( 221969 )  2024/10/13 17:15:55  
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20年前と比べて浪人を選ぶ人が減少している中、浪人はどのように人を変えるのか、また浪人した結果何が起こるのかを追求しようとして、浪人経験者のインタビューが行われている。

本記事では、医学部に進学するために6浪6留を経た山田さん(仮名)の経験が紹介されている。

山田さんは医師国家試験に合格したが、医師の道を諦め、現在は別の仕事に従事している。

山田さんの浪人生活や進路選択に迫りながら、彼の人生について描かれている。

(要約)

( 221971 )  2024/10/13 17:15:55  
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※写真はイメージです(写真: mits / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

 

今回は2浪して医学部に合格したものの、進学先で6留。その後医師国家試験のために4浪し、合計6浪6留を経て、医師国家試験に合格した山田さん(仮名)にお話を伺いました。 

 

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■6浪6留を経て、気づいた学び 

 

 今回お話を伺った山田さん(仮名)は、合計6浪6留を経験しました。大学受験2浪・大学6留・医師国家試験4浪という波乱万丈の人生を送ってきた彼は、浪人のときに出会ったある人の支えのおかげで、ついに今年、第118回医師国家試験に合格することができました。 

 

 しかし彼は医師の道を選ばず、現在は別の仕事に就いて、人の役に立てるよう頑張っています。6浪6留を経て、山田さんが選んだ進路とは。彼の人生に迫っていきます。 

 

 山田さんは新潟県で医療関係で働く父親と、母親のもとに生まれました。 

 

 「自由奔放な性格で、クラスではあまり好かれていない子どもでした。意地悪だったというよりは、自分が溜め込まないように思ったことをすぐに言ってしまう子どもでした」 

 

 新潟市内の公立小学校に通った山田さんの成績は、中の上くらい。スイミングスクールやKUMONに通いながら勉強を続けたこともあり、中学からは首都圏にある中高一貫校に進学します。 

 

「寮に入って、そこで6年間を過ごしました。夜にみんなで1日3~4時間ほど勉強する時間がありましたし、学校から与えられていた課題は自分なりにこなしていましたが、成績は中の上くらいのままでしたね。自主的に勉強はしていないので、真剣に東大や医学部を目指す人からすれば、あまりやっていなかったと思います」 

 

 寮生活がそれなりに厳しい環境だったことで、高校に入っても塾には通わず、学校の勉強だけを続けていた山田さん。高校2年生くらいで、東京大学を志望するようになります。 

 

 

 「ビル・ゲイツや堀江貴文さんのようになりたいと思っていました。ビル・ゲイツはハーバード大学中退、堀江さんは東大中退だったので、憧れの人に近づけると思って東大を目指したのです」 

 

■東大には遠く及ばずも、落胆しなかった 

 

 山田さんが通った高校は、高校2年生までで、高校3年生までの課程をすべて終わらせる学校でした。そのため高校3年生からは授業に出ず、寮に引きこもってひたすら勉強を重ねていました。 

 

 しかし「学力は東大受験生としては物足りなかった」と語るように、高校2年生のときに受けた東大模試では、学校で最下位近くの成績でした。 

 

 本人はこの成績には、落胆はしていなかったようです。 

 

 「模試の成績はひどかったのですが、英語の要約だけは満点を取れたのです。その結果を開成から東大理科1類に進んだ家庭教師に見せたら『すごい! 東大に現役で行く子でも満点は取れないよ』と言われて、『あれ! 俺も東大に行けるんじゃないか?』と思いました」 

 

 とはいえ、高3のときの東大模試は偏差値37くらいから上昇せず、現役時の受験では東大の理科2類のみに出願したものの、センター試験が70%だったために、足切りに遭いました。ほろ苦い結果とともに山田さんは現役時の受験を終えたのです。 

 

 東大の2次試験に行けずに、受験を終えた山田さんは浪人を決断します。その理由としては、「自分の実力がわからなかったから」と答えてくれました。 

 

 「当時の自分は、東大に行けなかったら大学に行かない! という価値観だったのです。だから、その願いをかなえるために浪人をするのは必然でした」 

 

 大手予備校で浪人生活を送ることを決断した山田さん。「いきなり寮生活を離れてしまったら勉強しなくなる」という危機感を持っていたこともあり、この年も予備校の寮に入りました。 

 

 そのため、「勉強習慣は現役のときと変わらなかった」ようで、今ではこの選択に後悔をしていると振り返ります。 

 

「私が受けていた集団授業は、『前年度ギリギリ東大に行けなかった人』を対象にしていたので、私みたいに箸にも棒にもかからない人は、最初からついていけない科目がありました。特に数学は板書に何を書いているのかがさっぱりわかりませんでした」 

 

