( 246309 )  2025/01/08 17:04:31  
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徳島県で最低賃金が引き上げられる中、経営者が「支払えない」と悲鳴を上げる声が上がっているが、マスメディアは経営者側の苦境を強調しすぎるという批判がある。

実際には、低賃金で働く労働者も多く、彼らの声も取り上げるべきだとの指摘がある。

最低賃金の引き上げは一時的な失業を引き起こすかもしれないが、基本的には所得増につながるという意見もある。

最低賃金を引き上げることで、低賃金労働者の生活が重視されるべきだと指摘されている。

(要約)

( 246311 )  2025/01/08 17:04:31  
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「最低賃金を支払えない」と経営者は訴えるが…… 

 

 新年早々、お屠蘇(おとそ)気分が吹っ飛ぶような暗いニュースが注目を集めた。 

 

 2024年11月、最低賃金が896円から980円へと引き上げられた徳島県で、零細企業経営者が「これだけの給料を払い続けられるほど利益はない。今のままでは人は雇えない」(時事通信 2025年1月5日)と悲鳴を上げているというのだ。 

 

 これを受けてSNSでは「最低賃金を引き上げるなら、中小企業が倒産しないように手厚い補助をすべきだ」「石破政権は1500円を目指すとか言っているけれど、やはり引き上げ幅は慎重になるべきだ」と議論が盛り上がっている。 

 

 どのような形にしろ、最低賃金に関心が集まることは喜ばしいことだ。しかし、今回のようなニュースを見るたび不思議に思うことがある。 

 

 なぜマスコミはこのテーマになると、「経営者側の苦境」ばかりをことさら強調するのか、ということだ。 

 

 いや、もちろん時給84円アップが耐え切れず、廃業に追い込まれそうな経営者には同情する。それで無職になって、次の仕事を探さなくてはいけない人たちも気の毒だ。しかし、そのような人たちと比べ物にならないほどの苦境に追いやられて、悲鳴どころか貧しさで疲弊して声を上げられない人たちもいる。徳島県内の「低賃金労働者」だ。 

 

 最低賃金で働くのはシングルマザーなどの一人親が多い傾向があり、子どもの貧困などの問題にもダイレクトに影響を及ぼす。深刻度でいえば、こういう人たちの声もしっかり取り上げるべきだが、今回のニュースのように、会社が潰れそう、経営が苦しいと訴える経営者の声ばかりにフォーカスが当たっていることに、どうしてもモヤモヤしてしまうのだ。 

 

 そもそもなぜ、徳島県はここまで大幅な最低賃金引き上げに踏み切ったのか。理由の一つは、労働者側が文句を言わないことをいいことに、常軌を逸した低賃金で過酷な労働を強いる事業者がいるからだ。 

 

 「令和6年最低賃金に関する基礎調査結果」によると、徳島県が1624事業者を対象に調査したところ、これまでの最低賃金896円さえも払われていない労働者が1230人いた。 

 

 「低賃金労働者の一覧」には、耳を疑うような「搾取」が明らかになっている。例えば、10~29人規模の製造業で働く60歳女性の収入を時給換算すると794円だった。9人以下の宿泊、飲食業で働く55歳の女性は、なんと時給596円だった。 

 

 これだけ物価上昇が騒がれ、値上げが続く今の日本社会でも、このような常軌を逸した低賃金労働を強いられている人々がまだたくさんいる。「弱者の味方」を標榜するマスコミが取り上げるべきは、このような人々の「こんな安い給料じゃ生けていけません」という悲鳴であることは言うまでもない。時給84円アップで廃業に追い込まれる経営者の悲鳴を取り上げることも必要だが、それと同じくらいの熱量でこちらも世に伝えるべきではないのか。 

 

 ……という話をすると、「そういう大変な人もいるだろうが、ほんの一握りに過ぎないんだから騒ぎすぎだ」といったご指摘があるだろう。 

 

