( 241353 ) 2024/12/29 17:43:43 2 00 「4浪医学部合格」京大諦めた彼が医師目指した訳。ギリギリ惜しいところで落ちる浪人の日々東洋経済オンライン 12/29(日) 5:36 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e4b6acebfcb28b7c5469ee25a088525cf8740082 |
( 241356 ) 2024/12/29 17:43:43 0 00 ※写真はイメージです(写真: Fast&Slow / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は、4浪して名古屋大学医学部に進学。現在は医師として働く傍ら、HERO'ZZ UNIVERSITY.に通う青柳泰史さんにお話を伺いました。
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■4浪して名古屋大学医学部へ進学
今回お話を伺った青柳泰史さんは、4浪して、名古屋大学医学部に進学しました。
医師家庭に生まれたことで、医師を目指して多浪する事例は、これまで本連載でもたくさん取り上げてきました。一方で青柳さんは医療とはまったく関係のない、高卒の両親のもとで育ちました。
また青柳さん自身は京都大学を志望していましたが、1浪のときのあることがきっかけで、医学部を目指すことにしました。
彼が4浪してまで、医師を目指したきっかけとは、なんだったのでしょうか。
青柳さんは、福岡県北九州市に生まれました。両親はどちらも高卒で、父親は新日本製鐵株式会社(現:日本製鉄株式会社)の関連会社に勤務し、母親は専業主婦でした。
幼少期は人見知り気味だった青柳さんですが、教育熱心な家庭で育ったこともあり、小学校の頃は習字の習い事と塾に通っていました。
勉強面では、照曜館中学校を受験して見事合格しました。ところが、合格したにもかかわらず、青柳さんは地元の北九州市立南小倉中学校に進みました。
「地元の同級生と3年間一緒に通いたいという理由や、親がお金がないと言っていたような記憶もあります。さまざまな理由で、地元の中学校を選びました」
この当時、特に熱中するものはなかった青柳さんですが、小学生のときから地元にあった全教研に週4回通っていたこともあり、中学校2年生のときには、学年100人前後の中で1位の成績を取ることができました。
高校受験では、先生の方針と、金銭面で私立を避けてほしい親の意向を汲んで、福岡県立小倉高等学校を志望。そのまま合格して入学しました。
「私立はラ・サール、久留米大附設・青雲・九州国際大付属を受験しました。ラ・サールと久留米は落ちたのですが、青雲・九州国際大付属には合格しました。九州国際大付属には特待で受かり、授業料も無料だったので、行くかどうか悩みましたね。でも、結局小倉高校に知り合いが何人かいたのでそちらに進むことにしました」
■小倉高校でも優等生だったが、途中で挫折
北九州市でも有数の進学校、小倉高等学校に入ってからも、青柳さんの成績は優秀でした。
「入ってすぐに受けたテストは9/360番でした。小倉高校だったら、学年20番以内なら東大・京大に受かると言われていたので、東大も狙えるかな? と思いました。進路は悩んだのですが、父親が工業高校の出身で理系だったので、2年生から理系を選びました」
2年生になって理系コースを選択してからは、さらに順位が上がったと語る青柳さん。1番を取りたいと思って勉強をした定期考査では、3/200位を獲得することができました。
しかし、青柳さん自身は「中途半端でした」と当時について反省しています。
「当時、学年で1番・2番を取る人は東大志望でした。めちゃくちゃ勉強しても、その人たちに敵わなくて、『こんなに勉強したのに……』と思ってしまったんです。それで、自分に東大は難しいと思うようになりました」
結局、高校時代の順位は3番が限界だったと語る青柳さん。
「東大に行く人は、(東大に行くことを)ゲームをクリアするように捉えている」と考えた青柳さんは、東大を諦め、父親の仕事と近い京都大学の工学部を志望します。しかし、現役のときは受験勉強を一生懸命頑張っていたものの、模試の判定はE~C判定が限界でした。
朝7時半に学校が始まり、学校が終わったら塾に移動。塾で夜23時半まで勉強をしていた青柳さんは、センター試験では751/900点を記録し、京都大学工学部の地球工学科に出願しました。しかし、この選択は「失敗だった」と後に振り返ります。
「京都大学工学部は、国語・英語・日本史のパーセンテージのみ2次試験に反映されるのですが、私はその3科目の平均が9割だったので、河合塾のセンターリサーチで工学部はA判定でした。地球工学科に出したのは、いちばん合格最低点が低そうだからという理由です。でも、結局この年は不合格でした」
■京大を目指して浪人も、まさかの転機
後期日程では無事九州大学工学部のエネルギー科学科に合格しましたが、「もう一回頑張れば受かるかもしれない」と思ったことで、河合塾で浪人を決断します。
