( 240678 ) 2024/12/28 06:53:17 2 00 スズキ鈴木修相談役死去 「中小企業のおやじ」小さな車にこだわり世界的自動車メーカーへ【速報】静岡放送(SBS) 12/27(金) 16:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/19855262f8f2341f35e9c9b01696dcf567c21e39 |
( 240681 ) 2024/12/28 06:53:17 0 00 静岡放送
浜松市に本社を置く自動車メーカー「スズキ」で社長や会長を務めた鈴木修相談役が亡くなったことがわかりました。94歳でした。
スズキの発表によりますと、鈴木修相談役は2024年12月25日午後3時53分、悪性リンパ腫により亡くなったということです。
鈴木修氏は岐阜県下呂市生まれ。中央大学を卒業し、銀行での勤務を経て、スズキの2代目社長の娘婿となり、1958年にスズキに入社しました。
その後、常務や専務など取締役を歴任し、1978年に社長に就任。自らを「中小企業のおやじ」と称し、長年一貫して誰でも気軽に乗れる小さな車にこだわり続け、現在も主力車種となっている「アルト」や「ワゴンR」など、軽自動車のヒット商品の開発を主導しました。
また、海外展開を積極的に行い、インドでは販売シェアが1位となるなど、浜松の一企業を世界的な自動車メーカーに発展させる礎を築きました。
2015年に社長職を長男・俊宏氏に譲った後も、会長としてトヨタとの資本提携を進めるなど、経営の指揮を執りました。2021年に会長を退任、経営の第一線から退いた後も財界のみならず、政治や文化などの方面で精力的に活動を続けていました。
後日「お別れの会」が開かれる予定です。
静岡放送
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( 240680 ) 2024/12/28 06:53:17 1 00 コメントを見ると、鈴木修氏がスズキを愛し、社員や顧客に寄り添いながら会社を成長させてきた経営者としての姿が垣間見えます。
(まとめ) | ( 240682 ) 2024/12/28 06:53:17 0 00 =+=+=+=+=
元社員です。 入社式の際、お話されていた「お客様を思えば我々にできないことはない」や「我々世代は泥水を吸ってでも生き延びてきた」といったお話を新社会人の我々に約90分間立ったまま講話をしていただいたと記憶しております。 まず講話を始める前に眠たい者は寝ても良いやネクタイを全員外しなさいと言って全員ネクタイを外した状態で緩やかな雰囲気でざっくばらんにお話をされていたのが印象深いです。 ご冥福をお祈りいたします。
▲7630 ▼297
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軽自動車が今の規格になったときのアルトワークスからずっと車はスズキに乗っています。初代スイフトスポーツ、スプラッシュ、イグニスと他社にはない味を持つ車に魅了されて乗り続けています。社風が変わらないならずっと選び続けると思います。
バイクも最近グラディウス400に乗り換えました。当時人気のない400ccクラスにもこんな素晴らしいバイクを作ってくれたことに感謝しています。ほんとスズキ車は魅力ありますね。これからも頑張ってもらいたいです。
▲91 ▼10
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社員です。10年以上前ですが本社から離れたうちの部署に一度だけ来てくれたことがあります。当時からご高齢にも関わらず上長の説明を熱心に聞く姿はまさしく現場の男でした。それ以降は動画でしか見ておりませんが、いつも言葉は分かりやすく力がありました。つい最近まで現役バリバリで働いていた情熱とパワフルさはまさしくスズキ自動車の象徴と言えるでしょう。いつかこの日が来ることは覚悟しておりました、鈴木修氏の御冥福をお祈りいたします。
▲38 ▼4
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ご体調が悪いと噂で聞いていたので心配していましたが残念です。 心からご冥福をお祈りします。 何度か仕事でお会いしたことがありましたが、部下には短く厳しい言葉で指導するのに対し、お客さんには老若男女問わず優しく接する姿を見て、婿養子ならではの気苦労があったのだと感じていました。 ご長男が頼りなくも何とか独り立ちしたのを見届けての大往生と信じたいです。 我が家には修さんが売れると信じて世に出したジムニーがあります。 そろそろ30年経ってあちこち傷んでいますが、これからも大切に乗りたいと思います。 ゆっくりお休みください。
▲509 ▼42
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地方では、車は1人1台だから、軽自動車のありがたさは身にしみている。最近はデザインも走りも良い。かく言う私自身は、クラウンやらベンツやら大きいクルマばかり乗り継いでいたが、自営業として独立し、経費節減のため父の乗り古したアルトに変えた。それがまあ衝撃的に乗りやすく、小さいクルマの良さを痛感した。 その時代ごとに、自社の強みを活かし切る、素晴らしい経営者であったと思う。
▲256 ▼32
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以前SUZUKIの軽自動車に乗っていましたし、現在はSUZUKIのバイクを2台持っています。
バイク仲間の間ではSUZUKI愛用者のことをスズ菌と呼ぶほどSUZUKIの車両に魅了される人間は多く、それを周りに広めたがる傾向があります。 SUZUKIの何が良いか、それは消費者目線をと車両の質のバランスが良いことだと思っています。 どんなに好きな車だろうがバイクだろうが高い値段では手が出ない。手が出なきゃ乗れないんです。 私はGSX-R125に乗っていますが、スーパースポーツバイクに憧れてた私をそのユーザーにしてくれた大切なメーカー、私にとってそれはSUZUKIなのです。40万円程度の車両価格にするために、良い機能はきちんと装備しながらコストを削るところを捻出して、手が届く車両価格にしてくれたSUZUKIが大好き。
そんな良い会社を作ってくれた会長さん。本当にありがとうございました。
▲3820 ▼213
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先見の明のある方でした。あの時代からインドに進出とは凄いことです。
修社長になってからスズキのクルマは売れ始めましたよね。それで私も気になっちゃって、なんていう車だったか忘れたけど普通の軽自動車(スイフトに乗りたかったけど無かった)に試乗させてもらいました。癖のない良質な乗り味でした。真面目に作ってるんだなっていうのを感じました。対応してくれた社員の方も真摯で誠実な方だったな。良い会社だなと思った。ディーラーではなく車フェアに行ったんですが、他のメーカーは私が女であるということからか「車知らないでしょw」っていう謎の上から目線だったから余計にスズキは好印象でした。(ちなみに私はふだんポルシェに乗ってるんですがね。言いませんけどね、そんなこと。)
日本に限らず自動車業界はいま混沌としてて先が読めませんが、スズキにはこのまま真面目な車作りのメーカーでいてほしいです。
▲1 ▼0
