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「1浪中央大学→銀行に就職」その後医学部に受かった彼の奮起。「医学部は無理だよ…」の悔しい言葉がバネに

東洋経済オンライン 12/22(日) 5:32 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/bdf7b1412deedf9280cd165f62581ab2b780f756

 

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医学部受験を目指して2浪したMJさんの経験について、彼が医学部受験を決意したきっかけや浪人生活での苦労、そして浪人を経て医学部に合格するまでの過程が記されています。

27歳から浪人生活をスタートさせるMJさんは、過去の経歴や周囲の期待に縛られず、医学部への挑戦を決意します。

勉強の中で再び医者への憧れを取り戻し、全力で何かに挑戦したいとの思いから再受験を決断。

浪人生活を通じて、彼は銀行員としての日々との接点から生き方を見つめなおし、自らの可能性を追求していきました。

(要約)

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※写真はイメージです(写真: Jake Images / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は、1浪して中央大学商学部に入学。卒業してから地元の静岡県の銀行で4年間勤務したあと、2浪して私立大学医学部に合格したMJさん(仮名)にお話を伺いました。 

 

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■27歳から2浪で医学部合格 

 

 今回お話を聞いたMJさん(仮名)は、27歳から2浪して、私立大学の医学部に合格しました。 

 

 1浪して中央大学の文系学部に入学したMJさんは、地元の銀行で4年間のサラリーマン生活を送ります。 

 

 世間で「王道」とされるルートを通ってきた彼ですが、27歳のときに医学部に行くことを決意し、浪人生活を始めました。 

 

 彼を医学部再受験に駆り立てたものはなんだったのか。そして、彼の浪人生活を支えた「力の源」とは。文系からの「医学部受験」のリアルに迫っていきます。 

 

 MJさんは、静岡県浜松市に3兄弟の長男として生まれ育ちました。父親はサラリーマンで、母親はパートとして働いていました。 

 

 MJさんは母の勧めで小学校受験をして、国立の小中一貫校である静岡大学の附属小学校に進学しました。 

 

 「両親は私が小学生のときにお絵描き・英会話・ピアノ・水泳・剣道など、さまざまな習い事をさせてくれました。そのおかげで小学生のころには、多くの経験ができました」 

 

 小学校時代の成績は5段階評価で全科目3程度。勉強はほどほどに友達と毎日ゲームをしたりして過ごしていました。やや人見知りなごく普通の小学生だったと当時を振り返るMJさんは、小学校時代のある出来事がきっかけで医者を目指し始めます。 

 

 「小学2年生のときに卵を食べたら、食中毒になってしまったんです。2週間くらい入院していたのですが、そのときの担当医がとても優しい方で、私の中で記憶に残りました。また、将来は医者になりたいと考える同級生が多かったこともあり、漠然と医者に憧れを抱くようになりました」 

 

 

 小学校の卒業文集では、「医者になりたい」とはっきり書いたというMJさん。しかし中学に上がってからはソフトテニス部に入って部活動に力を入れていたこともあり、成績は120人中90番前後をうろうろしていて、あまりよくはありませんでした。 

 

 「学年全体の120人のうち、上位60人は、一般受験で静岡有数の進学校である浜松北高校に合格していました。私も浜松北高にずっと行きたいと思っていたので、60番以内に入ることを目標に勉強しました。 

 

 しかし、中学3年生の夏までは部活メインだったので、通っていた塾の宿題だけをこなしている状況でした。部活を引退してからは、学校が終わってからも3時間は自主的に勉強していたのですが、中学3年生の冬までに思うように学力が上がらなかったこともあり、浜松北高校を諦め、磐田南高校を受験して進学しました」 

 

■医者になりたい夢はすっかり忘れる 

 

 磐田南高等学校に入ったMJさんは、バドミントン部に入ります。部活でできた友達と、一緒に遊んで楽しい高校生活を送っていましたが、成績はどんどん下がっていき、下のほうで安定していました。 

 

 「高校生活は楽しかったですね。ただ、部活ばかりしていたせいで勉強が後回しになりました。高校2年生に上がる際に文系・理系の選択があったのですが、高校1年生の1学期の化学の定期テストで赤点を取ったこともあり、理系ではなく文系を選択することにしました。このころには、医者になりたいという夢はすっかり忘れていました」 

 

 親から国公立大学に行ってほしいとは言われていたものの、将来の夢もなく、進路もぼんやりしていたMJさん。それでも、高校3年生の夏に部活を引退してからは、夏休みに10時間ほどの勉強時間を確保して、受験勉強に励んでいました。しかし、残念ながら成績は上がりませんでした。 

 

 「全統模試の偏差値は高校1年生・2年生のときと同じくらいか、やや上がっているくらいで、50を少し超える程度でした。現役で受けたセンター試験は58%しかなくて、名古屋市立大学経済学部の前期試験と後期試験、南山大学の経済学部を受けてすべて落ちてしまいました。でも、同じ部活の同級生のうち、私を含めて11人中7人が浪人をすると言っていたので、周囲がするならいいかと思って、ノリで浪人を決断しました」 

 

 浪人を決意したMJさんは、代々木ゼミナールの国立文系コースに入りましたが、最初のほうはあまり勉強しておらず、夏までは16時ごろに授業が終わってからアルバイトをする生活をしていました。 

 

 

 「アルバイトを辞めてからは多少勉強するようになりましたが、ゼロだった自習時間が2時間くらいになっただけで、授業時間も含めて10時間もしていないと思います。お腹がすいたら家に帰るという感じでした」 

 

 中学2年生からお小遣い帳をつけ続けていたこともあり、お金への関心があったMJさんは、経済系・経営系の学部を志望して受験勉強をしていましたが、この年も現役のときよりは成績は上がったものの、偏差値60には届きませんでした。 

 

■中央大に進学、サークルとバイトで充実の日々 

 

