( 233243 ) 2024/11/13 17:33:29 2 00 自死の道を選んだ「就職氷河期世代」の夢と現実、36歳で早逝した早稲田OBに何が起きたのか東洋経済オンライン 11/13(水) 6:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b34af13e747571586fc03889b7cbb5018ec9e28e |
( 233246 ) 2024/11/13 17:33:29 0 00 (イメージ写真:kt-studio/PIXTA)
孤独死や陰謀論が社会問題化している。その背後にあるのが、日本社会で深刻化する個人の孤立だ。『週刊東洋経済』11月16日号の第1特集は「超・孤独社会」だ。身元保証ビジネスや熟年離婚、反ワク団体など、孤独が生み出す諸問題について、実例を交えながら掘り下げていく。
2人の早稲田OBの現在
江戸時代から宿場町として栄えてきた東京都足立区の北千住。今でも下町風情を感じるこの街に、36歳で早逝した、一人の男の墓がある。男の名は、岩井聡輝。筆者と同時期に早稲田大学を卒業した。
岩井は政治思想に詳しく、多様な人間たちがつくり上げる共同体の可能性を信じていた。後輩からも慕われる優秀な岩井を「大成する」と固く信じていたのは筆者だけではない。しかし、彼は2019年の1月、自死の道を選んだ。
この秋、民家に囲まれた墓地の一角にある岩井の墓を訪れた。墓前には缶ビールが3本置かれていた。私も、ヱビスの缶ビールと仏花を供え、手を合わせた。自分用に持参したノンアルコールビールを口にしたら、こんな思いが湧いてきた。「なぜ日本社会は岩井の才能を生かしきれなかったのか」。
■転機は就職活動
彼はいったい何に悩み、苦しんでいたのか。早稲田を卒業した後も岩井と連絡を取っていた者たちに話を聞いてみることにした。快活だった岩井が苦悩し始めた1つの転機は、就職活動だったようだ。
就職氷河期世代とは、バブル経済が崩壊し新卒採用枠が激減した時期に就活を経験した世代を指す。一般的な定義では、1993年から2004年に大学・大学院の卒業・修了を迎えた世代とされる。岩井と筆者は、就職氷河期世代の中心層から少し外れている。
ところが、世界的な金融危機リーマンショックが起きた2008年以降の数年間、一時回復していた就職率は「氷河期逆戻り」と呼ばれるほどの低水準に落ち込んだ。そのため、ちょうど筆者が就活をしていた時期には、「100社近く履歴書を送っても、面接で落ちまくり1社も内定をもらえなかった」など就職氷河期と酷似する悲惨な経験談を聞いた。
■心労に気づけなかった
かくいう筆者も入社試験を受けたほとんどの会社で不採用となった口だ。不採用通知を受け取るたびに「社会で必要とされていない人間」と烙印を押されたような気持ちになり、就職戦線からは途中で離脱した。人生の路頭に迷いかけたとき、東日本大震災が発生し、海外の報道機関で働く機会を得た。実力で職を得たのではない。すべては人との縁と偶然のおかげだ。
当時は、自分の働く場所を確保するのに必死で、就活で苦労する友人の悩みを聞く精神的な余裕はなかった。油断すれば自分も就労の機会を失う。親しい間柄だったはずの岩井が抱えていた心労に、筆者はまったく気づかなかった。
社会人経験を積んだ後に大学へ入学した岩井は、卒業時点ですでに29歳だった。年齢を理由に書類選考で落とされ、表情が浮かない岩井を目撃していた知人がいた。
就活へ向けた準備が本格化し出す大学3年の春、心の病を発症。症状が軽快し一度は内定を得たが、卒業直前に再発し内定を辞退せざるをえなかったという。就活で悩んでいた時期の岩井をよく知るYは後悔の念をこう吐露する。
「一時期は『薬を飲まないと生きていられない』というほど落ち込んでいた。岩井に『おまえには両親もいるし、実家に住めて幸せだよ』と言われたことがあった。その後、塾経営や地元政治家の手伝いなどをしていたので、元気なのだと思い込んでいた。人知れず孤独感を抱えていたのかもしれない」
浪人を経て早稲田に入学したYは現在48歳。定職には就いているものの、何度か転職を経験していて、いわゆる「正社員の出世コース」ではない。交際する女性はおらず、性交渉の経験もない。今は実家暮らしだが、いつか単身高齢者になる可能性がある。「将来に不安を感じるか」と聞くと、Yは杯を傾けながら、こう答えた。
「岩井は周りの評価を気にして自己肯定感を傷つけられたのかもしれない。でも俺は『周りに俺の価値がわかるわけがない』と割り切っている」
■何かの柱が崩れたら孤独になる
取材の序盤では「孤独なんて感じない」と強気なYだったが、酒が進むにつれて、徐々に本音が出てくる。目にうっすらと涙を浮かべながら、自らを鼓舞するように言った。
「俺は『孤独予備軍』だよ。何かの柱が崩れたら、孤独になる。好きで孤独でいるわけではない。孤独を感じないように意識している。友人からのLINEにも反応できないほど自分を閉じるときもある。『岩井みたいになるかも』という恐怖がつねにある。両親の死後については深く考えないようにしている。そこは突っ込まないでほしい」
「岩井くんは彼女もいたし、孤独を抱えているとは感じなかった。でも、最後に話したときに岩井くんが『死に対する恐怖はない』という主旨の発言をしていたことは今でも記憶に残っている」
そう話すのは11年かけて早稲田を卒業した加藤志異だ。加藤は常人には理解しがたい「妖怪になる」という夢を抱いている。当初は周りに嘲笑された荒唐無稽な夢だったが、15年近く言い続けたら次第に定着し、今では多くの人に「妖怪・加藤」と呼ばれるようになった。
卒業後は、契約社員や絵本作家としての活動で食いつないできた。今は、リンゴの行商で主な生活費を捻出している。離婚も経験し、今でも生活は楽ではない。だが、加藤にはどんな苦境も前向きに捉えるメンタリティーがある。
■声をかけてくれる人
