( 240878 ) 2024/12/28 17:51:39 2 00 「とうとうスズキも倒産か、と途方に暮れた」鈴木修元会長の“大失敗”に手を差し伸べた大メーカーとは?《追悼》文春オンライン 12/28(土) 11:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ab9056f81c99e235a57af9e5f9ee5b6aa80891e4 |
( 240879 ) 2024/12/28 17:51:39 1 00 自動車メーカー・スズキのカリスマ経営者として知られる鈴木修氏が2024年12月25日に94歳で亡くなった。 | ( 240881 ) 2024/12/28 17:51:39 0 00 自動車メーカー・スズキの“カリスマ経営者”として長年発展を支えてきた鈴木修氏が、2024年12月25日死去した。94歳だった。鈴木氏は2年前の「文藝春秋」のインタビューで「最も記憶に残っている失敗」を明かしていた。
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鈴木修氏 ©文藝春秋
――鈴木さんは元々、サラリーマンとして働かれていましたが、1958年にスズキの2代目社長・鈴木俊三氏の娘婿となり、同年にスズキに入社されました。ビジネスにおいても、「こんちきしょう」という思いをバネにしてこられた?
鈴木 43年も経営者を続けてきましたから、成功だけでなく失敗もかなり多いです。むしろ私は人よりも失敗が多かったかもしれない。その度に「こんちきしょう。今度こそ頑張ろう」と肝に銘じ、成功した時は「これが当たり前」だと思うようにして、ここまでやってきました。
――最も記憶に残っている失敗は何でしょうか。
鈴木 何といっても1975年の、自動車排出ガス規制への対応失敗ですね。当時の私は代表権こそないものの、専務として経営の一角を担っていましたから。
高度経済成長下の日本では、急増した自動車の排ガスによる大気汚染が深刻な社会問題となっていたんです。そこで政府は非常に厳しい排ガス規制を導入しました。自動車メーカー各社は、規制をクリアするための技術開発に力を入れていましたが、その中でスズキだけが、新型エンジンの開発に失敗してしまった。
このままでは規制が施行された後には車を一台も作れなくなる。とうとうスズキも倒産か、と途方に暮れていた時、手を差しのべてくれたのがトヨタさんでした。「排ガス規制は自動車業界全体にとって大きな問題だから、今度ばかりはお助けする。だが、早く立派なエンジンを開発して、独り立ちしてほしい」と、エンジンを分けてくださった。
トヨタさんには大変感謝すると同時に、よそさまにご迷惑をかけることはあってはならないし、してはならないと反省しました。ちゃんと売れるものを作って商売をしていこうと、しみじみ思いましたね。
――会社の存続が危ぶまれるほどの経営危機だったわけですね。
鈴木 不思議なことに、スズキは大体25年周期で、会社存亡の危機に見舞われてきたんです。最初の危機は、1950年の労働争議。この時、私はまだ入社していませんでしたが、会社が倒産寸前まで追い込まれたと聞いています。2度目の危機が、この1975年の排ガス規制。そして3度目の危機は、1998年の軽自動車の規格改定です。その後も色々とありましたが、とてもここではお話しできませんね(笑)。
ただ、苦境に立たされた時こそ、己を見つめなおすチャンスだと思っています。大切なことは、過去の危機の経験から学び、いかに次世代に伝えていくかということです。
――排ガス規制の余波が残るなかでの社長就任となりましたが、翌79年に発売された初代アルトが爆発的な大ヒットとなり、スズキは軽自動車のトップメーカーとなりました。アルトはその後もモデルチェンジを繰り返し、昨年には9代目が発売されました。やはり鈴木さんにとって、一番思い入れのあるクルマでしょうか。
鈴木 実は、私が社長に就任した時には、新型車の開発はかなり進んでいて、年内には発表できる段階にまで来ていました。ところが、開発中の実車を見ても、いまひとつピンとこず、ありふれた車としか思えませんでした。
当時は軽自動車そのものの売れ行きが大きく落ち込んでいる時代でした。値段の安い軽自動車は、日本が高度経済成長期に差し掛かった60年代には大きく伸びましたが、その終盤からは売れ行きが鈍り始めていました。さらに、新しい排ガス規制に対応する新型エンジンの開発に失敗したことで、スズキは会社全体が打ちひしがれて、社員たちはすっかり自信をなくしていました。
ここで軽自動車の退潮に歯止めをかけなければ、スズキという企業が消えてしまうかもしれない。そう思うと中途半端な商品を発表するわけにはいきません。そこでアルトの発売を1年延期し、内容を徹底的に見直すことにしたんです。
