( 241488 ) 2024/12/30 03:17:03 2 00 「俺は地獄に行くから会えない」 妻と娘救えなかった罪悪感―残された家族守るため、思い出の地で再開した店 能登半島地震1年毎日新聞 12/29(日) 17:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/3b282b2e488dc35f1f1749ea933d95dde4e4b95f |
( 241491 ) 2024/12/30 03:17:03 0 00 能登半島地震で亡くなった楠珠蘭さんが写ったアルバム。成人式を前に作ったものだった=石川県輪島市で2024年1月28日午後2時39分、後藤由耶撮影
2024年の元日に最大震度7を観測した能登半島地震は、年が明けると発生から1年となる。犠牲者228人、災害関連死は250人以上に及ぶ。 石川県輪島市で居酒屋を営んでいた楠(くすのき)健二さん(56)は、地震で倒れてきた隣のビルに自宅兼店舗を押し潰され、妻と長女を失った。 妻と2人で苦労して築いた店も一瞬にして消えた。 「2人は天国にいるけど、俺は(死んだら)会えるのかな」。 地震後、川崎市で始めた新たな店は軌道に乗ったが、がれきに挟まれた2人を救えなかった罪の意識は片時も消えない。残された家族を守るため、きょうもカウンターに立つ。
居酒屋「わじまんま」を営む楠健二さん=川崎市川崎区で2024年11月22日午後0時57分、安西李姫撮影
地震から5カ月が過ぎた6月10日、楠さんは川崎市川崎区の繁華街に居酒屋「わじまんま」を開いた。妻由香利さん(当時48歳)と切り盛りした輪島の店と同じ屋号だ。 冬は輪島産の香箱ガニ(ズワイガニの雌)やフグが並び、箸袋やおしぼりも能登の業者から仕入れる。少しでも復興に役立てばとの思いからだ。 7席ほどのカウンターは石川ゆかりの人で満席になる日もある。 店に立つ際、「わじまんま」と書かれたTシャツを着る。地震の後、あのがれきの中から見つけ出した。 楠さんが描いた大漁旗を利用したのれんは見つからなかったが、同じデザインで新調した。妻のお気に入りだったから。 輪島の店にあった掛け時計も揺れのあった午後4時10分過ぎを指したまま、川崎の店に持ってきた。 「妻と娘の面影がないここなら平常心でいられると思ったけど、思い出のあるものばかり。2人のことを思わない日はないよ」
居酒屋「わじまんま」の跡地。倒壊した五島屋ビルは3階以上の公費解体が完了した=石川県輪島市で2024年12月17日午前11時41分、安西李姫撮影
あの日、輪島市中心部にあった楠さんの店舗兼住居(木造3階建て)を、西隣の漆器店「五島屋」ビル(鉄筋7階建て)が倒壊して押し潰した。 普段は妻と子供2人の4人暮らし。長男は独立。長女珠蘭(じゅら)さん(当時19歳)は川崎市に住み、横浜市の看護学校に通っていた。 地震が起きた時、帰省していた珠蘭さんも含めて家族で食卓を囲んでいた。 楠さんと次男(22)、次女(19)は無事だったが、由香利さんと珠蘭さんはがれきの奥に取り残された。 すぐ近くで起きた火災を消すため、消防車両が何台も通り過ぎた。助けを求めて車両の前に立ちはだかると「火事が優先だ」と言われた。 自衛隊にも助けを求めたが「(2次被害の恐れがあり)隊員の命が危ない」と言われたという。 建材に足を挟まれながら「水が飲みたい」と声を絞り出す長女に、楠さんは水を渡し、夜通し2人の名前を呼び続けた。 「消防隊が来た時、娘はまだ生きていた。あの時、俺はのこぎりで娘の足を切ろうとしたの。足を切っていれば、今もここにいると思うんだよ。でもね、娘の足なんて切れるか……」と唇をかむ。 珠蘭さんは1月2日夜、由香利さんは翌3日に救助されたが、既に冷たくなっていた。 「2人は天国にいるけど、『俺は地獄に行くから会えないよ』と遺影にいつも言っている。助けてあげられなかったから」
楠健二さんが描いたのれん。奥能登の魚をデザインしている川崎市川崎区で2024年11月22日午後0時58分、安西李姫撮影
「消えてしまいたい」と輪島の避難所で何度も思った。だが、残された家族を守る必要がある。 輪島では、すぐに店を再開するのは難しいと思い、川崎を選んだ。約30年前、妻と出会い所帯を持った街だった。 静岡県出身の楠さんと能登半島にある石川県七尾市出身の由香利さんは、飲食関係の職場の同僚として出会った。 偶然にも新たな店の場所は当時、由香利さんと飲み歩いた一角にある。「俺は日本酒。由香利はハイボールだったな」。ホームセンターに何度も通い、自力で内装を整えた。 次男は障害があり介助が必要だ。2人が亡くなったことはいまだに伝えられていない。次男は1月の葬儀でもひつぎの中を見ることはなかった。 食事を作ってもなかなか食べてくれず、「ママい(由香利さんのご飯が食べたい)」と言われた時は、途方に暮れた。「2人がいなくなったことは理解しているのだろうけどね。今はそっとしている」 珠蘭さんが看護学校に進んだのも、次男の将来を考えてのことだった。「パパとママが亡くなっても、私が最後まで面倒を見るから」と言ってくれた。反抗期もなく、優しい性格だった。 地震当時、高校3年だった次女はこの春、珠蘭さんの後を追って同じ看護学校に入学。姉の白衣や聴診器を受け継いだ。 次女の進路が決まった頃、妻が「輪島を離れても姉妹で一緒の学校に行くって、いいよね」と目を細めていたのが、つい最近のことのようだ。
屋根瓦などが今も散らばっている居酒屋「わじまんま」の跡地=石川県輪島市で2024年12月17日午前11時41分、安西李姫撮影
11月になって五島屋ビルの公費解体が始まった。他の被災者から「あのビルを見ると心が沈む」と聞いた。楠さんもそう思う一方、倒壊原因の調査を終えてから撤去すべきだという思いが交錯する。 「すごい揺れだったけど、うちの家は倒れる兆候はなかった。隣のビルがのしかかってこなければ、2人が死ぬこともなかったと思う」と悔しさをにじませる。 輪島市によると、12月に入って道路にはみ出していた3階以上の解体は完了したが、2階以下の撤去のめどは立っていない。 築50年以上で旧耐震基準の建物とされ、国土交通省が倒壊原因を調べている。
石川・輪島の店に掛けられていた時計。針は能登半島地震があった午後4時10分過ぎを指したまま止まっている=川崎市川崎区で2024年11月22日午後0時37分、安西李姫撮影
楠さんはこの秋、ストレスなどのせいか約2週間入院し、体重は5㌔落ちた。 店を再開すると、すぐに客足が戻り、忙しい日々が続いている。「家族を亡くし、体調を崩した自分をお客さんが『気の毒だ』と励ましてくれているのかな」。心の中でそんなふうに思っている。 ふらっと立ち寄ったお客さんが品書きを見て、能登にゆかりのある店だと気づく時がある。「そういえば地震あったね」と問われると、「何か(被災地のために)できることをやって」と応じる。 能登のことを思ってくれるだけでいい。復興には多くの人の力が必要だ。 元日の地震に続いて9月には豪雨でも大きな被害が出た。 「輪島の人たちは地震が来て大雨が来て、次は大雪被害に遭うのかなって心配している。数年に1度、車も動けないほどの大雪が降る。そうなるとおしまいだって」。能登に残る被災者の不安が痛いほど分かる。 楠さん一家が、川崎から輪島に移住したのは18年。毎年のようにキャンプで訪れ、輪島の自然や人情にひかれた。 店を開いたものの、最初は大変だった。「毎晩、夫婦で飲み歩いて顔を覚えてもらったのよ」 そのうち、「わじまんまさん」と声を掛けられるようになり、野菜を分けてもらうなど、溶け込んでいった。夫婦で苦労して築いたのが「わじまんま」だった。大事な店を一人守り続けたいと思う。 家族を失っていなければ、輪島で再起を図ったと思う。いまはつらい思い出が先に立つが、妻と選んだ大切な場所であることに変わりはない。 「本当にいい所だよ。次男と2人で暮らしてやっていけるような小さい店でいい。また輪島に戻りたいな」【安西李姫】 ※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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( 241492 ) 2024/12/30 03:17:03 0 00 =+=+=+=+=