 横浜国立大学の経営学部や、広島大学の経済学部を狙うものの、センター試験では65%止まり。前期試験で信州大学経済学部に出願し、併願で明治大学経営学部、中央大学商学部、法政大学経済学部、日本大学経済学部を受験したこの年は、中央大学・法政大学・日本大学に合格し、無事1浪で中央大学への進学を決めました。 

 

 「中央大学では、楽しい大学生活を過ごしました。オールラウンドサークルに入り、友達とお酒を飲むか、アルバイトをするかの4年間でした」 

 

 就職活動では地元の企業3社のみを受け、唯一内定をもらった銀行で働くことを決めます。MJさんは、ギリギリの単位でなんとか4年間で中央大学を卒業し、静岡で新卒社会人としての生活を始めました。 

 

 しかし、MJさんの真の浪人生活はここからスタートすることを、彼自身もまだ想像すらしていませんでした。 

 

 4年間、サラリーマンとしてさまざまな住宅会社や不動産屋に飛び込み営業をし続けたMJさん。1年目は成績が上がらずつらかったそうですが、2年目からは成績も上昇し、だんだんと仕事が楽しくなっていきました。 

 

 2年目以降は仕事を辞めたいとは思わなかったと当時を振り返るMJさん。ですが、4年目の夏ごろに仕事を辞めることを考えるようになります。その理由を聞くと、「仕事量が増えすぎたこと」だと答えてくれました。 

 

 「年次を重ねるにつれてかなり忙しくなってきたころ、仕事に作業感が出てきたと感じていました。ふと自分のやりたかったことを考えてみたら、小さいころは医者になりたかったなぁ……と思い出したんです。同じ時期に放送されていたドラマ『ナイト・ドクター』を観て医者への憧れが再び湧いてきました」 

 

 

 仕事で持病が原因で住宅ローンが貸せないお客さんと会ったこともあり、健康でいることの重要性に改めて気づいて、医療を身近に感じていたMJさん。 

 

 いろんな原因が重なって、彼は医学部を目指して再受験を決断しますが、もっとも大きな理由は、「全力で何かをやりきった経験がほしかった」ためだそうです。 

 

 「思えば、私は結構周囲に合わせてノリで生きてきたので、それがコンプレックスでした。周りの同級生は勉強をすごく頑張って第1志望の大学に行ったり、部活を真剣に頑張って全国大会に行ったりしているのに、私は何にも真剣に取り組めていませんでした。 

 

 27歳になって結婚も考える時期でしたが、いざ自分に子どもができても、子どもに何かを言えるほど全力でやってきたことがないと思いました。20代のうちに1個くらい全力で何かをやってみたいと考えたとき、医学部受験しかないと思い、もう一度浪人をしようと決意しました」 

 

■校舎長から言われた屈辱的な言葉 

 

 こうして会社員4年目が終わる3月末に会社を辞めて、27歳の4月から地元の大手予備校に入って医学部を目指し、浪人を始めたMJさん。 

 

 そこで電話で校舎に問い合わせたときに言われた屈辱的な言葉も、さらに彼のやる気を駆り立てたそうです。 

 

 「予備校に電話で入塾したい経緯や経歴を伝えたのですが、当時の校舎長から、『君じゃ無理だよ』と言われたんです。『僕が(医学部の再受験で)受かった事例を見たのは、文系学部の出身だと東大・京大出身者だけで、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)から入った人は見たことがない』と。それが頭に来たので、どうしても見返してやろうと思って、その予備校の医学部コースに入ったんです」 

 

 27歳で予備校に入ったMJさんは、国語が苦手なこともあり、英語・数学・物理・化学の4科目に絞った私立医学部受験にターゲットを絞ります。受験生活は幸い、社会人時代の生活リズムと変わらないこともあって、スムーズに勉強を開始できたそうです。 

 

 「朝6時に起きて1時間勉強して、予備校に行く準備をして、8時半に予備校に行って、20時まで勉強していました。その後、家に帰ってご飯を食べてから24時に寝るまで勉強していたので、平均で11時間は勉強したと思います。受験直前期は12時間以上の勉強をこなしました」 

 

 

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これらのコメントを見ると、異なる経歴で医学部を目指し、成功を収めた人たちの物語が共有されています。

再受験や途中からの医学部進学に対しては賛否両論がありますが、その人それぞれの努力や決断を尊重する声も見受けられます。

身近な医療関係者の活躍や、医師への感謝や応援のコメントも多く、医療関係者への支持が表明されています。

 

 

一部のコメントでは、厳しい現実や社会的責任、医師としての試練などが指摘されており、医学部進学や医師としての道を選ぶことの重さや難しさが示唆されています。

また、違ったキャリアを持つ人が医学部に入学することに対する意見や考えもあり、多様性や新たな挑戦を称賛するコメントも見受けられます。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

 

私も東京都内の工学部を卒業し、大手商社に就職しました。仕事の中で医療関係者と接することが多く医療に関心を持ったことで再受験を考えました。仕事は好きでしたけど、もっと専門的な仕事がしたいと言う願望です。 

既に家庭を持っていたので国立大学医学部しか選択肢はありませんでした。そこから猛勉強し国立大学医学部を卒業し医師として働いています。 

川崎医科大学だと国試が大変だと聞きます。実はここからが本当に大変なんです。国立大学医学部でも国試に受からず医師を諦めた友人がたくさんいます。歯をくいしばって頑張って下さい。多くの患者様が待っておられますから。 

 

▲885 ▼80 

 

=+=+=+=+= 

 

僕の経営するアパートの近所に某医学部がある。 

いまから20年以上の話ですが、48歳の男性が入居した。一応、素性を聞くと医学部の新入生との事。興味があり、聞いてみると「某・大手証券会社に勤めていたが、会社がヤバい」との情報で早期退職した。退職金も+割増があったとの事。さて、この後どうしようか?と、奥さんと相談したところ「ローンは終わっているし、子供も育って独立しているし、ご自分に投資されたらいかがですか?」との話で「医師になろう!」と一念発起。 

