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「なんで笑ってるの?」…【池袋暴走事故】の被害者遺族、松永拓也さんが「笑うな」と批判されても笑顔を見せる「深いワケ」

現代ビジネス 12/31(火) 9:04 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/94fc9d3929dca34ae75622f37be09b8ec4a2399e

 

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池袋暴走事故の被害者遺族である38歳の松永拓也さんは、事故の痛ましい体験をもとに、交通事故の防止や犯罪被害者支援の活動を行っている。

事故から5年が経ち、彼は普段は普通の生活を送り、草野球を再開したり、趣味のお笑いや音楽を楽しんでいる。

松永さんは「被害者遺族が笑ってもいい」と考え、自らの幸せを追求している。

しかし、被害者遺族のイメージには依然として負の側面があることも受け入れつつ、笑顔で生きていく姿勢を貫いている。

(要約)

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池袋暴走事故の被害者遺族、松永拓也さん(38歳) 

 

2019年4月、東京池袋で乗用車が赤信号を無視し暴走。横断歩道で歩行者らを次々とはね、9人が重軽傷を負い、松永真菜さん(当時31歳)と長女の莉子ちゃん(同3歳)が死亡した。 

 

メディアでたびたび報じられた痛ましい事故は、高齢ドライバー対策を強化した2020年の道路交通法改正のきっかけにもなり、世間の関心を強く集めたといっていい。 

 

事故から5年。最愛の妻と娘を失った松永拓也さん(38歳)は、会社員として働きながら、「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」の副代表理事を務め、交通事故の防止や犯罪被害者支援の講演などに尽力している。 

 

そんな彼は、「被害者遺族が笑ったっていいじゃないですか」と語る。 

 

悲劇に遭遇した自身の辛い体験を世間に伝える松永さんに対して、同情に近い感情を抱く人もきっと少なくないだろう。しかし、彼は「被害者遺族を色眼鏡で見ないでほしい」と話す。 

 

松永さんが考える、被害者遺族の幸せとは――。 

 

前編『「再婚は、してもしなくても…」【池袋暴走事故】の被害者遺族、松永拓也さんが語る「これまでの5年間」と「今後の生き方」』に引き続き、彼の声をお届けする。 

 

プライベートでWBC2023を観戦したという(画像:松永さん提供※一部編集部にて加工) 

 

「最近、また草野球を始めたんですよ」 

 

「松永さんって、普段は何をされているんですか?」という記者の質問に対し、彼は笑顔でこう答えた。 

 

「6歳から野球をやっていて、大人になってからも草野球をしていたんです。事故が起きてからは一度やめてしまって。でも、1年くらい前からまた再開しました」 

 

ポジションは昔から外野一筋。本人は「内野ゴロは取れないんです」と笑う。 

 

「小、中学の時に少年野球チームに入っていて、そこのOBが作ったチームに所属しています。チームメイトは20代から30代前半が中心で、もうぶっちぎりのおっさんです(笑)。野球は他のスポーツと違って若くなくてもできますけど、やっぱり最近は少ししんどくなってきました(笑)。もちろん、それでも楽しいですけどね」 

 

普段、メディア越しに見る松永さんの表情は硬いことが多い。交通事故の再発防止を訴える活動や被害者遺族としての意見を求められる機会が多いのだから当然といえば当然なのだが、どうしても「つらい出来事を経験した人」といったイメージが先行し、素の顔が想像しづらいと感じる人もいるはずだ。 

 

「講演やあいの会での活動以外では至って普通の生活をしていますよ。Netflixで『地面師たち』も全話観ましたし、お風呂が好きなので銭湯にも行きます。友人と外で食事もします。 

 

後は、お笑いが好きなんですよ。ハリウッドザコシショウさんやなかやまきんに君さんみたいな、勢いで笑わせてくれる方が好みです(笑)。ラップとかの音楽も好きでよく聴いています」 

 

 

最近は小さな幸せを感じることができるようになったという(画像:松永さん提供) 

 

「もちろん、事故の後しばらくはつらい日々を送っていました。僕はもともと、月に缶1本くらいしかお酒を飲まない人間だったのですが、つらさを紛らすため、酒量は増えました。そのように、事故によって受けた良くない影響も確かにあります。それでも、最近は日常の小さな幸せもちゃんと感じられるようになってきたんです」 

 

松永さんの言う「小さな幸せ」は、彼の普段の生活スタイル同様に、我々が感じるそれと全く変わらないものだった。 

 

「先ほどお風呂が好きと言いましたが、僕は平気で湯船に1時間くらい浸かっちゃう人間なんです。家でボーっとお風呂に入っている時とかに『あ、なんか今幸せだな』と感じることが多いです。だから、被害者遺族の部分以外は、普通の人と何も変わらないんですよ」 

 

写真:現代ビジネス 

 

「でも、僕に対して幸せのイメージを持たない人はやはり多いです。以前、『一生笑うことないですよね』と言われたことがあります。その人に悪意はなかったようですが、その言葉に動揺したのを覚えています」 

 

「遺族は不幸」という世間一般の遺族像自体が、遺族を苦しめてしまう場合もあるということだ。 

 

「あとは、僕が笑うと怒る人もいます。所属している『あいの会』のホームページに、僕が笑っている写真が掲載された時に『なんで笑ってるんですか?』という意見が来たことがあるんです。『あんなに悲しい経験をされたのに、笑えるのはおかしいと思います』といった理屈だったようです。悲しいけど、これが現実なんです」 

 

クレームに近い意見としか思えないが、驚くことにこうした内容の言葉が松永さんのもとに届く機会は決して少なくないという。 

 

講演で奈良を訪れた際の写真(松永さん提供) 

 

不幸なイメージを持たれ、笑うと批判が届く。それでも、松永さんはここ1年ほど「あえて笑う姿」を見せるようにしていると話す。そこには、世間とのギャップを埋めたいとの強い思いがあった。 

 

