( 240588 ) 2024/12/28 05:10:44 2 00 スズキ・鈴木修氏が死去 軽自動車の発展やインド市場開拓などに尽力 トヨタ豊田会長から「お悔やみの言葉」もくるまのニュース 12/27(金) 18:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9a74e8b4464a63d8c5683ae0447b278e8c3327f1 |
( 240591 ) 2024/12/28 05:10:44 0 00 2024年12月27日にスズキは同社の相談役・鈴木修氏が同月25日に死去したことを明らかにしました。
享年94歳でした。
世界のスズキを作り上げた鈴木修氏死去 94歳
鈴木修氏は1958年にスズキ株式会社の前身となる鈴木自動車工業株式会社に入社。
1978年には同社の取締役社長に就任。1990年には社名を現在のスズキ株式会社に変更しています。
その後、2000年に同社の取締役会長に就任しますが、2008年には再び同社の取締役社長を兼務。
そして2015年に再び取締役会長に就任し、2021年に同社の相談役に就任しました。
約43年にわたりスズキを成長させ率いてきたことから「カリスマ経営者」としても知られています。
こうした経歴を持つ鈴木修氏といえば、社長就任の翌1979年に最初の勝負のクルマかついまでもスズキを代表する「アルト」が登場したエピーソードは有名です。
その他にも現在、スズキの主力市場となるインドを開拓した立役者でもありました。
かねてから親交のあった豊田章男氏(左) /鈴木修氏(右)
また同じ自動車業界で鈴木修氏を「憧れのおやじさん」と慕っていたトヨタの豊田章男会長は以下のようにお悔やみの言葉を発表しています。
「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。
鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。
ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。
2016 年の共同記者会見。
修さんは『経営者には“これで一段落”ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。
40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。
厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました。
ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。
『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』
いつの日か修さんに『ありがとう』と言ってもらえるよう、日本のため、未来のために仕事をしてまいります。
私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。 ありがとうございました」
※ ※ ※
なおスズキによれば「後日『お別れの会』を開催させていただく予定です」と言います。
くるまのニュース編集部
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( 240592 ) 2024/12/28 05:10:44 0 00 =+=+=+=+=
日本の自動車業界の最後のカリスマと言っていい存在だったと思います。 ここ数年で時代の波に飲まれるかのようにトヨタと業務提携、資本提携を行って来たが、それまでは孤高の巨人という印象でした。 謹んでご冥福をお祈りいたします。
▲2781 ▼185
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スズキ車は二代目ワゴンR、ジムニーJA11、そして今は現行エブリイバンに乗っています。バイクも複数台乗ったことがありますが、思い出深いのはやはりジムニーですね。もう還暦過ぎましたが、エブリイバンの次は終の車に現行ジムニーを考えています。今、自動車業界ではホンダと日産(三菱もか)の経営統合の話題が出ていますが、企業規模ではトヨタやVWに勝てなくても、スズキにしかできない車やバイクを世に出したのは、鈴木会長の尽力が大きいです。ぜひこその理念と志を受け継いで、スズキならではの車、バイクをつくり続けてもらいたいです。鈴木会長、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
▲263 ▼14
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自動車販売店を経営しております。 スズキ(鈴木修会長)は、我々副代理店をとても大切にしてくれ、毎年行われる副代理店大会(年間販売台数達成すると招待される表彰式)でも席を回って労をねぎらって頂きました。 今年1月に行われた副代理店大会にもご出席されて、みなさんと写真撮られてました。 本当長年お疲れ様でした。
▲2278 ▼78
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本来は現スズキの社長のコメントが載るべきところ、モリゾーのコメントが載ってしまうところが、経営に返り咲きせざるを得なかった理由を象徴しており、またそれが現在進行形であることの証明となってしまっている。
スズキ車は好きだし乗っているし、鈴木氏の功績は尊敬しているが、このタイプの経営者は後継者が育たないことが欠点。まずは現社長がもっと発信力を上げる、表に積極的に出ることがさらに必要だろうと思う。
お悔み申し上げます。
▲198 ▼68
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人間は頑張っても 男はこれぐらいの年齢が超最高値って感じ、よく生き抜かれた なかなか幸せな人生だったはず、 でも120歳、130歳までは今の医療では無理のようで、 IPS細胞研究 山中先生 なんとか頑張って 人類の寿命伸ばして欲しいね
