( 227014 )  2024/10/27 17:04:06  
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20年前と比べて、浪人を選択する人が減少している中、浪人がどのように人を変えるのか、また浪人することでどんなことが起こるのかについて、浪人生活を経験した人々にインタビューする企画が進行中。

今回は建築士として活躍する安藤さんの4浪経験に焦点を当てた。

安藤さんは高校時代にいじめやパワハラに遭い、大学受験で勉強することで見返したいと強く思っていた。

浪人生活を経て予備校に通い始め、建築士を目指す道のりを辿った経緯が紹介されている。

(要約)

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※写真はイメージです(写真:polkadot / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は4浪で中堅私立大学の建築学科に合格し、現在は建築士として活躍している安藤さん(仮名)にお話を伺いました。 

 

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■馬鹿にした人を見返したかった日々 

 

 今回お話を聞いた安藤さん(仮名)は、4浪で中堅私立大学の建築学科に進学し、現在は建築士として働いている方です。 

 

 今でこそホワイト企業で働いているものの、高校時代までは理不尽ないじめやパワハラに遭い続けていました。 

 

 安藤さんは、大学受験で自分を馬鹿にした人たちを見返すために、自宅で猛烈に勉強を重ねます。しかし、1日15時間にも及ぶ受験勉強を3年続けた安藤さんは、精神状態も限界に陥りました。その状態を救ったのは、4浪目で初めて予備校に通ったことでした。 

 

 なぜ、4浪目で初めて予備校に行く決断をしたのか。予備校に行って、何が変わったのか。浪人の日々を経て「努力はもういい」と悟った彼に、目標であった建築士になるまでの道のりを聞きました。 

 

 安藤さんは1970年代後半生まれ、関東のとある県に生まれ育ちました。大手企業の建築士の父親と、母親、弟、妹の5人家族です。 

 

 小さいころの安藤さんは、大人しい雰囲気の一方で、嫌なことには嫌だ! と明確に示す一面もあったため、よくいじめられたと当時を振り返ります。 

 

 「小学校のときはよくいじめを受けていました。進学した公立の中学校でも1年生、2年生のときはいじめられていたので、中学校までは、いじめられていなかった時期のほうが少ないです」 

 

■将来の夢は医者か建築士に絞られる 

 

 つらい幼少期~思春期を送った安藤さん。そうした生活から脱したいと思っていたこともあり、小学校から必死に勉強を頑張っていましたが、本人の頑張りに反して、中学までの成績は、ずっと「中~中の上」から上がることはありませんでした。 

 

 

 「中学の同級生が390人くらいいた中で、150~200番くらいだったと思います。国語や理科は得意だったのですが、中学に入ってから始めた英語はできるようになりませんでした」 

 

 このときすでに、親の意向もあり、将来の目標は医者・建築士のいずれかに絞られていたそうです。 

 

 「父親からは当時、『どんな仕事に就いてもいいが、手に職が前提だ。医者、建築士、ほか国家資格系の安定している、身分の高い仕事に必要な大学であれば費用を出す』と言われていました」 

 

 そう言われて育った記憶もあり、中学生のときには建築士になろうと思っていた安藤さんは、学校が終わってから、毎日睡眠時間を削って5~6時間の勉強を続けました。 

 

 しかし、中学2年生から高校受験の勉強を始めても一向に伸びず、中学3年生の中ごろには、模試の偏差値が50から45まで落ちて焦ったそうです。 

 

 幸い、通っていた個人塾の先生にお願いして、家でつきっきりで勉強を見てもらったこともあって、なんとか偏差値49程度の高校に合格できました。 

 

 高校に入ってからの安藤さんの生活は「中学までよりはマシだった」と語る一方で、またしても理不尽な目に遭う日々を送ります。 

 

 「高校1年生の最初に研修旅行と称して宿泊施設に行くのですが、そこで軍隊の真似事をさせられました。行進の練習や山登りをさせられたり、意味もなく腕立て伏せをやらされたりしました。敬語がない、姿勢が悪い、睨んだなどの理由で蹴り飛ばされたり怒鳴られたりしました。 

 

 入った剣道部でも、シャワーを浴びている私に氷水を浴びせたり、説教後『目をそらした』と防具なしで顔面に竹刀を打ち込まれたり、失神させる『気絶ごっこ』をさせられ、気絶した後に運動着を脱がされて下半身の写真を撮られたりすることもありました」 

 

 そうした経緯で部活を辞めますが、それからも、剣道部の上級生に見つかったら集団暴行に遭うために命の危険を感じ、3年進級時まで上級生から隠れ続ける生活を送りました。 

 

■大学受験で挽回したいと強く想う 

 