「僕の活動の根源は、真菜と莉子と約束した、2人の死を無駄にしないとの思いです。だから、事故後に記者会見をして、世間に対して、泣き、そして悲しんでいる姿を見てもらいました。それは、交通事故で遺族はこれだけ悲しい思いをするということをみなさまに知っていただくためでした。 

 

でも、最近はそこに矛盾を感じる機会も増えてきていて。なぜなら、僕は自分を不幸な人間だとは思っていないからです。確かに、不幸な出来事には遭遇しました。でも、決して不幸な人生ではない。 

 

まず、事故で苦しい時に『あいの会』というかけがえのない存在と出会うことができ、僕や妻の親族も今の活動を本当に応援してくれている。また、多くの犯罪被害者支援に繋がることもできました。僕は本当に恵まれているんです」 

 

「決して不幸ではない」。しかし、事故の再発防止活動で見せた涙により、自ら不幸な遺族像を作ってしまったのではないか。その矛盾を払拭すべく、松永さんは批判されるのを覚悟で「笑っている」のだ。 

 

「今回、僕が『自分は不幸じゃない』と発言し、それが世に出るのはすごくリスクでもあります。 

 

この発言が世に出ることによって、『本当はあまり悲しくなかったんじゃないの?』とか『2人を愛していなかったんだろ』みたいな言葉が出てくるからです。それは経験上分かります。そうした声を聞くのははっきり言ってとてもつらいです。 

 

でも、遺族が笑ってもいいじゃないですか。幸せな姿を見せてもいいじゃないですか。僕はそう考えています。“被害者遺族のかたち”にも不幸以外の多様性があってもいい。それを伝える発信も今後はしていきたいです」 

 

被害者遺族として、1人の人間してこれからも生きていく(画像:松永さん提供) 

 

「この前、歯医者に行ったら莉子と同い年くらいの子どもがいて。久しぶりにグッときちゃいましたね」 

 

取材の最後、松永さんはそんなエピソードを話してくれた。 

 

いくら月日が経とうが、最愛の家族を失った事実と悲しみが消滅する日はない。それでも、被害者遺族として、そして1人の人間として、松永さんは日々を力強く生きている。 

 

表現が適切かは分からない。ただ、彼が今後どのような生き方をしていくのかがとても楽しみだ。取材後、記者はそう思った。 

 

【さらに読む】『「再婚は、してもしなくても…」【池袋暴走事故】の被害者遺族、松永拓也さんが語る「これまでの5年間」と「今後の生き方」』 

 

週刊現代(講談社・月曜・金曜発売) 

 

 

( 242275 )  2024/12/31 15:36:42  
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(まとめ)この記事では、被害者遺族が笑っていることに疑問を投げかけるコメントに対して、多くの人が反応しています。

多くのコメントでは、そのような考え方に対して理解がない、あるいは不適切だという意見が目立ちます。

遺族が笑顔で生活していくことは、亡くなった方々のためにも良いことであるという声が多く寄せられています。

また、人は悲しさや辛さを乗り越えて笑顔で過ごすことも重要だとの意見や、その選択を尊重すべきだとのコメントも見られます。

他者に対して批判的な姿勢よりも、優しさと理解を持って接することが大切であるとの声もありました。

笑顔は、人生の中で重要な要素であり、喪失や悲しみの中でも笑顔を取り戻すことが肯定的に捉えられています。

( 242277 )  2024/12/31 15:36:42  
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=+=+=+=+= 

 

被害者の遺族が笑ってはいけない。 

こんなことどんな考え方してたら言えるのでしょうか。 

奥様や莉子ちゃんだって、ずっと松永さんが泣いていたら心配になってしまう。 

笑って欲しいと思ってると思います。 

最初は無理でも段々笑える回数が増えてきて、そして笑って暮らす日常が戻ってくる。それでいいと思います。 

松永さんの中で2人のことが消えてなくなるわけではないです。 

心の中でふとした瞬間思い出して 

「今日はいいことあったよ」と呟く。 

それで十分だと思います。 

どうか松永さんがこの先笑顔で過ごせますように。 

 

▲2587 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

なぜ事故に遭われた当事者の方々の遺族であるということだけで、ここまで言われなければならないのか。遺族だからなんで笑うのかと疑問を呈するなんてあまりに理不尽で意味が分からないし、どういう思考でこんなことを本人に言えるのか疑問でなりません。 

先日も中学生が松永さんに対しての誹謗中傷で逮捕されていましたが、こうした言葉をぶつける人にその重大性を認識させる必要があると思う。 

 

▲243 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

舞台人の鉄則「The Show Must Go On」(何があろうとも舞台は続けなくてはならない)という言葉が浮かんだ。 

人生も一つの舞台だ。 

そこには喜怒哀楽がある。 

それが自然な姿のはず。 

 

不幸に見舞われた人に笑顔が戻ることを許さない連中など、放っておけばいい。彼らに好かれるために生まれてきた者などひとりもいない。彼らに認められるため生きるべき人も、ひとりもいないのだ。 

 

他者が不幸のどん底で嘆き悲しみ続けることを要求のではなく、彼らに喜怒哀楽の日常が戻ることを一緒に喜べる人間になりたいものだ。 

 

▲139 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

松永さんは松永さんなりに妻子の事故死に直面しながらも、必死に同じ不幸が起こらないよう懸命に活動されている。その彼がどのように現実と向き合っていくかの過程で笑顔を見せたとしても、それを外野がガヤガヤいう権利なんて微塵もないはず。よその心ない無神経な批判なんか気にせず、これからも松永さんは今の活動を頑張って頂きたい。 

 

▲1585 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

関係ない話かもしれませんが山口県光市の母子殺害事件のまだ大学卒業したてのような若い遺族の方が松永さんのようにメディアにも顔を出し必死で奥さんとお子さんの為に裁判で戦っていて、犯人が死刑確定し再婚されてると聞いて私は「一生奥さんと子供を失った苦しみの中生きるのではなく新たな幸せを見つけたんやなー」とホッとしました。再婚したことを批判する人もネットでいてたけど、松永さんにもいつか心穏やかに……と、勝手に願ってしまいます。 

 

▲90 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

真菜さんと莉子ちゃん、松永さんの笑ってる姿を見て、一緒に笑顔になっておられると思います。どうぞこれからも笑って過ごしてください。もちろん心では泣いてることもあるでしょう。でも楽しいという気持ち、生きていればこれからもたくさんあります。その時は3人分の笑顔でどうぞ楽しんでください。応援しております。 

 

▲902 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

良かったです。少しずつでも笑顔になる事が増えると安心できます。 

遺族が笑うのを批判する人って人生経験が浅いのかな?たまに居る、文章を正しく理解出来ず、勝手な想像を交えて、意味不明に怒る人なのか? 