「九大には知り合いが多いからいいかなとも思ったのですが、不完全燃焼感も強かったので、予備校で浪人しようと思いました」
こう考えて、河合塾に入り1浪を決めた青柳さん。6月には京大の成績開示の結果が届きましたが、それを見るとわずか11点足りずに落ちていました。例年、合格最低点が高い電気電子工学科が、青柳さんの年だけは低めの点数が出たようで、「そっちに出しておけば合格していた」と自身の選択を後悔したそうですが、なんとか踏ん切りをつけて、浪人生活を送ります。
しかし、夏に駿台からアルバイト募集の紙が届いたことがきっかけで、次第に医学部に興味を持つようになります。
「紙には、九大生のアルバイトは『時給2000円』と書いてあったのですが、そこに『医学部生は別料金です』とも書いてあったんです。そこで初めて、医学部って給料いいの? と思って、少し心惹かれました」
当時医学部に関する情報をあまり持っていなかった青柳さんにとって、学生バイトでさえ破格の高待遇である「医学部」の存在は衝撃でした。
この年も高校時代と同じくらいの勉強時間を確保した結果、東大や京大の模試では東大理1でA判定が出るようになりましたが、少しずつ医学部に気持ちが傾いていきました。
「まだ進路はハッキリと決めず、医学部と京大の両睨みという感じでした。この年のセンター試験は750/900点で前年度とあまり変わらなかったのですが、医学部だと難しい数字だったので、京都大学の農学部を受験しました。ですが、結局この年も合格最低点に6点足りずに落ちてしまいました」
2年連続僅差での悔しい不合格。後期で受験した大阪大学の工学部も落ちてしまい、2浪が確定した青柳さん。しかし、すでにこのときには、京大や大阪大に受かっても、医学部を受けるために再受験しようと心に決めていました。
「もう医師に心が傾いていました。京大を受けたのは、前年に負けたことのケリをつけたかったのもあります。情報がないからとりあえず京大に行こうと思っていたのですが、結果的に基礎を身につけるのを疎かにしてしまったので落ちてしまいました。『A判定だから、落ちるわけがないだろう』と思ってはいましたが……」
2浪目の青柳さんは、成績がよかったために、代々木ゼミナールに年間5万円で通えることになり、代ゼミに移って浪人生活を始めます。
医学部を自分なりに調べた結果、じっくり時間をかけて考えさせてくれる問題で、相性がよかった名古屋大学の医学部を第1志望に設定し、1年間受験生活に励みました。
「国語が苦手だったので、とにかく古文と現代文の対策に時間をかけました。前年よりも勉強時間は落として、朝9時に塾に行って夜21時に切り上げるスケジュールにしました」
勉強以外の時間は、積極的にほかの医学部受験生に話しかけました。クラスが一緒だった4浪の人や、4浪の人に紹介してもらった6浪の人などとコミュニケーションを取り、医学部に行くための情報を収集していました。
この年はセンター試験でも過去最高の795/900点を確保。その前に受けた防衛医科大学校では歯がたたなかったものの、十分に勝負になると思い、前期で名古屋大学医学部、後期で産業医科大学を受験します。しかし、名大は数学で失敗して100点足りずに不合格。産業医科大も、面接で2浪していることを突っ込まれ、落ちてしまいました。こうして青柳さんは、またしても全落ちで3浪目に突入します。
■年上の仲間と受験勉強
代々木ゼミナールの学費が5万円ではなくなったことから、3浪目からは自宅浪人を選択した青柳さん。その一方で、いつも一緒に勉強をしていた仲間がいたことが救いになったそうです。
「代ゼミのときの浪人仲間で、医学部の再受験を目指しているアラフォーの方がいらっしゃいました。その方は時々マクドナルドで勉強していたので、一緒に勉強していました。朝8時ごろに起きて、マックで夜遅くまで勉強できたのも、仲間がいたおかげですね。そうじゃないと宅浪は病んでしまうので」
9月末までロイヤルホストで18時から深夜までアルバイトをして月5万円を稼いだり、図書館に行って勉強のために本を読んだりしていたこともあり、置かれた状況を生かしながら名大医学部の問題を研究していた青柳さん。
3浪目もセンター試験は790/900点と医学部への挑戦権は確保。もうこの年は名古屋大学の医学部しか受けませんでした。
「ここまできたら意地でした。今思えば後期で琉球大、宮崎大の医学部を受ければよかったのですが、もうこの年は名大に受からなかったら働こうと思っていました」
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( 241357 ) 2024/12/29 17:43:43 0 00 =+=+=+=+=
スポーツなら努力を称賛して、勉強なら親が金持ちだとか、頭がいいからだとか否定する理由を探すのはなぜなのか。 国立大医学部は、推薦を除いて、頑張らないと入れません。素直に頑張ったと思いますし、良い人生を送ってほしいとおもいます。医師として良い人生を送るなら、患者に良い医療を提供する事は必須です。
