( 244909 )  2025/01/05 19:14:42  
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たむらけんじさんは、芸人としての仕事をリセットし、50歳になった2023年5月からアメリカに移住していましたが、24年11月に日本に戻ってきました。

焼肉店「焼肉たむら」を立て直すために帰国したと述べ、17年間店を経営してきたが、時代の変化に取り残されていたことを痛感しました。

また、資本力のある企業に店を買ってもらうバイアウトの話も進めていたが、合意に至っていませんでした。

現在は店舗をリニューアルし、売り上げは2倍になったと話しております。

芸人としては復帰の予定はなく、新たな分野で挑戦したいという想いがあるそうです。

(要約)

( 244911 )  2025/01/05 19:14:42  
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たむらけんじさん(撮影/中西正男) 

 

芸人としての仕事をリセットし、50歳になった2023年5月からアメリカに移住した、たむらけんじさん。ロサンゼルスを拠点に新たなビジネスを模索していましたが、24年11月、日本に戻ってきました。なぜ帰国したのか。これから何をしようと思っているのか。そして「これは初めて言うことなんですけど」と明かした事実。語られてこなかった思いを吐露しました。 

 

*  *  * 

 

24年の11月12日に日本に戻ってきました。理由は「焼肉たむら」を立て直すためです。 

 

アメリカに行ってからも日本のスタッフと毎日連絡を取っていましたし、日々あらゆる話もしてきました。ただ、やっぱり自分が日本にいないからですかね。刺さらない。どんどん士気が下がっていく。八方ふさがりになっていきました。 

 

毎朝、各店の売り上げデータがメールで送られてくるんですけど、見るたびにゾッとする。「これはアカン」となる。その気分から一日が始まる。それが今年に入ってから続いていました。 

 

自分が店をやり始めて17年、何が悪かったのか考えました。自分なりに考え、こだわり、店の形を作ったつもりだったんですけど、悪いのは「それを変えてこなかったこと」。そこに気づきました。 

 

昔からお世話になってきた宮迫(博之)さんの力を借りて、プロの方のお話をいろいろと聞いたりする中で、俗に言う「止まってしまっていた」状態だったことに気づきました。発展、進歩がなかった。17年前はそれでいいと心底思ってやったことだし、自分がそうしたいと思ったことだったんですけど、令和の時代の飲食業はそれではダメなんだと。 

 

料理のおいしさはもちろんのこと、アプリを作るとか、ポイントがたまったらランクが上がっていくゲーム性があるとか、そういう要素もあって当たり前。なければマイナス。そんな世界観から完全に取り残されていた。それを痛感しました。さらに、今回帰国して実際に毎日店に入って思ったのが「ヒマな店に慣れてしまっている」ということでした。お客さんが離れていった理由もよく分かりました。 

 

これはね、今回初めて話すんですけど、半年ほど前からですかね、飲食に特化した資本力のある会社に「焼肉たむら」を買ってもらう。そんなバイアウト(企業の株式を買い取ることで、経営権を取得し買収すること)の話をいくつかの企業さんとさせてもらってきました。 

 

 

■支えてくれた社員が辞めていく 

 

飲食は厳しいし、焼肉という業態も難しいし、ウチの店の状況的にも決してイージーな内容ではない。ただ「たむらさんところは他の飲食店とは違うポイントがある。それがたむらけんじさんという芸人さんの付加価値」と話をしてくださる方もいらっしゃって、こんな感じの店にしてはいろいろなお話をいただきました。 

 

何より僕が考えるのはウチの従業員のことです。今の状況で引き続き仕事ができて、それぞれの家族が守れる。これをキープしてくれるところがあれば、他の条件は本当に何でもいい。そう思ってやってきましたし、まとまる直前だったところもあったんですけど、今のところ合意に至っていない。 

 

となると、あとは自力で立て直すしかない。真正面からの方法で頑張るしかないのに、自分がアメリカからアレコレ言っている場合ではない。「焼肉たむら」を立て直すため。それが全てなんですけど、もう一つ奥にある正味の話をすると、それだったんです。自分の手から離れてはしまうけど、バイアウトが成立して「焼肉たむら」という船が沈まずに進んでいける算段がついたら、戻ってきてないと思います。正直な話。 

 

