( 241618 ) 2024/12/30 05:49:02 2 00 国産50ccバイクが終了!? ということで最速の50ccマシンを振り返ってみた&GP 12/29(日) 22:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/4b85399b5635f31273a3a1026e80e39877319c04 |
( 241621 ) 2024/12/30 05:49:02 0 00 ホンダ、1987年式「NSR50」
2025年をもって50ccの原付マシンが姿を消すというニュースが世間を騒がせています。同年に50ccにも適用されるようになる排出ガス規制に、現行モデルでは対応できなくなるというのがその理由。それ以降は125ccモデルをパワーダウンしたバイクが原付一種扱いとなり、原付免許で乗れるようになります。
125ccの車格を持つバイクに原付免許で乗れるのは、ある意味うれしい部分もありますが、最高出力は4kW(5.4PS)以下に抑えられるとのこと。かつて50ccマシンのパワー上限値は7.2PSで、多くのマシンがその数値を達成していた時代を知る者としては少し寂しさも感じます。そこで、その時代に“最速”なんて呼ばれていた50ccマシンを振り返ってみました。
1989年式「NSR50」
最速の50ccマシンとして多くの人が思い浮かべるのがホンダの「NSR50」でしょう。1987年に初期型が誕生し、最高出力は7.2PS/10000rpmを発揮。前後12インチのホイールでキビキビしたハンドリングを実現していて、当時の峠やミニサーキットを席巻しました。1989年にはモデルチェンジし、サイレンサーの位置が高くなり当時のGPマシンのようなルックスとなります。
ただ、サーキットを走る人の間では、前期型のサイレンサーのほうが高回転が伸びるという話も多く聞かれました。実は筆者も高校生のときに初めて購入したのが「NSR50」でした。中古車だった上、すぐにミニサーキットに通い、数え切れないほどころんだので、あっという間にボロボロになりましたが…。でも、そういう高校生が当時はいっぱいいたんです。
1995年には再びモデルチェンジを受け、ホイールが6本スポークに。それ以外にもインテークチャンバーが装備され、点火方式が見直されるなど細かな進化を遂げています。足回りにもプリロード・アジャスター機構が採用されました。ただ、排出ガス規制が厳しくなったことで1999年モデルを持って生産を終了してしまいます。
1987年式「NS50F」
「NSR50」と同じ1987年に登場したのが「NS50F」。こちらは前後17インチホイールを採用したいわゆるフルサイズと呼ばれる車格でした。最高出力は7.2PS/8000rpm。エンジンの基本設計は「NSR50」と共通ですが、ポートタイミングなどが異なるようで、「NSR50」のシリンダーに替えると高回転が伸びるようになるという話もありました。
翌年の1988年には早くもモデルチェンジが行われ、排気ポートやマフラーの形状などが見直されています。さらに1989年にもモデルチェンジを受け、最高出力の数値は同じですが発生回転数が10,000rpmとなり、高回転が伸びるようになりました。モデルチェンジサイクルの早さに、この時代の50ccスポーツモデルがいかに激戦であったかが現れていますね。
ちなみにこのマシンをベースにHRCが「NS50R」というレース専用モデルも販売していて、17インチのフルサイズのミニバイクレース入門機として支持を集めていました。また、同系列のエンジンを搭載したフルサイズの「NS-1」も1991年に登場し、タンク部分がメットイン構造になっている作りが話題になりましたので、そちらを覚えている人も多いかもしれません。
1994年式「TZM50R」
ヤマハが「NSR50」に対抗するために1994年に投入したのがこのマシン。それ以前の同社の12インチモデルには「YSR50」がありましたが、これは空冷エンジンで最高出力が7.0PSと劣っていたため、17インチの「TZR50」の水冷エンジンを搭載して登場しました。この「TZR50」も7.2PSを発揮し、評価の高いマシンでした。
エンジンはポート形状や点火タイミングなどが見直されていて、ベースモデルよりも高回転型に。既にレーサーレプリカブームが下火になっていた時期ですが、市場での売上というよりはミニバイクレースで「NSR50」に負けっぱなしではいられないというヤマハの意地を具現化したようなマシンでした。1993年にGP250で世界チャンピオンを獲得した原田哲也のレプリカカラーが登場したのも、個人的には胸熱だったのを覚えています。
1985年式「RG50Γ」
「NSR50」や「NS50F」が登場するまで、50ccクラスで“最速”と呼ばれていたのが「RG50Γ」です。登場したのは1982年ですが、最高出力は既に7.2PSを発揮していました。スズキの2ストレーサーレプリカの代名詞になっている「Γ(ガンマ)」という名称が初めて用いられた市販車もこのマシンです。
1988年にはフルカウル仕様が、1989年にはカウルレスで丸目仕様の「ウルフ50」が追加に。登場時はフロント17インチ、リア18インチというホイール径でしたが、1990年からは前後17インチとなり、1995年まで生産されていました。7.2PSの上限馬力を達成した水冷エンジンに6速ミッションというその後の原付スポーツマシンの基本となる組み合わせは、このマシンから始まったといえるモデルです。
1991年式「KSR-Ⅰ」
“最速”と呼ばれてはいませんでしたが、独自の世界を築いていたのが「KSR-Ⅰ」です。登場したのは1990年。その頃、少し流行っていたオンロードとオフロードを組み合わせた“スーパーバイカーズ”というレースのマシンを模した作りでした。エンジンの出力は7.2PS/8000rpmで、フロントフォークには倒立フォークを採用しているのが当時は新鮮に見えました。
ホイールは前後12インチですが、ややブロックタイプのタイヤを履いているのがスーパーバイカーズっぽいところ。ホイールは2ピース構造で、ミニバイクレースなどに使用するには重くて剛性が低かったようです。排気量が80ccの「KSR-Ⅱ」もあり、2ストロークエンジンが規制によって姿を消した後は、4ストエンジンを搭載した「KSR110」にバトンを渡すことになります。
<文/増谷茂樹>