目の前の助けられる距離に娘がいて、消防車も目の前を過ぎて行った。 苦しむ娘を目の前に何も出来ず…なんて辛すぎる。 しかも自宅を潰したのは隣のビル。 こんな苦しい思いをしなければならないなんて可哀想過ぎて言葉が出ない。 それでも他の地でお店を始めて頑張っている。 自分だけ地獄に行くなんて事はないと思う。 奥さんも娘さんも、今は苦しみのない世界で見守ってくれていると思います。
▲15183 ▼289
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仮に切っても、すぐに医療的な対処が出来なければ、失血死してしまう。動脈切断の出血含むから、素人が出来る事じゃない。麻酔が無ければ激痛だし、骨もあるから、流石にそれは無理。残酷だが、少しでも実行していれば、激痛を与え、かつ、出血により死を早めただけだったろう。
足を切れば救えたかもと、可能性を考えてしまうんだろうけどな…実行して亡くなってしまったら、自分がころしてしまった、という認識に変わっていただろうし。その時にできた最善の行動をとったと思うよ。
▲409 ▼5
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絶命するまで声をかけ続けてあげたじゃないですか。水を運び続けてあげたじゃないですか。苦痛と絶望のさなか、ずっと側にいてあげたじゃないですか。助けを求め続けて、全力で助けようとしたじゃないですか。
地獄になんか行くはずないじゃないですか。 鬼神も泣かしむる働きをして、頑張ったじゃないですか。
▲15061 ▼158
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誰も悪くない。 災害時にまず自らの命を守るべきと言われる理由そのものです。 被災した段階から上限の存在する警察と消防の救助がスタートする。 そして公的な判断は多数を救う方向性を持つ。
足を切断しても、火災などが発生している現場から速やかに病院まで運ばれたかどうかは分かりません。 そうなれば間接的に手を下したように感じてしまう可能性すらある。
▲1008 ▼24
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ウチは関西ですが揺れたので1回目で外へ避難しました まわりの家は誰も避難せず犬の散歩してるひともノーリアクションで歩いてました 電信もかなり揺れてて倒れてきそうなのによその家の人が誰も避難しないことが不可解でした 2回目も誰も避難せずうちだけ避難した状態でしたが能登半島には2023年の GWも大きい地震が来たのだから最悪の想定をしなければいけなかったと思います 命あっての物種です バヌアツの法則によるとかなりの高確率で年末年始に大地震がくるそうです 車のガソリンを満タンして駐車場の奥に黒いビニール袋にいれた水2L×6ぐらい備えないといけません 夏にも水不足になったことを思い出してください 明日買いたしにいきます
▲4 ▼17
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旧耐震の建物なんてそこらにいっぱいあるよね? あんな風に横倒しになるのが何かの欠陥ではなくて旧耐震なら起こりえるのか?原因究明は必要やろ。一時、なんか欠陥があったみたいな報道みたけどどどうなん? とにかく、このような悲劇を二度と起こさないためにも行政主導で旧耐震の建物にはなんらかの策を講じてほしいと思う。
▲287 ▼23
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切らなくて正解だよ。 もし切っていたらもっと後悔していたかもしれない。 災害や緊急時などの非常時はとっさの判断で自分の力量を上回る判断をしがちだ。 やらなくて良いこともやってしまえば後の祭りになってしまうからね。 このお父さんは最善を尽くしたと思う。 周りもそう励ましてほしいね。
▲9528 ▼241
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この方のように、子を持つ親として生命と引き換えに我が子の脚を切断出来るか?と言われたら、出来る気がしません。 ここで切らないと生命が助からないかも知れないと分かっていても、もしかしたら脚を切らずとも、救助が来て生命も助けられるかもと思うのと、やはり我が子の脚をと言うのはできないと思います。
▲4570 ▼52
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私も切らなくてよかったと思いますよ。 そのへんの鋸で切って、破傷風や痛みによるショック死もありえますし、出血多量の死もあります。 客観的に見ても脚を切って命が助かる補償なんてないです。 切って、もし亡くなってしまったとして「亡くなる前にそこまでの苦痛を娘さんに与える必要があったのか」というとてつもない後悔に苛まれます。 「何かできる事があったんじゃないか」とご自身を責めたくなる気持ちは痛いほどわかります。 でも人一人が出来る事なんてそんなに多くありません。 その時の最善は、「寂しくないよう娘さんに声を掛ける」「水をあげる」それしかないように思います。すでに果たされています。
▲3209 ▼51
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慰めの言葉も見当たらない。脚の切断は難しい。現場の姿勢にもよるし、痛がる声なども聞きながら完遂できたか分からない。本当に厳しい状況で、個人の力でどうにか出来るものではなかったと思うが、きっとご本人はどうしてもそうは思えないだろう…。何者もこの人を責めることなんて出来ないと思う。
▲2122 ▼38
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娘の足なんて切れない」……私も同じ状況に立たされたら、やっぱり切れないと思います。切れば命だけは助かると分かっていても、苦しむ娘を前にしてのこぎりで足を切るなんてやっぱりできない。もし同じ場所に主人がいたら、主人はきっと娘を生かすために何が何でもやろうとしたでしょう。でもやっぱり私はそんな主人を全力で止めていたと思います。お父さんに自分を責めてほしくないです。
▲1306 ▼32
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東北の震災も、能登の地震も、1秒前まで幸せに穏やかに暮らしていた方々の辛さ苦しみに触れるたび、言葉に言い表せない気持ちになります。「災害に遭わない」ことは無理なので、街の耐震をはじめ避難の心構えやあらゆる備え、していくしかないと思います。
