( 248266 ) 2025/01/12 16:29:59 0 00 写真はイメージです(写真: mits / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は、現役で入学した立教大学を中退し、2浪で早稲田大学の3学部に合格。現在、同大学社会科学部に在籍しているきな子さん(仮名)にお話を伺いました。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。
■極限状態で過ごした2浪の日々
今回お話を伺ったきな子さん(仮名)は、現役で合格した立教大学に入学したものの、休学をして浪人を決意します。
意を決して臨んだ受験でしたが、1年目は失敗。一度、立教大学に復学します。
しかし、その後は退路を断って大学を中退、2浪目に突入しました。このときは極限状態で、自習室でいきなり泣き出したり、3日間部屋にこもったりした時期もあったそうです。
そのような精神状態に陥りながらも、彼女が立教大学を退学してまで、2浪を決断した理由はなんだったのでしょうか。浪人に対する、彼女の「想い」について伺いました。
きな子さんは、埼玉県で、大卒のサラリーマンの父親と、専門学校を出て看護師をしている母親のもとで生まれ育ちました。
教育に理解のある親のもと、中学校までピアノ、習字、スイミングスクール、スポーツクラブといろんな習い事をさせてもらっていました。
また、地元の個人経営の塾に通っていたために、公立小学校・中学校では200~300人程度の同級生の中で3位以内をキープしていました。
「テスト範囲がわかってから、直前に勉強すれば、いい点数が取れました。試験のランキングで上位にいる自分が気持ちよかったです。前日に勉強して覚えきれない友達を見て、私は頭がいいんだと勘違いしていました」
■勉強ができることに大きな自信
「天才ではないけどそれなりにできる」という自信があり、小さいころから勉強ができることがアイデンティティだったきな子さん。しかし、そう信じていたために、自分より優れた人もいるという現実を認めることができなかったそうです。
「中学3年生のとき、自分より頭のいい子がいたのですが、『あの子は元から頭がいいんだ、天才なんだ』と思ってしまったのです。そこで自分の弱さと向き合えたらよかったのですが、現実逃避癖があったためにできませんでした」
高校受験でもその「現実逃避癖」のために、自分の学力からすると楽に入れる学校に入ろうと考えました。周囲は、当時の彼女の成績から考えれば、浦和第一女子高等学校などの進学校を目指すのだろうと思っていたようですが、「公立高校も受験するとなると、3月までずっと勉強しないといけないのが嫌だった」ため、塾や学校の説明会で特待合格があると教えてもらった偏差値65程度の私立高校に進学を決めました。
「公立の受験から逃げてしまったんです。だから、(高校受験では)全然勉強もしませんでした」
こうして高校受験で「楽をして入った」きな子さんでしたが、彼女には大きなコンプレックスがありました。それは、「恋愛ができない」ことでした。
「当時は人と話すのが苦手でした。運動部のマネージャーを始めたのですが、周囲の子が男子部員と仲良くなる中で、異性と何も話すことができなくて、仲良くなれない自分が嫌いでした。好きな子ができてもどうにもならず、仲のいい友達でも彼氏の話を聞くとドス黒い感情が渦巻いて、嫉妬してしまう日々でした。満たされない生活が続いて、青春コンプレックスを引きずってしまいました」
■自分の理想とはかけ離れた高校生活
高校1年生の8月に部活をやめたきな子さんの高校生活は、何もしない、できない日々だったようです。自分の中での理想とはかけ離れた生活に、劣等感は強くなる一方でした。
自ら「黒歴史でした」と語る、きな子さんの高校生活。将来についても方針がなかなか定まらなかったものの、高校2年生の秋には早稲田大学を目指すことに決めました。
「殺処分される動物がいるのを少しでも助けたいと考えて、獣医を目指して理系に進もうと思っていたのですが、高校2年生のときに数学と化学ができずに挫折し、文理選択で文系を選びました。
クラスでの順位は小・中と変わらず3位以内でしたし、模試の学内順位で500人いるなかで1位をとったこともあったので成績はよかったのですが、理系に対する苦手意識があったので、数学や化学を使わない私立のてっぺんを目指そうと思い、早稲田大学を志望校に設定しました」