そんな加藤でも現在の境地を見いだすまでには、どん底まで落ち込む時期が幾度もあった。だから「岩井くんの心情も想像できる」という。浪人生活、就活、そして「妖怪を目指すべきか」と本気で悩んだとき。自尊心が低くなりかけると、そばにいる誰かが加藤を肯定し、そっと後押ししてくれた。
妖怪・加藤はこう訴える。「社会から切り離されたと感じたら、人間は弱くなる。重要なのはお金や地位、収入だけではない。いろんな評価軸があっていい。人生に迷ったとき、『大丈夫だ』と声をかけてくれる人がいるだけでも、心は救われるはずだ」。
有名な大学を卒業しようと、正社員になろうと、充足感に満ちた人生が待っているとは限らない。人の心を救うのは、結局のところ、人とのつながりなのではないか。
取材後、最近疎遠になっていた早稲田時代の友人を食事に誘ってみた。都内で独身生活を送っている沖縄県出身の彼はこう話し、表情を緩ませた。
「落ち込んだ時期もあったけど、今はちょっと元気になった。連絡、ありがとう」
=敬称略=
鈴木 貫太郎 :ジャーナリスト
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( 233247 ) 2024/11/13 17:33:29 0 00 =+=+=+=+= 1995年早稲田卒です。女性なのでなお厳しい就職活動でした。不採用となるたびに否定されるような気持ちになったこと記事と同じです。たまたま地元で就職できそのあと資格をとりなんとか食べていますが運による部分も大きかった。もちろん優秀な人間は就職できてたけどそんな人たちじゃない95%の人間が普通に職に就けなきゃだめだと思う。その時代の不遇な人たちの将来は明るくないし、支える側も辛いと思う。
=+=+=+=+= 就職氷河期世代でしたが、20代後半で抜け出しました。その時の不条理さは、面接時の「経験がないから」という言い訳。他社も同様。「その経験の初めてを自社でやりたがらない会社」が多かった。これが「面接空振りの最大の原因」。これは体のいい言い訳だったのでしょうが、「経験の面倒をみてくれる会社に出会える確率が高い選択をする」ことがその後の継続につながったのは間違いない。
=+=+=+=+= 正に早稲田で天国と地獄の境目を目の当たりにした者です。 1992年卒。早稲田卒の先輩達は一流企業に、しかも複数の企業からバンバン内定を貰っていました。内定後は海外旅行のプレゼント。 翳りが見えた1993年卒。私もこの年に卒業しましたが、一流企業にまだ周りのみんなも就職は何とか出来ました。ですが、内定が取れない日々に疲弊していました。中には聞いたことがない会社に就職する人も出始め、華々しい戦績の1年前とは雲泥の差でした。 1994年。明らかに氷河期でした。 後輩達の殆どが就職出来ずバイト採用。心を病む者が出てきたのもこの時期です。 当時、人事にいた私は部長より「明治以下は面接しない。履歴書は即返却」との通達。 なんて会社だと呆れていたが、その会社自体も次第の波に飲まれて消えてしまった。 たった1、2年の卒業の差が運命を分けた残酷な時代でした。
=+=+=+=+= 私は2000年卒です。 卒業後しばらく親父の工務店の手伝いを していましたが親父は2人に騙されて 結局破産しています。 そのころは朝5時起きの夜中の3時帰宅 とか当たり前でした。 結局2ヶ月バイト代ももらえず 親父の知り合いの設計事務所に 勤めることになりました。 そこでの年収は180万円です。
私は親父のようにはならないと思い 今まで頑張ってきました。 50歳を前にして年収800万円に 到達します。
不景気、姉歯事件、いろいろありましたが 今の時代の新卒ならもっと楽な人生 だったのかなと思います。
=+=+=+=+= 2000年代に派遣会社で営業やってました。担当は大手JTC本社と子会社です。その会社の業績が悪化した時、正社員のリストラと共に、一部の部署を除いて大多数の派遣社員の時給を下げる事が決定され、全てのスタッフと面談する仕事をしました。 言いたい事は山程あるはずなのに、みんな全てを飲み込んで時給ダウンを受け入れていました。 その時ある派遣先担当者に言われたのは「彼女に辞められたら困るよ。でも時給は下げてね。」と。すごく良いスタッフさんでしたが、彼女でも派遣から正社員になる事は出来なかった。派遣会社なんて、力及ばず無力感ばかりの激務でした。 美人で明るくしっかりしていて仕事も出来て、残業も文句を言わずに対応する。そんな派遣スタッフがまだ沢山いる時代でした。頑張っていれば誰かが見ていてくれると、皆どこかで信じていたのだと思います。 派遣の正社員化を政治が進めていれば...有為の人材を使い捨てた。
=+=+=+=+= 2004年早稲田卒です。ギリギリ氷河期です。 最盛期ほどではないでしょうが、確かに就活は厳しかった。 最終的に小さなIT会社に就職したが、ドロップアウト。その後約10年間派遣社員してました。 正社員に戻るのはムリゲーでしたが、人の縁で今の会社に何とか潜り込めました。 私が再就職できたのは人より優秀だからでも頑張っていたからでもなく、まったくの運でした。 記事にもありますが、やはり人とのつながりが大事。
今では何の因果か人事採用担当になり、超売り手市場のZ世代に面接ドタキャンされまくり、内定蹴られまくりで人生の不条理を日々かみしめています。 なお兄の就活はもっと厳しく、辛酸を嘗め尽くした上猛勉強してキャリア官僚になりました。 今でもブラックな環境で苦労しているようです。
=+=+=+=+= 現在40代半ば。 この感覚、空気感や虚脱感、社会を信じ切れない孤独感、わかります。 幼少期のバブル時代と就職氷河期を経て形成された、世代独特の価値観。 全ては自己責任の言葉で、社会から見放され、普通の暮らしや生活を手に入れる為に、私もそうですが、皆どれほど頑張ったか…。