▲437 ▼12
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奥能登でアルバイトする為に 北海道から年末に行って地震にあった息子 地震と津波もあった地区で、高台に逃げる時 助けたくても人の力じゃ無理だったと。 廃人のようになって北海道へ戻ってきた ご飯を食べながらニュースを見て 泣いていた。又、能登の美しい景色がもどり 現地の方々の心が癒される日を願っています
▲332 ▼8
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他人事ではないと思うなあ。大きな地震が来ると言われているから同じような境遇になるものは出る。かなりの数のものが亡くなると言われている。地震はいつ起こるかわからない。地震が起きたところで運命が分かれるだろう。旅行に行って大きな地震が来てなくなる可能性も大いにある。寝ていて大きな地震に襲われるとかあるだろう。
▲410 ▼23
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最愛の娘さんを亡くされたことはどれほどの心痛だったことか… このお父さん、確か取材を何件か受けられていた方かな? 直後にも取材があったように記憶している。 そんなときに、無理して受ける必要なんかこれっぽっちも無いのに… と思いながら、見ていたように思う。 またお店を再開できたこと、何よりやと思います。 亡くなったことを思い出さないようにするために、お店を頑張って再開しようと思われたのでしょうかね。 頑張ってお店、続けられるようお祈りしています。 改めて娘さんのご冥福を
▲52 ▼3
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俺も娘を持つ父親です。我が娘が助かるかもしれないと思っても、娘の足を切断する勇気なんて、そんなこと俺もできません。それをしなかったからの後悔もあるでしょうが、それをしてあげて生きていたとしても、それはそれで後悔するかと。そんな辛い決断、できるわけなどないと思います。今でも娘を思う、妻のことを思うあなたが地獄に落ちることなど、俺には考えられません。
口で言うのは簡単なことで申し訳ないのですが、応援してます、頑張ってください。
▲147 ▼1
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私は娘であり妻でもある立場ですが、もし父や夫がそうした事で苦しみ続けているとしたらそのことこそ辛い。 ご自身もきっと逆の立場なら受け入れたと思うのです。 あくまで私の立場での想像を述べましたが、こんなにお優しい方が苦しみ続けるのは赤の他人でもとても辛い。 到底難しい事とは思いますが罪の意識など持たず、しあわせに生きて欲しいです。
▲158 ▼3
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こうして目の前で娘さんが救助を待つ状況を目にしての葛藤は本当に辛いものであったと感じます。 これは誰を責めることはできない本当に自然の不条理さを表すものだと思いますし、こちらの店主さんも葛藤のなかで最後まで娘さんのためにすぐそばで出来ることを懸命にされてきたのですから、自分だけが地獄に行くなんて考える必要なんてないと思いますが、実際に当事者になった場合、誰でもそのような葛藤を抱えると思いますし、周りも含めて支えていくしかないと思います。
▲58 ▼2
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自分の立場上、亡くなった奥さんの気持ちを考えてしまいました。 生き絶えるその時まで、どれだけ次男君のことを思ったことか。 もちろんどのお子さんのことも考えたと思いますが、とにかく次男君の将来をご主人に託したかったと思います。 うちにも軽度ですが障害児がいるので、自分がもしこの奥さんと同じ状況になったら、自分が死に直面していることより、その子の将来のことが気掛かりでしょうがないと思います。
頼りになるご主人と、姉の意思を継いでくれる次女さんが居ることが、どれだけ心強かったか。
涙が止まりません。
▲80 ▼0
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20年前だったかな?救命病棟24時で、加山雄三さんの息子がドラマで消防士の役されてました。震災で火災が発生し、消火へ急ぐが被災者が彼らに助けてくれと声をかける。それを振り切って火事現場に行く。消防士たちはそれが辛くて辛くて「ごめんなさい、ごめんなさい」といいながら悪夢に魘される…可哀想でした。ホンマに…。現実でもそうなのかと思うと胸が締め付けられる。
▲115 ▼3
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言葉にならない。本当に答えがどうしたら出せるのかというか。もし独りで考え生活していたら人前にも出られなかったのではないでしょうか。あの当時も顔出しで報道されていたが心中想像し難い。どんな励ましも通用しない出来事。客として知らぬ顔で行ったとしても、ふとした瞬間泣いてしまうだろう。それを見られると、また傷を濡らすような思いをさせるかも知れない。平常心を保てる自信がないと思います。それでも何とか応援したいと思う。
▲103 ▼1
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大切な娘さんの足を切断なんて出来るわけないですよ。 私も西日本豪雨の時裏山が崩れ水が引っ切り無しに入ってきて弟妹は知的障害と自閉症 母親は車椅子を使う介護も必要その中で助けを求めても今はいけないとか、私の住むところは水は氾濫したと報告ないとか家の近くの川が程なくして氾濫して水が入ってきて、 近くにお巡りさんとかいるのに待ての繰り返し1時間してやっときて弟妹の順番に助けてもらい次はって時自分の命はいいから頼むから母親を助けてくれと拝み倒して助けてもらい最後私が助けられたと同時に家が音を立てて崩れた。古い家だったから。 後数秒遅れていたらわたしはいない。 地震と豪雨とは違うけど、お父さん頑張って下さい。助けてくれたお巡りさんが明けない夜明けはない。命があれば何とでもなる。って。
▲51 ▼2
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俺なら切れません。 そしてきっと貴方と同じ考え、同じ後悔に至ると思います。 励まされても消えないのは愛があるから仕方ないです。 もっとこうしていれば助けられたのではと考えない日はないでしょう。 最善を尽くした、俺はよくやった、なんて考えには至らないし、達してはいけないと思います。
頑張っている姿に心を打たれました。 素晴らしい父親です。
▲194 ▼2
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「127時間」という実話を元にした映画があるんですが、主人公がロッククライミングをする途中に落石事故に巻き込まれ右腕を断崖に挟まれ立ち往生してしまうという映画を思い出しました。今回の場合は脚なんで腕とは違いますが、この主人公は生きて脱出するために右腕の骨を折ってカッターナイフで切り落としました。麻酔無し且つ体力が落ちている状態で人体の一部を切断なんて誰であろうと普通は出来ない。
