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「学者は世間知らず」という批判にどこまで意味があるのか 学者の立場から学者の存在意義を捉え直す

東洋経済オンライン 10/18(金) 10:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/0bcb96ee9aa5f885a1e287c52b325299fa87c47a

 

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学者が果たすべき役割について解説が行われた。

学者は社会的役割として、宮廷道化師に例えられることがある。

宮廷道化師は事実に深く洞察し、空気を読まずに意見を述べる存在であり、学者も同様の特性を持つとされる。

学者は研究して事実を明らかにし、他の人が言えないことにも積極的に声を上げることが求められる。

一方で、学者は実権や地位を持たないために、時に無関心や侮られてしまうこともあるが、それでも空気を読まずに本質を突く役割を果たさなければならない。

これが現代の国民に対して学者が持つべき有益な役割の一つであると述べられた。

(要約)

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学者が果たすべき役割について解説する(写真:bee/PIXTA) 

 

学士会YELL主催によるミニプレゼン会にて、関西学院大学・加藤雅俊氏、立命館大学・中原翔氏、東京大学・舟津昌平氏3名による出版記念シンポジウムが行われた。 

 

本記事では、『Z世代化する社会』の著者・舟津昌平氏による講演をベースに、学者が果たすべき役割について解説する。 

 

■「世間知らず」という言葉の中身 

 

 「学者」という言葉に、どのようなイメージをお持ちだろうか。 

 

 そもそも学者という表現にはいくつかの意味が含まれる。「大学(研究機関)に勤めている人」を指すことが多かろうが、そういう人は多くの場合「研究者」でもあるし、「科学者」なこともあるし、あるいは「大学の先生」でもある。ミスリードな部分があるのを承知のうえで、とりあえず本稿では「学者」と呼んでおきたい(まったく余談だが、大学教員をすべて「教授」と呼ぶのは誤りである。会社員を部長と呼ぶようなものだ)。 

 

 さて、学者のイメージとして「世間知らず」を思いついた方もいらっしゃるのではないだろうか。学者は世間知らずなのだ、と。 

 

 本稿では、なぜ学者が「世間知らず」と評価されてしまうのかを、学者の立場からひもといていこうと思う。 

 

 まず、学者がそうした評価を受けてしまうのは、学者側も加担している部分がある。まったく同質的な人ばかりで構成されるアカデミアのコミュニティにこもりがちで、専門分野以外のことはまったく知らないし知る意味がないというスタンスをとっていても、学者として一定のポジションを築けてしまうことは否定できないからである。ダイバーシティが喧伝される現代において、学者の世界はいまだにホモソーシャルであることが多いのは否めない。 

 

 学者側が、その評価を得意に思っていることすらある。「象牙の塔」と言うように、俗世から隔絶された「特別な世界の住人」として振る舞うことをよしとしてきた人々も、過去にはいただろう。 

 

 そうした側面があるからか、拙著『Z世代化する社会』にも、こんなレビューが並ぶことがある。「世間知らずの学者が書いたもの」「ゆとり世代だから仕方ない」「東大の先生がこれでは世も末」……。ネットが氾濫する現代では、こういうお叱りを知らない方から受けることも珍しくはない。 

 

 

 ただ、これらに共通しているのは、私の著作の中身への批判というより属性攻撃だということである。属性攻撃は、ネガティブな感情を表現する方法としては「優れて」いる。本来、自らの抱いた感情を明確な言葉で表現し、かつ他者からの同意を得ることは、それなりの訓練を経ないとできない程度には、難しい。ただ、属性攻撃であれば、攻撃性を明確に表現できるうえ、同じように感じた人から同意を得ることも難しくはない。 

 

 学者が書いた本が気に食わなかったとき、その中身を丁寧に批判したり、何がおかしくてどうすべきだったのか自分の言葉で紡ぎ、そのうえ同意を得る、という手順をすっ飛ばして、「世間知らず」だの属性攻撃してしまえば、簡単に精神的優位に立てる(ように思い込む)し、一定の賛同も得やすいだろう。 

 

 だが属性攻撃の意味は、それだけと言えば、それだけである。「世間知らず」という批判は、ふわっとした悪意を表現できても、議論を発展させるような論点を示すことは決してできてはいない。 

 

 もっともネットで過激な発信を行う人々は、他者を傷つけることが目的化している可能性もあるので、目的は果たしているかもしれない。ただ、拙著にひきつけて言っておくと、「Z世代」はそんな構造に確実に触れている。つまり、何か発信をした人が、匿名の人々から属性攻撃を受けるという場面に日々接している。 

