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漫画家・楳図かずおさんが胃がんで死去、88歳…「まことちゃん」で「グワシ!」社会現象

読売新聞オンライン 11/5(火) 11:58 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/d9a67cea17c051f4b138143576a7ba7c6f2afed4

 

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漫画家の楳図かずおさんが、88歳で胃がんのため亡くなった。

彼は恐怖漫画やギャグ漫画の分野で活躍し、「おろち」「漂流教室」などの作品で知られている。

彼はホラー漫画の第一人者としてだけでなく、ギャグ漫画でも才能を発揮し、「まことちゃん」などが大ヒットした。

葬儀は家族や関係者で行われ、後日お別れの会が開かれる予定。

楳図かずおさんは漫画家としてだけでなく、アーティストとしても活躍し、数々の賞を受賞している。

(要約)

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漫画家・楳図かずおさん(2013年) 

 

 「おろち」「漂流教室」など、恐怖漫画の第一人者として知られ、ギャグ分野でも「まことちゃん」を大ヒットさせた漫画家の楳図かずお(うめず・かずお、本名・一雄)さんが10月28日午後3時40分、胃がんのため死去した。88歳だった。葬儀は関係者で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。 

 

【動画】楳図かずおさんが昨年故郷で行った夢授業 

 

 和歌山・高野山生まれ。奈良県で育ち、18歳の時、水谷武子さんとの合作「森の兄妹(きょうだい)」でデビュー。1961年に貸本で恐怖漫画という新ジャンルを開拓、65年に「少女フレンド」(講談社)で連載した「ママがこわい」「まだらの少女」などのへび女シリーズでホラー漫画の旗手となった。 

 

 その後少年誌に進出、69年に「少年サンデー」(小学館)で連載した「おろち」では心理サスペンスに作風を広げ、少年少女が荒廃した未来でサバイバル劇を繰り広げる72年の「漂流教室」で評価を不動にした。 

 

 ギャグ方面でも異才を発揮、無邪気な幼稚園児がパワフルに暴れ回る「まことちゃん」(76年)では「グワシ!」というセリフとポーズが社会現象となった。その他の代表作に「洗礼」「わたしは真悟」「14歳」など。赤白ボーダーシャツがトレードマークで、明るいキャラクターがテレビで親しまれ、歌手としてアルバムも出すなど、マルチタレントとしても活躍した。 

 

 95年以後は新作を描いていなかったが、2022年に101点の連作絵画「ZOKU―SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館」を発表、芸術家として再スタートを宣言した。1975年、「漂流教室」などで小学館漫画賞、2018年、「わたしは真悟」で仏アングレーム国際漫画祭遺産賞、23年、手塚治虫文化賞特別賞。 

 

 

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楳図かずお先生は、恐怖漫画や独自の世界観を持つ作品で多くの読者を魅了しました。

彼の作品は怖さだけでなく、人間の心理や欲望、生きる意味なども描き出しており、深い印象を残しています。

まことちゃんや漂流教室など、様々な作品が多くのファンに愛されています。

 

 

また、楳図先生自身も個性的で、赤白のボーダー柄のシャツやグワシといったユニークな要素がファンにとっても印象深い存在でした。

多くの人に影響を与え、愛され続ける作品と人柄を持っていたことが伝わってきます。

 

 

最後に、多くの人が楳図かずお先生の作品を通じて感じた様々な思いや感動、そして彼の偉大な才能に心から敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

吉祥寺を歩いていたらかなりの高確率で楳図先生に遭遇していました。いつもトレードマークの赤と白の服を着ているのでとても目立っていました。それを見るたびに親近感を覚えていましたが、本当にさみしいです。ご冥福をお祈りいたします 

 

=+=+=+=+= 

ホラー漫画とギャグ漫画の頂点とも言える、まことちゃん。 国民的ブームを呼んだ。時代は移り変わったのかもしれないけど、もっと後世に引き継がれ話題にならないのが不思議なぐらい。 

楳図かずお先生は、当時から若者の自死を懸念し、やめましょうと、マンガを通じて啓発を行った人でもありました。 

さすが超大物の山田邦子氏のコメントもうなづける 

。グワシ、サバラなど指で簡単にできる流行も楳図かずお先生ならではの才能。蘭丸の大変ロックンロールも印象ですね。お疲れ様でした。 

 

=+=+=+=+= 

小学生時代から読んでいました。 

怖い漫画を読むことが多かったですが。年齢が上がるにつれ、ただ怖い、ではなく、人間の抱える闇や、情、もっと深いところの、どう生きるべきかというところまで考えさせられる話が多いことを知り、読みあさりました。 

実写化された作品もありますが、確かに映画を観ているような感覚になることも多い、すごい漫画家でした。 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

小学校のころ、楳図先生の怖い漫画読んで夜中にトイレに行くのがまじ怖かった。ドアをあけたらヘビ女がいたらどうしよう?なんてね。あの頃は少女フレンドか何かで連載だったと思う。男の子が女の子の漫画を読むなんてってからかわれた時代だった。歯医者とか目医者とかの待合室で読んだ記憶がある。出てくる女の子が美人で、妙に怖かったのも覚えている。オロチだったかな?強烈な印象を残す稀有な天才だったと思います。安らかに.... 

 

=+=+=+=+= 

2年程前の展覧会に行きました。コロナ禍に描いたという大連作に圧倒されたのを覚えています。この夏には現在個展が開催中の田名網敬一さんが亡くなられましたが、御二方とも九十を前にして制作意欲旺盛でした。深層心理の爆発というような独特の世界観を持ったアーティストだったと思います。 

先日は上村淳之さんも亡くなられましたし、相次いで旅立つ巨星たちの訃報に美術ファンの一人として寂しい気持ちでいっぱいです。 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

ちいさい頃、ヘビ女など初めて見たホラー漫画の怖いもの見たさとは言え、強烈なインパクトを受けた。読んだ夜は本当に怖い思いをした。口の裂け方や背中のウロコなどこんなに怖い画が描ける人はどんな怖い人なんだろうと思っていたが、まことちゃんが始まりグワシのポーズをする楳図さんを初めて見てそのギャップにまたまた驚いたものだった。あんなに怖いマンガもこんなに楽しいマンガも描ける楳図さんは天才だと思った。晩年の例の赤白模様の新築の家が長い間、物議を醸したのも今となっては懐かしい。強烈なキャラと目覚ましいマンガ作品の数々は人々の記憶から消え去ることは無いだろう。安らかにおやすみ下さい。 

 

=+=+=+=+= 

子供の頃、空港でTシャツの背中にサインをして貰った事がある。まことちゃんの顔も描いてくれてほんとに嬉しかった。近田春夫さん、ジューシーフルーツと一生だった。三組でツアーしていた時期だった。 

その後中央線で何度かお見かけしたが赤いボーダーの長袖Tシャツで目立っていた。 

「話しかけていいんだよ!」オーラをビンビンに出していて凄く嬉しかった。 

心よりご冥福をお祈りします。先生の作品は永遠に残ります! 