▲4 ▼4
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娘さんはお父さんの愛情を最期まで感じながら亡くなられたと思います。奥様も娘さんも天国から優しいお父さんに感謝していますよ。 それでも、自分は地獄に堕ちると言い聞かせ、何もしてあげれなかった自分を責めることで、平静を保ってるのかもしれませんね。 他人がどうこう言えることではありませんが、きっといつか奥様と娘さんに会える、その日が来ることを願っています。
▲63 ▼0
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切れば助かったのかもしれないが、確実にそうだと確証が持てなければ決断などできるわけが無い 消防が来て、助けるためには必要ですと断言するなら覚悟もできるが 切っても助けられなかった場合、余計な痛みと恐怖を与えることになる この方は何も間違ってないけど、生き残ってしまった罪悪感を地獄に落ちると思うことで耐えているのかもしれない 生き続けるのもつらいだろうけど、残されたお子さんたちのためにも少しでも幸せに思う日々が増えて欲しい
▲33 ▼0
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無念だったと思います 親が挟まった足を切断なんて出来ないよ 頑張れもうすぐ助けてあげるからって声をかけながら人の力でで動く事も出来ない瓦礫と必死に格闘したんだと思います 目の前で生き絶える娘さんと奥様を看とるなんて想像を絶する悔しい体験だったと思います 心よりご冥福申し上げます
▲22 ▼2
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足を切っていたらそれはそれでお父さんも娘さんも後悔をしていたと思う。麻酔なしで切られて相当な痛さに耐えて生きても、そこからが大変なわけで色んな苦痛が襲っていたはず‥。年老いて老衰とかじゃない限りは、どんな亡くなり方でも後悔はしていたと思いますし‥。どうか、前を向いて進んでいってほしいです。
▲29 ▼1
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「娘の足なんか切れるか」 差し迫った状況でも、命がかかってても、自分もできないと思う。麻酔もない中で我が子の躯体切るなんて地獄だ。命の交換ができるなら喜んで差し出したやろね。生きてる限り自分を責め続けるんだと思うし、誰にも救うことはできないけど、その大きく開いた傷跡の周りに人生が形を成していく過程で、苦しむ娘さんではなく笑顔の娘さんを思い出せる日が来るといいな。
▲14 ▼3
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「娘の足を切ったら………」と仰っていたようですが、もしそこで切っていたとしても、動脈を切ることになるので、出血多量で助からなかったかと思います。 どこにもぶつけることが出来ない思いを、この先も背負い続けないといけない気持ち、分かるとはとてもじゃないけど言えません。 それでも残された家族と一緒に、この先、生きていってくれれば、天国にいてる奥様と娘さんも安心できるし、待ってくれているはずやと思います。
▲8 ▼0
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ご立派なお子さん達ですね。残された方も、亡くなられた方も。救急隊員がいるのに助けられなかったのは、我が身で考えたら無念ですが、プロの判断だったと思います。ほんと誰も悪くない。自然災害には誰も立ち向かえない。ましてわが子の足を切るなんて、考えるだけで恐ろしい。他の方が言ってるように、そうしても苦痛を与えるだけで助けられなかった可能性が高いです。川崎に行く事があったら、必ず立ち寄らせて頂きます。お身体お気をつけください。
▲5 ▼0
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誰がどんなお言葉をおかけしてもこの方はそういう風に自分に言い聞かせ続けるのでしょう。死んでも天国で会えないから生き続けるのだと、生きる事がご家族への供養なのだと思っておられるのかもしれません。それがこの方の生きるエネルギーになっているのかもしれません。どんなお言葉もおかけする事等できないけど、せめて時が過ぎていったその先にご家族と必ず天国でまた会えると思える日が来る事を祈ります。
▲14 ▼1
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切らなくて正解。足にも太い動脈通ってるし、手術みたいに結紮したり縫合しながら切れる状況ではなかっただろうし、ましてノコギリなんかじゃ安全に切断することなんて無理。動脈切った瞬間、噴水みたいに血が吹き出すから失血死してたと思う。麻酔なしの切断で痛みにもがき、失血死するくらいなら、お父さんが側にいてくれて声をかけ続けてくれる中で最期を迎えた方がはるかにマシだったと思います。 お父さんの気持ちはわかるけどね…。対応は間違っていなかったよ。
▲78 ▼1
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自分も子を持つ親として泣いてしまいました。他の方も言うように、足を切っていたらなんて判断を実行して適切な処置が出来ない可能性が高い中、せめて最後まで寄り添えた事で娘さんにも気持ちは伝ったのだろうと思います。誰かて涙無くして人生は語れないと思いますが、何故が涙が止まりません。日々の生活が忙しいと思いますがお体に気を気つけてお店を切り盛りしてほしいと思います。
▲61 ▼0
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能登の地震があったのは今年の元旦の夕方だったと記憶している。記事を読んで父親の気持ちを思うと何ともとも言えない気持ちになった。悲しすぎる。目の前の家族を救えなかった、消防や自衛隊に頼んでも直ぐに対応してもらえなかった。何も出来ない事にどれだけ苦悩した事だろう。そして辛い気持ちを持ち続けたまま残された家族の為に生活の糧を求めて別の場所で仕事を再開する。家族が巣立った時、気持ちの緊張の糸が切れて心が壊れないと良いけど。世間は次から次へと変わるニュースの中で被災を忘れていくし復興にもお金が掛かるからと切り捨てるような事を言う人もいる。自分がそう言う立場になった時、どれほど辛いか想像力を働かせて被災者に寄り添う気持ちが大切だと思う。
▲4 ▼0
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わじまんまは川崎の砂子にありますね。 手書きの看板で輪島にゆかりのある店だとは思っていたけど、そんな壮絶な体験をしていたとは‥ 機会があれば訪れてみたい店の一つになりました。
▲274 ▼5
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娘さんの足を切らなくて良かったかどうかは第三者なのでわかりません。 ただ、この人の中では『娘さんの足を切らなかった事が良かった』と思い込むことで自分の判断が間違っていなかったなかったと思い込んでいるような気がしてなりません。 『こどもを足を切るか切らないか決めるのは親の権利 』と言えばその通りかもしれませんが、未成年への実際この権利って誰が持つべきなんですかね? 容易に決められる問題でないからこそ皆さんの意見を聞きたいです。