――具体的には、何を変えられたのでしょうか。
鈴木 まずは、今でいうマーケット調査をやりました。うちの工場に出掛けて、従業員の車を眺めていた。すると、軽トラックで出勤してくる従業員が何人もいたんです。
「なんで軽トラックで通勤しているんだ」と質問すると、奥さんが小売業をやっていたり、「半工半農」で兼業農家をしている従業員が多かった。休みの日は奥さんの仕入れを手伝ったり、野菜を市場に出荷しなければならないのです。軽トラックと乗用車の2台持ちはできないから、使い勝手がよい軽トラックのほうを選ぶのだということでした。「本当は軽トラックで通勤したくはないんだけど、あんた、乗用車を買える給料をくれないじゃないか(笑)」なんて言われましたね(笑)。
(聞き手・篠原文也)
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本記事の全文(約1万1000字)は「文藝春秋 電子版」でご覧ください(鈴木修「 92歳。戦いあるのみ 」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
《小見出し一覧》
「相談役になっても毎日出社」 「アルト」で大逆転 安くするために軽くする ニッチでなければ勝負できない GMがつないだ縁 商売は「ハート・トゥ・ハート」 「工場にはカネが落ちている」 売ってくれる人々を大切に やってみせ、言って聞かせて…… EV時代も日本は絶対に勝つ 世の中、狂ってる
鈴木 修/文藝春秋 2022年5月号
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( 240882 ) 2024/12/28 17:51:39 0 00 =+=+=+=+=
今年で会社を経営して13年経ちました。何度も経営危機があり億単位の借金をして苦しんだ時期もあったけど、何とか生き延びる事が出来ました。 会社が傾くと社員は去り仕事相手も冷たくなりますが、必ず手を差し伸べてくださる方がいて、どうにかギリギリの所切り抜けてこられました。今振り返ればすべての方々に感謝です。鈴木さんの逝去は本当に残念です。どうかやすらかに。ご冥福をお祈り致します。
▲752 ▼64
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今の軽自動車税が上がるとき、反対意見を表明し、テレビで堂々と抗議されておられました。この発言に助けられた人も多いと思います。 スズキの自動車はコストを抑え、かなりリーズナブルな価格で提供してくれるから、本当に庶民目線なんだなと実感します。 どんなに会社が大きくなろうとも、庶民のための車づくりを忘れないスズキが大好きです。 お疲れさまでした。
▲581 ▼12
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個人的には軽の印象を大きく変えたのはワゴンRだと思う。 それまでの軽は言い方は悪いけどお金に余裕のない人が乗る車。 しかしワゴンRはかわいい形で室内も広い。 セカンドカーだけじゃなく、メインカーで乗っても様になる軽自動車が出てきたと思った。
▲615 ▼17
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秀逸なデザインで知られるバイク初代カタナの時は、デザインがご自身の感性には響かなかったのに、「俺にはわからん。お前たちでやれ」と若い人に任せてヒットに繋がったんだとか。押すところと引くところをわきまえていらしたんでしょう。ご冥福をお祈りします。
▲400 ▼4
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名物社長でしたね。SUZUKIは、二輪も四輪もヒトクセある味のあるマシンがあって固定のファンが付く良メーカーです。先代がデカいと後に続く者達も大変ですが今後とも健闘してほしいですね。
▲376 ▼10
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私が懇意にしている塗装屋さんがいる。遠くから来るが常にアルトを載っている。 最近、別のアルトに変えたので聞いたが、30万キロ走ったがエンジンはいいが足回りがダメになったと言っていた。
ところがその前の車は80万キロ乗ったというのでびっくりした。
私は今、ソリオに乗っているが素晴らしい車だ。
▲40 ▼0
