( 225503 ) 2024/10/23 16:44:26 2 00 あえて「棄権」や「白票」は不本意な政治家を黙認することになる。「投票したい人がいない」とお嘆きのあたなに東洋経済オンライン 10/23(水) 7:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9b686c7638483405dd5f8e3d8778ad0ccdd06d78 |
( 225506 ) 2024/10/23 16:44:26 0 00 自分の選挙区に投票したい人がいないからと白票を投じるのは現状を黙認することになる(写真:sh240/PIXTA)
「青少年の刑法犯罪は増加の一途」 「生活保護費の不正受給が蔓延し財政が逼迫」 もっともらしく聞こえますが、これらはフェイクです。気がつけば、日本の政治や社会を考えるための基本認識に、大中小のフェイクとデマがあふれかえっています。 「『世界は狂っている』という大雑把で切り分けの足りないペシミズムに陥らないことが大切」と述べるのは、政治学者の岡田憲治氏。大中小のフェイクについて考えることをスイッチにして、この世界を1ミリでも改善するための言葉を共有する道を探そうと企んで執筆したのが『半径5メートルのフェイク論「これ、全部フェイクです」』。今回は、「選挙と投票」にまつわるフェイクについて考えてみたい。
■政治に無関心な人を変えるきっかけ
誰もが政治の話になるとあまり幸福な顔をしません。「政治は……ちょっと」です。無理もありません。政治に関するニュースは、あまり愉快ではない問題を常に眼前に突きつけてくるものばかりだからです。
税金の使い方の誤り、深刻な問題の放置、積年の社会課題の未解決、大切な原則やルールのねじ曲げ、未来に投影される不安の種。こうしたものすべてに関するものが政治ですから、そんなことに新鮮な意欲をもって向かい合おうとする人はあまりいません。
そうなると政治は、もっぱら「政治で生きている」人たち、「政治に依存している」人たちによってこね回され、公共的で大切なものが私物化されるゲームのように思われてきて、音のない諦めの入り混じった無関心か、より強い反対バネを利かせてドロップアウトし、ドン引きの態度となる人たちだらけとなります。
それでは、そうした政治への否定的な態度の人が残らず政治的に無関心であるかと言えば、決してそんなことはありません。諦めの境地に至る人も、何かきっかけが与えられると、割と簡単に政治的にアクティブになる場合もあります。
例えば、税金や物価など銭金の話になると政治への感度は上がり、支持率などに即反映されたりもします。ある特定問題に強い利益関心をもっている人々は、もちろんそれに応じた投票行動を取りますし、他者への呼びかけなどにも熱心です。
■「沈黙・棄権・白票」=「現状に不満なし」
気になるのは、投票や発言、広く言えば政治的意思表明をする気持ちはあるのに、不満や怒りのあまり「あえて」行動することを止めて、「私はもう抜けます。この棄権や白票は、私の政治への強い抗議の意思表明です!」と前のめりに後退する人たちの思い詰めた行動のもたらす結末です。
抗議の意思を示しているのだからよいのではないのか? 己の信念に依拠した天晴れな行動だと、評価したくなる気もします。あえて棄権し、意思をもって白票を投じたのですねと。それなりのお考えがあってのことなのですねと。
しかし政治という人間の営みにおいては、思い詰めた気持ちや感情とは裏腹に、冷徹かつ当たり前の帰結が待っているのです。それは政治的意思の中に含まれる重要な要素である「決める、選択する」というものが、ゲームのルールの中でどう判断されるのかということです。
政治の位相空間では、「それはいかがなものでしょう?」と明確にノーと示さなければ、すべて自動的に「私は今のままの世界でよいです」という意思なのだとしてカウントされてしまいます。 つまり「沈黙・棄権・白票」=「現状に不満なし」です。なんと無慈悲な力学でしょう。
■日本の政治家選びの大半は「黙認」
己の気持ちと裏腹に、そうなってしまう理由は、政治における大原則、すなわち「世界を1ミリでも変えたいなら声帯を振動させねばならない」がどっしりと存在しているからです。棄権や白票投票に内心どのような気持ちを込めようと、ここは実に冷徹で解釈は一択です。
選ばれる側は実に慇懃無礼であって「異論があるならと機会を用意しておきましたが、ないようなので、我々政権担当者を是認してくださったとします」という台詞を脳内に残しつつ、「有権者の皆様の賢明なご判断をいただきました」などとうそぶきます。
日本の政治家選びはこのように大半は「黙認」によってなされていることになります。
メディアも評論家も言論人も、「日本の有権者は政治への関心が低い」とか、「かように悪政が続いているのに有権者は寛容を通り越して市民の義務を放棄する無責任な人々である」と非難し、時には世界で一番人の心を閉ざさせる「劣化した日本の有権者は民度が低い」などの軽蔑の言葉すら投げかけます。
■支持政党なしと答える人が増える理由
とりわけ自称リベラルの、本当は不寛容な政治関心の高い層の人々は、「なおも与党に投票する人々がいるとは、もう救いようがない」などと嘆息をついて、それでいて正論めいたことだけを言って、「このままでよいとは思えないけど」と心がザワザワしている人たちに疎まれて、民主政治の仲間をつくることに失敗し続けています(拙著『なぜリベラルは敗け続けるののか』集英社インターナショナル、2019年)。
政権党への文句は百万も口にしますが、やることは悪口や批判をすることばかりで、苦しい中で自ら汗をかいて野党を育てる努力と工夫をしている人たちは、本当に一部しかいません。正しかろうことは口にしますが、「そんなやり方で人の心が開くはずがない」みたいな選挙応援をし続けているのです。
雨が降ろうと槍が降ろうと、在野勢力に投票するという「固定客」の方には、適宜お声がけだけしていれば大丈夫です。いつもの定番の与党批判と少数派の擁護と平和への想いを語れば、安心してくれるからです。
しかし、それでは投票に行かない人たちを仲間にすることはできません。与党の支持率がどれだけ下がろうと、彼らを脅かす野党の支持率は上がりません。支持政党なしと答える人が増えるだけです。
こうして政権党の政治家たちは助けられています。無党派や、投票されない、カウントされない声はそのまま、今の世界を黙認しているものとして扱えるありがたい信任投票になるからです。
かつて支持率が消費税率と見間違うほど低くなった不人気総理大臣は、選挙中の会見で愚痴をこぼし「(選挙に関心のない無党派層は)寝てしまってくれればいい」と実に正直なことを漏らしてしまいました。でも、これは現在政治権力を運用している人たちの本音です。
■現行の選挙の不思議なルール
元総理大臣はいい人だから本当のことを言ってしまったのです。政治における意思表明は、常に相対的比率として数値化されてしまいます。議会の議席を6割近くも取っている政党が、実は20%程度の人たちの支持でも政権党になりうるというのが、現行の選挙の不思議なルールです。
そこでは、あくまでも「声を上げた人たち」(投票者)のパーセントで勝負を決めますから、「黙っていた人」抜きでのゲームとなります。100人中99人が棄権すれば、たった1票のイエスだけで多数決は可能になります。非情なる鉄則はこのように巧妙な形で、真面目でピュアな怒りでゲームを抜けた人々を利用しているのです。
それでも自分の選挙区には投票したい人が1人もいないと困っている方もいるでしょう。
その気持ちもよくわかります(今の私がそうですから)。だから「心の底から政治を託したいと思っている人じゃないのに投票なんてするのは不誠実じゃないですか?」なんて私に文句を言う人もいます。
でもそのピュアな気持ちにしたがって、迂闊な純粋精神を発揮してしまうと、もともと一番あり得ない投票先の政治家を自動的に応援してしまうという、最も不純なる行動(非行動)をしたことになります。
私たちは普段は日常生活の中で、適当に汚れちまった大人として、心に嘘をついて、偽りの言葉と態度で日々をやり過ごしています。責められる筋合いはありません。生き延びなければならないからです。だから、「最良の人を信念に基づいて応援し投票する」ということが成立しない条件にあったからって、突然ピュアなことをやらなくてもいいのです。
いつだって、善意もあるし、基本的にはまぁ正直に生きているからです。つまり普通の人間だということです。
■鼻をつまんで投票する
それなのに、どうして政治に向かい合ったときだけ「似合わないピュア精神」を発揮してしまうのでしょうか? 言いたいことはたくさんあるし、大して好きでもない人だけど、「鼻をつまんで投票する」以外に、民意自動翻訳に吸収されるのを避ける道はないのです。
そんなのやっぱり絶対に嫌だと感じるみなさん。どうするかはもちろんあなたの自由です。でも政治と人間の非情なる関係とカラクリがある以上、そしてしつこいですが、世界を1ミリでもよくしたいと思うなら、いつも会社や地域でやっているように、「よりマシな決断」をされたらいかがでしょうか?