 そう、筆者が指摘したいこともまさしくそれなのだ。「ほんの一握りの人々が抱える問題を、全体のように語るのはいかがなものか」というのなら、「経営者が悲鳴!」的なニュースほど不自然なものはない。 

 

 「最低賃金引き上げで廃業に追い込まれる経営者」というのは、実は「最低賃金以下で働く労働者」と同じく、ほんの一握りに過ぎないからだ。 

 

 

 先ほど徳島県内で、時給896円以下で働いているのは1230人と述べた。実はこれは調査した労働者のうち1.17%に過ぎない。超マイノリティーだ。 

 

 では、「多数派」はどんな労働者か。まず多いのは最低賃金スレスレで3520人。アルバイトやパートの時給は、最低賃金を基準に設定されるので当然だ。しかし、その他に多いところを見ると意外なことが分かる。 

 

 時給980円で働いている労働者は669人、時給990円は482人、時給1000円にはなんと6411人もいる。つまり、最低賃金を軽く上回る給料を労働者にしっかりと払っている経営者も、徳島県内にはたくさんいるということだ。 

 

 こういうデータを見れば、「最低賃金引き上げで中小企業が悲鳴!」というニュースが、実は「ほんの一握りの人」の声だけを集めてつくられたものだと分かるだろう。 

 

 最低賃金が896円から980円に引き上げられたことで「ええ、84円のアップ? もうダメだ、人を雇えないから廃業するしかない」という経営者は確かに気の毒である。一方で、それが徳島県内の中小企業の多数派の声かというと、そうではない。 

 

 マスコミの皆さんは「少数でも苦しんでいる人の声を伝えるのがわれわれの仕事だ」というだろうが、ならば先ほど述べたように、低賃金労働者を無視するのは道理に合わない。 

 

 なぜマスコミは最低賃金のニュースで、経営者側の「悲鳴」ばかりをクローズアップしがちなのか。 

 

 いろいろな見方があるだろうが、実際にマスコミで働いていた経験から言わせていただくと、「ニュースの価値を上げたい」という思いが強過ぎて、無意識に偏ってしまっているのだと思う。 

 

 低賃金労働者を「弱者」にして、最低賃金関連のニュースを流してもそれほど注目されない。先ほど紹介したように、このような人々は少数派であって、大多数の日本人にとっては「まあそういう気の毒な人もいるよね」という反応だ。 

 

 しかし、中小企業経営者を「弱者」にすれば途端にニュースの価値は上がる。日本企業の99.7%は中小企業であり、日本人の7割が働いている。そんな中小企業の倒産ネタは関心が高い。しかも、こういうアングルの良いところは「政権批判をしたい読者」のハートもわしづかみにできることだ。 

 

 

 分かりやすいのは、新年早々に石破茂首相が会見で「最低賃金を2020年代に全国平均1500円に引き上げる目標に向け、国として最大限の対応策を講じる」と述べたことだ。 

 

 石破降ろしをしたい勢力や石破叩きの報道をしたいマスコミからすれば、「最低賃金の引き上げで、いたいけな中小企業経営者が悲鳴を上げている」というのは格好のネタだ。 

 

 マスコミも営利企業なので「多くの人に読まれるニュース」を量産しなくてはいけない。読まれるためには読者の共感を得やすい「分かりやすい敵」や「分かりやすい弱者」が必要だ。それが最低賃金というストーリーの場合、「引き上げに悲鳴を上げる経営者」というワケだ。 

 

 ただ、当たり前だが、これはマスコミにとってはハッピーだが、国民にとってはこの上なく不幸な話だ。 

 

 低賃金労働者に救いの手を差し伸べるだけではなく、日本経済をどうにか上向かせるためには、今回のように物価上昇幅に合わせて着々と最低賃金を引き上げていくしかないからだ。 

 

 日本経済の約7割は内需だ。デフレがどうとか円安がどうとかいう以前に、「低賃金・低消費」から抜け出さないことには、この国には未来がない。 

 