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偉大な経営者だった。スズキのこれからは現経営者に掛かっているが、修さんでも存命中に良い後継者は結局育てられなかった。最後は親が責任取る形で息子さんが社長になったわけで。今の社長は若い時トヨタグループのデンソーで働き、人柄も評判は良い。ただしお父さんのようなカリスマ性は無いから周りの役員がどこまで支えるかが重要。 但し間違っても日産のような外部からプロ経営者とかいう車に愛も無い、自分の金儲けしか考えないトップを持って来ない事が大事。まあ修さんならその辺りはしっかり遺言に残してるだろうけど。最悪の時はトヨタの章男さんを頼れと言い残してる気もするな。将来はダイハツとスズキの合併が十分あり得ると思う。
▲2 ▼2
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現在のスズキ車は静粛性、乗り心地、質感も高いですよね、デザインも素敵だし。この物価高の世の中、もしも修会長が御健在ならば、静粛性、乗り心地、質感をあえて高めず装備品もシンプルな値段の安いかつてのアルトや、カルタスのような車を出してくれるような気がするんですよね。初代のワゴンRや、カルタス1000fくらいの質感で日常の足として十分なんだけどなあ。修さんの息子さんにこの声届けばいいなあ。
▲19 ▼0
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ある社長と話をしていると、会社が苦しい時は社員の妻子の顔が浮かぶと!路頭に迷わすことは避けなければならないと。これだけの大会社に育てても、会長職であっても、社員と共に同じ空気を吸いながら働いているんだなと思いました。ここが鈴木さんの素晴らしい所だなと思う。
▲74 ▼2
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アルトは47万円
今思うと凄いキャッチコピーですね。1979年当時の大卒初任給が11万4,500円というので、今の約半分くらい。現在アルトの一番ベースのモデルの価格が106万円くらいということを思うと、概ね物価スライドを反映して限界の安さで頑張っている感じでしょうか。
現在もスズキが新興各国で果たしている役割を思うと、黎明期から地道に頑張ってきたことが花開いているのだと思ったりもします。
▲1 ▼0
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仕事で一度お会いしたことがあり、それから勝手に親近感が湧き、心の中で「おさむちゃん」と呼んでいました。凄い人なんですが、なんだか凄さを感じない人です。もちろんいい意味で。亡くなったとのことで、久しぶりに本気でショックを承けています。
▲114 ▼3
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修さんのご逝去心よりお悔やみ申し上げます スズキをここまで世界的メーカーに押し上げたのは正しく修さんの功績 息子さんもお父様の良い方向を維持しつついつまでもチャレンジ精神溢れるスズキでい続けて頂きたい
▲115 ▼3
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静岡西部から愛知の東部一帯の方々は、本当に「やらまいか」精神を持っている。スズキをはじめ多くの自動車、オートバイメーカーがこの地域から誕生したのは偶然では無いと感じる。スズキと言えば四輪のアルト、ジムニー、ワゴンR。二輪のGS1000R、RGΓなどなど。歴史に残る名車の数々。ありがとうございます、鈴木修会長。
▲1 ▼0
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スズキの自動車は好き・嫌いが分かれるものが多かった様な気がします。 確かに購入の時には安いイメージでしたが、故障の際の部品・パーツコストが高いものが多く、その概念のファミリーカーイメージで乗り回す者かと思います。 個人的には、あまり好きでは無いですな。
会長の知見や経営論理は優秀かと思いますね。
▲18 ▼50
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トヨタが融資を受けられないと倒産する状態のときに、融資を了承したのは、最初に飛び込んだ住友銀行ではなく、ダメもとで行った三井銀行でした。それ以来トヨタは今でも三井グループです。 このことをトヨタ経営陣が忘れるはずは、微塵もありません。
▲190 ▼8
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やや伝説めいた逸話だがスズキの新車試乗会の時に自動車評論家が モノ(車の動力性能)は良いけどスズキは安っぽいのがダメだ と言うのを聞いた役員が 安っぽいのでは無いです、安いんです とその場で訂正させたと言うお話が大好きです アルト47万! と言うCMは車に興味が無かった小学生の頃から強烈に記憶に残って居ます。その時のアルトに親戚のお姉ちゃんが乗って居ました。一度、後部座席に乗せて貰って20㎞程移動したのですが子供でも二度と乗りたくないと思ったものです。まぁあの時は商用バン扱いだったのかな? 家族が現行アルトに乗って居ますが今のアルトは後席でも気持ちよく乗れますね。インテリアも流石にトヨタと比べると素材の安さを感じますが、色の切り替えや加工でパッと見はほぼ問題ないです 次のアルトが発表される頃には私もリタイアしていると思うので普通車から乗り換えようと思って居ます
