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「同志社蹴って地元で進学」彼が下した決断の背景。60年の人生に大きな影響を与えた1浪の浪人生活

東洋経済オンライン 11/10(日) 5:32 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/cae8d66e7c2df98c8c7fdd4229e739ee5d7586c8

 

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20年前と比べて、浪人を選ぶ人が減少している中、浪人経験者にインタビューを行い、浪人時代がどのように人を変え、経験者にどんな影響を与えたかを追求しています。

秀明大学教授で童謡メンタルセラピストの山西敏博さんは9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験があり、自身の経験を語っています。

彼は北海道教育大学に進学後、現在は秀明大学で教鞭を執っています。

子供の頃からの夢を追いかけ、浪人を経て大学に進学する経験を通じて多くを学んだと述べています。

(要約)

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※写真はイメージです(写真: OrangeBook / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は1浪で同志社大学商学部と、北海道教育大学教育学部札幌分校(現:札幌校)に合格し、北海道教育大学に進んだ後、現在秀明大学教授、童謡メンタルセラピストとして活動している山西敏博さんにお話を伺いました。 

 

【写真】若かりし頃の山西さんと、現在の山西さん 

 

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■60年の人生に大きく影響する浪人時代 

 

 今回お話を伺った山西敏博さんは秀明大学の教授として、言語社会学や英語教育学、認知心理学を教える傍ら、童謡メンタルセラピストとして、全国の被災地に足を運んでいます。 

 

 そんな山西さんには、浪人の経験がありました。 

 

 目標としていた北海道教育大学札幌分校に合格はしたものの、目指していた小学校教員にはならなかった山西さん。 

 

 当時の夢はかなわなかったものの、現在の考え方の根幹や取り組みには浪人時代の経験が役立っているそうです。 

 

 今年還暦を迎えた、山西さんの60年の人生には、1年の浪人期間がどのように影響しているのでしょうか。 

 

 山西さんは、1964年、北海道札幌市で自動車会社に勤務する父親と電電公社の電話交換手をしていた母親のもとに生まれました。 

 

 小学校2年生のときに稚内、中学校1年生の2学期に栗山町、中学3年生で札幌、というように、父親の転勤に合わせて北海道内を転々とする生活を送ります。 

 

 小学校時代の成績はよかったものの、教育熱心な母親と、仕事熱心な父親に支えられていた部分も大きかったようです。 

 

 「われわれの時代は塾に行くのはずるいという風潮があり、勉強は自分でやるものでした。私は長男で期待されていたこともあり、母親に勉強を教えてもらうこともありましたが、母親は100点をとって当たり前だと考えていたので、80点以下だと『何やってんの!』と怒られました。 

 

 父親は朝6時~夜12時まで働いていたのであまり勉強を教えてもらうことはなかったのですが、『さんずいのつく漢字10個書いてごらん?』というように、自分の頭で考えるように教えてもらっていたので、わからないときは辞書を開く癖がつき、漢字が得意になりました」 

 

 

 両親の教育指導の甲斐もあり、成績もよかった山西さんは、その勢いを維持したまま中学校に入ると100点を連発します。2学期に入って栗山町に転校してからは使用する教科書や授業の進度の違いから、「I am TV.」といった英文を書いてしまい、成績が下降するも、NHKラジオで基礎から英語を学び始めて挽回し、成績表の英語・国語の評価は5段階でずっと5、社会・数学・理科も4でした。 

 

 勉強に力を入れた結果、高校は進学校である北海道札幌開成高等学校(※現:札幌開成中等教育学校)に進学することができました。 

 

■成績はよかったものの、高校入学時は振るわず 

 

 こうして高校に進んだ山西さんでしたが、入ったときの成績は振るわず、1学年450人の中で428番からのスタートでした。 

 

 ただ、熱心に勉強をした甲斐あってどんどん順位を上昇させ、高1の最後のほうにはクラスの中で3/45位まで上昇しました。 

 