医学部を受験・合格したそうです。 「受験は大変じゃないのですか?」と聞くと「所詮は高校の勉強でした。試験も僕が大学受験した頃とあまり変わらかった。それに医学部と言っても、受験に医学系の問題はなかった」との事。 

その後、6年で無事卒業。研修医も終えて今は某病院勤務との事。 

今でも年賀状だけだがお付き合いが続いている。 

僕は今でも彼を尊敬している。 

 

▲731 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

私と同じ地方国立大学の、工学部に通ってた友人が、サークルに熱中し過ぎて2年間留年して卒業した。その後、「医者になる」と宣言し、周囲がとめるのを無視して予備校へ。 

猛勉強の末、翌年には国立大学の医学部に合格。友人一同を驚かせた。今は内科の開業医をしてる。彼には、夢は諦める必要がないと教えてもらった気がする。 

 

▲505 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

私も今まで何かを極めたことがないので、長年モヤモヤしています。のらりくらりと過ごして中年になりました。平和に幸せに暮らしてはいるので、そんな自分をそろそろ認めてあげようかなと思っています。 

 

知り合いに大学病院勤務の医師がいますが、クリニックでのバイトや大学病院の夜勤などで休みもほとんどなく働いてます。 

同じ生活したら倒れそうな日々ですが、わずかな休みに趣味の釣りなど行っていて、すごい体力だと感心しました。 

 

毎年のように専門医試験があるそうで、医師になってからも毎日勉強してるし、朝の外来後に10時間以上かかる癌の手術もして更に論文執筆と、信じられない生活です。 

医師は勉強好きなスーパーマンだと思っています。 

 

開業医ならある程度楽かもですが、この方はどんな医師になるんでしょうね。 

親戚一同中年大卒なのでその後が気になりますw 

がんばってほしいです!貴重な記事をありがとうございました。 

 

▲190 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

いいお話でした。私も夫の通院で付き添いをしてますが、主治医には発症当初からお世話になり、先月も体調を崩して緊急入院したところ、当番医が連絡したらしく、出勤して処置してくれて、命を助けていただきました。まだお若いですが、責任感を持ってやってくださり、本当にありがたいと思ってます。激務だと思いますがたくさんの患者さんを救ってくださいね。応援しています。 

 

▲133 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も40年前、医学部を目指しましたが、2浪しても受からず、諦めました。 

それでも次の年をチャレンジしなかったのはは、辛かったのもありますが、医師としての稼働年数を考えた時、なるべく若い人に頑張ってもらった方が社会的に良いと思ったからです。ですが、彼のような志があれば、その選択、生き方を否定はしません。是非、初心を忘れずにがんばってもらいたいです。 

 

▲16 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

この人研修医だけど歳食ってるでしょ… 

 

とオペ室で紹介された先生は最高学府の工学系を院卒して大手民間企業の開発部門に就職、数年後に思うところがあり最高学府の医学系に入り医師となり、専門医となるために地方の国立大学病院の医局を選んで来た、普通の研修医年代より一回り以上年上でもやる気と学習能力は高く、社会人経験があるので思慮を弁えており、工学畑の自分とも気が合った 

 

歳を取ると現場で出来ない事も出てくるけど、やりたいという気持ちと能力があれば幾つになってもチャレンジはありなのでは? 

 

▲194 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部を諦めた看護部、薬剤部の人が就職後に医師を目の当たりにして、「やっぱり医学部に行く」という人を何人か見ました。そのときは、無理だろうと思ってしまいましたが、こういう記事を見ると「それもあり」のような気もします。素晴らしい! 

 

▲213 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

頑張りましたね。自治体の奨学金を利用ですか。職にはあぶれない代わりに、恐らく勤務先や居住地を限定される契約だと思います。一度社会人を経験して自分で考えた結果なら、いいんじゃないでしょう。(余談ですが、各自治体がまだ何も知らぬ高校生相手にこの手の奨学金で未来の選択肢を奪う行為は、大反対の立場です。)  

気になるのが、この方、大学受験をゴールのように捉えているように見受けられます。医学部のカリキュラムは正直しんどいです。今1年生ですか、まだまだチュートリアルみたいな段階ですよ。川崎医大のカリキュラムに詳しくはないですが、頑張らないといけないのは寧ろここから。 

留年しないように必死でしがみついて、振り落とされないようにしないといけません。多分留年したら奨学金打ち切られるか、非常にまずい立場になります。医学部の留年率は馬鹿になりません。 

そして医師国家試験は大学受験の比ではなく過酷です。 

 

▲35 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

高校生の頃、担任に東大志望だと言ったら東大ではなく医科歯科にしないかと面談で言われたが医学は全く興味がなかったので医者を目指す事など到底考えられなかった、一方で多浪して私大医学部を受験する人は今も多い、医者はそれだけ魅力のある職業なのだろう。 

浪人した年数+大学6年間に投資する学費や勉強量などに対して、充分な金銭的なリターンが得られる医師を目指す人はこれからも増え続けるのだろうか。 

 

▲4 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

医学は日進月歩で全体の情報量はとてつもなく多く学ぶには覚悟と努力が必要です。医師国家試験も年々難しくなっています。自分は最高学府の理系中退~旧帝大医学部出身ですが、30年以上前でも同期で中退や国試に何回も落ち続けている人はいました。学費の工面までして苦労して医学部に進学されたのですから頑張って下さい。 

 

▲21 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いい記事を読ませていただきました。サラリーマンには医者、弁護士、ステイタスの高い職業を羨む人が割と多くいます。でも、課長、部長…何の役にも立たない肩書きにより、それなりの給料を貰い、当たり前の人生を歩む人が大半です。キャリアだけでなく、困難を乗り越えて実現した事も人生の財産。夢をあきらめず、実現した事を尊敬します!! 