▲7 ▼0
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ホンダも鈴木もヤマハも2輪は、メイドイン静岡が世界を席巻し、ホンダも鈴木もカリスマ経営者が4輪メーカーにまで発展させた。本田さんは息子は関連会社に出し、本体の社長にはしなかった。鈴木さんは紆余曲折はあったものの息子が社長になった。ホンダは日産を救う立場になり、スズキはトヨタに救われる立場になった。カリスマ創業者の時代は面白かったんだけどなあ。合掌。
▲124 ▼42
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70年代にトヨタがエンジンを提供してあげて今のスズキが存続しているのですね。だから、トヨタの傘下に入る訳ですか。話が繋がりました。業界のトップ企業が業界全体を考えてあげないと日本の産業が成立しないのでしょうね。
▲184 ▼19
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新規格になった98年も同時に排ガス基準が変わってそっちの対応をしながら全車モデルチェンジで、かなりの苦労があったようですね。ダイハツも当然苦労してて昨年の型式不正で公表されたエンジンの馬力不正が丁度その新規格最初の世代のエンジンです。
▲27 ▼1
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数社転職して社長の講話を聞いてきたが、これからの時代、経営にはカリスマ性が必要だと思った。親族経営の先代社長が自分の経営をどう評価しているのかを考えながら行動している社長の話を聞くとサラリーマン社長と違い、言葉の重みと行動力が違うなと感じる。
▲60 ▼4
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キャラ濃いお爺さん、お亡くなりになった。娘婿だったんだね。でも大物、地味だが立派。
鈴木 実は、私が社長に就任した時には、新型車の開発はかなり進 開発中の実車を見ても、いまひとつピンとこず、ありふれた車 軽自動車の退潮に歯止めをかけなければ、スズキという企業が消えてしまうかもしれない。そう思うと中途半端な商品を発表するわけにはいきません。そこでアルトの発売を1年延期し、内容を徹底的に見直 マーケット調査 うちの工場に出掛けて、従業員の車を眺めていた。すると、軽トラックで出勤してくる従業員が何人もいた 「なんで軽トラックで通勤しているんだ」と質問すると、奥さんが小売業をやっていたり、「半工半農」で兼業農家をしている従業員が多かった。休みの日は奥さんの仕入れを手伝ったり、野菜を市場に出荷しなければならないのです。軽トラックと乗用車の2台持ちはできないから、使い勝手がよい軽トラックのほうを選ぶ
▲5 ▼2
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今更になって鈴木修会長のプロフ調べたんですが、苗字は妻方で旧姓は松田なんですねぇ〜。
…にしてもよく先代の会長の娘を嫁にする承諾を得たなと思いましたが、娘さんを嫁にすると言うことは、将来の会長候補として期待されると言う相当なプレッシャーがあったんでしょうね。
▲72 ▼4
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文中の中に、アルトを出す前にマーケティングをやったとありましたが、私は、整備工場の経営者ですが、当時、新型車アルトを出すにあたりアンケートが送られて来ましたよ。 私も、軽自動車なら豪華な装備は要らないとか、シンプルな装備で軽快に動いたら良いとか、軽自動車は、安い方が良いと書いて提出したのを覚えています。そのアルトが馬鹿売れで納車まで数ヶ月かかっていました。
▲136 ▼3
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トヨタ経由でダイハツからエンジンを分けてもらったけど、結果スズキの2ストロークエンジンは排気ガス規制をクリアするオチがあったかと
とは言え、全て現場からの報告に頼りっきりだった自らの立場が脆い事を痛感し、その後は徹底した「現場主義」となったキッカケにもなった
▲94 ▼2
