( 230708 )  2024/11/06 16:16:09  
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「カフェが混みすぎて座れない」「いじわるベンチを使うのは訪日客だけ」…東京に「座るにも金が要る街」が増えた本質的な理由とは?

東洋経済オンライン 11/6(水) 6:36 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/5c13392ead1c737ff40784d210ad4cbeeabbd4d4

 

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渋谷は現在、「座るにも金が要る街」と言われる状況にある。

この背景には複雑な理由が絡み合っており、再開発の進展、防犯意識の高まり、日本人の意識の変化が影響している。

再開発に伴い高級化が進んでおり、商業施設やビルが建設され、価格が上昇したことが一因とされる。

防犯意識の高まりに伴い排除アートやいじわるベンチが導入され、座れる場所が減少している。

また、日本人の「周りからの目」を気にする性質も座りにくさの一因だと指摘されている。

(要約)

( 230711 )  2024/11/06 16:16:09  
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カフェが混みすぎていて、なかなか座れない街・渋谷。「座るにも金が要る街」になりつつある背景には、様々な理由が複雑に絡み合っていると筆者は指摘します(筆者撮影) 

 

 渋谷を歩いている時、「疲れたな」と感じてちょっと一休みできるところを探した。でも、カフェはどこも混んでいてすぐには入れないし、街中にベンチも少ない。あっても、なんだか座りにくい。パルコへ向かう渋谷公園通りには不思議な形状のベンチがあるけれど、ガードレールみたいで座りにくい。実際、そこに腰掛けているのはインバウンド観光客ばかりで……。 

 

【画像9枚】渋谷近辺で約20軒もあるスタバと、排除アートやいじわるベンチの様子 

 

 これは筆者の体験だが、似た経験をした人は少なくないだろう。そう、今の渋谷は、気軽に座れるところが少ないのだ。 

 

 そんな「疲れる街」に渋谷がなっているのは、都市の構造から見た理由がある。 

 

■渋谷が座りづらい街になったのはなぜ?  

 

 結論から言うと、渋谷が座りづらい街になったのには、次の3点があげられるだろう。 

 

① 再開発の進展 

② 防犯意識の高まり 

③ 日本人の意識の変化 

 順に説明していこう。 

 

【画像9枚】「カフェが混みすぎて座れない」「いじわるベンチを使うのは訪日客ばかり」…東京に「座るにも金が要る街」が増えた本質的な理由とは?  

 

 ① 再開発の進展 

 

 渋谷の変化でもっとも顕著なのが、現在進行している「100年に1度」といわれる大規模再開発。東急グループが中心となり渋谷駅周辺を整理し、さまざまな商業施設やビルを建設している。「渋谷っていつ行っても工事してる」と思う人も多いだろうが、それはこの再開発ゆえでもある。 

 

 渋谷はもともと若い人々の流行の発信地として有名で、「若者の街」だった。そのこともあって、特にIT分野を中心とするベンチャー企業なども集まってくる。それと共に、外国人観光客にとっても魅力的なエリアになってくる。 

 

 今回の再開発では、そうした渋谷に集まるオフィスワーカーやインバウンド観光客のために街が再編されている。新しくできたビルのほとんどにはオフィスが入っているし、インバウンド向けのホテルも建設中だ。 

 

 そしてオフィスワーカーやインバウンド観光客は、若者よりも相対的にお金を持っている。だから、彼らをターゲットにして街にすると、必然的に街全体の商品やサービスの値段が上がってくる。現にそこに生まれる商業施設などのテナントの多くは、少しお高めだ。 

 

 

■ジェントリフィケーションが「座れない」街を作る?  

 

 こうした都市の高級化を、ジェントリフィケーションという。元は、1960年代にイギリスの社会学者であるルース・グラスが提唱した言葉だが、現在では日本に限らず、世界の各都市で問題となっている現象だ。 

 

 このジェントリフィケーションの結果、渋谷では「気軽に座れる場所」が減少していると、筆者は考えている。それはなぜか?   

 

 先ほども書いたが、基本的に渋谷に近年誕生しているビルには、ちょっとお高めのテナントが入っていることも多く、少し休もう、と思ってもそう気軽に入れないことも多い。また、そもそも高層階はオフィスやホテルになっていることも多く、「座る」以前に、金を払わなければ外部の人間は立ち入れないところも多いのである。 

 

 ちなみにジェントリフィケーションは、「新しい建物を作るときに発生するジェントリフィケーション」「商業施設を作るときのジェントリフィケーション」「観光地化するときのジェントリフィケーション」の3つに分かれるといわれている(黄幸「ジェントリフィケーション研究の変化と地域的拡大」/2017年)。 

 

 渋谷の場合は、この3つのすべてに当てはまっている。再開発により新しい建物が建ち、商業施設ができ、観光地化している。まさにジェントリフィケーションの最前線だといえる。 

 

 こうした変化と「座れないこと」は直接に関係するわけではない。しかし、実際に現地でフィールドワークを重ねていると、都市の高級化に伴って、より階層の高いターゲットに向けられた場所が増え、自由に立ち入ることができたり、座ってたむろしたりできる場所が少なくなる現象が、渋谷の各所で発生していることがわかるのだ。 

 

 ② 防犯意識の高まり 

 

 次に、防犯意識の高まりについて。これは、何も悪いことではない。しかし、それに伴って起きている事態が、結果的に私たちを苦しめている。排除アートの問題だ。 

 

 

 渋谷には、いわゆる排除アートやいじわるベンチと呼ばれるものが数多くある。これは、本来なら人が集まる広場に置かれた奇妙なオブジェや、ベンチに付けられた謎の突起物を総称してそう呼ぶ。「アート」と呼ばれてはいるが、実態としては広場に人をたむろさせなかったり、ホームレスがベンチで寝ることを防ぐ役割を持っていて、そこから「排除」という言葉が付けられている。 

 

 排除アートについて精力的に発言をしている建築史家の五十嵐太郎は、こうした排除アートの代表例として、渋谷マークシティの東館と西館の間にある「ウェーヴの広場」を挙げている。さらには、本文冒頭で私が見た、渋谷公園通りにある座りにくいベンチもこの1つだろう。これらは若者やホームレスがそこに滞留するのを避けるためのオブジェである。 

 

 五十嵐によれば、こうしたオブジェは1990年代後半から街で見られるようになったという。その理由を五十嵐は次のようにまとめる。 

 

1990年代後半から、オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、日本では他者への不寛容とセキュリティ意識が増大し、監視カメラが普及するのと並行しながら、こうした排除形のアートやベンチが出現した。(『誰のための排除アート?  不寛容と自己責任論』p.21/2022年・岩波書店) 

 

 排除アートは、街の治安向上や、人々の防犯意識の高まりを反映しているのだ。 

 

■誰のための排除アートなのか?  