 

=+=+=+=+= 

子供の頃、「漂流教室」に出会い、強い衝撃を受けました。その当時は登場人物の年齢に近かったこともあり、子供の観点で。そして大人になり今は親という観点でこの作品を読むとまた感慨深いものがあり、いつ読んでも受けるものは違います。単行本は今でも大切に保存して、時に読んでは涙しながら読んでいます。 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

以前、友人から借りた本の中に「イアラ」という作品が掲載されていて、時空も文化も、さらにはジャンルすらも自由自在に往来する様な、非常に壮大かつ哲学的な内容で、何度も読み返しました。 

ホラー、ギャグなどの周囲が作った枠組みなんて気にしない様な、自由自在な作風の正に鬼才だった方だと思います。 

私が20年近く前に勤めていた会社の納品先が先生のアトリエと同じビルで、何度かエレベーターでご一緒させてもらいましたが、ご挨拶すると二十代だった私の2倍くらい大きな声で返してくれて驚いた事を思い出します。 

お疲れ様でした。たくさんの作品を残して頂き、ありがとうございます。 

 

=+=+=+=+= 

小学生の頃、親の本棚にあった「赤ん坊少女」を読んで衝撃を受けて以来、大ファンです。「漂流教室」は大人になった今でも心のバイブルです。 

 

大学生の時に吉祥寺ロンロンで楳図先生をお見かけし、お声がけしたかったけどプライベートだし…と思って思いとどまったことを今でも悔やんでいます。せめて、先生の作品が大好きですと伝えれば良かった。 

 

これからも楳図先生の漫画を読み続けます。 

どうぞ安らかにお眠り下さい。 

 

 

=+=+=+=+= 

楳図かずおさんの作品では、ギャグ漫画よりも怖い系の漫画が好きで、『漂流教室』は特に衝撃が大きくコミックを一気に読んでしまいました。他の漫画家とは一線を画す天才だったと思います。御冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

繊細なペンタッチで驚きや悲しみをセリフなしで描いたオリジナリティ 

溢れる漫画家でした、がっちりしている誠実な男性に憧れておられました。 

ご自身が太れない体質だったからでしょう。正直者が損をする事を憎み 

孤独との戦いを主人公たちに託し、どうか負けないでとエールをくれた 

作品ばかりでした。「谷間のユリ」「ねがい」は涙なしでは読めません。 

素晴らしい作品をありがとうございました。 

 

=+=+=+=+= 

自分にとって、この方といえば 

恐怖漫画や一連の芸術性の高い作品より「まことちゃん」でした。 

特に、政財界の重鎮たちが廃墟で「よいこ遊び」をする回は、 

自分の中での「面白い漫画」の一つの基準として心に刻まれています。 

確かロック好きで、チープトリックのファンだったことにも 

好感を抱いていました。 

偉大な才能の持ち主でした。安らかにお眠りください。 

 

=+=+=+=+= 

神の左手悪魔の右手、だったかな? 子供の頃に読んだ記憶が。 

でもそれ以上にいろんなマンガやイラストで、楳図さんの画風をパロディとして用いた作品を目にしてきました。 

マンガに留まらない多くの分野のクリエーターたちに多大な影響を与えた、名漫画家さんだったのだと思います。 

 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

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また一人昭和時代を盛り上げてくれた方が、亡くなってしまいとても悲しいです、先生には吉祥寺のデパートでお見かけして、すれ違った瞬間「先生!」と思わず呼んでしまったら、すぐ立ち止まってくださり、小さな頃読んでいた漫画や思い出を話したら 

ニコニコ聞いて下さり、握手までしてもらいとても暖かく柔らかな手だったのを覚えています。向こうに行っても、色々なアイデアが溢れて来るんじゃないでしょうか、ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

小学生のときから、少年サンデーで連載されていたの『おろち』『アゲイン』『怪獣ギョー』を読んでいました。 

単行本『怪』シリーズはトラウマになるほど怖かった。『漂流教室』『まことちゃん』でメジャーになられて、スピリッツでも連載された『わたしは慎吾』はロボットやコンピュータの時代を予告していた。 

私のサスペンス漫画、ホラー漫画のひとつはここにあったと言える。今まで楽しませてくれて、ありがとうございました。 

 

=+=+=+=+= 

小学生の頃に友達が貸してくれたサンデーで、まことちゃんを知りました。 

その後「洗礼」を読んで作風の違いにビックリ。 

でもどちらも好きだったなぁ。 

10年以上前ですが、梅田のロフトで楳図かずお展があり、ご本人が来られて、見に行きました。 

監督された映画も見ました、片岡愛之助さんと一緒に舞台挨拶に来られてました。私も赤と白のボーダー柄の服を着て見に行きました。 

 

これまで長い間楽しませてくださって、ありがとうございました。 

どうぞ安らかにお眠りください。 

 

=+=+=+=+= 

独特のタッチで描く漫画には子供の頃からハマってました。ただ…小さい時に喉のポリープの手術をする事になって内科の待合で漫画本を読んでました。 

置いてあった楳図さんの半魚人だったか!? 