▲656 ▼45
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詳細は差し控えますが、この方と近しい環境でした。 自身は一浪し、成績大幅アップし、絶対に自信を持って臨んだセンター試験(当時)に、まさかの点数しか取れず、当時競っていた友人に100点以上の差をつけられた苦い記憶があります。 浪人生活が苦しかった為、精神的にこれ以上の浪人は無理と判断し、この方とは違い諦め全く異なる学部に変更し無事合格し、現在家族(妻子供)と慎ましいながら幸せな生活を送れています。 この方の努力と精神力は素晴らしいなと思います。 ただこの方は元々優秀な方で、且つ普通の人では真似できない不屈の精神をお持ちであるということ、チャレンジはすべきとは思いますが、皆が皆成功するわけではないので、もしその道で上手くいかなくても、その努力は直接ではないかもしれませんが、何かに生きてくると思います。
▲444 ▼23
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今、インフルエンザ真っ只中です。 受験の時にインフルエンザにかかる受験生ももちろん一定数いるはずなんですよね
それこそ、死にものぐるいで勉強してきて、100%受かる実力があったとしても、結果は不合格になるわけです。
でも、もう歳をとった私だから申し上げますが、金や権力やなんやかんやより
健康が1番大切です
▲305 ▼23
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自分は1浪した。
今だから思うけど、浪人の経験は『挫折を知る』という意味ではすごく良かったと思う。挫折を知ることで他者への思いやりができるようになったと思う。 不出来なのは頑張らなかったから→頑張っても不出来なこともある。と思えるようになった。子どもの成績に関しても、結果だけ見て叱るのではなく、過程も加味して話す、ということにしている。
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自分は医師ですが、勤務医は思ったより全然稼げないですし激務です。ただ、なってしまえば仮に医師としての能力が低くてもある程度の給料は保証されるし食いっぱぐれはないです。 医師としてお金重視で稼ぐなら開業するか、美容などの自由診療に行くかなんじゃないかな。
▲145 ▼13
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高校の同級生に4浪して東大理Ⅲに入った人がいる。大学卒業後は地方の病院で勤務医をしているようだ。 彼の医師としての業績は、4浪に見合っているとは思えない。 他方、地方の国立大学の医学部に入り、医学部の教授になった同級生が何人もいる。 医者になり、あるいは、研究者になるには、意欲と能力さえあれば、どこの大学でもよい。 医師に限らず、大学卒業はあくまで出発点に過ぎない。 地方大学出身者で有名な業績を残した人は多い。ノーベル賞受賞者もいる。 特定の有名大学にこだわる人は、ある種の自信のなさが原因の「有名病」患者ではないか。
▲225 ▼120
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息子も国立医卒。名大はじめ旧帝大を受験させてやりたくても、浪人ができる家庭では無く堅実に志望先を決めた。 センター9割があたりまえの激戦を戦わなくてはならないし、晴れて合格した後も留年や国試浪人などは考えられない。 経済力の差は現実でも情報力や努力で克服できる世界でもある。
▲69 ▼15
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4浪ですか、キツかったでしょうね。 兄妹は2浪で地元国立大医に合格しましたが、祖母の命日でもあり執念を感じましたね。 通っていた予備校が地元駅近だったので、盆暮に帰省するキラキラ大学生になった同級生と会うのが辛かった様です。 医学部に合格できる保証もありませんからね。 浪人2年、医学部6年、院4年、計12年。 本人の頑張りは勿論ですが、両親の金銭的精神的なバックアップなしではなり得ませんでしたね。
▲3 ▼0
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日本では医師人気で医学部の偏差値は20年前と比べて10上がっています。 他方でヘビーブーム世代は全員後期高齢者になり、20年後には大半が亡くなるので、医師過剰時代になることが既に予想されています。 個人の判断になるので止めはしませんが、医学部を志すのなら、そういうことも念頭において目指したほうがよいのではと思います。
▲63 ▼49
=+=+=+=+=