 この年もほぼ成績は上がらず、河合塾の全統記述模試でも偏差値55くらいと、東大を目指すには厳しい成績でした。結局、この年も東大の理科2類に出願するものの、足切りに遭い、2次には進めませんでした。 

 

 

「ほかにも大学を受けたのかもしれませんが、東大以外は行きたくなかったので覚えていません。センター試験の点数は前年より下がってしまい、6割後半でした。得意な科目と苦手な科目の差が激しくて、文系科目は8割くらい取れましたが、理系科目は3割くらいしか取れないものもありました」 

 

■3回の東大受験はすべて2次に進めず 

 

 この結果を受けて、2浪をする決意をした山田さん。自分に合う予備校を探し、個別指導の授業をしてくれる、とある塾に入学します。すると、その指導が山田さんに合ったそうで、成績が伸び始めました。 

 

「市販の参考書を自分で進めて、わからないところを聞くことで効率よく偏差値が上がりました。河合塾の全統記述模試では、偏差値62くらいは取れるようになりました。得意な科目はさらに伸びて、苦手な科目でもやりがいを見いだし始めた1年でした」 

 

 しかし、この年もセンター試験は7割近くに終わり、3回の東大受験はすべて2次試験に進むことなく終わってしまいました。 

 

 ただ、この年はほかに北里大学、杏林大学、慶応大学、帝京大学の医学部医学科を受験し、このうちの1つに繰り上がり合格することができたため、2浪で進学する決断をしました。 

 

「苦手科目が伸び始めたときに受験が終わってしまったという感覚でした。3浪・4浪したら東大に行けた世界線もあったのかもしれませんが、自分の中では東大に価値があったというよりは、本気を出したらそこまで行けるのかを確かめたかったのです。せっかく大学に受かったので、これ以上浪人するのもつらいし、2浪して東大に行けないのならもういいか、と諦めました」 

 

 こうして終わった彼の大学受験生活。山田さんはこの2年を振り返って、「それまでの人生で挑戦したことがなかったから、いい機会だった」と振り返ります。 

 

■大学合格、浪人はここからが本番だった 

 

 しかし、彼の「浪人」はここからが本番でした。 

 

 ようやく大学に進んだ山田さんは、休学2年を含む、6回の留年を経験します。 

 

「私は高2から2浪の終わりまで一貫して東大志望で、どう足掻いても無理だとわかったので、併願で受けた医学部に入りました。だから、医学部がどういうところかをまったく知らないまま入ってしまったのです。 

 

 『大学に入ったし、とにかく遊ぼう!』と思ってしまった私は、(医学部が)進級が厳しくて、しっかり勉強をしないといけない学部だと知らないまま生活を送って、気づいたらただでさえ進級が厳しい学部なのに、周囲からも完全に嫌われてしまい、進級に必要な資料や試験対策プリントなどをもらえなくなりました」 

 

 

 山田さん自身も資料を同級生にあげつつ、ギブアンドテイクをしているつもりだったそうですが、遊んでいる人間だというイメージが定着してしまったそうで、『授業に出ていないのに資料をほしがる人』だと周囲に思われてしまったようです。 

 

 結局6留を経て、山田さんはなんとか卒業することができました。「大学を卒業してから、同級生にとても迷惑をかけてしまったと後悔しています」と過去の自分の行動や言動を現在、反省している山田さん。 

 

 大学を卒業するのにも苦労した彼を、さらに苦しめたのは4年間にも及ぶ医師国家試験に合格するための浪人でした。 

 

 実は大学5年生のときに、山田さんは自身がADHDであるという診断を受けて、入退院を繰り返していました。 

 

 6年生のときに医師国家試験を受験したものの、体調を整えることがメインだったため、「流れで受けただけ」で、不合格になってしまいました。 

 

 「なんとか大学は卒業できたのですが、卒業してからの1年も体調を崩しがちで、4カ月ほど入院していました。ただ、このときに入院した発達外来のある病院が、私の体調不良の原因が発達障がいにあることを突き止めてくれたんです。それで医師の方に『つらかったね』と寄り添っていただけたので楽になりました。 

 

 ただ、もうこの年は体力がなくなっていて、『医師免許を取ろう』という気持ちはありませんでした」 

 

■医師を諦めかけたときの「まさかの出会い」 

 

 医師になることを半分諦めかけていた山田さんですが、医学部を卒業した後、病院で患者同士として出会った仲のいい女性に現在の自分の状況を説明したところ「ちゃんと医師になりなよ!」と言われて、背中を押してくれたそうです。 

 

 「それをきっかけに、全然勉強してないけれど、国家試験を受けてみようと決意して受験しました。ただ、まるで歯が立たなくて、『ちゃんと予備校に行かないと受かる試験ではない』と痛感したのです」 

 

 

 
 

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