( 248764 )  2025/01/13 15:58:07  
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35年前に起きた女子高生コンクリ詰め殺人事件で主犯格だった男性Bの過去とその後の人生が報じられている。

事件後、実刑判決を受け、出所後は再び犯罪を犯すなど荒んだ生活を送り、最終的に孤独死するまでの経緯が詳細に描かれている。

事件の悲惨さと、更生が難しい少年法の敗北について考えさせられる内容が紹介されている。

(要約)

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35年前の惨劇(写真はイメージです) 

 

 1989年の1月5日、東京都足立区綾瀬で4人の少年が女子高生を監禁し、暴行の果てに嬲(なぶ)り殺した。俗に「女子高生コンクリ詰め殺人事件」と言われるこの事件は、公判時、検察が「わが国犯罪史上においてもまれに見る重大かつ凶悪な犯罪」と表現するなど、戦後最も残虐な少年犯罪のひとつと言われる。その非道さゆえに、発生から35年経った今でも人々の記憶から忘れ去られることはない。また、この1月には、北海道放送(HBC)が4名の加害者のうち、準主犯格だった男性が3年前、51歳で孤独死していたことを報じ、大きな話題となったばかりである。 

 

 この男性をBとする。Bはコンクリ詰め事件で殺人罪などにより起訴され、実刑判決(懲役5~10年の不定期刑)を受けた。HBCの報道などによれば、1999年に出所した後は定職につき、結婚したものの、程なく離婚、仕事先でのトラブルで退職して以降は生活が狂い始める。2004年には知人男性に対する逮捕監禁致傷容疑で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けた。2009年に再度出所した後は仕事もせず、生活保護に頼り、部屋に引き籠る毎日。そして2022年7月、母が弁当を持って部屋を訪れると、トイレの中で倒れた状態で発見された。精神安定剤を飲み、ふらついてトイレの中で倒れ、便器とタンクの間に頭が挟まり動けなくなり、嘔吐して息を引き取ったという。 

 

 コンクリ詰め事件の公判の際、Bは「被害者の女性がどれだけ熱かったか、どれだけ痛かったか。一生謝っても謝り切れない。僕の一生をかけても償っていきたい」と述べたが、その言葉とは程遠い一生を送ったことがわかる。 

 

「週刊新潮」では、2004年の逮捕時、被害者に取材するなどして、Bが再犯に至るまでの経緯を詳報している。以下、それを再録し、Bの凶悪さと、彼を更生することの出来なかった“少年法の敗北”について考えてみよう。 

(「週刊新潮」2004年7月15日号記事の一部を加筆、修正しました)【前後編の前編】 

【前編】では、コンクリ詰め事件の際のBの“所業”について詳報する。 

 

 *** 

 

 

 世間を震撼させたコンクリート詰め殺人事件で彼は、いかなる役割を果たしていたのか。 

 

 全国紙デスクがいう。 

 

「4人グループの中で、Bはサブリーダーという立場にありました。先輩がいるときは命令を聞く立場でしたが、いないときは彼がリーダーとなって指示をしていましたし、率先して被害者を嬲(なぶ)っていたことも明らかになっています」 

 

 1988年11月末――。 

 

 同じ中学校を卒業した一つ年上の先輩とBは2人の後輩と一緒に4人のグループとなり、後輩の家の2階の部屋を溜まり場にして、ひったくりや恐喝などを繰り返していた。 

 

 ある日、リーダー格の先輩が、偶然、自転車で通りかかった17歳の女子高生を見かけて拉致し、 

 

「俺はおまえのことを狙っているヤクザだ。言うことを聞けば命だけは助けてやる」 

 

 と脅して、ホテルに連れ込んで乱暴した。その後、彼女を後輩の家に連れていき、年明けに彼女が死亡するまで40日以上も監禁を続けたのだ。しかも、当初、欲望の対象として見ていた彼女が逃げ出そうと110番に電話をしたことを知った4人は激怒し、 凄まじいリンチを加えるようになったのである。 

 

 法廷で明らかにされたリンチの実態は筆舌に尽くし難く、耳をふさぎたくなるような証言にしばしば傍聴席は水を打ったように静まりかえった。 

  

 4人は、逃げ出さないようにライターオイルを女子高生の足にかけて、何度も火をつけた。熱がって、必死に火を消そうとする彼女を見て、大笑いし、結果、重度のやけどを負わせ、立てなくなるほどその傷が化膿するまで放置したのだ。 

 

 小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープを掛けて、「イエーイ」の歌詞に合わせて、彼女のわき腹にパンチを入れて、顔がゆがむのを見て、Bは、リーダーに、 

 

「この顔がいいんですよね」 

 

 と喜んだという。 

 

 彼女が生還できるチャンスを潰したのもBだった。ある日、リーダーが彼女を家に帰そうとした時、 

 

「やばいですよ。チンコロ(警察に情報提供)するんじゃないですか」 

 

 と、反対し、後輩にも、女子高生を帰すことに反対しろと言い含めたのだ。 

 

 食事も与えられず、暴行を受けつづけた女子高生は、衰弱していった。 

 

 武田鉄矢の「声援」という歌にある「がんばれ、がんばれ」という歌詞を歌いながら女子高生は苛められ続けた。女子高生は、時折、小さな声で自分に言い聞かすように「がんばれ、がんばれ」と呟いていたが、ついに「殺して、殺して」と哀願するまでに至ったという。 

 

 

 人の皮をかぶった鬼畜としか言いようのない行状であったが、この4人は逮捕された後、一転して殊勝な態度を見せ、法廷ではしばしば涙をこぼしていた。 

 

 一審判決の間際、被告人質問の時に、Bは、たった1人で死んでいった被害者のことを尋ねられて、激しく嗚咽をもらしながら、こう答えている。 

 

「自分の無残さを直視して死んでいった。死期を待っている間、あの人がどんな……少しも考えていませんでした。自分は人間じゃないと思います。悪魔、人のことを不幸にして……」 

 

 弁護士たちは、 

 

「子供たちは真剣に反省し、更生の努力をしている」 

 

 と主張したが、それがいかに空々しいことだったのかはその10数年後の2004年、Bが起こした「逮捕監禁致傷事件」でハッキリとわかることになる――。 

 

 *** 

 

【後編】では、再犯となる「逮捕監禁致傷事件」での、Bの“鬼畜行為”のすべてを報じている。 

 

デイリー新潮編集部 

 

新潮社 

 

 

 
 

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