 

 特に渋谷に限っていえば、もともと1990年代あたりの渋谷は「ジベタリアン」の聖地ともいわれる街だった。もはや死語だが、ジベタリアンとは「地べたに座る人々」のことで、センター街を中心にそこらじゅうに若者が座ってたむろしていた。 

 

 この光景が変わり始めるのが、2003年あたり。当時の石原都政化で、新宿歌舞伎町を中心とした「浄化作戦」が行われ、クリーンな街並みが目指されていく。まさに人々の防犯意識の高まりを反映した政策だった。そして、それと連動する形で排除アートが増えてきた。 

 

 

 もちろん、この流れを否定するわけではない。治安や防犯の観点から考えれば当然の流れだろう。実際、チーマーが街を闊歩し、ジベタリアンが街を占拠し、公園には多くのホームレスがいたかつての渋谷に、治安の悪さを感じていた人は多いはずだ。 

 

 しかし問題は、その結果として、本来ベンチや広場が持っていた「座れる場所」「休める場所」の機能が著しく低下してしまっていることである。治安向上の目的が先走りすぎ、そもそも、疲れた時に気軽にベンチに座ったり、広場でたむろすることができなくなっているのだ。 

 

 五十嵐は、こうした排除アートの存在について「誰かを排除するベンチではなく、まさに誰もが座りにくいベンチ。そのことを問題にすべきだ」と指摘する(2024年4月10日「SNSで広がった「意地悪ベンチ」論争 排除の対象はホームレス? 酔っぱらい? それとも…」/東京新聞)。 

 

 ③ 日本人の意識の変化 

 

 もう1つの理由は、都市そのものというより私たちの意識の問題だ。日本の街が「座りにくい」のは、日本人の「周りからの目」を気にする性質もあるかもしれない。 

 

 今、渋谷の街にあるベンチに座るのは多くがインバウンド観光客だし、彼らはパルコ前にある階段、ガードレールかのような物体などにも腰掛けていて、貪欲に座るところを見つけている。彼らを見ていると、渋谷は決して座る場所がないわけではない。「いじわる」に、鈍感になることができれば、座ることはできるのだ。 

 

 ただ、こうした行為は日本人からは不評で、しばしばインバウンドに対する批判として上がるポイントでもある。 

 

 公共空間づくりについて語る際によく言われるのは、日本の都市には「広場」と言われるものがなく、広場慣れしていない、ということだ。確かに外国にあるように街の中心地の広場で休む、みたいなことを日本で想像するのは難しい。日本の駅前広場は往々にして閑散としている。その点、外国人のほうが、街中のスペースを使うことに躊躇がない感じがするのは確かだろう。 

 

 

( 230710 )  2024/11/06 16:16:09  
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渋谷や新宿を中心に、街の座る場所が減少しているという声や、都心部での座る文化に対する懸念が多く見られました。

特に、高齢者や観光客、地元住民の利便性を考えた公共空間の整備や、座ることの重要性についての指摘がありました。

一方で、都心部の街づくりや再開発、インバウンド客対策としての新しい視点やアプローチを求める声も見受けられました。

頻繁に利用する場所や環境に合わせ、少し工夫して休憩や楽しむ方法を見つけることの大切さも指摘されました。

また、座る場所に対する管理や対策の面でも様々な提案がありました。

 

 

(まとめ)

( 230712 )  2024/11/06 16:16:09  
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=+=+=+=+= 

道端のベンチやゴミ箱も含めて、たしかに減ってる気がする。だからなのか、駅前でバス待ちをしていると、先頭付近のバス停の椅子に座ってる人がバスが来ても乗らないのをよく見る。 

バスが来たのに椅子から動かない先頭の方に、先に乗ってもいいですかと声を掛けると「バス待ちじゃないんで」と言われることが何度もあります。初めのうちはびっくりしたけど、最近では「バス待ちの方用にバス会社が用意したものなのに?」と言える程にその状況に慣れてしまいました。 

 

=+=+=+=+= 

アメリカやカナダの幾つかの街を歩いて驚いたのは、街の至る所にベンチがあって休めたこと。 

おかげで歩くのが楽しくなり、北米の街づくりで最も見習うべきこととさえ思いました。 

 

でもよく考えてみれば、私たち日本人は自分にも他者にも厳しい人達です。 

ベンチで騒ぐ人がいたら地域の人は撤去を求めるでしょう。 

多分ベンチだけ置くだけでなく、その背後にある思想なのか法システムなのか分かりませんが、何がしかの文化も作らなければ上手く機能しない気もします。 

 

=+=+=+=+= 

表面的、一面的な見方ではないかな?と感じました。そもそも東京の都心部は、以前から「座るにも金が要る街」だったと思います。  

一方で電車に乗って郊外方向へ少し向かえば、公園も安い飲食店も商店街もある、地方都市では過疎化で失われてしまった街がいくらでも見つかります。 個人的に、東京の魅力は選択肢が多い点にあると思っています。金を使って最上級を手に入れる事も、工夫と気の持ちようによっては、最低限の予算でも充実した暮らしを送る事も出来ます。  

無い物ねだりよりも、今の自分に出来る事を探して楽しむ方が健全だと思うのですけどね。 

 

=+=+=+=+= 

渋谷のような込み入った街は、人ばかり多くて疲れるだけなので、用事がなければ行かないようにしている。かつては、買い物などで行くこともあったが、現在ではネット通販で何でも買えるようになったので、本当に全く行かなくなった。お金を出し続けない限りは、とことん不満が蓄積するようながめつさが目立つ場所では、ストレスが溜まりやすい。 

水辺や山のある郊外のほうが、広々としていて休める場所も多く、気持ちが楽になるので好きだ。 

気になる店など、どうしても行きたい理由があるなら、繁華街に行けばいいけれど、用事が済んだらすぐに帰ったほうが、疲れがたまりにくくてよいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

今51歳で中高(80年代中頃から90年代まで)と渋谷を乗り換えで毎日通っていました。あの頃はアメカジやチーマーなど一般的には若者の街でしたが、同時に東急本店や東横店、文化会館やプラザなど大人の街でもありました。本屋や生地屋、明治通り側はお洒落な古着屋など、そして宮下公園にはホームレスの方が多くいましたがうまく共存していました。スペイン坂やパルコの辺りに関しても座る所は当時もあまり無かったですが、今ほど気にならなかったのは、個人店も多く街がもっとガチャガチャしていて発見があり楽しかったからかも。綺麗になりすぎた再開発エリアは無機質な場所をやたら歩かされるので、疲れ度合いが違うような気がします。 

 

=+=+=+=+= 

これだけ街の様子がどんどん変わると、弱視の視覚障がい者には辛いですし、年を取ると休憩出来る場所がないので困った街ですね。 

ベンチは、駅のホーム、バス停、公園から消えて行きました。 

公園や街角のベンチは、ずいぶん前からホームレスが寝ないように仕切りをつけたり、座りにくくしたりで、最近は酒を飲んでたむろする場所にならないよう撤去されて。 

年寄りは、疲れても座る場所ごないので、買い物を入れて押して歩くシルバーカートがないと外出はハードルが高くなる街。 

 