誤解なさらないでください。私は野党を応援しろと言っているわけではありません。
熱く純粋な人々の気持ちが、ムザムザ「白票だって意思のこもった表現だ」などというあからさまなフェイクによって、投票率が下がることでほくそ笑んでいる者たちに利用されていることに耐えられないので、こんなお節介なことを言っているのです。
岡田 憲治 :政治学者/専修大学法学部教授
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( 225505 ) 2024/10/23 16:44:26 1 00 投票への積極的な参加や投票の重要性に関する意見が多く見られます。
投票しないことは民主主義を放棄することに繋がるという指摘や、自分の名前を書いて白票を投じるという提案、さらには欠席者投票の活用など、様々な意見があります。
(まとめ) | ( 225507 ) 2024/10/23 16:44:26 0 00 =+=+=+=+= 二十歳で選挙権を得てから一度もどんな選挙も欠かさず投票しています。投票もしないで政治に文句を言うのは違うし投票は唯一の政治参加の機会ですから。 地元の市議会議員選挙で最下位当選の人が同票でくじ引きになった事がありました。くじ引きの結果自分が投票した人が当選しました。もし自分がその人に投票していなかったらその人は一票差で落選でした。一票の重みを知ったし一票にとても意味があると感じました。今回も必ず投票に行きます。
=+=+=+=+= 子供の頃は、投票日夜の選挙速報番組がつまらなった。
その理由をよくよく考えると自分が参加出来なかったからだと思った。
変な言い方になるが、国政選挙とは数年に一度しかない国を挙げての大イベント、折角そのチケットを持っているのなら参加しない手はない、そっちの方が絶対に日曜夜を楽しめると思う。
=+=+=+=+= 選挙に立候補している人たちが、必ずしも自分が心から応援したい人たちばかりとは限りませんよね。大体、どの候補者も似たり寄ったりで、信頼できるのかも分からない。選挙期間中、名前を連呼する選挙カーも正直うるさいし、不快に感じることもあります。
それでも、やっぱり自分の意思を示すために投票に行くことは大切です。本来なら、投票したい候補者に投票するのが選挙の意義ですが、「この人だけは当選してほしくない!」という理由で他の候補者に投票するのも、立派な投票行動だと思います。ぜひ、投票に行きましょう。
=+=+=+=+= 該当者なしという投票を認めて、該当者なしが当選者の得票数を上回ったら、立候補していた候補者以外で新たな立候補者を募って再選挙するとか、この候補者は議員にしたくないのでマイナス1票とかも認めれば選挙に行く人が増えるかも。
=+=+=+=+= 「青少年の刑法犯罪は増加の一途」 「生活保護費の不正受給が蔓延し財政が逼迫」 もっともらしく聞こえますが、これらはフェイク?
法務省は、2022年に検挙された少年の刑法犯が前年比2.5%増の2万912人で、19年ぶりに増加に転じたとする23年版犯罪白書を公表した
生活保護費総額は,1991 年度の 1.3 兆円(対名目GDP1 比 0.3%)から 2021 年度には予算ベースで 3.8 兆円(同 0.7%)と,上昇基調で推移している。 生活保護費増加の要因としては,一般的に「高齢化」と「社会・経済状況の悪化」が指摘される
=+=+=+=+= 色々不満はあっても日本の衆院選はまだ選択肢が残されている。 気の毒なのは米大統領選。トランプとハリス。どっちもどっち。積極的に選択する理由が見つけられずにどちらがより悪いのかのネガティブチョイスになっている。それでも米国民はどちらかを選ばざるを得なく、投票権(参政権)の放棄に繋がる棄権だけは避けたいとの思いだろう。 民主主義の根幹は自由選挙であり、それを支えるのは有権者。どんな選挙制度であろうがそれは変わらない。 誰が理想かではなく、誰がよりましかで選ばざるを得なくとも権利の放棄だけは止めた方が良いだろう。(白票も立派な意思表示だと私は思うけど) それと選挙費用も我々の税金で賄われています。理想を追求するだけでなくコスパもしっかり考慮しないといけない。当選者が決まらず何回も投票を繰り返さなければならない愚は避けたい。私は1回で良い。税金を必要な所へもっと有効に使ってほしい。
=+=+=+=+= クイズとは違い、世の中『選択肢のどれが正しく、どれが間違っている』と言えないことも多く、なんだったら全ての選択肢が間違っているる可能性だってある。 そうだとしても、大事なのは自分自身で情報を集め、正解じゃなくても比較的正解に近い答えを見つけることだと思う。
=+=+=+=+= 棄権(投票率の下限)、無効票(白票の取り扱い)が国政選挙の有効無効になんの規定もない以上、それらは選挙結果への意味が無いことは自明です ただ、投票率は非常に意味のある数字で議員や議員候補者、行政マンは注目していると思います さらに年代別投票率も彼らは重視している 壮年の方や若い方は(無効、有効関係なく)是非投票をして、シニア層より低い年代別投票率のアップをして頂きたいと思います
=+=+=+=+= 現状に不満があるならちゃんと意思を示さないとダメと言う事ですね。 昨今の国会を見る限りでは圧倒的過半数の自民・公明連立政権のやりたい放題、議論の余地が無く野党がどんなに正論で反対しても数の暴力で何の意味も為さないのは健全な政治とは言えないので、是非自民・公明連立政権で過半数を取れない様に投票したいと思う。
=+=+=+=+= いきなり国レベルで社会を変えようと思っても相当困難です。 自分を取り巻く生活環境に不満がある場合、家族や仲間内で愚痴を言い合っているだけでは何も変わらないので、メールやSNSなどを利用して県・市町村の首長や地方議員、地元行政に根気よく要望を伝えることが効果的です。 もちろんそれですべて要望が通ったり不満が解消されるわけではありませんが、何もしなければ現状は変わりません。 まずは私達がが何をどうしてほしいのかを行政にわかってもらうことが大切でしょう。
=+=+=+=+= 「白票が多ければ、それがニュースになることもある。だから白票にも意味がある。」という人がいるけれど、ニュースにはなっても報道されるのはせいぜい一度きりで、現状の政治に対して疑問を投げかける行為としては全く意味がない。 だからこそ、「支持できない候補者を落選させる」ために、それ以外の「毒にも薬にもならない候補」に投票することに意味はあります。
今回の衆院選、自分の選挙区には投票したいと思う候補は居ませんでしたが、勢力を伸ばしてほしくない政党以外の候補に投票しました。
=+=+=+=+= いよいよ自分の一票が相対的に活きる選挙がやってきた。 これまでは自分の一票なんてあってもなくても結果は変わらないような選挙だった。 だが今回は影響力という意味で過去一番な一票になりそうだ。 投票しがいがある。 やっぱり競ってる方がシンプルに面白い。
=+=+=+=+= 「この棄権や白票は、私の政治への強い抗議の意思表明です!」 そんな考えを持っていたとしても、確かに為政者からみれば受け取り方は逆、「今の政治に不満なし、評価されている」なんて、もっと調子に乗ってしまう。対する候補者も好きではない、でも考え方を変えて、候補者云々ではなく「意思表示」のため投票することも選択肢の一つだね。