=+=+=+=+= ほぼ同年代の超氷河期世代です。 早稲田とは正反対のFラン文系大学だったので、卒業生の半分くらいしか就職できませんでした。 私は幸いにも就職できたものの、職場は、いくらでも替えがいるからと、かなり劣悪な労働環境でした。 人間関係も悪く、パワハラ上司のおかげで一年経たずに退職。 それからも紆余曲折あったものの、四半世紀経った今は正社員で人並みの所得を得ている。 これまでの経験で、建前として、格差の解消や機会の平等が言われるが、実際には自分さえ良ければそれで良いとの価値観が人間の本心と知った。 地震や台風などの災害で被害に遭った人にも、同年代の超氷河期で苦労した人でも、表向きは別として、内心はどうでもいいと感じている。 所詮は他人で、自分が困ってある時に手を差し伸べてもらったたこともないので、自分でも随分と冷淡な人間になったと感じる。
=+=+=+=+= 2000年修士でした。早稲田よりは難関な学校だったこともあり、周りの同級生は全員一流どころで、世間の空気の厳しさは正直いってあまり感じていませんでした。 しかし、配属された職場に大学新卒の方がお茶汲みのバイトで来ていたのを見て驚愕したのを覚えています。学生バイトに混じって、この進路なの?と。 今とは全く異なる異様に厳しい時代でした。生まれた時代により環境が変わるのは当然で、戦時の頃の方を思えば、まだまだ恵まれているとも思います。ただ、戦後を通じて、最も苦労した世代なのは疑いない。私たちの世代の苦労を、これからの世代が負うことがないように社会運営をしていきたい。心底そう思います。
=+=+=+=+= 早稲田大学でも特に文系の学部の就職は人によって大変だったと聞きます。バブル期に過剰投資し過ぎた多くの企業が無駄を削ぎ落とさないと生き残れない時代で、採用を止め、リストラしていた時代。求人はあっても有名大学よりも即戦力になれる人が少ない求人でも採用されてましたね。生まれる時代が後10年遅ければ違った人生もあったのかもしれない。
=+=+=+=+= 世の中は複雑ですから、ここを通れば安泰って道は無く、たとえ早稲田を出ても状況やその人のメンタリティによっては世の中にフィットしづらい場合があるという事、よくわかりました。
逆に考えれば、どんな状況であっても自分次第で如何様にも生きていけると。もちろんいきなり大富豪になるとか有名企業に就職っていうのは無理かもしれませんが。
高校生の息子がいますが、何がやりたくて何が幸せなのかを他人と比較せず、自分軸で考えて見つけて深めて修正しながら生きて欲しいなと思いました。
=+=+=+=+= 就職氷河期世代だけど、一般的な就職活動はかじっただけ。自分で見つけた小さな事務所にアルバイトで入って、そのまま社員になったので、自分自身は就活がたいへんだった記憶がない。入社した事務所は、いま思えば、けっこうブラックだったけど、好きな仕事だったから趣味みたいな感じで続けられた。そこからも気の向くままに転職して、30半ばで上場企業の正社員。 まわりを見ても、結局、好きなことや自分の適正にあったことを、周りに左右されずにコツコツめげずにやっていた人ほど、いまもイキイキ働いている。 人とのつながりは大事だと思うけど、それよりも、常に自分自身と向き合って自分の世話を焼くほうが大事だと思う。自分を本当の意味で大事にできるのも、自分の人生を価値あるものにできるのも自分だけ。
=+=+=+=+= リーマンショック後は私の勤めていた会社にも野村證券の方が中途採用で入社してきたりしていたが… その年はその分の調整はあったと思うがリーマンショックで採用が減ったということもなかった。 間違いやすい点ではあるが良い大学を卒業したら良い企業に就職出来るというわけではない。 良い大学を出て更に人脈があることが大事。 流石に縁故だけで入社は出来ない時代なので親達は教育投資しているわけです。 地方から出て来て似たような境遇の人と友達になって大学生活謳歌して…では、なかなか厳しいものがあります。
=+=+=+=+= 就職氷河期でも前向き取り組んでいた学生が多かった。大卒後就職せず、大学院に進学したり、海外1,2年留学したり、どこか旅に出て放浪したりした学生、また志望の就職先じゃなくても、一旦別会社に入社したり、さらに地方の企業に入ったりした学生も。とにかく前向き必死にやっていこうと当時のことを思い出した。
=+=+=+=+= 大学受験、就職、社内出世と常に競争ある中で、レベルなのかグレードなのか色々あります。失敗しても環境を受け入れる人、環境を受け止めながら軌道修正する人と実に色々です。人に優しくない社会、生きていくのに大変な世の中の仕組みには何とかならないものなのか?と感じます。
=+=+=+=+= 生まれた時代で、就職がままならないのは本当に不運。自分の力でどうしようもないわけで。就職で苦労していない世代は契約社員や派遣社員として働く有名大卒を「なんで君みたいな人が...」や「努力が足りないのでは」みたいなことを言ったりする。日本はセカンドチャンスが得にくい。企業に対し、氷河期世代の雇用に補助金を支給するも、経営が楽でなく比較的小さな企業以外に響いていないのじゃないかな。 大小関わらず、企業はセカンドキャリア形成の機会を積極的に作っていくべきですね。企業は新卒既卒にしばられず、有能な人材を活かして業績を上げる。雇われる側も非正規雇用から正規雇用になったり、キャリアアップすることにより所得が増える。経済が上向く。
=+=+=+=+= 40代半ばの氷河期ど真ん中世代です。 大学卒業の2002年前後が特にひどかったと思います。
私も卒業後数ヶ月してから中小企業に拾ってもらえましたが、たまたま人数の都合が合わなかったから採用してもらえた。(事務職) 当時はパワハラという概念が薄かったため、嫌味を言われ、残業代なしで早朝から深夜まで働き、飲み会も強制参加… それでも働き口があるだけマシでした。
筆者が「すべては人との縁と偶然のおかげだ」と仰ってますが、まさにこれにつきます。
=+=+=+=+= 就職氷河期の直前に就職しましたが、その後の世代、ぽっかりと空いてます。下の者がいないのでずっと下の仕事をさせられました。辞めると仕事がなく転落人生の可能性が高いので転職なんて考えられませんでした。辞めずにここまできましたが、今の若手の優遇、うらやましく思います。