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日本の自動車産業の偉人。二輪に軽自動車、小型車に特化した中で未だに独立出来ているのは凄いこと。これからもコストパフォーマンスに優れた製品作りのポリシーを失わず、進化して欲しい。
▲2120 ▼115
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ご冥福をお祈りいたします。 94才という事で、大往生かと思います。
インドで1位になるなど、大成功を収められたのも、先見の明があったからだと思います。 多くの日本企業がインド進出して失敗している中、成功しているのは素晴らしいと思います。
インドだけでなく、日本の地方においてもスズキ車はコンパクトで安いので人気です。都内ではあまり見なかったですが、地方移住後にスズキ車をよく見かけるようになりました。
今後も、スズキが鈴木氏の意志を継いで、乗りやすい車を開発してくれる事を願っています。
▲1904 ▼130
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スズキを日本有数の企業に育てた偉大な方だった。世界的にも有名で日本よりむしろインドのほうが反響が大きんじゃないかと思う。ただあまりに偉大過ぎたがゆえに後任の育成に後手を踏んでしまったのは痛かったかな。自動車業界100年に一度の変革と言われる時代において、これからのスズキの奮起に期待したい。 お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
▲1657 ▼129
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父が購入した初代アルトに乗ったことありますが、あまりのシンプルさが子供心にも衝撃的でした。今でもクルマを見る時のベンチマークになってます。スズキのため、国のために最期まで尽くされた人生と存じます。テレビで拝見すれば飾らない話し方が好きでした。ご冥福をお祈りいたします。
▲1426 ▼106
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この人なしに、今のスズキは絶対にない。鈴木修亡きこれからのスズキは、どうなることやら。GMの株の売却に始まり、VWと提携したものの上手く行かずに結局はトヨタとの提携に踏み切った。今思えば、GMやトヨタみたいな「スズキを尊重してくれる相手」となら上手く行く会社なんだよなあ。確かに次世代自動車をゼロから開発する技術力・資金力はどう考えてもないけど、小型車・軽自動車は無類の強さがあるし、インド市場にいち早く進出してインドでは圧倒的な強さを誇る会社にしたのも、この人なしにあり得なかった。そうなると、これからのスズキの舵取りは難しいだろうなあ。 また1人昭和の歴史に燦々と輝いた巨星が消えてしまった。合掌。
▲1332 ▼165
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他ディーラーで自動車検査員をしております。よく車検で入庫のスズキ車を点検しますが10万キロ走行レベルではオイル漏れもほとんど見たことが有りません。エンジン強い印象があります。自分自身もZC71S スイフトにいまだに乗ってますが定期交換部品は一通り交換して19万キロ近く走ってますがエンジンも静かだし燃費良いし本当に良い車だと思います。燃費試験不正問題では『車は家族4人で乗るもの』と考え、その結果は実燃費の方が優れていた事も非常に感慨深いものを感じました。ご冥福をお祈りします。
▲444 ▼30
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婿養子同時の争いに勝ったところから始まり、 女性の社会進出と共に女性が中古車をよく買っていることに注目し、中古車の価格で小型の新車を発売して大ヒットさせ、日本で1番の車メーカーになるのは難しいと、まだ車メーカーの少なかったインドに進出し大成功。 そんじょそこらのドラマよりおもしろい人生を歩んだ人だった。 この方のインタビューの受け答えは賢いながらもユーモアがあって本当におもしろかった。
▲530 ▼46
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社長や会長時代の元社員です。社内でも一般の何の役職も就かない社員にも気さくに話掛けてくださいました。地方に出向中に視察でお会いした際も同様に話掛けてくださる方でしいた。本当にスズキというメーカーを愛し、社員想い。元会長の一声で急に色々改革があったりして管理職以上の社員はよく振り回されると嘆いておられたのも懐かしいです。でもその改革が成功に繋がってるのだから、本当に敏腕経営者なんだな〜間近で感じておりました。ご冥福をお祈りいたします。
▲306 ▼20
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お悔やみ申し上げます。
以前はジムニーに乗っていたこともあり、現在の愛車はハスラーです。ジャガーに乗っていたこともありますが、排気量とか値段とかステータスなどではなく、それぞれ個性があってステキな車なので、個人的には同じように満足しています。
こんな魅力的な車づくりが根付いているのも、鈴木修さんの個性があってこそだったのでしょう。ありがとうございました。
▲483 ▼65
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車重650kgでリッター22km走るスズキのターボ軽に乗って8年目です。新車価格129万円も驚きでしたが、10万km走って故障ゼロも秀逸です。ブレーキパッドもタイヤも驚くほど交換頻度が少なく済みます。軽さは正義です。 大径タイヤ&2t超えの車重のSUVのBEVなんかより、よっぽど環境にも路面にも優しく、スズキのクルマはもっと評価されてもいいはずなんですが。 皆さんのコメントにもあるとおり、軽さと安さを追求したクルマづくりはスズキの伝統として継承して欲しいです。
▲275 ▼17
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初代ワゴンRに「今どき50ナンバーですか」と言われながら22年乗り続けました。腰の悪い私が姿勢良く乗れる軽自動車は他になかったし、あまりに運転しやすく変えられませんでした。最後の方は整備も大変でしたが、町の整備工場さんが「スズキはトラブルの整備方法が分からない時、本社に問い合わせるとちゃんと教えてくれる」と言ってました。そういう寄り添ってくれる会社で助かりました。「中小企業のおやじ」会長の方針ありがとうございました。
▲244 ▼15
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この方は、何度も後身に後を託しましたが、結果的に現場に戻る事に。 販売店を大事にされる方で、他のメーカーが自分のディーラーを大事にするのに対して、スズキのディーラーに、販売店を大事にする様に指示される方だったので、販売店のスズキに対する、いや、この方に対する信頼はとても大きいです。 パーティーに、販売店を呼んで、1店舗事に挨拶して回るのが販売店に喜ばれています。 ただ、この方はありきな体制になってはいるので、今後は心配ですね。
▲359 ▼37
