( 241338 ) 2024/12/29 17:26:34 2 00 まさに豊田章男会長が憧れた「おやじさん」だった…鈴木修さんが「インド工場の食堂」で従業員の心を掴んだ行動プレジデントオンライン 12/29(日) 8:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/cd566831977abd8aa268596f066a083dbedd12e6 |
( 241341 ) 2024/12/29 17:26:34 0 00 スズキの鈴木修さん(インド西部グジャラート州) - 写真=AFP/時事
12月25日、スズキ元会長の鈴木修氏が94歳で死去した。1978年から43年にわたりスズキの経営トップを務め、日本車メーカーとして初めて進出したインドではシェア1位を獲得するまでに成長を遂げた。生前に鈴木氏を取材したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。
■インドの自動車産業の父
オサム(鈴木修)さんが亡くなった。1930年生まれの94歳。オサムさんは一歳年下の高倉健さんが好きだった。そして、豊田章一郎さんと章男さんのことも好きだった。
オサムさんは章男さんについて、こう言った。
「立派な経営力があります。尊敬してますよ。章男さんはリコールに際してアメリカに飛んでいかれたんです。素晴らしいことだと思います。身体をはってトヨタ自動車と豊田家を守った。身体を張ったんです」
「オサムさん」と書くのはスズキのインド工場の従業員がそう呼んでいたからだ。彼らは「オサムさん」もしくは「オサム会長」と日本語で言っていた。「オサムさん」と言う時、インド工場の現場の人たちはニヤッとして、口を開けて笑った。よほど好きだったのだろう。
現場の人たちはオサムさんがスズキのトップで、インドの自動車産業の父だと理解していた。
オサムさんがインドで車の生産を始めたのは1983年だ。それから42年がたった。現在、スズキのグローバル売上高(連結)は5兆3,743億円。そのうち2兆2352億円がインドのそれだ。生産台数では全世界327万台のうち198万台がインド製である。
これまでインドで生産した累計台数は3000万台。単純に考えれば3000万人のインド人がスズキの車を買っている。買った人が家族や友人を車に乗せたとする。1台当たり6人を乗せたとすると、2億人近いインド人がスズキの車を体験している。2億人のインド人に乗車体験を提供したのがオサムさんだ。
■「儲けは小さくていいんだ」
オサムさんが海外に進出したのは「どこかの国でナンバーワンカンパニーになる」ためだった。
「一等賞を獲らないと元気が出ない」からというのがその理由で、最初に進出したのはパキスタン、次がハンガリーだった。インドの影に隠れているけれど、スズキはパキスタンとハンガリーでもナンバーワンシェアだ。
海外に進出する時、オサムさんが決めたのはエントリー層の客を大切にすることだった。初めての人が買いやすいようにコストを下げ、売り値も安くした。
「儲けは小さくていいんだ」と言ったのもオサムさんである。
また、初めて車を買う人たちの気持ちを考え、納車式をインドに持ち込んだ。納車式といっても今の若い人は知らないだろうけれど、かつては日本でも盛んだった。1960年代のモータリゼーションの頃、車を買うことは一大セレモニーだったのである。
車を買う時はユーザーだけでなく、家族や親戚一同を引き連れて自動車販売店を訪れた。販売店で納車式を行い、その後、ユーザーは自身の新車を運転して自宅に帰り、飲めや歌えの宴会を行ったのである。
■「お客様は神様」がインドで受け入れられた理由
スズキは人口が1000~2000人という小さな村にもサービス工場兼販売店を置いている。販売店の営業マンたちにとっては、初めて車を買うユーザーのために納車式を司ることも仕事なのである。スズキがインドでシェア40%を達成しているのは人々に「初めて車を所有する喜び」を提供し続けているからだ。
オサムさんは客を大切にする人だった。
スズキのインド販売店に行ったら、英語で「The customer is God」と標語が貼ってあった。「お客様は神様」である。
デリー郊外にあった販売店のインド人店長はこう言っていた。
「『お客様は神様』はインドに昔からあるサンスクリット語のことわざです。私たちはそんな気持ちでお客様に接しています。
そして、マルチ・スズキ本社とオサム会長からはつねに言われています。『新車を数多く売ることよりも、とにかくお客様を大切にしてください。お客様は神様ですよ。お金をくれる神様です』」