 

 そういう悲惨な光景をみた若者が、リスクを取って発信しようと思えるだろうか。何か述べればすぐ誰かが属性で叩きに来る社会で、安全圏で引きこもろうとするのは当然である。 

 

 「最近の若者は自分を出さない」という懸念をよく聞く。それはおそらく事実で、そして構造的な原因は、周囲の大人がつくっているかもしれない。そんな話が気になるようなら、ぜひ拙著をご一読いただきたい。 

 

■学者は世間知らずに「見える」だけかもしれない 

 

 さて、話を戻すと、「学者は世間知らず」という批判が一定程度正しいとしても、学者に期待される役割ゆえに世間知らずに「見える」という側面もあるのではないだろうか。 

 

学者の社会的な役割は、「宮廷道化師」に例えることができる。宮廷道化師という耳慣れない言葉について知りたければ、「TED」というプレゼン動画で解説されているので、詳しくはそちらを見てほしいが、簡潔に説明すると以下のとおりである。 

 

 中世ヨーロッパでは、王族がエンターテイナーとして道化師を雇うことがあった。たとえば、ヘンリー2世に仕えた宮廷道化師・ローランドは、王や権力者の前で、ジャンプをしながら口笛とおならを同時にするという(実にくだらない)パフォーマンスを行っていたという記録が残っている。 

 

 

 そして、そうした道化師らは、宮廷の大事な意思決定に影響を及ぼすこともあったそうだ。そんなふざけたやつを意思決定に参加させるのは非常識なようにも思えるが、実は理にかなっている部分もある。 

 

 つまり、当時の王様は絶対的な存在であったがゆえに、なかなか外から意見を言いづらい構造にあった。権威を保ち政権を安定させるためには、王様にそうそう恥をかかせてはいけない。そんな状況で、周りの人たちがわかっていても言えないことや今さら言えないことを、宮廷道化師は横槍を入れるように茶化しながらも本質をつく役割を求められていたのである。 

 

 ある意味で特権階級とも言えるがすべてが許されたわけではなく、言いすぎによってクビになったり、処刑されることもしばしばあったそうだ。 

 

■批判があるとしても、発言し続ける 

 

 私としては、こうした宮廷道化師の存在が、(現代の)学者の存在と重なって見える。つまり、宮廷道化師と学者は、「①事実について深く洞察している」「②空気を読まない」「③身分をわきまえる」という点で共通しているといえるのだ。 

 

 学者は、「事実」についてより深く洞察し、解明する人々である。そして多くの人が疑問に思わないところで立ち止まって考察するがゆえに、時に愚鈍に見えるかもしれない。 

 

 また、利害関係や私利を無視してでも、意見を述べることが求められる。そして、周りが言えないことや黙っておけばいいのにと思うことに対して、空気を読まずに口に出すがゆえに、世間を知らないように見えるかもしれない。 

 

 そして、ここは意見が分かれるかもしれないが、学者はしょせん口を出すだけなのであって、実権も地位ももたない存在である。学者に与えられた地位は絶対的なものではなく、口が達者であるにすぎないことをわきまえていないといけない。でも現代では、そうしたつつましい人は、時に侮られてしかるべき存在に見えるかもしれない。 

 

 学者という存在は、そういうものなのである。何かを発信すれば心ないバッシングを受ける社会で、お互いに無関心であることが最適解になりつつある社会で、立場をわきまえつつも、空気を読まずに、本質を突くという役割を学者は果たさなければならない。 

 

 それが現代の主権者である国民に対して、学者ができる貢献のひとつの有力な在り方だと考えている。 

 

舟津 昌平 :経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師 

 

 

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このテキスト群は、学者に対して様々な視点からの意見や批判が表明されています。

一部の人は学者を「世間知らず」と批判する一方で、他の人は学者の専門性を尊重し、その役割や立場を理解しているようです。

一部では学者や専門家に対する批判や疑念が示されていますが、その中には個人攻撃や属性攻撃が含まれているコメントも見受けられます。

学者の専門性や専門分野に対する批判や意見が多くみられる一方で、学者としての社会的役割や影響力についての指摘も見られます。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

本音を言うと誰しもが世間知らずなんだも思う。自分の世界しか知らない。多少広く視野を持っている人も、所詮身一つなのだから限界はある。 

同じ世界しか知らない人も勿論いれば、色んな職業を知っていればいいのかというと今度は年月をへて見えるものは見えないし。 

自分は自分の世間しかしらない(どんな社会的地位がある人でも)と思って立ち返ることができる人がいいのだと思う。 

 