=+=+=+=+= 

東京には行かないから知らないけど、京都駅もそんな感じです。 

 

空き時間があってちょっとお茶でもしたいけどその場所を確保するのが困難で、定期券を持ってるのをいい事に無意味に電車に乗って往復して時間をやり過ごそうかとすら思います。 

 

=+=+=+=+= 

座る場所が無い問題ですが、自分なりの解決策としては「極力繁華街には行かない」「長居しない」ですね。都内在住ですが、渋谷なんて何年も行ってません。今月偶然渋谷に行く用事が出来ましたが、要件を済ませたらどこにも寄り道などせず一刻も早く立ち去るつもりです。都内でも、繁華街に行かずとも探せばお金をかけずにゆっくり座ったり楽しんだりできる公園など色々ありますよ。 

 

=+=+=+=+= 

昔は昔で日がな一日ベンチに寝転がる人がいたり、複数人のグループが長時間占拠したり、スケボーの障害物として利用されたりで「座れない街」だったんだけどね。 

 

一部の特定の人達に意地悪と称される改良型ベンチにより、ベンチの目的を本来の目的である小休止に特化する事で、むしろ回転率が上がってるのではないだろうか? 

 

都市構造の変化でファストファッションやサブカルの街が、利便性の劣る地価の安い地域に移転していくのは当然の流れであり喜ぶべき事。 

 

=+=+=+=+= 

車で移動するのが基本のアメリカなどでは街中で座るなどという発想はないかも。 

しかしながら、セントラル・パークなど都市内にある公園にはベンチが非常に多い。 

そしてそこにはホームレスなどはあまり見かけない。多分、警察による取り締まりがしっかりとしているのだろう。 

ロンドンやパリでも、公園内でもない限り、無料で座るところを探すのは難しいのではないか?公園や広場の芝生に座る光景も見かける。 

ローマやヘルシンキみたいに広場に階段などがあれば、少し休む事はできる。 

またどこの先進国も、日本ほど安いカフェはない。帝国ホテル並とは言わないが、コーヒー一杯1000円くらいはする。インバウンドで混み合うのは、そういった理由もあろう。 

それをどう考えるか。 

私は日本の公園などにあるベンチが少なく、キレイではない所が気になる。 

 

 

=+=+=+=+= 

渋谷については、ファストフード店やカフェなどが減ったとは思えない。昔から同じところに相変わらずある。たんにカフェなどを利用する人が尋常じゃなく増えた気がする。 

昔に比べて、路線の延長がものすごく長くなったのでどうしても渋谷などのキーとなる場所で人に会ってお茶をすることが多くなったと思うし、 

昔に比べて、なぜか自宅に人を呼び入れることが圧倒的に減ったように思うし、 

昔に比べて、安い金額で長い時間のお茶をするようになった気がする。 

自宅が狭いとか遠いとかお金がないとか、そういうことがあいまってる気がする。 

 

=+=+=+=+= 

渋谷は昔から休憩する場所は少なかった。かつてはファッションビルはあるけど、ビル内のレストラン街的なやつは少ないしファストフードは何だか小汚かった。お洒落なカフェは原宿方面で、本当にお茶するのに苦労した記憶があります。今は駅回りを開発してビル内の飲食店が増えたので、昔よりは楽になったなと思ってます 

 

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地元の商業施設には椅子が増えましたよ。デパートも。昔は座るなら金払わないと店員がとんできましたよ。子供の頃友人とスーパーに行った時、友人の靴ひもがほどけていたので、たまたま近くのフードコートの椅子に腰かけて紐をむすび直していたら、食べないなら座らないでと中にいた店員が飛んできた。ガラガラのフードコートなのに、お金払ってないから仕方ないかと、すいませんと謝って即座に移動したけど、家に帰ってから親にそのことを話したら、「当たり前でしょう、お金も払っていないんだから。」と一蹴されました。 

でもその感覚で育つとちょっとだからとフードコートの椅子には腰はかけなくなり、フードコートの店で買ったときにしか座らないのは至極当たり前のことになりましたが、、 

 

=+=+=+=+= 

ちょっと駅から歩けば、空いているお店はあります。 

もう1本入ったところとか、もう数分歩いたところを探していただけるとよいかと。 

東急は、新規ビルへの集客を狙っているのだと思いますが、そこに不満を感じる人々が外へ広がって行く、という動きは、街全体の発展を考えるとよいことだと思います。 

駅周辺に人が集中するのは、望ましい形ではないし、リッチな人々だけでなく、幅広い人々が楽しめる様に、渋谷が最適化されていくといいですね。 

東急にしかできないこともあるでしょうが、東急にはできないこともあるでしょうから、街の自発的な発展を期待します。 

 

=+=+=+=+= 

こんなの日本に限らずニューヨークとかホームレスがいる大都市では必ずやっていること。住人や自治体が困っているからやっているんですよ。 

勝手によその町に来てこの街は座る場所がないとかベンチがくつろげないとか事情も知らず書かないで欲しい。まるで他人事の記事。 

自分の家の前にホームレスが住み着いたら嫌でしょう。自分に子供がいて家の近くの公園に屋根付きベンチがあってホームレスが占拠して暮らしてたら棲みつかないようになんらかの対策をするでしょう。いじわるベンチとかいう言葉を使う人は総じて被害の実態を知らない他人事と考える人達です。 

 

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渋谷のカフェやレストランで打ち合わせをしたいと思うと、飲食代のほかに個室だと使用料を取られたり、ホテルのカフェの場合、アフタヌーンティーセットを注文しなくては席の予約ができないなど、制約が多い印象がある。 

商業スペースとオフィスが一緒に入ったビルができてもいいけど、緑のスペースやイスはあった方がいいなと思う。子供を連れて入らない店もあるだろうし、外国人は地べたに座っているけど、それはそれで街の風紀を乱すと感じている。 

 

=+=+=+=+= 

最近では銀座、新橋、有楽町あたりも第二の渋谷のようになりつつある気がする。老舗百貨店や無印、ユニクロなどの大型店舗の試着用のイスやベンチは訪日客の休憩所と化し近隣でテイクアウトしたワンハンドフードやコンビニ飯を食べ出す客も多くもはやフードコート状態。休日サクッと買い物してカフェで休憩したいだけの自分からするとただただ残念で仕方ない。 

 

=+=+=+=+= 

極力座らせないように街づくりをしていて、人を動かすように作られている。 

 

 

溜まったりするから流してやらないと人が滞留してしまう。 

 

ハロウィンなどでも、一時カオス状態になったけどもそれを改善する警察の役割としてはとにかく人をまわすこと。 

 

