( 238019 )  2024/12/23 05:31:01  
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中国は気候変動の影響が顕著であり、脱炭素化投資に力を入れている。

中国が気候変動対策で日本よりも進んでいる理由には、関心の高さ、指導力の差、対策の余地などが挙げられる。

中国では社会の環境問題に対する意識が高く、政府の指導力が強いため、気候変動対策が進んでいる。

一方、日本では経済や政治の面で気候変動対策が進まず、社会全体での協力が得られていないことが課題とされている。

(要約)

( 238021 )  2024/12/23 05:31:01  
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中国(画像:Pexels) 

 

 気候変動の影響が顕著である。ここ数年の間でも異常高温や豪雨といった極端な天候や、熱帯気候域の拡大、漁業資源の変化が生じている。 

 

 その対応をみると日中には格段の差がある。中国は 

 

・電気自動車 

・太陽電池 

・電力用蓄電池 

 

といった脱炭素化投資に熱心であり国を挙げて進めている。日本のように及び腰ではない。 

 

 なぜ、中国は気候変動対策で先行しているのだろうか。 

 

 その一要素として 

 

「歴史認識の影響」 

 

もあるのではないか。殷(いん、紀元前16世紀頃~紀元前1046年)は気候変動にともなう社会混乱で滅びた。その認識もまた対策を促進する要因となるからである。 

 

気候変動に関するデモ(画像:Pexels) 

 

 なぜ、中国は気候変動対策で日本よりも進んでいるのだろうか。 

 

 その理由を整理すれば、次の三つにまとめられる。 

 

 ひとつめは「関心の高さ」である。かつては国土の砂漠化、その後には大気汚染や水質汚染が社会問題となった。その経験から環境問題に敏感であり、気候変動と対策を重視する要因となっている。 

 

 世論は対策で一致している。中国言論規制の影響もあるだろう。ただ、国を挙げて気候変動問題に取り組む素地(そじ)となっている。 

 

 対して、日本には気候変動を小ばかにする雰囲気が残っている。さすがに以前のような全面否定論はない。ただ、今でも「他国が炭素を出すので無駄」との混ぜ返しや 

 

「経済も大事」 

 

との言い方で水を差そうとする、いわゆる現実主義的な主張も少なくない。 

 

 そのため世論の盛り上がりはそがれる。いきおい、社会の動きも悪くなるのである。 

 

 ふたつめは「指導力の差」だ。中国は指導部、共産党政治局が指示すれば政府以下は従う。そして、今の指導部は気候変動を重視しており「緑色低炭」政策を進めている。中国政治体制の是非はおくが、気候変動対策が強力に推進される理由である。 

 

 日本の場合、政治主導でも徹底できない。気候変動なら経済界や、その威を借りる経済官庁の抵抗を排除できず骨抜きにされる。 

 

 三つめは、「対策の余地が大きいこと」である。まず再エネに向く砂漠以下の土地があり、太陽光や風力技術で世界の先頭を走っている。加えて炭素削減に向く天然ガス利用の有利もある。四川以下の国産ガスや中央アジア産ガスを山元から全国の消費地までパイプラインで運ぶ仕組みができている。 

 

 日本は自由度が少ない。再エネは既存の土地利用とどうしても競合する。天然ガスは液化天然ガス(LNG)輸入であり液化コストがかかる。パイプライン輸送網は新潟を含む関東だけだ。 

 

 

中国(画像:Pexels) 

 

 日中格差このように説明できる。中国が先行し、日本が遅れる理由があるのだ。 

 

 加えて、四つめ「歴史認識の影響」もあるのではないか。気候変動により王朝交代に至った。その認識から、国家滅亡を回避するために脱炭素を進めるべきと考える影響もあるのではないだろうか。 

 

 最初の王朝交代も乾燥化の結果である。商代、日本式なら殷代には黄河流域は気候湿潤であった。それが末期には乾燥化が進む。この気候変動が殷を弱体化させ周への王朝交代をもたらす背景となった。 

 

 この話は20年ほど前から出ている。地質学や動植物学の成果と殷周交代を関連付ける発想である。今では教育分野まで広まっている(*1)。 

 

 しかも、最近では殷王朝の反応まで明らかになっている。楊謙と詹森楊による殷代井戸の研究である(*2)。 

 

 殷代前期はおおむね暖湿であった。殷墟の第1期、2期の年間降水量は800m以上と今の長江流域に相当する。 

 

 それが後半期には水不足となる。3期後半から滅亡期の4期は乾燥に転じた。また、その気候変動の結果として極端な自然災害も発生した。それが滅亡の背景となった。 

 

 それを井戸の地下水位、文献の記述、井戸祭祀(さいし)から論じている。 

 

 第一は、「殷墟における井戸の平均水位」である。水位の痕線は殷代前期は平均地下8m程度、深くとも12mであった。それが後期には10mとなり、晩期に至ると平均11m、最大14mまで低下した。 

 

 それを気候変動の証拠としている。気象学で明らかになっていた降水量減少により、水利用で重要な井戸の地下水位も下がったとしている。 

 

 第二は、「文献との一致」である。『国語』の「周語上」や『淮南子』の「俶真訓」では、殷が滅びる際に「川が渇いた」や「三つの川が枯れた」と水位低下と矛盾しない災害の記述が出てくる。 

 

 それを歴史的事実の反映とみなす。水不足にとどまらない自然災害の発生と、それによる社会の不安定化を示している。それが殷王朝が倒れた要因との見立である。 

 

 そして第三が、「井戸祭祀の発生」である。後半期の井戸や周辺部からはその形跡が出てくる。前期にはなかった儀式を実施したとの内容である。 

 

 供物もおごっている。井戸の脇にある祭祀坑から無頭の人骨一式や、逆に人の頭蓋骨ふたつと完全な牛一頭の骨格が出てきた例や、井戸の底から酒をためておく罍器や、その酒を杯に注ぐ爵器といった貴重な青銅器が出土した例を紹介している。 

 

 これは熱心な水乞いを示している。乾燥化にともなう水不足で社会や王朝は困窮したため、祭祀により天に水を求めた証拠と解釈している。 

 

 

中国(画像:Pexels) 

 

 殷は気象変動の結果として滅びた。そういってよい。滅亡の直接的な原因は奴隷制度の悪弊や王権と貴族権益の衝突、外征、周辺国の崛起(くっき)で説明される。ただ、背景には社会矛盾の激化がある。気象変動で生じた農業不振以下の経済条件が悪化した結果もみなせるからである。 

 

 なお、気象変動による王朝交代は殷にとどまらない。政治混乱期の多くは気象変動期と重なる。モンゴル台頭から元朝の成立も気象の影響といわれている。 

 

 これも中国で気象変動対策が進む理由ではないか。王朝交代を引き起こすほどの影響力を持つ。そのような歴史認識は知識人層に響く。国民世論の形成や、指導者層に影響を持つ階層を動かすのである。 

 

 さらに日本で進まない要因でもある。日本世論や政治と知識人の関係は弱い。その発言が世論を作り、政治の方向性を規定することも少ない。特に気象変動に警鐘を鳴らす気象学や動植物学、農学の影響力は弱く、歴史学となると皆無である。これもまた中国に遅れる一原因なのだろう。 

 

*1 晁根池「論商朝晩期気候変冷対商周王朝更替的影響」『中学地理教学参考』2018年6期下,pp.66-68. 

 

*2 楊謙,詹森楊「商代晩期気候変遷与祀井儀式発生 – 基于水井水位線的分析」『華夏考古』2022年5期,pp.68-77. 

 

山口一茂(モビリティライター) 

 

 

 
 

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