( 241566 ) 2024/12/30 04:43:59 0 00 (c) Adobe Stock
2024年は斎藤元彦兵庫県知事の報道であふれた年だった。パワハラが事実かどうかが確定していない段階で「パワハラ疑惑」報道をしていたマスメディア各社に対して、元安芸高田市長に石丸伸二氏は「あれは本当にひどかった。まるで公開処刑のようだった」と振り返る。
マスメディアの報道はいかにあるべきなのか。どのように改革すべきなのか。同氏に聞いたーー。みんかぶプレミアム特集「オールドメディア vs SNS」第9回。
ーーテレビや新聞の一部はこのままでは潰れてしまうかもしれません。ただ、マスメディアが無くなると民主主義の維持にも影響が出ると思います。どのようにすれば、健全なメディアを維持できるとお考えでしょうか?
石丸伸二(以下、同)
まず、健全なメディアが必要だということは大前提です。これがなければ、民主主義は成り立たないでしょう。ただし、ネットメディアだけでその役割を完全に代替するのは難しいと感じます。ネットメディアはやはり玉石混交で、マスメディアにしか担えない役割があります。その役割に早く気づいて、目を覚ましてほしいと思っています。
最近では、テレビが「今日のSNSの話題」といった具合にネットメディアの情報をこたつ記事的に拡散しているのをよく見かけますが、本当にしょうもないと思います。そんなものを、電波という貴重な資源を持つテレビ局がありがたがって扱ってる時点で、もう終わってるなと思います。
それよりも、テレビや新聞は、自分たちにしかできないリソースを必要とする仕事、例えば裏を取った信憑性の高い情報を視聴者に届けることに集中すべきです。ネットメディアではまだそれができていないので、マスメディアがその専売特許を生かせば、十分に生き残る余地があるはずです。
また、この問題はテレビ局や新聞社だけでなく、スポンサー企業や広告代理店の性質にも一因があると考えています。
ーー現在のテレビや新聞は、ジャーナリズムとして十分に機能していると思いますか?
全くダメだとは思いませんが、機能していないケースも時折見受けられます。市長時代にも感じましたが、日本特有の「周りの空気に流される」傾向がマスメディアにもあるように感じます。報道記者は、競争のリスクを恐れるあまり横並びになり、結果として全体的な質が低下してしまう傾向があると思います。
しかし、これは今に始まった話ではありません。例えば、太平洋戦争中は「軍部の暴走」などと教科書ではまとめられていますが、様々な文献を調べると、実際には、メディアが国民を煽っていたことがわかります。これは当時の権力構造や癒着が背景にありますが、本質的には、メディアが内包している「横並び意識」が原因の一つでもあります。
こうした歴史を振り返ると、これは現代特有の問題ではなく、メディアが抱える「長いものに巻かれる」意識によって起きうることだなと感じています。
ーー兵庫県知事選では、斎藤元彦知事のパワハラ疑惑が報じられましたが、結果的に「確証は得られず」と認定されました。それにもかかわらず、メディアが一斉に報じたことで、選挙に大きな影響を与えたように思います。このような選挙を見て、どのように感じられましたか?
そもそも、今年の3月から5月にかけての報道の仕方は酷かったと思います。疑惑の段階でしかない話を、まるで既成事実であるかのように大々的に報じ、さらにそれを連日にわたって面白おかしく取り上げていました。あの時のマスメディアは冷静さを失い、興奮状態に陥っていたように感じます。結果がどうだったかは別として、そのやり方自体に問題があったと思います。それは、本来マスメディアが取るべき姿勢ではなかったはずです。
あの時点で、兵庫県知事が「とんでもない悪人」として扱われ、世論が一方的に傾いた状況は、恐怖感を覚えました。疑惑の段階であそこまで報道されると、まるで公開処刑のような状態になってしまいます。さらに、その状態を静観しているようにも見えた議会にも問題があったと思います。本来であれば、県知事を問いただすのはメディアではなく議会の役割のはずですが、議会は沈黙を続けていました。
そして、メディアが騒ぎ立てるから仕方なく百条委員会を設置し、その結論が出る前に、様々なデータが出てきたからと不信任案を提出し、可決してしまった。この一連の動きは非常に拙速であり、議会は本来の役割を果たせていなかったように思います。
石丸伸二
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