▲2 ▼21
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医療従事者でもなく、麻酔も輸血もない状態での足の切断は危険だったと思います。 人の命に天秤など無いから、これが運命だったのかもしれませんが、目の前にいる大切な家族をどうする事もできない現実を思うと読んでいて涙が出ました。 お嬢さんもお正月で帰省していて巻き込まれたと思うと尚の事悔しいですよね。 今を一生懸命生きて家族を守ってるお父さん。 きっとまたお二人に会えますよ。 ご冥福をお祈り致します。
▲6 ▼2
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色々複雑で思ってしまうけど、ただただ残された人たちが幸せでいて欲しい。幸せと言うのは違うのかもだけど、心が少しでも楽になる状況に。それが、先にいってしまった人達にとっても一番の思いだと思うし。色々な形があると思うけど、本人達一人一人が思うような生活や場所にいられたらいいなと思います。
▲31 ▼1
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元旦のできごとなので、1年前はご家族そろって元のお店、家で迎える普通の年の瀬だったんですよね。 能登を残しての再開も非常にお辛い中での決断だったと思います。 当日の事は何回も記事で見ましたが、ご主人としては絶対に忘れず繰り返しその経緯を抱きしめて生きておいでなのでしょう。 どうかご自分を責めずに再起して頂きたい。
▲5 ▼0
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詳細はわからないけど、足を切ったとしてその後に止血やちゃんと処置が出来たかはわからない。麻酔もなしに体力もなかっただろう人にその苦痛は耐えられなかったかもしれない。かえって致命傷になっていたかもしれない。 切れなかったから亡くなったわけではない。
娘さんもたぶんそんな責任を負わずに生きてくれる事を願ってるんじゃないかな。
▲5 ▼2
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私には父がいます。
もし父が同じように瓦礫に挟まった私を見て、私の足を切れなくても、自分が命を落としても、父には幸せになってほしいし、天国に行ってほしいです。
水が欲しいって水を飲ませてもらったり、お父さんとしてできたことは全てしたのでは、と、個人では思います。(足の切断はお医者さんがいないと命を落とすことですし、切断したら助かっていたかはどなたにもわからないです。そして、本来お父さんがすることでは無いです)だからそれをできなかったと自分を否定しないでほしい。
大好きなお父さんだからこそ、幸せでいてほしい。 そう思うんじゃないかなと、娘として思ってます。
▲13 ▼1
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娘の足なんて誰も切れない。 自分は阪神大震災を経験し震災の辛さは身をもって体験しました。 色んな物を失いましたが、今元気に暮らしています。 「妻は倒壊した家屋の隙間から手を出していた無事に助け出された夫はその妻の手を握り励ましていた。 そんな中パチパチ音がしてすぐ近くに炎を迫っていた。 もうすぐ助けが来るからと励ますものの、妻は握っていた手を離し瓦礫の中に手を引き、早く逃げてと。 そんな中励ます夫は通りがかった人に引き離され一旦その場を離れた。 すぐに妻のいる瓦礫は火に包まれた。」 同じ震災に遭いながらこんな記事を見て、涙が止まりませんでした。 どこの誰だか分かりませんが、この人達の分も精一杯生きないとと思いました。 切ってたら助かったかもしれないけど、お父さんのこと恨むはずがない。 残された者は精一杯生きることが、亡くなった家族への供養やと思います。 新しいお店で頑張って欲しいです。
▲48 ▼1
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大丈夫ですよ、いつか天国で再会できます。 なんて素敵なお父さんでしょう、、 読んでいて涙が出ました。 奥様、長女さんは素晴らしい方だったんですね。 「珠蘭さんが看護学校に進んだのも、次男の将来を考えてのことだった。「パパとママが亡くなっても、私が最後まで面倒を見るから」と言ってくれた。反抗期もなく、優しい性格だった。 地震当時、高校3年だった次女はこの春、珠蘭さんの後を追って同じ看護学校に入学。姉の白衣や聴診器を受け継いだ。」 泣ける
▲33 ▼2
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身動きが取れない娘さんに何もしてあげれないお父さんの気持ちを思うと辛すぎます。 その人によるが、これが海外だったら崩壊を恐れずに、我が身をかえりみず、まだ生きている人を助けていたと思う。 お父さんはやるべき事はやりました。 自分を責めないで欲しい。 大切な娘様と奥様もお父さんの事を天国で見守っていると思います。 一生懸命に生きてください。
▲0 ▼2
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目の前で奥さんと娘さんを助けることが叶わずに失うなんてそれこそ地獄の様な経験だし、今もその後悔と失った二人のことを思って地獄の様な日々を送られてると思います。 その時が来たらきっとお二人が笑顔で迎えに来てくれると思います。
▲11 ▼0
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素晴らしいお父様だなと感じました。目の前にいるのに助けられなかった無念さは計り知れません。でも、お父様のせいではないのにここまで罪悪感を感じて、それでも生きようと頑張ってるんですから、絶対天国でご家族に会えると思いますよ。ですから、これからも前を向いて強く生きていただきたいなと思います
▲3 ▼1
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足を切って仮に助かっていたとしたら「この娘から足を奪ったのは自分」という罪に苛まれて苦しんでいたと思います。だって選択は一つしか選べなくて、それが正解なのかそれ以外が正解なのかわからない。 どうやったってたらればで後悔ってしてしまう気がする。神様って時々残酷だなって思います。ただそこにいただけで命を落としてしまって、自分より大事な物を奪っていく時もあるんだもんね。
▲2 ▼0
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自分のことのように苦しく 涙が止まりません。
私の夫は今、私と2歳半の娘を置いて 住み込みで能登半島で 復興支援作業にあたっています。 復興して街が綺麗になってもきっと大切な人を亡くした心の傷は癒えないと思います。 今生きていること生かされていること 周りに大切な人がいること 全て当たり前ではないのだと改めて感じました。
▲17 ▼0