=+=+=+=+= 私も同年代の同じ大学卒です。 起業して高い収入を得ている人もいれば、大学で学んだ事とは関係ない、悪く言えば高卒でもできる収入の低い仕事についている人も多いです。 ただ、みんな概ね楽しそうにやっています。そういう人には自然と人が寄ってくるので、収入が低くても結婚もして子供もいます。
氷河期氷河期と言いますが、時代の影響はゼロではないにせよ限定的だと思います。時代が悪い、社会が悪い、会社が悪い、大学が悪いなんて言ってる人とは付き合いたくないです。結局は自分次第だと思います。
=+=+=+=+= 就職氷河期世代は第一次就職氷河期世代(1995~2005年卒)と第二次就職氷河期世代(2010~2014年卒)があり2008年9月に発生したリーマンショックと東日本大震災により発生した「第二就職氷河期世代」のことを忘れがちです。ちなみに別名「ゆとり世代」です。ゆとりがあったのは大学3年まで。ただし2013年大卒はわざと修士に逃げる事で実は2015年卒になるので「売り手市場」に変貌します。みなさんも修士課程をうまくお使いください。
=+=+=+=+= 1997年早稲田一文卒女性です。超氷河期は在学中からわかっていたので、卒業前に念のためと学部とは関係のない国家資格を取りました。就活は本当に苦戦し、ようやく得た就職先も「女性一般職」という事で所謂お茶くみ(事実、最初に教えられたのは部内全員のマグカップとお茶の好み。。。)でした。その後転職を重ねたうえで、今は大学時代に取った資格が役に立っています。 私のころから、「大学名では生きていけない」という事実がようやく浸透し始めたように思いますので、まだまだ「早稲田出てれば大丈夫」的な意識が、特に男性には強かったのかもしれません。とはいえ、早稲田魂で雑草のようにたくましく生きて頂きたかった、と思います。
=+=+=+=+= 就職氷河期2001年組です。 私にも精神を病んで自死した同級生がいます。早稲田卒でした。女の子です。 正社員にこだわって就職活動をしていましたが、就職先でうまくいかず、落ち着いたり病んだりの繰り返し。 突然の訃報でも自死は言葉をかけ辛いですね。ご家族も顔見知りのため、いたたまれなかったです。
故人を偲ぶ事で残された者は強くなるしかないですね。 いつまで経っても忘れません。
=+=+=+=+= この氷河期世代は皆んな頑張ったんですよ 更に相当に頑張ってきた人達がのし上がった だから氷河期世代は同じ氷河期世代には厳しいですよ 成功してる人たちは、相当頑張ってきてますから 愚痴やら言ってないで自分のスキルを高める努力をする この世代はそれしかないです
=+=+=+=+= 氷河期で何とか一般企業に入社できましたが(エントリー含めると100社近く受けけ内定は1社のみ)、3年後氷河期から抜け出した新入社員いわく3〜4社から内定もらい就活はラクでした〜と。。。 なかなか厳しかったです。 でも少し良い面も。 仕事を選ぶ事を知らないから、40代の今どんなパートでもやれてます。プライドは高くないです。
=+=+=+=+= 50歳の氷河期世代です。私は親のコネで某大手ゼネコンに入社しました。当時の生活は現場によりますが平均朝5時半起床で現場に7時着。帰宅するのは深夜2〜3時頃。もちろん土曜祭日なし。場合によっては日曜出勤も結構あり。夜間工事があれば、初日は当然のごとく昼夜通しで、昼寝ていても平気で会社の上司から電話はバンバンかかってくる。当時の社内の雰囲気は、我々若手に対して嫌なら辞めろ、変わりは幾らでもいる、と言った感じで文句なんか言えたものじゃない。不景気で転勤先もないし。それでも何とか10年勤めました。嫁さんとまだ産まれたばっかりの長男を連れて馴れない土地に転勤も幾度となくしました。今は地元ゼネコンの子会社に勤めています。当時を嫁さんと振返り、俺達良く頑張ったよな、自分で褒めてあげたいよ、とお互いに言っています。あの日々を思い出すと怖気しか走りません。年寄みたいに昔をなつかしむ気になんて到底なれません。
=+=+=+=+= 氷河期世代です。Fラン大学卒です。100社くらい受けて、2社の内定をもらいました。 1社は内々定で中華料理店に連れて行っていただいたのですが、占い師のお爺さんが同席。悩んで就活続行してITベンチャーに入社しました。 まあ、それからは転職、結婚、育児休業、退職して専業主婦、扶養の範囲内でパート、短時間パート(扶養から外れた)、正社員と、色々な状況になりました。 今、収入については満足しているので、まあまあかな! 自分はプログラミングできるようになるまで時間かかりましたが、ずっとそれで稼いでるので、運が良かったです。
=+=+=+=+= 当時の早大は難しかったねえ。(もちろん今もだけど) 当時は、一学年200万人くらいいて、受験戦争も厳しかった。 浪人が当たり前で、2浪3浪も普通にいた時代でした。
そうやって苦労して入ったはずの早大なのに、 当時、引っ越しバイトとかの力仕事バイトに行くと、 早大卒フリーターがごろごろしてて、ビックリした。 「辞めても大変だろうに、辞めざるを得ないくらい、 仕事はきつかったんだろうなあ」と当時思いました。
=+=+=+=+= 当時は中小企業も威張ってました。マーチレベルが数人いればいい方だった知り合いの某銀行が、全員早慶になった時代ですからね。異常な時代でした 超買い手市場をいいことに調子に乗ってた企業は、今日の超売り手市場で報いを受けてるはずですよ
=+=+=+=+= 氷河期世代でも格差が広がっているね。 タワマンに住んでる40代は勝ち組だろうね。 新卒で大手上場・優良企業に行けたのは僅かな人達だった。 特に女性のキャリアプランが現在の若い人と比べて少なかったように感じるね。 貯蓄、退職金、年金と格差がでるだろう。 定年後は経済的に厳しい人が多いんじゃないかな?