=+=+=+=+= 「白票」が何票あったかを、最終発表して欲しい。 棄権は、投票行動すら起こしてないので、政治に関心が無いと見えるが、白票は、少なくとも、投票所に行って投票行動を行っているので、政治には関心あるが、投票したい人がいなかった、今の政治体系にNoの意思表示をした事になると思う。 今すぐではなくても、近い将来、「白票」の数が、当選者の獲得票数を越えれば、議論の場が設けられるだろう、 と、投票権利を得てから約40年、全ての選挙に白票を投じてきた私は思っている。
=+=+=+=+= 他の方も言ってますが、20歳になって選挙権が発生してから私も必ず選挙に行ってます。また、必ず票に個人名や政党名を書くようにしてます。白票が意思表示と昔から言われてましたが、カッコつけな人はそれが現政権への反対の意思表示と言ってました。でも、よくよく考えるとそれは現政権を黙認しているということなんですね。記事や他の方々の意見を見て、そのことをより思うようになりました。不在者投票で良いので選挙には行きましょう!
=+=+=+=+= 現在の制度と主権者の意識から、投票しなければ他の人の意思にお任せ、という状況になりますね。と言えど、当選しなかった人に投票すれば何もならないことと変わらない。 しかしながら日本は民主主義国家。主権は国民にある。自分の意見は請願で伝える。このことを無かったようにして、当選者の意思が全てのような状況を作り出している。誰が議員でも関係ない。議員が決まったらどんどん請願で意見を伝えよう。それこそが主権者の意思を届ける手段なのだから。 一部の政治家に近い人達だけが意見を伝えている現状は民主主義では無い。
=+=+=+=+= 誰が政治家になっても何も変わらない。 そんな空気感があるのは事実ですね。 でもホントに何も変わらないのでしょうか。 高齢者に対する手当が厚いのは、高齢者の投票率が高いからです。 自分達を議員に押し上げてくれるからですよ。 若者だって投票に行って、若者に悪政を敷いたら、選挙で落とすぞと思わせるだけでも、投票する意義はあります。 そうすれば若者にも、目を向けざるを得なくなりますよ。 この日本を少しでも良くしたいなら、投票に行くべきです。
=+=+=+=+= 自分も棄権しがちだったが今回は投票に行くつもりだ。政権が現野党になってよくなるかはわからないが今のままでは一党独裁でありこの先も何ら変わらない。アメリカや台湾ほか政権交代を繰り返しながら日本よりはずっと緊張感を持った運営をしていると思う。
=+=+=+=+= 読んで、非常に良い記事だと思いました。「どうせ変わらないし」「よくわからない」「面倒臭い」とか言って投票すらしない人達に少しは伝わるんじゃないかなと、思います。 ところで、投票率あげるのには手っ取り早い方法があります。投票に行かない人にペナルティを与えることです。現在のアナログな投票から、マイナンバーと紐付けてネットで投票する形に変えて、投票したかしないかを把握した上で、一定回数以上(3回とか5回)投票を怠ったひとの所得税立を上げるなどすれば、否が応でも投票率はあがります。これだけデジタル化した世の中で、投票所まで足を運んで紙に書いて投票するなんて、どんだけアナログなんだろうかと思います。マイナンバーで紐付ければ、仕事で海外などにいて投票できない人も、身体が不自由で投票所に行けない人も簡単に投票できます。マイナスが見当たらないと思いますけどね。
=+=+=+=+= 賛同者が多ければ、多数の票を集めた候補者や政党が当選するでしょう。 でも、様々な思いを持つ人が大勢動いた(投票した)としたら、 多数派といえども選挙結果を予測することは難しくなるでしょう。 投票所に足を運ばないことは、多数派を容認することと同じ結果を招きます。 そこにあなたの意思がなくても、結果は同じ。 多数派が恐れるのは、動かないと見込んだ方々が、自ら行動することです。
=+=+=+=+= 「若者世代には2票、高齢世代は1票を与える」というふうに、将来への責任の長さ(寿命)に応じて票を有権者に配分してはどうでしょうか? 若者が選挙に行かないのは「どうせ何も変わらない」「お年寄りが政治を仕切っている」と感じているのも一因ですし、これからますます高齢化が進むと高齢者の意思のみが政治に反映されかねません。若者が少なくなっている現在、若者の投票率が100%となっても、高齢者の投票数には及びません。 もちろん、一人一票というのは平等なのですが、将来の政治、国のあり方に対しての責任の長さが若者と高齢者では違います。そういう観点からみると長期的な責任を持っている若者世代の意見を厚く捉えるのが公平なあり方なのかもしれません。 まあ、実現は無理でしょうけどもね。。
=+=+=+=+= 多様性ある社会が進むと政党が乱立し政策が多種になってきますね。 浮動票と呼ばれる人たちはどの党に投票するか迷うんでしょうね。 リーダーや幹部の器以上には組織は大きくならないのが原則なのでリーダーと幹部がどれだけ勉強して切磋琢磨するかなんだと思います。
=+=+=+=+= 選挙に行ってけど、自分と全く同じ考えという人はいないし、自分が重きを置いてる部分で同じ考えの人に投票するという感じだが、実際、議員になった政治家は、全てに置いて認められたというような発言で国民とはズレがある。 なので政治家には、一つ一つの議案を丁寧に審議し、与野党問わずに耳を傾けるべきと思う。
=+=+=+=+= みなさん選挙に行きましょう。 そして白票はもちろんですが無効票と呼ばれる、氏名や政党名以外の文字を記入して投じる行為には意味がありません。 最終的な当選者は、有効票の中で多くの支持を得た候補者となります。 つまり白票や無効票は一番当選に有利な人や政党に投票することとおなじであります。 気に入らなくても嫌でも他の誰かに政党に投じないと効果的な意味はありません。
=+=+=+=+= 「鼻をつまんで」と書いていますが、その人にも投票したくない、投票したい相手がいない、というのが現実の人に対する答えになっていません。 確かに、今の投票制度は、白票や無効票、棄権というのは、固定票を持っている人を利するだけであることは確かであるのは認めます。 その点からは、「白票、無効票、棄権」を可視化する制度、「この人は認められない」という反対票が投票できる制度、などがないと、この問題は解決しないのではないのかなと思います。
=+=+=+=+= 現行の選挙制度では結果は同じだが、棄権と白票では意味合いが違うと思う。 棄権は投票に行かず最初から誰が当選しても従いますの白紙委任状。白票は投票には行ったが適任者がいませんの意思表示。 白票は当選した方も得票率は下がります。一定基準の得票がないと供託金は返金されません。ありえないことですが選挙区で大多数の方が白票なら当選した方も供託金の返金がされないということも起こりうるのではないでしょうか。 投票率の観点からも棄権と白票を同じではない。棄権した方は白紙委任状を渡しているのですから誰が当選しても文句言えません。白票は別の方が当選したのと同じなので意見を言ってもいいと思います。マスコミは投票率を下げて白紙委任状を増やすことで現職や特定の政党が有利になることを望んでいるのではないでしょうか。せっかくの権利なので期日前投票も有効活用してとにかく投票にいきましょう!