 

▲7 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

私学の医学部は入学試験に合格することよりも、如何に学費を捻出するかが問題だと思う。大学によっても違うが、最も安いと言われている関西医大、大阪医大で3000万、川崎医大になると7000万以上は絶対にかかると思う。この方は地方自治体の奨学金を受けたと言うから、一定期間、その自治体で働かないといけない。 

 

▲3 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部再受験は成功すればいいですが失敗した場合は地獄が待っています。薬剤師などの資格を持っていないと再就職は容易ではありません。東大卒でも再受験の成功率は3割ほどと言われており、一部の成功者の陰に人生棒に振った人たちがたくさんいます。この人が成功できたのは下手に地方国医とか欲を出さず最初から私立医に絞ることができたからだと思います。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私も4年制大学を卒業し、社会人経験を積んだ後医学部受験を志し二浪後に入学しました。 

実際に入学すると同じように社会人経験者の人が結構いたのです。 

ある種特殊な学部ですから、入学するにはかなり強いモチベーションを持った人が受験しますからね。珍しくはないかと思います。 

一方、開業医家庭の子息で継ぐことをいわば強制的に育てられてきた学生は、途中で挫折する姿を垣間見ました。 

 

▲13 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

今から45年前に中央大学の附属から1浪し中央大学法学部合格し、1学期だけ通学していたが、実質2浪で翌年地方国立大学医学部に入り直した人居る。別の同級生も文学部から旧帝医学部に翌年入り直した者もいた。文系でも素質ある者が努力すれば、方向転換出来る場合もあると言う事ですね。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人生の分岐路はこの後もそれなりにありますよ。医師になって自分がどのようになりたかったのか?何科なら頑張れて、全力で打ち込めるか。そこを気にして専門領域を決めるといいですよ!引き続き頑張ってください 

 

▲92 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

まず私立医学部は留年しないで6年間で卒業するのは 

7割以下でしょう。 

その時にその借りてる自治体が留年しても継続して面倒をみてくれるかは 

重要なポイントです。 

だれしも留年なんてしないと入学しますが 

同級生はそれなりに賢いメンバーであり 

下位20人には普通に入ってしまう。 

そしておそろしいのは放校です。 

2年間で次の学年になれなければ放校になります。 

医師になれなかった時はそのお金はどうするのかも知る必要があるでしょう。 

 

私立医学部は入るのはできても、出るのは本当に大変です。 

国立は医師国家試験の合格率が低くても大学は気にしませんが 

私立は入学志願者数に響くので特に6年での留年は多い。 

 

しかしこの記事自体ちょっと?と思うところはありました。 

通常1浪目でまず1次にひっつかからないです。 

お金のない方が予備校の医学部コース。400はかかる。 

いろいろ疑問の記事です。 

 

▲14 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私は今年還暦迎えました大阪で歯科開業医の19年目になります。元々T大の文系目指してましたが、失敗してW大の法学部に進み不完全燃焼のモヤモヤを抱えたまま損害保険会社に就職しました。 

2年目で退社して、独学で関西の旧帝国大学の歯学部に入学しました(医学部志望では元々無かったので医学部コンプレックスは無かったです) 

 

在学中に阪神大震災に遭遇したり、その関連で思わず結婚とかしましたが、何とか留年せず、国試も普通に合格できました。入学時に6年後一緒に卒業できたのは4分の3でした。 

 

あまりオススメの人生では無いですが、周囲に迷惑かけない範囲で路線変更できる可能性があれば人生一度きりなので同じ境遇の方々の背中は押して上げたいと想います。 

 

▲10 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

予備校講師が言ったのは、再受験の殆んどは国公立医学科限定だからだと思いますね。そして難易度が高くない処は、圧迫面接を受け低い点数になりやすいため厳しいと聞いてます。 

 私立のどこかで良いのであれば、合格率D判定(20%)でも6校受ければ、どこかに受かる期待が75%程になりますからね。 

 医学科再受験は、原則国公立だから厳しいと言われ、イメージがついているのであり、このコラムの例のような少数派の私立再受験を取り上げるのは、最近流行りの偏向報道だと思いますね。 

 

▲38 ▼37 

 

 

=+=+=+=+= 

 

私立大医学部は授業料が高いが自治体の補助を受ければ金はなんとかなる。受からない事にはどうにもならない。息子は3浪して私立大医学部に進学したが卒業後の進路に制約があるので自治体の補助は使わず、奨学金を最大限借りてもらい生活費にし、アパート代と授業料は親が負担した。会社員の給料でも共稼ぎでしたらなんとか払えた。サラリーマン家庭の子弟が私立大医学部に進学するようになったから試験が難しくなったと思う。 

 

▲28 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

何がよいかは、人さまざま。 

50くらいの医師で「失った人生を後悔している」という人がいた。それは、休みが少なく、仕事に追われるからだ。子供が小さい頃、家族と一緒に過ごす時間がなかったと言っていた。 

ある友人は、大企業の取締役で退職したが、「在職中は有給休暇をとったことがほとんどない」と言っていた。 

ある弁護士は、「顧問先を失う不安があるので、3日以上は仕事を休めない」と言っていた。 

勤務医は、大企業の社員に較べて、それほど年収が多いわけではない。 

人生は、学歴や収入だけではない。 

人間はいつ死ぬかわからないので、時間が大切だ。もちろん、時間の使い方が重要だが。 

「波乱万丈の浪人生活」は悲しい言葉だ。 

 

▲62 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

もう医者になって働いている人かと思って読んだら、まだ1年生なんだね。医師国家試験もありますよ。多浪生は留年も多く、国家試験の合格率も低いです。ギリで医学部に合格しても、こんな話をしている人が勉強についていけるのかとも思う。もう30超えてるんだから、気を引き締めていきましょう。 

 