辛くても笑顔を見せる事もあるので、心から笑顔になれることを期待しています。 

 

▲619 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

最近、テレビで松永さんをお見受けして、前よりも顔がふっくらとして表情も明るくなった様に見えました。 

それを見た私と妻は、『少し元気になられた様だね』と話しをしていたところです。 

顔を上げて前を向き、趣味の野球を再開したり、笑顔を見せたり、前向きに生きている松永さんは素晴らしい。 

 

▲430 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

世の中には自分がおかしいのに 

それに気がつくこともなく 

それどころか自分が正しいと 

考えてる人間がいる 

 

発達障害は7%いる 

良い悪いではなく 

生きてきた時間という事実は 

ある年齢を超えると 

どうしようもない 

 

笑っていることに疑問を持った人が 

きっと地獄みたいな人生を 

歩んでいるか 

もしくは意味がわからないまま 

全てに文句を言って 

生きていくのだろう 

 

幸せにはなれないけど 

どうか穏やかに人生を 

終われますように 

 

▲73 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

光市母子殺害事件の被害者の夫も、同じでした。 

 

闘って闘って、誹謗中傷や悪意に満ちた言葉を浴びながら 

「遺族だって笑いたい時あるんです。バラエティを観ている時や、趣味の車のカタログを眺めている時など。だがそのたびに、後ろめたさに苛まれるし、俺はもう笑ってはいけないのかと苦悩もする」 

というようなことを語られてたことあった。 

 

今はもう既に、新しい人生を歩まれながら、設立した被害者の会の活動を続け、尽力されている。 

 

人生を奪われ亡くなられた大切な方々のためにも、きちんと結果を出し、復讐を果たした功績は大きかった。 

 

心ない言葉や、笑うななどと指図する者は、物事を表面しか見ずに、ポーズでしか捉えられない考察の持ち主。その人自身の問題を他人にぶつけているにすぎない。 

 

幸せになる権利を享受し、どうかたくさん笑い、愛し、人生を謳歌してほしいと、大多数の人が感じておられるはずだと思う。 

 

▲464 ▼8 

 

 

=+=+=+=+= 

 

「笑うな」と批判する人間ってどんな人?! 

日々批判ばかりで小さな幸せも見つけられずSNSばかり見て過ごしてるんだろうな 

 

亡くなった奥さん莉子ちゃんは天国で旦那さんが笑顔だと一緒に笑ってるよ 

楽しい事も嬉しかった事も2人に沢山報告してあげてください 

松永さんは本当に強くて優しい人だから 

 

▲333 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

そんな心無い言葉をいう人もいるんですね。 

状況は違えど、配偶者や子供を亡くした人はたくさんいます。 

その人たちは、死ぬまでずっと悲しんでいろ、笑うな、ということでしょうか? 

 

笑う=忘れることではありません。 

生きている人はこれからも前に進まないといけない。 

失った悲しみや辛さはあるけれど、それを24時間ずっと考えて生きてはいけません。 

 

辛いことがあった人が笑っていたら「ああ良かった、やっと笑えるようになったんだね」と人を思いやる優しさを持って生きていきたい。 

 

▲102 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

時には想いがよぎり辛く感じると思う。 

そのように、つまづく時もあれば奮い起こすし前向きに笑える日々を送ることは、頑張って進んでいるという証しだ。 

 

奥様と娘さんの分まで人生を全うしなければいけないという強い意志もあるでしょう。 

 

あの悲劇の事故で、受けた感情と記憶が次第に薄れて忘れ去られてしまうこと、二度とこのような事故が起こらないよう台頭となって行動を起こしている姿勢からも、笑顔になれる環境も日常必要であって、自分に鼓舞する現れだとも感じる。 

 

▲85 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

この痛ましい事故から5年ですか…。あの事故以降も、悲惨な事故がなくならないですよね。暴走運転や逆走。 

被害に遭われた方々やご遺族の方々が、笑ってはいけないって、どのような考えで行ったのかは分かりませんが、被害に遭われた方々にだって、笑顔で過ごせる時間は、とても大切だと思います。 

私はいじめ被害の後遺症や、元嫁から受けた理不尽なDVで、笑う余裕なんてなかったですが、今の嫁さんと結ばれて、笑い合える時間を過ごしています。人は笑っていられる時が一番幸せだと思いますし、笑うことを忘れてしまうことが、一番不幸だと思います。 

私は指の関節が変形して曲がらなくなる障害を発症したので、野球などのスポーツが出来なくなってしまいましたが、今はスポーツ観戦を嫁さんと楽しんでます。 

 

▲94 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

笑っていることを咎められるなんて、被害者家族は一生不幸の底に落ちていろってことなのでしょうか? 