▲6 ▼16
=+=+=+=+=
自動車販売店を経営しております。 他の方もお話しされていますが、副代理店大会に参加させていただき、壇上に立たれ話される際のカリスマ性は私の人生の中で強い光として今も胸に刻まれています。 数年前に参加した際、今でこそディーラーとしてスズキのお店がありますが、元々は町の車屋さんが一台一台売って下さったから今のスズキがあります。だから販売店の皆さんを私は大切にしていますとお話しされていました。 世界を代表する自動車メーカーの代表がおごることも無く、敬意を示され私たち末端に気をかけて下さる。パフォーマンスかもしてませんが、その一言でまた頑張ろうと思えました。 これからもスズキの車を、一台でも多くのお客様に届けます。 謹んでご冥福をお祈りいたします。
▲1014 ▼40
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軽自動車っていいですよね。安いし、燃費はいいし、小回りもきく。最低限の部品で構成されているから環境にもやさしい。途上国にこそ受け入れられる仕様だとおもいます。かくいう日本もかつては途上国であったわけで。
トヨタなどと比較し、スズキは地味なイメージが付きまといますが、しかし堅実に一定の需要に即した経営を出来ている。斜陽な日本人にとってまたスズキが必要な場面がこれから巡ってくると思います。
▲1104 ▼106
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惜しい人を亡くした。これから鈴木は大丈夫だろうか。しかし、フォルクスワーゲンとの一件は見事だったな。海外の汚い戦略を見抜き切り返した手腕は流石。インドにいち早くスズキを根つかせた事も驚嘆に値する。インドでは自動車の事をスズキと呼ぶそうな。タイでバイクがホンダと呼ばれるようにこれはすごい事だ。風貌もモノポリーのおじさんみたいで人をキャッチする方だったな。
▲16 ▼2
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主に軽自動車の分野を著しく発展させてきたのがスズキ、そしてリーダーだった鈴木修氏であったことは間違いないでしょう。そしていち早くインドに進出したことなど、経営者に絶対に必要な先見の明に本当に恵まれた人だったと思います。 現在の自動車の分野は世界でEVなど本当に喧しくなっていますが、そんな中でヨーロッパ、アメリカで日本の軽自動車が大人気となりつつあります。そうしたことを見ても、鈴木修氏の先を読む目は本当に凄いと思います。 本当にありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
▲573 ▼33
=+=+=+=+=
私が子供だった90年代には既にインドでスズキが人気だというのを当時雑誌か何かで知った。 当時既に型落ちのアルトが、スズキで安く新車で売られていた。 中国ではなくインドを選んだ先見の明はすごい。これからもインドの販売網はスズキの財産になり続けるだろう
▲612 ▼27
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スイスポのMTを買いました、 スズキって乗る楽しみがある車だなと感じたね…
スイスポとは違うが、スプラッシュという逆輸入車があって、 近畿ニッポンレンタカーで借りる機会があった、 走行性能が高くて驚いた、一般オーナーも居るがコアなファンが乗っておられる、見た目は小型車ですが、スポーツカー的な味付けの車で驚いたのを覚えている。
良い車を作って下さりありがとう、 庶民でも手が届きやすい車で道路自称にマッチした車です。
ご冥福をお祈り申し上げますと共に、 ここで御礼を言わせてください。
▲517 ▼40
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先見の明がある方だった。 北米と中国から撤退できなかった日産とまったく違い、初めから最後までスズキの強みを生かした「小さな車」で一貫していた。片や車のサイズを北米と中国に合わせて巨大化するばかりで最後には日本の道路事情に合わなくなった巨大車が売れない日産と大違いだ。スズキの持てるリソースを最大限効率よくいかせる小型車種に集中して頑張った偉い方だった。 ご冥福を祈ります。
▲502 ▼25
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スズキと言うとアルトワークスとかスイスポってイメージが世間的には浸透している様ですが、私にとってはバイクのイメージの方が強くて、GSX-Rや刀、ガンマ等、数多くの名車を今でも世に出しているわけで、そんな鈴木社長が大好きでした。
本田宗一郎さんもそうでしたが、カリスマ性の高い社長でしたね。 現時点でこの2人に一番近いのはモリゾウさんかな。何とかこの域まで届いて欲しいです。
▲335 ▼30
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庶民ファーストな車造りで、日本の自動車市場の拡大に尽力されたお人。 インド市場の開拓、そして北米や中国市場の撤退は、とても研ぎ澄まされた経営判断だったと思います。 スイフトやジムニーといった名車も、修氏が居たからこそ生まれた車。 心よりご冥福をお祈りいたします。
▲313 ▼14
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スズキ中興の祖であり世界的な自動車メーカーに発展させ、年商3兆円を越える巨大企業に成長させた偉大な経営者ですね
1人のスズキの熱烈なファンとして今でもスズキのバイクや乗用車でお世話になっています 当時の経営者として修会長は、静岡で言うやらまいか精神を発揮して自らが陣頭指揮に立ち魅力的で面白い魅力的なバイクや車を、社員達と共に作ってきたと思います
今は倅が社長としてスズキを運営していますが、その精神を受け継ぐ限り私はスズキを熱烈に応援するので、是非とも頑張って貰いたいものです
▲83 ▼10
