( 223671 ) 2024/10/18 16:19:02 0 00 ドーナツを手にするダスキン最高執行責任者の和田哲也氏=2024年9月5日、大阪府吹田市
日本のドーナツ市場を切り開いてきたミスタードーナツ。1971年に1号店を開店して以来、拡大してきたが、2010年代は苦戦が続いた。不採算店舗の閉店が相次ぎ、1300店を超えた店舗数は一時、3割減った。ここ数年は売り上げが回復に転じており、2024年3月期、5年ぶりに千店の大台を回復した。
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ミスタードーナツが販売するドーナツ(ダスキン提供)
コンビニ大手の参入や新型コロナウイルス禍といった大きな事業環境の変化もあった。低迷期をどのようにして乗り越えたのか。事業を統括するダスキン最高執行責任者(COO)の和田哲也氏(62)は成功体験からの脱却と、「1強」だからこその難しさを語った。(共同通信=松田大樹)
▽本部長就任時には低迷の兆候
和田氏は1986年にダスキンに入社した。ダスキンが手がけるレストランでアルバイトをしていたことがきっかけで入社を決めた。
「同期が70人ほどいて3分の1がミスタードーナツ、3分の2が(清掃用品のレンタルや販売といった)訪販事業に配属された。入社して初めてドーナツは油で揚げるというのを知ったくらい、それまでは縁がなかった」
店舗勤務に始まり、商品開発や海外展開などキャリアのほとんどをミスタードーナツで過ごすことになった。2015年には事業本部長に就任した。当時はコンビニ大手がドーナツ販売に参入したころだったが、低迷の兆候はその数年前から表れていた。
(写真:47NEWS)
▽業績低迷の要因は「努力不足」
「当時は外食産業が価値の創出ではなく、価格競争に入っていた。私たちも 同じ様に、自分たちの価値を高めるという方向に行かなかった。100円均一セールに代表される期間限定のディスカウントをどんどんやって、違いが出せなくなっていった」
フランチャイズチェーン店を含めた売上高は2014年3月期の1030億円から、2019年3月期は740億円となり約3割も減少した。不採算店舗の閉店を進めたことで、国内店舗数は2014年3月の1350店から2021年3月には961店に減った。
「新しい価値を創造できないということは、お客の来店頻度も増えないし飽きられてしまう。われわれの努力が足りなかったということが、業績低迷の一番の大きな要因だった」
▽過去の成功体験が足かせに
低迷を脱しようと2016年に経営戦略の転換を決めた。それまで30~40代の固定客が中心だったが、若い世代に焦点を当てることにした。
改装を進めた店舗の外観イメージ(ダスキン提供)
「当時は昔懐かしいお店というイメージになっていた。われわれは老舗ではなくて、いつも新しいブランドになっていく必要がある。商品や店舗、広告を通して若年層が反応する業態に変えていこうと考えた」
商品開発では宇治茶専門店「祇園辻利(ぎおんつじり)」など、他社と連携した「misdo meets(ミスド ミーツ)」を展開。軽食需要に応える「ミスドゴハン」シリーズも始めた。店舗は黒を基調とした、おしゃれで清潔感が伝わりやすいデザインへの改装を進めていった。
テレビ向けがほとんどだった広告は若い世代の目に留まるよう、X(旧ツイッター)やインスタグラムなどのSNSやユーチューブといったインターネット向けの割合を3割に増やした。
「購買層が変わらないという課題はずっとあったが、30~40代に焦点を当てて取り組んできたことへの成功体験があった。思い切って変えていくという判断にはなかなか至らなかったが、業績が悪化して『次の手は何だ』と考えたときに、経年の課題をつぶすということに動き出せた」
インタビューに応じるダスキン最高執行責任者の和田哲也氏=2024年9月5日、大阪府吹田市
▽圧倒的シェアだからこその悩み
改革に乗り出した中、コンビニ大手がドーナツ市場に参入してきた。新たな競合相手について、どう考えていたのだろうか。
「マーケットが広がることはポジティブに受け止めていた。それまで世間にドーナツという単語を出すのが、私たちにしかできなかった。いろんな競合が入って日常食になっていくことは私たちにもメリットが大きい」
ミスタードーナツは国内のドーナツ市場で8割と圧倒的なシェアを誇る 。和田氏はインタビューの中で、1社だけで市場を広げていくことの難しさを繰り返し強調した。
「パン業界ほどの規模になれば機械の開発などでいろんなメーカーがバックアップしてくれるが、それがないというのは苦しかった。ドーナツ市場に1社しかいないというのは、非常に不自由に感じていた」
▽取り組み奏功、業績回復
若い世代を取り込む効果が2019年ごろから出始めた中で、新型コロナウイルス禍に見舞われた。商品の衛生管理を強化することで、なんとか営業を継続できた。
2023年に限定発売した「白いポン・デ・リング」(ダスキン提供)
ミスタードーナツの店舗の約8割は、ショーケースに並んだ商品をお客が自分で取るスタイル。コロナ禍では、衛生的に問題があるのではないかという声が上がった。ドーナツを1個ずつ袋に詰めるといった対策を取ったが、商品の味や見栄えに影響した。多額の費用がかかったものの、最終的にショーケースに扉を付けることにした。
若い世代をターゲットにした取り組みと、コロナ禍での衛生管理や持ち帰り需要の高まりが要因となり、業績は回復基調に転じた。国内の売上高は、2019年3月期の740億円から2024年3月期は1248億円と約1・7倍に伸びた。店舗数は2021年3月に961店だったが、2024年3月に1017店に上向いた。
▽「ポスターと商品が違う」お客の不満解消に注力
好調の背景には、お客の不満を解消することに注力した取り組みが実を結んだことも挙げられるという。
お客の不満を集約すると、次の三つにまとめられた。
開店当時の雰囲気に改装されたミスタードーナツの1号店「箕面ショップ」=2020年1月、大阪府箕面市
(1)近くにお店がない
(2)欲しい商品がない
(3)待ち時間が長い これらに対応するため、それまでは厨房付きの店舗ばかりだったが、厨房のない小型店を一部で導入。ネット注文のシステム開発も進めた。
消費者が飽きないように、次々と新しい商品を投入することにも注力している。人気商品の「ポン・デ・リング」が真っ白になった「白いポン・デ・リング」や、ミスタードーナツで初めてのカップ麺「家で食べるミスドの汁そば」は話題を呼んだ。
「いくら良い商品を作ったとしても店舗での再現力がなければお客さまにお渡しできない。数年前までは『ポスターに載っている商品と現物が違うんじゃないの』という声を結構いただいた。株主総会で言われたこともあった。技術を高めるため、人への投資に力を入れ、今ではほとんどそういった指摘がなくなった」という。
▽53年続けたことの自負
和田氏は最近の状況について「人づくりと店づくりが好循環に入っている」と手応えを語る。「今後も事業環境の変化に一喜一憂せず、おいしいドーナツをお届けすることを愚直にやり続ける。今後は社会から応援される事業になっていきたい」。ミスタードーナツが日本に1号店を開いてから53年。社会から必要とされる事業になったと自負している。
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和田 哲也(わだ・てつや)1962年大阪市生まれ。1986年にダスキンに入社した後、ほぼ一貫してミスタードーナツ事業に携わる。2020年6月から最高執行責任者(COO)。
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