とめないこと。 

 

 

そうしていくことで、人が流れるようになり見事に人も減っていく。 

 

そうやって人を流して留まらないようにしているのだ。 

 

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以前は商業ビルのトイレのそばに行けばベンチがあったが、それもなくなってしまった。自分はよく行くエリアのベンチはある程度把握しているが、たいていは先客がいます。ただ座って少し休みたいだけなのに、東京はただただ疲れるだけの街になりましたね。 

 

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若ければそれでも頑張れたんだけど、中年になったら都市の座れなさもあって本当に疲れるように…自然と誰かと会うという用事がなければ行かなくなってしまった。コロナでそれが加速…近所のショッピングモールに結構色々あるし、そこになければネットショップあるしで益々遠のいている。 

 

 

=+=+=+=+= 

無尽蔵に高層ビルを増やしていたら当然です。 

 

それ以前から、小さなビルが狭い土地に、なんの規制もなくびっしり建ち並んでいる。 

せめて計画的に公園等を整備しておけば、その周辺の人の流れは少なくなるので、地価の上昇を抑えられる。 

 

そしてそもそも駅の数が多過ぎる。 

駅を作れば地価が高まるからと言って、ありとあらゆる隙間に駅を作りすぎた結果、23区内ほぼ全てが一等地に。 

少し中心部を離れれば閑散としている、そんな場所がほとんどない。 

 

これだけ集中して人が集まり過ぎればベンチ等作っても絶えず人が利用して管理できない、間違った使い方を警察で注意等しようにもしきれない。 

 

疲れる街なのは、土地を転がす人(関係する政治家も含む)が儲けるために何の都市計画もなく無尽蔵に開発し続けた結果です。 

今の再開発も全く同じ。トップが大儲けするため。 

 

その景観無視の異様な街の様子が、外国人にウケている。 

 

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お店で提供してる外ベンチはお休み何処ではない。順番待ちの椅子が空いていても憚れる。東京はカフェの文化が乏しいし、どこも何もかも高いが、海外に比べると日本は激安。わざわざそんな高いところ、高いモノを求めずに楽しむ事や方法を見つけて過ごすのが得策である! 高い所高い物は払える人にじゃんじゃん払ってもらえば良い。 

 

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昔から、いわゆるベンチに(長時間)座るという習慣がないし、カフェを利用することもほとんどないので、「座る=食事やお酒を飲む、もしくは映画鑑賞や観劇をする=金が要る」という図式は今も昔も変わらないし、困らない。 

 

それより、今の時代、防犯上貢献するような街づくり、再開発も必須だと思うので、都市部の変貌もあまり問題とは思っていない。 

 

自分が住んでいる街は少し郊外なので、公園やそれに伴うベンチ(浮浪者対策は講じられているが)は健在で、たむろする若者もいないので普段は問題なく休もうとすれば休める。 

 

今現在でも繁華街はインバウンドが押しかけてきているから、「長居されない工夫」は必要不可欠だと思う。日本人は防犯の意識が薄いが、防犯の観点からは多少の不便さは我慢して「座るにも金が要る街」も是認する必要があると思う。 

 

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都内、関東圏の大きな街をよく回りますが、どこも同じように新しいビルが出来て高い飲食店がテナントで入り、似たような空気感がただよっていて、街は綺麗だけど、人間の存在を中心として考えていない街ばかりになり味気なくなりました。人間の心もこれに伴い殺伐としていく事に危惧しています。 

 

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根本は街呑み防止&浮浪者避けでは? 混んでいて座れないのは今に始まった事ではありませんし、街中で飲食をするために座れないと言うのもおかしな話 

喫茶店自体が激減しており、なのにテイクアウト出来る飲食は増えている 

さらにデパートが潰れて屋上や中層階の休息スペースが無くなった 

最近はキッチンカーも増えており、これもまた席は設けていない 

喫煙が減り、ちょっと一服スペースが減ったからと言うのも有る 

昭和の時代は、席を設けないと商売にならなかった 

街中に座るスペースも無いし民衆の中で飲食はある意味みっともないと”行儀”を教わったものです 食べ歩きなんて日本人はあまりしていなかった 

つまり座るにも金が要る街では無く、対価を払って座って飲食するものかと 

 

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単純に、そのエリアで外国人を含む回遊人口が増えたせいだと思う。そして、昼下がりに安く座れる場所として所謂「カフェ」に人が殺到して長居するから、フルーツバスケット状態になる。 

 

現に、午前中ならスタバは割と空いてるし、午後でも、価格帯が少し高い喫茶(ルノワールとか)はまだしも混雑が穏やか。あと、ケンタッキーやモスバーガーもランチ終われば空いてるから、その辺りでコーヒーだけ飲むという手もある。 

 

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渋谷周辺とか歩くと無機質な商業ビルばかり乱立して、文化的ではなくなってきてると感じますね。人混みは昔からあるけど、その街らしさってのが消えていき、街を歩く楽しみってのがなくなってきてる気がします。東京って駅ごとにカラーがあって街歩きが楽しい都市だったと思うけど再開発によってそれを潰しにきてる。あと何年かするとどの街も高層ビルばかりでなんの個性もなくなってより画一的になると思う。デベロッパーの金儲けの成れの果てでしょう。 

 

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要は、「渋谷、新宿などの超盛り場はただですら人が多い」「以前に比べて長居する客が増えた」と言う訳で、難しい話はさて置いて、そりゃそうなるよねと言うことだよ。同じ都心でも少し場所を変えたり時間帯をずらせば、まだまだ座れると思うけどな?最後に少し言いたいのは、これからの時期に出没し始める「受験生」達。テーブルの上に赤本をいくつも積んで、何時間も居続ける。しかしながら、その時間の半分くらいは、一緒に来ている友達とのおしゃべりタイム。あの人達が「座れない人達」を産み出す要因に一役かっているのは間違いないが(時間制限や受験勉強禁止を設けている所もあるが)、ここ数年増え続けているカフェの倒産(過去最多)にも大きく貢献している事も間違いないだろう。もう今は「超盛り場」で用事を済ませたら早く家に帰り、おうちカフェでまったりするのが良い時代なのかも知れない。 

 

=+=+=+=+= 

その辺にベンチがないのは渋谷だけではないけどな。カフェがいっぱいなのもどこの街でも起きている現象と感じる。 

 

カフェが長居する場所になったよね。 

買い物で疲れてカフェでホッとしてまた買い物に行く…という感じで利用していたのが、今は飲み物がなくなってもおしゃべりしてる人が多い。以前は「待ってる人いるからそろそろ出よっか」というのがよく見られたけど、そういう相手への気遣いも減った気がする。 

お金をあまり使いたくない(使えない)のも要因かな。 

 