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毎年、うちの会社の忘年会にご挨拶にきてくださったのを思い出します。 生前は賛否両論あるお方でしたが、亡くなられて更に名を残す方だと思います。 個体の数え方で 牛は頭を残す。鶏は羽を残す。人間は名を残す。 と言いますが、まさにその通りのお人だったと思います。ご冥福をお祈りします。
▲211 ▼25
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ガラパゴスと呼ばれる軽自動車規格も、まだ発展途上だったインドで少しだけエンジン大きくしたスズキ車が人気なのは、ひとえに無駄がないこと。大きく豪華でなく、必要最低限の部品構成でしかも共有化、耐久性あるけど絶対的な鉄使用料もギリギリまで。そういった地道な工夫はオヤジさんがぶれずに車作りを進化ではなく深化させてくれたから。すげーな。アルトの生みの親。
▲66 ▼7
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浜松市出身です。 公共交通機関が弱く、車がないと生活しにくい土地柄もあって、1台は普通車・もう1台は軽自動車という家庭がほとんど。 しかもその軽自動車の大半はスズキ車です。 地元という理由ももちろんあると思いますが、手の届きやすい価格と乗りやすさも理由だと思います。 (マイルドヤンキーはワゴンRの黒と決まっていましたしね(多分))
この方の存在感は、地元では特にすごいと思います。 報道をみて、ついにこの時が来たかと思いました。1つの時代の区切りですね。 ご冥福をお祈りします。
▲114 ▼20
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以前見た動画で、プロドライバーの谷口信輝さんがアルトの最安グレードを試乗して、絶賛していたのを思い出します。 谷口さんは「皆さんもこれに乗って、心を洗われて下さい」って締めてた。 余分には付いてないけど、必要なものは全部付いてる。 そういう車が実用車のあるべき姿なんだなって思った。 その礎を作ったとも言えるお方の訃報は残念です。
ご意見番が居なくなっても、スズキの貫くべきスタイルやコンセプトが守られていって欲しいと願います。
鈴木修会長、大変お疲れ様でした。 ご冥福をお祈り致します。
▲17 ▼1
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現存の自動車業界で唯一とも言えるカリスマ的な存在だったと思う。ご冥福をお祈りします。 昔、大学生の時にスズキのGSX400Fに乗っていました。また、実家の周りは農家が多くて殆どの家にスズキの軽トラ(キャリー)があったので非常に親しみがあるメーカーです。 今はトヨタGの一員と言えるかもしれませんが、これからもスズキらしさを失わないで欲しいです。
▲127 ▼17
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スズキにはヒット車がたくさんあるが、中でもKeiはSUVの先駆けとして90年代に発売して大ヒットさせた功績が強い。使い勝手も良かったが、しかし、惜しまれるつつも廃版となってしまった。 それからしばらくしてSUVブームが始まり、各社SUV作りが本格化するタイミングでハスラーを登場させた。ハスラーはKeiの良い部分を引き継ぐなど、先代のノウハウをふんだんに取り込んだ完璧な一台となった。 そして鈴木修氏はいち早くその完璧な車を世に登場させて多くのユーザーを取り込むことに成功させるまでを読んでいた。
ここぞという時にいち早く投入するスズキの先見の名が長けていたと感じる。
▲13 ▼8
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五十を超えて初めてスズキの車、ジムニーシエラに乗った。素晴らしい車だった。5年で23万キロ乗ってトラブルなし。燃費もこの手のクロカンでMTだが15から18はたいしたもの。下取りに出したら車屋さんが自分で買取って息子さんにやった。BMWを20年乗り継いで買い換えたのだが、何の不満もない。なぜ早くスズキにしなかったのだろう。ご冥福をお祈りします。
▲78 ▼9
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スズキの軽自動車が好きです。運転席の座り心地と運転仕様が運転しやすく現在もスペーシアカスタムに乗っています。軽自動車は日本の道路事情にあった乗り物だと思う。その先見の力とスズキを軽自動車のトップに押し上げて維持する経営者としてのカリスマ性と現場主義は経営者として必要不可欠!どうかこれからもスズキのメーカーを維持して欲しいです。御冥福お祈り致します。
▲8 ▼1
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長年大変にご苦労様でした。この方が居なければ、間違いなく今のスズキは無いと思います。軽ナンバーワンのスズキも勿論、さっさと世界に行くぜ!がなければ今の自動車産業の世界的なシェアは相当に変わっていたかもしれませんね。私は未だに平成10年式のアルトワークスに乗っていますが、故障知らずで燃費も良くとても調子が良いです。メンテはずっとスズキのディーラーでやっていますが、丁寧でとても良いです!これからは天国で自動車産業を見守って頂ければと思います。心よりげ冥福をお祈り申し上げます。
▲69 ▼11
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数日前に豊田章男社長と鈴木修会長が対談する動画を見たばかりでした。動画の中ではアルト開発秘話があり、女性が社会進出する時代になって、当時中古車が40〜60万円代が良く売れることを知り、アルトを新車で40〜50万円で販売することを決めたというエピソードがありました。そういう先見の目であったり、庶民に寄り添って商品開発する姿勢とビジネスセンスがスズキ自動車の土台を作り、軽自動車が市民権を得た理由のだなと感心させられました。「小さなクルマ、大きな未来」というスローガンは正に鈴木自動車を表現した素晴らしいスローガンではないでしょうか。小さな車でも大きな車にない魅力と利便性がギュッと詰まった軽自動車は、どこか私たち日本人に似たところがあるのではないでしょうか。ある意味、日本を象徴する自動車メーカーと言ってもいいのかも知れませんね。修イズムが脈々と継承されることを願っております。