オサムさんは販売店がある小さな村には自動車教習所を作り、病院も建設した。インドの人たちがスズキの車を買うのはオサムさんがインドの人たちの味方だとわかっていることもある。車を売ることだけが目的ではなく、インドのために尽くす人だとわかっていたのである。
■幹部が衝撃を受けたオサムさんの行動
オサムさんは初めてインドに工場を作った時から、従業員と一緒に食事をした。カースト制度がある国だから、インド人幹部は自分たちの執務室で食事していた。しかし、オサムさんは従業員の列の後ろに並び、同じカレーを食べた。
オサムさん自身はこう言っていた。
「インドにはカースト制度が生きていますからね。私どもが工場を建設した時、私は食堂で一般のワーカーと列を作って並んでいました。カーストが上の幹部は事務所の2階から列にいる私を見て、口を開けて、なんともいえない顔をしてました。でも、半年で変わったんです。
私は当時、毎月、インドの工場へ行きました。いつも、ワーカーの後ろに並んで、自分で食事を運びました。半年、それをやったら、カーストが上のマネージャークラスの人がワーカーと同じ食堂に並ぶようになりました。上から目線だった態度が変わったんです」
オサムさんはこの話が大好きだった。そして、現地の工場のワーカーたちもまたこの話が大好きだった。
■ファンだった高倉健さんとの思い出
ふたつのエピソードがある。
2005年に公開された映画『単騎、千里を走る。』の取材でわたしは中国の雲南省へ行った。親子の情愛を描いた作品で、主演は高倉健。監督は中国でナンバーワンの監督、チャン・イーモウだ。
高倉さんはたったひとりで中国ロケに参加していた。劇中、主人公役の高倉さんが中国人に自分の意思を伝えるために旗を使う。大きな旗に漢字を刺繍し、漢字の意味を使って自分の意思を伝えたのである。
高倉さんは「中国に不案内なわたしに力を貸してください」と言う代わりに『助』という旗を出し、相手の中国人が「わかりました」とうなづいたら、今度は『謝』という旗を出した。中国人にふたつの文字を見せて、意思疎通をはかるという重要なシーンだった。
わたしは高倉健さんとオサムさんのために漢字を刺繍した旗をお土産にしようと思った。そこで、一日かけて製造する会社を探し出し、「映画に出てくるのと同じ旗を作ってください。文字は『気』です」と頼んだ。
「気」は高倉さんが大好きな言葉だ。そして、オサムさんの旗も「気」という文字にした。オサムさんが高倉健のファンだと言っていたこと、スズキ販売店の人から「サインください」と頼まれた時、オサムさんは必ず「やる気」と書き添えていたからだ。
そうして、「中国のお土産です」と旗を渡したら高倉さんもオサムさんも喜んでくれた。
■豊田章男会長が語った「憧れのおやじさん」
トヨタの会長、豊田章男さんもまたオサムさんを「修さん」と呼んでいた。亡くなった後、章男さんはお悔やみの文章を発表している。深い哀しみがこもった文章だ。
「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。 ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。
2016年の共同記者会見。修さんは『経営者には「これで一段落」ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。
40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました」
■世界に誇る「日本の自動車」を広めた人だった
「ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。
『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』」
オサムさんは豊田さんのことを「章男さん」と呼んだらしい。そして、「自分は叔父さんだ」とも言っていたという。章男さんのお父さん、豊田章一郎さんのことを5歳上のお兄さんとして慕っていたからではないか。オサムさんは豊田家にとっては「おやじ」であり、「おじさん」だった。
オサムさんはインドの人たちにとっては自動車産業の父だ。高倉健さんにとってオサムさんは同年代の仲間だろう。そして、豊田章男さんにとっては憧れのおやじさんだ。
私たち日本人にとってのオサムさんは尊敬すべき経営者であり、インド、パキスタン、ハンガリーと日本を結び付けてくれた人だった。