の漫画を読んで喉の手術をしましたが…事前に怖くなって泣いたのを思い出します。 

日本の代表的な作家と呼んでも良いと思います。残念です。ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

大人になってハマりました。わたしは真悟と漂流教室を読んだ時の衝撃は今でも忘れません。なんというか、まさに命や魂を削って描かれていて読み手もそれなりの覚悟をもって読まないと受け止められない、そんな作品が多かった印象です。 

近年は絵画の製作に注力されていて、色彩や絵のタッチが私の好みにドンピシャで今後の作品もとても楽しみにしていました。 

いつかは失くなる命ですが、もっともっと作品を見たかったです。 

 

=+=+=+=+= 

子供時代に怖いマンガばかりで怖くて読めなかった 

中高時代にファンだった郷ひろみの歌の作詞をしてたりしているのを知り、マルチな才能のある方なんだなと認識していました。 

私にとっては漫画家と言うより紅白のボーダーの服を着たタレントさんと言うイメージでした。私の成長の1ページに沢山の思い出を残す存在でした。 

楳図かずおさんのご冥福を心からお悔やみします 

 

 

=+=+=+=+= 

昔は漫画は低俗なもので子供の教育に良くないなんて言われていた時代もあったけど、気がつけば日本の漫画やアニメ文化を支えて来た人達の多くは高齢者になり鬼籍に入るまでになってしまいましたね。。。 

 

楳図かずおさんは最先端ギャグ漫画家の代表格と言うイメージでしたが、もう88歳にもなられていたと知って驚いています。 

どうぞ安らかにお眠り下さい。 

 

=+=+=+=+= 

楳図作品はどれも好きなのでとても残念ですが、たくさんの作品を残してくれてありがとうございますという思い。 

 

まことちゃんはメジャーですが、斬新で奇抜でチャレンジフルな作品が多く、しかもベースにはどれも愛を感じるものが多いです。 

同時に人間の内面の怖さを出すのがとてもうまい。 

 

今でこそ似たようなホラーやサスペンスが見られるがそれを何十年も前にやってるからパイオニア的存在。 

 

特に「赤んぼ少女」が怖さがありながらも切なさもあって一番好きな漫画です。たまみちゃんキャラは強烈でした。 

 

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小学生の頃、楳図先生が仕事場にしていた高田馬場ビルにサインを貰いに行きました。初めて、サインを貰った時は感動でした! 

その後、夏休みや冬休みの午前10時〜12時は楳図先生が部屋の中に入れて貰えるので、相手を貰えました。 

何人もそんなファンの子供が遊びにきてました。 

 

後年、楳図先生のインタビューで 

『ちびっこの親衛隊がよく遊びに来て、部屋に入れてた』と言った事に、覚えていてくれたんだと思いました。 

 

本当に良い思い出として残ってます。 

 

楳図先生、ありがとうございました。 

 

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母が好きで単行本を集めており、小学生の頃から読んで私の人格形成に良くも悪くもかなり影響を与えていただきました。 

特に漂流教室、わたしは真悟、14歳 は大好きで何度も何度も読みました。 

それ以外のホラーも、読者の心の奥底から恐怖心を呼び起こさせる描写が素晴らしく、真の天才だと思います。未だ楳図かずお以上のホラー漫画には出会えません。 

まことちゃんも下品ギャグの中に狂気を感じて好きでした。 

どうか安らかに眠ってください。 

 

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先生の作品では「おろち」が印象深い。幽霊や霊魂が登場するのではなく人間の精神の底にひそむどす黒いものを描いていた。あるいは題名は忘れたが美人女優が「老い」を恐れ自分の娘の肉体と自分の肉体を入れ替えて若返ろうとする物語もあった。昭和30年代の学園生活を描かれたものが多く男性の登場人物はどこか橋幸夫や舟木一夫に似ていた、小学生のぼくには少し刺激が強い恐怖マンガだった。たしか40年ほど前だったが、奈良の楳図先生の実家で先生と先生のお母さんを取材する番組があった。楳図先生の恐怖マンガはお母さんから聞いた地域の民話や伝承がもとになってるという。また先生のお母さんはUFOも見たことがあると話しておられた。このドキュメント番組たぶんNHKだったと思うがもう一度見てみたいものだ 

 

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学生時代、吉祥寺に住んでいた頃は本当によく赤白のボーダーを着た楳図さんを見かけました。少し前のめりで急ぎ足、いつも忙しそうに吉祥寺の街を歩いてましたね。吉祥寺の方たちは楳図さんは驚かないぐらいよく見かけていたんじゃないかな。あの格好でテレビのまんまで目立つけど誰も声かけてる所見たことなかった。でも自分が上京して数年間、多分1番よくお見かけした有名人だった。懐かしさとさみしさが湧き上がりました。 

 

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好みは分かれるだろうが、もの凄い画力だったよね。 

しかも個性的。 

そしてこの個性的で独自である事は、漫画も含めた創作物にとって最も大事であると思う。 

絵を見ただけで誰の作品か分かる。 

または一人の作者が幾つか違う画風を持っていたって良い。 

またはそれは一人でなくてもひとつのスタジオやグループでも良い。 

その点。。 

今の漫画やアニメの画風の個性や独自の無い事無い事。。 

なんか同じような絵ばかり。。 

多分ひとりの天才が生まれない時代なのかもね。 

 

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大好きでした。サンデーコミックスの「恐怖」「怪」から始まり、一連の初期ホラーコミックは少年時代に欠かせないものでした(今でも)。 

「おろち」で描かれる人間の業の深さは、どんな名作文学にもひけを取らないものとして私の深層心理に刻み込まれています。 

ご冥福をお祈りします。 

 

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幼稚園の時、最初に好きになった漫画が「まことちゃん」。以来、あらゆる作品を読み、最も好きな漫画家。 

一昨年の「ZOKU-SHINGO」26年ぶりの新作発表に喜び、目にして驚愕した。 

101枚の色彩画による絵物語。独特の色調と構図、イマジネーションの洪水。 

そして何よりストーリーが面白い。 

ページを夢中でめくるように読み進めながら、底知れない天才ぶりに改めて感服した。 

先日、更なる新作も発表と聞き心躍らせていたのだが。 

 

15年ほど前「まことちゃんの浮世絵」を購入した時に楳図先生のサイン会があった。 

個室に1人入って、先生の好物と聞いた甘納豆を渡したら、大層喜んでくれた。 

サインを頂き頭を下げて個室のドアを閉めようとすると、先生が厳しい表情でじっとこちらを見ていた。その手は「サバラ」の形に。 

ハッとしてこちらもおそるおそるサバラを返すと、ニコッと微笑んで下さった。 

その笑顔が忘れられない。 

 

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物凄く怖い漫画を描いていたな。しかもストーリーがシッカリと、リアリティをもっているから、余計怖い。絵も怖い。いつまでも心に残る得体のしれない恐怖。物語の終わりも決して円満終了させない。子供の頃はトイレに行くのが大変だった。 