▲49 ▼4
=+=+=+=+=
今までトヨタやホンダ等の色々なメーカーの色々な車を乗り継ぎ、今はエブリィ(DA17V)に乗っていますが今までの車の中で1番気に入っています。
安っぽいではなく安いですが必要十分で趣味に通勤や買い物まで何一つ不自由する事はありません。
3ナンバーの高級車でなくても狭くて税金の高い日本には小回りが効いて燃費の良いコンパクトカーや軽自動車で十分です。
ジムニーやカプチーノ、ワゴンR等の庶民に手が届く魅力的な名車を世に出してくれてありがとうございました。
御冥福をお祈り致します。
▲11 ▼1
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株スズキの鈴木修会長さんは生前インタビューでもお答えになられてますが鈴木さんは昭和5年(1930年)生まれの94歳でしたです。出身は岐阜県下呂市です。大東亜戦争中は、御大は旧海軍飛行予科練習生を目指して旧帝国陸軍第10師団の兵庫県姫路市に駐屯していた姫路歩兵第39連隊で終戦前後は土木工事に従事されていたそうです。岐阜の山深い下呂でお生まれになれ戦争中はやはり大変な御苦労をされたようですね。青年期に培った頑強な精神力と体力と明晰な頭脳がスズキ躍進の原動力になったのではないでしょうかね。94歳で御逝去なされた事は大変な辛く悲しい出来事です。鈴木修さんの御意志を継承されて更にスズキと業務提携されているトヨタ自動車さんと共に日本の自動車産業が更に世界の人々に役立つ産業になる事を期待したいと思います。鈴木修さん偉大な業績有り難うございました。
▲5 ▼3
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本当にカリスマ性を持った稀代の経営者であった! 私はスズキのバイクを27台乗り継いだ。 どれも個性的で良いバイクだった。 現在はアドレスV125とSV650を所有している、因みに車はアルトだ。 もはや自分は狂信的な鈴菌感染者と言って良い。 それも鈴木修さんが育ててくれたスズキ株式会社の製品が魅力的だったお陰です。 本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さい。
▲16 ▼0
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謹んでお悔やみ申し上げます。 インドでいち早く現地生産を開始した唯一の海外開拓者。約50年前にはインドの将来を見据えた先見性。自動車産業が混沌としている現在において、当時、インドで積載したスズキ車を欧州に輸送した時のスズキの力強さ、先見性、日本企業の強さを感じた事は私の人生の中で忘れることの出来ない事の一つ。今や、揺るぎないインド国民車としての地位を築き上げられました。
▲67 ▼5
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今年39になりました。 免許を取った時に兄からスズキ軽自動車を譲り受けました。 年数も経ち、震災でもボロボロになり、買い替えました。 当時はお金がなくて新車は買えず、新古車に…。 何がいいか悩みましたが乗りやすくて愛着があり、有り難いことにお値段も優しくスズキにしました。
その軽も今年で13年。 来年夏、初めて新車に買い替える予定です。 色や形、こだわりまくって選んでフル装備… 3社から見積もりを取りましたが、どれもそれぞれ良いところがあって選べない…笑
でも皆さんのコメント見てたら素敵な会長さんだったんだな…やっぱりスズキいいなって思いました。
ご冥福をお祈りいたします。
▲38 ▼3
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免許取得以来いろんな車に乗ってきた。ワーゲンもBMWも買った。けど、いまはスズキの三代目エスクードに乗っている。スズキで普通車とはマイナーだが非常に使いやすく、リーズナブルである。やはり輸出比率の高い車は世界を相手にするだけシートもしっかりしている。 この車に乗るまでワーゲンのシートが最良とおもっていたがコチラの方が断然疲れない。 こんな車屋に育てた修さんはほんと凄い。これからも大事に乗らせてもらいます。合掌。
▲31 ▼0
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スズキの屋台骨が失われた感じがして残念な事ですが、何事にも永遠ということは無いのですね。 今後も独自性を失わず自由で優れたデザインの 魅力的な車を送り出し続けられるよう願います。
▲249 ▼12
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退任後いったん現場に戻されたけど今度こそもう大丈夫だろう これからいわゆる軽規格はPHEVを経由するのかEVに行くのか他の道を行くのか、現状いろんな小型化、軽量化が困難で規格維持はたいへんそうだけど、世界でも日本の軽自動車が評価されつつあるからどうにか技術的に残ってほしいね。
軽を走る棺桶だとか言うけど、無謀なこと互いにしなければ事故なんてないんだ。そもそもそんな暴論を飛ばすやつこそ事故の原因たり得るんだから、彼らがいなくなれば軽自動車は用途に応じて最高の自動車だと思うんだよね。
▲17 ▼0
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初めて買った車がMTのスイスポでした。 すごく楽しい車で、今でももう一度乗りたいなと思わせてくれる車でした。 スズキって安いけど乗り味は良くて、機能もしっかりついてて、コスパ最強なのよね。 うちの嫁さんもスズキを愛用させてもらってます。 ご冥福をお祈りします。
▲43 ▼4