▲28 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

夢を叶えるのは尊いが、現実的なリスクも考えなければならない。 

比較的高年齢で私立医に浪人して合格といった状況で膨大な暗記力が試される医師国家試験をクリアできるのか。 

 

また奨学金返済のため、卒後10年近くは田舎で転々と暮らすことに妻子が同意できるか。 

そして年齢が高いと、指導医も教えにくいというのも事実。 

 

批判的な意味は全くなく、それなりの覚悟が必要である。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部再受験を考える人は一定数いると思いますし、実際に医学部にはそういう人が一定数入ってきます。 

でもそういう人にとっては大人になってからの医学部再受験の成功って、少なくとも経済的には完全に自立した上で行なった人をモデルケースにした方がいいと思う。記事の方は私立の4大に行って、4〜5年働いた後でしょうけど、2年も予備校に行けてその後6年も私立医に行けるような方です。銀行の5年の給与では絶対無理でしょう。稼いだ給与を投機的に運用して数千万を得ている可能性もなくはないですが。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この「多浪シリーズ」は,いつも「そんな奇妙な人生もあるだろうね」と野次馬として見ている。自分の子供がそんなだと困る。俺が定年退職する前に,ちゃんと自立してくれよ(笑)。 

 

私の後輩にも,大学卒業後に医師になった例がある。4年生になって,就職活動もしていないようだし,大学院入試も受けていない。ちょっと心配して尋ねたら,平然と「○○大学(国立)医学部に受かってます」。東京大学理系なら,4年前の受験学力を保っていれば難しくはないだろう。後年になにか内輪の会合で再会したら,貫禄のある医師になっていた。私の価値観における許容範囲は,これくらいだ。 

 

▲41 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

進学で上京し、初めて住んだアパートの隣人が明大卒の司法浪人でした 

たしか30歳手前くらいの人でしたが、安い飯屋や都会の遊び方をいろいろと教えてもらった優しい兄貴みたいな人だった 

朝は建設系のバイト、夕方から独学で勉強しているような人でした 

ただ、酒が好きな人で毎日のように誘いが来て正直この人は夢を諦めているのだろうなと感じた 

この記事の男性は医師になるまで決して努力を怠らず、是非とも夢を叶えてほしい 

 

▲65 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部に合格するのは、本当に大変なことです。 

その努力は尊敬に値します。 

 

北海道大学の医学部に入ったのに、国家試験に受からなくて金融系に就職した知り合いがいます。 

親を失望させたという申し訳なさがずっとあるのか、仕事を頑張って親に車を買ってあげたり、旅行代を出したりしているみたいです。 

色んな人がいますね。 

 

▲13 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私の知り合いも一度社会に出てまた大学受験した人いる 

やりたい事が見つかるのは素晴らしいと思う 

私も20代半ば時にある学校に行こうかと思ったけど、もう◯歳だからと諦めてしまった。  

未だにあの時行ってたら人生変わってたかもと思ってしまう事ある 

人生一度きり!何とか出来る事ならやった方が良いと思います 

 

▲73 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

人生人それぞれ。 

 

この記事を読ませていただいた限り、お勉強に向いていないように思いますが、医学部に受かってよかったですね。 

 

でも、本当はここからが大事。 

卒業するころにはもう若くはないので、お医者さんとして活躍するには今までの勉強以上に要領を掴んで、的確な判断が必要になりそうですね。 

 

▲82 ▼58 

 

 

=+=+=+=+= 

 

今は浪人をしないで受かった大学に行く人が昔と比べたら多いですね。 

最初から浪人有りきでも困りますが、親御さんの経済状態が悪くなければ一年の浪人で猛勉強をして、ワンランク場合によってはツーランク上の大学に入るのは将来を見据えて有利。 

というだけで無くて、目標を達成した自分の自信になります。 

本来なら実力がある事が1番で、大学名は卒業したら関係無いのですが、正直そうはいかず後々までも出身大学が仕事上の枷になっている人も間々います。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

高い志(こころざし)も必要だけど、腹が立つことを言われる(される)ことも頑張る燃料になる。 

私は夫婦喧嘩したときに『絶対見返してやる!』と思い、社労士の勉強を開始し、家事育児の合間を縫って、独学で2年目で合格した。 

旦那の発言には、ある意味感謝している。 

そのお陰で合格できたのだから。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

校舎長の『君じゃ無理だよ』『僕が(医学部の再受験で)受かった事例を見たのは、文系学部の出身だと東大・京大出身者だけ」→ 国立大学の医学部医学科の話だと思います。私立の医学部医学科に受かる事は珍しくないと思います。 

勘違いだか話をこじつけているのか不明ですが、目標をもって進学する事は素晴らしい事だと思います。 

私立の医学部医学科は学費が桁違いに高く、庶民には無理なイメージですが、支援制度を利用するという手段があるんですね。学びになる記事でした。 

 

▲29 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

今は自治体から紐付き奨学金借りれば私立でも行けるんだね。 

医者は一人前になるのに学部入学から最低10年くらいかかるらしいし、年齢的にはぎりぎりだと思う。 

 

どの仕事もそうだけど、スタート切るのは早い方が有利。できれば現役の時から医学部に行った方が良い。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私のかかりつけ医も理系の大学卒業して 

宇宙開発系の仕事しててその後 

小学校の時に医者になりたかったの思い出し千葉大学医学部受験して 

合格 

現座に至るの 

ドクターです 

完全に地頭が良いのだろうと 

思います 

 

▲1 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

医者は庶民が手っ取り早く思いつくセレブだから、医学部に行くのです。ところが学部に入るのも入ってからも大変、研修医や臨床になってからも大変で、責任が極端に重く終生大変な人生になるので実態はセレブとは程遠いとは思いますが、世間的なイメージはセレブです。私も医療系ですが、入学後最初の定期試験の勉強量が軽く大学受験の勉強量を超えてきました。 