 そうしたなかでも、安藤さんは450人ほどいる同級生の中で、100番前後の成績を維持していました。安藤さんは高校の環境が嫌だったので、絶対にいい大学に行きたいと思っていたそうです。 

 

 「1年生のときは、ただ机に向かってノートを広げて字を書いているだけで、『勉強なんかしてんじゃねぇ』と同級生から足が飛んできました。同級生はこんな高校に入ってまで大学を目指す自分を笑い、諦めろと言っていたのですが、2年生以降は私が理系コースに進級してコースが別れたため、そうした人たちと距離が取れたので勉強を邪魔されなくなりました。 

 

 

 今思えば、中学時代にずっといじめられていたので、高校2年生になってから同級生と旅行で一緒にスキーに行ったり、ゲーセンに行ったりできたのはよかったです。中には、親身になって勉強を指導してくれた先生もいたので、中学よりはいい環境だったと思います。でも、最終学歴がこの学校になるのは嫌だったので、大学受験で挽回したいと思っていました」 

 

 高校1年生のときには父親がMARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)出身だったこともあり、自身もそれ以上に行きたいと考えていた安藤さん。 

 

 3年生になってからは、『ブラック・ジャック』に憧れたことで、誰にも縛られない、尊厳を保った人生を歩むために医者になろうと考え、国公立の医学部を志望します。 

 

 しかし、塾に通って毎日授業外で最低3時間は勉強していたものの、河合塾の全統模試など、当時受けた模試の偏差値は軒並み45程度で成果が出ませんでした。 

 

 「私の高校は進学校ではなく、生徒を卒業させることが第一だったので、大学受験はまったく考えてない感じでしたね。私は自分の力でやると決めて、黙々と机に向かってましたが、3年生の中ごろにはもう浪人するだろうなとは思っていました」 

 

 この年、初めてセンター試験を受けたものの「半分も取れていないのは覚えている」と語るように、チャンスのある大学がほぼない状態で、実家から通える国立の医大をかたっぱしから受験して、全滅してしまいました。 

 

■現役偏差値45→2浪で偏差値29に 

 

 浪人を決めた理由を安藤さんに聞くと、「大学に行かないと生きていけないと本気で思い込んでいた」と当時を振り返って答えてくれました。 

 

 「『大学に行かなかったら、(いつも)誰かから見下されるんだ』と親から言われていました。そういう家庭に育ったから、大学に行かないという選択肢はなかったんです。とはいえ、家にお金がないとも言われていたので、宅浪を決断しました」 

 

 

 1浪目の安藤さんは、1日17時間勉強を目指し、ひたすら勉強を続けました。高校3年生のときに周囲からいいと言われていた参考書を5科目やり込んだものの、成績は上がりませんでした。 

 

 「1浪目は週1でまったく勉強しない休みの日を作りましたが、それ以外の日は毎日4時間睡眠で、1時間×3回の食事の時間以外はすべて勉強しようと努力しました。15時間前後は机に向かっていたと思います。最初の2~3カ月は少し成績が上がったのは覚えているのですが、それからだんだん下がっていきました」 

 

 勉強時間を割いているのに成績が伸びない謎に悩んだ安藤さんは、この年も国立の医大を受験して全落ち。大学に行かないという手段がない以上、「後がないのは一緒だ」と考えて2浪を決断し、1浪目と同じ生活を続けたものの、さらに成績は下降しました。2浪が終わるころには河合塾の全統模試の偏差値は29まで落ちてしまったのです。 

 

 そして、この年も現役・1浪のときのように国立の医大を受けましたが、不合格に終わりました。 

 

 「常に(精神的に)きついと思って勉強していました。成績は伸びませんでしたが、受験を辞めるという選択肢はなく、大学に受からなければ先はないと思っていたんです」 

 

 そう考えて3年目の宅浪に突入したものの、この年は前年度より勉強時間がガタッと落ちて10時間程度の勉強になり、気力が出なくなった1月以降は5時間程度まで下がってしまいました。 

 

 この年は全体的に記憶がおぼろげで、防衛医科大学校と群馬大学医学部を受験したのは覚えているそうですが、それ以外については思い出せないそうです。 

 

 「精神状態が限界で、心療内科・カウンセリングを継続して受けました。もう座っているのがきつくて、まともに頭が動かず、指も動かない状態が続きました。勉強はそれまでと同じようにしていたはずですし、医大も受けたはずですが、この年のことはほとんど覚えていません」 

 

 模試の成績が去年と変わらなかったことくらいしか覚えていない安藤さんは、結局この年の受験も振るわず、ついに父親に相談をします。 

 

 それは「いくら勉強しても成績が上がらないから、切り捨てたかったら切り捨てろ」という衝撃的な内容でした。 

 

 

 
 

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