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自分は車も好きだけどバイクがとにかく好き。 16歳の時に地元のバイク屋にスーパーディオを買いに行ったら隣にあったZZではない普通のセピアに一目惚れして即購入。 普通二輪免許を取った時、ZZR400を買いに行ったら隣にあった新車のRF400RVに一目惚れして即購入。 VMAX1200が欲しくて大型二輪免許取ったけど、不動車で10万と激安だったGSX-R1100Hを買って自分でレストア。 林道に目覚めてTS200Rを買ったあと、GSX-R1000K4、バンディット1200Sと乗り継いできました。 今はセピアとTS200Rとバンディットの3台体制でバイクを楽しんでいます。 鈴木修さんいままでありがとう。 そしてこれからもよろしくお願いします。
▲6 ▼0
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なんやかんや言ってもこの人が居たからこそスズキの躍進はあったと思う。 前時代的な経営者に見えたかもしれないけどトップダウンで方針が決まるのは良いことだったと思う。 今後もその志を引き継いで楽しい、面白い、欲しいと思える車を作り続けてほしいなぁ。
▲49 ▼8
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スズキのバイクを2台愛用してます ハヤブサとアドレスv125、どちらもスズキならではの個性が際立ち唯一無二の価値がある素晴らしいバイクです。 心からユーザーに愛されるメーカーはそうそうないと思う。本当に良いメーカーへ導いてくれた功績に敬服します。長い間大変お疲れさまでした。
▲23 ▼3
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SUZUKIにとっては、これからが正念場ですね。 時代はハイブリッド、EVへと技術革新が進み、ソフトが価値を決める中で、会社を引っ張っていく存在がいなくなってしまった。 今までの延長線上には解はない時代になりました。
私は、SUZUKI車のお世話になったことはないですが、長年の間、お疲れさまでした。ご冥福をお祈りします。
▲23 ▼23
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トヨタ会長は自動車が大好きなんだなと思う。 それが、トヨタの信頼につながる。 スズキも含め、各社の社長さんは自社の車を大好きだろうか? 自分が運転したい車になっているだろうか? 車は移動手段と割り切ることもできるけど、運転する楽しさを知ると それを疎かにしてほしくない気持ちが出てきます。 胸を張って、「うちの車は面白いですよ」といえる社長のいる会社から 買いたいと思う。もっとアピールしてほしい。
▲10 ▼2
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47万円で発売になったアルトはすごかった。安全性能や環境性能を抜きにして、下駄代わりとして乗るには、あれ以上のクルマはなかったように思う。そしてそんな車を出せるスズキというメーカーを作り上げた人だったように思う。ご冥福をお祈りいたします
▲4 ▼0
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スズキと言えば、幼少の頃うちの初めてのマイカーだった2ストのフロンテ、助手席のお袋の足元に隠れて膝掛けかけて高速の検札をパスしてたのを思い出す。今思えばよくあんな車で片道600キロも走って盆暮れに親父の実家まで行ってたなと思う。 大衆車の代表と言えばカローラのイメージだけど、車が一般家庭にまで一気に普及したのは実はフロンテとか2スト軽の存在が大きい。 後は知ってる人は知ってる「小少軽短美」ですかね、私が身を置く業界にはこれに振り回された人がいっぱいいます
修ちゃんは妖怪かと思っていたけど、やはり歳には勝てないか。 すごいカリスマのある人だったと思います。
▲6 ▼0
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鈴木さんにはお世話になりました、バイク免許取ってスズキの原チャリからカワサキホンダとなり、現在スズキを所有してます。 車も、若造はお金がなかったのでアルトの新車買ってその後いろんな車に乗りましたが現在はスズキのクロスビーです。 何か一周回って戻る感がありますね。 ご冥福をお祈りします。
▲19 ▼2
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スズキは車でもバイクでも、いつも低価格良いモノづくりで 私達に寄り添ってくれるメーカー
ずっとその姿勢が変わらずにブレないところは鈴木修氏の事を社員が皆尊敬している事と存じます
私が今持ってるスズキは125のMT車1台ですが、しっかりとメンテしてコレからも乗っていく事で恩返しします
▲14 ▼0
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昔は軽自動車ってバカにされてたけどそれが今ではそんな事なくなった。ジムニーやスペーシアなど価格は普通車並するが魅力的な車は多い。現行のジムニーなんて過去最高にカッコイイと思う。生産数増やしてるのに納車するまで今だに一年待ちも頷けますね。ご冥福をお祈りします。
▲44 ▼4
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スズキ製のOEM車を所有していますが、スズキ車のことを好きな人を一部では鈴菌なんて言い方をしますが、所有してみて感染する人の気持ちがよくわかりました。小さいけれど、ほんとよく考えられていてよく走るしいい車です。
ご冥福をお祈りします。
▲43 ▼5
=+=+=+=+=
学生時代、免許を取ってバイトで金貯めて、最初に乗ったのが(スズキ・カルタス)…当時のイメージキャラクターだった舘ひろしの(オレたち、カルタス!)のフレーズに魅かれましたね。ホンダなんかに比べてディーラーの人も親切だった気がするな。修氏のスピリットは継承して欲しい。
▲5 ▼0
