( 233218 ) 2024/11/13 17:01:50 2 00 「7浪で一橋に合格」父と先生が放った強烈な一言 一橋にこだわった理由、猛勉強した彼のその後東洋経済オンライン 11/13(水) 12:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/502878b318a3f4429b9212296a6efd32d2a36431 |
( 233221 ) 2024/11/13 17:01:50 0 00 ささちかさんが一橋にこだわった理由とは(写真:mits / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて2分の1になっている現在。「浪人してでも、志望する大学に行きたい」という人が減っている一方で、浪人生活を経験したことで、人生が変わった人もいます。自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した濱井正吾さんが、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったこと・頑張れた理由などを追求していきます。今回は、1浪で岩手大学に進学するも、父親と予備校の担任を見返すために一橋大学の合格に人生を捧げ、学校の非常勤講師をしながら7浪で合格したささちかさんにお話を伺いました。
【写真】ドイツ語の参考書/現在のささちかさん
【東洋経済オンラインで2023年3月19日に公開した記事の再配信です】
みなさんは、大学の勉強が役に立たないと思ったことはありませんか。
「学生の学力は大学受験がピーク」と言われることもあるように、大学に入ってからはむしろ学力が衰退するイメージがあるかもしれません。
しかし、今回インタビューしたささちかさんは、1浪で進学した岩手大学の授業を受け続けて、その後の受験に通ずる確かな学力を身につけた後、7浪で一橋大学に合格しました。
■すべては一橋に合格するため猛勉強
岩手大学在学の際に取得した単位は245。これは一般的な大学の卒業要件単位が120程度であることを考えると、普通の学生の倍の勉強をしたことになります。これも、すべては一橋大学に合格するためでした。
何が彼を駆り立てたのか。なぜ、大学を一度卒業してまで一橋大学にこだわったのでしょうか。
1976年に中国地方に生まれたささちかさんは、生後1年半で岩手県に引っ越しました。岩手県での生活は、苦労が絶えなかったそうです。
「小学校から中学校にかけて、言葉遣いが普通の子と違うので”変わった子”として扱われました。だから、よくいじめのターゲットになりました」
「変わった子がいじめられる」環境を脱するため、ささちかさんは「学力水準が高いところに行けば、道徳的にまともな人がいる可能性が高いのではないか」と考え、猛勉強の末、岩手県内屈指の進学校に進みました。
実際、その考えは正しく、いじめられることは少なくなったと言います。
ただし、高校では定期試験で学年360番中200~300番がやっとだったというように、授業についていくのが非常に大変だったそうです。それでも、高校3年生のときには志望校を一橋大学に設定し、そのために毎日頑張って勉強をしていました。
「当時の私は知的好奇心が旺盛で、社会科学系のことが総合的に学べる経済学部にとても興味がありました。また、文系でも数学が好きだった私は、一橋ならば文系学部で中高の数学科の教員免許が取れるということに、妙な興味を抱いたのです」
文系最難関の1つでもある、一橋大学。そこで勉強する日々を夢みて、ささちかさんは受験勉強を続けました。しかし、模試の判定はつねに最下位(E判定)だったそうで、一橋には残念ながら現役での受験は落ちてしまいます。
「現役のセンター試験では800点満点で500点前半でした。前期試験で岩手大学を出願したのですが合格に至らず、行く大学がなかったので浪人を決断しました」
こうしてささちかさんは1浪を決意し、当時岩手県内に唯一存在した予備校に、実家から通う生活を送るようになりました。
■父からの残酷な一言
現役のときに成績を伸ばせなくて落ちてしまった理由を、彼は「学校を信用しすぎていた」と分析します。