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ビルの解体をめぐって、交通の妨げ等で早く撤去してほしい 周囲の住民と倒壊原因を調べてほしい楠さんで溝が出来てたように 何度かニュースを見ていて感じてただけに 輪島ではなく川崎でお店を再開されたのはそうしたことも あったのではなかろうか。
どちらのお気持ちも理解できるだけに 将来的には輪島でまたお店を再開できることを願っています。
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倒壊した五島屋ビル、まだ倒壊原因調査中なんですね。 地震の映像が流れた時から「鉄筋であの倒れ方はおかしい」って色んな人が指摘してましたが。。
手前で潰されてしまった建物の中に人が残っているというニュースを見てから亡くなってしまったという一報を聞くまで、どうか助かって欲しいと祈る気持ちでした。 能登地震、発生当初はなぜかあのビルの映像が使われることが多くて。。
お天道様に顔向けできないような生き方をしない限り、地獄へ行くことなんてないですよきっと。 最期までお2人に寄り添い、今も家族を守るためにまた頑張られているんですから。
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ビルがなければと思わずにいられないですね。元々廃墟ビルだったのかな?地震とかあると、そういうのが怖いですね。普段は意識しなくても突然脅威になることもあるとは。救助が間に合えば助かった命も本当にもったいないし、そんな事が現実に起こったら一生引きずるよね。
▲13 ▼14
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阪神大震災で被災しました 天災に見舞われて、助けられない命があったとしても、それで地獄に行くことなんて絶対ないです! 自分が犠牲になってたかもしれない、本当に紙一重です 被災した人はみな、誰かの犠牲の上に生きています 犠牲になってくれた方、自分だったかもしれない、だからこそその人たちの分もしっかり生きなきゃいけないと、毎日ではないですし、実際そんなに立派にも生きられてはいませんが、それでも折に触れ感じて襟を正します それこそ天国で再会した時に、あなたの分までちゃんと生き抜いたと、胸を張って伝えられるように…
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今年は前を向く1年でした。 つまづいて立ち止まりもしましたが、時間は待ってくれません。失ったものにも目を向けつつ、それでも残された者の責務のようなものを抱えて生きました。 あと少しで震災から1年経ちます。 その時は泣いてしまうかもしれませんがまた前を向いて生きようと思います。
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辛過ぎます… 自分に置き換えて想像したくもない悪夢です。 ずっとその時の思いや映像が残り続けていくのだろうと思うと…言葉の掛けようがありません。 奥様も娘さんも残されたお父さんと息子さんが笑顔で生きていかれることを願い見守っていることと思います。 また数日で新年を迎えます。わたしのところでも娘家族や息子家族が集まりますが、決して忘れないようにこれからは毎年先ずは家族で手を合わせたいと思います。
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難しい問題ですね 目の前で苦しんでいる家族がいる一方で、体制も機材も揃っていなかった消防隊や自衛隊も苦しかったことでしょう 足を切っていたら助かっていたかもしれないけれども、素人が切って余計に苦しませて死なせてしまった可能性もあるかと思うと、今回のお父さんの行動は最善の行動だったと思います
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現場で苦しみ弱わって行く娘さんや奥様を目の当たりにして感情的に「足の切断」と言うが、切ってしまう途中で様々な事態(出血や痛みへのアフターケア)が出来る状況とは思えないから、残念だが到底救助は難しかったと思う。しかし、彼女が望んだ「水」を与えてあげられたし、側で声をかけ続けた。力尽きるまで、彼女達は苦しみながらも不安を和らげていたと思う。 「お父さんは生きている!」と。だから、そんなに自分を責めないで欲しい。
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自分もまだ小学生の娘がいるけど、同じ状況で娘の脚を切るなんて決断は出来ない。考えるだけでも涙が出てくる。どっちを選んでも地獄の状況で、自分だったらその場で一緒に自死したくなる。 このお父さんはめちゃくちゃ強いよ。絶対地獄なんて行かない。ちゃんと奥さんと娘さんが天国に手を引っ張っててくれるよ。
▲21 ▼0
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どんな言葉をかけても慰めにも癒しにもならない。足を切り落としたら生きていたかも…後悔と懺悔の日々を妻と障害のある弟さんのために看護師になられた立派な娘さんを亡くし懸命に生きているお父さんに決して地獄行きなんてありません。残された娘さん、息子さん達の為にも命尽きるまで日々ご自愛しながら生きてください。
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>すぐ近くで起きた火災を消すため、消防車両が何台も通り過ぎた。助けを求めて車両の前に立ちはだかると「火事が優先だ」と言われた。 自衛隊にも助けを求めたが「(2次被害の恐れがあり)隊員の命が危ない」と言われたという。
断った方々も断腸の思いだったでしょう。 身を切り刻まれるような経験をした方に、掛けるべき言葉を私は知りません。
せめて、胸に溜め込むことなく、思いを自分の外に出してください。 このような取材に応じることもよいでしょう。 あなたの重荷を共に背負ってくれる仲間が見つかることをお祈りします。 そして忘却と共に、時の流れが心の痛みを和らげてくれますように。
▲5 ▼2
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それまで、髪の毛一本すら愛おしく大切に育てていた我が子のそれも体の一部を、いくら緊急事態だからとはいえとっさに切ることが出来る人間はまずいないと思います。 むしろ、出血多量や傷口からの感染で死に至る危険の方がよほど高いと思います。 更には、それ程の苦しみとリスクを侵してでもお子さんが助かったとしても、その後は間違いなく茨の道です。場合によっては傷害罪どころか殺人罪が適用されたかもしれません。
となると、他のお子さんやご親族は間違いなく今の生活を送れてはいなかったのは確かです。
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涙を流しながら、記事を読み続けました。ずっと娘さんのそばにいてあげて、ずっと声をかけてあげて、きっとお父さんの心が痛みながら、大切な娘さんを見守ってあげて、娘さんは幸せだったとおもう。お父さんの気持ちが切なさって表現しきれないとおもう。
どうか、残りの人生、悲しみが少しでも楽になりますように、
奥さんと娘さんの分、生きてほしい