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トヨタイムズだったか忘れましたが豊田章男会長が鈴木修会長と対談する動画を視たことがありまして、豊田会長が鈴木会長に色々と教えをこうているのが印象的な内容でした。特に今のトヨタでも進出が難しい市場と言われるインド市場でスズキがインドアでのカーシェアNo.1であるのにはかなり敬服している感じでしたね。スズキがインド進出ができたのもこの鈴木修氏の尽力によるところが大きかったと聞いていますし本当に名物経営者がまた一人いなくなり本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。
▲13 ▼1
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代理店を全国に展開して草の根的に庶民の暮らしに密着していますね 地方なら◯◯モータースと言った所でしょうか 買いやすさ乗りやすさメンテナンスのしやすさ 全てにおいて一番のメーカーです スイスポは2代乗り継ぎました 連れはラパン友人はkei 楽しくて可愛くて長持ちします バイクもスクーターからレーサーまで ほんとにすごいメーカーに育ててくれました 鈴木修氏の偉大な功績に感謝です
▲14 ▼2
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3月に北インドに行きました。スズキの販売代理店をあちこちの幹線道路沿いで見かけましたし、スズキのスィフトもかなり見かけました。後でインドではスズキ車がインド国内の総販売台数の6割を占めると聞き、なるほど〜と思う光景でした。
▲73 ▼5
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初代アルトが発売された頃スズキディラーでアルバイトしてた。 アルトは馬鹿売れで来る日も来る日もアルトの納車整備でカーラジオを嫌に成るほど取り付けたなぁ。 鈴木修社長は雲の上の人だったなぁ。 スズキはまだ鈴木自動車工業で本社は可美村でしたね。 鈴木修名誉会長の御冥福をお祈りします。
▲12 ▼0
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スズキのバイクに乗ってます。 貧乏大学生でも買えるように走りに関係ないところはとことん削って安くしてくれるスズキはほんと庶民の味方です
必要なところは自分でつけるし、最低限のパッケージを用意してくれているのがほんと素晴らしい
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
スズキのチョイノリという原付バイクを作る時に開発部から重量オーバーしますとの報告に『それならエンジンを外せ』と言われた言葉は私も中小企業の代表者になった今でも心残ってます。ご冥福をお祈りします。
▲62 ▼6
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>憧れのおやじさんでした。 こちらから見ると豊田会長も「あれほどの超巨大組織のトップでありながら『自動車への愛情』を決して失わないスーパーマニア」であり、報道されている鈴木氏の数々の(思い出の)言葉と併せ自動車への思い入れと愛情に尊敬の念が薄れないですけど、そのお二人の関係性を端的に表している表現だと思います。 経済の潮流としてのEV化、ソフト化の流れは止めようがないでしょうけど、一方でそれに振り回されて気がついたら自分の生活の方がそれに規定されてしまうような事が無いように用心しないといけないですね。スマートフォンという前例がありますし。
▲66 ▼11
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お悔やみ申し上げます。 あなたのいた時代の車が、令和の時代にも残っている事が、なによりの成果だと思います。 特にジムニーは、ホープ自動車から権利もらって作った程本格オフローダーになった惚れ惚れする車です。 他メーカーが車種整理で縮小している昨今、スズキの車はいつまでも残っております。 お疲れ様でした。 有り難うございます。
▲66 ▼5
=+=+=+=+=
何年か前の記者会見で、鈴木会長が「もうイケイケドンドンの時代は終わった。この辺で、ちょっと立ち止まって冷静に見つめ直すのも必要なんじゃないか?」と言っていたことを思い出します。他の経営者は永田町の人達が言う通りに、景気の好循環だの、経済成長がどうだだの、その中でたった1人鈴木会長が言ってた。この人は冷静に世の中を見ている人だと感じた。心よりご冥福をお祈りします。 本当に残念です。
▲20 ▼0
=+=+=+=+=
故鈴木氏は、自らを常に中小企業のオヤジと称していたが、何とその総資産額は5兆円に達し、連結での従業員数も7万人を超える超大企業ですよ。 しかし、自らが作り育てたスズキは鈴木元会長にとっては何時までも可愛い中小企業だったのでしょう。 要はご自身の指示一つで全体を統率出来た企業なんだと言いたかったのでしょうね。正にスズキのかリスマ的な存在だったということだ。 浜松をこよなく愛された鈴木元会長のご冥福をお祈り致します。
▲77 ▼11
=+=+=+=+=
私もアルトやジムニーに乗ってましたがスズキと言えばやっぱりガンマやGSX等の二輪のイメージが強いです。 34番のスズキワークスのアイツ!優勝するかコケるかでいつも楽しみにテレビでレース観戦してました! 今まで本当にお疲れさまでした!
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
心よりお悔やみ申し上げます この方は同じ人生の二回り目なのではないかと思う位先見の明が有った まさしく超人的センスの経営者だった この方が居なくなった後のスズキは大丈夫なのだろうか? 日産の様に社内闘争などせず良い車を作り続けて頂きたいです
▲28 ▼2
=+=+=+=+=
インドに行くと、本気でインド人の中にスズキはインドのメーカーだと思っている人がいるくらい、インドにスズキありという状況。こんなに他の国に浸透しているメーカーはそうそうないと思います。
本当にお疲れ様でした!