「当時、学校で先生から課された膨大な量の課題を周囲が必死にこなしていたので、自分もそれをやれば大丈夫だと盲信していたのです」
受動的な勉強をやめ、主体的に勉強をするという意識はこの失敗で生まれたと言います。
実際、ささちかさんは1浪の1年間、毎日規則正しく授業に出て1日10時間勉強の生活を続けていました。
「高校のときの土台がここでようやく開花した」と語るように、夏の模試で英語と数学の偏差値が70を超え、初めて後ろから2番目の判定(D判定)をとれたと言います。
ついに憧れの一橋大学が見えてきたと、そう思ったところで父親から残酷な言葉をかけられました。
「『経済的に岩手大学以外行かせられない』と言われたのです。選択肢を探せばあったと思うのですが、父は思い込みが強い人なのでどうしようもありませんでした」
さらに完全に進学を諦める決定的な出来事が12月に起こります。予備校の担任の講師との三者面談がきっかけでした。
■許せなかった先生からの言葉
「『お前は一橋に行くには学力も努力も足りない』と言われて受験をやめさせられたんです。その言葉自体は受け止めないといけない部分もあったのですが、面談の終わりに『将来、お前が一橋に入っても、学生生活がつまんねーと思うぞ』と捨て台詞を吐かれたんです。それが許せませんでした。目指していた一橋大学を受けて落ちるのなら納得できます。でも、記念受験もさせてもらえなかったのが悔しくて、まったく納得できませんでした」
結局、この年は岩手大学に出願して合格します。センター試験の結果は72.5%(580/800点)。一橋大学は85%程度(680/800点)を取らないと合格が難しいため、厳しい数字ではあるものの、挑戦すらできずに1年の頑張りを試す機会を奪われてしまったことが、彼の人生に暗い影を落とすことになったのです。
「父親と担任のせいで一橋に行けなかったとずっと思っていたのです。だから、後悔を払拭するためにも将来必ず再受験しようと決めました。どうせ、大学を辞めさせてはもらえないから、受験のための勉強を4年間、大学でやろうと思ったのです」
岩手大学に入ってからのささちかさんは「ある程度高い偏差値まで伸ばせたところで、一橋レベルまで持っていくことに挫折を感じた」そうで、受験科目を英語から、得意だったドイツ語に変更します。
すべては一橋大学に受かるため。決意を固めた彼は、大学で勉強をし続けました。
「多くの人は大学に入ったら勉強に対するモチベーションがなくなります。でも、大学ってその道のプロがいっぱいいる場所なんです。だから私はドイツ語の言語学や社会の授業を熱心に聴き、授業後に大学教員を捕まえて添削をお願いしていました」
この主体的に勉強を進める様子は、かつての学校の課題を受動的にこなしていたささちか少年から劇的に変化していました。そして、その勉強への姿勢はまさに一橋大学が求めていることでもあったのです。
「一橋大学は難解な記述問題を課します。だから、大学生がやるような勉強を先取りして専門的な新書を読んだり、文章を書く練習をしたりする必要がありました。だから、大学で真面目に勉強することが、一橋大学の入試に全部つながると確信していたのです」
2年生のときには冬学期に1コマ90分の授業を週に19コマ受講していたそうで、4年生になると卒業要件単位の120の倍以上である245単位をとっていたそうです。
ささちかさんは岩手大学卒業までは再受験できるような環境にない、と判断し、5浪目となる岩手大学4年生のときに、4年ぶりにセンター試験を受けます。
しかし、自信を持って挑んだ試験では大失敗。1浪目より低い68%(544/800点)に終わり、一橋大学経済学部を出願するも第一段階選抜で不合格になってしまいました。
「このときは目の前が真っ暗になり、この先の人生をどうしようと思いました。一橋の二次に対応できる知識はつきつつありましたが、センター試験の対策まではできていなかったのです」
4年分の思いが水泡に帰してしまったささちかさん。しかし、この悔しさを忘れないため、彼はある行動を取ります。
「合格発表の日に一橋大学まで行きました。そこで喜ぶ周囲の人たちを目に焼き付けて、この悔しさを絶対に忘れないと思ったのです」
まだ、彼の目は闘志が宿っていました。