きな子さんの通っていた高校は10クラスあったマンモス校でしたが、現役で早慶に行く人が1人いるか・いないかの環境だったために、彼女は集団の中でも高い目標を掲げて勉強を頑張ろうと決意しました。
高校2年生からは、栄光ゼミナールに入って受験勉強を始めたきな子さん。高校3年生になってからは、学習内容や勉強時間を記録できる総合プラットフォーム「Studyplus」を始めたことが、受験勉強に大いに役立ったようです。
「(Studyplusを始めたことで)周囲の受験生がどれだけ勉強しているかがわかるようになったことが、自分の勉強にも大きな影響を与えたと思います。人目を気にする性格だったので、周りがたくさん勉強しているのを見て焦っていました。
中には4時間睡眠で18時間勉強している子がいたので、私も勉強時間を増やそうと思い、18時間勉強を目指しました。ただ、眠くて起きている時間も集中できていなかったので、私にとってはすごく効率の悪いやり方でした」
「自分は1日7時間の睡眠を取らなければ集中できないと気づいたのは、2浪目に突入してからだった」と、当時の失敗を振り返ったきな子さん。
現役の受験は、模試の偏差値が60程度から変わらず、早稲田の模試の判定はほぼE判定でした。この年は、思うように成績が伸びないまま、早稲田大学の文学部、文化構想学部、教育学部、商学部、社会科学部と5学部を受験するも、全落ちで終わってしまいました。
「自分の弱点に向き合うことが全然できず、勉強時間が多いことに安心していました」
幸い、立教大学の文学部ともう1つの大学に合格していたきな子さんは、立教大学に進学を決めました。
立教大学に進学を決めたきな子さんは、「嬉しかった」と語ります。
「他人の目を気にする人間だったので、日本の中でもかなりいい大学に入ることができてよかったと思いました。最初は浪人する意思はありませんでしたね」
■周囲の学生がキラキラしているように見えた
しかし、立教に進学してから、彼女は浪人をしようと決意します。その理由については、「劣等感がおさまらなかったから」と語ってくれました。
「高校生のときから思っていた『充実した生活を送りたい』という願いは、大学でもかないませんでした。周囲の立教生はキラキラしていたのですが、私自身がキラキラした人生とは程遠くて、相変わらず満たされませんでしたし、周囲に劣等感を抱いていたんです。だから、環境を変えたらキラキラできるんじゃないかと思い、『周りに自分を変えてもらおう』という依存的な考えをするようになっていきました」
また、受験生のときに使っていたStudyplusを見て、早稲田を目指して1浪をしている友達が毎日頑張っていたことで、目標に向かって努力している彼らを羨ましく、「輝いている」と思ったきな子さん。
早稲田大学に入るためにもう一度勉強を始めようと思った彼女は、夏には大学の後期の休学を決めて、立教大学の図書館に通い、参考書や早稲田大学の赤本を使って勉強を開始しました。
無茶な勉強をやめ、1日12時間の勉強をするようにしたきな子さん。その甲斐もあり、前年よりも模試の成績はよくなりました。
こうして、この年も前年と同じく早稲田大学の文学部、文化構想学部、教育学部、商学部、社会科学部に加えて、上智大学法学部と総合人間科学部を受験します。しかし、早稲田で補欠が2つあっただけでそれ以外はすべて不合格。補欠も最後まで繰り上がらず、悔しい全落ちで1浪目を終えました。
■立教に受かったから大丈夫だろうと慢心
わずかな差での不合格に、「悔しかった」と当時を振り返るきな子さん。彼女は落ちた理由を振り返って、「ちょっとなめていた」と反省します。
「立教に受かる実力があるから大丈夫だろうと思っていました。でも、結局苦手なことと向き合わなかったから落ちたんだと思います。当時、Studyplusでつながっていた先輩が、慶応の経済学部に通っていたのですが『もし君が2浪しても順当にいけば受からない』と言われたんです。
なんでそんなことを言われるのだろうと思ったのですが、現役でMARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)に受からずに、1年勉強して早稲田に受かった人が周囲にたくさんいることに気づいたんです。
|
![]() |