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社のため、日本の軽自動車界のため、そして世界中のお客様のために東奔西走されたことは誰の目にも明らかだし、誰も目を付けなかったインドにおける車市場を世界屈指の市場に育て上げた手腕は国会議員よりもはるかに褒め称えられるべきだし、VWとの失敗を取り返すべくトヨタとの協業決定もご存命のうちに果たせたのも良かった。
あなたは日本の軽自動車界の巨匠であり、父です。 あなたが居なければ、軽自動車税はもっと値上がっていたかもしれない。
安らかにお眠りください。
▲288 ▼36
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日本の自動車業界を作った経営者の1人であり、差別化した市場の選択で小型車のスズキそして2輪のスズキという立ち位置を作り上げた。非常に早い段階でインド市場での合弁事業を進めて成功させたことはスズキの先駆的なユニークさと事業機会視野の差別化と長期で企業価値を成長させる経営者だという履歴を残した。スズキという会社は修氏を体現し、大企業でありながら精神は大企業病には感染しなかった。
日本の自動車業界の歴史を作ってきた大きな貢献者の死去であり、今の業界が置かれている状況を何か暗示しているように思えてならない。
ご冥福をお祈りいたします。
▲144 ▼8
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スズキで最初に乗ったのは、二輪はスズキ80・・・・誰も知らないか? 四輪は360CC のフロンテクーペ・・・・・・2ストローク3気筒、雨の前の日はすこぶる調子が良くなりました、2ストだから気圧の関係らしい!! ゴーカートみたいな車で、高速でエンストして玩具のようだから一人で押して路側帯に逃げたことが懐かしいです。 鈴木氏のご冥福を祈ります。
▲274 ▼26
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スズキとBMWの車は、そのメーカーの車に乗っていたら、同じメーカーの違う車に乗り替えても操作に迷わない。各種スイッチがだいたい同じ場所にあって同じ操作で動くから。
BMWは会社の哲学で、インターフェースは統一すべきと考えていて、お金をかけて操作性を統一しようとしている。
スズキは会社の哲学で、それぞれの車に違うインターフェースを開発することが余計なコストだとして、結果的に統一された操作性を実現している。
アプローチが真逆なのに、得られている結果が同じで面白い。 というか、トヨタとかここは見習って欲しい。
▲183 ▼16
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大衆車メーカーとして派手さを求めない地道な目標を掲げて会社の経営を続けてこられた方。社長としての現役時代は田舎の親父みたいな雰囲気があり常に社員の立場に立ち業界で上を目指そうとする最大手とは違い社員と一丸となった経営手腕を発揮されておられたのが記憶に残っています。そういう方でしたから、ストレスもなく健康長寿で大往生されたと思います。長い間お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
▲91 ▼13
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庶民のための車とバイク造り。 値段を見れば誰の目にも明らか。 アルトから原付に至るまでその目線を保った会社です。 これから先もそういう目線を大切にしてほしいです。 今はともかくいずれ高価格帯の車・バイクに進むユーザーも多くいるので。
ご冥福をお祈りいたします。
▲207 ▼23
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自動車メーカーでは本田宗一郎さんが有名ですが、私はこの鈴木さんが何となく好きでした。 イメージとしては苦労した創業者という感じでしたが、二代目の娘婿さんだったんですよね。 大学が私と同じと言うことで親近感も有り、セカンドカーとしてスズキの軽を乗り継いでいました。 ことに昔の無骨なジムニーは良かったです。 どんなに泥濘んだ険しい道でも入って行けましたし、車体が軽いからたとえ横転しても2人なら楽勝、1人でも何とか元に戻せました。 ランクルの方が乗り心地は良いですが、ことラフな狭い道に入ったらジムニーの独壇場でした。 ご冥福をお祈りします。
▲138 ▼29
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小さな販売店にも寄り添うモットーの素敵な社長でした。 トヨタもホンダも日産も自分のディーラーだけの自動車業界にシフトするなか、スズキは販売店に寄り添ってくれました。 どうかこれからも地方の小さな販売店までを大切にしてくれたスピリットを持ち続けてください。 ご冥福をお祈りします
▲219 ▼28
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自分も遅ばずながら31時代のスイフトスポーツに出会い 頭の中にあった想像とは全く違ったきちんとした楽しい車として気に入り3世代程お付き合いさせてもらったのと その時既にご高齢なのもあり会長が生きてらっしゃるうちにと本も買い、浜松の博物館にも足を運ばせてもらい素晴らしい車たちをたくさん見させてもらいました
小さな車が好きだった自分の味方になってくれてた人として感謝いたします して
ご冥福をお祈り申し上げます
▲68 ▼13
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これだけスズキの売上あげたのは社員の頑張りと、安月給(他の車メーカーと比べても)でも頑張ってきた社員に支えられて。 鈴木修のビジネス手腕は彼のドケチな性格から来ているようなもの。 今後は頑張っている社員への対価もちゃんと考えるトップが立たなきゃ、良い社員は残らないし、業績も落ちゆく時代。 新しいトップには過去の過ちから学んで、良い会社を築き上げてもらいたい。
▲37 ▼4
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バイクですが、現在2010年型スズキ・バンディット1250F に乗っています。このバイクはネイキッドモデルであるバンディット1250をフルカウル化したうえで足回りの設定を変更しただけのお手軽とも成り立ちのマシンですが、トリプルケースで荷物が多く積める積載性の良さや長距離乗っても疲れないうえ、レギュラーガソリンで長距離ツーリングに於いては普通にエンジンの回転を抑えて走行すると、21km/リットルは確実に走れる排気量を考慮すると燃費が良く財布に優しいコストパフォーマンスの優れたスズキらしい隠れた名車であり、飽きが来ないバイクです。鈴木修氏は生前バイクにあまり興味が無かったとお聞きしましたが、そんな素晴らしいバイクを出したスズキさんに感謝したくなる程です。改めて鈴木修氏のご冥福を祈りたいものです。
▲47 ▼14