 「1年生から硬式テニスをしていたので、練習が終わって、帰ってきてから勉強をしていました。夜の20時から23時まで毎日3時間、少ない日も確実に2時間はやっていたと思います。それもあって、成績は、12位、9位、6位と上がっていき、最後のテストでは3/45位になりました」 

 

 2年生に上がっても勉強時間をより確保し、順位は3位前後をキープ。最終的には学年で23/450番まで順位をあげることができました。 

 

 このころには小学校の先生になるという夢を抱いて、北海道教育大学教育学部札幌分校を第1志望にした山西さん。志望校も射程圏内に入ったかと思われましたが、高校3年生に入ってから状況が一変します。 

 

■まさかのスランプに突入 

 

 「高3の6月から、大スランプに陥ってしまいました。ノートをきちんと作って勉強しても、頭に入らず抜け落ちてしまいました。当時はもう、大学受験どころか、卒業すら怪しいと思うほど勉強ができなくなりました。最後までそのスランプの原因がわからないまま、共通1次試験を受けたのですが、538/1000点しか取れませんでした」 

 

 

 国立大学も私立大学も、どこを受験しても合格が難しい状態であったため、志望校より少し入りやすい北海道教育大学教育学部釧路分校(現:釧路校)を受けたものの、結局1次試験の点数が尾を引いて落ちてしまいました。 

 

 「(遠方で)合格発表を見にいくことができないので、電報を頼んだのですが、『クシロシツゲンニ、ナミタカシ。ゴメンネ。』と書かれて届きました。不合格の通知だったのです」 

 

 こうして山西さんは、原因不明のスランプに陥ったまま、現役の受験を終えました。 

 

 浪人を決断した山西さんは、札幌予備学院(現・河合塾札幌校)に通って浪人生活を決意します。その理由を聞くと、「大学には絶対行きたかったから」と答えてくれました。 

 

 「小学校教員の資格をとりたかったので、大学には行きたいと思っていました。宅浪という選択もあったのですが、自分だけで勉強をするのは(ノウハウがなくて)きつく、予備校に頼ったのです。 

 

 札幌予備学院の授業料は当時33万円でした。当時は1年間の国立大学の入学金と、授業料を合わせると36万円くらいの時代だったので、大金です。親にお願いして、銀行を2つ回って自分でお金を下ろし、予備校に通わせてもらいました」 

 

 「1万円札の聖徳太子33人を2時間じっくりかけて見て、このお金を無駄にできないと思った」と語る山西さん。親が払ってくれた「大金」の重みを自覚したこともあり、この1年は勉強に打ち込みます。 

 

 「辞書で『浪人』ということばを引くと、『何もしないでフラフラしてる者』と載っていました。だからこの1年は、勉強しかしないつもりで、趣味を聞かれたら『勉強です!』と答えられるくらい勉強に打ち込もうと思いました。風呂上がりにドライヤーをしている暇もないと思ったので、3月にはスポーツ刈りにして、予備校にテキストを貰いに行ってからすぐ勉強を開始しました」 

 

 4月の北海道大学の入学式の日には、稚内の小学校の同級生で同大学に合格した友人と偶然再会したこともあり、その同級生をライバル視して勉強に打ち込んだ山西さん。 

 

 北大では小学校の教員免許は取れないというジレンマはあったものの、そうした「仮想ライバル」もいたために憧れていた北海道大学を第1志望に設定し、札幌予備学院の北大文系科コースに入って1日平均12時間、夏休みには最大14時間の勉強に励みます。 

 

 成績は次第に向上し、特に日本史の偏差値は75まで到達。腕試しで受けた10月の全統私大模試では早稲田大学教育学部でC判定、慶応義塾大学の法学部ではなんとA判定を取ることができました。 

 

 

■同志社大学を併願として考えるように 

 

 「私はマーク試験が苦手で、記述が得意でした。日本史と小論文がよくできたので、記述式が多い慶応でいい判定が取れたのだと思います。北海道の人間は北大がトップで、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)といった難関私立大学群を知っている人はあまりいませんでした。 

 