■大学時代の縁が一橋への道に
一橋受験に魂を燃やした4年間を過ごしたささちかさんは、試験後に慌てて就活をして神奈川の私立の中高一貫校に非常勤講師として採用が決まります。ここでの経験がさらに彼を奮い立たせました。
「社会科1つとっても満足に学生に勉強を教えられず、もっと勉強が必要だと痛感しました。それで一橋大学に行きたいと改めて強く思ったのです」
6浪の年にこう考えた彼は、1年間みっちり一橋対策をして臨もうと決めます。6浪目は月曜から土曜日のうち3日、7浪目は5日出勤するハードな日々の中で、オフの日をうまく使い、自分の稼いだお金で代々木ゼミナールの夏期講習・冬期講習・直前講習を受けました。
そして、さらに受験の追い風となる縁もありました。
「岩手大学にいたとき、教授のご厚意で上智大学の授業を見学する機会に恵まれたのですが、そこでつながったドイツ人の先生が、ドイツ語の作文の添削を引き受けてくださったのです。7浪目の二次試験の直前まで、オフの日に上智大学まで行って答案の添削を受けていました」
こうして1年かけて準備をし、7浪目のセンター試験に臨みます。結果は69%(552/800点)でE判定。しかし、その結果も彼にとっては想定内でした。
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( 233222 ) 2024/11/13 17:01:50 0 00 =+=+=+=+= 浪人中遊んでいたならともかく、勉強しまくってセンター500点台しか取ったことがない時点で、一橋クラスの才能がなかったのは間違いない。こういう人は物覚えが悪く一般企業では使えないこともあるが、受験勉強の知識がフルに活かせる教員は天職かも知れない。何より挫折しながらも諦めずに夢をつかんだという成功体験があることが教員として重要だね。
=+=+=+=+= ネガティブな意見が多いですね。確かに現実的なことを考えると一橋とはいえ7浪までして文系に?と思いますが、彼がずっと一橋への憧れと後悔を持って生きていくのと、夢を実現させた充実感と成功体験を持って生きていくのでは、全く違う人生になると思います。
ただ、自分がもし親なら、受験の悔しい気持ちはひとときのものなので、その気持ちを岩手大での勉強や就活、その先のさらなる勉強にぶつけて欲しいと言うだろうなと思いました。
=+=+=+=+= 「当時、学校で先生から課された膨大な量の課題を周囲が必死にこなしていたので、自分もそれをやれば大丈夫だと盲信していたのです」
学校の課題が、次から次に新しい問題を解くことばかりで、必要な時間をかけて理解したり覚えたりしてできるようになることをしていない子が多いと今でも聞く。アメリカで医師をしている安川康介氏が動画や本で紹介しているように、できるようになるためのアクティブリコール、分散学習といった学習法をとることが大多数には必要。
=+=+=+=+= 今まで持っていた中学社会・高校公民、中学・高校ドイツ語の教員免許に加え、一橋大学在学中にそれぞれ中学・高校の地歴、英語、数学の教員免許を取得した彼は、2校の掛け持ちをしながらさまざまな科目の勉強を教えているそうです。予備校の数学の模試の採点も頼まれるようで、大車輪の活躍をしています。 ← 受験産業で生活するのにベストの過程でしたね。
=+=+=+=+= 人生の目標が途中から様々な挫折を得て、目標も残念な結果を伴いながら、他人 の受け入れられない意見や、自分の思っている結果が思うとうちに、ならなくとも、兎に角自分自身の人生として真っ直ぐに生きて来た決意に敬意を表しますね。良くも悪くも自分の人生だと思って、進んでみているのは、すがすがしいですね。いい出会いがあったから、素直になれたのでしょうね。矢張り、知は力なりーーー。豊かな人生を送ってください。
=+=+=+=+= 日本の場合、就職まで考慮するなら、新卒就職として認められるのは大学卒業時に+2まで、つまり24歳までです。 これはどんな大学でも同じ、例え東大でも。 つまり、本人が学歴だけで認められるのは24歳までであり、それ以降は社会人として評価されます。 東洋経済の記事は激レアさんに出れる様な多浪の人物を沢山取り上げてるけど、本当に稀な例であり、根本的には社会に適応出来ない事を念頭に入れて下さいね。