---------- 野地 秩嘉(のじ・つねよし) ノンフィクション作家 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。 ----------
ノンフィクション作家 野地 秩嘉
|
( 241342 ) 2024/12/29 17:26:34 0 00 =+=+=+=+=
私はケーターハムにスズキのエンジンが搭載されることになった経緯が好きです。ケーターハム社がスズキ本社を訪れ自社車両にスズキのエンジンを載せたいと交渉に来た時、鈴木修社長(すでに会長だったかも)が偶然通りかかって「面白そうだから良いじゃん」と言ったとかですぐに決まったとか。普段から自室にとどまらずフットワークが軽く気さくな人柄だったのだろうと思います。人として慕われるにはそれだけ理由がある。色々なエピソードがあるのはその証でしょうね
▲820 ▼20
=+=+=+=+=
スズキ社員です。 結構前の話ですが取引先の懇親会に行った時、そこの社長が鈴木修氏を絶賛しておりました。
「“俺は、中小企業のおやじ”って本を読んで、あれだけ大企業を経営しているのになんて謙虚な事を言うんだろうと本当に素晴らしい方だ」
僕も当時はまだ若手社員だったのでその言葉は社交辞令程度に思っていたのですが歳を重ねるごとに“中小企業のおやじ”であり続けることの凄さを実感しています。 インドへの投資。庶民が最初に買う車を作る。VWなど同業他社との提携や解消。 これらの判断力は驕り高ぶれば失う事になってしまいます。 スズキはトップ技術を持つメーカーではありません、常に中小企業のような危機感があればこそ、この自動車動乱の時代でもトヨタとは違う生き抜き方ができるのでしょう。
▲629 ▼22
=+=+=+=+=
私は佐藤尊徳さんの政経電論TVが好きで観ています、数多くの政治家や経営者の表裏を見てきた佐藤さんが常に語るのはリーダーとしての生き様、振る舞いが大切だということです。 どれだけ立派な言葉を並べてもリーダーの普段の立ち居振る舞い、何気ない仕草から周りの人々はその人の本質に気づくものです。 従業員、関係者が本気でこの人についていこうと思うには言葉だけじゃなく背中で見せる人である。 残念ながら今の日本にはそういうリーダーは少ない数少ない尊敬されるリーダーの鈴木修さんのご冥福をお祈りいたします。
▲329 ▼17
=+=+=+=+=
凄いエピソードが沢山ある人だね インドにいち早く工場作り現在もトップシェアなのはしっていたけど他の国でもそうだったんだ 従業員食堂の一番後尾に並び同じ食事を一緒にとるなんて現地では考えられなかった、それをこの人がしたから変わったなんて凄い 天国から日本の産業を見守って下さいね ご冥福を心から申し上げます
▲267 ▼2
=+=+=+=+=
日本の業界でも 修会長でした。 通勤の車はスイフトセダン。飾らないお人柄は私の様な一営業マンにも伝わってくるほどで、誠実と倹約の人と思っていました。 「製造業の本社は東京である必要はない」という言葉が印象に残っています。
謹んで御冥福をお祈りします。
▲443 ▼12
=+=+=+=+=
カースト制度の話し! 修さんの話しじゃないけど、スズキの上層部の方がインドへ行った時の事、カースト制の上の方は掃除をしなかったんだそうです。 (カースト制度では、掃除は階級が下の人が行う物らしい) いくら言ってもダメだった為、スズキ上層部自ら掃除に加わった時、カースト階級が上の方が『止めて下さい』と止めに入ったんだそうです。 それでも、スズキ上層部は掃除をやめなかった為、カースト階級の上の方も渋々掃除に加わるようになった事もあり、それがまたスズキがインドで認められた経緯もあると、聞いた事があります。 修さんの食堂での話しを伺い、その話しも思い出しました。 素晴らしいエピソードと思います。
▲218 ▼5
=+=+=+=+=
車であれバイクであれ、特にバイクに 使われることが多いかな。 コアなスズキユーザーをスズ菌感染者と呼ぶが 自分自身もその感染者でも有るから そう呼ばれることは嬉しくなる。 そんなスズキを長年に渡って支え続けてきた おさむ氏の訃報はとても寂しく悲しいが イズムを引き継いだ方が脈々と今後の スズキをリードしてもらえたら いちユーザーとしては嬉しい。
▲102 ▼3
=+=+=+=+=
世界でも数少ない自動車と自動二輪を造っているメーカー。 特質した性能の物を造ると言うより、堅実な物を造るイメージが強いけど、多分、鈴木修さんの影響なのかな。 堅実なメーカーなのはエンジンサプライヤーとして、海外のメーカーにエンジンを提供している事でも分かるよね。 いつまでも、現場を大切にしていた人ということもエピソードで良く伝わる。