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この記事から私は何を感じ取れたのか、考えられたのか… 彼が背負っている罪悪感と責任感に比べたら米粒ほどのことしか考えられていないはずなのに辛く悲しい そして、今後、こんなにも辛い思いをする人が一人でも少なくなるよう政治家だけでなく私達も何かできることを考え実行したいと思った
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こんなに家族思いの人が、地獄になんか行くわけがない。 自然が引き起こす大災害を前にすれば、誰しもが無力だ。奥様と娘さんを天が引き取ることになったのは、大きな大きな不幸だった。
誰も責めないよ、お父さん。 どこの親でも、家族の足を切るなんて漫画みたいなことできようはずもない。もしやった挙句に助からなければ、余計に自分を責めてしまうでしょう。
助かった命だ。娘さんや息子さんと一緒に、精一杯生きてほしいと思う。それは苦しいことなのだろうし、時間が解決なんて無理かもだけど。
これ以上に辛いことが、この家族に起こらないように願う。そして少しでも心穏やかに過ごせる時間が増えていきますように。
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絶対に助けが来ないような場所だったら私なら泣きながら吐きながら切ると思うけど、もしかしてもうすぐ、後少し待てば助けが来るかもしれない状況だったら切れないと思う。 もう少し待っていれば切らなくて済んだのにと後悔するのが分かるから。 結果的に間に合わなかった。それは助けなかったんじゃなくかわいい子供の最善を考えての結果です。
▲2 ▼2
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足を切っても無理だったと思うよ 長時間瓦礫に挟まれてたってことはクラッシュ症候群になってるから
悪いのは昔の耐震基準の建物が残ってるせいなので 耐震補強工事を義務付けた方がいいよね
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二人がいないこの世が地獄に感じる瞬間があると思います。 お二人にはいつか会えると思います。
私は石川県の隣県で、被害はありませんでしたが、私にとっては経験したことのない揺れでした。 安堵していた傍でこんなことが起きていたと思うと、非常に心が痛みます。 生きているうちに自分にできることを頑張ります。
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足を切っていれば娘は助けられたかもしれないというのがどうしようもなく切ない。自分も娘がいるから、もし同じ状況に立たされたらと思うと…。 そう考えるとご主人は、娘が生きている時に助けてくれなかった消防隊や自衛隊を恨んでいないのだろうか、と考える。助けられなかったから自分は地獄へ行くのではというのは、口に出さなくてもそういう思いがどこかにあるのかも知れないと感じた。だってもし私が同じ立場ならきっと彼らを一生恨むだろうから。仕方ないと理解は出来ても、心で納得は出来ないと思う。
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できることを必死でされたのだと思います。 同じ子を持つ親として、自分だったらどうするかと自問していますが答えは出ないです。 極限の現場で下した判断が全てだと思います。 こんなにも頑張った、そして頑張っている人が地獄になど行くはずないと思いたい。 必死で立ち続けている事実に尊敬の念で一杯です。
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関係ない話しですが、石川の隣県の新築マンションを3年前に買った。 震災時は震度5強でものすごい揺れた。 新築間もないとたかを括っていたが、あちこち壁紙に亀裂や、スライド扉がゆがみ開かなくなった。 聞くと耐震構造にはなっているが、震度7がきたら耐えれると言うだけで一度きりだと。 2回震度7がきたらアウトだと言われた。 初めて耐震構造の意味を知った。
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お父さんは何も悪くありません! もしそうしたら、出血多量で更なる痛みの中、最期になったかもしれませんし。 出来ることを全てやられたと思います。 私だったら絶対に今も仕事再開できてないと思います。 本当に頭が下がります。 本当に立派です。
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何が正解わかりません。ただ家族のそばにいて声をかけ続けたことは絶対正解だと思いたい。お父さん、夫としては辛いかもしれないが誰も側にいない中、亡くなるのは故人も心細いと思う。地獄になんかいかないよ。やれることをやったんだから命が尽きるまで人生を全うすれば、きっと天国で会えると思う
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切れるわけがない。 隣のビルの関係者にも通り過ぎていった消防車にも自衛隊の方にも複雑な思いがあったと思います。誰も何も間違ったことはしていないと分かっていても、抑えようがない気持ちが出てくると思います。目の前で助けたい命が消えていく現実なんて、考えられない。 今も一生懸命に誠実に生きてらっしゃる事に尊敬しかありません。
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足なんて切断したら出血多量で命を落とすのは冷静に考えればわかる 草刈機で太ももの動脈切断しただけでも命を落とすのに 残念だけど消防も自衛隊も救い出してくれなかった悔しさはあると思うけど どうすることもできなかった状況だと思います。
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かつて私の身内に林業を営む者がいたのですが、その知人が仕事中の事故にてチェンソーで片足を失い、救急車で病院に運ばれる途中で出血多量で亡くなられたそうです。 もし足を切っていたらもっと早く、しかも苦しまれてこの世を去られていたのかも知れません。とても辛いことですが、このお父さんは後にも先にも、正いと思いますよ。
▲16 ▼3
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そうか、いざとなったら親は子供の足を切る覚悟も持たねばならないのか。そのことを考える時間をくれてありがとうございます。多分この話を読んでなかったら、私だって子供がいざそうなったときに切る覚悟なんて持てないと思う。でも今読んだから、もしかしたら覚悟を持てるかもしれない。分からないけれど。でもそんなこともあるんだと教えてくれてありがとうございます。
▲1 ▼0
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阪神の震災で友人のお母さんを助けられずに逃げました 生きていたのに、声も聞こえるのに、大人達が半狂乱のように必死になっても、おばさんの上の瓦礫を動かす事が出来ませんでした 火が近づいて来てあんなに怖い状況で、おばさんは「もうええから逃げて!○○をお願いします!」と言ったんです 叫ぶみたいに嫌や嫌や!お母さん!と泣く友人を父が無理矢理抱えて、泣きながら逃げました 「くそ…っくそっっ!」と父が歯を食いしばって泣く姿を初めて見た 火が消えた後、あの場所に戻るのが怖かった 無力なこどもだった私でも抱えきれない 当時大人だった人達は、きっともっと重いものを抱えている あの時の後悔、逃げた申し訳なさ、おばさんの気持ち、色んなものをぶつける場所が天災には無い 「仕方が無かった」「悪くないよ」と言われても、どうしても無理なんです きっと死ぬまで忘れない
