( 241709 )  2024/12/30 14:56:43  
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松永拓也さんは、2019年に池袋暴走事故で妻と娘を失った被害者遺族であり、この事故後に交通事故の防止や犯罪被害者支援の活動に取り組んでいる。

飯塚元受刑者との会話や面会を通じて、加害者と被害者双方の苦悩を理解し、過失であった事故を防ぐための活動を行っている。

しかし、その活動には批判や誹謗中傷もあり、中には殺害予告をする者まで現れた。

松永さんはこれにも毅然と対処し、更生の機会を与える姿勢を示している。

事故から5年が経つ中で、松永さんは「小さな幸せ」を感じる一方で、悲劇を忘れずに活動を続けることを誓っている。

(要約)

( 241711 )  2024/12/30 14:56:43  
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池袋暴走事故の被害者遺族、松永拓也さん(38歳) 

 

「池袋暴走事故が1つの区切りを迎えた……飯塚さんの死は、それくらい大きな出来事だったかもしれません」 

 

2019年4月、東京池袋で乗用車が赤信号を無視し暴走。横断歩道で歩行者らを次々とはね、9人が重軽傷を負い、松永真菜さん(当時31歳)と長女の莉子ちゃん(同3歳)が死亡した。メディアでたびたび報じられた痛ましい事故は、高齢ドライバー対策を強化した2020年の道路交通法改正のきっかけにもなり、世間の関心を強く集めたといっていい。 

 

今年11月、その事故が再び注目を浴びる出来事があった。事故を起こした旧通産省工業技術院元院長の飯塚幸三元受刑者(93歳)が、老衰によって死亡したことが報じられたのだ。 

 

事故で妻と娘を失った松永拓也さん(38歳)に、飯塚元受刑者の死について問いかけると、少し間を置いた後で冒頭の言葉が返ってきた。現在、会社員として働きながら、「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」の副代表理事を務め、交通事故の防止や犯罪被害者支援の講演などに尽力する松永さんは、2019年春、突然「被害者遺族」となり、その後の人生が一変した。 

 

最愛の家族を失っただけでなく、時には誹謗中傷被害にも遭い、命の危険を感じることも少なくないという松永さん。そんな彼は、「池袋暴走事故」が1つの区切りを迎えた今、何を考え、そして、今後どのように生きていくのか。 

 

写真:現代ビジネス 

 

「裁判が終わった後、飯塚さんとは心情等伝達制度というものを使い、刑務官を間に挟む形で書面を通じてやり取りをしました。その後、こちらから正式に面会を申し込み、彼がそれを受け入れてくれたのです」 

 

2021年、飯塚元受刑者に禁錮5年の実刑判決が言い渡されると、2023年には民事裁判での判決も確定。松永さんが飯塚元受刑者と顔を合わせたのは、これらの争いがすべて終了した後、飯塚元受刑者が死亡する約半年前だったという。 

 

「本音を言うと、裁判が終わったとしても、僕は飯塚さんのことを許したわけではない。でも、裁判所で判決を聞く飯塚さんを見ていた時からずっと思っていたのは、『なぜ僕はこの場にいなくてはならないのだろう。そして、なぜ飯塚さんは刑務所に5年間入りなさいと言われているのだろう』ということでした。 

 

事故がなければ真菜と莉子は生きていて、僕も平和に暮らせていた。飯塚さんも穏やかな老後を過ごせていたはずです。だから、加害者も被害者もその家族も、両方を取り巻く家族も生まないような社会にしなくてはいけないと僕は感じました。 

 

あの事故自体は故意ではなく、あくまで過失です。誰しもが加害者になり得る。飯塚さんの後悔の言葉を世に伝え、誰も幸せにならない事故を一つでも防ぐ必要がある。だから面会をしようと思ったのです」 

 

「許したわけではない」 

 

被害者遺族の心情としては当然理解できることである。しかし、飯塚元受刑者について語る時の松永さんから、怒りの表情は見て取れない。 

 