▲57 ▼3
=+=+=+=+=
思わず涙が溢れる章男会長のコメント、ありがたいです。先に亡くなられた小野専務の社長就任手前までは打倒トヨタの勢いがあった!今頃会長は小野専務に苦言でしょうか?労いでしょうか?数えきれないほどの功績をありがとうございました、副代理店大会も間近です、空虚しかありませんが…先ずは心よりご冥福をお祈り申し上げます。
▲148 ▼15
=+=+=+=+=
やっぱり、すごい会社には、カリスマ的なリーダーがいるんですよ すでに相談役になってマインドは伝承されたとしても、いるかいないかでは大きく変わってくる、今後どうなることやら 他メーカーでもカリスマのマインドを感じなくなった瞬間からどんどん崩れるからな スズキには修さんのマインドを絶対に絶やさないで欲しい
▲249 ▼4
=+=+=+=+=
以前日本では絶対一位にはなれない、だけど海外ならって云うような発言をテレビでされておりました。国内においてもワゴンRやハスラーの発想、出ればなる程その手があったかと感心するのですが、多分大メーカーには真似できないスズキという会社の商品開発、その原動力となった方は言うまでもなく鈴木修氏だったわけです。本当にみんなから慕われる偉大な中小企業の親父さんだったんだなと思います。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
面白いのはインド進出を先見の明という人がいるけど鈴木氏は否定してるんだよ スズキもインドじゃなく他のメーカーのように先進国で売れるようになりたがったか小型車メーカーのスズキは相手にされなかった 当時、まだまだ発展してなかったインドは他のメーカーに進出してくれるよう頼んだが相手にされなかった だからインドはスズキに声をかけた 当時相手にされない者同士がくっついただけで先見の明があったわけじゃない、と
▲233 ▼30
=+=+=+=+=
こういう記事を視る度に感じるのが、こういった志しの強い方々こそが日本の政治家になっていたら今の衰退する日本ではなかったんだろうなと思います。 天下り先確保に走る官僚や永久就職先として政治家になろうとする志しがない人達が今の日本を駄目にした事実は明らかで大手中小問わず、有能な経営者は今も日本には沢山いるし、今の政治家とは根本的に違うとしか言えないです。
▲208 ▼12
=+=+=+=+=
人への優しさ。 これがあった人だったのだろう。 昨今、自己の権利ばかり主張し、違法ではないから悪くない、相手をとことん追及する手法が主流になり、とても窮屈な社会になってしまった。合理的に、効果的に、無駄を一切なくす、余計なことは禁止、これらに人への配慮はほとんどない。 うちのマンションは、大概、1Fにあることが少ない。私がエレベーターから降りるとき、一番利用者の多いのは1Fだから、1を押してから出るしているが、これは無駄で余計なことになるのだろう。 確かに、次に乗る人が1Fから乗るとは限らない。しかし、一番利用される階は1Fだから、1Fに戻すようにしている。 離席するときは椅子を戻したり、靴を脱いだら靴を揃えて置いたり、これが普通だと思っている。合理的に効率的にするなら、また座る椅子を戻す必要はないとか、靴を揃えるのは面倒くさいからやらないとかが正解になろう。 この辺に優しさは欠けている。
▲28 ▼30
=+=+=+=+=
VWとの提携話をVW側のあまりの上から目線の交渉態度に業をにやしその話をご破算にしてしまった、気骨のある経営者だったのだと思う。 VWはインドでのシェアとスズキの小型車造りのノウハウが欲しかったと言われるが、スズキの求めるディーゼルエンジンの供給を拒んだのではなかったか。 ご破算は正解だったと思う。
▲223 ▼1
=+=+=+=+=
舐めてもらっちゃ困るねワーゲンさんよ、だね笑。個人的には若い頃カタナに乗ってました、今はちょっと腹も出て、よくこんなバイク乗ってたなあと、今でも斬新ですよね。二輪でのレースにおいても一時代を築いたスズキさんでした。 今乗るなら、やはりジムニー、Vストは候補にはあります。スズキ好きです。 ご冥福をお祈りします。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
すごい方ですね。 現在の日本では、リケジョ、リケジョと女性を支援みたいな事になっていますが、これやっても意味無いんですよね。 本当にに日本の車産業や理工を復活させるに必要なのは、若い男性への支援なんですよね。いつの時代も若い男性の情熱が日本を引っ張ってきたし、世界を驚かせた開発をしてきた、その時代に戻すべきです。