 そこでよくいわれるのが「春闘で賃上げムード」だとか、トリクルダウンがどうしたという理屈だが、これは期待できない。 

 

 トヨタが過去最大のベアを実現したところで、徳島県で最低賃金以下の時給で働かされている人たちにはなんの影響もない。労使交渉をするような大企業は、日本の全企業の中の0.1%に過ぎず、労働者の3割しか働いていない。これっぽっちの人々の賃上げが、残りの99.7%の中小零細企業にまで波及するというのは、さすがに経済をナメ過ぎている。 

 

 ちなみに、今でも一定の人たちが主張する「消費税ゼロ」も、低賃金労働者の救済にはならない。年収2000万円の人はもともと消費をたくさんするので、恩恵もでかい。しかし、時給794円で働いている60代女性は、消費も切り詰めているので恩恵もスズメの涙だ。晩ご飯のおかずが一品増え、500円貯金が始められるくらいなので、「低賃金・低消費」という構造的な問題は何も変わらない。 

 

 だからこそ、全ての低賃金労働者を引き上げる「ボトムアップ政策」が必要なのだ。 

 

 最低賃金を896円、980円と引き上げていけば、労働者に時給794円しか払えない経営者は事業の継続を断念するしかない。今、雇っている人はうまく丸め込んで働かせることができても、周囲の労働条件が良くなっているので、新しい人材確保が難しいからだ。 

 

 そうすると、時給794円で働いている労働者は、失業してしまう。ここだけ切り取ると確かに「不幸」なので、ここに注目する人たちは「最低賃金を上げるのも考えものだ」となる。 

 

 しかし、これはちょっと見方を変えれば、「低賃金労働からようやく解放された」ということでもある。今の日本は、外国人労働者や高齢者に頼らなくてはいけないほどの人手不足なので、選り好みさえしなければ、いくらでも仕事はあるのだ。そして、ここが大事なポイントだが、そのほとんどが前の職場でもらっていた時給794円よりも高い賃金なのだ。 

 

 つまり、最低賃金の引き上げというのは、低賃金労働者にとって一時期的な失業を引き起こすこともあるが、基本的には所得増につながるものだ。日本を30年以上苦しめてきた「低賃金・低消費」から抜け出すには、このような「賃金の底上げ」を47都道府県で進めていくべきなのだ。 

 

 

 「最低賃金を引き上げるだけでは、経済は良くならない」と文句を言っている人もいるが、諸外国と同様に日本も最低賃金を引き上げているのならまだしも、日本の場合はそもそも「最低賃金引き上げ=邪道」みたいな強迫観念があるので、十分にやってきたとは言い難い。 

 

 2018年に最低賃金を大きく引き上げた韓国を見て、多くの日本人は「大失敗だ」とさげすんだ。もちろん、かの国の経済にはさまざまな問題があるが、日本よりも平均年収が高く、最近では1人当たりGDPまで抜かれてしまった。 

 

 2024年7月、ベトナム政府は最低賃金を平均6%引き上げている。 

 

 タイも2025年1月1日、1日の最低賃金を330~370バーツ(日本円で約1508~1690円)から400バーツ(同約1828円)に引き上げた。2024年も観光業界などを対象に2回にわたって最低賃金を引き上げている。「零細企業の倒産」よりも「労働者(消費者)の生活」を重視するのが、世界の経済政策の常識なのだ。 

 

 ベトナムやタイは経済成長著しく、いずれ日本は追い抜かされるといわれている。恐らくそのときがやってきても、日本のマスコミはまだ「最低賃金が84円上がって経営者が悲鳴!」とかやっているのではないか。 

 

 そうなると、ベトナムやタイは現在のハワイのような位置付けになる。そう遠くない未来、「え? この正月休みベトナム行ったの? ランチに5000円もかかるようなところによく行けたね」なんて会話が当たり前になる時代が来るかもしれない。 

 

(窪田順生) 

 

ITmedia ビジネスオンライン 

 

 

 
 

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