 早慶には漠然とした憧れがあったのですが、慶応は小学校教員になりたい私と学部のミスマッチがあったことと、受験のためだけに片道2万5000円の航空運賃と宿代を使うのは難しいと思い断念しました。 

 

 そう残念に思っていたところに、併願として浮かび上がってきたのが同志社大学です。札幌で受験ができましたし、体育の授業で京都御所の周りを使っているという話を聞いて、歴史的な場所を授業で使えるなんて、なんて素晴らしい大学なんだろうと思いました」 

 

 しかし、慶応でA判定が取れるほどの成績だった山西さんが、なぜ現役時代、「スランプ」に陥り受験を失敗したのでしょうか。その理由を聞いたところ、「理解がおろそかになったこと」と、「文系物理で沼にはまったこと」を挙げてくれました。 

 

 「現役のときは教科書を写しながら、シャープペンシルと赤・青の鉛筆で綺麗にノートを取ることに意識しすぎていました。見やすいのですが、綺麗に書くことに集中してしまい、理解するまでにはいかなかったのです。 

 

 また、3年の初めに授業で文系物理を選択したのですが、それがまったくわからなくなって、到底受験で使えるレベルではなくなりました。10月にどうしても無理だと思って、受験科目を生物に変えたのですが、学校で受ける授業自体は変えられなかったので効率が悪かったです」 

 

 そうしてスランプを乗り越えた山西さんは、この年の共通1次試験では前年度より170点上昇し、708/1000点を記録。 

 

 直前まで北海道大学を受けたいという気持ちはあったものの、昔からの自身の夢を優先して北海道教育大学教育学部札幌分校、同志社大学の商学部、北海学園大学の法学部を受験し、見事、すべての大学に合格しました。 

 

 しかし、合格はしたものの、希望したコースには進めなかったそうです。 

 

■同志社と北海道教育大で悩んだ末に… 

 

 

( 232205 )  2024/11/10 17:02:40  
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このテキストは、異なる人々の教育や人生に関する様々な意見が含まれています。

中には肯定的な意見や感謝の気持ちを表すコメントもありますが、批判的な意見や疑問も見られます。

また、浪人経験や学歴に関する事柄に対する様々な見解が示されています。

 

 

記事全体を通して、個々の選択や経験が人生に影響を与えること、努力や環境によって人生の進路が変わることが強調されています。

また、教育や学歴についての考え方や社会における学歴の重要性についても議論されています。

 

 

様々な意見が混在する中で、個々の経験や状況によって異なる選択が適切であること、自らの幸せややりたいことを追求することの重要性が示唆されています。

人生の選択肢や価値観は多様であり、それぞれが自分にとって意味のある道を歩んでいくことが重要であるというメッセージが込められています。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

山西敏博さん、良くは存じ上げないが少し激しい大学受験の経験でしたね。資質も能力もあり努力もして優秀な人でも失敗する事もある。この方には当時の受験は合致していなかったのだろう。社会人となっても地道に努力を続けて学問を極めて行く晩成型の人生だな。今後もまた成長されるのだろう。 

 

=+=+=+=+= 

一浪して大学を卒業して、大手メーカーに就職して鹿児島の工場勤務になったら周りの同年代の人たちがほとんど高卒で驚いた。みんなとても優秀でしっかりしていたから。自分も滋賀出身だったけど、40年以上前はそんな地方格差があった。鹿児島の地方では、優秀でもよほどのことがない限り大学には進学せず、指定校推薦で大企業の地元工場に就職するのが一番だった。浪人を一概に否定はしないけど、やりたいことがあるのでなく、とりあえず大卒とかはもったいない。高卒で働いて、やりたいことが見つかれば大学というのも良い。高卒で5年働いてから地方の国立大医学部出た医者にも出会った。人生には色んなルートがあった方が良い。そのためには企業も採用で、新卒、年齢の枠を撤廃すれば良いと思う。ストレートのキャリアが第一の社会常識を転換する一歩として。 

 