=+=+=+=+= 一橋大学の国立二次試験科目で 最大の特徴は、数学。 文系なのに二次試験で数学を課す大学は 東大京大はじめ、数あるけれども 文系数学最難関は一橋だと 昔、麻布高の数学科主任の先生に聞いたことがある。 要求される人材の高さを思いされるレベルではあるものの、ロジックの繋ぎ方や問題に対する着眼など よく考えられている問題と思います。
=+=+=+=+= 能力的には、一生懸命勉強に打ち込んだけどあのレベルというのを見る限り、ちょっと残念な感じかなとは言えるかな。
それでも続けられる能力も能力。 あきらめずに続けるという才能を持っていることは間違いない。そこはすごいとは思う。
ただその年数かけることがどうなのか?必要だったのか? そういうことを勘違いしないで受け止め、理解し、周りにはその成功体験を使って無理強いしたりしないといいのにと思う。
=+=+=+=+= 人間は自己満足で生きているから、こればかりは仕方ないと思う。「いやいや、大学卒業後のほうが大事だからw」とか言う人もいるが、それもその人の自己満足。人生においてどのフェーズを重要視するかは人それぞれだし、他人に迷惑かけずに自己満足を追求するなら誰も批判はできないと思う。 それに"大学名"もそれなりに大事で、少なくとも自己肯定感や自信に繋がるし、次のステップを踏み出す際に重要だよ。
=+=+=+=+= 大学入るための勉強より、資格取る勉強7年して難関と言われる資格とった方が後々良くないかな?司法試験とか会計士など、持ってると重宝されると思う。社会人だとどこの大学出たかよりどんな仕事ができるかがポイントとなると思うが。
=+=+=+=+= 本人の人生ですので、この人に限らず、後悔の無いように生きるしか無いです。
58〜65才の7年分の年収を掛けてまでチャレンジする価値があると信じれば、ということになりますが、この人は結果として満足が得られたようで、なによりです。
=+=+=+=+= 真剣に取り組まれていたのは分かりましたけど、これから大学受験へ臨む受験生に向けて、と言う点で言えば、全く参考にはなりません。
浪人は減ってきたとは言っても、家庭の経済事情なり、個々の、まあ根性なりで、一浪くらい全然やってもいいと思います。頑張れ!とね。あと、医学部を目指す方なら、固い決意があるなら、と。
=+=+=+=+= 厳しい意見が多いけど、日本はまだまだ学歴社会です。DランクとAランクの大学の差はかなりある。Aランクの一橋大学卒業であれば今後の人生結構違うと思う。特に塾の先生等は京大卒とか生徒の見方は変わってました。いくつになっても学びはできるし気力の継続できるなら素晴らしいと思います。中身は大事です。Dランク卒業の医師よりAランク卒業の医師の方が普通にカッコイイじゃないですか。
=+=+=+=+= 学力や学歴が全てではないので学力に見合ったところに進み、いくらでもあるだろう他の価値となる部分を磨くことに時間や労力を注いだほうが、豊かな人生になるとは思う。が、学力や学歴が人生の価値観の主軸に近いところにあったのだろうから仕方ない。俺はセンター試験は9割なので、一橋にしろ、早慶上智にしろ、学部にもよるが滑り止めだ。早稲田も慶應も受かったが行かなかった。スポーツでもスカウトが来たが断った。自慢とかではなくて、各々の個性であり得意不得意なだけで、そういう人もいるのだ。それぞれ自身の能力を見極めたうえで夢を持ち、現実とマッチングさせて時間や労力を割くほうが、見合わないことに無理して人生の時間を費やすより良いのは間違いないと思う。
=+=+=+=+= 30年前と比べ受験人口が2/3位になっている。単純に30年前偏差値50までが入学の定員だったとすると、今は45位まで入学させないと定員に満たない。帝大、早慶レベルは落ちていないとは思うが、偏差値50だった大学は今は45の子が入学しているという事。そんな大学必要かね。そんな大学に借金してはいるのはやめた方が良い。高卒の方が良い就職ができると思うよ。
=+=+=+=+= 7浪はお世辞にも褒められたことではありませんが、学歴へのこだわりはある意味分からんでもないです。