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( 241622 ) 2024/12/30 05:49:02 0 00 =+=+=+=+=
原付デビューは友人のお兄さんから5000円で譲って貰ったスズキのマメタン。次がセブンスター3個で譲って貰ったロードパル(通称ラッタッタ)。次がカワサキのAR50だったな。当時はホンダのMBX、ヤマハのRZ、スズキのΓが人気でARは私の友人知人の間では人気がなくて誰1人乗ってなかったので凄く目立った。おかげで少し乗らせてくれとか、知らない他校の人に跨らせてくれない?なんて言われてました。小学生の頃に月刊オートバイで見たZ400GPのカワサキグリーンに憧れてカワサキが好きになってバイトして買ったAR、とても良いバイクでした。
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若い頃店に飾ってあったホンダのNS-1に心奪われ即購入。ギア付きは乗ったことなかったので、引き渡しから自宅まで車通りの少ない路地をエンスト繰り返しつつ練習しながらマニュアル操作を独学で学んだ。かなり至難だったが3日でコツを掴み、一週間でモノにして、一ヶ月通勤使う間に完全に手足のように操る事が出来た。NS-1の17インチタイヤはスクーターの小さいタイヤより接地の安定感があって長距離も楽に走れる。7000回転位からのパワーバンドの加速が素晴らしく、すっかり2スト愛好家になり今乗っているスクーターも2ストです。 ホンダNS-1はこれを期にリメイクしてほしい。
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原付のヘルメット着用規制が始まった年に免許を取ってバイクデビューしました。 当時『ペリカンロード』にハマッていたので主人公の愛車と同じ白い MBX50(規制前)に乗ってました。良いバイクでしたね。 何と言っても速かった!
その後中免取ってバイクも中型になり、原付とは疎遠のまま、結婚を機にバイクを降りました。 この度通勤使用の為、15年振りのリターンライダーですが、愛車の乗り換え、同じ「絶滅危惧種」(笑) の中古車なら 50ccスクーターかピンクナンバー 125cc か、どちらにするかで悩み中です。 通勤のみなら 250ccはもて余してしまいますので。可哀想な現愛車フォルツァ(笑)
…出力規制の新原付?…興味ナシです(笑)
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3/4worksっていうキャッチコピーでNSR50はデビューしたんじゃ無かったですかね?
物凄く沢山のレーサーを育てたNSR50。 現在進化は止まってしまいましたが、クワンタム、オーリンズ、ナイトロン、ホワイトパワーなどの名だたるリアサスの選択肢がある小さな巨人です。 タイヤもコンパウンドが選べてレーシングレインタイヤ迄揃います。
純正でA.Bと刻印のピストンとシリンダーがあり、これだけこだわった原付は他に無いです。
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原付免許を取得して初めて買ったバイクは1982年式のスーパーカブ50SDX。当時若者でカブに乗ってる人は皆無に近い状態でしたが天邪鬼な自分は敢えて選びました。角目の初代モデルでカブ史上最強の5.5PS、メータースケールは80km/hまで表示があり、加速は鈍いが伸びが良く引っ張れば振り切るくらい出るので、規制後のMBXなんかをカブで追い抜き快感を覚えていたという歪んだ若者でした。その後永く通勤に使い、維持費が安く丈夫で壊れないので40年以上経った今でも現役で乗ってます。
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RZ50に乗ってましたけどね… 2ストローク全盛の時代で遊び心もあって楽しかったな スクーターも2ストが通常だったし 6年くらい前かな125のスクーター買いに行って当然2ストかと思ってたらそんなのは10年くらい前に無くなりましたと言われた 自分の情報弱者ぶりが情けなくなった つかずっとバイクの世界から離れてたんだけどね
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RZ50とMBX50に乗ってたけど、どっちも60km/h規制前のエンジンだったから110km/hくらいのスピードは出てた、スピードメーターも100km/hまでは表示されてたし、あと免許証とった翌年に原付バイクのヘルメット着用が義務化された。
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中免取るまで、よく友人のΓ50やRZ50と自分のスクーターを変えっこして乗ってました。 小さいなりに普通のバイクと同じ挙動で、ステップアップの練習にはとても良いバイクだったと思います。
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自分は、NS50Fに高校生の頃に原付免許を取って乗ってたな…30kmを超える頃から2ストのバリバリ音が強烈になっていくんだよな、何ちゃらカットって部品が流行っていたのも覚えている。(何ちゃらって言ってるけど、その頃のバイク乗りは知ってるはず)
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原付を取得してMB50でバイクの基本を習得したわ 長い下りを走ってメーター読みで100kmくらいになったらメーターワイヤーが切れた思い出が・・・ 中型、限定解除も取得出来た基本はMBで培った CB50も乗ったが燃費は良かったが2ストと比べたら遅かった
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モトチャンプの企画でNSR50とGSXR750がレースしてGSXRが勝ったが最後のストレートまではNSRが勝ってた。 峠の下りではNS-1とZXR750ではNS-1が勝った。 NSR50の速さは異常。
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2003年式のモンキースペシャルの新車をビニールをかけたままリビングに飾っています。たまに気が向くとビニールを外して眺めたりしてます。、50cc終了なんですか?知らなかった…もしかして価値とかあるんですかね?