個人的には仕事の人のカフェ利用をやめてほしい。コワーキングスペースに行ってほしい。 

カフェで長居しておしゃべりするのは分からなくないけど、仕事は違うだろと思う。 

まともな会社ならオープンスペースでの業務は禁止なはずだし。 

いずれにしても回転率が悪くなったと思う。 

 

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昔から東京は金がなければ何もできない街だと感じていたよ。 

空気を吸うくらいしかタダではできない。 

まあその空気も汚いんだけどね。 

進諸国ではそれでも街を囲むように公園がありますからあまりお金をかけなくても休憩できるところは結構あります。 

歩いて回るよう作られた街に休めるエリアが無いならネットで買い物したほうが楽だよね。買い物が荷物になるのも嫌だし街には雰囲気を味わったり試着、現物を見に行く程度にして買い物自体はネットで購入するようにしてます。 

そっちのほうが楽だしね… 

 

 

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住宅街にある公園のベンチにも変化ある。 

背もたれが無いのは、以前からあったけど。 

最近は、個割りの肘掛けがあるもの。 

どうもベンチに寝て独占するのを防ぐ意図 

があるようですね。 

 

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実は2000年代以降には急激に「デパートや家電量販店」で座る場所が激増した。なぜか?その時代に「人口がドでかい団塊世代」が定年になったが裕福な世代ゆえに顧客として取り込むため「休憩場所」があると来店してくれるという事情だった。さて団塊世代は後期高齢者になり、もはや都心まで出かけることは殆ど無くなった。「超高齢化」といいながら今の都心に団塊世代はまず見かけないのは皮肉。逆に言うと街中は「現役世代ばかり」だから座る場所を優先して設置するメリットが無くなってきているのだろう。 

また別視点で言うとカフェはどこも混んでいるがルノアールのような少し高いカフェには行列は普通ない。つまり人気があるのに値上げしまいから客が混みあうのであって「適正に値上げ」すればいいのだ。カネも使わずに街中を歩くだけの人間にコストをかけて「座る場所」を提供する意味など民間ビジネスには全く無いのだから・・ 

 

=+=+=+=+= 

まあ、みんな人が集まる場所に行かないと寂しくて寂しくて仕方がないウサギさんだからね。 

受け入れ皿より多くの人が集まってるんだから仕方ないし、逆に人が集まらなくなったら「少子化がぁー!」って飲食店や街の過疎化を大きく取り上げられるんだと思うと、座る場所が無いだけなので何も問題ではないと思う。 

 

てか、地べたに座る人が集中してるって別のニュースで騒いでたけど、1部切り取り型の偏光的なニュース問題の方がどうにかして欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

渋谷は家からは2駅で近くですが、めったに行くことはなくなりましたね。無駄にこんでいるし、魅力の無い街になりました。埼玉から来る人には便利になりましたがそれ以外の方にはむしろ不便になりました。商業ビルのテナントも魅力的な店はありません。大学生の頃には毎日のように行ってた渋谷はもう貧乏若者とIT企業の街になりました。こんな再開発は大失敗になりますよね。麻布台ヒルズも閑古鳥が泣いているし、もう少し考えて街作りしないと。 

 

=+=+=+=+= 

東京には行かないから知らないけど、京都駅もそんな感じです。 

 

空き時間があってちょっとお茶でもしたいけどその場所を確保するのが困難で、定期券を持ってるのをいい事に無意味に電車に乗って往復して時間をやり過ごそうかとすら思います。 

 

=+=+=+=+= 

いつも利用した穴場カフェが閉店していた。日曜日に行ったが、確かにカフェは混雑。代々木公園までは歩くし。宮下公園も無くなった。はっきり言って、オーバーツーリズム。二子玉川に行く時は、高島屋が休憩場所。快適なソファ、椅子が並べられ、疲れが取れる。 

 

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防犯の観点からというのは納得かな。 

たむろせる場所があると治安が悪くなりがち。 

 

渋谷にしろ新宿にしろあれだけビルがあるのだから、座ったり食事するだけのフードコートみたいなフロアがあっても良いような気がする。 

座って休めれば良いから管理さえしてくれているならオシャレさも要らないし殺風景で構わない。 

入場料として100円〜300円くらい取れば運用も問題ないだろうし、コンビニや自販機があればボロ儲けだろうし、どこかの企業がやってくれないかな。 

 

=+=+=+=+= 

今欲しいのは、有名観光スポットや穴場スポットではなく、混んでいない観光地の情報です。以前は穴場と言われた観光地は混んでいませんでしたが、そういう場所も混む様になりました。人気がない観光地の情報サイトはあるのでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

何か渋谷の一部分しか見ていないような? 

渋谷川沿いはベンチ沢山あって、昼間は弁当食べる人たち、夜はおしゃべり楽しむ人たちが沢山いますし、新しくできたSakura Stageには座りやすいベンチあって夕方の結構混んでいる時間帯でも座れました。 

 

渋谷自体を、人が常に動くエリアと、どちらかと言えばゆっくり過ごすエリアに分けているのでは? 

 

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副都心線が開通して渋谷には行きやすくなったのに、今では通過するだけになりました。 

昔は金子功のブランドショップがあって、お食事もできたり、スペイン語の専門書店があったり、渋谷じゃなきゃと思ったものですが、今は渋谷じゃなくてもいい感じです。 

 

 

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昨日、今日始まった話じゃない。20年前に初めて東京に来た時も、同じだった。 

その時から、生活は身の丈に合わせるのが一番と悟った。要は、徒歩圏内ぐらいに収まれば一番である。銀座にせよ新宿にせよ、徒歩圏内に住めるのなら遊びに行けばいい。それら繁華街の中で仕事があるなら、寄り道すればいい。郊外にしか住めない人がわざわざ着飾ってまで、行かなくていい。 

 

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商業施設にベンチを大量に設置し出したのは平成中期以降じゃない? 

昭和の頃は商業施設のベンチは少しだけだし、街中にベンチは無かった。 

休憩したかったら喫茶店に入るのが普通だったよ。 

ヴィーナスフォートにベンチが大量にあって驚いたなぁ。 

人間ラクな環境に慣れると、元に戻れなくなるもんなんだね。 

 

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元々東京都心部って無料で座れる場所少なかったが。例えば百貨店や本屋に椅子置いてなかったし。 

人が多すぎて場所が確保できない、買い物や通勤客もしょうがないよねで受け入れてしまった事情があったと思うのだが。 

 

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趣味のグッズのショップが渋谷、職場が都内にあるので仕方なく出かけるが、地元にショップができれば・職場があれば、都内には行かず済ませたいと常々思っている。都内は魅力もあるけど疲れてしまう。 

 

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渋谷は起伏が激しく、歩いていると結構疲れます。 

 

これから高齢者がどんどん増えていくので、休憩できる場所がないと、ますます渋谷に行く人は減っていくと思います。 

 

若い人はどんどん少なくなっていくし、インバウンド客だって、いつまで日本に来てくれるか、、? 