=+=+=+=+= 

高校の偏差値レベルがわからないので単純に比較的できませんが、7歳年下で同じようにクラスで1番ではないが2番、3番で1浪して私は同志社を卒業しました。大企業入社30年です。企業もこの30年で業界によって紆余曲折あり、直近では日産の9000人の解雇や船井電機の倒産。人生は運の要素が高いとは思いますが、運を引き寄せるための日々の習慣もあるのだとも思ってます。 

 

=+=+=+=+= 

人事で採用担当してます。ハッキリ言わせてください。一浪でより良い大学に入れるなら、一浪した方が全然良いです。 

良い大学の方が、学力というより周りの学生の質が高いからです。4年間揉まれるか揉まれないかだと、大きな差が出ます。 

その結果、採用してからも大きな違いが出てしまいます。一年の浪人コストなど、あっという間に逆転してしまいます。 

もちろん、例外もたくさんあります。但し、感覚的には2割くらいです。 

 

=+=+=+=+= 

す、すごい… 

なんて濃い勉強人生なんだ。 

けど、この人の基礎を作ったのは小学校時代の学力かな…と思った。 

なによりも、本文にあるように熱心なご両親のサポートがあったからかな。 

だから、そのあと成績が落ちてもまた立て直すことができたんじゃないか? 

中学高校の勉強の基礎は小学校が作ってると思う。 

 

それにしても、 

→「現役のときは教科書を写しながら、シャープペンシルと赤・青の鉛筆で綺麗にノートを取ることに意識しすぎていました。見やすいのですが、綺麗に書くことに集中してしまい、理解するまでにはいかなかったのです。 

 

この部分は共感したわ! 

ノートはただの作業だからな…。 

 

=+=+=+=+= 

私は同世代ですが、現役で滑り止めの私大に合格しても、蹴って浪人する同級生は多かったですよ。 

 

私自身も私大は高いからダメだと言われて過ごし、1年浪人後国立大学に進学しました。時代によって、進学の考え方は違うので、我々の世代なら、地方は国立大学優先が普通だったと思います。 

 

=+=+=+=+= 

いつどこで頑張り時に頑張れたかがその後の人生にも影響するのはあるのかな。 

自分も浪人経験して早大入ったけど、高校のクラスメイトでやたら張り合ってくるやつがいた。そいつは東北大目指してて同じく浪人して、予備校の寮に入るや仲良し集団できたら勉強そっちのけで献血とか遊ぶようになり、結局は東北大落ちて法政と後期で新潟大だった。 

こっちが早稲田受かっても「このやろう」とか言ってくるし、だったら「お前も受ければ良かったのに」とか思ったけど当時は広末が受験しててミーハーに思われたくなかったのかは知らんけど。 

大学入る前奨学金の申請で高校から内申書取る時もそいつに内申点どうだったか聞かれた時も「俺の方が0.1高いな」とか、本命落ちた腹いせなのかつまらんマウント取ってきた。 

その後国家公務員II種に受かったとかドヤ顔で報告してきたけど「あぁそうですか」って感じだった。 

 

=+=+=+=+= 

特殊な専門職を除いて一般的にいって浪人は特にならない。特に大企業や学歴を重視する会社を除くと人は働ける年数は限られているので、浪人すればするほど稼ぐ機会が減るので生涯賃金が少なくなるというのが常識。大卒だからといっていつまでも給料が高いわけではないので、賃金以外に意味を見出すなら別だがやはり浪人は不利なのは間違いない。学歴よりも必要とされる存在になることが大事。 

 

=+=+=+=+= 

むしろ今の方が地方の子で東京の有力私大に行ける層が地元に留まる事が多くなっている様ですよ。 

極端な例かもですが、ここ近年の東京キー局のアナウンサーも、以前はなかなか考えられなかった地方の駅弁大や私大からも採用されてますよね。 

 

=+=+=+=+= 

浪人は自分も経験したが大学、大学院時代と並んで人生の中でも楽しかった時代。とにかく他者との関わりがなく一人で行動でき、自由で時間が豊富にあった。例えるなら毎日が半ドンの土曜日のような感じ。開放感に溢れていた。 