そう言えば昔、私立大学の教授が就職先として「公務員は世〜」と否定的なことを言ってたけど、本音を言えば学者も十分世間知らずと言われてるけどな。と、その人の発言で逆にその人が小さく見えたことがある。 

 

=+=+=+=+= 

この逆も言えます 

例えば「教科書の知識なんて役にたたない」と言う人は多い 

しかしそういう人がキッチリ教科書の知識を覚えているケースは非常に少ない 

経験だけでは限界が来ます。経験してないことは分かりませんでは世の中やっていけない 

そもそも学問というのは色んな人が悩んだことの答えの積み重ねですから。自分が同じことで悩む前に準備しておくことが出来る 

 

優れた人で学問を疎かにする人はいません 

 

=+=+=+=+= 

ほとんどのサラリーマンはビジネスの世界しか知らないし、公務員は役所、医者は医療だけに知識が限定されている事を考えれば、本当に世間を広く知っている人なんて、ごくわずかだと思う。それに、多くの人が言う世間も、会社や学校の中、町内とか、そんなに広くないよね。最近は、学者兼起業家なんて人も多いから、そう言った人は普通よりずっと世間を知っている。 

 

=+=+=+=+= 

世間知らずとよく言われるという事は別にして、空気を読まず本質や本当の事を言う、これは大事な事だと思う。学者が深く研究した事柄を使って政治という権力者が豊かな未来を作る政治を実行する。それは必要不可欠な事だと思う。ただ、研究は大事なことなのに、日本ではそれを行っている人たちへの報酬も研究費も少ない。本来、豊かな日本にする為には優れた研究を行う事が大事なのに、重要視されていない。だから研究者を目指す若者は少ない。食べていけないから。教育や研究にお金を掛けなければ新しい産業も社会制度も人材も育たない。経済、経済というけれど新たなイノベーションがない限り経済は衰退する。日本の未来はどこへいくのだろう? 

 

=+=+=+=+= 

学者の本当の役割は「世間の集団に属さないからこそ言えることを言いやれることをやる」だと思います。 

 

それができている学者が何人いるでしょうか。 

ブルーライトカットレンズの某名誉教授による論文の治験が二重盲検法じゃないとか、言うべきことも言えない学会であれば、とうてい明日の世界で世界に伍していくことは不可能でしょう。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも世間というのはせいぜい「自分が所属してる業界」程度の意味でしかない。 

 

芸能人にとっては芸能界が世間だし、アスリートにとってはスポーツ界が世間なのであり、そこでの慣例や常識がある。 

学者も同様で、外の人間がアカデミアの世界にわかったようなことを口出ししていれば、学者からしてみれば「世間知らずがなんか言ってる」くらいにしか思わないわけ。 

こういう話はお互い様なのである。 

 

=+=+=+=+= 

学者は学生と一緒になって社会運動をするな! 

就職が不利になることを知らないわけではないだろう。 

学者は大学の学問の自由に守られているのだから身の程を知って行動して欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

私は製造会社の研究部門に在籍していました。 

仕事柄、数学的な結論を出さなければならない事があります。その際、学者であるか否かに無関係に、批評されます。全く理解できない人が居るからです。驚く事に、この傾向はどの様な学歴(日本最高峰も含む)であっても同じです。学者は云々、という表現は、このような事態を丸く収める為に使われる慣用句に過ぎません。 

 

=+=+=+=+= 

あらゆる業界に一定レベル以上精通している人なんかいない。 

いろんな仕事を転々として大したキャリアも積んでないのに俺はあの業界にいたから知ってるけど、みたいなのは論外だけど、ある程度その業界を極めるならその世界以外は世間知らずになるのは当たり前だろう。 

 

ネット民でもど素人なのにネットでかじった中途半端な知識を振りかざし、その道のプロに対して偉そうにああだこうだ批判する奴が結構いるけど一体何様かと思う。 

 

何かを買ったり契約したりする時でも多くの場合は相手の方が詳しい。それなのに舐められたくないのか、イキって知ったかぶりで上から喋る奴が少なくない。 

こういうプライドの高さがクレーマーにつながる。 

 

相手がプロだからと言いなりになったり卑屈になる必要はないけど、わからないことを素直に聞き、最後は自分で判断すればいい。 

 

=+=+=+=+= 

「学者が書いた本が気に食わなかったとき、その中身を丁寧に批判したり、何がおかしくてどうすべきだったのか自分の言葉で紡ぎ、そのうえ同意を得る、という手順をすっ飛ばして、「世間知らず」だの属性攻撃してしまえば、簡単に精神的優位に立てる(ように思い込む)し、一定の賛同も得やすいだろう。」 