 

それに加齢による判断力や体力の低下、研修医時代はベテラン指導医と患者さんに間違われるらしく、同じ様に40代等で医学部に入って医師になった人たちは「再受験はやめておけ」と口々に言うと、35歳位からの再受験組の人の本で読んだ事があります。 

 

医学部に行きたいかと問われたら、試験の難易度云々より4年なり6年なり、また「アレ」をやるのかと思うと、迷うことなく今持っている物を活かしたいと答えます。 

 

▲19 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

よくもまあそんだけの学費、お金を払えますよね、、、 

夢目標を叶えたいとか言っても、様々な人に迷惑と心配かけますしね。 

 

友人で1浪後に早稲田政経に進んだ人居ますが、高校時代から医者に漠然と憧れを持ってたけど理系最難関で一旦諦め、早稲田受かったことで自信を持ち国医の再受験を考えたものの、15歳時点で父親が死んでて早稲田も奨学金借りて通いこれ以上の学費支払いは無理なので、今は大手で働いてる人居ますよ。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

極端に偏差値が高い人は工学系に行って日本の物作りに貢献してほしいと思います。 

突き抜けた頭脳だけの人に自分の病気を診てもらいたいですか? 

常識のある聡明な医師には診てもらいたいですけど、 

猫も杓子も医学部を目指す今の世の中は異常です。 

 

▲177 ▼59 

 

=+=+=+=+= 

 

ここの記事の校舎長はあまり見たことなかったんだろうけど結構いますよね、社会人経由してのお医者さん。 

団塊jrの私が中学時代、住んでる公団で下に越してきた新婚さんがいた。奥さんは初めての子を妊娠中の20代半ばで、ご主人は少し上で30前後。いい人たちで周りの子供にもいつも優しく挨拶してくれてた。 

ある日ご主人の定期を拾ったので母に報告した後、何故か「学生」と印のつかれた定期を届けに行くとお礼を言われ、カステラと牛乳出してくれて話を聞いた。 

早稲田(確か政経)を出て銀行で激務で働いたあと、小児科医になりたくて辞めて一年で奥さんの実家が近い地方旧帝医学科に受かったと言うことだった。 

他にも知り合いが商社で働いたあと、信州大の医学科に入りました。全員がそうである必要はないけど、視野狭窄的でない社会人経験のある医師が増えることはとてもいいことだと思う。 

 

▲47 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

中央文系(多分法学部ではない)→地元銀行→浪人→川崎医科でしょ。記事にするほどの話なのか。国立医学部とか慶應医学部とか入ってから記事にすれば良い。 

 入社4年。まあキツイ時期だしな。クライアントや友人の医師見てると、思うところもあるでしょう。医学部って、「学費」も「難易度」もピンキリで両者が反比例の関係にある。全ての医者が超難易度の高い受験をクリアしてきてるわけでは全くない。 

 

▲42 ▼46 

 

 

=+=+=+=+= 

 

猛烈受験戦争世代です。公立中の教師から「◯◯高校以上に入れなかったらロクな大学に行けないぞ!」と言われ、自分は◯◯より下の高校しか合格出来なかった。16、17歳の自分は落伍者だと無気力になり大切な時間を無駄にした。転機が訪れたのは18歳「他人の評価なんてどうでも良い、俺は俺だ!」と開き直れる様になった。その後、一浪はしたが世間の言う難関大学に入学した。結局、人生は挑戦する事も責任を持つ事も本人しか出来ないという事だと思う。 

 

▲85 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私立医学部でも難易度が高く学費が安いところは多浪生や再受験生に厳しいので、国立や下位の私立大学しか選択肢が無い。下位の私立大学になるほど学費は高くなるから庶民は経済的に無理だろうし、お金があっても早慶理工学部並みの学力は必須。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

身内が私大医学部合格しました。初年度1000万必要。川崎医大(岡山なのに)は、更に上をいきます。地域医療で働いて御礼奉公したり、学費の還元に 

工面しながら、これから6年間を迎えます。医者になったら、人間性と強靭な体力(勤務医)が一番大事だけど、大学名をきくとお坊ちゃま お嬢様だったんだと、医療系の私からは見てしまいます。 

 

▲108 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

この方の行動力は評価するが、分からんけど記事にすべきことなのかね。この方の人生だから別にええけど、大学入って地銀入ってドラマに触発されて医学部入りました!って話、誰が興味ある?というか学びある? 

 

経済誌ならもっと世の中でまさに今頑張っている人をフォーカスすべきでは。 

 

▲0 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

周囲からの否定は時に良い影響を与えてくれる。 

自分場合、低収入の三十路だけど世帯資産0.7億円。 

20代前半の頃30歳までに資産1000万貯めると宣言していたが無理だ、無意味、ア、ほだと周りから笑われたものです。 

あの時ナニクソ精神で悪頭を全力で働かせて良かったと思う。 

何よりこの過程で金以上に自分の価値を高めることができたと感じる。 

 

最初の職場の先輩たちには感謝する。良い反面教師にできた。 

 

▲6 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

人の幸せはそれぞれだと思うが、20代ってその後の社会人人生を考えると非常に重要な時期。失敗しながらも仕事して仕事していろんな事学んで経験して成長していくその時期を犠牲にしてるようでもったいない。 

 

▲27 ▼44 

 

=+=+=+=+= 

 

再受験で比較的珍しいとはいえ、予備校通いながらしかも私大医学部に受かったくらいで記事になるんだ。東洋経済ももう少し劇的というか、すごい例を記事にしてはと思うが。 

本人もまだ医師になってはいないし、もう少し慎ましく過ごせばいいのに、と思う。 

 

▲37 ▼58 

 

=+=+=+=+= 

 

診療報酬が抑えられ、7割以上の医療機関が赤字であり、かつ医学部定員は学年100人に1人。この5年で、外来は15%、入院は12%も減っている。地方銀行も厳しいが、それ以上に医者の待遇悪化は避けられない。美談のようで、むしろ心配になるケース 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