▲9 ▼3
=+=+=+=+=
アルトが中国でタクシになっているのを見たときスズキすごいなと思った。浜松の本社で営業が修社長は値段は厳しいがいつでも声をかけてくれる親しみやすい人だと言っていた。鈴木修はおやじさんとして製品を世に問い続けてきた。日本の成長をなしてきたおやじさんである
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
スズキの長くからの二輪オフロードユーザーです。ホンダがカブやCBならスズキはキャリーという感覚が有りますが、今後もう少しもうチョッと二輪にも力入れてください。ご冥福をお祈りします。
▲32 ▼1
=+=+=+=+=
亡くなったとはいえ、責任ある立場だったのだから、褒めるばかりでは駄目だと思う。政治に口を出し、ドーム球場を作らせようとし、リニアを遅らせたことは検証が必要。浜松であまりにも存在が大き過ぎた。鈴木修さんに気に入られなければ、静岡の政治はどうにもならず、彼が国と地域の将来を見据えて、政治に関与したか否か、1経営者としての枠を踏み外していなかったか否か、個人的趣向から地方政治をコントロールしていなかったか否か、検証が必要。
▲39 ▼95
=+=+=+=+=
カツーンがソリオのCMしてなければ 日本と南アジア西アジアで無双してただろうというのはよく言われるが カツーンが関わってないSWIFTは西アジアでレンタカーから大衆車として成功している。西アジアは高級車ばかりだが 実際廃棄されない実用的な自動車としてスズキ車が活躍している。 ただ 世界一安価なスポーツカーと言われるのは 日本人として少し屈辱を感じる
▲4 ▼11
=+=+=+=+=
>>私は当時、毎月、インドの工場へ行きました。いつも、ワーカーの後ろに並んで、自分で食事を運びました。半年、それをやったら、カーストが上のマネージャークラスの人がワーカーと同じ食堂に並ぶようになりました。
綺麗ごとを言うのは簡単ですが、実践するのは難しいです。
しかも1回、2回ならまだしも、半年それを実践し続けるというのは常人ではないです。
▲24 ▼2
=+=+=+=+=
亡くなったら良いことばかりが上げられるが実際には前時代的な考えで、鈴木修氏の発言はブラックな語録にも残っている。
「土曜休んで日曜も休む奴は要らない。今の日本の悪い所はアメリカ的時間の切り売りが横行している事だ。8時間働けばそれでいいなど通用しない、成果で報酬がでるんだ」
「人間の能力の差は、体力・気力・努力次第で簡単に逆転する。要はやる気次第だ。やる気を出せばなんでもできる」
このような日本の悪いブラック企業を代表するような言葉も残している。 インドの工場では暴動火災で工場が止まったこともあるという。社長がこのような考え方であれば現場は相当きつく反発もあるだろう。 確かに車やバイクの商品は成功し世界へ拡大したことは称賛に値するだろう。 だが強い光には暗い影出来るように、負の側面もあることは無視してはならない。良いことばかりではない。 スズキ好きならその両面から学ばなければならない。
▲67 ▼62
=+=+=+=+=
地元ではオサムさんはオの部分にアクセントが行くんだよね。 スズキのスも同じ。 尊敬の的であると共に愛されキャラでもありました。 あなたがいう中小企業は立派な会社になりました。 ありがとうございました。
▲113 ▼4
=+=+=+=+=
もちろん従業員にとっては雲の上の人で、言いたいことや、やりたいことが出来ずにやりきれない気持ちになった方もいただろうけどね。
でも、効率的な小型車を目指す方針ブラさない経営陣の姿勢は見事ですね。
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
鈴木修さんは 本当にカリスマ的な人でしたね! スズキに営業にいくと、勿論テーブル毎に 蛍光灯スイッチがある、これは電気代そのものより教育のことだとおもう、夏にはタオルをもってきてください!と言われて、いや二枚!と なんで?と聞くと エアコンが効かないから、一枚では足りない!と 普段新幹線も自由席に乗るという! 婿養子だからスズキは預かったものだと、潰すことはできない!と。 豊田の会長さんみたいに、あのくらいの程度の人間ならトヨタにはいくらでもいる!と言われる時点で、かなりちがうと思う。 おぼっちゃま、好き勝手 贅沢している人が いくら憧れても無理だとおもう!