前に「流星の絆」というドラマで被害者家族の心情を吐露する場面があった。「いつまで被害者家族でいなくてはいけないのだ」と。被害にあわれた方だからこそ、絶対に幸せになってほしいと思う。心穏やかに笑顔も漏れる位な日々をおくってほしいと思う。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この方に、新しいパートナーが出来たらいいのにと思っています。亡くなった家族もそう思っているのではと思います。 

パートナーもハードルが高いかも知れませんが、松永さんは精神的にご苦労されましたから。是非、新しい景色を見て生きて欲しいと思います。 

 

▲9 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

体動かすのは大事だと思う 

疲れるくらい動いてた方が余計なことを思い出さずに済む 

人生ってトータルでバランスが取れるようになってるのでこの人の今後の人生はいいことが起きやすいと思うし幸せになって欲しい 

別にメディアに出てくるのも義務ではないし憎むべき相手ももう居ないのだからもう取材なんか受けずに事故のことは忘れて生きてはどうだろうか 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

これまでの長い闘いの日々のせいか厳しい表情の松永さんを拝見するにつけ、日常の笑顔を取り戻して欲しいと願って止まなかったです。笑顔の写真を見てホッとしました。加害者死亡で一つの区切りがついたと思うので、これからは幸せな人生を歩んで欲しい。 

 

▲13 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者に笑うなとか言う人は本当に鬼だな 

亡くなられた人のこと思ってるようで、悲しい思いをした人を傷つけてるだけ 

本当に優しい人は、笑えることができて良かったねって思える人じゃない? 

松永さんのような経験をしたら本当に絶望すると思う 

でも生きてくためにはずっと落ち込んではいられない 

自分が亡くなくなった時のことを考えると、自分の家族がずっと悲しい顔してるのは嫌な人のほうが多いんじゃない? 

だって家族はずっと幸せでいて欲しいと思うのが普通だし 

前向きになるためには少しでも好きなことして楽しみを見つける松永さんは本当に強い人だよ 

 

▲187 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

そんな事を言う人がいるんだと不快。裁判も終わって加害者の刑も決まった以上、今度は生きていて残された人たちは前を向いていく段階だと思う。ずっと嘆き悲しむのを被害者は望んでいるのか。考えや気持ちは亡くなった人から聞くことはできないけど、きっと笑顔でいてほしいと思ってると思いますよ。その選択が再婚やら趣味を見つけることでも、亡くなったご家族が納得すれば良いのでは。周りから何を言われようと幸せを見つけていいと思う。こんだけ戦いで頑張っていた彼を責めれる人は他人にはいないと思う。無関係で家族でも無い他人が色々言うのは違うと思うし、権利は無いと思う。堂々と亡くなったご家族が笑顔でいられる選択をしてほしいなと思う。 

 

▲21 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの夫も、先妻さんと子供さんを同時に事故で亡くしました。 

 

しかしなぜ、それでうちの夫が、一生笑わずに、一生独身で過ごすべきだということになるのか、本当に理解できません。 

そりゃ、お葬式の最中に笑顔でピースして記念撮影、とか、事故をネタに笑い話をしていたら、さすがに不謹慎でしょうけれど。 

 

事故自体の被害もさることながら、事故後に、なぜか被害者なのに要求される数々の行動規制?がかなりの二次被害ですよね。 

 

被害者だって、気に入った女性がいたらいくらでも声を掛けてデートして再婚していいし、面白いことがあったらどんどん笑って、積極的に楽しいことをして、好きな行動してよい。 

 

こんなこと、普通の人が普通にしていることなのに、事故の被害者というだけで、こんな当たり前のことも非難される。 

これも大きな人権侵害だと思うのですが、「死別ハラ」みたいに、行為に名前がつけば、少しは浸透するのでしょうか。 

 

▲18 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

なぜ笑ってはいけないのでしょうか。人は必ず家族や知人の死に直面するし、中には本当に不幸で苦しい状況で失くすかたもいるでしょう。それでもそれを乗り越えて生きていくしかない。もし自分が今死んだら夫や子供は本当に辛いと思うけれど、ずっと悲しみの中だけにいて笑わずに暮らすよりたくさん笑って生きていってくれたら嬉しいと思う。 

 

▲25 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

誰しも突然最愛の家族を失ったら笑顔なんか忘れてしまうでしょう。それでも日々前に進んで行くしかない。「笑顔」は天国から見守ってくれている奥さんと娘さんの分まで懸命に生きられている証だと思います。 

 

▲116 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

最愛の妻と娘を失った喪失感、無力感を想像できる人は居ないと思う。凄まじい失望と絶望からの怒りを加害者に向けるのを最小限にする為,同じような悲劇が起きないように活動し、講演とかも行なってきたと思う。 

そんな松永氏への誹謗は本当にありえないし、彼が少しでも明るくなってくれることを祈りたい。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

松永さんは悲しく苦しい出来事と闘い勝ったのだと思います。今後この方が亡き奥様とお子様の為に果たさなくてはならない最も大切な事は、幸せになることです。 

経験したこともない者が闘い抜いた方に批判の言葉を浴びせるべきではないと感じます。 

 

▲14 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

本当にこの人の記事を見るたび尊敬の念が湧く。 

笑ってるのをみたら、「笑えるようになって良かった」とは思えど「なぜ笑うのか?」なんて私は御首にも出さない。 

 

で、今回の記事で思ったのは、同情もしない。同情するのが烏滸がましくさえ感じた。 

 

その代わり、自分ももっと大きな人間になって将来的には、こういった活動をする人たちや子供達を支援する立場の人間になろうと思った。 

 

▲19 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

わたしはむしろ笑っていてくれてよかったと思う。松永さんの悲しみは深いと思うし、それを外からあれこれ想像するのも失礼になってしまうのではないかと思ってしまう。 

松永さんは生きているし生きていく。だからそこには楽しいことも嬉しいこともあってほしいと思う。 

笑うなという人はひどいひとだなと思うだけ。一生悲しみに打ちひしがれて落ち込んでいてほしいってどういう神経だろう。 

 