▲44 ▼3
=+=+=+=+=
鈴木修氏は本当のカリスマでした。あの当時にインドに進出になんて、どこのメーカーの社長も思案する事は無かったでしょう。 今やIT 王国と言われるまでの国になりましたが、インドの国民性含めた考察力と決断力には本当に頭が下がります。凄い方でした。御冥福をお祈りします。
▲14 ▼1
=+=+=+=+=
最初のクルマがスズキ・セルボ。それから40年。再びスズキ車・ソリオに乗ってます。時代に合わせ、必要にして充分な装備、運転し易く、お手頃価格。素晴らしい。 鈴木修元会長の御逝去に悼み、心よりお悔やみ申し上げます。
▲24 ▼2
=+=+=+=+=
15年前スーパーの駐車場でみかけた1台の車のフォルムに一目ぼれしました。シトロエンの新車か?とよくみたら見慣れたSのエンブレム。ええ!?あのスズキ?アルトの?日産車乗りでしたが2代目スイフトを即買いしました。現在3代目に乗っています。素晴らしい車です。名車です。修さんありがとうございます。ご冥福をお祈り申し上げます
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
この方の功績はジムニーを世に出したこと。 社内の反対を押し切りホープ自動車からホープスターを買い取りジムニーとして仕立てた。
もう一台を挙げるとしたらマイティーボーイ! 47万円という安価さは発売当時でも圧倒的にだった。
本田宗一郎氏といい、鈴木修氏と言いカリスマ性と先見の明は確かなものだった。
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もうすぐアラフィフの私が20代で初めて車を購入するのに、いくつか回ったディーラーの中で一番寄り添ってくれたのがSUZUKIでした。 それからSUZUKIの軽自動車数台を経て今のソリオまでSUZUKI一筋です。
その間何回か引っ越ししたりして、購入したお店じゃないSUZUKIのディーラーにも無料愛車点検や買い換えなどで伺いましたが、どの店舗もユーザーである私と車のことを第一に考えてくださいます。 ※購入時に行った別のメーカーは、若い私を見てほとんど相手にせず、「後でご連絡します」と連絡先聞いておいて、一切今まで連絡来ずです(笑)。
自分語りをたくさんしてしまい申し訳ありません。数年前に「ガイアの夜明け」で取材されていた鈴木会長を見て、更にSUZUKIが好きになりました。 SUZUKIの皆さま、引き続きお客に寄り添って、良い車を作っていってください!
お悔やみ申し上げます。
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現行アルトに乗ってます。46馬力しかないのに、高速道路も難なく走り、燃費もリッターあたり24キロです。こんなクルマが100万円くらいで手に入るのは、今のご時世有難いです。ほんと、いいクルマです。
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鈴木修さんは、最初は、銀行員だったが、2代目社長の鈴木俊三の娘の婿になったのを機に、スズキ自動車工業に転職した。4代目の社長就任後は、浜松の自動車工業の発展に尽力した。地元の静岡県の浜松市にとどまらず、日本全国に広げ、海外への進出を果たし、世界のスズキにした。
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私も新卒でスズキに入社しました。転職して辞めてしまいましたが、今でも自動車業界に身を置き、少小軽短美をモットーに考えています。 日本を考え、日本の経済を支えてきた経営者がまた亡くなりました。 今までお疲れ様でしたっ!!そして、ありがとうございました。
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息子が今免許を取りに行ってますが、免許取得後、人生初めての車はスイフトの予定です。年始に契約しようと思っています。これからSUZUKIにお世話になります。 魅力ある車をたくさんありがとうございました。 心よりご冥福をお祈りいたします。
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特にこの方に思い入れも無いですが最初に買った車は初代アルトワークスでした。 最初に乗った750はGSX750E4型で今、最後の大型として乗っているのはGSX-S1000GTです。 節目でスズキの車両とはご縁がある身です。 お悔やみ申し上げます。
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ご冥福をお祈り申し上げます。
私が好きな鈴木修さんのエピソードはRG250Γの前例ない量産車アルミフレームの話です。
専務を含む経営陣から製造工場の都合に合わせないなら「クビにする」と設計者に圧力があったが、市場は望んでおり、お客様の都合に合わせるべきと設計者は常務を通じて社長に頼んだ。
当時スズキはHY戦争に巻き込まれて倒産寸前だった。専務の意見は現実的であった。しかし修社長からはOKが出された。
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世界が燃費偽装問題で揺れている時に、カタログより実際の燃費が良くてすみませんって会見してたのをみて爆笑しました。こう言う会社なんだなと。 スズキは二輪、四輪共にホンダ、トヨタに無い魅力がある車と思います。どこか尖ってるというか個性的というか変態的ともいうのか笑 この時代に個性的なだけでは収益上がらない。実用と個性のバランスが絶妙なのがスズキ車なんだと思います。たまに個性に振れてるのもまた良い笑 ご冥福をお祈りします。
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ジムニーからアルト、スイフト。これらのクルマ、あの価格で作れるのはスズキだけ。 パッケージングの天才。そしてニーズを掴み取る天才。この人のモノづくりの姿勢、権力闘争ばかり一生懸命な日産の経営陣にはピンと来ないだろうな。
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全く自動車業界と関係ありませんが。 情熱大陸だかプロジェクトXだか、TVに出られているのを見ました。 売上不調でも最高。何があろうがスズキ自動車は最高。来年は最高!と言われていたのが忘れられない。 全くスズキ自動車とは関係無い業種ですが、 心の支えにしています。
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鈴木会長、 ご冥福をお祈りいたします、 大変な偉業を成し遂げた経営者だと思います 以前、 トヨタのおぼっちゃま社長から似た者経営者と 言われ、本当に迷惑そうな表情をされていたことを 思い出しますね 軽自動車は、限られた規格の中、芸術品のような 商品に育ちました 素晴らしい、ありがとうございました
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重度のスズ菌感染者です。あなたの作品が大好きすぎて重症になってしまいました。GS,カタナやガンマや油冷、アルト、ジムニー、キャリー人から見れば立派な変態ですがスズ菌にとっては誉め言葉。これからもあなたが作った作品を大事に大切に維持していきます。ありがとうございました、安らかにお眠りください
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感謝だなぁ。 ダイハツを乗り続けてたけど故障が多くてスズキに乗り換えた。 以来、品質の高さには驚かされるばかりでとにかく丈夫で壊れない。 燃費も良いし欠点が見当たらないのはスズキ車の特徴だと思ってる。
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今年9月に人生で初めて、スズキの車を購入。 豊田章夫会長が鈴木修相談役を経営者として尊敬している…ということを見聞したことがあるが、その通りの取材記事でした。 スズキは『安っぽいくるまではなく、安い(意図としては安くていい)車を売っている』という鈴木修氏の言葉は、スズキの車を乗って見て、確かにその通りだと感じる。 現状は実子の鈴木俊宏氏がスズキの社長として約10年間辣腕を奮っていらっしゃるが、インドからの逆輸入車の『フロンクス』が、スズキの社業を象徴している車だと感じる。
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自分の周りのあらゆる人が直接的、間接的に修会長にお世話になった。 松下幸之助や本田宗一郎を知らない自分にとっては、修さんと章男さんが最高に誇れる日本人。本当にありがとうございました。 章男さん、修会長の分も宜しくお願いします!おやじさん、しっかり休んでください!!