仕事量が増えたのでサラリーマンを辞めて医学部受験ですか。合格したことは素晴らしいことですが、医者の仕事量も多いですが大丈夫でしょうか。医学部に入ることが目標ではなく、医者として働けるかがいちばん大事なのですが。まあ、直美ならいいかもしれませんが。 

 

▲20 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

似たような途中経過だが、私は辞めずに教員になった。健康で生きのいい若者を相手にするのは病気と向き合うよりも私には合っていたと思う。同じ先生。収入は比較にもならないんだろうけど、幸せな40年だったな。 

 

▲46 ▼6 

 

 

=+=+=+=+= 

 

やっぱり川崎医大の名前が出てきたな(笑) 

ここ出身の先生は悪い人は少ないんだけど、説明が素人にはわかりづらいんだよね。。 

頭のいい先生は、誰でもわかる言葉で説明してくれる。うちの親はどちらも大病して医者にかかっているのだが、川崎医大出身の先生の言葉では腑に落ちず、京都府立医大の先生が翻訳してくれる話で、ようやく納得してくれる 

 

▲153 ▼125 

 

=+=+=+=+= 

 

医者は定年ないし、80で働いてる開業医もいっぱいいる。15年回り道しても元とれる。 

地方勤務縛りあるといっても一定期間だろうし、大手商社だって日本中のみならず海外に飛ばされる。日本はやっぱりまだ医者の一人勝ちだと思う。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

>「医学部は無理だよ…」 

 

司法試験、公認会計士試験を受けるのと異なり私大医学部は偏差値が低い大学も多くあり無理ではないと思う。入学金・授業料は高額なので支払えればですが。 

国家試験も先にあげた試験と比して合格率から難易度もそれほど高くはない。 

 

ただ6年と研修医期間を過ごしたのちに医師になってからどの様に活躍されるのか、そのままの銀行での就職とどちらが良いのかその判断は人それぞれ。 

比べられるものではありませんが。 

 

▲27 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部受かれば医者になれるわけではない。国家試験もあるのでまだまだ気が抜けないな。 

プレッシャーもあるだろうけど、今まで以上に頑張って立派なお医者さんになって下さい。 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

同郷なので興味深く読みました。 

子供の頃からそこそこ勉強できて、運動もラケット使うという共通点はあるが、中学時代はテニス、高校はバドミントンと違う競技にも順応できる、仕事もコツを掴んで無難にノルマもこなせる器用な方なんだと思う。 

高校で無理して理系に行ってたら行ったで、多浪してでも医学部には行けたかと。 

 

▲42 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

医大に合格しても全員が医者になれるわけではない。勉強についていけずに転部・退学する者、国家試験に合格出来ずさらに予備校に通う者、医者になることを諦めて病院の事務職になる人もいる。 

 

▲57 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

>2年目以降は仕事を辞めたいとは思わなかったと当時を振り返るMJさん。ですが、4年目の夏ごろに仕事を辞めることを考えるようになります。その理由を聞くと、「仕事量が増えすぎたこと」だと答えてくれました。 

 

休みがなく、時給にしたら対した事はなく 

患者を助けたいとの気持ちが活力 

ミスは生命の喪失 

申し訳ないけれど、記事の通りならば常にプレッシャーから逃げ続けたMJさんには向かない職業だと思う。 

 

▲34 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

他学部やサラリーマンからの医者は比較的いますよ。 

 

私の周りだけでも 

ドカタ→高知医大 

神戸薬科→就職→関西医科大 

東京薬科→弘前大医学部 

司法浪人→名古屋大医学部 

司法浪人→奈良県立医科大 

阪大→IBM→横浜市立医学部首席 

帝京薬学部→北里大医学部 

 

がいます。 

みな、医学部目指して二年以内の勉強で合格しています。地頭が良いのは勿論、みな家が裕福なのが共通点ですね。あと、東大、慶應、京大、阪大レベルの合格者は聞いたことがないです 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

色々思うことはあるけど 

 

>■エリートコースを捨て夢を叶える 

 

これだけは間違ってます。 

もはや、地銀はエリートではないです。 

定年まで勤めて上位の役職につければエリートと言えますが、それは地方の中小でも同じこと。 

地銀は旧態依然とした体制、低金利による利益低下、職務上細かいことをきにしないといけないめんどくささ。離職者が目立つとおり、オススメする仕事ではありません。 

 

▲15 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部がゴールみたいな書き方はやめませんか。銀行員もお医者も業務は増えて行きます。この先大学院もあって研修医もあって、銀行員の方が楽だったって思わないと良いのですが。 

 

▲30 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

現代の「浪人」について語る記事のはずが、単に「社会人からの医学部受験」になっている。趣旨が違う。 

濱井さんの人生を肯定したいのか、成功例だけ取り上げるのも違和感あり。負の側面も触れるべきと思う。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私立医学部の学費を全額出してくれる自治体と、MJ氏が他の私立医学部ならどう学費を工面する予定だったのか気になる。 

普通私立医学部の学費を払えるなんてごく一部の家庭だし再受験は国立医が一般的だからね。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ごく普通のマーチ文系から、 

時を経ていきなり医者になっていたら 

まわりはビックリするでしょうね。 

 

最初からムリと諦めない気持ちは大事だとおもいます。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

私立は川崎以外も進級が厳しいです。留年したら自治体からの奨学金はでず、学資ローンで500万円/年調達しないといけないので、ストレートで卒業してください 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

医師の仕事は銀行マンとは比べ物にならないほどハードです。患者のために24時間戦わなきゃいけない肉体労働者です。銀行業務に4年で音を上げる方に務まる仕事とは思えません。 

 

▲19 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

社会人を経験した人は新たな目標の職業にしっかり取り組める人が多い 

大学を出てすぐに小中の教員になるのは教わる子どもたちには甚だ迷惑だ! 