 

ホームレスがベンチを占領しないような工夫を考えればいいと思います。 

 

渋谷に限らず、高齢化対策と経済対策を両立させるには、高齢者が気軽に繁華街や商店街に出向ける街作りが必要です。 

 

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渋谷は元から座りづらい街だった。1990年代、渋谷には座る場所がないどころか喫茶店も少なかった。ジベタリアンがいたと言うけれど地面には座れないし、宮下公園はホームレスがいて居心地は悪かった。 

新宿地下広場が通路に名前を変えられて以来、もしくは80年代の原宿ホコ天の廃止以来、広場の敗北は続いている。制度の問題もあるけれど、ユーザーのリテラシーも問題だから、ジベタリアンやトー横キッズを登場させるのはミスリードだろう。それは都市の寛容性についての議論で、「座る」ことの評価とは違う。 

問題はジェントリフィケーションではなく、都市再生にはジェントリフィケーション的な方法しか取れないという認識の中で、公共空間の社会的な意義を認める議論が少ないことだと思う。新宿地下広場、戦災復興の歌舞伎町も基本は民間開発なのだから、それらの開発のなかで「座ること」がどう評価されてきたかという視点が必要ではないだろうか。 

 

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対して大阪は大阪駅前の一等地に緑の広場を作ったね。ニューヨークを魅力的な街にしてるのも明らかにセントラパーク。渋谷や新宿はただのゴミゴミした街で魅力ないな。 

とにかく人が多すぎだわ。二十年前住んでたけど時々行くと息苦しくなるほど人が多いと感じる。大して価値のないものでも並んだ上に高い値段払わないと得られない。そろそろ限界だと思うけど、東京の人は認めようとしないから、このまま破滅まで突き進むんだろうね。 

 

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渋谷は暗渠の街なのでもともとひらけた場所が少なく渋谷駅は宇田川の谷底にある 

街は不自然な拡がりを見せており落ち着かない印象があります 

東京駅であれば皇居を中心にひらけており緑や公園が多く寛ぐ場所はたくさんある 

都心で寛ぐなら皇居周辺をオススメします 

ただし店に入ると渋谷以上に高いので注意 

 

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このライターの観測範囲がわからない。 

渋谷も新宿も昔から「座れる街」などではなかった。90年代のジベタリアンについての言及はあるが、あれはその時代だけの稀有な例であり、まして一般の人々が地べたに座っていた訳ではない。 

いずれも駅前に広がる商店街から無秩序に拡大していった街なので、そこには広場を設置するなどの公共性は鑑みられず、物を買う、何かを食べる、それが目的の街が本来の渋谷や新宿である。 

従って現在、休める場所がない、と言われているのは単に来訪者数の上昇と、喫茶店等の休憩施設の減少が主な原因である。渋谷新宿共に昭和50年代以前は遥かに喫茶店、それも個人営業の路面店が多かった。その意味では再開発による影響という部分は多少整合するかもしれないが。 

 

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座るところ減った。座らせないで、人を流そうとしているが、疲れて歩く速度が遅くなるだけ。 

高齢化社会で、お年寄りまで座るところがなくなっている。 

人が多いなら、災害の時に逃げる場所がない。車がただ通過するだけの道路を、迂回路へ誘導して減らし、歩道をさらに倍以上広げないと対応できない。昼間の時間帯に大地震が起こると、ただパニックになるだけ。 

 

 

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仮に、今の渋谷に普通のベンチを設置したとしても、今度はそこに長時間屯する集団が生まれるだけ。 銀座のホコテンや自由が丘の緑道なんかを見ても、休日のベンチは終日占有されっぱなしで空いてるの見たこと無い。 

街がどうこうよりも、集まる人間の意識が改まらない限りは、結局のところ通行人が休めるような場所にはならないと思うけどね。 

 

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駐車場しかりカフェしかりですが、東京、都心にはやっぱりお金を稼ぎたい人が集まりがちだと思います。 

どうやったらお金を稼げるかと日々考えている人達が多く居るので 

様々なものにお金がかかる街になるのではないでしょうか。 

 

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そもそも最近の喫茶店の椅子も長居が出来ない様な椅子を置いて居る店もあるくらいなので日本人は座られるのを嫌う。その為座って落ち着く昭和の喫茶店が人気なのも頷ける話だと思う。 

 

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いや、旧宮下公園が代表的ですけどそもそもアレ一般的な人が全然利用できない、いわば公園の形をした排除アートだったわけでしょう。 

今のミヤシタパークの屋上なんかは子供が寝そべったり座ったりだいぶマシになりましたよ。 

昔の渋谷そのものが普通の人には入り辛い排除アートじみた都市だったんだと思いますよ。 

その頃から比べると使い易い街になりました。 

 

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カフェが混みすぎって、スタバとか特定のカフェだけだろ、探せば静かなところは結構ある。 

あと、再開発で座れるところがなくなった?公開緑地で増えてると思うけど、渋谷は窪地で公開緑地大きく取れないから少なく感じるかも知れないが、他の再開発された街は多いよ、東京として考えるなら丸の内なんて空いてて綺麗で訪日客も少ないカフェや公開緑地も多い、当然皇居など観光地もあるし高級ホテルもあるし、ビルテナントは高級ブランドってのも多いが、普通に入れる。 

逆に地方のほうが公開緑地みたいのがないから座る場所なんてないよ、訪日客いるいない別で、もともと少ないし。観光地に申し訳程度のベンチはあるけど。 

 

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かつては水と空気は無料だったけど、現在有料化しつつありますね。 

 

資本主義だとなんでも価値化、値段をつけるそれが進行しているだけという気がします。 

 

ジェントリフィケーションというより、資本主義化とか価値化といった方が本質的じゃないですか? 

 

要は何でも金になるものにする。無料なんて渋谷みたいな価値の高い場所に相応しくない。儲かるのに何してんの、みたいな発想じゃないかな。 

 

石原都政の「浄化作戦」も資本主義化の流れ、防犯意識の高まりも確かにサリン事件影響は大きいけど、資本主義化の流れに飲まれているかんじがしますね。 

 

そこで分断ですね。資本主義、新自由主義の流れにのったジェントリ層と非ジェントリ層。これは新自由主義の国のどこでも進んでいるでしょう。 

 

新自由主義が本質的問題なのに他民族排斥にすり替わっている所が恐ろしい。確かに他民族にも問題はあるけど、本質は新自由主義だと思うんですけどね。 

 

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ジェントリフィケーションについては渋谷より 

下町、特に江東区を述べるのが適切だね 

ジェントリフィケーションとは都心部に近い低所得者(庶民)の街に 

新興の富裕層が来て街の物価や民度が上がり低所得者層が居づらくなる事だからね、まー、街の再開発よ、豊洲付近なんかジェントリフィケーションが凄いよ 

豊洲近隣は30年前なんか空き地か大規模工場だったからね 

江東区の北部の商店街なんか、ここ30年で結構客減ったからね 

大手モールに客が流れて 

 