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車、二輪含めて所有した事はありませんが、個性的なメーカーの立ち位置だったと思います。 刀のリバイバルは、賛否両論あるとは思いますが、感性の先をいったデザインは本当にスズキの専売でしたね。 sw-1、GS1200ss、油冷エンジンなど、でた当時は酷評されて終売されてから評価されるなんて沢山ありましたし。(油冷は現役ですが)
GAGを世に出さなかったら、ミニバイクのブームだってもしかしから来なかったかもですし。
私なんかが語るもおこがましいですが、成功以上に失敗の方が多かったんでしょうね。
玉石混交のデザインと性能を提供していただきありがとうございました。
合掌
▲2 ▼1
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スズキはトヨタに助けられてます。 1950年は豊田自動織機から仕事貰ってしのぎ、 排ガス規制の時はダイハツからエンジン供給。 最近は資本提携受けたり副社長受け入れてます。 現社長や孫もトヨタ系企業出身のハズ。
▲14 ▼0
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わたくしは、高齢者直前になって、初めてスズキ車に乗ってます。とても良い車です。 色々な噂はありましたが、現行車は、2月で生産中止だそうです。 鈴木さんは、後継者の娘婿を若くして亡くしておられるときいております。 色々ご苦労されたのですね。 心よりご冥福ををお祈りいたします。
▲3 ▼0
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2サイクルしか造ってこなかったから排ガス規制には厳しかったのでしょう、結局はダイハツのエンジンをと云う始末で、その話で以前Sの人と話したが、あのエンジンはええこと無かったとか言ってましたが、そのエンジンでさえ排ガス規制をクリアーしたんだからよく云うなと思いましたよ。
▲13 ▼1
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とにもかくにも日本のこういった民間企業の血と汗の滲む努力には頭が下がる。 それに引き換えその果実を漁る政治と行政には今更ながらに腹が立つ。 来年からこそは日本国が少しでも「小さな政府」に向かわんことを祈りたい。
▲64 ▼4
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このままでは規制が施行された後には車を一台も作れなくなる。とうとうスズキも倒産か、と途方に暮れていた時、手を差しのべてくれたのがトヨタさんでした。「排ガス規制は自動車業界全体にとって大きな問題だから、今度ばかりはお助けする。だが、早く立派なエンジンを開発して、独り立ちしてほしい」と、エンジンを分けてくださった。 ← いい時代
▲45 ▼2
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たしか、ジムニーは買収した自動車メーカーが持ってたブランドをスズキが磨いた車種だったはず? 世界的二輪メーカーで大手自動車メーカーであっても、「俺は、中小企業のおやじ」という本を出すくらい、現場主義を貫いたな
▲39 ▼0
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三本和彦氏が新車情報引退発表時、僕より年上なのはスズキの会長だけになってしまいました。なんて言っておられたけどついに2人ともいなくなってしまった。 この時代の人は何か一本筋が通っていてしっかりとした常識ある人間が多かった。
▲49 ▼2
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スズキは2stに拘りがあるんだと思っていたが、切り替えに失敗してたんだ。知らなかった。まぁ協力したトヨタにしてもホンダのCVCCパテントを購入してたし、業界全体で乗り切ろうとしてたかな。この記事で日産のNAPS思い出した。力なかったな。
▲0 ▼0
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そういえば スズキ フロンテにトヨタAB型と言うダイハツのエンジン搭載 してましたね FF用のエンジン RRに積むて ある意味スズキの技術は凄い、
▲8 ▼1
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という事は来年がその25年目になるわけだ。 修会長亡き後、どうスズキが動くか。 インドでは大成功だろうけど、将来に渡って単体でやってゆくには厳しいんじゃない?