=+=+=+=+= バブル期入社組の50代後半、日東駒専卒ですが就職は選び放題でした。 日東駒専でも大手商社や大手銀行に入れた時代です。もちろん絶対数は多くないけど。 私も業界内トップの企業に潜り込んで、まあ社内ではさほど出世はしませんでしたが生活に困ることはなく。 優秀な下の世代に突き上げられモヤモヤする日々を越えて、今ではやはりラッキーだったと感謝する毎日です。 何とか人生逃げ切れるかな。
=+=+=+=+= 記事に出てくるかたたちの気持ちがよくわかる。 私は2000年卒ですが、友人が就活中に自殺しました。就職できなくてもよかったのに…と言ってたお母さんの顔が今でも忘れられないし、なぜ彼女が亡くならなきゃいけなかったのか?という思いは今もある。 首都圏の国立大で、100社受けて内定ゼロ。即戦力がほしい、自己責任などと言われて、社会全体から人格を否定された感が、今も心のどこかにある。女性には特に厳しくて、面接で、結婚願望は?結婚したら辞めるんですよね?みたいな、今ではありえないことまで、言われたなぁ。 私自身、非正規で食いつないで、今はフリーランスでなんとか生きている。老後を考えると長生きはしたくない。
=+=+=+=+= 私は2007年に早稲田を卒業しました。浪人、留年を経て就職して、3年働き、公務員に転職しました。親の援助やたまたま時勢に恵まれただけであって、一つもの何かが違っていたら同じようになったかもしれません。 ふと人生を振り返るきっかけになる記事でした。
=+=+=+=+= 99年三流大理系学部卒です。当時、額面割れの企業も多くこれでもかというくらい企業は採用絞ってました。まだ試験受けられるだけマシで受付終了とか今年は採用してませんとかが当たり前だった。当時文系でも現役で早稲田以上卒ならリクルーターから電話来てインフラ独占企業などから電話来たと話聞いて驚きました。表には出ていない求人は結構ありました。
三流大卒でも幸い就職浪人せず1部上場企業に就職でき、翌年には別な業界に転職しました。今はピンで会社しています。
私の場合偏差値の勉強が全くダメだったので諦めは自動的につくのですが、偏差値が高いかただとどうしてもプライドが先行してしまうので、結果が出ていない方は生きづらさが出てしまうなと周りをみて思います。
=+=+=+=+= 数十年しか生きないのに周りの評価なんて水もの気にするのもバカバカしいです。乳幼児の時に死にかけた時に言葉を持っていなくて「苦しい」と自分に言えないのが余計窒息の時間をもどかしく堪えた経験から、ツライ時に自分を励ます言葉のある大人は孤独ではないとも思います。
=+=+=+=+= 氷河期世代も一枚岩じゃないよね。 大学費用を親が出してくれた人と、バイトと奨学金で自力でどうにかした人とでは、卒業後の苦労も雲泥の差。 子の大学費用で苦労する親なので、当然今ぶち当たってる親の老後についても頭を悩ませるわけで。 幸不幸は一括りにできないけど、無駄に苦労させられたしこれからも苦労する人は多いだろうと思う。 それを自己責任として何十年も黙って背負ってたら、そりゃ何もかも嫌になるでしょうよ。
=+=+=+=+= 子育てを経験して思うが、めちゃくちゃ勉強して受験乗り切って 大学卒業して大企業に就職して敷かれたレールに乗る。 これからはみ出たら人生終わりって思考になる人達可哀そう。
だけどこの人たちがいるからその他大勢の凡人たちが恩恵に預かっているわけで、優秀な人たちはそうゆうお役目なのだろう。
=+=+=+=+= 早大卒元教師正規48歳 中央大卒元マスコミ正社員55歳 岐阜大卒元銀行正社員43歳 高卒バイト歴のみの35歳 の4人が非正規でいましたが、正社員に抜擢されたのは35歳の人でした。若さが勝ると実感。
=+=+=+=+= 早稲田卒なのに、時代が氷河期だからってなんでこんな惨めな暮らしをしなくてはならないのだろうか?その考えは危険だと思う。 会社の同期に早稲田卒の人がいた。彼は早稲田出身という事に誇りを持っており新人の時は自分は早稲田出身だとアピールし二流大学の自分に何で?二流大の奴と一緒の会社なんだよ?とか嫌味を言われたものだ。 しかし会社入ったら学歴関係なくなる。早慶出身でも理解力に乏しく作業しかできない奴いるし、三流大卒でも管理職になった自分もいる。 その彼は仕事は優秀で若くして管理職になったが親会社の早稲田卒と比べたのか充足感は満たされず酒に逃げてしまい退職に追い込まれ最期は臓器不全で40歳の若さでこの世を去った。 お通夜で憔悴しきった奥様の表情とお父様が自慢の息子だったと泣きながら話していたのが忘れられない。 早稲田というプライドが劣等感や孤独感を加速させてる感じもする。
=+=+=+=+= 就職氷河期世代ではずれ 記事のような人生を歩はずれんできました。 求人詐欺が酷かったな、という印象が強いです。 罰則もろくにないので、人を使い捨てにするような感覚が当たり前でした。 そして、使い捨てにできる人が出世していくのを目の当たりにしました。
経験則ではなく、データで論じることは散々されたので控えます。
ただ、日本は間違いなく、もっと衰退するでしょう。
若い人は、海外で稼いで、今は安全で安い日本で暮らすと良いと思います。
=+=+=+=+= バブル入社組です。就活は氷河期世代に比べたら楽勝、大手企業入社し転職せずに至ります。今は年収そこそこ、役職そこそこです。 入社後からバブル崩壊、不景気が来て、昇給率、ボーナスも20年以上は低空飛行(会社は比較的ホワイトと信じている笑)。但し、客層がブラックだらけで毎日、罵声の嵐やそれに伴う徹夜作業は当たり前(見込み残業代のみ泣)、人員補充もなく人手不足でともかくハード、身体がぶっ壊れるか精神崩壊かのギリギリ状態だった。おまけに家計はローンや教育費で火の車。バブル組と揶揄されるが、不景気真っ只中、次の当てもなくで会社にしがみつくのもそれは大変な時代、更に今はリストラに怯え。今の70、80代ぐらいが成長期で夢が、あったような。