=+=+=+=+= 現行の選挙制度を前提にするとこの記事は全くの正論です。それは認めた上で、いくら得票数が低くても一票でも多い候補が当選する制度を改正して、有効投票数が一定の基準に満たなかった場合は当選者なしにするという制度は一考の余地もないでしょうか。
全然違う分野の話ですが、文学賞や芸術のコンクールでは受賞者なしというケースが普通にあります。相対的に最も優れている人を必ずしも選ばないのです。賞というものの価値を一定レベルに保つためには当然のポリシーですが、政治家にも同じ考え方を適用することはできないでしょうか。
ただし、同じ選挙といっても地方自治体の首長を選ぶ場合は、かなり難しいと思います。再選挙を繰り返しても当選者が出続けないこともあり得るからです。しかし、国会議員の選挙であれば、小選挙区での欠員は比例に回す等の方策が取れそうに思います。全くの素人考えなので非現実的な話だったらごめんなさい。
=+=+=+=+= まさにその通り。 20%の意見が大勢を占めて良いのかが大問題。 今度の選挙は選挙区が増えて新しい区割りになったので候補者も良く解らない。 確かにこの人と思われる候補者は居ないが、逆に消去方で「これはダメ」と消していき最後に残った候補者に期日前投票してきた。 ダメな候補者でも他がもっとダメなのだから仕方ない。 国民の義務だけはきちっと果たそう。
=+=+=+=+= 政治への無関心による選挙権の放棄や 支持政党が無い事を理由に白票を投じる事が自民党の栄養分となり 悪政が続く事になる。 どれだけ理想と離れていても 少しでも どの候補、政党が自分の考える未来に役立つ政策を実行できるかを考えて投票する事が大切だと思う。
=+=+=+=+= 今の社会、経済、政治に不満が有るなら「どうせ変わらない」「どこに投票しても変らない」なんて諦めるのは組織票の固い与党の思うつぼ。 先ずは投票場に行って自公以外に投票してみればいい、過半数割れは 無いにしても集計結果で小さな波が起こるかもしれない。
=+=+=+=+= > 「沈黙・棄権・白票」=「現状に不満なし」
この基本中の基本を理解してない人が多すぎますよね。 誰に投票していいか分からない人は『NHKボートマッチ』というサイトでいくつかの質問にチェックマークを入れていくと、どの候補者と自分の意見が一番合うかが簡単に分かります。 その人の名前と政党名を投票用紙に書きましょう。 選挙の投票方法がよく分からないという人は『衆議院選挙2024 投票方法NHK』というサイトにイラスト付きで分かりやすく書いてあるので、それを見ることをおすすめします。 因みに選挙ハガキが届いていなくても、投票はできます。 今週日曜に都合が悪い人は、今直ぐにでも投票ができます。 そうした説明もこのサイトで見られるので、是非チェックして下さい。 あなたの生活の不満を変えたいならば、選挙に行きましょう。 増税や保険料増などは、自分でどうにかできる問題ではありません。
=+=+=+=+= 私は、白票は出したことはない。 だけど、白票を出す人の気持ちはわかる。
小選挙区で二人しか出てなくて、白票は不本意な政治家を黙認って言われても、あんまり納得できない。
ふたりのうち、どっちかは絶対落としたい、という気持ちがあるならわかるけど、どっちでもいい人しか出ないなら、かわらない。
なんなら、うちの地区に他の党は出さないのか、という意味で白票にするかもしれない。
白票も数えればいいのに。 投票する意思はあるけど、選びたい党も人もいないって気持ちを拾い上げるしくみがないのは問題ではないの? 投票率の割に票が入ってない、を見ればいいのか。
もしくは、小選挙区に今回応援したい党を書くとか?
有識者なら。
白票は意味がないと切り捨てるのではなく、白票は、有権者だけの問題ではなく、有意義な投票システムを作れていない国側の問題を棚上げしないでほしい。
=+=+=+=+= 棄権と白票は全く意味合いがちがいます。 白票は見てるぞっていう意思表示ができる。 一番いけないのは棄権で投票しない事。 投票率低いということは何をしても地盤があれば当選するって事。 やりたい放題を容認するって事。 白票は投票率に反映されるから監視という意味合いでは有効。
=+=+=+=+= 投票したい人がいないから選挙行かないというのは無責任、いないなら『いない』と投票すればいい、と私は思ってる。白票、無効票になるのはわかってる。しかし、選挙に行くという行動が大事だと思ってるので、直近3回程の選挙は『いない』と書いた。投票結果『いない』の得票率がトップなら、それが民意で強烈な政治批判になるんじゃないか、とさえ思ってる。
=+=+=+=+= 今の選挙ははずれかハズレか外れを選ぶしか無い選挙になっている。どれだけ投票率が低かろうが黙認ありきで成立してしまう。だからどんどん質が落ちる。
必要なのは選挙においては一定投票率に満たなければ無効選挙とすること。それも国民大多数が納得いく投票率でないと。選挙って字は選び挙げるって書いてるじゃないか。 だから私は欠かさず選挙に言っている。少しでも嘘をつかないであろう人間を選んでる。それでも長いものや御老体に巻かれていってしまう現実は嘆かわしいにも程がある。
=+=+=+=+= 降参して侵略されるか、武器を手に取ってでも守るか、の二者択一が迫られても選ばないという選択肢は存在しない。 ただ自動的に前者の結果に移行するだけ。 投票も同じこと。 候補者のサイトなどで政策内容を確認すればまた見方が変わることはよくある。 真っ当なこと言っているように見えて端っこに小さく隠すようにダメな政策を書いている時もある。 今より良くしたい・現状を維持したいと考えるなら、それに由来する候補者を選定するのは最低限の務めです。 それが不本意であってもやらざるを得ないのは社会人経験してれば常識レベルの道理です。 結局のところ白紙とは白紙ではない誰かが投票した結果に依存するという意味なのだから評価にも値しません。 望んで民主主義を支持しているのなら、これぐらいの務めはちゃんと果たしましょう。 でなければ民主主義の才能がない恩恵を浪費するお荷物です。 民主主義は良くも悪くも国民の責任が大きい。