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中国市場を見限った経営判断は素晴らしかった。 豊田章男さんはスイフトスポーツを高く評価していましたね。一方ソリオをリスペクトした上でルーミーを出したり。でも結局ソリオの牙城は崩せていないですね。
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豊田章男会長のエピソードに度々鈴木修会長が出てきて叱られてますねw
章男さんは世界で戦う孤高の漢ですが、章男さんにとって修さんは厳しくも優しいアドバイスをくれる頼りになるオヤジだったんじゃないでしょうか。
ご冥福をお祈りします。
▲47 ▼2
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人間は頑張っても 男はこれぐらいの年齢が超最高値って感じ、よく生き抜かれた なかなか幸せな人生だったはず、 でも120歳、130歳までは今の医療では無理のようで、 IPS細胞研究 山中先生 なんとか頑張って 人類の寿命伸ばして欲しいね
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今はセレナになってしまいましたが、数年前、スイフトスポーツ(ZC32S)マニュアル、バイクはGSX250Rに乗っていました。とても良かったです。いずれまた、スズキに戻りたいと思っています。お悔やみ申しあげます。
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30年前、副代理店大会でお会いした事があります。少し小柄な社長さんが参加者の労を労う姿に、とても腰の低い方だなと思った記憶があります。 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
▲30 ▼3
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SUZUKIは車もバイクも、他社より値引きに応じてくれるし、価格が安かろうとて、悪くない車を作ってくれる庶民の味方。 こういうメーカーがアルト、本当にありがたい。
謹んでお悔やみ申し上げます。
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インドではレッドカーペットでお出迎え、中国から撤退。 次を託せる人材がいないのを察してトヨタにお願いしましたね、合掌。 スズキの歴代の車やバイクを展示している施設が有りますがトヨタ・ホンダ・ヤマハさんみたいに動体展示が良いと思う。
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「 頭を使わん営業はゴミ 」「 電話応対で忙しい、丁稚営業で飛び回る営業は会社を腐らせる 」と言った 鬼のマーケティングを実施させた経営者です。 技術者より、マーケティングを重視し、自分を売り込む古臭い営業を嫌う、ネットワークを使って、互いの利害を課題に挙げて、どうすれば顧客の期待する価値に商品サービスを見せるか、機能させるかを厳しく考えさせる経営者だった。
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2003年にダイハツがタントで珍しくスズキの後追いではないものを出しましたが、間違いなくワゴンRの存在は大きかっただろうと思います。
▲205 ▼13
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日産自動車を例外として、他の自動車メーカーは、たった一人の天才的技術者職工からスタートしました。この鈴木会長の半生も小学生の教科書にも載せたいし、NHKのプロジェクトXでも特集して欲しい…ホンダと同じく2輪から四輪までやりきった。
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社史を読み解くと分かるのですが、創業以来トヨタの弟分として、独立独歩の道を歩みつつ、特に二輪においてはホンダやヤマハと鎬を削ってきました。 修さんが亡くなることで、完全なるトヨタグループとなるのか、今のままの緩いトヨタグループの一員なのか、目を離せません。 個人的には鈴菌なので多様なバイクやジムニーなどの名機を生み出したスズキに万歳!
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言い方は悪いが、「これでスズキは良くなるかも?」と期待する。ここ20年くらい、あまりにもワンマンだったし部下も忖度風土が強かったと感じる。ワンマンでも結果的にプラスになっている内はまだ良かったが、近年は明らかにネガティブな部分が目立っていた。イグニスがその象徴。「スズキのデザインアイデンティティを随所に盛り込んだ」と言う名の、単なる鈴木会長を喜ばせるだけの駄作だった。 今後、創業者一族の経営を脱していくことが、スズキの健全な未来だと思う。
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