「面会は1時間くらい行ったのですが、面会時の飯塚さんは面影もないほどやせ細っていて、ほとんど会話ができなくなっていた。質問をしても『おっおっ……』というような具合で、言葉が出てこない状況でした。 

 

ただ、僕の『世の中の高齢者の方に伝えたいことはありますか?』の質問にだけは、はっきりとした口調で『免許返納について、ぜひ考えてほしい』と答えました。ここからは僕の憶測ですが、きっと飯塚さんもすごく苦しんだから、自分のような加害者が生まれてほしくないと思ったのではないでしょうか。 

 

だからこそ、あの言葉が出たのではないか。裁判の時には事故に向き合っている風には見えなかったけど、裁判後に変化が見られた。僕はそう感じました」 

 

 

真菜さん、莉子ちゃんとの家族写真(松永さん提供) 

 

かけがえのない家族を奪った当事者との会話で、松永さんの決意は一層強固なものとなる。 

 

「この5年間、僕も本当に苦しかった。でも、彼にも加害者としての違う苦しみがあったと思うのです。刑務所で家族に看取られずに命を落とすという事実がどれだけ辛く、悲しいことか。確かに、真菜と莉子は亡くなりました。 

 

ただ、飯塚さんは殺そうと思って事故を起こしたわけではありません。彼とその家族、もちろん真菜と莉子、そして僕のような人たちを二度と生んではいけない。面会をして、その気持ちがさらに強くなりました」 

 

被害者の苦しみはもちろん、加害者側の苦悩も根絶したい。松永さんが交通事故防止活動に精力的に取り組む姿勢は、事故後から一貫している。 

 

「2019年のあの日、真菜と莉子が自宅に帰ってきた時、僕は命を絶とうと思ったんです。彼女たちの横でずっと泣いて、5日間くらい一睡もすることができなかった。5日間、これからどうしようかを考え続けました。 

 

その時に、なんか……真菜と莉子が『お父さん、死なないで』と言ってくれたような気がしたんですよね。だから、2人の死を無駄にはしない。自分たちのように悲しい思いをする人たちをなくすために生きようと決意しました。今行っている活動は、僕の生きる力にもなっています」 

 

写真:現代ビジネス 

 

しかし、松永さんの活動には好意的な意見ばかりが集まるわけではない。メディアなどで積極的な発信を続ける松永さんに対し、SNSを始めとしたネット上では批判の声も目立つ。批判の域を超えた誹謗中傷も多く、中には逮捕者も出ている。 

 

今年9月には、松永さんに対して「池袋暴走事故の松永よ子どもと妻死んで悲しいか?笑 おつで一す」「完全に金目当てで草笑 死ねばいいのに?」などと中傷し、さらには「殺せ殺せ死ね死ね 松永拓也家いったろか? 特定して笑行きまあ~ス」といった殺害予告をする人間が現れた。しかも、その犯人が横浜市に住む中学3年生の女子中学生だったことが分かり、世間を驚かせた。 

 

この事件に関して、松永さんは毅然とした対応を取り続けた。未成年者の犯行ではあったが被害届を取り下げることはせず、少女は11月に書類送検されることになった。 

 

「犯人が14歳の中学生だったと聞いた時は、正直すごく迷いました。被害届を取り上げないのは、大人げない対応なのかなとも考えました。 

 

しかし、少年事件は大人の裁判とは異なり、刑事罰を与えるか否かといった話ではありません。更生や、精神的に問題のある子には治療の機会を与えるという仕組みになっている。 

 

ここで僕が被害届を取り下げてしまうと、そうした貴重な機会を奪ってしまうことになるのではないかと危惧したのです」 

 

相手は中学生とはいえ、松永さんばかりか真菜さんと莉子さんをも冒涜した人間である。そんな彼女に対して更生の機会を与えたのは、3歳の娘がいた松永さんなりの親心にも似た心情ともいえるだろう。 

 

「あの殺害予告の文面から察するに、よほどの背景があると思うんです。でも、残念ながら僕はキミの辛さを分かってあげられません。きっと、この件でご両親からもすごく怒られたと思うんですよ。それも辛かったと思います。 

 

でも、これをきっかけに立ち直ってくれたら。抱えている辛い、悲しい気持ちが少しでも改善してくれたら。名前も顔も知らない彼女に対してそんなことを考えています」 

 

 

松永さんは生きている限り「池袋暴走事故」と向き合い続ける(写真:松永さん提供) 

 

関わったすべての人間が不幸になる事故をなくしたい一心で活動を続ける松永さん。しかし、彼のもとにはいまだ多くの誹謗中傷が届くという。心が折れてしまう瞬間はないのだろうか? 