当方は現役で入学しましたが、家庭の事情で東京の大学を諦めて自宅から通える全国的には無名の公立大学に行きました。 悔しかったので就職で上京しましたし、上記諦めたことをとても後悔しています。
=+=+=+=+= すごい!ある意味受験勉強のプロだと思う。どんな道でも諦めなければ繋がるんだって体現してる。学びながら受験勉強したり、仕事しながら学生したり、こんな先生いたらその学力は信用できるし受験のアドバイス受けたいって思う。
=+=+=+=+= 努力は凄いと思うけど、七浪してようやく入れたということは、一橋は本来この人が入るべき大学ではなかったということ。
就職する際にも、七浪もされてたら採用する方だって「この人大丈夫?」と思うし、現役で合格した学生の方が地頭が良いのは明らかなのでそっちから採用しますよね。
なんか思い込みが強すぎる感じがするし、融通が効かなそうな感じ。若い頃に七年も大切な時間を使って入学したことが実はかなり無駄だということに気付いてないことがイタい。
まあでも取り敢えず目指す大学には入れたのだから、これから先の人生はしっかりその経験をプラスに生かしていってほしいと願います。
=+=+=+=+= 進学欲が満たされたわけで この記事の人はしたいようにやったんだし、別にいいんじゃないかな? 岩手大でもできたのではないかなとは思うところがあるけれども。
高卒と大卒には明確な収入格差があるが どの大学に進学したとしても、年収はさほど変わらない これは、教育経済学者、慶応大学中室牧子准教授が発表したもので、アメリカでも同様のデータが出ている。
おっさんになってよくわかるのは、どこで学ぶのではなく、何を学ぶかのほうが重要であるということ、目標を明確にすること、それには親の経済力や地理的条件も加わってくるのだろうけど、その中で最大限の幸福を追求するだけのことだと思う。
=+=+=+=+= 自分やりたいことを、やり切って、人生をとても楽しんでいるど思う。 その後どうなるかなんて考えず、これだけ一生懸命になれたなら、生きていく道は必ず拓けると思う。
=+=+=+=+= 夢を叶えて自信がついたのならば、それはそれで良かったのでしょう。 時間の使い方は個人の人生価値観でしょうから。 一方で。 そこまですることが、社会的価値と釣り合っているのかどうかを考えることも必要かと思います。
=+=+=+=+= 気持ちは分かりますが。 一橋大学に入ってその後卒業してから何をしたいのかが見えない。 文系の大学2つ卒業したとしても正直時間の無駄でしかない。 建築士になりたいから工学部に入り直したとか 弁護士にないたりからとか医師になりたいとか。そういうならば分かりますが。
そういう一橋に受かってもそこはゴールではない。 卒業した後何をするのかが一番重要でしょう。 それが見えない。
=+=+=+=+= 政治家になればコンパクトなプロフィールに「一橋大卒」と記載でき、〇年卒と記載する必要はありませんから強みにはなるかも知れません。 民間企業なら相当不利になりますが、学習塾なら異色の経歴として評価される可能性はあります。
=+=+=+=+= 否定的な意見の人が多いが、僕は素晴らしいと思う。 否定的な意見の人が一橋以上の大学を卒業しているならまだしも、数学受験の必要がない私立文系や一橋に行きたかったが滑り止めの大学に逃げてしまった人よりはよっぽど素晴らしいと思う。また、今はAOや推薦といった馬鹿げた制度があり、それに逃げる人間は僕は全く評価できない。
=+=+=+=+= 二次試験の受験票が届いて、受かったと確信した心境わかります。僕も一次試験の結果、定員40人のところ、50位ぐらいだったので、受かったと確信しました。2次試験の勉強ばかりして1次試験の勉強をほとんどしてなかったので。
=+=+=+=+= 家庭環境が許せば、好きにしたら良いが大学入学が 人生の終着点では無い。その若さを他の分野に費やす 選択もある。勉強は、大学でしか出来ないものでは無 い。他人から、羨望の目で見られるのは学生時代の一 時。社会人として、働き出すと学歴は過去の事、実力 がものを言う。
=+=+=+=+= 厳しいこと言うけど、七浪は一橋大とは言わない。何回も浪人してやっと東大とか司法試験とか、今は見方が違う。限られた時間の中で最大の結果を 出す。これが今の考え方の主流だよ。