人それぞれだが、京大医学部にギリギリの点数で連敗する浪人生は山ほどいる。運が良ければ学生の大半を後期で募集する奈良県立医大後期を受験して入学する。ただ、奈良医大の後期偏差値は阪大医学部(前期のみの募集)以上はあるので狭き門。家庭に余裕があれば慶應医学部、大阪医大など私学に行くし、国公立の目標を下げて二浪に入る。ここまでが京大医学部連敗浪人組の一般的な道。四浪して名大は本当にメリットがあるかどうか微妙なところ。
▲50 ▼23
=+=+=+=+=
ただただ労いと賛辞を送りたい。浪人生活での苦労は生きる糧になるし、そこで出会った仲間は一生の仲間になると思います。苦労して手に入れたものだからこそ、価値があります。
▲31 ▼2
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この方は、高校時代から優秀で、ただ試験本番では、やや弱い方だったかも。 試験本番で、実力十分出せない方は、まあまあいらっしゃいます。 医学部も名大でなく、もっと偏差値低い国公立大学医学部だったら、一浪か二浪ぐらいで、受かっていたかも。 まあ普通の話で、浪人時代のご苦労は、 将来の医師人生にも活かせるかも。
▲7 ▼0
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医学部、早稲田、東大は、こだわりの強くなる大学学部なので、多浪をする人が多い。
医学部なんてどこに行っても医者になれるんだから、経済的に問題ないならどこにでも行った方がいい。
早稲田でも東大院に行けばいいだけ。
多浪することで人生狂う人も多いし、メンタル疾患になる人も多いし、自害する人もそれなりにいる。
一般学部は現役、医学部は2浪まで。 これくらいの区切った考えでちょうどいいと思う。
▲6 ▼6
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もう30年以上前となりますが、私の高校の同級生は半数が医学部進学でした。
私自身も祖父は医師でしたが、私は血を見るのは好きでなかったため医学ではなく物理学を専攻し、インターネット関連の研究開発を経て今は医療系のサイバーセキュリティに携わっています。
年収は1500万円位ですが、フルリモート・フルフレックスで自由に働けて、内容も楽しんでますので、これでも良かったかなと思います。
世帯年収は2500万以上ある他投資の収益もありFIREも視野に入りますが、今は仕事が楽しいし、いつでも家で好きな時間に仕事すれば良い状態、作業も外注してるので、このまま65歳定年まで働いても良いかなと思います。
▲56 ▼131
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何だかんだ、最終的に名古屋大医学部に受かるのだから地頭が違うのはまちがいない。
「九州国際大付属には特待で受かり、授業料も無料だったので、行くかどうか悩みましたね。でも、結局小倉高校に知り合いが何人かいたのでそちらに進むことにしました」
ここが運命の分かれ目だっただろうね。特待で行けば京大でも医学部でも現役で行けただろう。
地方の公立高、こと「大学受験」に関しては無力というより有害無益の授業体系だからね。
高校としての素晴らしさ、地元でのブランド力とは別問題。
高3の12月にベクトルも化学(高分子)もおわってない地方トップ公立高校は普通にある。それで東大京大に現役で受かろうなんて、ムリ。
▲24 ▼29
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私も浪人したけど、駿台市ヶ谷校は多浪生の棲家だった。4浪とか普通に居て、感覚が麻痺する感じ。でも、当時の友達はみんな、3-8浪して、ちゃんと医学部入ってたよ。みんな凄いなぁ、頑張ったなぁと感心したものです。ちなみにその後も、無事医師になってます。
▲94 ▼6
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この話の背景には、いくつか原因があると思います。
1・理系学部の総難化 最近の学生は、基本的に理系の学部をめざすようになりました。 東大の理1は、東大医-京大医の次くらいまで難化しました。 結果、医学部の方が手が届きやすくなった面があると思います。
2・関西の大学の易化 関東に比べ、関西の人口減は大きく、 関西の大学は、難易度をじわじわ下げてきています。 京大も、一橋・科学大と同レベルまで下がっており、 お手頃な偏差値になってきている面があります。
3・浪人効果 フルで1年使える浪人はやはり有利です。 これは他の方も書いているので割愛。
4:多浪への減点 多浪すれば、得点は上がるので、 多浪になると、私大も国立大もある程度減点する傾向があります。 でも、名大などの旧帝大では、まず減点されないので、 名大の方が有利だった面があります。
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医学部は異次元だから、京大理系は、福井大学や岐阜大学などの駅弁医大とトントンになっていることも多い。更に彼は福岡出身で九大理系志望から医学部転身ならば、前期入試で宮崎大学・佐賀大学・琉球大学の医学部を受ければ、4浪迄しなかったような気がする。