▲6 ▼2
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>不思議なことに、スズキは大体25年周期で、会社存亡の危機に見舞われてきたんです。最初の危機は、1950年の労働争議
という事は来年は2025年だから・・・。 ちょっとここの所、出てくるクルマが精彩を欠きますね。 特に安全装備や走りの質がパッとしないのが気になります (除くジムニー) まあさすがに来年は25年周期も外れると思いますけど・・・
▲0 ▼0
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スズキはインドに強いからね! もう日産とホンダの統合で自動車業界も再編、合併するけどトヨタとスズキは単独で生き残るでしょう
▲73 ▼4
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スズキが2サイクルから4サイクルに移行するとき、一時的にダイハツのエンジンを載せてたと思うけど、トヨタの力添えがあったのか。
▲1 ▼0
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ひかりの自由席で奥様と手製のおにぎりを食べておられるのをお見かけしたことがあります。 細かな書類もすべてご自分で決裁される立派な経営者でした。
▲160 ▼2
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確かトヨタはホンダのCVCCで助けてもらったんですよね?そのトヨタがエンジンを分けた?軽もエンジンなんか作ってないから技術を・・って事かな?TTC-V、TTC-C・・苦し紛れの最悪のエンジンでした。力が無く燃費は最悪。
▲3 ▼14
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鈴木社長に「あんた、乗用車を買える給料をくれないじゃないか」と言った人がスズキの苦境を救ったようなもんだね。面白いエピソードだ。
▲16 ▼2
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ちょうど日産の業績悪化で存亡の危機の時の訃報。 こういう経営者がこれからも出て、経営者の手本になって欲しい。 次の車はスズキを買う予定で、車も決めています。
▲3 ▼0
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アルトの燃費は驚異的 リッター30キロです ハイブリッドでもない車です 作りは荒いですけど田舎のセカンドカーはやはりスズキです
▲32 ▼0
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やっぱり 助けたのはトヨタだったか 日産とトヨタは長い間 ライバルとか言ってたけど 上の考え方が全然違うからな トヨタも今の会長がいなかったら 大企業病にかかっていただろうな
▲161 ▼9
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トヨタとスズキは相認め合うものがある。小型車は儲からないとボヤくと、おい!スズキに行って教えてもらってこい。はトヨタ社内の決まり文句ですからね。
▲135 ▼1
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何かの動画で豊田章男会長とこたつで中良さそうに議論してたのが印象的でした。 ご冥福をお祈りします
▲121 ▼1
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トヨタとスズキは創業者が親交があったか何かで、 スズキがどうにも行かなくなったら最後はトヨタに頼れって話を何かで見たよ
▲61 ▼1
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>「こんちきしょう」が大切
うまくまとめているじゃん。 文部科学省の多様性、誰一人置き去り、SDGs、コンプライアンス教育でこの精神が育つか?孫正義は在 日の悲哀をたっぷり味わった。
鈴木修さんは小中学校で講演していたのかな?