 

 

=+=+=+=+= 

この世代から10年程は子供が多かった世代。同世代が200万人以上いるので、なんでも競争競争… 

今でもトップクラスは変わらず競争ですが、出生数が1/3ですもんね。大事にされてる感が強く感じます。 

60年前はそういう時代だったんだと思ってもらえる記事です。 

 

=+=+=+=+= 

自分はこの人よりだいぶ年は多いが、じぶんの場合通知表の評価は国語の3以外は2ばかり 

中学も40人中36番くらいが指定席で、地元の県立工高に落ちて、誰でもいける私立の普通科に行った 

 

この人のように国立大はとても無理なので、3科目に絞って英語を基礎からしっかり勉強してこれはうまく行った 基礎学力の不要な日本史と英語で稼ぎ、1浪はしたがこの人の行った学校とほぼ同レベルの有名私大に進んだ 

地方の公立落ちの私立高はそういう人はたくさん居たよ 

 

でも基礎学力がないから、世間で恥をかくことが多かった 学歴より基礎学力が必要とつくづく思った 

 

=+=+=+=+= 

教育実習に行っても三井不動産から内定もらえるのは凄いですね。 

 

私は教育実習を捨てて、就活に専念しました。 

 

6月は企業の二次試験、三次試験が多かったので、私には就活と教育実習の両立はできないと思いました。 

 

教育実習終わってからの一次試験だとだいぶ出遅れて不安になってしまいます。 

 

=+=+=+=+= 

受験勉強に何年も費やすは、もったいないよ。 

受験勉強と本当の勉強は違う。大学にしろ、資格にしろ、大量の不合格者を出すためにテストがマニアックに作られる。そして、このテストに適応するために、かなりの時間を必要とする。例えば本来丸覚えする必要のないことを丸覚えしないと合格できないようになっている。でも、結局合格後、少したったら身につけた知識の多くは忘れる。 

 

せっかく身につけても、使用頻度の低い知識やスキルは、時間がたつと失われる。だから、歳をとるほど、身につける知識やスキルのマネージメントを考えることが必要になってくる。 

特に働くと自分の時間は減ってくし、歳をとるほど、時間をどう過ごすかを考えるようになる。勉強は大事だが、例えば資格の受験勉強とかは、本当に必要かをしっかり考えた方がいい。時間を使う。 

 

=+=+=+=+= 

昔は合格発表が学内の掲示しかなかったから、遠方の学生は電報で合否を確認するしかありませんでした。 

国立は大学がやってくれましたが、受験生の多い私立は大学が関与せずに、サークルが資金稼ぎのためにやっていました。 

合格者の受験番号だけが掲示されていたので、たまに見落としとかもあったようです。 

 

=+=+=+=+= 

父は『(同志社に)行きたいなら行かしてやる、家を売ってでもお金を出してやる』 

凄い覚悟! 親ならこのようにありたい。 

私の家は「知識は取られる事は無い。」 

「生涯賃金を考えると教育は最も効率の良い投資だ。」 

と、いう家訓がありましたが母親が創価学会員で、碌に働きもせず嫁ぎ先の一族の金を盗んで献金して無茶苦茶てす。 

最近では、公認会計士に十代で通るのがいましたが、本当は医者になりたかったのに金銭問題て無理でした。 

残念な事です。 

 

=+=+=+=+= 

ホリエモンの東大再受験の勉強のYouTubeみたが、基本的な事がわかっていなくて、驚いた。普通の人は勉強した事は、普段使ってなければ10年経てば、全部忘れるだろう。学歴、資格も受験後、10年経てば、役に立たなくなる。つまりリセットされる。その間に、違う形の役に立つものに変えないと。 

 

=+=+=+=+= 

これって予備校の宣伝なのか、あるいは、今は浪人する人が減っていて浪人の人に注目した記事が少ないから浪人した人の経験談は希少価値があるということで教育ライターが執筆した記事なのか。 

 人生は1回しかないから浪人した場合はそうでない場合を客観的に比べることはできない。 

 客観的に言えることは、1年浪人すれば働く期間が1年短くなることも考えれば、およそ1千万円損をする、という概算になること。 

 

=+=+=+=+= 

遠い京都まで行くより、地元で良かったのではないのか? 