 

与党政治家相手にテレビでよく見かける仕草ですね。週刊誌なんかでも見かけます。 

 

ところで筆者はご存じでしたか?学者様が書いた本の中に、属性攻撃に終始している内容の本が散見されるという事実があるのですけど?特に政治関連や経済関連でね。 

 

 

=+=+=+=+= 

いろいろな人(学者も)がいる中、世間知らずかどうかも区々。そもそも世間って何?とりあえずそれも定義せずに、Z世代の傾向は云々(Z世代もいろいろなのに)している論者自体が世間知らずなのでは?当方の知る世間知らずと思われる学者は、自分の学問分野だけの前提で(ある意味論理的に)結論を主張しているけど、その前提自体が一般的なファクツとずれている学者さんでした。 

社会心理学の研究で「人々は3人以上の他人から同じ意見などを耳にすると『大勢の人がそう言っている』と認識してしまう」そうなので、論者も3人以上の意見として「学者は世間知らず」を見聞きしたのでしょうが、その中身をよく検証にうえ、宮廷某みたいな説に我田引水したり開き直ったりせずに真摯に学問と向き合われたらいかがですか。世の中が高度に複雑化した中、人々は専門的知見が高くかつ“人としても謙虚で思慮深い”学者の話には尊敬の念で耳をもって傾けますよ。 

 

=+=+=+=+= 

学者が世間知らずはその通り、知識があってもそれを発信しようとしない。現在も某ゲーム会社にまつわるソフトに関し日本に黒人が存在し、しかも話が欧米で急拡大しシルクロードを通じて大勢売買され日本に定住していたなどどいうトンデモ歴史が捏造されようとしているのに歴史学者連中は何一つアクションを起こそうとしない。既に映画SHOUGUNを巡り当時日本にいた筈の黒人侍が登場しなかったことは不自然などと論評される始末。日本の名誉が損なわれようとしているのだから歴史学者連中は持っている知識を総動員し少しは世間の為に働いてもらいたい。 

 

=+=+=+=+= 

例えば、生物学者が生物を語るのはいいし参考になる、派生して環境問題はまだ分かる。でも政治や社会を語るのは行き過ぎだと思う。 

今のマスコミは知名度で何故かどんな分野であろうが知名度優先で解説させるから世間知らずと思われる、マスコミの犠牲者だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

学校の常識は社会の非常識とか、政治家の常識は社会の非常識とかいうけれど、社会って言ったって多種多様な社会があります。建築業界の常識と金融業界の常識は同じですか、役所の常識と小売店の常識は同じですか、東京の常識と大阪の常識は同じですか、みんな自分の組織、周囲の常識を常識と思っているでしょうが、ちょっと自分の世界を離れれば全く違う常識があります。学者の常識と世間の常識、違っていても当然でしょう。世間知らずという点でもいわゆる世間一般の人だって世間のことわかっていない人は大勢います。〇〇は世間知らずの○○には何でも当てはまりますよ。 

 

=+=+=+=+= 

学者は世間知らずかどうかは知りませんが、それでいいんじゃないでしょうか。 

一般の人が世間を知ってるかっていうと勤めてる会社とその業界とか住んでる地域のことだったりの範囲じゃないでしょうか? 

なまじ世間を知ってるなんて勘違いした人が色々言い出すと社会の進歩も何もないような? 

政治で言えば永田町という世間を知ってるからと政治とはこう言うもんだなんて言われても迷惑な話です。 

 

=+=+=+=+= 

権力者(政府)は自らの考えを補強してくれる第三者として学者を使っている。しかし学者は利用されているという認識がなく、あたかも自身の考えが世の中を動かしているような快感にひたると抜け出せなくなる。これがいわゆる有識者会議で、なんとかもう少し幅広い意見を集められないのかと思う。 

 

=+=+=+=+= 

教師は世間知らずというのと同じだなあ。教師の仕事内容も知らずにいうものが多いのではないか?世間知らずにした者は誰なのか?日本は親の仕事までも教師にやらせる。教育に関することはすべて教師がする者と思っている。教師になると世間を知る余裕がない。家庭にいる親と同じだなあ。主婦だなあ。 

 

=+=+=+=+= 

世間知らずというより、御用学者だから批判されてると思う。 

本当の問題を矮小や別の方向に向けて。 

それに真実言ってたらちゃんと評価するが、言ってないから駄目であって、それ自体の方が健全であることだよ。学者様の言うことを何でも無条件に肯定しろって方がおかしいだろうが。 

批判なければ学者でなかろうし、批判が許されなければ御用学者やプロパガンダだよ。かっての教会だよ。異端審問にでもかけるのか? 