▲10 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

こういうある意味見当違いな批判をする人は、要は自分を基準に物事を考えているから。だから、自分だったらそういう行為、行動はしないから、相手も同じだと考えている。結局、見方というか視野が狭いんだよ。例えば、自分ではその場面で感じる感情も、相手はまったく別の感情を持つ場合もある。それをある意味押しつけのように相手に同意を求めるのは筋違い。松永さんにしても、彼自身の人生があるわけだし、あくまでも事故は事故として踏まえて、これからのことはそれとは別に考えないと。それは、彼自身、どう生きるかは自由なわけで、何も他人がとやかく言うことではない。余計なお世話じゃないのかな。 

 

▲13 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私も事故被害者家族です。 

飲酒運転により母を亡くしております。 

もう30年以上前の話です。 

被害者家族も人間ですから笑いますし、ご飯も食べるし、酒だって普通に飲みます。 

流石に飲酒運転はしないですがね。 

関係ない第三者が他人が笑おうがどうでも良い事です。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人間だから笑うのも当たり前。やっと笑顔になる時間も出てきたのだと嬉しく思います。この方の悲痛な表情を見ていて本当にこちらも辛かったですね。少しずつ、新たな生活が幸せを感じられるものになっていく事を願います。 

 

▲2 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

妻子を無くして、更に笑顔まで奪い取る様な意見が有るだなんて信じられない…。 

徐々に日常を取り戻しつつ有る遺族に対して更に言葉の暴力だと思う! 

楽しい事や嬉しい事も有るでしょう。 

もしかしたら、自分を支えてくれる異性も出てきても不思議でも何でもない。 

どうしたら再婚したら(妻子の事もう忘れたのか!)なんて発想になるのか…。 

第二の人生を、歩き始める事も許して貰えないなら、本当の生地獄じゃ、無いですか。 

天国から最愛の妻子も早く笑顔で暮らせる事願ってますよ。 

 

▲62 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

どう言った層がこんな心無いことを言っているのかは分かりませんが、結婚して子供が授かれば それまで自分自身で一番大切であったものが家族または子供に変わります。 

 

松永さんは笑うことがあっても恐らく死ぬまで永遠に消えることのない悲しみだと想像できます。 

 

愉快だから人を貶めたり、嫉妬などから来る中傷は自分に帰ってきますよ。 手遅れかもしれませんが 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

常に不幸な遺族像への戸惑いについては以前から語っておられたが、そういう記事ですらコメ欄では 

「私が同じ状況なら狂ってる、それほど家族が大事だから。松永さんは凄い」 

ってなコメントがあって、何にも分かってないなと思った。 

自分なら狂ってるとか生きていけないとか、そういう時に現実を受け入れて生きていかなきゃいけない自分を想定したくないだけだろ。 

多くの遺族はどんなに辛くても正気を保って何十年と暮らしていくことになるし、その中で新しい縁やささやかな趣味が生き甲斐になることもあるだろうさ。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者が笑ってもいけないのか? 

笑わないと精神もたないし、たくさん笑って楽しく人生送ってほしいと、奥さんや子供も思っているはず。少なくとも自分ならそう思うだろう。まだまだ若い 新しく支えあっていける人が見つかってもいい。自分ならそれが幸せだと思う。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

うちで働いてくれてる学生アルバイトの子の親御さんが先日事故で亡くなられた。 

ショッキングな事故で身元確認もその子が行き、まだ10代の女の子には辛いだろうと心配していたが昨日ラインでやり取りをしたら案外明るく下ネタぶっこんで、、、 

「いつも通り」の姿で安心した。 

同じ日常は戻らないけどいつも通りでいる事て自分も周りも助かるんだよな。 

腫れ物みたいになっちゃうと気を使いすぎてしまうし。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

亡くなったお二人が愛してやまない松永様の幸せを誰よりも願っておられることでしょう 

 

他人がどうこう言うのも関係ないです 

貴方のおもう強さと優しさでどうかこれからも生きていってください 

そして悲しみがあった分どうか幸せになられることをひっそり祈っています 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

この人が笑顔でいるのを叩くような人ってのは、自分以外の人にもそれぞれの人生や生活があるって事をまだ想像できていない人だろうね。 

 

自分以外の人間を表面的なステレオタイプのイメージだけでしか認識してないから、そういう事がわからず、「イメージと違う!」「こういう時はこういう風にしてなきゃいけないはず!」…などと言って怒ったりする。 

 

まだまだ自己中心的でお子ちゃまな発想と言える。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

悲しいし辛い事があった時に下を向き立ち止まったままでは何変わらないのです。 

過去を捨て去る事はできなくても歩き出さなきゃならないのですから。 

逆に少しでも笑えるようになったなら立派だなって思いますね。 

自分みたいな情けない人間なら後追いとかしてしまいそう。 

 

強い人です。 

 

▲73 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

大切な人を亡くしたら一生笑っちゃいけないなら世の中の大半の人は笑えないですよね?親兄弟子供等の親族は勿論友人恩人他人にも大切な人は沢山居るはずです。 

松永さんに限った話しではありませんが、松永さんで言えば趣味の野球も仕事も一生懸命頑張る姿を見て天国の奥様娘さんは喜んでくれるのでは無いでしょうか!それこそ松永さんの生い立ちを本当に理解し、奥様娘さんに対してしっかり受け止めて下さる女性が現れたら再婚だってしたって良いんです! 