=+=+=+=+= リベラルは自由主義で、個人主義の面も強い。だから右翼やパターナリズムの集団化を指向する集団に選挙で負けるのはある意味当たり前。 だから投票の時考えなきゃいけないのは「最悪を避けるための投票をしないとならない」だ。 最悪な候補を当選させないために「最悪ではない当選する可能性がある候補に投票する」しかない。 間違っても「当選する見込みのない最善の候補」に投票するべきではない。従って「最善の候補がいない」は投票しない理由にはならない。 今回の最悪はなんなのか。考えて欲しい。 石破茂は「不記載」と必死に「言い換え」てるようだけど、「裏金」はたんなる不記載じゃない。「使い道を公表できない金」だ。つまり違法なことに使われてる可能性が極めて高い。発覚後帳尻を合わせた使い道が公表されるが、あれを信じるのは愚かだ。もしそれが本当なら「裏金」にする理由は本当に無くなる。 自民党は恒常的に「裏金」を作ってる。
=+=+=+=+= 民主主義なんだから投票は当たり前。棄権は民主主義を放棄していることになるのでは、せめて白票もしくは自分の名前を書けば? 立候補していないので無効になるが民主主義らしい。誰も該当者がいないから私。至極真っ当。皆民主主義のありがたさが分かっていない。独裁主義や共産主義は政治活動や議論さえ制限される。何故日本は民主主義国家なのか考えなければならない
=+=+=+=+= 今の自民党が金権政治だからといって、野党に投票するのもどうかと思います。そもそも候補者に投票したいと思わせる人がいないのに無理やり投票するのっておかしいと思います。どうせなら投票用紙に「投票したいと思えるほどの候補者がいません」という欄も設けてほしいです。これが一定数以上になれば、やりなおしで前の選挙に出ていた候補者は原則立候補できないとかにして。
=+=+=+=+= 最高裁判事の罷免もバツを付けない限り信任となる。不本意な裁判官がいても黙認することになります。何をしても信任されてしまうと分かっていますが最高裁の判例は政府よりの判断ばかりで許せないので気持ちを反映させています。
=+=+=+=+= 投票率を考慮しない偏った民主主義と、金が選挙を決める資本主義に対して、法改正を訴える候補者が出てこないのだから、白票を投じようと誰かに投票しようと、選挙制度が変わることは無い。当選を有権者の40%と決めれば白票も生きるし、棄権も生きてくる。2回棄権すれば投票権剥奪とかにすれば、白票の重みが出る。しかし、自民党が大企業と癒着し、与党に2宗教が居る状態では、文句を言おうが反対票を投じようが、資本のある方が勝つ。
=+=+=+=+= 『権力支持基盤理論』を小中学校の基礎知識として教えた方が良いと思っている。 この理論は独裁政権がなぜ維持されるかを上手く説明する理論であると同時に、民主主義国家で投票率(但し白票などの無効投票を除く)が低くなるとなぜ権力者が国民を顧みなくなるかも上手く説明しており、さらに学校で何故いじめ構造(クラス内ヒエラルキー)が固定化されるかなども説明可能。この理論を学べば仮に自分の影響力が極小(要するにただの1有権者)であっても、集団に意見や力を行使できる状況(選挙権)でそれを用いないと集団における立場(影響力)が低下する事は避けられない事を理解できるようになると言える。
なお権力支持基盤理論の具体例として、教育費無償化など子持ち世帯の票を『贈収賄に該当しない利益で買う行動』により有権者の一部を固定票として選挙に勝つやり方などがある。一時給付金やコロナ給付金なども似たような事。
=+=+=+=+= いや、ちょっと違うと思う。 投票しないのは筆者の言う通りだと思う。 でも白票は違う。 要は白票の数だと思う。 白票が当選者の得票より多かったら? もちろん当選者は変わらないけど、白票って政策を合わせてくれればあなたに投票しますよって言う意思の表れ。 少数では影響力が薄いが、多数になれば違ってくる。 ちゃんと投票の意思のある人間で今の政策では投票先がない言ってる有権者が莫大な数になれば、経済と同じで、その「潜在顧客」を取り込むことに必死になる。主にそれをやらなきゃならないのは「潜在顧客」が「顧客」にならないと負け続ける事が決まっている野党だが。 白票は「潜在顧客」の存在のアピールだ。潜在顧客が早く我々を顧客にしろって言ってるんだよ。 全く無駄とは思えないけどね。 投票しない連中と一緒にしちゃダメだよ。 投票しない連中のために政治家は動かないから。
=+=+=+=+= 誰にでも譲れない一線はある。 「ロシアへの制裁を解除」「ウクライナへの支援を停止」 これを認めない政党政治家は全てノー。 そこは断じて譲れない。 政治に関心があるがこその白票だ。文句は言わせない。 まあ幸い前回今回と参政党という選択肢に救われているから 白票に逃げなくても良さそうではあるが。
=+=+=+=+= 恥ずかしながら!「若い時には」選挙に参加さえしなかった。真剣に参加する様に成ったのは、民主党政権誕生した時からです。所謂、「私の一票等」的な考えでした。記事にも在る様に、白票や棄権は現政権を「信認する」って成る事実を、有権者は理解して居ないと思います。今の政権や政治家に「NOを」突きつける為には、投票が必須と成ります。じゃあ誰に託すか?考える切っ掛けにも成る。考える際には、自身で調べたりもします。此処から「関心や興味が」湧いて来ます。自身が投じた候補者への1票を気にする様に成るからです。折角の、「選挙権」在るのです。是非とも白票や棄権せずに投票しましょう。投票者が増えれば、政治家達も「まともに」成ります。成らざるを得なくなります何時でも国民が観ているからです。国を良くも悪くもするのは、我々国民で在って有権者なんです。
=+=+=+=+= 私は誰も支持していないので白票を投じました! とSNSでアピールするのは自分は愚か者ですと言ってるようなもん 選挙はベストを選択するものではなく「ワーストを切る」ものと考えるべき そのためには死に票にならないよう対抗馬に入れるとか考えようがある 白票は無意味かつ愚かと言っても良い行動
=+=+=+=+= 全くその通りだと思います。批判は棄権票では同意と同じです。同意できない候補者や政党はよく考えてより善政の方を選びましょう。無効票や白票ではありません参加です。意思表示です。 しかし小選挙区は多民族国家では有効でしょうが、日本は単一民族(いろいろ表現に批判がある様ですが)国家です。日本の国民には不公平です。全国区に戻すべです。選べる候補を選べる権利を。 政治には「金」が掛かるでは無く、選挙には「金」が掛かるです。インターネットを通した選挙活動も出来る現在全国区にしても問題ないでしょう。総務省も推薦しています。小選挙区は二世議員や能力のない議員を生みます。都合の良い大政党の思い通りにさせない法改正が必要だと思います。誰でも国のために能力を奉仕したい人に門戸を開くべきと思いませんか。