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
自動車産業とは全く違う会社が、リーマンショックの時に社員を大量解雇したことがあった。その時修会長は「何故社員を守らないんだ!」と、その会社の社長に激怒されたという。それ以来、スズキが大好きな会社になった。
▲23 ▼1
=+=+=+=+=
1989年、大学のゼミの海外見学で、インドのスズキ自動車を訪問しました。食堂で従業員の列に並んで食事もさせていただきました。「修さん」もあの列に並んでいたんですね。
▲22 ▼2
=+=+=+=+=
初めから社長やサラリーマンではなく 元々は小学校の先生でしたから 先生と生徒というのは上下関係がありながら 生徒との距離が遠くては成り立たない 仕事ゆえにインドでもそういう部分が 好まれたのではないでしょうか
▲10 ▼5
=+=+=+=+=
いや〜すごい。自分との闘いに勝てる人ですね。すごく謙虚です。企業のトップが食堂で一般社員と一緒に列に並べます??ため息出るほどすごい。自分の事ばかり考えてた自分が恥ずかしい。人生欲との闘い。闘いに勝利せねば。
▲27 ▼0
=+=+=+=+=
インドでのエピソードを知り、スズキが人気なのが理解出来ました。 やはり商売の基本はお客に好きになってもらう事なんですね。 この事が分かるまで随分と長い時間が掛かったなあー!
▲73 ▼0
=+=+=+=+=
この方は偉大だが、長男に座を譲るも 幾度となく復帰しており、会社と長男の 成長や自立の機会を与えなかった方だと 思う。思いが強すぎて自己顕示欲が強い 身内からすると諸悪の根源だったかも。 そして亡くなって会社が傾くと、より 偉大だったと言われる。好きな方だけど 身内にいたらキツイだろうな。
▲26 ▼66
=+=+=+=+=
チャレンジ、そして社会のためにかあ。 あの時代、インドに進出するなど リスクでしかないと、他社は考えたが しかし先を見、実行し、見事に花開かせた。 真の経営者だったと思う。
▲51 ▼0
=+=+=+=+=
日産ディーラー社員です。 若い頃は打倒トヨタで日々100軒歩いてガンガン日産車を売りまくり、自分で仕事を組み立てるキツイながら仕事が面白いと感じる素晴らしい日々を過ごさせてもらいました。 しかし、今は見る影もありません。ディーラーは金太郎飴な社員を作りたいらしく、意味不明なトップダウンの指示ばかりで業績は下がる一方です。 日産にも、おさむさんやモリゾーさんが居てくれればね〜、ホンダに喰われるなんて事にはならんかった、と思うのは私だけかね?
▲38 ▼3
=+=+=+=+=
スズキの会長ってすごくイケてる人だったのですね。 高校時代スズキのZZとグラストラッカーを乗っていたのでスズキに対しては特別な思いがあります。 ご冥福をお祈りします。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
やはり謙虚に生きて関係者には常に感謝ってなかなか難しいことだけどそれを実践したからこそ今のスズキがあるんだね。売上高ではなく修さんは単に下請け様が納めてくれる部品も含めた取扱高だと言っていた。うちの社長は売り上げは何億だとか声高に言うがちょっと経営者のレベルが違い過ぎて恥ずかしい。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
静岡県民です ある候補者の選挙応援に修さんがいらした際 ある党の幹事長はアルファードで ある運送会社の社長はマイバッハで そして修さんはソリオに乗って来られました 愛社精神の塊だと思いました。
▲43 ▼0
=+=+=+=+=
国内海外ともに。
社長の意向に叶う策を講じ続けた社員。 現場の技師から下請け孫請け。
末端の販売組織に至るまで。 各々がスズキという看板に誇りを持てること。
一朝一夕に到達する光景にあらず。 斯様に認識し候。
▲9 ▼1
=+=+=+=+=
さすがノンフィクション作家さん。ご自分の眼で確かめてから書いた方が良い。不評覚悟で書くけどさ。社員食堂で同じ飯を食った??? 日本じゃインドのカーストは4段階 インドに行ってごらんカースト制を細かく分けると2000とも3000とも、社員食堂で食事している人は上の方の階層の人達。インド3000年だか4000年だか知らないが、そう簡単にカースト制は無くならないよ。一番下の階層の人が食堂に入れるわけがない。
▲3 ▼26
=+=+=+=+=
やはり経営の神様、仏様は従業員からも 慕われています。 信者に慕われる神様とは意味合いが違います。 儲けは少なくていい。 ラーメン二郎の総帥も弟子に同じことを 厳しく叩き込んでいましたね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
燃費不正の話はスズキならではの事件でした。 今後もユーザーに寄り添う車作りという気持ちを持って成長して行って欲しいですね。
▲23 ▼2
=+=+=+=+=