特に今の西側諸国の学者達は2020年以降完全におかしくなった。コロナやワクチンで残酷なほど本物と偽物の線引きがされたと思うし、ウクライナロシアの件でも線引きされた。そいつが本物かどうかは聞いた人達が決めること。学者は権力や金に依らず真実や真理を粛々と研究しておればいいのだ。 

 

=+=+=+=+= 

現在の先生方はそれほど「世間知らず」でもないと思うが。とはいえ、持てる者特有の持たざる者への無理解はある。ただそれは何も学者に限らない。 

 

むしろ「利害関係や私利」による発言することが増えていて、知や専門性を傘に着ていることが問題だったりする。 

 

=+=+=+=+= 

そういう存在にも意味があるというのは分かる 

しかし、欧米のように起業する学者がやたら少なかったり、軍事あっての現実世界で協力しないとか宣うのが幅を利かせている、つまり浮き世離れがの度が過ぎてるのは批判されても仕方ないと思う 

道化は少数要れば十分。道化だらけでは世間という現実世界に支障を来す 

 

 

=+=+=+=+= 

今は随分ましになったけど、学者さんってよそではなかなかお目にかかれないユニークなヘアスタイルの方が多かった。ニュースで各方面の名だたる教授が、並ぶとそれは壮観でつい「せけんをしらないんだろうな」と思っていました。すいません 

 

=+=+=+=+= 

特に日本の場合は、ノーベル経済学賞の受賞者がいないことからでも、 

経済の専門家に対して国際的にも評価がないことがわかる。 

実態を定義づける理論の構築ができない。 

 

色々なハラスメントへの対策も法律の専門家が考えるわけだが、 

弁護士のところに来るような話は結構行き詰まってしまってからで、 

実はうんと初期の頃に「ヒヤリ」「ハット」を 

食い止められる事案の方が多いのに、 

その局面を知らない人が組織の制度を決めるので世の中の居心地が悪くなる。 

 

学者は世間知らずですよ。 

 

=+=+=+=+= 

△ 学者はしょせん口を出すだけなのであって、実権も地位ももたない存在 

 

そんな無垢な存在では無い。人は存在だけで権力を持つ。 

 

 

自験でいうと、2000年頃チュートリアル教育なるものが導入され現場の疲弊が極まったことがある。 

 

臨床経験が無く日本の医学部の現状を知らない者が米国の制度を持ち込んだ。 

 

 

世間を知りつくすことなどできない。 

 

が、金のめぐり、持ち時間の平等性、存在の対等性を想像くらいはせねばならない。学者は政策にアドバイスすることもあるからだ。 

 

=+=+=+=+= 

記事を読んでいるのだろうか?記事にある「属性攻撃」に終始している。ほぼコント状態である。舟津さんは、「ほら、私の言った通りでしょ」と苦笑いしているだろう。ヘッドラインもカウント稼ぎ。 

 

趣旨は、「学者と道化師は似ていると思うが、どうですか?」ということ。 

山口昌男の「中心と周辺」理論ですね。 

 

仏教では、真実は真如という。真如とはあるがままのことである。この現実がそのまま真如なのである。学問と現実の関係も同じだと思う。 

 

学者というのは曇りのない眼で現実を見る人ではないか? 

であるから価値があり力があり面白い。 

 

=+=+=+=+= 

大学教員は大きく2つに分かれると思う。本当に芝らしい人格で素晴らしい研究教育を行っている群。これはごく少数だと思うし、人格が素晴らしいから素晴らしい研究ができるのかもしれない。圧倒的に多いのが、自分の師事する教授なり指導教官に逆らうことなく忠犬ハチ公なみに簸れ従い「丁稚奉公」が認められ大学教員のポストをもらった人間。これは本当に質が悪い。 

 

=+=+=+=+= 

世間知らずでも、 

存在意義のある学者は居るし 

学者全員に問題がある訳ではない。 

ただし、日本の左翼の文系学者が 

実務を全く経験しないで 

政治や経済を語ることに弊害があると思う。 

アメリカでは、政権交代の度に 

行政長官やその他の高級官僚が入れ替わり 

政権中枢で実務に関わったり 

シンクタンクで研究に専念する。 

日本にも、企業と共同研究をしたり 

省庁や地方公共団体と 

様々な問題の解決策を検討する学者はいるが 

左翼の文系学者にはこのサイクルはなく 

現実離れしたプロパガンダを撒き散らすだけ。 

 

=+=+=+=+= 

『世間知らず』が多いのは確かだと思うが、逆に『誰が世間を知っている』のだろうね? 

