( 221634 )  2024/10/12 17:29:12  
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11日午前、藤田菜七子に対応する師匠である根本康広師の取材が行われた。

9年間、藤田と密接な関係を築いてきた根本師は、藤田の結婚発表が報道されたことで悔しさや怒り、悲しみを抑えきれず、JRAに対して感情を露わにした。

根本師は、菜七子に対して冷徴な対応が取られることに不満を持ち、「菜七子が悪い面があったとしても、いい時だけ持ち上げられるのは嫌だ。

もっと血の通った対応を」と語った。

 

 

16年ぶりのJRA女性騎手としてデビューした藤田は、多くの厩舎が引き受けを躊躇した中、根本厩舎が受け入れた。

愛弟子である藤田を支え、教え導いてきた根本師は、藤田が成長し、最近は一緒に2年間引退まで頑張ろうと話し合っていた。

しかし、予定外に引退を迎える根本師は、藤田との共同の夢を叶えることができなかったことに深い悲しみを示し、涙を流した。

藤田が厩舎を去ることになった現在でも、根本師は彼女との縁を大切にし、再び笑顔で会える日を待ち望んでいる。

(要約)

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11日朝、取材に対応する藤田菜七子の師匠、根本康広師 

 

 9年間、娘のように藤田と接してきた根本師。JRAの説明を経てなお、悔しさ、怒り、悲しさの感情を制御できない様子だった。ひそかに準備をしてきた結婚発表を週刊誌報道に台無しにされ、自宅まで訪れる記者におびえる愛弟子をふびんに思った。「確かに菜七子が悪い面はあった」。そう認めた上で「いい時だけ持ち上げて、こういう時は冷徹な対応で“調査をします”だけ。(JRAには)もっと血の通った対応を見せてほしかった」と語った。 

 

【写真】真っ赤なドレス姿の藤田菜七子 

 

 16年ぶりのJRA女性騎手としてデビューした藤田。多くの厩舎が引き受けに二の足を踏む中、根本厩舎に白羽の矢が立った。「今は亡くなった妻に“男の子でも大変なのに、女の子を迎えて大丈夫?20歳になるまでは自分が親のつもりで接しなさい”と言われたんだ」と師。地方競馬行脚で修業する藤田を車で送り迎え。疲れて助手席で眠る藤田を起こさぬよう、片道数時間のドライブを重ねる日々だった。 

 

 26年2月で定年引退を迎える根本師。そのころには30歳間近になる藤田が、師の引退する数カ月前にムチを置く計画もあった。だが、一緒に花道を歩く夢はもうかなわない。「ここ最近はなんとかあと2年は一緒に頑張ろうと話し合っていた。こんな形でやめたくないよ、菜七子だって。俺は死ぬまで菜七子が泣きながら引退届を書いた姿を忘れない」と大粒の涙を流した。 

 

 厩舎に行っても毎日のように顔を合わせた愛弟子の姿はもうない。「(菜七子が)宮崎に行く前に俺たちは一生の縁だからなと言っておいた。いつかまた笑って会いたいね」。二人三脚で走り抜けた9年間。輝いた日々を思い浮かべるたびに、師の目には涙がにじんだ。 

 

 

 
 

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