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まだ、1ドルが360円位だったころ、アルトを千ドルカーとして広く海外に売り出したのはこの社長じゃなかったかと思う。一時期の中国のタクシーと言えばアルトを800CC位のエンジンに積み替えたものだった。何方かも言っておられたがスズキのバイクは性能が良くて価格が割と低いので私も10台以上乗りました。今のクルマはマツダで売っていますがスズキの軽自動車ハスラーで2台目になりますが、いいクルマです。このスズキをここまでの会社にした手腕は誰もが認める名実業家ですね。よく頑張りました。
▲106 ▼15
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鈴木修氏のテレビ取材の番組で自動車の標準価格は全国一律でなければおかしいと言う内容でした。陸送費は売る方の都合で、どこに住んでいても同じ価格にして、各自動車メーカーもそれに追随した。正に消費者目線の人でした。我が家も、過去にアルト、ワゴンR、ハスラーと乗り継いでいます。ご冥福をお祈りします。
▲61 ▼5
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スズキは車も゙そうですがバイク名車が多いです。最初にGSXカタナを見たときは衝撃でした…。今までのバイクのスタイルの常識を破るデザインでした。多くの人がカタナの虜になったのでは?その後も各クラスで最高の性能のバイクを矢継早に発表しました。日本初のロータリーエンジンのバイクに挑戦したり世界レースでも優勝するなど世界的な゙メーカーになりました。鈴木修相談役の足跡は未来永劫伝わると思います。ご冥福をお祈りします。
▲17 ▼3
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修会長はスズキをここまで大きくした功労者です。 クライスラー(だっけ?)やフォルクスワーゲンとの資本提携は余りうまく行きませんでしたが、これもスズキの未来を思ってのこと。 晩年も精力的に活動されてました。 ご冥福をお祈りします。
▲365 ▼52
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地元民です。私が子供の頃はスズキの車と言うと安かろう悪かろうで、親がスズキ社員だとアルトかフロンテしか乗れないみたいなイメージでした。 今ではすっかり良い車を造るメーカーの印象ですね。スズキ車乗ってますが特に問題も無く、代車で新しいスズキ車乗ると、乗る度にホントに軽?こんなに走る?燃費こんなに良い?とビックリします。 修さんのDNAはきっと引き継がれて行くと思います。 御冥福をお祈りします。
▲29 ▼1
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HONDAの本田宗一郎氏と並ぶ二輪及び四輪自動車業界の偉人も遂に旅立たれましたか 初めて乗ったバイクがSUZUKIハスラー50だったこともあり、HONDA、YAMAHA、Kawasakiの3メーカーより愛着を持っていました その後業界初ミニレーサーレプリカSUZUKI GAGを購入し、会社の同僚とワンメイクレースに出場したりして遊んだりしてました 4ストなのが残念でしたが、後から発売されたNSRやYSRに負けないようにするため、武田製のキットで89ccまでボアアップしたのも良い思い出です 中型免許取得後はSUZUKI GF250を購入し、友人達とよくツーリングへ行ってましたね 今ギアが何速に入っているのか目で分かるインジケーターを搭載したネイキッドモデルで軽やかに回るエンジンや、純正マフラーにも関わらずとても良い音を響かせてくれたマフラーがお気に入りでした 本当にありがとうございました
▲49 ▼10
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世界規模にスズキを押し上げた方ですね。 手頃な価格でしっかりと乗れる車を作ってるイメージがある会社です。 MT乗りたくて、現行スイスポ買いました。 日常使いでもドライブでも、楽しく乗らせて貰ってます。 このままスイスポは終息せずに、新型を作り続けて欲しいですね。 ご冥福をお祈りいたします。
▲43 ▼9
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この方がいなかったら現在のスズキはおろか軽自動車のたいとう、税優遇などなかったと思います。 社内の反対を押し切りジムニーのノウハウを自社に持ってくるなど功績は素晴らしいと思います。 うちはジムニーシエラ、エブリイ、スペーシアギアと3台のスズキ車を保有していますが、3台共素晴らしい車です。 今後もスズキ車中心に買って行くと思います。 ご冥福をお祈りいたします。
▲51 ▼12
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スズキと静岡とリニア問題では色々イザコザがありましたが、スズキを間違いなく世界に広めた人物だと思っております。経営者の中でも素晴らしい人物でした。特に印象深いのが当時、豊田章男社長と鈴木修会長で対話をしていて凄い面白い事を言う人だなと感じました。経営者はやっぱりどうしてもムスッとしてしまいがちですが、豊田章男社長も当然ユーモア外国語ある方なのでその場に居る皆んながニコニコしていて画面を見ているこちら側も自然とニコニコしてしまうそう言う方だったと思います。改めてご冥福をお祈りいたします。
▲434 ▼142
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鈴木修さんが指揮して作った中でいろいろ良い車はあるけど、最近のヒットで秀作なのは初代ハスラーかな。義理の父が「俺はマニュアルじゃないと乗らん」と言って安いグレードにあったMT買って乗ってたんだけど、自分も時々借りて乗ったら良く走るしデザインはいいしで感動した。義父は免許返納直前まで乗ってたよ。 その前のカルタスも良かったな。これもMTの安いグレードだったけど軽さが半端なくて非力な1リッターNAエンジンでもヒラリヒラリと交差点もコーナーもよく駆け抜けて行くいい車だった。その車は自分の嫁が借りて乗ってて横から大型にぶつけられて廃車になったけど、重量が軽いせいで軽く吹っ飛んだため助手席側ドアがシフトの所まで来たけど運転手してた嫁は軽傷で済みました(汗&笑)
▲43 ▼13
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学生時代にフロンテの中古を20万ほどで買いました。新聞でイタリアの太陽の道をフロンテが100キロ超の平均速度で走破したとの一面広告の運転席のフロアシフトの写真がカッコよかった。私の中古のフロンテもよく走った。東京大阪と、九州大阪とか走りましたよ。3気筒でエンジンオイルはタンクから直接給油消費されるエンジンでした。その後だいぶしてとてもかっこいいフロンテクーペが出ましたが金がなくて買えなかった。 今は家に10年乗ったNBOXがあるが、スズキのスペーシアに変えようかと思ってたところ。 鈴木会長は東京浜松をこだまの自由席に乗って経費節減しておられるなど、ムダを徹底して排除しておられたが、車作りにもその精神はしっかりと継承されていると思う。御冥福をお祈りします。
▲70 ▼10