「1浪」の内容も普通に思われる。 

東洋経済的にも、先達の大学受験体験の紹介が一定のニーズがあるということなのかもしれないが、内容的にはいずれにしても普通。若い人向けか。 

 

=+=+=+=+= 

小学校教員です。 

これほどまで大学受験に精力をかけて、また選択に悩み、同志社大の合格を蹴ってまでなりたかった小学校教員には結局ならなかったのですか・・・。 

凡人にはよく分からない人生の選択ですね。 

ちなみに、今は小学校教員は「ブラック職業」とされて学生から嫌われ、人員不足で小学校教員免許があれば、ほぼ確実に採用されます。 

東大、京大、早慶大では、小学校免許は取得できないのに(まあ、小学校の教員になろうなんて思わないでしょうが・・・)、新興のFラン短期大学で、簡単に取得できます。 

 

 

=+=+=+=+= 

私は高卒の61歳です、大学のなんたるかは、語れませんが、今となっては大卒世代の60代の方とは、金銭面では叶わないでしょう。でも色々な経験も有りましたので、悪くはないと思ってますね。仕事、結婚し、子供に恵まれ。 

 

=+=+=+=+= 

当時は赤本と言う、その大学の過去問ばかりを集めた問題集が有って、それを繰り返しやってると、どうアプローチしたら解けるかパターンを掴むことが出た それで一定レベル迄の偏差値迄はカバーできると解った=浪人で得た事 それ以上はキレか地頭か凡人では難しいとも解った 

 

=+=+=+=+= 

合格した有名私大に入学せずに、経済的観点で地元あるいは地方の大学に進学するのは普通にあることでは。様々な視点を持ちたいものだ。 

 

=+=+=+=+= 

うーーん。つまり自分は凄く地頭も良くて努力もして成績も良かったって自慢したいのかな。 

その割には失礼ながら「そんな大学あるの?」っていうローカル大学に進んで、大学院は修了出来ず途中でタイムアップ。最終的にこれまた知らん大学で教壇に立ってます、って結論を長々と、、。 

出だしの威勢の良さと結果にギャップがありすぎる 

 

=+=+=+=+= 

学校の先生になるのなら北教大だろう。なぜ、先生になりたいのに東京を越えて同志社の商学部受けたのか?、又、当時は地方受験もなく京都での受験であり、北海道から京都までの交通費や宿泊費等多額のお金がかかるのになのに?まア、60年前の商学部は同志社だけでなく早稲田、慶應にしてもその大学では一番入りやすい学部だった。 

 

=+=+=+=+= 

結局、アメリカの大学、大学院へ進学したという謎の経歴で、その後の人生がすべて好転したということだな。講談社内定はふつうにすごい。経歴は、謎だが人間力があるのだろう。 

 

=+=+=+=+= 

何でA判定の慶應受けずに同志社なんだろうか? 

突っ込みどころは多いが、地方ではこのようなことは良くある話。 

要は目標目指すには浪人するのも悪い選択肢ではない、ということかな。私もどうしても第一志望に行きたかった浪人経験者なのでそこは理解出来るけどね。 

 

=+=+=+=+= 

>教育大学を卒業後、アメリカの大学と大学院で延べ3年間留学をしました。 

 

話の飛躍が大きすぎて、それまでの内容を読んだ意味が分からなくなる。何の話だこれは。同志社を蹴って、地元で進学し、アメリカの大学に留学??親はそれこそ家を売ったのか? 