教科書の知識でしかなく実際の社会を経験していないからだ 

 

▲10 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

凄く面白い生き方ですね。 

理系に挫折して文系に代わる方は多いのですが、文系から理系、更に最難関の医学部というのは凄いです。 

良いお医者さんに成って下さい。 

 

▲17 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

こんな長い記事を全部読んだのは久しぶりです 

羨ましいです。そのバイタリティとモチベーションが。 

たとえこれからの結果がどうあれ、そこまで打ち込めるものがあるのは勝ち組ですよ。 

 

▲2 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

> 当時の校舎長から、『君じゃ無理だよ』と言われたんです。 

 

高校生だったら言わなかったのではないか? 

 

現実をよく考えなさい。 

夢を見る年齢ではない。 

 

これを伝えるのは当然だと思う。 

金儲け優先なら、たとえ無理だと思っても「大丈夫。やればできる」なんて適当な事を言って、何年も浪人させて絞り取ることだろう。 

 

記事の方は、これをバネに頑張れたようだが、「普通は」当然のこと。 

 

▲89 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

社会人からの医学部受験合格は、国立以外は評価できんやろ・・・ 

たいてい「おかしな力」が働いているもの・・・ 

ほら?アナウンサーが合格したりさ? 

だから難易度の高い国立合格のみが評価できるという話。 

勿論、卒業後の医者としての力量は知らんよ?国家試験合格してるんだから問題ないんちゃう? 

でも、そういう話。 

 

▲4 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

この話は創作話と思われるが、数年しか働いてない金のない信頼性のないどこの誰かもわからないような人間に私立の医学部に入学するからといって銀行が数千万も貸すはずがない。東洋経済オンラインは、この記事を書いている多浪で入学したヤツの創作話をいつまで連載するんだ!? 

 

▲7 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

MJさんは現在、とある自治体から、6年間にかかる数千万円の学費をすべて出してもらうことで、私立大学の医学部に通うことができています。 

上記の文書に違和感があるのは自分だけだろうか。 

普通に考えてそんなことあるの? 

 

▲16 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

学費や生活費、社会保険料とかはどうしてるんだろう? 

その辺も具体的に書いてくれればもっと読んでる人に希望を与えると思います。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部行ったら勝ち組みたいな風潮だけど 

医師を続ける限り勉強し続けて生命の尊厳と戦いながら生きていく覚悟を持ち続けなければならない。 

銀行員してた方がよかったかもよ? 

 

▲104 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

人間の脳には限界があるから、医師に成れなければ薬剤師になり医学の道を極めよ!。弁護士に成れる脳がなければ司法書士になり訴訟の道を極めよ!。公認会計士になる脳がなければ税理士になり会計の道を極めよ! 

医師⇒薬剤師も医療の専門家 

弁護士⇒司法書士も訴訟の専門家 

公認会計士⇒税理士も会計の専門家 

 

▲6 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

帝京、東海、川崎医大、金沢医科大学を受けるって、両親は普通のサラリーマンなのにどうやってその資金を捻出出来たのか気になる。 

 

▲13 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

MJさんは現在、とある自治体から、6年間にかかる数千万円の学費をすべて出してもらうことで、私立大学の医学部に通うことができています。 

← 

医師になったあと10年くらいその自治体の医師をやらないと行けない。 

が、この手なら医師になりやすいねー 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

お金借りているなら留年できないですね。 

偏差値の高くない私立医大は留年が多いし、特に多浪生はその傾向が強い。 

頑張ってください。 

 

▲46 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

医学部は6年制なので卒業するのは33。そこから研修医。経済的な制約もあるでしょうから、今流行りの美容外科なのに走りがちですね。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

カッコイイですね! 

銀行員をやめて、文系から医師になったなんて、すごい努力家。尊敬します。 

 

▲4 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

日本が衰退しているから、ますます医学部一択だと思う。理・工学部を出て自動車会社や電気メーカーに勤務したり、博士を目指すのはリスク 三浪してでも医学部進学すべき。 18歳までに気づいたやつは医学部・薬学部に行く 

 

▲31 ▼63 

 

=+=+=+=+= 

 

私学医学部の学費をどうやって工面してるんだろと思ったら自治体の奨学金ね。免状取ったらその土地にがんじがらめですね。 

 

▲90 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

よく、アナウンサーとか、スポーツ選手とかからセカンドキャリアで医学部目指す人は大抵東海大学なんだよね。社会人編入コースみたいのがあるらしい 

 

▲77 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

そのレベルの地頭だと、医学部の進学や卒業、国試が心配です。 

奨学金のこと書いていたけど、留年すると打ち切りでは? 

六年まで行って放校とかになったら、五千万以上無駄になるからね。 

 

▲6 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

書き方が不思議な文章なのか、ここに至るまで波乱万丈な人生なのに、全く興味が沸かない記事になってる。 

書き方を勉強すべき記事だな、と思ってしまった。 

 

▲18 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

周りになったお医者さんいますけど、全て捨てられました。妻から離婚を言い渡され、養育費払い、さらに授業料 

幸い親が医者で助かったけど、最低当時は3000万と言ってました。 

 

▲8 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

私立医学部の学費を自治体が面倒見てくれる制度があるのですね。僻地で勤務するのかな?色んな道があるものですね。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

磐田南高校って偏差値70近い高校でしょ。高校時代から理系で医学部頑張ってれば国立の医学部も受かってたかもね。 

 

▲21 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

医師に転職しない人生も、合格したこれからの人生もどちらも幸せな人生だと思います。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

2年間、毎日12時間以上受験勉強した 

と書いてある、就職して社会人になった 

人間がまたあの受験勉強をそんな長時間 

できた時点で、この人、ある意味超人だよ 

 

▲4 ▼6 

 

 

 
 

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