=+=+=+=+= 40歳ぐらいになれば7浪なんて関係なく、 職歴、実力の世界ですね。
一橋は良い大学と思いますが、個人的には二浪以上してまでは行きたくないかな。
文系エリートとしては、やはりどこに行っても東大卒が居るし、 早慶に比べてやっぱり横の繋がりが狭いのと、関東以外での知名度が低過ぎる。
=+=+=+=+= 非常勤主体で、たまに採点アルバイトの掛け持ちのようですので、正直学歴は全く使えていないですし、学歴がゴールになってますね。 正直、岩手大卒業の時点で可能だと思います。 まあ自己満足の域ですので、それで本人が良ければそれでいいのでしょう。
=+=+=+=+= この人は立派ですね。何浪しようが、結局は最終学歴が全てなんですよね。いくら高校時代に東大に入れる学力があっても、本番で失敗して現役で早稲田に入れば、結局は死ぬまで早大卒。その一方、現役でMarchすら受からない人が10浪の末に東大に入れば、一生東大卒の肩書になる。
=+=+=+=+= 何事も諦めない限り、人生は変えられる。そうですよね。素晴らしい。 東大と並ぶ最難関国立大学の一橋大学に合格とは。うらやましいけど、素直に敬意を評します。
=+=+=+=+= 結果、教職に就いたのなら、自身の経験を最大限に活用出来る。予備校でも良いが、進路に悩む高校生の相談にのってあげて欲しい。
=+=+=+=+= こういうタイプは 信じ込んだものにしか目にいかず そこで努力してしまうから余計に沼って周りが見えなくなる
そして後になって自分の境遇の要因を周りにあるものとしてしまう
頑張るのは良いけどもっと色んな価値観を持ちなと言ってあげたい
あとあとしんどいよ
似たもの先人としてのアドバイス
=+=+=+=+= 結局、何が言いたいのか良くわからないが、人それぞれ、自分で選んだ人生なのでいいんじゃないですかね。 有名とか学閥とか気にする人はそもそも一橋なんて選ばないし。OBだが、私の周りもあまりそういうのは気にしないタイプが多かったけどね。
=+=+=+=+= 金持ちのボンの道楽という感じしかしませんが、これほど真剣に道楽に取り組んだのは、まあ偉いといえば偉いのかもしれません。 記事には受験のことばかり書いてあるけど、大半の読者が気になるのは卒業後の状況ではないでしょうか。それは付け足しのように書いてあるだけですな。
今のところは非常勤講師の掛け持ちをなさっているのですね? 何とか食えているようで、よかったよかった。早く常勤になれるといいですね。 とにかく「勉強が好き」「学校が好き」な人なのでしょう。やはりこういう方は、教員に向いているのでしょう。学校や予備校以外の一般社会では、かなりきつい経験をすることになりそうですから。
=+=+=+=+= そもそも、これを7浪というのは正しくないだろ。明らかにミスリ-ド。単なる国立大卒の再受験生だろ。
そのことは置いといて、医学部ならともかく文系の再受験にどういう意味があるのか理解出来ない。再受験で東大法科を目指していたとしても個人的には無意味だと思う。岩手大なら一応国立大だし、余程の大手企業でもない限り就職フィルターにも引っ掛からないだろうに。
=+=+=+=+= 父が、先生がと全て周りのせいにしてれば楽でいいですね。
ここまでしないと一橋大学に入れなかったのなら、本来は目指すべきではなかったということ。 受験勉強で学んだことは受験勉強でしか使えない。人生の有限な時間を無駄にしている。
=+=+=+=+= 現役ならともかく、浪人している身で「記念受験もさせて貰えなかった」という部分に違和感。 家もそれほど裕福では無さそうだし、その環境で浪人D判で喜んでいるようでは、考えも甘い気がする。
=+=+=+=+= なんとなく共感しました。 自分も経済的な理由で大学に行かせてもらえませんでした。その後、ずっと引きずってしまい、いまでは趣味が大学受験になってしまいました。無意味な事してるな〜と我ながら思っています。
=+=+=+=+= 人に歴史あり、そして多浪に歴史あり……的な方向性の記事、あまり好きではないな。 この人は一浪岩手大卒、その後一橋大入学と言えば良くないか?あるいは学び直しで30歳で大学に入った人は12浪か? 折角の人それぞれの経歴を単に多浪と括る真意は何だろう?