=+=+=+=+= 結構似たような境遇のある人いてびっくりした。 就活も大学のブランドで取ってくれるだろうとタカを括ってたら当時は就職氷河期もあり、周りが内定取り出した3月頃に本格的に始めたもんだから夏くらいまでかかった。 中には「君よりランク下の大学の子の方がよっぽど志望動機しっかりしてるよ」なんて言われて泣きをくらったこともあった。 とりあえず入ったのは経営で危ぶまれてた某スーパー。親からももっといいとこ行けとか言われたが、パワハラの日常で結局経営不振になり2年で辞めた。 当時の上司からは高校入る時の5科目の点数聞かれて「なぁんだ高校時は俺よりバカだったんだ」とケロッと言われた。 今も不安定な仕事だけど宅建持ってるのがせめてもの武器くらいか。 あぁいえば上祐、じゃないけど当時パラパラしてきた上司にはそのあと腹黒いことお見舞いしてやった。 早稲田だから安心という時代ではないと身をもって痛感してる。
=+=+=+=+= 僕も早稲田だけど奥島総長の時代だったからぎりぎりセーフ世代だったのかな 頼んでもないのに超大手企業から山のように実家宛に企業パンフレットが送られてきて、毎日のように僕の下宿に親からパンフが転送されてきたもんです。 僕の後輩あたりからが氷河期世代なんだろうな 消息不明の後輩も結構います。
=+=+=+=+= 登場人物が特異過ぎる。 就職氷河期が今を後を引く大きな社会問題であることは事実であり私自身も大きなハンディを負ったと感じているが、彼らの場合は それ以外のところに問題を抱えていないだろか? こういった方たちをクローズアップすることで氷河期の問題を意図して矮小化しようとしているのかと邪推してしまう。
>内定を得たが、卒業直前に再発し内定を辞退せざるをえなかったという(自身の問題では?)
>現在、48歳。性交渉の経験もない(20代ならまだしも人間的魅力と行動力に欠けるのでは?)
>11年かけて早稲田を卒業した >卒業後は、契約社員や絵本作家としての活動で食いつないできた。今は、リンゴの行商で主な生活費を捻出している(11年間、首都圏の私立大学に通える財力は恵まれているといえる)
=+=+=+=+= 私も氷河期世代ですが、昔は今よりもずっと厳しい時代があったと聞きます。 若者が戦闘機で敵の空母に突っ込めと言われた時代もあったわけで、生まれたタイミングで波があるのはやむを得ないかと考えています。
=+=+=+=+= 1996年地方の中堅私大卒、中小企業の平社員です。同級生の中には上場企業の部長をしている者、(相続でなく自分で購入した)マンションを複数棟所有している者がいます。私と彼らに差がついたのは、世代のせいではなく、私自身の力不足だと自覚しています。
=+=+=+=+= 何百倍の倍率を勝ち抜いて就職したあとの苦しい。上はバブル世代で、力もないのに入ってる人も中にはいて、30代まで1番下。40代は突然後輩が出来、数年後には管理職。冬から春がないまま夏になったみたいな。
=+=+=+=+= 春日部に「はじめのいっぽ」という市民団体を立ち上げた岩井聡輝さん(32歳)。 心の病が疑われても、いきなり精神科の門をたたくのはまだまだハードルが高いのが、日本の現状。そんな方のために、「はじめのいっぽ」となる相談窓口を開こうと、精神科医などの仲間と一緒に行動を起こした岩井さん。 彼自身、精神科に偏見を持ち、なかなか受診出来なかった経験があり、同じように悩んでいる方々のためになりたいと、この活動を始めたとのこと。 ↑ 悲しいね
=+=+=+=+= 都市圏の遅い時間、ラーメン屋とかの営業時間長い個人飲食店にフラッと入ると、大抵この世代の人が店長やってるのが目につく。バイアスとかじゃなくマジで。で、彼ら10〜20代頃の流行りの曲を店内にかけ続けてる。この人らサザンやジュディマリ率高いのはなんでなんw
想像100%でいうと、氷河期で真っ当な会社に就職できず(または当時ブラック過ぎて、それでもなお真っ当な職をと、流れ着いた先=)自分で飲食やり出して今に至ってるみたいな。。
店の表には「スタッフ募集中」(←人手不足)の貼り紙出しながら氷河期本人は長時間労働してるのを見ると、同じ世代として涙出てくる。キャリア・家庭を築くレールは得られず、自分で道を切り開いてなんとか生きてる者達の多いこと。当然刺青もしとらんよ。些細なことで難癖つけられて切られやすかった時代に真っ当に生きたくて歯を食いしばって20数余年。この結果だからね。
=+=+=+=+= リーマンショックあたりで仕事探してたことあるけどそんなに苦戦しなかったけどな…。ガチ氷河期に比べればさざ波程度じゃないか? リーマンショックはもう団塊世代の定年が始まりだす頃だったし、氷河期よりだいぶマシだよ。
=+=+=+=+= 社会人経験を経て29歳で大学を卒業したのなら、新卒でも職務経歴書が必要になるぞ。まさか22歳の新卒と同様に履歴書しか出さなかった、という訳ではないよね。早稲田大学の就職課に行けば履歴書だけでなく職務経歴書の書き方くらい教えてくれるのに。
=+=+=+=+= この世代は子供の頃、 「頑張れば必ず報われる」 「弱肉強食」「頑張れない奴はダメだ」 と戦争直後に生まれた世代に叩き込まれてきた。 日本が発展して、煌びやかな世界が ブラウン管の向こうにあり、 早稲田を目指す奴はだいたいがそういうものに 憧れて必死に頑張った。 競争率もエグかった。必死にそれを乗り越えて、 いざ社会に出ようとしたときに、 「頑張れば必ず報われる」と教え込んできた 当時の還暦世代を守るために 要らないと言われたんだよな。
小泉竹中に資産形成の手段を奪われ、 アベノミクスの株高政策も蚊帳の外。
異常なくらいに「しっかりした人生設計」を 理想とする考えを叩きこまれてきたから 収入が少ないと結婚できないとハナから決めつけて あらゆる第一歩を踏み出せずに50歳が 見えてきてしまった。
=+=+=+=+= 氷河期一期の50歳です。当初考えていたまともだと思っていた職業には就けませんでしたが、なんとかやっています。そういう人が周りに何人かいたから孤独ではなかったかな。世代で違いますかな?