=+=+=+=+= 〉議会の議席を6割近くも取っている政党が、実は20%程度の人たちの支持でも政権党になりうるというのが、現行の選挙の不思議なルールです。
ここ大事。
原因は小選挙区制。 比例復活も相まって、支持されていない人まで当選されてしまう。
ブロックごとの中選挙区制にして、より多くの国民の票が生きるようにしてほしいです。
=+=+=+=+= 白票は無駄になりません。 選挙に行けば本人確認があります。 誰が投票をしたのかという事だけは記録され統計に出されます。 個人特定はされない、いわゆるビッグデータというやつですね。
これによって◯◯町の投票率は…とか、30代の投票率は…とか、女性の投票率は…とか、全部データになります。 国会議員なんかもこの手のデータは気にします。 現状では高齢者ほど投票率は高いので、そこに目掛けた呼びかけをすることで得票につなげるわけですね。 その人たちが白票なのか誰に入れたのかまでは分からないから、とにかく投票行動に移すことが大事。 自分が投票にいけば、それが白票でも誰への票であっても自分たちへの意識を向けさせる事になります。
=+=+=+=+= この先生は「ピュアな気持ちにしたがって、迂闊な純粋精神を発揮してしまうと、もともと一番あり得ない投票先の政治家を自動的に応援してしまうという、最も不純なる行動(非行動)をしたことになる」というが、この主張は論理的に間違っている。我々(少なくとも私)が直面しているのは、政権政党は支持できないが、別途の理由でいずれの野党も同じくらい、またはそれ以上に支持できないという状況。この場合、この先生は「では政権政党に投票なさい」と言うのかもしれないが、それは政権政党を積極的に支持するのと同じことで、票を得た政権政党は「我々が有権者に選ばれた!」と喜ぶことになる。それでも敢えて投票した方がいいという説得的な理屈を示さない限り、この先生の議論は参考にならない。
=+=+=+=+= 候補者のその場しのぎの言葉や笑顔に騙されることなく(一般の選挙民には高望みだろうけど)、同じく政党の掲げる実行性の低い公約や嘘紛いの言葉に流されず、己の意思を伝えたい。 記事にあったように、棄権や白票で喜ぶ連中を歓喜させる必要は無い。ゼロかいちじゃなく、妥協しつつも取り合えず一票投じる。 そして一番大事なのは野党を育てるという覚悟。メディアや他政党のネガティブキャンペーンで面白おかしくつつかれ叩かれて、国民もそれに同調する傾向が強いけど、日頃マスメディアなんてマスゴミって呼んでるのにね。面白いよね。 とことん妥協しても選挙区にまともな候補者が居ない場合は、、は記されてなかったけど、これも悩みどころなのよね。 最後はどれにしようかな~なのか?
=+=+=+=+= そうは言っても、日本は平和ですね。 中東では日常茶飯事である、「投票所爆破」なんてテロは、(例え予告のみが行われたとしても)実際に起こった事は無いのですから。 中核派も、革マル派も、日本赤軍も、東アジア反日武装戦線も、そしてオウム真理教も、国政選挙の投票日に、投票所にテロを仕掛けた事はしませんでしたし。
少なくとも、我が国では、民意そのものがテロの対象になった事は無いのですよ。
日本は平和な国ですね。
=+=+=+=+= 成人してから30年近く投票してきましたが 今回期日前で初めて白票を投じました。 鼻をつまんで投票したい人すらいなかったんです。 誰にも投票したくなかったんです。
どなたかのコラムで白票は確かに今回の選挙に意味はないけれども 投票意思のあった白票が次回どこに流れるか分からないという プレッシャーを議員に与えることはできる、とあって なるほどなと思いましたよ。
=+=+=+=+= 以前、開票事務に携わったとき、白票を勧めるような言動が あった番組がTVで放送されたことがある。それを真に受けて白票がかなりの数見られた。 白票が、ただ積みあがるのを見て、こんなことをしても、政治家は痛くも痒くもないのにと、残念に思ったことがあった。 政治家の気にするのは、自分に投票された数だけで、誰にもカウントされない白票など、何の効力もない。 白票に意味があるかのようなことは、絶対になく、あなたが当選させたくない議員の為に役立つだけだ。
=+=+=+=+= 現状に不満があるのに白票を入れるのはやめてほしい。 白票は組織票のある長いモノの言いなりになると同義です。 そして何よりタチが悪いのは白票により投票率が上がること。その結果、彼らは民意を得たと言い出すだろう。 現状に不満があるなら与党以外へ投票しよう。 その結果が良くないものならまた選挙で落とせばいい。
1番よくないのはただ何もせず現状に不満を垂れることだ。
=+=+=+=+= 棄権、白票は白紙委任。 これは思う人に投票、と学校で教えるのがいけない。 選挙の仕組みを小学生に教えるのはこれで良いかも知れない。 でも自分と同じ考えの候補は存在しない。 ほんの少し自分と同じ考えのどの部分が賛同出来るのか考えで投票する。 熱意を感じる候補に投票するのなら自分の家の前に選挙カーが来た候補に投票する。 これが案外正解かも。
=+=+=+=+= 「白票」と「棄権」は違うんだけどね いや、投票内容という意味ではわずかな誤差の話で変わらないかもしれない。 だけど私の場合、お恥ずかしい話ですが、20歳くらいの頃にはじめて選挙に行った訳ですが当時は「該当者ナシ」とか訳の解らない事を書いたりしてました。 でも権利を棄権する事だけは嫌だったので投票には必ず行きました。 「無駄だから」とか「面倒くさい」とか「どうせ変わらない」とか同年代の多くが言ってたけど、その理由で権利を破棄するのは白紙委任状と同じだと言ったりもしてましたねw 選挙に何度か行った頃には”どれも自分にマッチはしてないけどココはまだマシか?この人なら入れても良いか?”などと考えれるようになってきました。
時は経て自分の息子たちにも「白票でも良いからとりあえず選挙に行って権利は破棄するな。他の国では公正な選挙や選挙権の為に多くの人が血を流してるんだぞ」と育てたな。字足らず
=+=+=+=+= 今回の選挙の結果…だけに限って見れば…白票を入れてもその選挙区の当選者が誰になるのか?には何の影響も与えないだろうけど… 今回の衆院選で白票が多い選挙区には… その次の衆院選で… その白票の受け皿になれるかも…を狙って立候補してくる新たな候補者が出てくるかもしれないじゃん。 もし…それが現実になると仮定すれば…その時は 白票に何の意味も無い…とは言えなくなるのでは?