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会社に就職し、当初営業用にオートバイがあてがわれましたか、時代と共にスズキ・スズライトが当てががわれました。360㏄で混合油を使っていました。 時速50キロぐらいで走れましたが、当時は軽自動車は時速40キロが制限でした。50キロで走っていると、白バイが後を付けてきました。 暖房がもう一つだったので、冬に真夜中に走っていると後ろのガラスに氷の結晶が薄く張っていました。 時速50キロで5時間連続で走るダイナモが焼けてしまいました。 試しにもう一度やって見ると同じところでダイナモが焼けました。 懐かしいです。 雲仙岳も走れましたが、後から来た外車にあっという間に抜かれました。
▲37 ▼19
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隼に乗っています。こんな素晴らしいバイクを一般人でも乗れるように作ってくれて感謝してます。 それと、数年前に車を買い替えた時にスイスポにしなかったことをとても悔やんでいます。 最近まで報道などでお元気な姿をお見かけしていたと思いますが、突然の訃報に驚いています。ご冥福をお祈りします。
▲35 ▼4
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末端の下請けでした、現在は車2台バイク3台がスズキです。 庶民の買える価格でバランスが取れた車、乗って楽しい車を作っていただけたことに心より感謝いたします。 ご長男(社長)とお話しする機会が2度ほどありました、立派に受け継がれていると感じました。 VWがどうしても技術が欲しいと言ってきたのを足蹴にし、トヨタの話も独立を保ちそれでありながら他社と全く違って庶民の車を作り続けるこの姿勢。 世界最高量差軽量化技術を世界最安値で実現。 私は生涯スズキに乗り続けようと思っています。
▲51 ▼8
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バイク乗りです。スズキバイクでは、GT380、GS1000Sクーリー、 カタナ、ハヤブサなど名車がありますね。 スクーターは3台スズキを乗り継いでいます。 コストパフォーマンスが高く故障もほぼありません。 大型バイクは、外車に乗ってますが、維持費が高いので 次期車検前には、スズキに乗り換えようと思っています。 社内での節約コストカットをし少しでも安く提供して行く精神は 代々引き繋いで行ってもらいたいですね 物価高の折、他の企業にも波及してほしいです。
▲1 ▼0
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初めてスズキ車に乗ったときは 殺風景で面白みのない車だと思った 慣れればボタンは押しやすくい広い燃費いいし壊れない使いやすい
いつのまにかスズキ車のファンになり 軽連続No.1が途絶えたあたりから 品質デザインもどんどん良くなって 小型車に力を入れてからスズキは1段階強くなった いまこれほどコスパの良いメーカーはないと思う
鈴木修氏の経営思想や先見の明は 今の経営者にはなかなかマネのできない視点だったかと
ご冥福を心よりお祈りします
▲22 ▼1
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今年、浜松に行く機会があったのですが、役所の駐車場にスズキ車がずらりと並んでいました。 地域に色々と貢献しているんだなーと感じました。
自分の住んでる地域でも、スズキ車を見る機会は多いです。 本当にこの数十年で、スズキは日本を代表するような立派な自動車メーカーになったと思います。
どうも長い間お疲れさまでした。 御冥福をお祈りします。
▲58 ▼12
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スズキの中興の祖と言って良い人物。 軽自動車とオートバイの企業から普通車メーカーへと脱皮させた手腕は驚嘆にあたる。 ただ、その為に2輪レースを中断させたりと舎手選択が激しく、反発を社内外に招いて多くの技術者や人材を流出させたりもしている。 ただ、当時のスズキの規模を考えればやむを得ない選択ではあったのだろう。 社長と呼ばれるより、「修さん」と呼ばれると喜ぶような人で、多くの人達からも慕われていた。 私もスズキの軽自動車やバイクを所有していて、スズキと言うメーカーのフィロソフィーは他のメーカーとは一線を画す独自の物を持っていると感じている。 それは鈴木修さんがスズキを引っ張りながらも、社内に寛容に物作りをやらせた結果だろう。 本当にお疲れ様でした。 安らかに眠って下さい。
▲22 ▼4
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今年、縁があって、30年前の年式のSUZUKIのバイクに乗り始めました。 とても快調な仕上がりで、当時のSUZUKIのバイクの個性を感じながら、鈴木さんの思いなど感じて走っています。とても寂しい感じになってしまいましたが、このご縁も何か運命と感じ、SUZUKIのバイクを大切に扱っていきたいと思います。ありがとうSUZUKI。
▲12 ▼1
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「自社の車を安っぽい車ではなく、安い車」と言い、「小さな車大きな未来」というキャッチフレーズでCMを流す等、小さいこと安いことを逆に強みにした昔からの日本企業らしい社風を大切にされたようですね。 自分の最初の車がスズキの軽四の中古車でした。 バイクのメーカーでもあるためか、確か2気筒エンジンだったような気がします。 クーラーは無かったですが、軽快によく走りました。
▲15 ▼0
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スズキの中興の祖として会社を世界的な自動車メーカーに成長させたカリスマ経営者ですね、今やスズキの自動車世界販売台数は第9位にまで成長しました
スズキユーザーとして今でもスズキのバイクや乗用車でお世話になぅていますが、やはりトップを務めていた修会長が静岡で言うやらまいか精神のバイタリティ溢れる人で、当時から色んな面白いバイクや車を社員一丸で作っていて、私はスズキの車がすっかり好きになりました
現場第一主義で工場覗きに行ったり、会社の末端の人や車を売るお店の人にまで声を掛け気軽に話す素晴らしい人柄であったと聞いています。修相談役のご冥福を祈ります、そして今後のスズキの活躍と発展を期待しております
▲12 ▼2
=+=+=+=+=
新興国への貢献
スズキ自動車が新興国で果たした、現在も果たしている役割というのはもの凄く偉大だと思います。それまで牛、馬を動力源としていた移動手段を一気にモータリゼーションを進めた、そのベースに日本の軽自動車で培った技術があると思います。
インド市場がその典型で、比較的小型の車に定員を上回っていると思われるほど沢山乗って、というシーンを見受けます。軍用車にはジムニーが採用されているのも目にします。
その新興国需要を先頭に立って率いておられた鈴木修会長、晩年である数年前にもインド行きの飛行機でお見受けしたことがあります。
長い間お疲れさまでした。
▲52 ▼18
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私の家族がスズキの2輪4輪の販売店をしており、浜松市にあるホテルコンコルドで開催された販売店店主の慰労会に呼んで頂けた時に修会長と直接お話したそうなのですが、その印象として「厳しく優しい」方だったそうでした。