=+=+=+=+= いかにも早稲田のダメな人たちを集めました、って記事だなぁ。 この記事の主人公の岩井さんは「岩井は政治思想に詳しく、多様な人間たちがつくり上げる共同体の可能性を信じていた」はずなのに、自分が多様な人間の側になることを拒否して、就活して希望の会社に入って活躍するという、ステレオタイプの成功者になりたかったんだろうねぇ。 多様な人間たちの中には成功者も失敗者も金持ちも貧乏人もいろいろいるんだけど、自分が失敗者や貧乏人になるのはイヤだっただろうねぇ。 そんな考えのヤツは、多様な人間たちがつくり上げる共同体の中ではつまはじきにされちゃうんだけどね。
=+=+=+=+= 有名大学を出さえすれば、後は何とかなる・・・・そんな昭和時代の学歴信仰が垣間見える記事。
確かに学歴社会が雲散霧消したとはいいません。 しかし、昭和時代のように日本は経済大国ではなくなり、必然的に企業も勢いをなくしてしまいました。
かつての英国のような状況が今の日本を覆っています。
世の中が変化したことに敏感になれない人はいつの時代にもいます。
ただ時代の変わり目にその変化についていけず、うまく世渡りできない人がいてもそれは個人の責任ではありません。
記事で取り上げられた方は時代に翻弄された犠牲者のひとりという気がしました。
=+=+=+=+= あの時は酷かった人の代わりなんていくらでもいるという考えに企業側は取り憑かれていたそんな奴らもいつかは放り出されることをわかってなかった人材育成には金と時間がかかるそんなことでさへ経費扱いし新しい考えを取り入れようとしなかった
=+=+=+=+= 自分よりはるかに高学歴、有能な人材が潰れていくのを見てきましたが、打たれ強さや、面の皮の厚さ、ど厚かましさ、無頓着、鈍感といったのも才能なんです。
=+=+=+=+= 氷河期世代です。私は幸い大手に就職しましたが、運が良かっただけで、実力だったと考えることが今でもできない。自己責任って言葉に違和感しか感じません。個人対社会において、個人で負える責任なんて限られてます。悔しいですよ、こんな国になってしまって。
=+=+=+=+= 私も就職氷河期組(99年卒)ですが、私の周りで就職進学できなかった人はいません。 就職も何も苦労してないです。 採用希望の会社から求人が来ますが、卒業生の10倍くらいくるので、好きなところを選び、学校の推薦状持っていけば採用って流れでした。 工学部なんですが、学部によって違いがあるんですかね? 早稲田なら頭が悪いとも思えないし。
=+=+=+=+= 採用を手控えた理由の一番は会社の先行きと応募者の人物。 先行き不透明で人手が欲しければ、やはり即戦力か得意先に受けの良さそうな新人、業務の流れ・処理手順の飲み込みが早そうな才気煥発タイプだな。おっとり君、のんびりさんの出番はなかった時代だろ。
=+=+=+=+= 節目節目でポッキリ折れそうになるんですよね。 その時に声を出しやすい場所や対応してくれる人の存在は本当に大事。確実に救われる。
=+=+=+=+= 打たれ強さや、面の皮の厚さ、ど厚かましさ、無頓着、鈍感といったのも才能ですね。 図太くなる事が、大事。 後、人との繋がりも大事。
=+=+=+=+= 心配はない。TOCKY院卒でプライム企業正社員の私(47歳)も彼女、愛人、お嫁さん居ないですからね。西武線沿線の低偏差女子高生からは(年齢差30歳)からはモテるし、社内からは結婚圧力がかかっていても(なんかオミズまがいの女あてがわれそうになっている)そんなものはおりません。 どんな境遇であろうが氷河期ロスジェネから見た外部の世界というのは漆黒の浮世の闇であるに過ぎないので。
=+=+=+=+= 氷河期世代だと 東大や早稲田でもスーパーや飲食業しか就職が決まらない人が激増。 酷いと新卒で無職なんて人もたくさんいた。 フリーターを彼らはなぜ選ぶのかなんて記事が雑誌に出た時代。 若いのにふらふらしてると思われたのだろうが、本当に仕事がない時期だった。自己責任という政治家が責任放棄した言葉が流行って、社会から見捨てられた世代。
=+=+=+=+= 氷河期世代ですが卒業後2年で司法試験に受かり弁護士になりました。高校のクラスメートも医師・税理士等になり、たまに同窓会で会いますが皆元気です。
=+=+=+=+= まあ社会から切り離されても雲水になれば良いだけで、死も別に悪くないだろう。 1兆年(これでも宇宙史を俯瞰したら超一瞬) 1兆年で考えてみると楽観も悲観も無くなるよ。
=+=+=+=+= 「社会で必要とされていない人間」 就活生にとってこの考え方がおかしい、という事を教えてあげたい。
選考に落ちるのは、自分より評価が高い人がいた、っていうだけの話しです。
レースに参加した結果、入賞できなかった人は存在を否定されますか? 違いますよね?