=+=+=+=+= センセーションに訴える情報をどこまで信じるかは難しい所がありますね。
日本では交通ルールの不作為のために年々多くの人が国家に殺されている。 と言った人がいたとして、なるほどウソは言っていません。
でも解決策はだいたい「日本中で車を止める」しかないですよ。そんなんで国を殺人者扱いされても、と言いたいところ。
市民の一人としてできるのは、どんな情報を見せられても即信じない、もしかしてら裏の見方があるかもと、疑いながら生きることくらいでしょう。
=+=+=+=+= 昔、友人に誰もいれる人がいないからと自分の名前書いたって人もいるけどこれも無意味な行為。 確かに入れる人が居ないのは分かるが、ちゃんと候補者の名前書いて意思表示しなければなんの意味もありません。
=+=+=+=+= >「沈黙・棄権・白票」=「現状に不満なし」
そんな軽い意味ではないのにね。「現状を容認」どころか、「積極的な推し」に相当するのですがね。 多くの国では、選挙の棄権(不投票)や無効票には罰則があり、それだけ投票行為が重要視されています。それに比べると日本はユルユルですよね。期日前投票制度も有るのに、投票しないのだから、この国は、有権者教育に失敗したのか、誰がが壊したのか、判りませんけどね。
しかも投票が、選択式ではなく、記入式であるため、無効票が出てしまうのと、知名度の投票行動への影響度が高い為に、「地盤」「看板」を持つ者が有利な制度なんですよね。
最高裁判事の国民審査に至っては、審査対象者とプロフィールと判決性向に関する公示情報が少なく、判断が困難ですね。おまけに審査結果のフィードバックが国民に一切有りませんから、酷いものですよ。
=+=+=+=+= 前職の候補者は嫌だけれど、他の候補者はもっと嫌。 こういった場合は誰に投票すれば良いのか。 投票時に、第三の選択肢として「この人たち以外」という項目でも設けて、その選択が1位だったらやり直し選挙で、前候補者は出馬できない。としてくれれば良いのに。
=+=+=+=+= 投票したいと思う候補者がいないというのはしょっちゅうある。 自分はそんな時は共産党候補者に入れる。
コロナ禍前は維新候補に何度も票を入れた。 第2自民に落ちぶれたので今後は絶対に入れない。
共産党に票を入れても一度もその人が当選したことがない。現状への不満の表現としてであって共産党を支持していないので安心して投票できる。
=+=+=+=+= 「該当者なし」と書いて投票するという人もいたが、それも無効票として一括され棄権や白票と同じ白紙委任。抗議の意思表示にはならない。 そもそも論で言えば、投票したい人がいないのならなぜ立候補しなかったのかと。自分でできないなら代わりにやってくれる人を探せと。自らは何もせず出されたメニューに不満を言うだけなのは主権者として無責任であり、この国の国民としてふさわしくない。 投票率が一定の水準に達しない場合(例えば有効投票数が有権者の過半数以下)には当選者無しで空席とする制度としたらどうか。自分の手の届かないところで好き勝手される政治に翻弄されれば、代議制の意義を痛感することだろう。
=+=+=+=+= 白紙も棄権もダメで野党は全然ダメでというと与党が比較的マシという選択肢も致し方なしって事ですね。それか自分で立候補するしかないんかね。まあ当然勝てないから白票よりマシ程度なんかね。あと、自分が与党推しや野党推しだからってそれを他人に無理に押し付けるのは最悪だと思います。
=+=+=+=+= 白票が多くても当選してしまった議員は何も思わないと思う。 「当選したら勝ち」ただそれだけ。 そんな政治家達が今の日本を作り、失われた30年を40年50年と引きずり、結果日本は立ち直れずにG7からも追い出される未来に繋がる事が予測される。 金と政治腐敗、ある記事では「そんな国はいずれ衰退する」と締めていた。まさに今の日本では無いだろうか。 いつまでも昭和時代の好景気の恩恵に夢を見て、まともな政治家達を選んで来なかった国民自身の責任だ。
=+=+=+=+= お考えはもっともですが、今回の衆議院選挙は様相が異なります。 地方区では、支持したい人は他の選挙区にいて自分の住む選挙区には いません。 全国比例投票は政党名をかくわけですが、同じ政党でも当選させたい 人の名前がなくて、落選して欲しい、政界から消えて欲しい人の名前 が列挙されています。 書きようがない。こんなことは初めてです。
=+=+=+=+= 前文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
たとえ これが押しつけであっても この崇高な理想を実現しようとしない政治家や国民はどうなんだろう……
=+=+=+=+= 自分が野党に入れたところで、自民党が政権をとるだろうけど、問題はどのバランスなのかが争点。例えば自民党だけで過半数取れたら、今以上に加速して増税されるだろうし、公明党との連立、さらには野党との連立になれば、なかなか法案が通らない図式になるということだろう。 そうすると、増税の法案をストレートに通されず、納得できない数々の法案を通さないためには、野党が嫌でも野党に入れざるを得ないことになる。 という理由で自分は、さらさら応援してないある野党に投票しておいた。 今の政権を弱くしたいという意味での投票と位置つけてる。
=+=+=+=+= それがより明確なのが、最高裁判事の国民審査。国勢選挙のついでに投票させられて、アピール不足でよく分からないからと白票で投票すれば、信任とカウントされる。かと言って、国民審査だけ棄権で、と投票用紙を返却するのも気が引ける。どうせ功成り名を遂げた最高裁判事の面々は辞めたって困らないのだから、分からなければ「☓」、の姿勢で臨みたい
=+=+=+=+= 誰を選んでも不本意な政治家を黙認することになるなら、投票行為の意思が分かる白票は最終手段にはなるとは思います ただし、本当に誰を選んでも同じなのか立候補者を細部まで精査した上で判断するべきです 少なくとも白票を推奨してる人たちが間違っていることは確かですね
=+=+=+=+= 前から考えているのだが 投票率(の低さ。ただし白票無効票はカウントする)に応じて当選者数を減らすか 白票の数が他の候補者の得票を上回って当選枠に入ったら当選者数を1人減らすか どちらかにしてよいのではないか これなら棄権と白票を分けて、白票に意味を持たせることが出来る
=+=+=+=+= 子供が今年から選挙権を持つようになった、候補者の選挙中の主張は誰でも耳障りの良いことしか言わないので、顔を見て気に入った人に入れて、その人が当選するか落選するかきになるだろうから選挙速報を見よう、当選した政治家が今後どのような行動をとるか注視していこう。 と期日前に木曜日行く予定です
=+=+=+=+= 現状を変えるのに投票するってのは理解できる そして投票しないと世の中変わらないのも理解できる 投票したくないって人に批判してくる人は 候補者にまともな人が居ないと本当にどうするんだ? 裏金議員や口だけで何もしてこなかった現職 批判しかしない公約の道筋聞いても自分の答え持ってない議員 比例って国民から選ばれてない人が当選するシステムも不要だと思ってる 政党の指示での政策しか言わない議員ばかりで投票しろってのも判断材料なくないか? 政治に興味もってそれぞれの議員の活動みて投票したくないとなる候補者しか居ない地域は本当にどうしたらいいのかを知りたいよ
=+=+=+=+= この人が当選して欲しいというのが無くても、この人は当選して欲しくないという思いがある人は多いと思う。この人にマイナス1票のような制度があれば、投票率は上がると思うし、政治家も危機感を持つと思う。
=+=+=+=+= 賛同するところの多い記事でした。 支持政党のない人が消極的にでも投票することで、高い投票率が恒常化すれば、組織票頼みでは当選できず、もっと浮動票を意識した政治になると思う。