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元々デパートか駅か公園くらいしかベンチがありませんでした。増えていた時期もありますがテロ対策で公共空間からは撤去が進み、常時管理されたイスが残った結果店にしかない状況になっています。 

 

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特に悪いこととか問題とか感じません。 

そういう街があっても良いし、合わないなら行かなければ良い。 

カフェに閑古鳥が鳴いているとか、スラム化して人が寝転んでいたり、街の治安が悪いよりもよほど良いと思います。 

 

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東京行って思ったんですが、あんなに高層ビル多かったら高層階で行き来できるように高層でビルとビル繋ぎまくればいいのにて思ったんですよね、こっちのビルからあっちのビルまで行くのにわざわざ一番下か2階まで降りてまたあっちで上まで上がってっていう・・・上の方で街が作れますよ、災害の時も火災の時隣のビルに避難できるしね。 

 

 

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こないだ用事があって渋谷に行った時、トイレに入りたくて商業施設に入ったんだけど、店舗スタッフに暗証番号を聞いて開錠しないと使えない仕様になってたので諦めて出ました 

カフェなども人が多すぎてどこも入れないし、軽く休む場所もないし、トイレも使えないのはかなり厳しい 

 

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カンナム行って感動したこと、カフェが驚くほどある、というか、こんなにカフェいる?ってくらいカフェだらけ。色んなスタイルのカフェがあって、リゾート地に来たかのようなカフェ、ファーストフード店のようなカジュアルなカフェなど、店舗内が広くて開放的、個々の席もゆったりしてる。量が多くて納得価格、味も美味しい。日本は、狭い、高い、少ない、美味しくない残念な気持ちになるカフェばかりで 入る気にならない。スタバも韓国と日本はメニューもスタイルも違う。こんなカフェ、日本でつくったら流行るだろうなってカフェが多かった。日本のカフェ、韓国を見習って改善して欲しい。 

 

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ベンチもそうなんだけど傘畳むところがないのもイラつく。ここでたたんで下さい、という場所に屋根が無いんだよ。屋根に見えても藤棚のようになっていて雨は降ってくるという酷い嫌がらせもある。これもホームレス対策が関連してると思う。 

 

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近所なので仕事帰りにデパ地下で総菜買って帰ることが多いですが、あちこちにピカピカの商業施設できて、渋谷が変わっていくのを実感します。 

ここ数年でも大きく変わったけど、個人的には銀座線が一番の変化かな 

 

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コロナ禍で街からベンチとゴミ箱と 

水飲み器が消えたが、 

今は復活しているのだろうか? 

 

先日、家族が服の背中に加齢臭がつくので 

何だろう?と思っていたら、 

原因は電車の座席だったようだ。 

 

インバウンドで世界中の外国人が 

日本にやってくるようになってからの、 

現象のような気がします。 

 

加齢臭は高齢者のみならず、 

肉食付きや風呂嫌いの若い人でも放ちます。 

 

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都内の話では無いけれど、以前住んでいた所の最寄り駅に駅ビルがあって飲食店やショップや地下にスーパーが入っていた。 

地下レストラン街にいくつかの椅子と丸机が置いてあって、スーパー等で買った食べ物をそこで食べている人がいて、食べ終わたらすぐにどこかに行った。 

でも主に老人組がそこに何時間も居座って、ずっと他の老人とお喋りをしていた。 

ちなみにその目の前にはカフェがあるのに老人の客はほぼいなく、座れなかった子連れの主婦などがいた。 

 

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後編も読んだけど、(例によって)「若者は賃金水準が低く、昔より貧しくなった」論が展開されてた。氷河期世代の自分はずっと、この主張に違和感があった。「人手不足でちやほやされ、時給が千円を超え、今の若者は豊かだし恵まれてる」と。 

でもこの記事で違和感の理由を納得できた。「今の若者は昔より『平均的に、全員が』豊かになったから、かえって周囲との格差を強く意識するようになった」のだろうと。 

 

昔はデフレで経済が悪かったので、若者は二極化してた。自分は負け組だった。 

でもデフレの苦しみは、失業者という一部の人だけに押し付けられる。5%の失業者は収入がゼロだけど、95%の人は高給で生活を楽しんでた。 

そういう社会では、敗者はそもそも人生を諦めてる。だから社会へ不満を訴えることも無い。誰も助けてなどくれないから。 

だから当時は「貧しい若者」は単に、無視されてたので問題だとすら認識してもらえなかった、だけ。 

 

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カフェってテーブルいるのかな? 

映画館の椅子みたいに、ドリンクホルダーついていれば、テーブル無くともOKでは? 

そうすれば、多人数入れれるし、客の回転も良くなるかもよ。 

(高いカフェとか、フードをメインにしたカフェはテーブルありで良い) 

 

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50代で、渋谷新宿に散々行きましたが昔から気軽に座れる場所は少なかったですよ。公園のベンチはホームレスがいたし。喫茶店はお高いし。ジベタリアンなんて言葉が出来るくらい若者はタダで座れる道にいたと思います。 

昔より飲食にお金をかける人が増えたので、混んでるんじゃ無いですかね。スタバなドリンクを写真で公開するなんて文化なかったですしね。あと訪日客の増加。 

 

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日本人の意識の変化 

単なるバイアス、変化などしていないけどみんなの意識が変わっていると言われると、みんなと言われるとそうなんだーと思い周りに同調しちゃう力が働いてしまう。原発廃止した時なんかが良い例、野田が民意でも無いのに『民意ならやりますよー』ってバイアスかけられるとみんながそう思ってると思い込まされる、インタビュー受けた飲食店男性は電気代が上がるから困ると言いながら流れがそうだから仕方ないと自分の意思を曲げてしまう。 

 

 

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行き先の滞在時間が短くなる。 

椅子がなく混み合い、疲れて帰宅したくなるから街での滞在時間が短くなる。トイレやゴミ箱もなく街の利用環境が悪化しています。 家庭ゴミを棄てる訳ではなく飲み者や食べ物の箱などは飲料メーカーの箱に入れる。  

道徳が悪いとなか矛先がかわる。 

 

座る場所まったくないのは東京だけではない全国の街がそう感じる。 

美術館や遊園地、駅などなど疲れる。 

 

意地悪な日本の環境整備。 

 

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ベンチを無くしても、結局都内は人の家やお店の前で座り込んで飲食する外国人で溢れている。しっかりごみも捨てていくし。 

外国人観光客等の事だけを考えても日本人は不幸になるし。まちづくりは成功しているとは思えない。 

 

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渋谷は好きな街だったけど、行くと本当に休める場所がない。カフェはどこも行列で、ちょっと奥まった場所にある地味なベローチェが運良ければ座れるくらい。意地悪ベンチさえも数少なく、足が遠のきました。 

訪日客が多いというより、都市計画の下手さだと思う。 

 

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いいんじゃない? 