=+=+=+=+= 率直に言って文章がわかりにくい 筆者が何歳か書かないと、大学生当時の情景が思い浮かばない。 一口に氷河期と言っても何年卒かでかなり違うのよね。
=+=+=+=+= 俺、氷河期でFラン卒だけど大卒で自衛隊に入る時には周囲にバカにされた。4年勤務して辞めた後に中小に転職するも数年で上場大手に吸収されたラッキーパターンでした。特に人生について何も考えておらず。長い暇つぶし程度で過ごしている。
=+=+=+=+= 当時早稲田の就職難民はホントいっぱいいた。特に女子。内定ゼロがざらでノイローゼ。景気よくなればとフリーターになり中途目指したがさらに超就職難になった。
=+=+=+=+= >「落ち込んだ時期もあったけど、今はちょっと元気になった。連絡、ありがとう」
シメが魔女の宅急便のキキのセリフかよ。自分だけしか見えてないのはどの氷河期世代にも共通だな。(苦笑)
それでは生き残ってもこの先、地獄が待ち構えているだけだ。
周りが見えてから、また記事をボチボチ投稿してくれ。それまで生きる希望を失うなよ!
=+=+=+=+= 実力の評価は、運の上にある。 フリーターから公務員試験に合格した氷河期世代の人の放った名言。
=+=+=+=+= >卒業時点ですでに29歳だった これでは就職氷河期に関係なく厳しいです。まさか22歳の新卒と同じように就活したのだろうか?
=+=+=+=+= 男性は深い部分を励ましあうけど、女性の闇は救いたくない対象になりがち
=+=+=+=+= 早稲田のような凄い大学を卒業していれば、就職なんか一切困らないと思っていました。
=+=+=+=+= 早稲田卒って言っても学部で歴然とした差があるからね。政経ゼミ出身以外は「ただの人」だよ。
=+=+=+=+= 人生は運にもよるな。そんなもん
=+=+=+=+= 社会のせいにした所で、現実は何も変わらない。それは昔も今も一緒。
=+=+=+=+= 結局どの世代も運なんだよな。
=+=+=+=+= よくわからん。まとまりのない記事
=+=+=+=+= 周りを見るから自分は不幸だ、ツイてないと思うわけですよ。
=+=+=+=+= お気の毒、ご冥福をお祈りいたします。 しかし、勘違いしているのは、早稲田大を卒業したからと、思いあがってないかい。早稲田卒業して、東証プレミアムの会社に就職して、課長か次長になって、もしかすると部長か役員になれるかもと思ってたんじゃないかい。 大学の文系学部の講義って、会社で役立つ知識って少ないよ。大学は本人が勤勉に努力できたかどうかの指標でしかない。むしろ本人のキャラクターの方が重要だよ。企業が体育会部活の主将を優先するのがその証拠。 本人のキャラクターが優れていれば、歩合制の営業マンでも起業家にもなれたかもしれない。気の毒だけどやっぱり精神の弱いもやしっ子だったんだろうな。別の道、例えば教職、介護などやさしさが重要な分野に進んでいれば・・
=+=+=+=+= 生まれた瞬間から負け組確定の氷河期世代。この世代が子作りを拒んだのは産み落とされる時代によっては末代まで苦労することを身を以て経験しているから。高度成長期のように頭の中はお花畑みたいなメンタルでは生きていけなかった当然の結果。今さら少子化を憂うのはお門違い。
=+=+=+=+= 社畜暮らしで心身ボロボロになりながらも淡々と続けてきたサイレントテロの成果が少子高齢化や人手不足等々やっと目に見える形で出てきてまさに「ざまぁ」。 その「ざまぁ」が経済や福祉や社会の崩壊って形で自分にかえってくるのも承知の上だし反省もしない。 当然、後悔なんて絶対にしない。 これ以上堕ちようがどうってことないし、それを自分のいたかもしれない大事な人や子供に味わわせずにすむ。 まあ、生きてるうちにサイレントテロの結果を見れて「ざまぁ」と言えてよかった。
=+=+=+=+= 就職氷河期だけど… 早稲田卒だからって何を偉そうに語ってるんだ… 早稲田の同時卒業生何人いると思ってんだ?1学年で1万人くらいいるんだぞ それで早稲田だから簡単に就職できると思ってることが世の中ナメとるわ 早稲田卒プラスアルファがないと無理やって それこそ部活やっててコネがあるとかでもいいし ただの早稲田生、付加価値の無い早稲田生、プライドだけ高い早稲田生 そんなの企業が採用するわけないじゃん
早稲田文系なんて滑り止めの大学やって 自分も早稲田は滑り止めにしたわ 早稲田程度で威張るな! 就職したいなら付加価値つけろ!
=+=+=+=+= いやー、こういうしみったれた話、大嫌いだなあ。
むしろ高校ぐらいしか出ないで、 社会の理不尽さを感じながら懸命に頑張っている人なんてたくさんいる。
「自分、早稲田を出でいるんですけど?」と、鼻持ちならないエリート志向で、 30代も半ばになって、「オレ、こんなハズじゃ、、、」と、厭世気分で勝手に自殺。
とりあえず親不孝だし、ずいぶん身勝手な人だなー、としか思えない。
=+=+=+=+= またヤフコメ民の不幸自慢苦労自慢ですか。これが違う世代になるとヤフコメ民は決まって仕事を選ぶなムダをなくせ身の丈にあった生活しろなどと厳しいことばかり言ってますよね。
=+=+=+=+= ここでコメントしてる早稲田卒の人って、早稲田卒しかアイデンティティないの? かわいそう。まぁがんばれ。
=+=+=+=+= こういった方々や我々氷河期世代を反面教師にして勝ち組を目指しましょう
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