=+=+=+=+= この場合7浪って表現は正しくないよね。 1浪で岩手大に入って4年で卒業。そこから2年浪人した再受験生でしょ。 タイトルは釣りだし、どちらにしても父親も担任も見返す事は出来てないと思う。
=+=+=+=+= まあ、普通の人間なら、後々、さすがに7年間は時間をかけすぎた、短い人生の無駄だった、って気づくでしょう!○○大学に入ることが人生の目的になってしまった人は割とたくさんいるが、人生をかけて何年も費やすものではない、と、すぐわかるでしょう!
=+=+=+=+= 自分なら時間がもったいないなあと。 自分なら7浪と在学4年の時間と精神力があれば、修士、あるいは文系でも博士号まで狙えるし、海外大学に行ってもおつりがくるのに、と思う。 まあ個々人の判断だけど。11年かあ…。
=+=+=+=+= 1番学歴や名前にこだわってるのは、本人なんじゃないかな。 もちろん、諦めずに実現させた事は素晴らしいが、何よりこんな風に記事にしなければ自己肯定感を持てないのは、これからもついてくる事実。
大学は通過点。ゴールではない。 どこを出たかではなく、何を学んだか。
=+=+=+=+= 教職といっても二校掛け持ちに加えてアルバイトもやっているということは非常勤講師ってことですね。何年もかけて一橋に入った結果がこれではどう考えても失敗人生でしょう。
=+=+=+=+= 失礼ですが全く共感できません。 ネームバリューで大学にしがみついたとしか思いません。 岩手大学在学中に将来についてもっとよく考え"足るを知る"を理解できていたのならもう少し違った世界が拓けていたと思います。
=+=+=+=+= 結局学校周りから出られない世間知らずが出来上がったとさ。 まぁこんな人がいてもいいとは思うよ。学校周りの仕事で飯も食えてるんだし。ただ、この記事って、だから何?って感じが強すぎてどう処理したら良いのかわからんな。
=+=+=+=+= 弁護士か税理士で成功する。会計士は会社組織の一員、いわゆるサラリ-マンですので不向きかも。年収も5千万円くらいまでの可能性あり。
=+=+=+=+= 医学部行こうが東大行こうが7浪はダメでしょ 大学はあくまでその後の人生のためのステップに過ぎないのに7年分の若さを浪費したのは悪手 執念の使い所を間違えてる
=+=+=+=+= 学歴を求める地方出身者は多いが、特に盛岡出身の知り合い2名にもそれを感じたことがある。 見栄っ張りなお国柄ということだろうか。
=+=+=+=+= >今まで持っていた中学社会・高校公民、中学・高校ドイツ語の教員免許に加え、一橋大学在学中にそれぞれ中学・高校の地歴、英語、数学の教員免許を取得した彼
英数歴史ドイツ語、これらすべての教員免許を取得できる学部ってあるの???
=+=+=+=+= いろんな人がいるんだなって
文章だけ読むとそうはならんやろって突っ込みたくなる部分もあるけど、目標を完遂して大学生活が充実してるなら何より。研究職とかが向いていらっしゃるのかもしれませんね
=+=+=+=+= 三流大卒だが、満足している 親は仕送りくれたし、都会で生活できた 社会人になってからは実力社会だし、 大学名で辛い思いなどしたことがない
=+=+=+=+= 我が子の先輩に、塾も予備校も行かずに現役で一橋に合格した人がいるけど、それもすごいよね。
=+=+=+=+= 諦めない限り、人生は変えられる。その不屈の精神で人生を切り拓いた彼の教えはきっと、魂と共に生徒の心に届くと思いました⇒最後に心に残った(* 'ᵕ' )☆
=+=+=+=+= 多浪してランクの高い大学行こうが現役でランクの低い大学行こうが結局肝心なのは卒業後の人生だと思う
=+=+=+=+= やった後悔よりやらない後悔の方が人生に暗い影を落とし続けるから頑張って良かったと思う。
=+=+=+=+= この件を成功体験として今後に活かせていくのならば、良い成功体験でしょう 私には無理そうだし、他の人にはお勧めしないかな
=+=+=+=+= 資格マニアの方のお話かと思いました。あと大半の生徒さんには、この方の成功体験と不撓不屈の精神は響かないでしょうね。
=+=+=+=+= 普通の人は大学から専門の勉強に昇華していく 高校生までの勉強を一生続けて、成長があるのだろうか
=+=+=+=+= 社会科をここまで極めたのはすごいと思う たぶん数学が不得意だったのかなと推測する 1流私大の文系なら普通に受かってただろうね
=+=+=+=+= コツコツ勉強を続けたり休みの日に添削をお願いしによその大学に通ったりガッツがすごいね 一橋を卒業した後はどうされるんだろうか 非常勤講師のママ?
