( 233246 ) 2024/11/13 17:33:29 0 00 (イメージ写真:kt-studio/PIXTA)
孤独死や陰謀論が社会問題化している。その背後にあるのが、日本社会で深刻化する個人の孤立だ。『週刊東洋経済』11月16日号の第1特集は「超・孤独社会」だ。身元保証ビジネスや熟年離婚、反ワク団体など、孤独が生み出す諸問題について、実例を交えながら掘り下げていく。
2人の早稲田OBの現在
江戸時代から宿場町として栄えてきた東京都足立区の北千住。今でも下町風情を感じるこの街に、36歳で早逝した、一人の男の墓がある。男の名は、岩井聡輝。筆者と同時期に早稲田大学を卒業した。
岩井は政治思想に詳しく、多様な人間たちがつくり上げる共同体の可能性を信じていた。後輩からも慕われる優秀な岩井を「大成する」と固く信じていたのは筆者だけではない。しかし、彼は2019年の1月、自死の道を選んだ。
この秋、民家に囲まれた墓地の一角にある岩井の墓を訪れた。墓前には缶ビールが3本置かれていた。私も、ヱビスの缶ビールと仏花を供え、手を合わせた。自分用に持参したノンアルコールビールを口にしたら、こんな思いが湧いてきた。「なぜ日本社会は岩井の才能を生かしきれなかったのか」。
■転機は就職活動
彼はいったい何に悩み、苦しんでいたのか。早稲田を卒業した後も岩井と連絡を取っていた者たちに話を聞いてみることにした。快活だった岩井が苦悩し始めた1つの転機は、就職活動だったようだ。
就職氷河期世代とは、バブル経済が崩壊し新卒採用枠が激減した時期に就活を経験した世代を指す。一般的な定義では、1993年から2004年に大学・大学院の卒業・修了を迎えた世代とされる。岩井と筆者は、就職氷河期世代の中心層から少し外れている。
ところが、世界的な金融危機リーマンショックが起きた2008年以降の数年間、一時回復していた就職率は「氷河期逆戻り」と呼ばれるほどの低水準に落ち込んだ。そのため、ちょうど筆者が就活をしていた時期には、「100社近く履歴書を送っても、面接で落ちまくり1社も内定をもらえなかった」など就職氷河期と酷似する悲惨な経験談を聞いた。
■心労に気づけなかった
かくいう筆者も入社試験を受けたほとんどの会社で不採用となった口だ。不採用通知を受け取るたびに「社会で必要とされていない人間」と烙印を押されたような気持ちになり、就職戦線からは途中で離脱した。人生の路頭に迷いかけたとき、東日本大震災が発生し、海外の報道機関で働く機会を得た。実力で職を得たのではない。すべては人との縁と偶然のおかげだ。
当時は、自分の働く場所を確保するのに必死で、就活で苦労する友人の悩みを聞く精神的な余裕はなかった。油断すれば自分も就労の機会を失う。親しい間柄だったはずの岩井が抱えていた心労に、筆者はまったく気づかなかった。
社会人経験を積んだ後に大学へ入学した岩井は、卒業時点ですでに29歳だった。年齢を理由に書類選考で落とされ、表情が浮かない岩井を目撃していた知人がいた。
就活へ向けた準備が本格化し出す大学3年の春、心の病を発症。症状が軽快し一度は内定を得たが、卒業直前に再発し内定を辞退せざるをえなかったという。就活で悩んでいた時期の岩井をよく知るYは後悔の念をこう吐露する。
「一時期は『薬を飲まないと生きていられない』というほど落ち込んでいた。岩井に『おまえには両親もいるし、実家に住めて幸せだよ』と言われたことがあった。その後、塾経営や地元政治家の手伝いなどをしていたので、元気なのだと思い込んでいた。人知れず孤独感を抱えていたのかもしれない」
浪人を経て早稲田に入学したYは現在48歳。定職には就いているものの、何度か転職を経験していて、いわゆる「正社員の出世コース」ではない。交際する女性はおらず、性交渉の経験もない。今は実家暮らしだが、いつか単身高齢者になる可能性がある。「将来に不安を感じるか」と聞くと、Yは杯を傾けながら、こう答えた。
「岩井は周りの評価を気にして自己肯定感を傷つけられたのかもしれない。でも俺は『周りに俺の価値がわかるわけがない』と割り切っている」
■何かの柱が崩れたら孤独になる
取材の序盤では「孤独なんて感じない」と強気なYだったが、酒が進むにつれて、徐々に本音が出てくる。目にうっすらと涙を浮かべながら、自らを鼓舞するように言った。
「俺は『孤独予備軍』だよ。何かの柱が崩れたら、孤独になる。好きで孤独でいるわけではない。孤独を感じないように意識している。友人からのLINEにも反応できないほど自分を閉じるときもある。『岩井みたいになるかも』という恐怖がつねにある。両親の死後については深く考えないようにしている。そこは突っ込まないでほしい」
「岩井くんは彼女もいたし、孤独を抱えているとは感じなかった。でも、最後に話したときに岩井くんが『死に対する恐怖はない』という主旨の発言をしていたことは今でも記憶に残っている」
そう話すのは11年かけて早稲田を卒業した加藤志異だ。加藤は常人には理解しがたい「妖怪になる」という夢を抱いている。当初は周りに嘲笑された荒唐無稽な夢だったが、15年近く言い続けたら次第に定着し、今では多くの人に「妖怪・加藤」と呼ばれるようになった。
卒業後は、契約社員や絵本作家としての活動で食いつないできた。今は、リンゴの行商で主な生活費を捻出している。離婚も経験し、今でも生活は楽ではない。だが、加藤にはどんな苦境も前向きに捉えるメンタリティーがある。
■声をかけてくれる人
そんな加藤でも現在の境地を見いだすまでには、どん底まで落ち込む時期が幾度もあった。だから「岩井くんの心情も想像できる」という。浪人生活、就活、そして「妖怪を目指すべきか」と本気で悩んだとき。自尊心が低くなりかけると、そばにいる誰かが加藤を肯定し、そっと後押ししてくれた。
妖怪・加藤はこう訴える。「社会から切り離されたと感じたら、人間は弱くなる。重要なのはお金や地位、収入だけではない。いろんな評価軸があっていい。人生に迷ったとき、『大丈夫だ』と声をかけてくれる人がいるだけでも、心は救われるはずだ」。
有名な大学を卒業しようと、正社員になろうと、充足感に満ちた人生が待っているとは限らない。人の心を救うのは、結局のところ、人とのつながりなのではないか。
取材後、最近疎遠になっていた早稲田時代の友人を食事に誘ってみた。都内で独身生活を送っている沖縄県出身の彼はこう話し、表情を緩ませた。
「落ち込んだ時期もあったけど、今はちょっと元気になった。連絡、ありがとう」
=敬称略=
鈴木 貫太郎 :ジャーナリスト
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