 

業種や価値観が多様化している現在、どの様な職種だと『世間』を知っている事になるのか? 

 

そもそも『世間』と言う言葉の範囲からして定義不明。 

日本からでたことが無い場合は? 

転職をした事が無い場合は? 

 

『常識』と同様に「なんとなく感覚的に理解しているつもりだが、説明しようとすると困難」な言葉。 

 

はて? 

私は世間を知っているのだろうか? 

 

=+=+=+=+= 

専門家が浮世離れするのは当然で、自分のリソースを全て専門分野に注ぐ。芸能人、学者、芸術家、スポーツ選手などみんなそう。深く狭く。一般人は広く浅く。世間が広さを求めるなら専門家は狭いのだろう。 

 

=+=+=+=+= 

「属性攻撃」 

変な語で翻訳不能な語かと思いますが、多くの学者を自称する人々が、 

「属性」に依存しすぎている部分があるのではないでしょうか。 

 

研究者(学者)として、 

企業→大学、公務員→大学 に移る人は一定数いるが 

大学→企業、大学→公務員 に移る人は、ほぼゼロというのを見たことがある 

私立大学の団体が公表しているデータでした。 

 

大学で研究したことを、属性を捨ててでも、 

民間企業につとめなおして価値化して提供するとか、 

公務員として、国や自治体の政策として提供するとか、 

自由な意思でやればいいのに、やろうとする人材がゼロなのでしょう。 

 

批判に意味があるかどうかは別として、 

属性に安住して飲み食いしている人々は、 

いつまでも批判されてください。 

 

=+=+=+=+= 

例えば、中小企業の経営者は、5競技の選手みたいなもの。専門家は単独競技の選手。中でも大学教員はマイナー競技の選手。世界を把握する能力となると、概ね前者に軍配が上がります。 

 

 

=+=+=+=+= 

「学者は世間知らず」と批判する人を観察してみると、特段取り柄が無い人であることがほとんどです。大きな声で世間をアジテートして自分に注目して欲しがっているだけが多いです。 

 

=+=+=+=+= 

学者じゃない人たちにいろんな人がいるように学者にもいろんな人がいる。学者の立場でアカデミアを追及していただけばそれでいい。社会生活は学者も学者じゃない人もいっしょの規範。 

 

=+=+=+=+= 

〇一般人は社会の中の歯車にすぎず、企業などに都合のよいように偽造されたシステムや価値観に当然のことと従っている。問題を自覚すらしていない。つまり「世間を知らない」のは社会の中にいる一般の人達です。研究者はその社会の問題を外在的な視点から分析、人々に問題の自覚と改善を促す仙人みたいな存在です。つまり実は「世間」を知っているのは研究者の方です。少なくとも人文・社会系の研究者は(理系の方は知りません)。 

 

=+=+=+=+= 

一般人が理解できていないだけのパターンもある。噛み砕いて分かりやすくするを求めるのも、データを劣化させる訳だから限界がある。真面目な学者ほどそれに抵抗感があるはずだ。 

 

=+=+=+=+= 

よく「社会人経験があります」って立候補している人がいるが、世襲候補ほど若年で会社辞めて、秘書経由か直接立候補している。 

たった数年で、分かるのかと言いたい。 

せめてマネジャークラスになってから、立候補しなよ。 

 

=+=+=+=+= 

学者は抽象化したモデル的構想でものを見ようとするが、現実社会の実態は全く異なり、それに気づかない学者は実社会政策に対して評論家であっても回答者にはなれない。その良い例が、経済学では否定される行動(人は損をする期待値の低い行動は取らない)が多くの人々の行動原則(貧乏人ほど宝くじを買う)になっている。 

 

=+=+=+=+= 

”なぜ学者が「世間知らず」と評価されてしまうのかを、学者の立場からひもといていこうと思う。” 

 

簡単だ。 

学者が研究対象にしている仕事をしておらず、俯瞰してその仕事を眺めている。 

当然、実際に仕事に従事しているよりも理解が浅くなる。 

それを世間知らずと言われるのだから、仕方がないと思うが。 

 

=+=+=+=+= 

〇〇は世の中を知らないって言うのは常套句だけど、そもそも「世の中」ってなんなんだろうね。 

 