 

「先ほど話した通り、5日間寝ずに考え続けた結果、真菜と莉子の死を無駄にしないように生きていくと決めました。 

 

だから、2人の葬儀の後、メディア各社からの要望に応える形で記者会見をして、世の中の人に僕の苦しんでいる姿、真菜と莉子の写真も見てもらうことにしたのです。 

 

『交通事故の現実を知ってもらい、ながら運転や飲酒運転、そのほか色々な危険運転をしそうになった時に、僕たちのことを思い出してほしい』と話しました。それはよく覚えています」 

 

5年前に起きた悲劇の直後の決意。それは、松永さんが生きていく上での大切な道しるべになっているのだ。 

 

「嫌なことがあっても、何を言われても、2人の死を無駄にしないという決意はブレません。この約束を果たすことができたら、いつか真菜と莉子にね……。胸を張って会える気がするんですよ。あの事故で怪我をされた方はいらっしゃいますが、それ以外の当事者はみんなこの世からいなくなりました。 

 

その意味では、飯塚さんの死は『池袋暴走事故』の一つの区切りと言っていいかもしれません。でも、僕の中で区切りを迎える日はない。生きている限り、『池袋暴走事故』と向き合い続けます」 

 

それでも、事故から5年が経過し、最近は松永さんにもある変化が出てきたという。 

 

「やはり人間なので、あれだけ愛していた2人の声とかをたまに忘れてしまうんです。事故のことも、もちろん忘れられるわけはないのですが、細かい部分などは曖昧になってきている。 

 

でも、あの日の悲しみや苦しみは今の活動の原点です。だから、今でも事故現場には定期的に足を運んでいます。あの時に味わった絶望を思い出し、それを世間に伝える。今後何があっても、その活動に尽力していきます」 

 

 

「今行っている活動は、僕の生きる力にもなっています」。取材時に松永さんがそう語ったのは前出の通りだ。 

 

一方で、「絶望」を背負い続け、2人との約束を果たすことだけが人生ではないといった意見も少なからずあるはずだ。松永さんは、事故を忘れるという「幸せの形」を取ることはないのだろうか。 

 

「以前、知り合いから『いつかは再婚とかするの?』と聞かれました。そうしたら、そこにいたもう1人の知り合いが『馬鹿野郎、松永が真菜さんを裏切るわけがないだろ』と怒ったんです。 

 

それを聞いて僕が思ったのは、『その時の自分が決めればいいよな』ということでした。再婚してもしなくてもいい。再婚して裏切りと感じる人もいれば、そうじゃない意見もありますよね。だから、結局は自分自身が決めればいいと考えている。 

 

今は再婚をしたいとも思わないですが、でも、一生再婚しないとも断言はしない。『自分はこうすべきだ』と決めるのは自分自身を呪うことになりますから。いずれにせよ、真菜と莉子、そして事故のことは忘れずにこれからも生きていきますよ」 

 

悲劇に遭遇した自身のつらい体験を世間に伝える松永さんに対して、同情に近い感情を抱く人もきっと少なくないだろう。 

 

しかし、彼は「被害者遺族を色眼鏡で見ないでほしい」と話す。そんな松永さんが最近感じた「小さな幸せ」とは――。 

 

つづく後編記事『「なんで笑ってるの?」…池袋暴走事故の被害者遺族、松永拓也さんが「笑うな」と批判されても笑顔を見せる「深いワケ」』では、被害者遺族の“幸せのかたち”について、引き続き松永さんに話を聞きます。 

 

週刊現代(講談社・月曜・金曜発売) 

 

 

 
 

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