=+=+=+=+= 7浪相当で入学すると卒業時は29歳? 30歳? そのころ高校の同級生は職場で責任ある立場になってるわけですよ…
=+=+=+=+= 7浪して文系に行く意味が分からない その後は?社会人30歳スタートはキツイぞ そもそも企業が新卒で敬遠するだろうし
=+=+=+=+= 本人がやりたいからやる、それだけだろ
うちの祖母は趣味で詩吟教室に通ってるが、「何の意味があるの?」「無駄じゃない?」なんて言う人はおらん
それと同じ話
=+=+=+=+= こういう記事を書く神経が嫌いだな。 登場人物をネタにしてバズらせようという感じ。 そこにはリスペクトも社会的意義もない。
=+=+=+=+= 580点で一橋は無理。先生が正しい。 社会が教えられないから再度一橋とか目的と対策が変でないかい?
=+=+=+=+= 「父親や、予備校の担任を見返したかったから頑張れた」:私はちょっと悲しく空しい気がします。
=+=+=+=+= その人の人生。 本人が納得できる選択であれば、もうそれだけでいいのではないか?
=+=+=+=+= 脱サラして。 偏差値55強の私立大学文系入るには 学力が高校入学に足るかどうかでは?
相当の努力いるんやろな?? 独学では無理やろ?
=+=+=+=+= 学歴コンプレックスがある人が、読むには面白いだろう。努力家ですね。
=+=+=+=+= 目標を持って努力してそれを叶えたのはすごいことですね。
=+=+=+=+= で、社会人になってどうなったかな? 大学で遊んでしまったかな?その後が知りたい。。
=+=+=+=+= 父親を見返すためというが、まさか浪人するための費用を父親に負担させてはいないよな?
=+=+=+=+= そもそも7浪の価値があるのかを 自問自答する事も大切だったな
=+=+=+=+= 浪人は2浪まで。勉強好きなら難関資格取った方が良いのでは?
=+=+=+=+= 7浪ではいくら一橋大学でも三井住友信託銀行への就職絶対無理でしょう
=+=+=+=+= 立派な予備校講師になって下さい
=+=+=+=+= 継続こそ力也の凄い方と思う。
=+=+=+=+= 申し訳無いが、7浪して、どこの大学であれ,文系学部に行く意味が分からないです。
=+=+=+=+= 7浪じゃなく再受験だろ。 釣りタイトル(・A・)イクナイ!
=+=+=+=+= 悔いのない人生を送れるのならそれでよし。
=+=+=+=+= 人のせいにしすぎ、独りよがりすぎ、いっしょに仕事したくないタイプ筆頭やな
=+=+=+=+= 7浪で一橋に合格 俺が企業の人事だったら 採用はしないかな・・・
=+=+=+=+= 大学院で博士課程目指せばよかったやんとしか。。
=+=+=+=+= うわーキツいなと思うコメントが多いが。的を得ている
=+=+=+=+= ・・・これは結局、「私の思い込みの強さは父譲りです」って記事?!
=+=+=+=+= いいじゃないか。 人の人生、色々だ!
=+=+=+=+= 資格取ったほうがよかったね
=+=+=+=+= お疲れ様でした。
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