ユーザーの方々に喜んで購入してもらえる車作り。
その姿勢をこれからのスズキに受け継いでほしいと思います。
▲49 ▼7
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私の愛車はJB64型のジムニーです。納車されたのは4年も前ですが、周囲へはこんなにも楽しい車があるのだと、いまでも布教活動をやらせていただいています。聞くところによれば「スズキのジムニー」がこの世に誕生した切っ掛けは鈴木修会長におありであったとか。それはもう大変に感謝しております。 このたび94歳でこの世を去られたとのこと。心よりお悔やみ申し上げます。
▲17 ▼2
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ご高齢ながら社長を続けた印象があります。 ヨーロッパの企業が軽自動車を分解し 研究した結果うちではこのコストでこんな 車は作れないと舌を巻いたそうですね。 ワゴンRは当時背が低い車が流行る中 逆行する背高の車を作り今やそのスタンダード作り上げました。発想も独創があり 大手自動車も敬意を評すような会社でした
▲55 ▼7
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ワゴンRは今年逝去された、カウンタックのデザイナー、マルチェロ・ガンディーニや2021年にお亡くなりになられたシトロエンSM、CX、GSやルノーフエゴ、25のデザイナー、ロベール・オプロンも所有されていた事で知られています。 機能美溢れたデザインが気に入られた理由との事。世界的デザイナーにも認められた車も世に出されていたと思うと、日本独特の軽自動車文化を鑑みて、とても誇りに思いました。
心より御冥福をお祈り致します。
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鈴木修(すずき おさむ)は、鈴木自動車の元社長であり、企業の成長に大きな貢献をした人物です。特に、1980年代から1990年代にかけて、鈴木自動車を世界的な企業に成長させました。彼は「小型車の王者」を目指し、軽自動車や小型車の開発を進め、特にインド市場においては、スズキのブランドを確立させました。また、コスト削減や効率的な生産体制の確立に注力し、グローバル競争での優位性を築きました。さらに、スズキの海外進出を加速させ、特にアジア市場での影響力を拡大しました。
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鈴木という自動車二輪製造会社は,ホンダとは方向性は異なるが,天才的経営者の手腕で大きく発展してきた点が共通している。車は手頃な価格の大衆車を生産してきたが,二輪では,2輪レースの世界最高峰である世界GPで活躍したり,ヨシムラに提供した大型2輪用エンジンが鈴鹿8耐久レースで優勝したりした。世界最速の市販車1300ハヤブサも鈴木のバイクだ。特撮ヒーローが乗る改造バイクも鈴木が手がけるなど,非常に高い技術を持っている。そして他の日本メーカーが中国や東南アジアに進出するのを横目に,唯一日本の自動車メーカーでインドに進出したというのは,素晴らしい先見の明だと思う。私自身も最初に買った車はスズキアルト。その後,ダイハツ,ホンダ,トヨタ(4台乗り次)の後,また鈴木の車に戻ってしまった。理由は,とってもリーズナブルだから。鈴木さんがいなかったら軽乗用車の発展は無かったかもしれない。
▲21 ▼2
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浜松市民の一人として、この人が地元の国会議員も地方議員も牛耳って好き放題させていた、ほとんどの浜松市民にとって利益にならない事業が進んでいくとんでもない社会が半世紀近く?続いてきました。他方、雇用の創出、全国から働く人が集まった結果、東西の文化が交わる事で色々なお店が多いなど、利点になる事もあったとは思います。今後スズキ自動車が浜松市や静岡県の行政に過度にかかわらない社会になって欲しいです。
▲150 ▼34
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運転するようになって40年余、スズキの軽(アルト)に乗って20年位だけど、もう今更普通車に乗ろうとも思わないなぁ。年齢的に次の入れ替えが最後かもしれんけど、やっぱりスズキの軽になるだろうと思う。「大きい事はいい事だ」の逆を地でいくようなコンセプトでここまで来たのは立派なものです。
▲10 ▼1
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偉大な自動車人だったと思うし、日本の成長に強く貢献した経営者であり日本人として心から哀悼の意を表したい。スズキは創業者一族が一族外の経営者候補を婿に迎えて外部の知恵を入れることによって繁栄を計る戦略で鈴木さん自身も銀行から転職して鈴木家入りした入婿だ。自身もその伝統を継ぐべくご自身で選んだ通産官僚をご息女の婿に迎えて後を託そうとしたが、運悪く名車・スイフトの開発を指揮したあと病没してしまったために伝統の掟を破ってご子息に後を継がせながら社長・会長として異例の長期期間在任されたのは不幸なことであったが、47万円という破格で発売して大ヒットを飛ばしたアルトや今日のSUVブームを先取りしたワゴンR、経営危機の企業から開発中の設計を買い取って育てたジムニー、インドとの連携など鈴木さんの慧眼が今日の自動車界に残した功績はとても大きい。日本の将来を憂いて豊田章男さんを強く支持してもいた。
▲30 ▼4
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一般的には三代で潰す稼業と言われますが、本当に理解されていた方なのでしょう。
トヨタとの資本提携は存続の為のベストな戦略。インドのマーケットは魅力でも、欧米企業もギブアップの民度。
トヨタとしても旨味があり、ハイブリッド技術のパテントを使い、次世代の全PUも使えるスズキもメリット大。
亡き後の事業戦略も実現させての幕引き。多くの経営者にも影響を与えた筈。
▲38 ▼6
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都内在住で仕事も在宅となり、全く車を必要としない環境ですが、ZC33 Sスイフトスポーツ を購入しました。
都内の駐車料金が高く、上京した頃には自分が都内で車を所有するなんて想像もしてませんでした。
スイフトスポーツ は安くて、運転が楽しくて、本当に良い車です。
こんなに楽しい車を作ってくれてありがとうございました。
大切に乗り続けます。
ご冥福をお祈り致します。
▲12 ▼1
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鈴木修氏と言えばやはり初代アルトだろう。基本に立ち返って発売当時の値段が全国統一価格の47万で売られ大ヒットした。それからのスズキは一気に軽自動車ナンバーワンの地位を固めた。ワゴンR・ハスラー・スペーシアとか大ヒットしたのは鈴木氏のおかげだと俺は思ってる。鈴木氏の名を高めたアルトも次期モデルの車両重量は何と500kg台にするんだとか。なので今いるスズキの開発陣は前会長兼社長の意思をしっかり引き継いでほしい。安らかにお眠りください。お悔やみ申し上げます。合掌。
▲17 ▼3