 それがある日、まことちゃん………ずっこけたね。でも、ギャグなのに、どこか普通ではなかった。異能才能のなせる技ですね。ご冥福をお祈りします。 

 

 

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私は64歳ですが、物心ついた頃から楳図先生の漫画を見ていました。 

本当に怖い怖い漫画ばかりでしたが、きちんとストーリー展開ができている 

漫画ばかりだったので、何度見ても飽きることはありませんでした。 

特に「おろち」などは、ひとつひとつが素晴らしいサスペンス小説みたいな 

内容で、ドラマの原作になってもいいようなものばかりでした。 

あまり知られていないですが、月刊平凡に連載されていた「みやこ高校シリ 

ーズ」もなかなか面白かったですよ。 

楳図かずお先生にも文化勲章をあげて欲しかった・・・。 

 

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小さい頃から日本の怖い話の本が好きだったのですが、ホラー漫画好きになったのは、間違いなく楳図かずお先生の作品のおかげです。 

実家が書店だったこともあり、小学生の時にかなりの漫画を読んでました。。 

まことちゃんはグロすぎて無理でしたが、「恐怖」って漫画だったかな?元女優の母親が自分が年老いて一人娘がかわいくなっていくのを脳を入れ替える手術をして娘の体を乗っ取る話が怖くていまだに印象に残ってます。トラウマ?電子コミックで探して読んでみたいです。 

楳図先生のトレードマークの赤白ボーダー柄のシャツ姿も好きでした。ご冥福をお祈りします。 

 

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猫目小僧、「妖怪百人会」は妖怪漫画の最高傑作だと思う。 

ラストで小人ではなく「目」が妖怪の本体であることを暗示するため、吹き出しのはじを微妙に曲げるすご技。 

タイヤの転がる原っぱを猫目小僧が去っていくエンディング。忘れられない。 

長い間、怖がらせていただき、楽しませていただき、ありがとうございました。 ゆっくりお休みください。 

 

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小学校のころ明治生まれの祖母が町で買ってきた少年サンデー、その中におろちの「骨」が連載されていました。ちょうど男が墓からよみがえるシーンが衝撃的かつ当時の漫画にはあまりない綿密な絵柄でファンになりました。 

「漂流教室」の主人公と同じ学年で毎週少年サンデーの発売を心待ちにしておりました。楳図先生のご冥福をお祈りします。 

 

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日本のホラー漫画随一の巨匠なのに、テレビでお見かけする姿は本当に気さくで根が優しいだろうなと思ってました。ホラーとギャグが表裏一体であることも楳図先生の作品で納得したところです。 

先生が作品を描けなくなった原因が、新入編集者にゲンコツの絵にケチをつけられてからだと聞きました。 

作品を描けなくなった先生の晩年を思うと残念でなりません。 

まったく編集は余計なことをしてくれたと思います。 

 

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大変驚いているし残念だし悲しいし・・・いつもお元気なイメージだったのですが、大病を患っていらしたんですね。私は「おろち」か大好きです。もっとシリーズが長く続いてほしかった作品です。あの作品はただ化物や妖かしではなく「人間の中に巣食う恐ろしさ」が表現されていた奥深い作品だし、何よりあの驚く程に緻密に描き込まれた画風も凄かった。手元の単行本、これからも大切にします。 

 

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楳図かずお先生の訃報に深い哀惜を感じます。ホラー漫画の第一人者として、独特の世界観で多くの読者に強烈な印象を残しました。「漂流教室」や「おろち」で見せた人間心理の深い描写は今も色褪せません。そして「まことちゃん」の「グワシ!」は、当時の社会現象そのものでした。恐怖と笑いという相反するジャンルを自在に操り、エンタメの幅を広げてくださった先生に心から感謝です。 

 

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高校時代、「洗礼」を持ってきた子がいて、漢文だったかの授業中にこっそり回し読みし、絵もストーリーも展開もすべてに衝撃を受けました。怖いだけじゃなく深みがある。その後ドラマでも漂流教室が放送された時期で、みてました。よくわからない世界観だけど、唯一無二で怖いのにまた見たくなる、しかも初めて見た楳図さんはホラーな作品と真逆な雰囲気でこれまた衝撃!私の女子高時代のささやかな良い思い出です。ご冥福をお祈りいたします。 

 

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吉祥寺の南町に住んでいた頃、トレードマークの赤白ボーダーを着た先生を二回ほどお見掛けした際にこんにちはと言うと、にこやかに「こんにちは」とお返事が帰返って来てとても嬉しかったです。  

 

絶望の中でもみんなで協力しながら何とかサバイバル的な生活から共同体を作ってモラルやルールを築き低学年の児童らを守り、信頼又は反目しながらも生き在え何度も危機を乗り越えて行く漂流教室が大好きでした。 

勿論単行本を持っていて、たまに読み返したりしてます。 

今の少年誌では確実に掲載されないくらいの衝撃的な内容ですが、未読の方々は是非とも読んでみて欲しい傑作漫画です。 

 

ご冥福をお祈り致します。 

 

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子供の頃に読んだ楳図さんの恐怖マンガはどれもかなり怖かった。楳図恐怖漫画を読みたいがために少女フレンドのある女子の家に遊びに行ったこともありました。 

一番怖かったのは少年マガジン?に掲載された「半魚人」です。ストーリーは物悲しくも、とにかく「絵」が怖かった! 

偉大な日本のマンガ家がまた亡くなりました。ご冥福を祈ります。 

 

 

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九州の田舎から、小学生の頃にマコトちゃんのイラストを書いてファンレターをだしたら、年賀状でわざわざお返事をいただきました。イラストとお礼の文、そして年賀状の一番下に手書きで「コーヒー券」と「近くに来たらぜひコーヒー飲みに来てね」との文字、子供心になんて優しい人なんだと感激したことをついこの間のように思い出しました。 

たった一度のファンレターに対して、それから5〜6年毎年年賀状が届きました。 

先生ほど、ファンのことを想いファンから愛された人は居ません。どうぞ安らかにおやすみ下さい。合掌 

 

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数々の名作で、戦慄させていただきました。 

氏の凄い所は、執筆だけではなく、「数々のメディアに出演していたこと。」 

はっ茶けた個性を満喫させていただきました。この人があれだけの恐怖漫画を描いていただなんて信じられなかった。 

正に「何かと天才は紙一重」を地で行く氏でした。 

ありがとうございました。天国でも異才を放ってください。 

 