ワンマンのトップダウン経営は時に諸刃の剣と 言われるけど、スズキは好例側だったのは解る。 京都に本拠を置く冠婚葬祭互助会のオーナーに 爪の垢を煎じて飲ませたいわ。 お客は単なる金づるとしか思ってないから…。 従業員も駒扱いで大事にしないし。
▲24 ▼0
=+=+=+=+=
イズムを真摯に継承するのか、イズムに沿わず違うことをやるのか。 カリスマと呼ばれる人が、この世から去ってしまった今 どう転ぶかは、今を生きている人が 受け継ぐしかない。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
日産の内田社長に鈴木修さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいですね。鈴木自動車、トヨタ自動車の社風と日産自動車の社風とは全く異なりますね。どちらが魅力的で人を惹きつけるか?一目瞭然ですね。日産(近年は本田も)自動車には会社としての或る意味、泥臭さ、人間臭さが感じられないですね。
▲107 ▼5
=+=+=+=+=
軽トラにオールアルミエンジンを積んだホンダ 安くてそれなりのスズキ パワー 耐久性 燃費… 比べるのはコクだが スズキは値段が安くてね
▲45 ▼4
=+=+=+=+=
名物親父でした。 スズキは安っぽいんじやない、安いんだ。 新工場建設で、太陽と重力はタダだ、それを利用しない手はない。 この発言はコストダウンに対して自ら率先し哲学を感じます。
真逆の存在は日産。 下請け納品に値引きを要求した受入部門。値引き前提だから納品単価は高くなるし車の価格もそりゃ高くなります。そこの出の現日産社長。お先真っ暗。
▲17 ▼0
=+=+=+=+=
失礼を承知でいうが、ターバン巻いた姿が怪しいインドのじいさんにしか見えないww そこがまた良いんだけどね。
最初に買ったエンジン付きの乗り物はスズキのST250でした。 学生にも手が出る値段で、出た当初は「これしか無い」と思いましたね。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
こういう人格者としてのエピソードがでてくる経営者が増えるといいのにね お金でしか評価されない経営者が増えたから日本も弱くなっていったように思う
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
24時間勤務の夜勤を終えて帰ってきました。事件や事故だけではなく、こういうすてきな記事を読みたかった。今日はぐっすり眠れそうです。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
人の心をつかむ凄い経営者でした 地方都市の織物機械を主に生産していた中小企業が世界でも名が通る自動車産業会社へ押し上げたのですから
ただ、これだけのカリスマ経営者を失った後が大変 日◯自動車みたいに成らないで下さい
▲9 ▼0
=+=+=+=+=
客先の好みを一切調査せず、客先の好まない車を作り続け、昨日破綻した日産。既に遅いが、日産経営者全員がスズキの経営者をもう一度勉強して貰いたい。【客先が神様】
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
従業員の心をつかむのは好きにすればいい。前静岡県知事に、JRのリニア工事を意図的に遅らせるよう仕向けたのが鈴木修だった事実は忘れない。
▲10 ▼21
=+=+=+=+=
お客様は神様 カスハラとお客様を問題にしてしまう昨今… なぜお客様がそのような行動を起こしてしまうのかをクリアできれば儲けに繋がりそうです。 もちろん本当に頭のおかしな人は警察に通報した方が良いですが。
▲7 ▼3
=+=+=+=+=
昨日3代目スイフトRS納車しました。11年落ち11万キロですが、素晴らしい。十二分な走行性能です、ありがとうございます。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、安藤百福等と並んでもおかしくないですね。何れプロジェクトX、朝ドラになって欲しい。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
カーストがある限りインドは世界一にはなれないと思っていたが、こんな逸話を読んだらまんざらでもないのかもと思った 日本人の道徳心も輸出した貢献者
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
一度ならず発覚しただけで二度までも、悪質な不正をやった企業を育てた人として送られていくのが残念ですね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
写真見て、前列の方の人の眉間にしわが寄り、後の方の人の口元がほころんでいる対比が面白い。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
かなり信憑性ある噂だと、この方て、確か個人的な感情でリニア工事を、当時の静岡県知事を使って妨害していたんですよね?