▲198 ▼8
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本人の諦めない努力と地頭があったのは間違いないが、諦めない両親に一番感謝でしょう。本人が頑張るのは当たり前ですから。しかし資格試験のようなものとは違い、入試は絶対的他人との勝負だからね。運不運もある。まあでも大事なのは入学ではなく、その先ですからね。極論名大に拘る必要あったのかどうかでしょう。多浪したら、拘るが、どこでもいいかの2択になるし。
▲11 ▼0
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どんどんハードル上げてって、墓穴を掘って行ったような気がする。絶対医学部でなければということでも無かったようなので、最初受かった九大に行っておけばよかったのではないか。 とはいえ済んだことを言っても始まらないし、名大医学部受かったので頑張ってほしい。4年くらいの遅れならまだ大丈夫。
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小倉高校で20番以内なら東大を目指せるっていつの話なんでしょうか。10年前くらいの時点で既に、1位で五分五分くらいだったと思います。 九大工くらいの人が名大医だと、確かに最低で2年くらいは必要かもしれませんね。佐賀とか大分とかにしとけば、もう1,2年少なくて済んだんじゃないでしょうか。
▲17 ▼4
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大学受験か、懐かしい響きです。 私も一浪しましたが当時はセンター試験は無く、国立は一期校二期校の選択。 それにしても四浪の末に旧帝国大学の医学部合格は凄い。執念ですね。
▲174 ▼18
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中学・高校と親やら家庭に遠慮したモヤモヤを4年間の浪人で昇華できたのかなと思った。 もちろん点数が足らなかったのはご本人の問題ではあると思うけど…世の中の様々な経済状況や人の心情に理解のある、懐の深いドクターになって欲しいなと感じる。
そしてお金、たくさん稼いでください!!
▲2 ▼0
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この人の動機はどうあれ「医師になりたい」と思っているだけマシ。「東大に行く人は、(東大に行くことを)ゲームをクリアするように捉えている」とあるように、医学部に入る連中もだいたいそうで、入学後に「何科の医者になるの?」と聞いても全く答えられないのが多い。 医学部入学はゴールじゃないし、その先の人生がほぼ決まるってことを自覚して受験してほしい。 この人みたいに「安定高収入」を目当てに行くのも、ろくでもない医者が量産されて困りものだが。
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多浪は親が裕福ではないと無理だね。 あと医学部の多浪はかなり厳しいと思う。 (今後はどうなるかわからないが)毎年現役の成績優秀者が医学部志望で、彼らより成績が上回らないといけないが、多浪すると勉強教材がどれもやったことあるものばかりになっていき、答えだけを覚えてしまい勉強にならなくなる。 あとは医学部入学は医者になるスタートでしか無いけど、その時点で燃え尽きてしまいそう。
▲102 ▼84
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「ギリギリ受からなかった」と書いてるが、自分が全く見えてないだけで力が足りてない。第一志望ははやめに決めて、センターの目標点を決め、2次対策をして、余裕を持って受かるようにするべきもの。そしたら前期に発熱で失敗しても後期で受かる。浪人するにしても最大一浪まで。医学部でも二浪くらいをめどに計画を立てて挑む。 東大京大医学部目指すレベルの人は、センターみてあれこれ出願先の大学や学部をコロコロ変えたりしないよ、本来。東大京大なんて問題も特殊だし。先生のアドバイスを聞かず適当に受けてるのでは。 聞き手も9浪私学だし、この2人は国立受験を何も分かってないのではないか。
▲5 ▼1
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2浪目の時、防衛医科大学校に落ちたのに名古屋大学医学部に出願したのがあまりにも無謀すぎる。実際100点も足りなかったようだし。普通どうしても医師になりたくて2浪するような人は、もっと下の国立医大に出願しますけどね。
▲14 ▼0