 

=+=+=+=+= 

とても深みのある人生だけど、当時と比較して大学を巡る社会状況が変わりすぎていて、若い人にはあまり響かなそうなエピソードかな。 

 

=+=+=+=+= 

なーんか勿体ない生き方だなあ 

自分の夢に縛られて、慶應受けなかったり、同志社蹴ったり、講談社蹴ったり… 

まあ、それで満足してるならいいけどさ 

俺の友人の娘さんは東京女子御三家の中高通って東大行ける学力ありながら保育士になりたいとか言って聞いたことない大学の保育課程志望したな。 

周りは猛反対したけど意思が固すぎて結局保育課程経て保育士になった 

東京大学行ってれば何倍も稼げたろうに 

 

 

=+=+=+=+= 

人の考えや選択は千差万別。その時々そして自分の人生を振り返り「良かったかなぁ」と思えたらそれでいいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

生きて行くには努力を続ける事が出来る能力が1番大事、「人は悲しみが多いほど、他人に優しくできるのだ」は海援隊の贈る言葉でしょうか? 

とても良いコラムでした。 

 

=+=+=+=+= 

「同志社蹴って地元で進学」って元々小学校教員志望なのになんで同志社受けたの?地元で進学が当たり前すぎるし、ごく当たり前の浪人生活で何を言いたいのかわからない記事。 

 

=+=+=+=+= 

結論としては、決断はどうあれ、いつでも頑張れば道は開けるとのことだと思う。同志社進学でも大企業の役員や管理職になれた方でしょう。 

 

=+=+=+=+= 

関東地方から早稲田を蹴って同志社に行った人を数人知っています。親元を離れたいのが大きな理由だったようです。 

 

=+=+=+=+= 

>>全科目「優」で、満期単位取得終了 

これはアカデミーの世界では超恥ずかしいことに分類されるので、 

分からない素人向けに書いた記事ですね。 

博士号を取れなければ、ただの人です。 

高学歴でもトラック運転手になってもしかたがない経歴と思って下さい。 

 

=+=+=+=+= 

>就職活動では三井不動産と講談社に内定を得るも辞退し、北海道内の公立高校・英語教諭になります 

 

基本的に、「〇〇を蹴った」とか「〇〇を辞退した」、だとかの話をするのが好きなんだろうな 

 

=+=+=+=+= 

〇「大学教授になるために21年間で250近くの大学を受けて不採用になりましたが、高等教育機関の研究者にもなれました」 

⇒記事の趣旨とはことなるが一般の人達には大学での就職がいかに大変か、もっと知っていただきたいものです。 

 

=+=+=+=+= 

60で三井不動産内定を蹴るとか 

いろいろ人生を間違えている 

最高の時代に背を向けて 

多喜二のように生きた 

三井だったら部長はなれた 

代官山に家、資産数億 

結婚相手は青学 

毎週末、恵比寿でご飯 

子供は私立、毎年アメリカ旅行 

接待で料亭回り尽くした 

そういうのを捨て教師へ 

 

=+=+=+=+= 

「生徒の東大理3や北大医学部を後押し」って頑張ったのは生徒だよね。三井不動産、講談社、北大とか見栄っ張りな性格なのかな。 

 

 

=+=+=+=+= 

北海道の普通の家庭ならその頃北教大に行くのは当たり前だと思いますよ。学費は親が出すものだから。 

 

=+=+=+=+= 

やりたい事が決まっているなら道教大、決まっていないなら同志社でいいと思います。今回は前者だっただけの事。 

 

=+=+=+=+= 

原因不明の成績不振なんてない。色々言い訳がましいけど、その学歴コンプが良い意味で発奮材料になった経歴と察する。 

 

=+=+=+=+= 

教育大学を卒業後、アメリカの大学と大学院で延べ3年間留学をしました。 

 

一番の勝因はお金持ちだったってことかの? 

 

=+=+=+=+= 

同志社って8割くらいに蹴られる私文なんだから 

地元でしっかりと学問した方がいいに決まってる 

国立理系ならなお良いが 

 

=+=+=+=+= 

受験生の親としてとても興味深い。1冊の本になったら読んでみたいけどな。 

 

=+=+=+=+= 

綺麗なノートにこだわり過ぎると成績が伸びない。自分も経験しました! 