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安くて、ハイパフォーマンス 割り切った製品は庶民の味方を体現しているが 決してそれだけじゃないのがスズキの魅力 車だと本格的なアウトドアもこなせるジムニーとか バイクだと隼のように世界に冠たる高性能機を 世に送り出してくれました
私にしては車もバイクも 人生に彩りを与えてくれたスズキに 感謝です 本当にありがとうございました
▲8 ▼0
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スズキは修さんそのままだった。 婿入りして継いで、今日までの飛躍があったのは修さんの判断にセンスがあってのことでした。 今のラインナップは悪くありません。ジムニーなどヒットしてる車種は、スズキだから作れた、作り続けてこれた車種だと思います。 スズキの良さ・魅力、それを大きく裏切らない仕様で世間に出す判断は、スズキを選んできたユーザーをしっかりとリピーターにしています。 これからも車を売る側の目線では無く、「スズキの車が楽しいから買う」というユーザーを大切にするスタンスがこれからも継続されることを期待したい。 「カーライフを楽しみたい」「この車で行けるところまで行きたい」それって、今の自分でお金稼ぎ始めて遊び盛りな20代に体験してほしい事です。 自分の車を持ち、友人と恋人と行って来た思い出って大事。 車を所有し、ドライブが好きになる人の割合を増やす事が出来るスズキであってほしい。
▲12 ▼3
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以前TVで東欧ハンガリーでもスズキがシェアトップだとして、国民車はスズキだとの報道番組があった。 国内の販売台数ではトヨタに次ぐ第2位の自動車メーカーであり、このようなメーカーに育て上げた鈴木氏を郷土の士として尊敬していました。 ご冥福をお祈りいたします。
▲16 ▼3
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ユーザーが求める物を作って売る 一見すると当たり前の事だけど、それをしっかり実践しているメーカーって意外と少ない SUZUKIはそれが出来るメーカーなんですよね
燃費データ改竄問題ではどの車種か失念しましたが、実測してみたらデータより良い数値が出たってところにSUZUKIらしさを感じた記憶があります なんか、アレで他メーカーより叩かれずに済んじゃったんですよね
ご冥福をお祈り申し上げます
▲24 ▼3
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スズキの軽に乗ってますがその年式前後の車の中でも一番だと思います。小型車に拘った会社の自信みたいなところが中型車に負けない装備が随所に見られます。本当に仕事にプライベートにと気に入って乗っています。いつかジムニーにも乗ってみたい。ご冥福をお祈りいたします。
▲19 ▼3
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スズキの車だけ乗っていました販売店がすぐそばにあり免許取ってすぐに最初はジムニー購入予定でしたが初代のワークスが出たばかりで試乗したらそのスピード感に惚れて購入の書類にはワークスでハンコ押してました
結構長く乗り軽とは思えないスピード感であちこちドライブして廻ってました 乗り潰して次にはジムニー購入しましたが数年乗って家族から乗り降りがしにくいとクレームが出て渋々ワゴンRを購入 その後転勤で地方に行って向こうでは私用でも乗れる会社の社用車を与えられてワゴンRは売却で社用車乗ってました
今は東京に戻りもうこちらでは公共機関もあるし年齢も考えてもう車には乗っていません
当時の販売店も無くなりましたが営業担当者や整備の担当の方々が本当に親身になって相談や整備をしてくれたのでスズキ一筋で後悔は有りませんでした 又縁が有ればスズキ車乗りたいです。
▲12 ▼10
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ご冥福をお祈りします。。。 アルト、ワゴンRに乗ったことがあり、セルボやエリオセダンも借りたことがありましたが、 いい意味で創意工夫があって庶民的なクルマだなぁという感じはありました。
ジムニーは元々別の会社が持っていたのをスズキが譲り受けたと徳大寺先生の本で見たんですが、それを引き受けたのも修相談役だったと記憶しています。 ちなみにトヨタの豊田章男会長を評価してるものの、モリゾウ選手となってレースに出るのはやめて欲しいと吐露したことは親心かと。
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スズキの製品やスズキの社員に触れる機会がある人はわかるだろう。スズキがいかに素晴らしい会社かを。私は特に陸上競技をしていたから、スズキのアスリートからスズキの素晴らしさの一部を感じれた。いまも NHK魔改造の夜 などでスズキの素晴らしさがよく分かる。そんなスズキを育てた鈴木修さんに敬意を評するとともに冥福を祈ります。
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会長とは同期だった父が一緒に働いていたときとまだ小さかったが運動会やいろいろのイベントに参加したことありがとうございます六歳で父が亡くなったときはお世話になりました会長亡くった知ってお悔やみもし上げますこれから鈴木自動車初展を期待と会長のお悔やみもし上げます
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鈴木修さんの名言 「軽自動車は貧乏人のための車」
まさにその通りで、私も社会人なりたてでお金のない時代はワゴンRとアルトワークスにお世話になりましたし、この2台で車の運転の基本を学び沢山の思い出を作りました。カリスマ経営者として日本の庶民の足を支えてきたこと、インド市場を開拓したことは大きな功績だと思います。
ご冥福をお祈りします。
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関連会社の社員でしたが、かつて忘年会会場に現れて、「このままじゃお前の会社潰れるぞ」と演説をぶった事件は忘年会破壊テロ、オサム・ビン・ラディン事件として懐かしく思い出されます。
関連会社を回っては鶴の一声で振り回す強引な一面もありましたが、かつてバイクを買った販売店の事務所に修氏の書いた「やる気」の指揮しが飾ってあったし 販売店あっての、製造現場あっての会社という意識が高く、その分設計部門には負担が重い一面がありました。
目指す方向性や手法に違いがあるものの、ホンダと共通するのは本質が達せられるなら常識に拘らないという点で浜松ならではの価値観なのだと思います。
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私も、ワゴンRに乗ってた事があります。小さくて、とてもきびきびと走る、良い車でした。新車で買って、10年ぐらい乗り、17万キロぐらい走りました。 世界中でスズキの車が走っています。スズキの車、愛されていますね。 沢山の魅力的な車を本当に、ありがとうございました。 心からご冥福をお祈りいたします。