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この方は医師になられて立派な活動をされていますが、何でこんなに医学部人気なのか不思議。たしかに高給だけど、旧帝行って適度にコミュ力あれば同じくらい稼げるよ。今は普通の職も定年伸びたし。 アラフィフですが私の頃はここまで医学部人気ではなく、それほど成績よくなくても私立医学部なら金さえあれば入れて、国立医学部も現役東大京大クラスなら現役、旧帝医学部も現役東大京大クラスなら一浪すれば入れる感じだったね(東大京大医学部は知らんけど)。あの頃の難易度が適当だったと思うけど。
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肉親に医師は居ますか? 医師になるまでの奨学金を返還不要にするのに、医局に残り何年か教えねばならなかったりする。 次に医師資格を得た後の事を考えてみよう。 開業資金は借入れ、医療機器はリースで調達出来る手段もあるものの、資金はあるに越した事はない。 他業種に比べて比率の高いPh.Dを得るのに、更に大学院に行く資金。 欧米等海外での経験を得るのに必要な留学&研究資金。 英語等についても、留学先で学術論文を自力で書けるようになるにはネイティブに近い習熟が必要だが、幼少時から例えば英語が身近にある(親が英字新聞を購読していて家庭では何時でも読める、海外の英語放送を24時間視聴出来る等の)環境。 患者に良い医療を提供するには、能力を早くから開花させられる環境があるに越した事はない。 高卒両親から生まれた肉親が国公立大医学部を卒業し、勤務医として働く姿を垣間見てきた者の感想ですが、如何でしょうか。
▲23 ▼74
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本来、医学部なんて中学時代クラスで5番6番7番8番辺りの学力で十分。
今現在医療の最前線を担っているであろう50代医師が受験生の頃、 私大医学部の偏差値は50台が当たり前どころか40台まであった。 そして その50代医師が受験したであろう1990年代の医師国家試験の合格率は 80%半ばで推移で今現在の80%後半より少し低い程度だが、 今現在の50代医師に問題がある話なんて聞いたことない。 ちなみに 医学部は私立より国立のほうが多いのでたぶん、地方は地元の国立大卒が 多いのかもしれんが、東京は私立大卒が多くいるけど、 東京の50代医師は問題がある話も聞いたことがない
▲22 ▼30
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この手の人は、実際の臨床現場では活躍できそうにないな。 京アニ事件の犯人に携わった上田医師も3浪して志望校は叶わなかったが、本来の目的は大学の戦いではなく医師になることなので、意図のズレた方向には進まないで欲しい。
▲3 ▼1
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単に、ブランド大学好きが、浪人中に医学生の家庭教師の時給みて医学部に憧れたって話でしよ。 受かってよかったね。
ただ途中経済的な話も出てきたけど、その結果四浪して名古屋で大学生活ですか。
多分、医師の仕事をしたいなら旧帝にこだわらず九州、中国、四国の国立の医学部狙えば一浪で受かってるでしょ。 まずは、親に感謝だね。 都会で学生生活できてよかったですね。
▲0 ▼0
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高校は九州の名門小倉高校で、現役で九州大学に受かっている。結果的に多浪になったものの、そもそもが優秀な方なんですよ。名古屋大学医学部医学科なんて、ほとんど東大レベルの難易度なのでしょうし。
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金銭面から公立と言いながら、小学校では週4の塾通いが出来、多浪が許容されているあたり、若干盛っているようにも見えなくはないのですが・・・
ただそもそもですが、工学部、農学部、医学部と芯(信)の無い受験をしています。特に医学部面接は「信」が無いのは見透かされます。そうでなければ6年間ついて行くことが難しいと捉えられることや、昨今で問題となった不適切行動の問題も影響しているようです。 (この方の時期のはわかりませんが、ここ十数年は変わっていないかと)
まあ業務独占資格は取ってしまえばこっちのものと言うのも強さはありますし、免許の使い方も自由。医師になって何がしたいというのも無かったようですし、それならわざわざ難関医学部を狙い続けたのは?と 受験ゲームに嵌まってしまったのかなぁ・・・とも
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この人の医師になりたいきっかけが、清々しいほどに「金」だけで驚いたわ。 その後何か医師になりたい気持ちを固めるエピソードがあるのかと思えば皆無。 しかも放射線科医って、画像見て診断するだけなら1番早くAIに取って替わられる分野。 この人、4浪中人を治療したいって気持ちはあったのかな?