▲25 ▼3
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境遇?がオヤジ(本田宗一郎)に似てますね。 ホンダもマスキー法に泣かされた経緯があります。 露からだったからか、副燃焼式の理論資料を入手して試行錯誤してました。 『失敗を恐れるな、何もしない事を恐れろ。』と言う言葉があります。
▲26 ▼0
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25年周期… その3回目がこの方の訃報となってしまいました 何度もお世話なってきたスズキの軽 素晴らしい物をありがとうございました
▲7 ▼0
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自動車メーカーの社長は基本的にクルマ好きでないといけませんね。クルマよりも儲けることが好きな人が社長になると悲劇だ。
▲13 ▼1
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トヨタとスズキがなんで結びつき強いんだろうと思っていたけど、こういう話があるんですね。いい話だな。
▲42 ▼2
=+=+=+=+=
トヨタから技術は借りても経営面の独自性は譲らない 精神まで侵食されなかったところがダイハツとの違いだな
▲26 ▼3
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普通車の中で今は一番ソリオが安いと昨日ウナ丼さんのYouTubeで見ました。 庶民の味方スズキですね。
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
この方のリーダーシップが無くなったスズキはここからが正念場。
▲108 ▼4
=+=+=+=+=
トヨタが助けるために持って行ったのが ダイハツの4サイクルエンジンだったっと思うが。
▲33 ▼2
=+=+=+=+=
25年周期で経営危機が起こるとする前から25年を迎える2025年。スズキに何が起こるのか?
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
アルトは燃費がいいよな。昔17今22,。ハイブリッドと変わらんもんな。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
金型保管を下請けに押し付けるビジネスモデルを考案したのはこの人ですよね
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
その25年周期の危機が修会長の逝去ってことか。
▲82 ▼5
=+=+=+=+=
「小さなクルマ、大きな未来」 忘れられないコピーです。
▲37 ▼0
=+=+=+=+=
スズキさんは大手なのでもちろん、鈴木修の物語を映像化しますよね!!
▲0 ▼0
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エブリイは最高の車だ。 壊れないし燃費もいいですよ。
▲7 ▼3
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こういうときに役所はなにも力になってくれない。 トヨタは凄い。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
どっかの自動車会社とはえらい違い。上がしっかりしてる。
▲22 ▼1
=+=+=+=+=
婿養子で、此処まで名を上げた経営者はいないでしょう?
▲18 ▼0
=+=+=+=+=
何処かの、経営陣に、 爪の垢を煎じて飲んでほしいわ。
▲20 ▼1
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アルト思います^_^
▲28 ▼4
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世界に3つしかない2輪、4輪兼業メーカー。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
スズキとヤマハとタミヤは静岡の象徴
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
何れEテレの知恵泉に登場しそうだ・・
▲2 ▼0
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日産を助けてください。
▲0 ▼1
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1998年+25年=202・・・おぉっと!
▲13 ▼4
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日本には、甘え合うことこそが社会の「真の美徳」であると信じて一切疑うことのない人たちが大勢いるんですね。
▲3 ▼63
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トヨタもそのうちホンダを助けることになる。
▲14 ▼24
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車としてはトヨタ以外残らない。 ホンダ、スズキ、もっと縮小すべき!
▲3 ▼60
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川勝の後ろの人。この人のせいでリニア工事が遅れた
▲11 ▼53
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会社に軽トラックで出勤。 滑稽な風景だな。
▲6 ▼150
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今年になって足代わりにスズキのスクーター、アヴェニスを購入しました。クズ同然の古物ですが欧州テイストのインド製です。静岡から出て中国になびくことなくユニークな世界観を持った会社であり、守ったのがこの人でしょう。
▲3 ▼0
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リニアを邪魔する爺さん
▲10 ▼33
=+=+=+=+=
>とうとうスズキも倒産か・・・
この方が死んだ今がその時かと・・・
▲6 ▼81
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