( 221726 ) 2024/10/13 01:12:11 0 00 自らが率いる新派閥「水月会」の結成を発表する石破茂地方創生担当相(右)=2015年9月28日、東京都千代田区
戦後の日本政治史に残るであろう「派閥なき自民党総裁選」が終わった。史上最多の9人が立候補し、最大派閥の旧安倍派から疎まれ続けた石破茂総裁が勝利した事実が、派閥解消のインパクトを物語る。首相に就任した石破氏は「令和の政治改革を断行する」と宣言したが、1955年の結党以降、解散と復活を繰り返してきた派閥はなくなるのか。(時事通信政治部 川上真央)
【図解】石破内閣の構成
自民党新総裁に就任し、記者会見する石破茂新総裁=9月27日、東京・永田町の同党本部[代表撮影]
「皆さまのおかげで自民党総裁に選出をいただきました」。9月27日の総裁選で決選投票を制し、両院議員総会であいさつした石破氏は、複雑な表情を浮かべた。過去4回挑戦して連敗してきた石破氏にとっても勝利は驚きだったに違いない。
今回の総裁選が特異だったのは、自民派閥裏金事件を受け、党内6派閥のうちの5派閥が解散した中で行われた点だ。効果が最も鮮明に表れたのは若手を含む9候補の乱立。派閥領袖(りょうしゅう)らが20人の推薦人を差配し、構図にすら影響を及ぼしてきた従来の総裁選では考えられない展開だった。
候補者乱立はさらに党員・党友票368票の比重を高める効果も生んだ。9候補にはそれぞれ20人の推薦人がおり、国会議員票368票のうち189票は投票先があらかじめ事実上固まった。その結果、勝負にからむ候補者は早々に、党員に人気のある石破氏、高市早苗前経済安全保障担当相、小泉進次郎選対委員長の3人に絞り込まれた。
もちろん、派閥の論理が全く働かなかったわけではない。決選投票では党員票が47票に圧縮されるため、派閥が力を取り戻す余地があった。総裁選最終盤、石破、小泉両氏は唯一の存続派閥、麻生派を率いる麻生太郎元首相と相次いで面会。他陣営から「派閥を頼った」との見方が漏れた。
決選投票では麻生氏、旧茂木派会長だった茂木敏充前幹事長が高市氏支持を派内に呼び掛け、旧岸田派領袖だった岸田文雄前首相は石破氏支持の号令を掛けたとされる。
石破氏の選対本部長を務めた岩屋毅外相は記者団に「旧派閥の足し算、引き算ではない」と力説したが、法政大の河野有理教授(政治学)は「党員票を取れないと決選投票に残れないのは派閥なき総裁選の重大な帰結だった。一方、決選投票では派閥単位で動いた方が政治的に有利だった」と分析する。
1977年3月、福田派(八日会)の解散総会であいさつする福田赳夫首相(左端)=東京都千代田区の赤坂プリンスホテル
そもそも派閥とは何か。明確な定義はないが、田村憲久元厚生労働相は1月のテレビ番組で「派閥には暗黙の要件がある」と説明。①政治団体として総務省に届け出ている②事務所がある③他派閥との掛け持ちを許さない④党に登録している―の4条件を挙げている。
源流は1955年の自民党結党直後にできた「8個師団」だ。時代がたつにつれ、次第に影響力を増し、田中角栄元首相が率いた田中派は「派閥の完成形」(古参党職員)と言えるほどの資金力と数の力、団結力を誇った。
派閥政治の否定は何度も試みられてきた。福田赳夫元首相は77年、「派閥解消」を打ち出して福田派を解散。大平派、田中派などが追随したが、後に復活した。
「リクルート事件」を受け、自民は89年に派閥解消をうたった政治改革大綱を決定。さらに93年の野党転落を踏まえて派閥解消を宣言し、各派閥もこれに呼応して事務所閉鎖などを決めた。しかし、94年の政権奪還を機に派閥は徐々に復活した。
今回は岸田文雄首相が1月に岸田派解散を打ち出したのを皮切りに、麻生派を除く5派閥が解散を決定。党政治刷新本部は「(カネや人事の)イメージが染みつく派閥から脱却し、政策集団に生まれ変わる」との方針を打ち出し、3月の党大会で採択した運動方針には「二度と復活させない」と明記された。
取材に応じる法政大の河野有理教授=10月3日午後、東京都千代田区
派閥はこれからどこへ向かうのか。
今回の派閥解消の効果は総裁選だけでなく、その後の組閣・党役員人事にも表れた。党は人事に当たり、希望する役職を党所属議員にオンラインで聞き取り、派閥機能の一部を代替。石破内閣では首相と閣僚20人のうち、無派閥の議員が11人と過半数を占め、2021年の岸田内閣発足時の3人と比べて大幅に増加した。
しかし、もたらされた効果はプラスのものばかりではない。石破首相は就任以来、総裁選で掲げた政策を次々に封印し、野党から「変節」「うそつき」などの痛烈な批判を浴びている。首相が持論を貫けないのは政権基盤の弱さゆえとみられるが、ベテラン党職員は「まとまった数を持つ派閥の支えがないことも不安定さを助長している」と指摘する。
「令和の政治改革」を唱える首相自身、かつて「脱派閥」を主張していたにもかかわらず、前言を翻して2015年に石破派を結成(21年にグループに移行)した経緯がある。派閥は果たしてなくなるのか。河野教授は「グループを作った方が政治力を得られる。派閥と呼ぶかどうかは別として、派閥的なものは結局、絶対になくならない」と予言した。
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