=+=+=+=+= 

小学生の時に初めて読んだ少女フレンドに楳図かずおさんの「ママが怖い」が連載されていて、ママが入院中にヘビ女になってしまう恐怖漫画で毎週ゾクゾクしながら読みました。後にまことちゃんの頃にボーダー着た楳図さんのお写真を拝見し、想像していたイメージとの違いにびっくりした記憶があります。 

改めて氏の御冥福をお祈り申し上げます。 

 

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楳図かずお先生突然の訃報に驚きました。 

悲しいし寂しく思います。楳図先生の作品は幼い頃から大好きで少女漫画よりホラー漫画が好きだった私は楳図先生の漫画を集め何度も読み返しました。吉祥寺で偶然お会いした時失礼ながらお声を掛けたら嫌な顔一つせずに握手と写真を一緒に撮って頂き本当に嬉しかったです。楳図先生の作品は本当に多くの人に愛されたこれからも愛されて行くと思います。 

本当にありがとうございました。 

ご冥福をお祈り致します。 

 

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少年サンデーで「ダメおやじ」が好きだったので同じ時期に「まことちゃん」が連載していたので読み始めたのがきっかけでした。 

「グワシ」という言葉がやっぱり印象的でマンガだけかと思ったらまさかの映画化! 

スクリーンでも「グワシ」を連発していました。 

ニュース的には梅図邸のカラフル化でご近所さんから景観を損ねると反対運動まで起きました。 

カラフルな私服で吉祥寺の街や井の頭公園を普通に散歩していましたね。その姿を見れないのは少し寂しいです。 

 

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楳図先生、お亡くなりなったと知り何か泣きそうです。還暦過ぎた私ですが、小学生の時、先生の怖い漫画をドキドキしながら読んでいました。特に「へび女」の片目のヘビのお母さんが怖かった。いつもふとんの中から「見たな〜」と現れるので、友達は家のお母さんの布団に鱗が落ちてないか確認したと言ってました。でも怖いけど早く見たくて発売日が待ち遠しかったのを覚えてます。 

 

=+=+=+=+= 

楳図かずおの恐怖漫画っぽい作画や 

まことちゃんのふざけた感じが好きじゃなく読みもしないで 

嫌いだったんだけど、ある日そういう絵面だけど奥が深いよ。 

って進められイヤイヤ漂流教室を読んだんですが、 

一見単純な作品と思いきや人間の欲や 

色んな事を凄く考えさせられる作品で正直驚きました。 

それ以来楳図かずお展に行ったりして作品に触れて食わず嫌いはやめないとって思わせてくれた漫画家さんです。 

 

=+=+=+=+= 

生まれて初めて読んだ漫画が「まことちゃん」。幼稚園の頃、入院先の病院の休憩所に置いてあった少年サンデーの巻頭カラーでした。 

直ぐに親にねだって単行本(そういうシステムがあることも知らなかった)を買ったのも「まことちゃん」。何度も何度も読んで漢字を覚えてちょっとだけ勉強の足しにもなりましたw 

「赤ん坊少女」で震え上がり、「漂流教室」で絶望を知りました。 

私の原体験の一部は楳図先生に彩られています。 

ご冥福をお祈り致します。ありがとうございました! 

 

=+=+=+=+= 

自分の世代はやはり、漂流教室の印象が強い。独特の絵柄で独自の世界を創り上げる天才肌の作家。ご冥福をお祈りします。 

この数年、矢口高雄先生、ジョージ秋山先生、望月三起也先生、水島新司先生、松本零士先生、鳥山明先生と大好きだった先生方が次々に亡くなり悲しいばかり。青春時代を楽しませてくれた先生方に感謝を込めて、ありがとうございました。 

 

=+=+=+=+= 

小学生の頃から大ファンで少ないお小遣いから漫画を買い、少年サンデーにファンレターを送り、下品なグッズを恥ずかしげも無く買い、頑張ってグワシも練習しました。 

楳図かずお先生の作品はホラーでも女性が魅力的な美しさと特徴的な目の輝き、まことちゃんはちょっと下品だけどポップでゴージャスな絵が大好きでした。 

どの作品も穴が空くほど見ていたのであらゆるページが目に浮かびます。 

わくわくドキドキさせてくれる漫画を本当にありがとうございました。 

ご冥福をお祈りします。グワシ 

 

 

=+=+=+=+= 

おろちが大好きでした。 

美少女の姿をした不思議な力を持つ漂流者で、数年に一度、何十年か眠ってしまう。結局おろちが何者で何処から来たのか何も説明されないまま完結しましたが、だからこそ恐ろしく、美しく、心に残っています。 

 

数年前Eテレの「シャキーン」におろち似の少女のミニアニメが登場した時は懐かしく、嬉しかったです。 

 

先生のご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

小さい時に楳図先生の漫画を読みかなりの恐怖を感じながら,ドキドキしながらページをめくった記憶があります。大人になり改めて読み返すと恐怖だけでなく、人間の欲や闇、人間が生きていくとは、そんな部分が秘められていたのを感じました。 

いつも明るくボーダー姿が印象的で本当にたくさんの思いを伝えたくて漫画を読者に届けているんだなあと感じました。 

個性的で可愛らしさにあふれ、唯一無二の楳図先生。たくさんの作品をありがとうございました。 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

 

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昭和の小学生を恐怖のどん底に突き落としたヘビ女シリーズ。タマミが出てくる漫画、赤ちゃん少女?も怖かった。 

発売日に買ってもらって読んだ夜は、お風呂に入ったり寝る時にすぐそこにいるような気がして怖かったです。 

 

恐怖漫画は少女フレンドが楳図先生、マーガレットが古賀先生が執筆してらしたような…。ブームでしたよね。 

お口の中をベタ塗りする画風も独自だと思ってました。 

 

楳図先生、今より娯楽がずっと少なかった時代にたくさん楽しませてくださり、ありがとうございました。 

ご冥福をお祈り申し上げます。 

 

=+=+=+=+= 

楳図さんの作品、ほとんど読んだかな。 

漂流教室は、再発行の時に単行本買いました。この作品は、楳図さんも未来予知が出来ていた?のかな、と… 

残酷なシーンもありますが、究極の人間の姿なのかも、と深い作品でした。最後はホロッと涙が出た記憶があります。母はやっぱり強くて素晴らしい。そして、子供達の勇気と智恵と心の持ち方の描き方に、胸打たれた作品でした。 