ディズニーランド行って座るところがないなんて言ってる人は少数派で、それはエンタメとして入場していてこうなる事は分かってるし、見る所もいっぱいあるからですよね。園内カフェが高くてもそれを分かって来てる訳だから文句もでない。 

 

東京は同じで金もかかるがハイスペックな街にしたらいい。ただハイスペというのをハイブランドの店が並ぶだけの街だと考えてると魅力は無くなるでしょうけどね。 

 

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座りやすいベンチは居座りやすいベンチでもある。 

ついでに言えば寝やすい。 

無料で居座り寝泊まりする連中が公園を占領し、立ち退きすら拒否したケースは珍しくもない。 

これでは設置する側も考えるだろうよ。ライターは批判の方向性がおかしい。 

 

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衛生観念も影響してるかな。 

昔は気にしなかったが、ベンチの上に土足で上がって遊ぶ子供を見るとウーンとなってしまう。 

そう言うところに腰掛けたいと思わない。 

利用しない、されないベンチは不要と判断されるスパイラル。 

 

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センター街に夕方行くと、観光で疲れ切ったかと思われる外国人がちょっとした段差に所狭しと座ってますね。 

それもあってか昔の渋谷にあった可愛げさが減って、ただガサツな繁華街になりつつあるのかなと感じてます。 

 

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渋谷は確かに昔から足を止めて留まる場所があまりなかった 

 

それでもbunkamuraやデパートの屋上など喧騒から離れてほっとできる場所を探して休憩したりできたけど、そういう穴場みたいな場所が無くなった 

 

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たまに上京すると切実に感じる。 

 かと言って気軽に座れる場所があると、延々と座って場所を独占してしまうやうな人もで出てきそうで、それはそれで治安がよくなさそうだし。 

 日本中から人が集まってしまった都市だから、便利さや高収入と引き換えに不便さも享受しないといけない。 

 

=+=+=+=+= 

東京は近年再開発ばかりで、何処行っても金太郎飴みたいな街。 

 

高層ビルが数本建ち、上階はオフィスかマンション、下階はお情け程度にチェーン店かお高い店、お情け程度に公共施設、公開空地、歩行者主体の広い道路作っておしまい。ベンチもろくに無くて、今までの住民は住みにくくなって、観光客や地方から来た人ばかり喜ぶ造りになっている。 

 

一昔前(2000年より前)までは、一概に街と言っても色んな顔があった。 

今でも赤羽や蒲田、中野、高円寺、武蔵小山などは割と個性が残っているけど、何処も再開発の足音がして個性が無くなりつつありますね。 

新宿や渋谷、池袋、東京駅周辺も以前は全て「別の街」だったけど、近年はどこも東京駅みたいな高層ビルやお高い店と言った感じで、面白みが無くなった。 

 

 

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昔から東京は座るところが少なかったですけどね。 

あってもホームレスやガラの悪い輩が占拠。 

 

そのころに比べると今はホームレスも見かけないし、街並みが綺麗になっただけ良いと思う。 

 

海外の都会も似たようなものでは? 

向こうだと地べたに座るのが当たりまえだったりするので多少事情が違うけど。 

 

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地方都市繁華街ってそんなに気軽に座るところありますかね? 

あまり見かけない。 

宇都宮は、カフェはどうかしらないが餃子のお店がたくさん!気軽に入って餃子を食べながら休憩できる。めっちゃおいしい。 

 

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渋谷の混雑地区にたむろする人間って、観光客や渋谷郊外から来た人が多いですよね。その土地に住民税を払っているわけでもないのにベンチを置け、公園を作れと要求するのはお門違いだと思う。 

 

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確かに渋谷駅や新宿駅周辺でベンチなんて置く場所ないし、防犯的にもおかないでしょう。 

けど少し離れればないわけじゃないし、それこそサービスでベンチが設置されているわけで… 

 

公園ならベンチはありますし。 

 

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江戸時代から東京には人が集まりすぎましたね。たまに行く東京は、無限のビジネスやカルチャーを内包して、私などには「もはやタバコを燻らせてコーヒーを頂きながら思いを巡らせる」ようなこともムリな、息の詰まる街という印象です。 

 

私は地方在住ですが、最近は、隣街のターミナル行くと桁外れにあらゆるタイプの人が都市部に押し寄せて来て、何ともいえない「あの救いようのない東京のニオイ」がし始めました。 

 

一方、電車で10分の最寄り駅前にはデパートも有名生活雑貨店もあり、サ店はだいたい座れる。土地柄飲食店もハズレはないし、東京でお馴染みの店の本店もあったり、ゆっくり緑の多い街を散策できます。 

 

東京在住の皆さんの郷里の方が、歴史もあり、たぶん一本筋の通った分かりやすい人や文化、時間、空間があります。 

人が戻れば営みにも火が灯る。 

絵の具を混ぜるように真っ黒に汚れる前に、郷里に帰って来られることを祈ります。 

 

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友達と会う時は、ご飯屋は予約必須で出来るけど、お茶屋が入られない。 

 

渋谷なんて、もう何年も前から私のお出かけエリアから除外している。 

 

東京駅近辺のオフィス街狙いをしたり、銀座から少し離れた新橋近くにするとか、インバウンドだけで、こんなに町中人だらけになるのだろうか。 

そう言えば3連休は中野も人だらけで驚いた。 

 

自宅に人を呼び、お茶するしかないのかな。 

 

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街中にくつろぎの場所を求めるから苦しいのであって、少し離れれば都内にも公園や広場はいくらでもある。もう少し取材して、お金があってもなくても楽しめる方法をマスメディアは提供した方が良いと思う。 

 

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そもそもビル街や歓楽街はどこもベンチが少ない。それは街中でちょっと休憩というコンセプト自体があまり無いし利用者にも需要が無いから。 

休日に押し寄せる利用者の為にベンチを作るとか不経済。子供や年寄りや家族連れの多い近くの代々木公園とかは座れる場所が沢山ある。何故駅前で座ろうとするのかね? 

 

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渋谷は人が多く、さらにマナーが悪い人が比較的多い。都内でも特に疲れる街ですね。 

ヒカリエはベンチ多くてトイレも綺麗で青山方面に行く際やイベント時などたまに行きますが…。 

 

マメヒコとか安らげるお店もなくなりましたし、どんどん足が遠のく。 

 

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子供が修学旅行の自由行動で渋谷に行くと言ってたので、行く所無かったら宮下パーク行けば?と言ってたら、本当に行く所なくて(分からなくて)宮下パークに行ったらしいw 

なんとかビルの展望台は予約制で入れなかったらしい。昼は原宿で食べ歩きだったそう。別の班の子は泣いてる子もいたらしい。確かにもめそうだな。 

 

 

 
 

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