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特になりたいものもなく、ただ大学のランクと学部の難易度に挑み続ける人ですね 医学部を目指す多くの学生がこのような人たちなので、本当に医師になりたい人の入学を難しくしているのです 結果として医師の資質を落としています このような人は社会に出ても勝てませんよ 本気でやってる人の覚悟に全然及ばないんで
▲39 ▼2
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国立医学部は皆んなセンター810/900の9割を 目指して受験する物だからね 初期の頃の750点じゃ、落ちるべきして落ちた感じ 合格年で初めて9割越えの818点 センターと言えど、数字は正直だね
▲45 ▼3
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医者になればこんな楽で安定した仕事はない。 20代のうちから年収1千万超えるし 1日7万円のバイトなんて日本に他にありますかという話 上級国民への近道であり賢明な選択だ
▲18 ▼18
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名古屋大学ではなく、地方国立医学部なら4浪もしなくて良かったのに。 医者になるなら国立であれば あまり大学名は関係ないと思うのだが。 無論、国立医学部と私立医学部なら雲泥の差だろうが。
▲19 ▼4
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<名大に受からなかったら働こうと思っていました>→ここまで覚悟されたので合格できたのでしょうね。あとはバランス感覚の凄さを感じます。私もそこそこ多浪でしたが、途中からもう目標すら見失ってましたね。
▲3 ▼2
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旧帝大医学科だと、三浪以上の多浪生は珍しくない
そして、浪人生活は、 家族の理解と経済力が無ければ成り立たない
親への感謝の気持ちを忘れないでね
▲18 ▼0
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中途までしか読んでないが、勉強・スポーツ・仕事、みんな運とセンスが必要だと痛感する 人それぞれ身長差が有るように、努力だけでは伸びしろに限界が有る 自分の従姉妹も国立医学部卒だけど、ネットで名前検索したら結構転職してるみたいね まぁ旦那も医者だから食いっぱぐれは無いだろうけど
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4浪でも名大医学部って十分優秀だわな。 自分でも言ってるように例えば琉球とか宮崎とかを受けていればとっくに受かってたろう。 まあ納得できたかどうかは別だから、この人はこの結果で良かったんじゃないかね。
▲5 ▼0
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濱井正吾 さん9浪もすると普通に就職は無理だから、 ライターとしての仕事しかないのだね。 浪人しても文系は報われない、ということがわかりました。
▲56 ▼6
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多浪で高得点勝負&数学の問題が少なくランダム性の大きい名大をチョイスするあたり、戦略立てはあまり上手くないタイプだなという印象。
▲0 ▼0
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九州大の工学部に合格していたのに、浪人したことで医学部を目指すようになった理由が金というのがちょっと… 親が医者だからとか、子供の時に高難度の手術を受けて治ったことで医者になりたいとか、身近な人が病気で亡くなったことがきっかけでどんな病気でも治せる医者になりたいといった理由なら凄く納得できるけど、医者になったら金が稼げるという下衆な理由で正直ガッカリ。
まあ、それを言ってしまったら世の大学生や大学を目指す受験生の多くは「〇〇になりたいから〇〇学部を目指す」という志なく受験してるからあまり批判できないが…
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3浪のとき宮崎大医学部の後期を受ければ良かったとあるが、宮崎大医学部の後期はすごい倍率でセンター試験で810点以上、しかも数学が出来ないと無理だったのでは。
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今や難関医学部ほど現役優勢のご時世なのになぜかこういうところでは多浪生がよく頑張ったとなる不思議(笑) その人のポテンシャルってなんだかんだ言っても現役時に受かった大学ですよ。
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国公立の医学部はかなり難しいです。裕福な家庭なら私立の医学部なら多少の努力で合格できるでしょう。
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30年近く前のセンター試験で、旧課程と新課程の選択があった。浪人組は旧課程を選択し、結果平均点が100点近く下り人生設計を大幅に修正する出来事があった。わかる人いる?