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90歳を超えて、大往生だと思います。 そして、氏がいなければ今のスズキは無かったと思いますし、地域や日本、そして海外に与えた影響は大変大きいと思います。 そして、電動化や企業の合併等沢山の問題が山積する自動車業界ですが、 本田宗一郎氏と高いところから、じっくり見ていて下さい。 沢山の庶民の車を作って売って下さり、ありがとうございました。
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軽自動車では長らくトップシェアを取っていたが、ダイハツであったり、今まで軽自動車を作って来なかった会社が参入してきたことで、埋もれそうになった。そんな時に他社と同じように中国へ進出したが、理不尽な条件をつきつける中国をスパッと諦めてインドへ進出したのが大きな転機だったと思う。 車と言えばアメリカ進出を思い浮かべるが、意外にもヨーロッパでもスズキはシェアを持っている。生き残るために他の会社と違う所を攻めた先見の明は素晴らしいと思う。 ちなみに社内権力は絶対だったみたいですが、社外でも、この人がうなづいた人じゃないと県知事にも浜松市長にもなれませんでしたし、浜松地域選出の国会議員も同様です。浜松は他にも一流企業たくさんありますが、影響力はダントツだったと思います。 ご冥福をお祈りいたします。
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今日までスズキを育てた功績は今後のスズキの成長にも活きてくると思います。修スピリットを全て受け継いでとまでは言わないが、その土台には大切なものが宿っていると胸に刻み、より良い車を世に送り出して欲しい。
▲29 ▼7
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岐阜の鈴木が浜松で日本のスズキとなり世界のSUZUKIとなった。
小型車が多いとはいえ世界シェアで単独でトップ10に入るのはすごい! 来年以降トヨタにもOEMでBEVを供給するんだからその躍進はすごいよね。
鈴木修氏のご冥福をお祈りいたします。
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親父が乗っていた、エブリイワゴンのターボをもらって、初めてスズキの車に乗った。 エンジンが回って回って、速くてビックリした。それから10年近く乗って、距離も18万キロ。ぜんぜん壊れないしスズキの車大好きになりました。今、新型のスペーシアギアの納車待ちです。これからもスズキ車乗っていきます。ご冥福をお祈りします。
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日本の経済成長が失われて30余年。
この期間、日本の下駄車を支えてきたSUZUKIは本当に偉大な企業だと思う。 どれほど日本の家庭を支えてきただろう。
ワゴンR・アルト・ハスラー・スペーシア。 どれもお値段以上の素晴らしい製品で、ジムニーは災害救助や豪雪地帯でも活躍している。
SUZUKIがなかったら、他メーカーはもっとあぐらをかいて軽自動車市場で勝負していただろう。 今の日本の自動車事情は全く異なるものだったはず。
日本の歴史に残る偉大な経営者でした。 ご冥福をお祈りします。
▲18 ▼8
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スズキの車は以前カプチーノに乗り、今はジムニーに乗っています。 どちらも小回りがきき、とても面白い車です。 これからも変わらずこういった面白い車つくりにチャレンジしていってほしい。
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スズキの販売台数はもしかするとホンダを超えるかも。今年1ー11月分でも差が3万台以下の日産は確実に超える。今は販売台数の2/3はインドだけど、本家シリコンバレーの従業員の3割近くを占めるインド系エンジニアやインド版シリコンバレーと言われるバンガロールの企業と手を組みEVもうまくやればBYDのライバルにもなって、もしかしたら、20年後はスズキ主導でトヨタと合併しスズキ・トヨタになるかもしれない。
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今や間違いなく大企業なのに、中小企業的な発想が商品に根付いているのはこの人のおかげだったかもしれないですね。 NHKの魔改造の番組に出たスズキさんのチームの軽量・ケチケチ・高性能の走るデッキブラシを見た時、精神が社員に浸透してるなあと思いうれしくなりました。 ご冥福をお祈りいたします。
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高校の時、親に黙って原付免許を取得して、初めて買ったバイクが豆タン(多分知らない人が多いと思うけど)、社会人になってアルトワークスにも乗りました。当時セリカGT4に乗っていた友人が、ワークスのあまりの速さに驚いていたのが懐かしい。 思い出と思い入れが多いメーカーですね ご冥福をお祈りいたします
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スズキはアイスランドのレイキャビクの市民マラソンのスポンサーも務めています。 レイキャビクのディーラーの前を通ると何と大型SUVがメインで驚きました。日本では小型車ばかり作っているイメージですが、売る国によって売る商品も柔軟に変えているんですね。
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日本人のメードインジャパンのブランドを世界に広げた昭和最後の創業者である鈴木さんを見ているとその偉大さに改めて敬服する次第です その逆にあの時代をもう一度と思いますね、昭和40年代にアメリカに追いつき追い抜いた自動車産業、アメリカのあの時の立場でみれば今の日本の立場の心境と思うところがありますね、 戦後から20年弱で世界第2の経済国になり中国に技術支援や援助をし近代化を支援したあの日本が今やその中国に抜かれ、逆に様々な企業がその配下になる可能性が出てきている、今後日本の伸びしろが狭くなると創造できるなか、そんな日本経済に喝を入れられる唯一無二の存在感が、鈴木さんにはあったと思います、また中国から早めの撤退インドへのシフトは他ない鈴木の強さの英断だった、 素晴らしい経済人でした、日本を支えてくれてありがとうございます、ご冥福を祈ります
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今や国産車リアルオフローダーとして唯一の存在になっているジムニーは、この人が原型となったホープスターに着目していなければ生まれなかった可能性が高いから、発想の独自性の濃さがスズキというメーカーの現在を築いたといえそう。
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3代目のスイフトスポーツに乗っていました。 小さくてもしっかりと作りこんである本当に良い車でした。 乗り心地、ドアの開閉音など、コンパクトカーの域を超えていました。 この方が創業者かと思っていたら2代目の娘婿でしたか。 それくらインパクト、自動車史に名を残すビッグマンでした。
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