……あとね、さらに、さらにリアルなことで言うと、ずっと支えてくれていた社員がポツリ、ポツリと辞めていく。これもこたえました。それぞれみんなやりたいことがあるから次に向かった。喜ぶべきことでもあるんですけど、ウチが本当に魅力的だったらそうはならなかった。それも事実だろうなと。 

 

今は大阪に住んでいて、朝起きて英語の勉強をしてから、関西のどこかの店舗に出勤する。尼崎、箕面、和泉府中のどこかの店舗にいて、ランチ、ディナーと一日中働く。それがルーティンになっています。洗い物も、盛り付けも、ホールも、やっています。 

 

ありがたいことに、いろいろな芸人も支援してくれて、店の皿をデザインしてくれた後輩もいますし、「サバンナ」の高橋も「YouTubeチャンネルでお店に行かせてもらいます」と言ってくれてますし、もりやすバンバンビガロもいろいろと尽力してくれています。本当にありがたいことだと思っています。 

 

ただ、あくまでも芸人の仕事に戻るために帰国したのではないし、なんとか「焼肉たむら」再生の目途が立ったらアメリカに戻る。一日も早く戻る。そう思っていますし、少しでも早くその日を迎えたいというのが今のモチベーションです。 

 

アメリカでやりたい夢があるから、本当にわがままを言って日本を離れました。大好きで、大好きで仕方なかった芸人の世界を出てまで新たな勝負を始めました。そして、自分で作った店だから、人に渡したくはない。全部本当の思いです。でも、今考えないといけない一番のことは「焼肉たむら」を立て直して従業員の人生を守る。これです。これしかありません。だから全力でやる。それが今なんです。 

 

 

■リニューアルして売り上げは2倍 

 

「いまさら戻ってきて何をするんだ」とか「もう、お前の戻る席は芸能界にはない」とか「失敗してもう一回芸人か」とか、それこそいろいろなことを言われてもいますけど、もともと芸人に戻る気は一切ないですから。そんな中途半端な思いで、大好きな仕事を離れないです。 

 

そして、これもハッキリさせておきたいんですけど、アメリカでタレントとか俳優としてやりたいわけでもない。 

 

なぜ大好きな芸人の仕事をやめたのか。あこがれてお笑いの世界に飛び込んだ10代の自分と同じ感覚で、50歳からアメリカに行ったんです。芸人でもなく、飲食でもなく、まだ知らない分野で「僕にしかできないこと」を見つけたい。それだけが事実です。なので、今もアメリカの家を残しているし、カラ家賃も払っています。 

 

先は見えないけど、秋からメニューをリニューアルして売り上げは2倍くらいにはなっています。でも、これは最初だからこそのご祝儀相場でもある。なんとか3倍まで持っていって、落ち着いても2倍くらいで安定する。それくらいじゃないと話にならないし、日々頑張るしかありません。本当に。 

 

1年半ほどですけど、アメリカにいて変わった部分も感じています。以前は何をするにしても、人の目がすごく気になっていました。だから電車にも乗れなかったし、ご飯を食べていても常に周囲を気にしていました。でも、アメリカでは僕のことを誰も知らない。すごくおおらかになれました。 

 

逆に言うと、日本にいた頃は常にピリピリしていたんだと思います。張りつめていたんやろうなと思います。今は一回深呼吸すればどっしり構えていられる。どこで何をしていても、電車で指をさされても、何も思わなくなった。大きなアメリカにいておおらかにしてもらいました。 

 

正直な話、ま、全部正直な話ばっかりなんですけど(笑)、自分だけの個人店やったら、すぐにつぶしていると思います。でも、そうはいかない。人の人生を背負ったのは自分ですから、背負った以上は責任を持つしかない。言葉にしたら単純な話ですけど、これが難しい。でも、でも、やるしかないですからね。ただただそう思っています。 

 

■たむらけんじ 

1973年5月4日生まれ。大阪府阪南市出身。大阪NSC11期生。同期には陣内智則、ケンドーコバヤシ、「中川家」らがいる。92年にお笑いコンビ「LaLaLa」を結成するも、99年に解散後はピンとして活動。2006年に自らがオーナーを務める「炭火焼肉たむら」を開業。芸人と社長、両方の顔を持つ実業家芸人としてブレーク。昨年5月、全てのレギュラー番組などを整理し、新たな夢を追い求め渡米した。 

 

中西正男 

 

 

 
 

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