 

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漂流教室は最高傑作でした。 

児童への残虐シーンが現代ならば批判の的になるかもしれません。子供への悪影響とか何とかで。 

でも当時小学生だった私に悪影響はなかった。フィクションであることは当然理解していたし、人間の狡さも高潔さも、こういうマンガから学んだ。 

楳図先生の遺したメッセージが今の子供たちにも届いてほしいものです。 

 

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ホラーでも、ギャグでも、トップレベルの作品を作った。本当に楽しませてもらったですよ。まだ読んでない作品もあるので、絶対に読んでみたいです。 

ちなみに、ホラー映画の舞台裏ってとても楽しいらしいです。逆に、コメディー映画の場合は案外しらっとしてる時もあったりするようで。昔、そんな記事がありました。ご本人も、ホラーとギャグは裏表と言ってましたね。これも有名な話です。ニュースでもやってましたけど。 

先ほど松本零士が亡くなってます。この人の作品は純粋な気持ちが胸に刺さる作品が多いんですけど、楳図かずおは根っからのエンターテイメントといったものを感じます。 

サブカルチャーにおいては、日本はとても幸せな国だと思います。ご冥福をお祈りします。感謝とともに。 

 

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怖いので全部読んではいませんが、先生の漫画は母の愛がテーマになっているものが多い印象でした。漂流教室で描かれた未来は現在に写し出されており、楳図さんの先見性と創造性に舌を巻きます。私をはじめ、沢山の子供たちに畏怖と希望を与えてくださり、感謝いたします。お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。 

 

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小学生の頃読んだサンデーコミックスの恐怖や怪、その中でも「うばわれた心臓」と「おみっちゃんが今夜もやってくる」の怖さがいまだに忘れられない、、、怖いのに何度も読みたくなってしまう。ヘビ少女、赤んぼ少女、洗礼、猫目小僧、おろち、漂流教室、わたしは慎吾、神の左手悪魔の右手、14歳、と次第に怖さだけではなく人間の本質をつく内容が哲学的になっていったところもあり非常に愛読しておりました。ご冥福をお祈りします 

 

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先日の西田さんの他界に驚愕してたのに続いてまた‥子供の頃に観た映画漂流教室で知り原作の漫画との違いに‥とうの楳図さんが映画上映記者会で怒ってた話も有名‥ 

ただ漫画をそのまま実写にしたら間違いなくR15指定のグロホラー映画になるかな(笑) 

DVD化もされない幻作になってしまったが‥自身は少年時代の夏休みに観たので神戸の風景と共に今井美樹の野性の風って曲が心地よく聴こえるこれはこれで名作かと 

ご冥福を御祈りします。 

 

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自分が小さい頃、どうやって楳図先生のマンガに出会ったかは覚えていないのだけど、 

ホラー好きだった自分は夢中になって読んでいました 

独特の、唯一無二のイラスト、特別だった 

一度スカスカに空いた電車の中でお見かけしました 

斜め向かい座られていて、向かい合わせの列座っているのは私と楳図先生だけ 

話しかける勇気があったら、もう一つ思い出が出来たのになぁ 

柔らかな空気を纏い車窓を眺める姿が目に焼きついています 

ご冥福をお祈りします 

 

 

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最近見ないと思いましたが、病気療養中だったんですね。とにかく、少女フレンドの「蛇女」と少年マガジンの「半魚人」を見てとても怖かったのが印象的です。でも、何故かどうなるのかを知りたくて見てしまう面白さがあります。蛇女に追いかけられる夢も見ちゃいました。半魚人もしかり。まさに記憶に残る漫画です。ご冥福をお祈りします。 

 

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小学6年生の頃、女の子の週間漫画雑誌に連載されていた、ヘビ少女や赤ん坊少女たまみとかを見せてもらっていました。 

やがて少年マガジンに半魚人が連載され、怖かったけど夢中で読みました。 

恐怖漫画は楳図先生の独壇場でした。 

ワクワクの時間をありがとうございました。 

謹んでご冥福をお祈りいたします。 

 

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まさに巨匠。子供の頃、「恐怖」や「怪」を読んで震え上がり、まことちゃんで笑い、漂流教室で衝撃を受けました。 

正直申し上げるとガリガリでいらしたので、健康面は大丈夫なのかなと感じた事もありましたが88歳とは…!短命な漫画家さんが多い中、こちらも凄い事だと思います。 

先生、ありがとうございました。 

 

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20年ほど前、吉祥寺店の駅ビルを出たところで鉢合わせして、思わず、フアンです!と手を差し出したら握手ををしてもらいました。 

幼少期まことちゃんは初めて読んだギャグ漫画で、まことちゃん人形持っていました。恐怖漫画、シュールな作品などいろいろ読みました。楳図かずお展にも行き圧倒されました。 

がっちりとした手とあの笑顔は忘れません。 

ありがとうございました! 

 

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小学生の頃からのファンで今は50代になったけど、自分より人生の大先輩の楳図かずお先生は元気そうで凄いなといつも感じてました。 

近年はおろち等のTシャツが販売されてたり年月が経つほどに再評価されてる感じで何だか嬉しかったです。 

個人的にわたしは真悟がとても心に残ってますが、ラストが印象的で、つい物語の続きを自分なりに想像してしまったり切ない気持ちを引きずってしまう作品です。近年になってZOKU-SHINGOが発表されたり感激したファンも多かったのではないでしょうか。  

子供の頃から思ってましたがホラー漫画家では一番でそれは今も変わらないです。 

 

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子供だった頃、まことちゃんにはかなり衝撃を受けました。大好きな子がいて単行本を集めていたので読ませてもらいましたが、絵柄といいギャグセンスといい、一言では説明ができませんが、かなりショッキングだったことを覚えています。また1人、私が子供の頃からの有名人がこの世を去った。なんとも悲しいです。ご冥福をお祈りいたします。 

 

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私は小学生の頃まことちゃんから入って、当時は幼稚なシモネタと受け止めて笑って読んでいたのですが、あとになって、他のギャグマンガが勢いまかせのドタバタ系ばかりの中、かなり高度な笑いだったんだと気づきました。たぶん現在の大人が初見で読んでも面白いと思います。赤んぼ少女もスピリッツ連載系もクオリティが高いですよね。私の中のNo.1漫画家さんです。ホントに楽しませていただきました。感謝♪♪グワシそしてサバラ 