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
知り合いの森林組合幹部曰く。日本の山仕事、林道最強は、ランクルかジムニーかって?わかってねえな。エブリィバンに決まってんだろ!
▲76 ▼5
=+=+=+=+=
本田宗一郎さんが日本の自動車業界では唯一神ですが、鈴木修さんはインドで神になられていたのですね。 眼から鱗。
▲22 ▼5
=+=+=+=+=
企業のライバル同士が尊敬し合うって凄いな 大物は違う
▲114 ▼2
=+=+=+=+=
また一つ日本の宝が消えちゃいました 残念です。 これからも庶民の味方のスズキであってください。
▲80 ▼2
=+=+=+=+=
こんなに政治に口を出す経営者初めて見たわ。今迄、浜松市中心にダメな政治家ばかり作り上げてくれて感謝いたします。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
いつも黒塗りの車に乗り…
沢山の給与が貰え一般庶民とアピールする 政治家の人も見習うべき。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
ありがたくジムニーに乗らせていただきます。 ご冥福をお祈りいたします。
▲68 ▼4
=+=+=+=+=
オサムさんは客を大切にする人だった。 温情が無く、お客様無視のトヨタ会長は見習って欲しい。
▲2 ▼3
=+=+=+=+=
ふと日産が頭をよぎった。 スズキ、ホンダ、松下ってカリスマ経営者はみんなオヤジって呼ばれてた。 日産にはオヤジが居ないね
▲13 ▼1
=+=+=+=+=
それは良いが、あの車の価格は高すぎるね。半値とは言わないが、五割は下げられる筈だ。
▲5 ▼33
=+=+=+=+=
読売新聞の渡辺恒雄にはこんな称賛な記事は無いな?
▲85 ▼1
=+=+=+=+=
でもリニア新幹線を妨害する方ですからね。自分がヒーローになれれは、国益は二の次なんてしょう。
▲5 ▼10
=+=+=+=+=
儲けは少しでいいんだ。この言葉ですよね。今は利益率を追及して、内部保留を貯める大企業。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
なんていい話…。 細かい事は抜きにして 今の日本はこのような考えを持つべきですね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
初めて写真を観た時からイメージは (眉毛のおじさん) インパクトは絶大
▲20 ▼0
=+=+=+=+=
婿養子だった為か企業のトップにしては非常に謙虚だったイメージ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
経営者が見える会社と見えない会社。いろいろあって面白いね。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
某電子部品メーカー勤務の者です。謙虚という部分についてはうちの上層部に見習えと言いたいです(笑)
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
病院を作ったのがすばらしい
▲63 ▼1
=+=+=+=+=
>『お客様は神様』はインドに昔からあるサンスクリット語のことわざです。
そうか、三波春夫のオリジナルではなかったのか!
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
素晴らしい。映画かドラマにできませんかね?
▲42 ▼4
=+=+=+=+=
スズキは従業員の名刺の紙まで薄い安いのを使ってコスト下げているとか聞いたw
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
今この精神が日本に必要だ。 金のない若者にも買える車づくり。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
軽自動車が世界中で売れれば それこそが省エネなのに・・・
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
面白いエピソード。後でゆっくり読む。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
カプチーノいいなー、カプチーノほしいな。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
前静岡知事のパトロンで、中央新幹線開業遅延原因を作った元凶のひとり。 日本を虐げる事が社是のプレジデントらしい記事だね。
▲10 ▼43
=+=+=+=+=
嘘か本当か知らないけど、リニア推進 を妨害してたなんて話を聞いて印象が 悪くなった。
▲5 ▼10
=+=+=+=+=
日産のお偉いさんに聞かせてあげたいわw
▲14 ▼1
=+=+=+=+=
まさに巨星墜つ…
ご冥福を御祈りします。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
修さんの話なのに アキオさん主体になるの、マスコミの性なん?
▲5 ▼2
|
![]() |