特に日本人の多くは転職もしてないわけで、多くの成人が一企業一業界、さらにその一部しか知らないわけで。 

 

それとも生活全般のことだろうか。 

だとすると学者は生活してないことになるけど笑 

 

自分の肌感覚と一致しないことを揶揄する為の言葉に過ぎない。 

現実にはその批判をしている側もどれだけ知ってるのか。 

 

=+=+=+=+= 

「学者は世間知らず」とは、戦前(特に)明治時代の話。学者様はマイノリティで希少価値で、まるで、華族、貴族扱い。 

 

>>専門分野以外のことはまったく知らないし知る意味がないというスタンスをとっていても、学者として一定のポジションを築けてしまう 

 

それは「世間知らず」ではなく「世間並み」である。学者に限らず自分の専門外は不案内なものである。あらゆる分野の最先端の知識を持っている人などいるわけがない。「知の巨人」など存在しない。「学者は世間知らずに『見える」だけ」、ホントは「世間並み」である。 

 

>>宮廷道化師と学者は、「①事実について深く洞察している」「②空気を読まない」「③身分をわきまえる」という点で共通している 

 

絶対権力者の王に取り入って富のおこぼれを預かっていた世渡り上手の宮廷道化師と現代の学者に共通するものがあるとは、些かほめすぎではないか?宮廷道化師は学者より世渡りがうまい。 

 

=+=+=+=+= 

学術会議をみたら分かるでしょ。福島の処理水が科学的に安全となっているのに、イチャモンつけて来た外国や、国内で騒いでいる国会議員に対して、声明を出していないのが、いい例。 

 

 

=+=+=+=+= 

あ~あ、上辺だけ取り繕って、みっともない。 

自信があるなら、自身らの活動に専念すればいいだけ。 

 

変にこんな取材を受けたりして、承認欲求が高まっただけの人らが、専門性の無いことまでに、要らんことを言ってはその反動を喰らっているだけでしょ。 

 

そして、この手の週刊誌などにとっては、ページ埋め、尺埋めとしての利用価値があるってだけでしょうに。 

 

=+=+=+=+= 

〉大学教員をすべて「教授」と呼ぶのは誤りである。会社員を部長と呼ぶようなものだ 

以前大学にいた時に、会社員の友人と大学の教授が会社でどの役職に相当するかと言う話になり、友人は「課長」だと、断言⁈した。私がせめて「専務」とかじゃない?といったら、「部長」は100人以上部下がいる。10人ちょいならせいぜい「課長」だろ、との事。 

 

=+=+=+=+= 

法律学者で晩年に弁護士登録をして弁護士業を始める人が結構いるが、全ての人が「自分はなんて世間知らずだったんだ」と思い知らされるって、学者出身の弁護士が本に書いてたな。だからか、学者出身の弁護士で弁護士会から営業停止処分などを受ける人が結構いる。商法学者のNさん、民訴法学者のHさん、犯罪学者のKさんなどなど。 

 

=+=+=+=+= 

ここでの「世間」の定義が分かりかねますが、浮世離れした偏屈者ということであれば全くの誤認です。無論、変人と言われる独自の世界を持った方もおられますが、多くは普通の常識、社会性を持った人々ですよ。 

 

=+=+=+=+= 

「世間」ってのが世渡りを指すなら、世渡り上手な学者は今度は「御用学者」って言われて攻撃されるんですよw 

学問を追求することが学者の第一義なら、世間知らずは別に問題じゃない。それを世間とすり合わせるエンジニア的な人がいれば済むこと。 

  

ところが耳の痛いことをいわれると「がくしゃは、せけんしらずだから!」ってあざ笑う奴がいるんだよな 

 

=+=+=+=+= 

道化は、王を殺すんだぜ。本当に道化になれているのか、そこが一番の関心事である。属性への攻撃だと勝手に思っていることは実は程度問題への関心であり、本当に言わなきゃいけないこと言っとるのか。 

 

=+=+=+=+= 

学者は世間を知らない 

公務員は世間を知らない 

芸能人は世間を知らない 

 

こういう言葉でマウントを取ろうとする人の知ってる"世間"なるものは、一体どれほど素晴らしいものなんでしょうね 

西の某都道府県では、こういう物言いで公務員をこき下ろす政治家が大人気ですけど、言ってる側が世襲政治家とかなので、外から見ると噴飯ものです 

 

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いわゆる学者を批判する人は、専門分野ではかなわないから、世間知らずというしかマウントを取る方法がないんでしょうね。 