ただただ松永さんの人生が少しでも在り来りで平凡なでも素敵な人生に戻ってくれる事を祈るのみです。 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者遺族が笑うことを許されない訳など全く持ってない。 

いつの時も人間とは多分に喜怒哀楽を持ち合わせた感情豊かな動物である。 

そして何より笑う感情表現は明るく前向きな姿勢に繋がってくる。 

 

▲5 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ある日を境に想像を絶する経験をして、これからも奥様とお子さんの思い出とともに生きていかれるのだから少しでも幸せに過ごしてもらいたいです。笑顔が増えていく様にお祈り致します。 

 

▲94 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

父が亡くなったときに辛くて悲しくて、食べ物が喉を通らなかったけど、お腹空いたなぁとお葬式の時に思いました 

 

楽しんで、笑って、美味しいもの食べて、幸せに暮らして欲しいです 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分はおばぁちゃんっ子で、実の父親の死より、祖母を亡くした時のショックが大きくて、しばらくは泣けないし、笑えないし、食べられないし…そんな時期を過ごしました。 

でも、それから10年近く経つ今、趣味を楽しむ、子供達とバカ話をしたり、一緒に出かけたり、職場仲間と冗談を飛ばしあったり…毎日何かしらで楽しく笑える自分がいます。 

それって、いけない事なの? 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

匿名のわけわからん誹謗中傷は無視でいいと思います。 

一生懸命前を向いて自分の人生を歩んでください。 

誹謗中傷する人は、ただだれかを口撃したいだけです。相手は誰でも構わない、不特定多数。 

被害届け出せばいいんですよ。 

相手にするだけ時間の無駄です。 

そんな方々は警察へ任せて、奥様やお子様の生きられなかった人生を松永さん自身が満たされるものにしてください。 

笑顔で過ごす事が一番ですよ! 

頑張ってください。 

 

▲90 ▼5 

 

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どんな不幸に見舞われ、人生を奪われ一人取り残されても、腹も減るし笑いもするのは、生きてるヒトの自然だか、そんな自然の摂理に耐えられず、苦悩しヒトをやめる選択をする事もある。彼は前者を受け容れて現在があるのだろうが、そこに至る過程などは、他者には伺い知れる訳もなく知る必要もない。 

 

▲0 ▼0 

 

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むしろ遺族の方が少しでも笑顔になれるようになったなら、それは良いことなのでは? 

勿論それでも本人の中では周りが想像もつかない複雑な想いとかが渦巻いてるでしょうし「笑えるようになって良かった」と周りからは安易に言えないかも知れませんが、少なくとも笑っていることに批判的なコメントをするのはおかしいと思う。 

 

▲2 ▼4 

 

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表に出るなら、ポーカーフェイスもまた必要な事。 

考え方は様々だが人にどう伝わるかって実は大事。だからこそ、少しでも笑顔とともに穏やかに過ごそうとしているのだろう。 

しかし反面期待にそぐわないこともあるだろう。 

ことばで伝え続ける必要もあるということか。 

 

▲3 ▼0 

 

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被害者や遺族にも一区切りの後は当然目の前の日常を生き続けなければ成らず,その中に笑いも人生の糧として不可欠な物で有るのは当然の現実で有る筈ですが,それを批判するような輩は所詮他人事として可哀想な人を上から目線で憐れむ身勝手なエンタメの消費者に過ぎない不都合な本性を露呈した形に過ぎず,勿論そんな物に取り合う筋合いは皆無でしか無いでしょうか? 

 

▲1 ▼1 

 

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え、被害者遺族の方が笑うなって言われてるの? 

被害者遺族の感情は外野の人間からすればおしはかれるはずもないのに、何で外野からそんなこと言っちゃうの。ダメでしょ。 

辛い経験をされたその方が加害者の病死や後悔など紆余曲折を経て、せっかく前を向いて進んで行こうとしてるのに。 

こういうのは、攻撃的な発信をせず見守っておきましょうってのが正解だと思います。 

 

▲5 ▼2 

 

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辛くても笑顔でいられる方が本当は辛いのかも知れません。 

笑顔で過ごすことで色んなしがらみから解放したいって気持ちがどこかにあるのかも知れません。 

 

どんな事が有っても人は笑顔で居るほうが幸せなのかも知れません。 

少しでも前に進む為にも 

 

▲0 ▼0 

 

 

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とても辛すぎる状況の中でも色々発信などもしていく中で、批判的なコメントとかよく書けるなとは 

思います。 

笑顔を見せていくとかそうすることが亡くなられた奥さんやお子さんへの為に前に進む意味でもあるように思えます。 

 

▲4 ▼2 

 

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松永さんはとても笑顔の似合う方です。そしてあなたが笑顔で居続けることが亡くなったお2人の御供養になると信じています。 

残念ながらごく少数、心無い言葉を平然と浴びせてくる者たちがいますがこの国のほとんどの人はあなたの味方です。 

この先の人生、お2人の分まで笑顔を絶やさず胸を張って生きてください 

 

▲3 ▼1 

 

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辛いことがあったからこそ笑わないといけないのにね 

「笑うな」とか人間の心があるのかと神経を疑う 

 

笑顔が出るようになっても、ふとした瞬間に甦る喪失感とか・・ 

家族を失った心の傷なんて簡単に癒えるものじゃない 

 

笑顔が出るときにはしっかり笑っておかないとね 

 

▲29 ▼1 

 

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「何で笑ってるの」 

何を思ってそんなことをこの人に言えるんだよ。笑えるくらい日常を取り戻すことができたんだでいいじゃない。それでもまだ奥さんと娘さんを思って泣く時だってあるでしょうよ。波のように落ち込む日もあればその日が短くなってきたり笑えなかったのに大笑い出来る日がきたりするんだよ。乗り換えていくのは他人がどうだこうだ言うことじゃないんだよ。 

 

▲13 ▼2 

 

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遺族が笑ってることに怒ったり疑問を持つ人は、「遺族は一生喜んだり笑ったり、普通の人間らしい生活を送るな」って言ってるのと同じ。 

そんな酷い話ある? 

状況は違えど、事故や事件、病気などで誰だって大切な人を喪う経験はするはず。 

同じ立場になったとき、「一生あなたは喜んだりしてはいけません」と言われたらどう思うのか。 

 

▲4 ▼2 

 

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笑うなって、被害者遺族は家族という幸せを奪われ、それからも普通の人が当たり前にしてる笑うという行為すらするなって、被害者遺族は加害者並みの扱い? 