 

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超ヒットメーカー高橋留美子先生も 

「楳図先生から教わった 

『子供の視線は低い位置にあるんだよ』 

をいつも考えて描いてます」 

と以前インタビューで答えていました。 

自分は幼い頃『まことちゃん』が面白すぎて大笑いし、笑いが止まらなくて鼻血まで出したぐらいに興奮しました。 

今でも読む度に爆笑します。 

まことちゃん一家の周りを気にせずに愉しみを追求する哲学、悩める時代には必要だと思います。 

本当にどうもありがとうございました。 

 

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他にも好きな漫画家はいるが、一番好きな漫画家だった。 

かなり影響を受け、漫画としてはメジャーとアンダーグラウンドの中間のイメージで受け止めている。 

どこまで売れてもアンダーグラウンド感を残すところが特に好きだ。 

漂流教室やわたしは真悟、洗礼などだけでなく、短編も優れた作品が多い。 

自分も歳を重ね、好きだった、ファンだった人が亡くなっていく。 

もちろん大往生の年齢だし、たくさんの作品を残してくれたけど、やはり寂しい。 

 

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子供心にも「あんまり絵が上手くない」と思ってましたが、恐怖シーンやパニックシーンなどでは唯一無二の独特な絵に圧倒されました。 

 

恐怖マンガが源流だったと思いますが、そこから派生した「漂流教室」と「アゲイン」が大好きでした。 

 

「漂流教室」は物語の発想とや大人のメンタルの弱さの展開が絶妙でした。 

 

「アゲイン」は老いることと、それを取り戻したい気持ちを憂いがありつつもコミカルに描けていて奥深かったです。一派的にはここからスピンオフしたはじめちゃんが有名になりましたが。 

 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

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マスメディアでも暫く見かけませんでしたがお元気であろうと思っていただけに残念です。 

まことちゃんや恐怖漫画のイメージ大ですが、ウルトラマン(初代)のコミカライズでもオリジナリティ溢れる作品を遺されている事も印象深いかと(例、ドラコの手が映像作品ではボツになった巻尺状で水爆を掠め取る描写あり)。 

この場を借りてご冥福を祈ります。 

 

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子供の頃、近所のお姉さんのお下がりの恐怖漫画が家に沢山あり。 

怖いんだけど、ついつい昼間に見てしまい、夜になると怖くて1人ではトイレに行けませんでした。 

一枚一枚の絵が繊細で怖いんだけど美しさに惹かれました。 

後年、まことちゃんには驚きましたが、楳図先生も対極の漫画を描きたかったんでしょうね。 

永井豪先生とは逆のパターンですね。 

ご冥福をお祈りします。 

 

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ご冥福をお祈りします。小学生で読んだ「神の左手悪魔の右手」は、いまだ私の中で打ち破られることのない、比類なき怖さのホラー漫画です。またオールタイムベスト漫画として「わたしは真悟」は必ずランクインします。私は連載が終わった後に、単行本を通しで読んだ時の漫画全体の完成度に高い評価基準を持っていますが、わたしは真悟は、そんな基準をはるかに超えてた作品です。テーマは一貫して純愛だと思いますが、終始なんじゃこりゃ!一体、なにを読まされているんだ!?の連続で、あんな漫画は他に見たこともありません。思考が人間の枠には収まっていないような節があったので、いまは自由な世界を飛び回っていることをお祈りします。 

 

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結構町で遭遇していたのですが、最後は昨年だったかと。ずっと痩せておられたので体調とかは窺い知れません。幼稚園か小学校低学年の頃に蜘蛛女みたいな怖い漫画を読んでいたのですが、親の世代だったんですね。数十年前にはご自宅のピンク塗装でご近所ともめたりして、長年武蔵野にお住まいだったのにリスペクト無いなとちょっと憤慨したりしました。長い長い現役生活。お疲れさまでした。 

 

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自分の子供の頃は、怖い漫画と言えば梅図先生、古賀先生、つのだ先生の3巨頭だった。ただ梅図先生は「まことちゃん」の様なギャグ漫画を描いたり、60年代には「ウルトラマン」のコミカライズも行っていたが、ヒーローものというより「ホラー・ウルトラマン」になっていてバルタン星人なんかトラウマだった。90年代には宇宙船で他の惑星に移動する為に、人間の身体を「ナメクジの様に軟体化」するとか「液体化」するといったSFとホラーをミックスした作品も描かれていたなぁ。「クイズダービー」にも頻繁にゲスト回答者として出演されていた。ご冥福をお祈り致します。 

 

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「神の左手悪魔の右手」と「洗礼」をよく読んでいました。 

「へび女」等も実家にあります。 

子供の頃はただただ怖い漫画でしたが、大人になって読むと、セリフのない描写の中に様々な感情が読み取れ、いくつになっても楽しめる作品なのだと感じます。 

 

唯一無二の漫画家さんでした。たくさんの作品をありがとうございます。 

 

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実は一度も霊体験がないとテレビで話されていたのを聞いてとても驚いたのを憶えています。だからこそあんなに怖いのかなと。「恐怖」「洗礼」とホラーは苦手な癖に、それ以上に引き込まれていくのが面白くて幾度読み返したかわかりません。 

 

実は怖いのは霊ではなく、生きている人間の奥底に眠る愛憎や欲望で、だからこそ恐ろしくもあるのに甘美にもそそられる、それが怖いのだという事を先生に教えて頂きました。 

 

梅図かずお先生のご冥福をお祈りいたします 

 

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幼稚園の頃から弟の散髪についていき、漂流教室やおろちなど読んでいました。 

そのうち何もなくても読みに通いました。 

田舎の散髪屋さんは特に咎めることもなくほっといてくれました。 

自分が字を読めるのが早かったのは、そんな本と周りの優しさのおかげだったなと思います。 

怖かったけれど(絵の人物の表情なんか特に!) 