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高校時代は南海部品に通い安いパーツを組んでバイクをいじる毎日、楽しい時代でしたが今思えば五体満足で過ごせたのは運が良かっただけだった。
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国産ではないですが昔乗っていたApriliaのRX50は完全フルサイズのオフロードでノーマルのままで80キロ以上出ました。エンジンはSUZUKIじゃなかったかな?
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初めて乗った愛車はRG50Eでした。いじるお金がなかったので、ノーマルであっちこっち乗ったなぁ〜 ホンマに良い思い出ですね。
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MBXの初代のブラック乗ってました。速くて、125並の風格有りました。エンジン音が高くて、テンション上がりました。
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ここに出て来ませんがDT50とJOG-Zに乗りました。 どっちも楽しいバイクでした。 また乗りたいけど今の身体じゃ操れなそう
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HONDAの初代CB-50に乗ってたけど当時国道3号線を 最高125kmで走った記憶が ハンドルが超軽くなって恐ろしかった
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7.2PSの上限馬力を達成した水冷エンジンに6速ミッション
それを最初に実現したのはRZ50 、次がMBX50 、ガンマは3番目でした。
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高性能に全振りした水冷ツーサイクル とにかく売れに売れましたね、携帯電話のない時代、みんなバイクに金を使ったね
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懐かしい…NSRはチャンバー・スプロケ・CDI交換で120km出てたよな…原付免許で乗れたけど今考えると危ないよね
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12インチならNSR50 17インチならTZR50 ノーマルならTZR50が1番だが、 アフターパーツの豊富さ、汎用性を 考えるとNSR50 オフならCRM50
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Nチビはほんま速かった。 ドラエモンヘルメットとか尻尾付けてる走り屋も沢山いたな〜 カストロオイルの良い匂い出して走ってたわ。
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Nチビでレース活動をして 将来の子供の為にと 最終モデルのNチビを新車で買って 屋内保管 走行距離ゼロ 子供は興味ナシで そのまま保管中 めっちゃお宝持ってる気分やわ
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市販車最初の7.2馬力は空冷RG50E
最高速試してたら、後ろから ウゥーーン、というサイレンが聞こえてきたあるある…
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俺もRGγ50乗ってたメーターで90キロは出たなw あと試験場でおばさんかスクーターでウイリーしてたの懐かしいな 2スト全盛で馬力あったもんな
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7.2馬力の第一号はスズキRG50Eでしたね カワサキAR50が続いてRZ50から水冷の時代が始まりました
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CDI交換のライトチューンならNS1かな。 POSHのレーシングCDIだけで、恐ろしい加速になった。
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この記事でRZ50初期型、最後の国産市販2ストマシンとなったRZ50後期型を出さないとは。 何たるモグリな記事だ。
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規制前なら 7.2馬力のヤマハRZ50、SUZUKI RGΓ50、ハスラー50 規制後ならヤマハJOG-ZZ、HONDAビート、NS1辺りだろう
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バイクもスクーターも乗ったことないけど,クルマの免許あるから125買うぞー!ブォンブォーン!!
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ノリダーが好きで、GAGやYS-Rと小っさいの乗り回してたなぁ。 自分のじゃなかったけど・・・
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今の125ccスクーターと同等の最高速が出ていたな。
▲17 ▼0
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カワサキにはAR-50というフルサイズの2stがあったけどね
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チャンバー、CDI、エアクリ、スプロケ これだけで充分速かった
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規制前のMBX50に乗ってた。たしかメーターが140キロくらいまであった。規制後のやつはビキニカウル付き。
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JogとかDJとかのスクーターも良かったよ
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リミッターが搭載され出したのもこの頃からかな?
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買ってすぐは7.2馬力を実感できるが、その後は非力すぎて乗れない。
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RZ-50がランクに無い 50ccで100kmでる原チャリだった
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規制前のMBX50とか
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50㏄2気筒は市販されなかったな。
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なんでTZR50Rが無いの??!!
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CCレモン50♪
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Gダッシュ、Hi-up-R•••••忘れてはならない
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CRM50
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