家族を失った悲しみとかは消えるような物ではないし、それは心の中にしっかり大切にしまった上で、新たな幸せを求めていくのが亡くなった被害者も望むと思うが。 

 

▲3 ▼3 

 

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マスコミも、もうそっとしておいてやればいいのに。この人はあくまでも事件の被害者であり一般人。少しでも悲しみが薄れるにはやはり完全に日常に戻る事だと思うが、こうやって未だにメディアで取り上げられていてはそれも出来ないのではないか。 

 

▲21 ▼16 

 

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自分も父親が亡くなって葬式が終わったら笑顔を親しい人に見せましたよ。人間そんなものでしょ。自分を気遣う周りの人をこちらも気遣う、亡くなった人間だけと生きて来たわけではありませんし、亡くなった人間もいつまでも笑顔が出ない自分を嫌がるでしょう。それは子供が亡くなっても、妻が亡くなっても同じだと思います。その理論で行くと、妻が不幸にも亡くなったら一生再婚してはいけませんか? 

 

▲45 ▼4 

 

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活動や思い、頭が下がる。 

この人は、真面目で、きちんとした人なんやろなー。 

 

怒りの矛先や、虚無感を自身で処理し、第三者への啓発で、生き方見出そうとしてるんやろね。 

 

正直自身は、よそ様なんて、自身の手に届く40cm以外、どうでも良い思ってる。 

 

世の中、綺麗事ばっかじゃないし、平和な日本でも、理不尽な、差別あるし、交通事故が、たとえ無くなったとしても、また別の事件事故。 

 

公に言葉発信すると、批判は必ずある、人間誰しも好き嫌いあるし、価値観も違うから。 

 

なんか、善人に降りかかる不運、悪人に訪れる幸運、それが公平。って言葉がよぎる。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

報道するニュースキャスターが笑顔で批判されているのかと思ったら、被害者遺族が笑顔で批判ですか。いやこれ、まったく理解できません。被害者こそ笑ってほしいじゃないですか。葬儀の席で笑っていたならTPOをわきまえるべきでは、という声もあるでしょうが日常生活で笑うのは健全な姿じゃないですかね。ずっと喪に服してろとでも? 自分がそれできるんですか。 

 

▲30 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

光市母子殺害事件の被害者遺族の本村さんも、死刑判決が出る前に再婚していたとして一部の人からかなり酷いバッシングをされたらしいです。 

残された遺族にだって幸せになる権利があるのにそれを赤の他人が裏切りだなんだと言う事がちょっと信じられなかったです。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

交通事故なのだから、事故発生の因果関係とその後の処理・処分が適切に行われさえすれば当事者個々の人間性などどうでもいい。 

被害者遺族が笑顔だろうが泣き顔だろうがどうでもいいし、それは加害者側も同様。 

 

ゴシップ的に消費したい人間に付き合うことなんてないのにねぇ。 

 

▲0 ▼0 

 

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正直、今回の事故は自分の人生に全く関係ない人が多いと思うけど、そういう人が被害者や加害者に直接自分の意見を伝える必要性ってないと思う。ヤフコメや喫茶店で話すのはもう仕方がないけど、本人に伝えるのはやったらいけないと思う。特に責めたり批判するようなことは。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者遺族に笑うなは永遠に喪に服さないといけないのか? 

突然自分以外の家族がいなくなって精神を保つのは想像を絶する 

何で被害者が外野からそんなことを言われないといけないのか? 

普通に生活することを亡くなった家族も望んでるのでは? 

 

▲19 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

まぁ、日本人特有の感情なんだと思う。日本人ってこうだと教えられたらそれ以外は「違う」と子供の頃から叩き込まれてきた。そしてそう生きろと。でも、人間なんだからそんな風には生きられない。最近やっとこれが認められるようになった。 

 

▲34 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

笑って、何が悪いのか?奥様とお嬢様を亡くされて懸命に生きていらっしゃる中で、前を向くことに気持ちを切り替えているのではないでしょうか。本当の笑顔にはまだまだ時間が掛かると思いますが、高齢運転者による交通事故の被害者を減らす為に尽力されている姿には感動すら覚えます。無理為さらないように御身体を労ってください。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

「あんなに悲しい経験をしたのに」?悲しい経験なら大なり小なり誰にでもある。 

事件、事故、病死、自然死、死因は色々あるけど大切な人が亡くなってる事に変わりはない。 

笑うなって言ってる人は、身近な人が亡くなったら一生笑わないのだろうか?喜怒哀楽の感情はないのかな?? 

悲しい経験をしたら笑ってはダメ、事件で加害者がいたら被害者遺族が笑ってはダメ、 

それだと世の中全ての人が笑えなくなる。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

心ない言葉を吐ける人もいるものですね。 

被害者も加害者も傍観者も、みんな同じ人間でしょうに。 

辛くて悲しくて忘れられなくて、それでも24時間それだけを考えて生きるなんて不可能ですよ。 

笑ったり癒されたりする時間がなければ、悲しみと向き合うための力も沸いてきませんし。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者遺族に非難を向ける人間というのは、 

それは育ちとも言えない、持って生まれたものなのだろう。 

 

大切なものを亡くしたからこその笑顔が、どれ程の弔いになるのか。 

 

もし、自分がこの世にいなくなったら、それこそ愛する家族には幸せに暮らしていてもらいたいと思っている。 

 

人間はそんな狭量ではない。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

笑えるようになるのに時間はかかっただろう。 

笑えるようになるくらいに心の整理が付いたということ。 

思い出す度に泣くことはあるとは思いますけど、笑えることがどれだけ幸せなことか。 

 

▲7 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

私達にできること。それは、自分達の生活の質を保つためならば他人を傷つける恐れがあっても車に乗り続ける高齢者から免許証を取り上げられるよう法律を改正できるよう働きかけることです。 

もうこれ以上、高齢者による殺人事件を起こさせてはいけません。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

笑っちゃいけませんか?人間、悲しい時は泣きます、嬉しい時は笑います。感情殺して生きれば、批判する人たちは納得するのですか?被害に遭われた遺族は、慟哭の中を今も生き抜いていて、後悔とも責任とも、なんとも言い難い気持ちで毎日を過ごしているはず。今、頑張っている人に、なぜ酷いことを言えるのか。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