=+=+=+=+= 白票も棄権もデタラメな名前を書くのも、結局今の自民党政権を絶賛支持しているのと同じ事 「変化」したいのであれば、例え野党候補にいい人がいなくても、不本意だろうが勝確率の高い対抗馬に入れて、まずは変化をさせる事を選ぶしかない
=+=+=+=+= 県民の国民の声国会に届けます!!って 一番信用してないフレーズ これ使う人に 投票しないと決めてる
理想と現実は違うけど もっと庶民派の人が出てほしい 名前だけ売れて実力ともわない人多すぎ。 知名度なんだろうね結局は今回も。
全然関係ないけど 年寄り議員は辞めて頂いて 活発に動ける議員さん増えてください
=+=+=+=+= 「不本意な政治家を黙認するな」と言いながら「不本意な政治家に投票しろ」と言うから訳が分からないんだよ。 こういう不本意な見解を黙認する気にはなれないね。
選挙を棄権することが政治から棄権することじゃないよ。口をつぐまない、黙らない、Noと言い続ける、拒否する、本当に支持する人は議席がなくても応援する。これだって立派な政治参加だ。
=+=+=+=+= 論旨が混乱してるような気がする。
白票ってのを受け止める受け皿が無いから、白票は、制度的に民主主義の投票制度は信用している。 だが、候補はいない。 って意思表示だよね。
その結果、投票率は高いが、無効票が多くなり、候補者そのものに問題があるよって無言の圧力になる。 まあ、居ないなら政治主張を整理して立候補しようよ。が解決策なのだけれども。
国自体や民主主義を信用しない。あるいは、投票よりも優先することがあるので投票しない。そもそも投票できない。が投票率を下げるよね。
白票をどう解釈するかの部分で、白票運動の主張を歪めて解釈しているのかな。
投票率の低さをどう捉えるかの部分で、民主主義を信用していない人がこれだけいるので、自由民主主義や資本の支配から解放すべきだと言わせないために、きちんと意思表示してほしいってのはあるのだけれどもね。
=+=+=+=+= んなこと言われてもですね。 うちの選挙区は自民立憲共産の3候補のみですから、「どれがマシか」という点で決めるしかないんですよね。 「この人に期待しているからこの人に投票」ではなく、「この人の政党が政権とったら、今より良くなる?悪くなる?」という選択なのは、そりゃ投票所に行く足どりも重いですよ。 個人的には「〇〇〇味のカレーとカレー味の〇〇〇」なら、たとえ〇〇〇味でもカレーの方を食べますw
=+=+=+=+= 例えば5人でメシを食う流れになったとき。 2人は「牛丼がいい」といい 1人は「牛丼だけはいや」といい 1人は「ラーメンがいい」といい 残り1人は「みんなに合わせる」という。 こういうの、よくあると思う。
ほぼ多くの有権者が「当選させたくない人はいるけど その人を落とすためには誰に入れるべきか」で 結局面倒になって投票に行ってないんだと思う。
最高裁の信任投票みたいに、 「落としたいやつに一票」式選挙を 不定期に突発で、しかも本当に不作為で 実施したらいいんだよ。 毎回それだと、人気取り、失点回避だけの人しか 当選しなくなるから。
=+=+=+=+= 投票は今回だけではありません しかし、いずれ重大な選択を迫られる、と思われます その時こそ、自分の信念に従って行動しなければならない、のです いざとなってから迷っていては、そのつもりはなかった、という結果にもなりかねません 平時において、自分の行動を選択すること、を自覚しましょう
=+=+=+=+= 小学生じゃないんだから白票による効果なんて自分で気づいて欲しいです。 必ず誰かが当選する選挙において、選択肢は立候補者の中から選ぶしかないのが構造。 白票はその選択の放棄なんですから間接的に多数派への委任に他ならない。
=+=+=+=+= 白票を入れるのも意思表示だなんて言ってる人もいるけど、そんな投票行動には何の意味もない。ただ無効票をいれてるだけ。投票してないのと同じです。 無効票が増えたところで選挙が無効になることはありません。 勝手に投票したと自己満足に浸ってるだけですね。
=+=+=+=+= その選挙…
単体で見れば一理あると思います、ちなみなワタクシ現在のトコ「白票」です
ただ“鼻を摘んでの投票"もまた「不満なのに信任」なのよね、ならワタクシは「そんな余裕は無い」かも知れませんが長期的に「政策変更」が促される“かも知れない"白票を投じます
棄権や沈黙では無く投票率は上げます
そんな単純な話しでは無いのでしょうが、町1番のラーメン屋を決める時に、醤油の店と味噌の店しか無かったら塩派の人は「鼻を摘んで投票」します?
棄権をしたら味噌と醤油で話は決まります、沈黙も同じです、でも逆転出来るくらいの白票があった場合、負けたお店は考えませんか?勝ったお店は次も勝つ為に考えませんか?「白票はどうしたら動くか?」と
鼻を摘んでの投票自体は否定しません、ワタクシが有権者として大事だと考えるのは「投票率を上げる事」だと思っております。
=+=+=+=+= そもそも成果より批判しかしない日本のマスコミの責任だろ。 選挙によって選んだ政治家や政党の成果が全く伝わらなければ、投票しても意味がないと思うようになるのは当然だろ。 「投票したい人がいない」と言う人は、すでに政治に関心を無くしている人間で、候補者の主義主張や成果について調べようとする気も起らなくなった人が使う言い訳だと思うがね。 国民にアレコレ言う前に、政治に関心のない国民を増産したマスコミの報道姿勢を批判してもらいたね。
=+=+=+=+= どこに投票すれば分からなくなった方に良い方法をお教えします。 それは、マスコミが批判する政党に投票しておけば大体間違いありません。 マスコミは国民の為に動きません。 自社やスポンサー企業の利益で動きます。 当然ながら営利企業なので、裏で既得権を与えてくれる政党政治家を応援します。 裏を返せば自社の不利益になりそうな政党政治家に不利な報道をします。 衆院選が近付きつつあったこの数ヶ月を思い出してみてください。 各マスコミから不祥事報道や批判報道を執拗に受けていた政党がありますよね? 逆に全くと言って良いほど批判報道の無かった政党もありますよね? 可笑しいと思いませんか? 政党の議席数や確率論からしても、どの党にもミスや不祥事は一定数ある筈なのに、不祥事ばかり出てくる党と全く出ない党があるのは不自然です。 マスコミの思惑に騙されて一緒になって一部政党を叩き潰していては、彼らの思う壺ですよ。
=+=+=+=+= 目下の政治、癒着構造を糺したいと思ったとき、効果的なのはとりあえず共産党(地方で共産党候補が立候補していなければ、次点で立民か、れ新)といった、マニフェストで与党と反目する所に入れて頂くほかない。凝り固まった議会と地方自治をほぐす薬のようなもんです。
=+=+=+=+= ~本文より引用~ 「白票だって意思のこもった表現だ」などというあからさまなフェイク
私は反対。 「日々の生活の中で、政治について考える余裕が無い、つらい」 そんな人が世の中に溢れているのが現実でしょう。
理想は「吟味して投票」。でも選べなければ「白票」の方がまだましです。次善の策ですが。
投票所に足を運んで選挙を「他人事ではない自分事」にする事が大事。 次に誰かを選んで投票すること。失敗してもよい。私は前回の都知事選での投票を未だに悔やんでいますよ。大失敗だった。 でもそれを含めての選挙です。次は間違えないようにしようと思えるから。
白票が山程ある選挙区、次の選挙、党は立候補者を決めるのに悩むでしょう。下手を打てば敵陣営に白票がなだれ込むと想像しませんか? 理想は選択して投票。無理なら白票。即効薬はありません。ここから始めましょう。
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