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受験時期になると必ずこういう成功体験談みたいな記事が大量に投稿されるけど興味ない人間には目障りやからやめてくれへんかな 単に自己顕示したい奴のアピール場所になってるだけやん
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戦略を失敗しただけで、 「医学部に行きたい」ってだけなら、どっかの医学部には入れたワケだから、きちんと戦略を立てれば4浪までしなかったと思うよ。
▲18 ▼0
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この方に違和感を感じる部分は、医学部(特に名大にこだわっている)を目指した動機と親に対する感謝がないところですね。
▲16 ▼0
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産業医大は2浪でも受かるよ得点に色をつけることが難しいところのひとつ。決してそのせいではなく成績の問題。
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タイトルの「医師目指した訳」って気になって読んだんだけど、給料がいいってだけ? 何かしらエピソードがあるのかと思ったのに なんだか釣られた気分
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地方国立狙いに変えてたらもっと早く受かっただろうけど4浪でも名古屋ならおつりがくる。 すごいわ。
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最高年収が1500万円だとすると4浪は6000万円の生涯収入減となる。 浪人で年収が上がるならともかく医学部ならどこでも入れるところに入った方がマシ
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申し訳ないが、何も共感できませんでした やりたいことがそもそも無く、受験自体が目的になっているように思いました
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自分は今なら海外出てクリプトエンジニアなるね。金だけで言ったら医者は馬鹿馬鹿しくてやってられん。あ、放射線科はクレーマー遭遇率低そうだけどな。
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4浪で国立医学部は普通です。 苦労をしたからこその良いDr.になれる事でしょう。 どこぞのピースサインの女医さんとは 違うでしょう。
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> 私立はラ・サール、久留米大附設・青雲・九州国際大付属を受験しました。ラ・サールと久留米は落ちたのですが 彼は実在するのか?福岡県民は久留米と略さないと思う
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親に甲斐性があればもっと早く医師になれたかも、でも人生において、どちらが良かったかはわからない
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浪人してまで大学に入りたい? 考えられない、それより外国などで仕事して英語を使えるようになる方を選ぶが
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記事読みました。 結局、お金が稼げるから医者になったってことですか? 病気で苦しむ患者のために働きたい、ではないんですね。
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いつもの東洋経済の創作文 小倉高校で学年一桁なら国公立医学部でもこんなに苦労することはない それに文章の節々に感じる下劣な表現 まともな医師にも失礼
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東大は落ちても早慶とかセーフティネットがあるけど国立医学部は浪人重ねるしかないきつさがある。
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4浪目にして当然開花した理由をもう少し深堀りして教えてほしい。
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自分に合ったレベルの医学部を選べば4浪もしなくて済んだのでは?
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自分も医者だけど、受験に「惜しい」はないと思う。ただの実力不足。
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なんかこの人は嫌いだな。 医者になりたいわけでもなく医学部受験。 こうしておけばよかったなどの言い訳ばかり。
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放射線科医師としてYouTubeもされていますし、優秀な先生ですね。
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マクドナルドで朝から晩まで勉強は真似できないです
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国立の医学部で良かった。 私立の他の学部だったら4浪したら就職たいへんだったでしょう。
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入試っていつまでやるのか 入れてからふるい落とすなり 窓口狭める必要ない 一回の試験で何を測る 馬鹿馬鹿しい制度
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センター9割いかないようじゃそもそも国立医学部受けても厳しい。 順当な浪人かと。
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名古屋大じゃなくてもっと国立でもレベル下げれば二浪目で受かったんちゃう。
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4浪して医学部ならまだわかるが、9浪して早稲田は何がしたいのかよくわからん。
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親が高卒でも日鉄だと子は優秀なケースが多いんだけどなんでだろう?
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4浪。でも、 医学部には ざらにいます。いない学年はいない。 結果を出すしかない。
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濱井さん、対談はもういいのでそろそろエンジンかけてください。。。
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受験する学部・学科が節操がないように感じる。芯が無い。
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自分だったら、現役時代の後期で受かった九州大学に行っていたなあ…笑
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お母さん専業主婦。 その辺の事情も気になりました。
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マクドナルドは自習室ではありません
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その気力や胆力は相当すごいな、俺だったら4浪もできない、、、(辛過ぎて)
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努力は素晴らしい。
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医師は残念ながら理系では無いね。外貨を稼げない。
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最終学歴って社会に出ても一生付きまとう。 でも浪人は一年までだね。
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国立医学部は別格ですよねー。凄い。
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浪人して医学部目指すぐらいなら 歯科医師になればいいのに
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