だって別の分野でかなわないとしても、学者にとっては専門外だから当たり前だと思うから。 

中には、自分は何でも知っているとでも言いたそうな偉そうな人もいますが。 

 

そして、世間知らずとコメントする人の中には大きく2種類に分かれていて、自分も世間知らずと理解してそうコメントする人と、自分のことは棚に上げてそうコメントする人。 

 

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>王や権力者の前で、ジャンプをしながら口笛とおならを同時にするという(実にくだらない)パフォーマンスを行っていた 

 

 確かに、原子力ムラの御用学者のみなさんとか、新型コロナ感染症のとき恐怖を煽った8割おじさんなんかは、権力者の前で実にくだらないパフォーマンスを披露する宮廷道化師の類いでしょうね。 

 

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学者が世間知らずでも特に問題ないと思うが。世間を知ってるけどたいした成果もなくテレビに出まくってる学者(?)がいるしね。 

世間知らずの裁判官とか政治家はやばいと思う。 

 

 

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学問としては強いが、実体験がないから一般人にとって意味があるかは疑問。 

実態と関係なく極めていくのが良いかは… 

 

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こういうことが気になって、かつ、それを考える時間がある人をカギカッコ付きで「学者」というそうです。 

文系に多いようです。 

 

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歴史学者が現代の世間を知らないのはまあ許せるかもしれないけど 

現代社会学者が現代の世間を知らないのは困るかも 

 

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これまで、学者先生と付き合ってきたが、やはり、世ケン知らずでおハナ畑の人が多いと思う。世の中、理想だけではお金もらえないから。 

 

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世間などを知ったら、単なる実務者になってしまう。世間からの影響を微塵も受けないから学者なのだ。 

 

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学者は世間知らずなのかどうか?逆に世間を熟知している人たちって誰?よくわからないし、答えが幾通りもある問だ。愚問。 

 

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そもそも世間とはなんでしょうか?「学者」以外の人は「世間」をよく知っているのでしょうか? 

 

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「◯◯は世間知らず」というが、 

自分の知ってる世間はそれほど広いものではないと思うよ(自分の知らない世界はいくらでもあると思う)。 

 

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公共放送を自称しているテレビ局に関与している御用学者、自民党に関与した御用学者を見たら明らかなのでは。(・_・? 

 

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学者が世間を知ってしまったらダメだろう 

世間とはその時々の集団の一様態であるにすぎない 

 

 

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テレビに出てるコメンテーターの学者さまは、専門外のとについて個人的な感想を述べてるだけなんですが、、、 

 

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高校時代の先輩が、30年ほど学者をしていますが、やはり考え方がずれてます。 

 

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著書へのネガティブなレビューコメントをよっぽど気にしてんだな 

 

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「世間をよく知る人」とは誰なのか?会社勤め人?自営業者? 

 

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学者いないと専門書全部外国語で読まなきゃいけなくなる。o@(・_・)@o。 

 

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世間知らずとか人に対して言ってる人達のほとんどが世間知らずだろ 

 

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「専門バカでなければ、ただのバカ」という言い回しがありますね 

 

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狭すぎて役に立たない 

 

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学歴に対して根深いルサンチマンを抱いていて、学者は世間知らず、高学歴は実務が出来なくて、世間を回しているのは地頭のいいヤツと常に意気揚々と仰る方がヤフコメには多い。 

 

そもそも、そうした方は、学者や高学歴の人が知り合いや身内にいないので、レイシストのような間違ったステレオタイプでルサンチマンを鎮めたいのだろう。 

 

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世間知らずの上に礼儀知らず。兎に角、自己ヨイショの次に上から目線で威張る。中には威張るのが仕事みたいに考えているのがいる。特に社会経済学部の教授に多い。まったく意味不明の何の役にも立たない論文の数を競い1500万程の年収を鷲掴み。退職金や諸手当、年金の総額を合わせると数億円は下らない。階級社会が大好きで世界平和や人権を口にする癖に近所付き合いや目の前の人の不幸には無関心。ハッキリ言って社会には不必要な人達。こんな連中に年間莫大な国民の税金が遣われている。世の中の役にも立たん経済学部など潰してしまえと言いたい。 

 

 

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学者は世間知らずであることを自ら知っているので救いようがある。 

教師は自らが世間知らずであることを知らず、認めることも無いのでたちが悪い。 

 

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学者もピンキリやからね!専門分野ですらいい加減な人もいるからね!世間知らずというより肩書きバカはいっぱいいるからね! 

 

 

 
 

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