笑うという感情を現せるようになるまでどれだけの月日を費やしたと思うのか。遺族は一生笑ってはいけないのか。 

「笑うな」と言う人がいると知ってびっくりと共に悲しく感じました。 

 

▲2 ▼1 

 

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人は笑う。当たり前のことなんですが、被害者を人と認識できない人はその方のこころには想像力を働かせません。映像による瞬間報道の至らないところだと思います。 

 

世の中は兎角”世間に説明しろ世間に対して会見を開け世間は納得しないぞ”と言いますが、世間というのはこういう冷酷で残酷で苛烈な側面があることも忘れてはいけないと思います。 

世間とは個の集まりですから、寄り添う人見放す人無関心な人ただ攻撃したい人ただ助けたい人いたずらしたい人いろんな人が世間の仮面でものを言います。 

 

それをひとつだけ摘み取って”世論はこうだ”とする論調がたとえばFLASHなどの週刊誌には顕著です。 

そのような恣意的な世間を口実に、マスメディアは世論をかきまわし、誘導していきます。 

NSDAPゲベルス宣伝大臣の正統な後継者は、日本の週刊誌なのかもしれません。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

不幸な出来事に見舞われたとしても、良い意味で人は忘れる動物だから、当時の感情がそのままの訳が無いし、そのままだとしたら辛すぎて生きていけないのでは無いだろうか。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

亡くなった奥さんもお子さんも笑顔で過ごしているお父さんを応援している。愛する家族を一瞬にして亡くしたご当人の心中は余りに辛い。ご主人、乗り越えて行って下さい。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

彼が苦しい思いをしたことを知ってる人のほとんどが、松永さんに幸せになってほしいと願っている 

しかし超少数派の方が謎に行動力があり、そちらの言葉が松永さんの心を抉ってしまう 

本当に罪深い 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

松永さんは完全なる被害者なのに叩く意味がわからない。 

難癖とはこのこと。 

 

自分の想像を絶する辛い体験を経て笑うことが出来るようになったんだなと温かい目で見ることはできないのだろうか。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

酷いことをいう人がいるものだ。笑ってはいけないってなんだよ。辛くて傷ついたままの笑えない人生で終われという事なのか。立ち直らずに喪に伏して生きろと言う事なのか。被害者遺族に何故、暖かい言葉ではなく辛辣な言葉を投げ掛けるのか私には分からない。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

しかしネットは残酷ですね。多分御本人と対面して会話したら「なんで笑ってるの?」言わないでしょうし言えないでしょう。人として喜怒哀楽の感情が有る事は当然です。バランスが狂うと病んだ状況になる。むしろ松永さんが病んでいない事に敬意を持ち、信念の強さに応援したい気持ちです。無神経な書き込みは無視して下さい。 

 

▲2 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

あのなぁ。世界には理不尽に大切な者を奪われた人はごまんといるんだよ。生きてる限りは歯を食い縛ってでも前に進むしかないんだ。笑うなだの不謹慎だの何処のどいつに言う権利があるんだ?本当に呆れる。何時もと変わらずに接してくれることが嬉しいと思うよ。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

不幸な出来事があったって笑う事は不謹慎な事だとは限らない。 

自分は松永さんには笑顔で過ごせる日々が来ることを応援したい。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人間には喜怒哀楽という感情がある 

 

日常の中での小さな喜び 

亡くなった家族の誹謗に対する怒り 

大切な家族を失った哀悼 

たまには楽しい事があったって良いじゃないか 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

笑えてなによりじゃないか。 

てか、これだけの不幸にあって、楽しいこと嬉しいことなかったらあんまりじゃないか。 

 

悲しんだって喪に服しても家族は帰ってこない。 

辛いことずっと考えてたらこの人も病気になってしまう。 

それこそ取り返しがつかない。 

 

▲3 ▼0 

 

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福岡の海の中道の飲酒運転の市職員に追突されて海に転落し3人の子供を失った事故でも、その後子供を授かった夫婦に対して、「不謹慎だ」とか「3人の子供に対し愛情はなくなったのか」等々、理不尽なクレームを入れる人たちがいましたね。 

 

▲0 ▼0 

 

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高校時代、お父さんを亡くしたクラスメイトに「なんで笑えるの?頭おかしいよ」とみんなで「お説教」したことがありました。 

担任の先生にめちゃくちゃ怒られました。そのメンタルのまま生きてきた大人がいるのだなあ 

 

▲0 ▼0 

 

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東野圭吾原作の流星の絆で全く同じせりふがあったな 

被害者が何で笑っちゃいけないんだよって 

むしろ今は笑えるくらい傷が癒されたのかなと思えばいいのにね 

 

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能登地震で被災地からYoutubeで配信されたもので、被災者が冗談に笑ってるものがありました。 

コメント欄では「不謹慎だ」「笑えるなんて神経どうかしてる」みたいなコメントが並んでいました。 

当事者でない者が「被害者はこうあるべき」を押し付けている様は本当に胸糞悪かったです。 

被害を受けた者に笑う事すら批判するのは虐待に等しい行為です。 

そんな事をする人は本当に恥知らずだと思います。 

 

▲2 ▼1 

 

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笑うなというのは「一生暗い気持ちを引きずって生きていけ」と言ってるも同然だと思う 

せっかく前向きに生きていこうとしている人に対して何でそんなひどいことが言える? 

少しは自分が何を言ってるのかを考えてほしい 

 

▲6 ▼2 

 

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こういうのよくあるんだよな。「笑うな」なんて言ってきた人なんていないでしょ。正確には「なんで笑ってるんですか?」というコメント。「なんで笑ってるんですか?」が「笑うな」に変換されてる。「なんで笑ってるんですか?」と言ってくるのもおかしいかもしれないが、「笑うな」という言い方とは全然違うでしょ。そこを盛る必要ある? 

 

▲0 ▼25 

 

 

 
 

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