく真逆の世界ですから、いくら日本国内でコストを削って製造しても、ドル建てでは値上げしなくては円に直した時の利益が出ません。
ですから、多くの企業が日本国内で製造することを諦め、海外のコストの安い国、当時目を見張る勢いで成長し続けていた中国にこぞって製造拠点を移転しました。当然、国内で生産に携わっていた人々は職を失うか配置転換を余儀なくされました。
■政策当局への批判材料にできる便利なもの
この時メディアは、「産業の空洞化だ! 日本の製造業が危機に瀕する!」と批判していました。今と違うのは、この時実は非正規労働者も雇用を失って生活の危機に瀕していましたが、そこに関しては「年越し派遣村」報道に見られる通り、政府の福祉が足りないという批判に終始していました。
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