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出来る訳がない。ブラックジャックじゃあるまいし。失血か感染症で死に至るリスクがある。 息はあったが、どうすることもできなかった。 息子のために強く生きて欲しい。俺も知ってるくらい有名なんだから、クラファンでお金集めるのが良いと思う。気の毒に思って応援する人は多いと思うよ。
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ノコギリは、無理じゃないでしょうか。せめて斧なら勢いでスパッといけるかもしれないけど、ノコギリでギコギコは無理だと思う。医療で腕や足を切断する時もあるけど、麻酔かけてやるでしょ。もしも素人が切ったとしても感染症や痛みで助かったかどうかわからない。切って助け出せばすぐに病院で治療できたってわけでもないし、その時できる限りのことをされていると思います。
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お父さんの気持ちを思うと涙が出ました。。 自衛隊の方が助けてくれていたら、と 思うでしょうね。 神戸の地震の時も 多くの人ががれきの下から声が出ていて、家族がやはり自衛隊の方に助けを求めていましたが、同じ理由で自衛隊の方たちはそこに立っているだけでした。
声がだんだんと小さくなる中、家族としてはどんな思いだったでしょうか。家族でなくても何とかしてほしいと思いますよ。 海外の人もそのテレビを見ていて、声が聞こえているのに何もしない と憤っていました。
▲3 ▼12
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確かに火事が優先だし、自衛隊員の安全確保が優先ですよね。 私も親として娘の脚を切る決断をするかどうか。もし救助が間に合えば、、、脚が無い人生は大変だと思うし、心の重石になるだろうし。一緒に助けが来るのを待ちながら、ずっと考えて迷ってたんでしょうね。
▲3 ▼0
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想像を絶する程の辛い経験をしたのですね、自分なら耐えられるか自信がないです。貴方の乗り越えようとする努力と決意を神様は必ず見てくれてるから、ご褒美にきっとあちらの世界で再会できると思いますよ。再会したら話したい事をたくさん用意しておかないと、それまでは、悔いのないようにお過ごしください
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大変お辛いとは思いますが、亡くなられたご家族の夢や希望を生き証人として伝えて行く事が大切だと思います。 軽々しく言葉にするべき事ではありませんが、辛くても生きてください。 震災の出来事を風化させないためにも、生きて伝えて頂きたいと思います。
▲0 ▼1
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慰めになるとは思わないが、奥さまと長女さんはご主人がこの世から去る時にはきっと迎えに来ると思う。残された子どもたちのために仕事に励まれる事と思うが、どうか体を大切にして再会の日に備えて欲しい。
▲5 ▼0
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ご主人、とんでもないお辛いご経験でしょう。
例え生かすことができるかもしれなくても、 大切な我が子を傷つけるなど到底出来ないでしょうに、それすらも頭をよぎるくらいの修羅場だったと。
大切な弟さんを守るために看護学校へ進学されたと聞いては益々言葉もありません。
わたしの親類にも障害を持つ方がおり、 その姉は面倒を見ると誓い、 今も独身です。
それくらいの覚悟を近くで見ておりますので、 ご主人の長女さんへの誇りとそれ以上の喪失感を想像してしまいました。
ただ僭越ながら、ご主人は地獄へは行かないと信じます。地獄では奥様とご長女に逢えないではないですか。
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娘の足なんて絶対に切れないだろうなぁ。 ガレキに挟まっても頑張って生きてるのに 何も出来無いもどかしさ、悔しさ。 想像を絶します。 他にも家族がガレキに挟まって火事が迫って来て どうしようも無く(結果的に)見殺しになってしまった と言う話もあったよね。 もう1年くらいになるけど、現地の状況は ほとんど変わってない。 地政学的なものも有るかもしれないけど、そんな中、 裏金だ、選挙だとか言ってほとんど何もしていない 行政は、もう終わりなんじゃないだろうか。 来年こそ平穏無事な1年になる様、祈るばかりです。
▲125 ▼14
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そんな事言わないで 娘の脚を切るなんて出来なくて普通だから 0.1%でも希望を見つけたいと思ってしまうのが親心だから
ここで切らないと命が無いってわかっているなら出来るかも知れませんが そんな判断出来ないはず
間違いなく天国です いつか会える娘さんに頑張ったよって報告出来るようにご自身を大切になさって欲しいです 急いじゃ駄目よ
貴方様の胸の中で娘さんは生きていらっしゃるのだから
私も最愛の父を亡くしましたが 父を心から思う自分を大切にする事が何よりの供養だと思っています
元気出して欲しいけれど 沢山泣いても悲しんでも良いのでは無いでしょうか
会いたい気持ちだけはどうしようも無いのだもの
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脚が挟まれて会話もできる状態の時間と記憶はあまりにも残酷です。読んでいて胸が締め付けられる思いでした。良い方向で記憶が薄れて欲しいです。残されたお子様2人とお幸せなりますよう願っております。
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この方の次男さんが発災当時に被害状況を詳しくXに投稿し、助けを求めていたことをよく覚えています。医療現場でのトリアージのように、緊急時こそ優先順位をつけなければ助けられる命が助けられなくなることはよくわかります。それでも投稿を、暖かい部屋でのんびり見ている自分に非力さを感じたことをよく覚えています。
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切ったとしても 感染症もあるし、そもそも止血方法が 難しい。私は大地震は全てを失ってしまうということを阪神大震災で経験したので 何が最善だったかってのを考えられるのは 今、思い起こすことができるから。 もう過ぎた時間は戻らないので 前を向くしかない。
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