深く理解出来てはいなかった幼い子供にも強く惹きつけられる魅力を持った漫画でした。 

感謝し、安らかな眠りをお祈りします。 

 

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悲しいお知らせに驚きました。 

小学校の頃に初めて購入した 

ミイラ先生がとても怖くて、夜になって窓からミイラ先生が入ってくるかもしれないと恐怖にかられて眠れなくなり、母の隣で眠らせてもらった事がありました。 

ホラーが大好きで、楳図かずお先生の作品は飽きる事なく沢山読ませていただいていました。おろちや怪や恐怖も大好きです。 

黒が多い先生の作品は当時、本当に怖かった。また当時を思い出しながら読みたいと思います。 

楳図かずお先生、どうもありがとうございました。 

どうぞ、安らかに…。 

 

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アラフォーですが、20歳くらいにコンビニで特別版みたいな厚い漫画を何となく買ってハマりました。幼少期からちょいグロ好きなのもありましたが。 

初めて読んだのが洗礼でした。衝撃を受けました。画の怖さや表情だけじゃなくて、こんなストーリーどうやって思いつくのって? 

その後、漂流教室で強さ残酷さ、なんだか一言じゃ言い表せない…漫画読んで初めて泣いたかも。 

なのに、まことちゃんの笑えるくだらなさ。 

 

多才すぎる偉人です。 

お悔やみ申し上げます。 

 

 

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30数年前に上京してきて一人暮らししていた八王子のアパートは楳図さんの黄色い家の近くでした。 

その頃出会ってのちに結婚した妻の母の働く花屋によく来たそうです。 

今年の春ごろも吉祥寺でランチ食べてたら窓の外を楳図さんが歩いているのをふと見かけました。 

まだお元気だねー、って。見かけると何か良いことありそうな、ちょっとした神様みたいな存在でした。 

なんだか一番身近で不思議な有名人だったので、いなくなったというのが信じられません。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

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直近の報道では、近隣住民と「まことちゃんハウス」の存在をめぐり争いになっていたことを記憶しているが、このような事態になったことでこの自宅の行く末はどうなってしまうのだろうか。このまま遺志を継いでそのままの状態にするつもりなのだろうか。 

恐怖のタッチである印象ぐらいしかないが、「漂流教室」はドラマ化され、衝撃的な内容だったことを記憶に残っている。ドラマで描かれた新幹線の車両はN700系に限りなく近かったことを思い出した。 

このような大掛かりなドラマが近年では制作されなくなったが、単に製作費が少ないだけでなく、原作者の意思とは異なる脚本で行われたこともあるだろう。 

 

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楳図かずお先生は「のろいの館(赤ん坊少女たまみ)」「うろこの顔」などで私たちの世代を恐怖のどん底に叩き落すマンガを描き続けていた印象が高いですね。でも「おろち」のようなサスペンスホラー「漂流教室」のSFホラーなどすべてのホラーマンガのジャンルを作り「アゲイン」「まことちゃん」みたいなギャグマンガまで掻き上げた天才といってもおかしくはないマンガ家です 

腱鞘炎でペンを置きマンガから離れても、その作品は初期の読者だった方々の子供やその子供まで受け継がれて、読んだすべての子供を恐怖のどん底に叩き落としています。 

私も多くの楳図かずお先生の作品を今でも所有して、それを子供に、そして孫にと受け継ぎ恐怖のどん底に叩き落しています。 

楳図かずお先生、いろいろな作品をありがとうございます。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

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身近だった有名人が亡くなると、自身も確実に死に近づいているんだよなと実感する。 

特に幼少期にワクワクを与えてくれた人物が亡くなるとそれはより一層強い感情を抱く。 

大人になり、まことちゃんハウスを見に行った記憶とか、吉祥寺で偶然すれ違い時の感動とかは何十年経っても色褪せない。 

どんよりとした今日の天気も相まってか、普段より強く悲しい気持ちにさせられる。 

 

ご冥福をお祈りします。合掌。 

 

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一つの時代が終わった感じがして寂しいな。 

特にまことちゃんは凄く面白くて最高でした。 

障害者の子が家に来た時、色んなことに無反応だったのですが、漫画を見せてあげたらメチャクチャ大喜びで大受けで、私も子供だったんだけど、同じように楽しめて嬉しかったな。 

サバラとかグワシとか、よくやったワ。 

最近も懐かしくて、これグワシのカタチでしたかねとか言って、いまだに懐かしんでしてみてます。 

皆んなを楽しませてくれてありがとうございました♡ 

 

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もう50年以上も前に、週刊少女フレンドとか、週刊マーガレットとかで(たしか)、楳図かずおさんのへび少女とか毒蜘蛛が題材の恐怖漫画を見てました。 

おさなごころに、すごく怖いのになぜか惹き込まれてしまい、楽しみにしていたのをよく覚えています。 

あの頃は、とてもかわいいお人形さんのような主人公の女の子が、その画風とは裏腹のグロい恐怖に遭遇するというのが、なんだかワクワク?ハラハラしてとても面白かった。 

大人になってからも、「恐怖」とか「怪異」等の単行本を買って読みました。 

御冥福をお祈り致します。 

 

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初期の恐怖作品からは想像できない明るい方でしたね。その恐怖作品を全集的に持っていた従姉妹のコレクションを読み耽ったあと、日がとっぷりと暮れた我が家への道が怖かったです。まことちゃんが出た時は「あの楳図先生が!?…」と戦慄したのを昨日のように覚えています。ご冥福をお祈りいたします。 

 

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私は、先生が描いた「ウルトラマン」の連載マンガが好きでした。 

 

バルタン星人、ドドンゴとミイラ怪人、メフィラス星人の回を、今でも覚えています。「ない!フラッシュビームがない!」と驚くハヤタ隊員のひとコマも忘れられません。 

 

先生、まだビデオが無い時代に、ウルトラマンのマンガを描いて子供たちに夢と恐怖を運んでくださいまして、ありがとうございました。 

 

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母が昔「楳図かずおが描く蛇女が怖くて子供の頃トイレに行けなかった」と繰り返し言っていたのを思い出します。 

その母も数十年前に若くしてこの世を去りましたが、楳図先生は母よりも若いその後の世代をも怖がらせ、ホラーをエンタメとして確立し世の中を楽しませてくれた方だと思います。 

母の分も含めて・・ありがとうございました。 

 

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小学生の頃親父と井の頭公園を散歩している時にお見かけした。背が高く、ウォーリーかと思うくらい派手な服で、少し俯きながら考え事をしている様子を今でも鮮明に覚えている。インパクトある世界観はとても魅力的だった。どうかゆっくり休んでほしい。 

 

 

 
 

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