 

=+=+=+=+= 

北海道教育大は国立なんだから、早慶ならともかく同志社を「蹴る」って表現は正しいのかね。 

 

=+=+=+=+= 

私も浪人を経験した。本当に辛い生活だったけどね。親にはとても感謝してる。 

 

=+=+=+=+= 

振り返ってみるとネームバリューよりやりたいことが出来る大学に行って正解でしたね 

 

 

=+=+=+=+= 

タイトルに「同志社を蹴って・・」って書かれているように、普通は蹴らない。ただどこの大学に行くかは自由だ。 

 

=+=+=+=+= 

なんかつい読んでしまったけど、私の人生観とはかなりかけ離れた物語でした。 

 

=+=+=+=+= 

小学校の先生になりたくて大学行くのに、併願大学に法学部や商学部を受けるのが理解できない。 

 

=+=+=+=+= 

勉強できること自体が幸福なこと。 

甘ったれた内容でした。 

苦労話でも何でもない。 

 

=+=+=+=+= 

作者がスランプに陥った「文系物理」て何? 

作者と同い年だけど聞いたことないわ。北海道独自の科目なの??? 

 

=+=+=+=+= 

若い時の足踏みはとても大事。中年、壮年で足踏みすると、しんどい。 

 

=+=+=+=+= 

現在の写真が若い! 

とても60歳には見えない、素敵ですね。 

 

=+=+=+=+= 

北海道教育大学教育学部札幌分校 

同志社大学商学部 

北海学園大学法学部 

 

極端だな 東京で止まらないのか  

京都は遠いぞ 裕福な家庭なんだな 

 

=+=+=+=+= 

共通一次で708点って別にたいしたことないのでは。500点台では論外。 

 

=+=+=+=+= 

同志社は合格者の大多数が進学しない。ライターが編集者などに書かされた同大の宣伝記事。 

 

 

=+=+=+=+= 

地方国立には上振れする人材が多い。 

 

=+=+=+=+= 

頑張る姿勢、ありがとう 

 

=+=+=+=+= 

>1浪の浪人生活  

 

どう考えても 

『1年の浪人生活』が正解やろ。 

日本語として。 

 

=+=+=+=+= 

地元の教員目指すなら、地元の教育大学 

 

=+=+=+=+= 

三井不動産の内定はすごい 

 

=+=+=+=+= 

集中力が凄いよね。 

 

=+=+=+=+= 

異動とあるけれど、転職では?違和感。 

 

=+=+=+=+= 

無駄に長い記事 

 

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長くて読むのやめたくなる。 

 

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どうでもいいような話ですね。 

 

 

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北教大第一志望なんだから見出しの「同志社蹴って・・・」は当たり前。へんな見出しだ。笑 

 

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秀明大学の教授 

 

  素晴らしいじゃないですか! 

 

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同志社はそこまででもないし選択は正解 

 

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早慶ならともかく、同志社ならそこまででもないから蹴っても構わない 

 

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私も有名私大を退学してFランに入り直したアタオカ系人材ですが、結果として良かったと思いますよ。 

要は自分の人生にどれだけ向き合うことができるかってこと。 

 

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ナミタカシ。ゴメンネ。 

ワロタ 

 

さて、確か慶応の法学部は当時おもいっきり馬鹿で偏差値52くらいだったはず。 

どこかで誰かに聞いた。 

ぐぐったらでてくるかも。 

あと私立は早慶以外はめちゃくちゃ馬鹿だったはず。 

 

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結局学歴コンプレックスだな 

60年経っても細かいことをよく忘れてないなw 

大学で働いてるからかな? 

一生大学の話してそうだ 

 

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だらだら文章で、長すぎる。 

小学生の作文か。 

簡潔に伝えないと。 

離脱。 

 

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やはりこの世代だと慶応の法はレベル低かったんだな 

 

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失礼ですが、嘘くさい話ですね。 

 

 

 
 

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